稚内港北防波堤ドーム…(2023.06.04)

休業日の早朝、何か眼が開いたので戸外の様子を伺った。天は、一部に雲が切れていて、その辺りが明るいと思った。そして戸外へ出てみた…

↓天の低い辺りと、高い辺りにやや厚い雲が拡がり、その間の雲が切れているような部分が明るい塔いう不思議な様子だ。
04-06-2023 early morning X100F (1)

↓低い辺りの天が雲に覆われている関係で、上ろうとする朝陽の光の干渉は限定的であるように見受けられるのだが、それでも天の明るい部分の様子や、天が映り込む海面の様子が面白かった。
04-06-2023 early morning X100F (4)

↓時にはこういう様子も好いと思いながら眺めていた。
04-06-2023 early morning X100F (9)

↓持っていたバッグに広角レンズ装着のX-Pro2が在ったので、「選手交代」ということにした。
04-06-2023 early morning X-Pro2 (4)

↓低い辺りの雲の高度を、朝陽の高度が超えて来た…
04-06-2023 early morning X-Pro2 (5)

↓そして海面に“光の路”である。
04-06-2023 early morning X-Pro2 (7)

こうした様子の早朝であったが、次第に雲が多目になり、1日を通じて雨交りな時間帯が多い感じになって行く…そういう日に、こうした朝陽が絡まる様子を観られたのは興味深い。

朝に…(2023.06.03)

↓やや雲が多目で、何か肌寒い感じだったが、データも肌寒さを確りと示している感じだ。10℃程度である…
03-06-2023 X100F (1)
↑更に風もやや強い…

↓本当に、何時迄「肌寒い感じも否めない気温に、冷たい風」という様子が続くのであろうか?
03-06-2023 X100F (2)

↓こんな様子を何気なく眺め、思い付くように歩いてみた朝だった…
03-06-2023 X100F (4)

<ФУНАЯМА>=<フナヤマ>…(2023.06.02)

↓路線バスで移動し、バスを下車して辺りを歩いて、何となく眼に留めた看板だ…
02-06-2023 X100F (17)
↑「時計、宝飾品、音楽」という意味のロシア語が在る。時計や宝飾品の他にCD等の音楽ソフトを売っている店だ。

↓国道に面した辺りに、こういう具合に看板が出ていた。
02-06-2023 X100F (16)

この辺りは、ロシア辺りの貨物船の出入りが盛んであった時期、上陸した乗員が盛んに歩き廻っていたような一画に入っている。そういう人達に向けて、時計や宝飾品、CD等の音楽ソフトを売っているということを発信したかったのであろう。最近では、「何やら不思議な看板」という感じであるばかりかもしれないが…

時にはこういうモノに眼を向けてみるのも面白いかもしれない…

霧の朝に…(2023.06.02)

↓やや離れた辺りが霞んでしまう程度に濃い霧に包まれた朝だった。
02-06-2023 X100F (9)

↓通路の奥にある稚内駅の建物が霧で霞んでいる。
02-06-2023 X100F (10)

↓稚内駅の建物が視える、朝によく佇む辺りに至った。霧に包まれ、何か不思議な雰囲気だ。
02-06-2023 X100F (11)

↓気温は然程上がっていない感じだ。霧が押し流されない程度の、余り強くはない風という感じであったかもしれない。
02-06-2023 X100F (12)

↓バス停に佇んだが、奥の12階建ての建物が霧に包まれ、その姿が視え悪いようになってしまっている。
02-06-2023 X100F (14)

↓やって来たバスに乗車して移動した…
02-06-2023 X100F (15)

こういう深い霧は、時々見受けられるが、一寸面白いと思う場合も在る。

稚内港北防波堤ドーム…(2023.06.02)

早朝から、何やら余り明るくない感じではあったのだが、朝に戸外に出て少し驚いた。

↓辺りが深い霧に包まれていた…
02-06-2023 X100F (1)

深い霧に驚き、敢えて回り道をして、稚内港北防波堤ドーム周辺を歩いたのだった。

↓深い霧に遠景が霞んでしまう…
02-06-2023 X100F (4)

↓屋蓋の下にも霧が流れ込んでしまっているように見えた。
02-06-2023 X100F (6)

↓各種の舞台芸術で用いられる演出が「天然…」で行われてしまっているかのような、何やら不思議な状態だった…
02-06-2023 X100F (8)

時にはこういう様子を眺めるのも好い…

雨交りな夜に…(2023.06.01)

やや雲が多く、少し風も強かった中、強弱変化しながら雨が交るようになって、やがて夜になった。

↓夕食後にほんの少し歩き廻ってみた…
01-06-2023 X100F (23)
↑雨に濡れた路面に、ビルの硝子張り部分から漏れている灯りや信号機や街灯の灯り、灯りに浮かび上がる周辺の構造物が映り込むような感だ…

雨が気にならない状態になっていたので、少しだけ歩を停めて眺めた。思い出したように通行人が見受けられたが、極々少ない。静かだ…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.06.01)

時折風が少し強いと感じながら歩を進めたが、何か歩を進める都度に風が強まるような気がしていた。

↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。船が動いていた…
01-06-2023 X100F (5)
↑天の雲の感じが好いと思った…

↓動いている船と辺りの様子を眺めながら、繋留濠に沿うように歩いた。
01-06-2023 X100F (6)

↓動いている船は、第一副港に何時も繋留している船だ。帰港した場面に出くわしたのだと思う。
01-06-2023 X100F (9)
↑この船は<北王丸>だ。北海道庁の漁業取締船で、全長が59.8mで499トンの船であるそうだ。

↓慎重に向きを変えながら、繋留する位置に近付いている。
01-06-2023 X100F (10)

↓左側に視えている底曳船の手前辺りに繋留すべく、船は向きを変えてゆっくり進むようになった。
01-06-2023 X100F (12)

↓なかなかの大きさの船であるように思うが、こういう船が動く様子を観るのは面白い。
01-06-2023 X100F (13)

朝に…(2023.06.01)

6月最初の朝は、やや雲が多く、時折風が少し強いような気がした。

↓何か「冷蔵倉庫の温度管理」か何かのように、最近の気温の変化は小幅な感じだ。
01-06-2023 X100F (1)

↓こうして小幅な動きを繰り返して、不意に階段を上下するように変わる気温を観ているのだが、温かいか寒いかというような感じ方は、気温の高低でもなく、風の強さや冷たさに左右されるのではないかという感を強めている。
01-06-2023 X100F (2)

数日前から「夏季の略装」というような話しも聞こえていないではないが、個人的には無視している。未だ温かくないのだ…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.31)

↓風に上着の裾が靡くような状態で歩を進めた。歩く方向と風向きとの関係で、歩を進めることがキツかったという程でもないが。他方で天が清々しい様相だった…
31-05-2023 X100F (4)
↑朝、稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。

↓繋留濠の奥側から「何かが動いて?近付いている?」という様子が視えた。歩を停めて眺めていれば、大きな作業台船が姿を現した。
31-05-2023 X100F (7)

↓ゆっくりと航行する大きな作業台船は、なかなかに迫力が在る。上空を海鳥が舞っていた。
31-05-2023 X100F (9)

↓繋留濠の奥側へ歩を進めた。作業台船が進んだことで生じた波紋の余韻のような様子が見受けられた。
31-05-2023 X100F (10)

↓振り返ってみると、作業台船は辺りから遠ざかってしまったようだったが、暫し清々しい天を見上げながら水面を眺めた。
31-05-2023 X100F (11)

こういう様子を眺めるのも悪くはないのだが、冷たい風の故に些か寒く感じてしまうことは禁じ得ない…

朝に…(2023.05.31)

↓この様子を眼にして「何時迄続くのか?♪見せてもらうさ!!♪」という歌詞が入っていた歌が思い浮かんだ…
31-05-2023 X100F (1)

↓朝の時点で15℃に届かないというような感じで、やや強いと感じる瞬間も在る風が冷たい。
31-05-2023 X100F (2)

↓なかなか上着が手放せない様子だ。本当にそれがしつこく続いている…
31-05-2023 X100F (3)

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.30)

朝、少し時間を設けて歩いてみた。

↓稚内港の繋留濠である第一副港辺りを歩いた。奥から光が漏れるような雲の感じが面白いと思った。
30-05-2023 X100F (4)

↓雲の様子が、随分と手数を掛けて描き込んだ画のようにも見えた。
30-05-2023 X100F (5)

↓辺りは海鳥の動きも活発だ。
30-05-2023 X100F (6)

↓繋留濠の最奥部が近い辺りでは、海面は滑らかながらも、若干風に揺らいでいるように見えた。天の雲は視る角度が変わる都度に面白い。
30-05-2023 X100F (7)

↓歩いて来た側を振り返って観た。色々な状態の雲が複雑に折重なっている。
30-05-2023 X100F (8)

こういう「日々眺めるような様子」の中に、面白い様子というモノが在ると思う。

朝に…(2023.05.30)

本当に「温かくならないですよね…」が挨拶代わりのような昨今である。

↓朝、稚内駅辺りを通り掛れば、「えっ?」と小さな声が漏れるような気温だった。10℃を僅かに切っている…
30-05-2023 X100F (1)

↓雲が些か多目に視える割に暗い感じではないのだが、風がややハッキリと身体に当り、それがやや冷たい。
30-05-2023 X100F (2)

↓「夏季の略装」というようなことが話題にはなっているが、そういうことは気に掛けたくないような状態だ。
30-05-2023 X100F (3)

何時迄、こういう感じなのか?

夕べに…(2023.05.30)

夕刻、思い付きのように御近所の御店に足を運び、食事を摂るというようなことが凄く愉しい…

↓ホタテの刺身が登場する機会が増えている昨今だ。
30-05-2023 X100F (16)
↑所謂「旬」というモノだ。柔らかさと歯応えを兼ね備え、旨味と甘みが溢れるホタテである。稚内の辺り、宗谷の海域ではホタテは「名産品」である。

↓豚串…
30-05-2023 X100F (17)

↓鳥皮…
30-05-2023 X100F (19)

↓通年で愉しめる串焼きの後には、時季のモノということになる、ホタテの串焼きを頂いた。
30-05-2023 X100F (22)

↓そして枝豆も摘まんだ…
30-05-2023 X100F (24)

こういうように愉しむ夕べが素敵だ…

「日三月六年八十三治明」=「明治38年6月3日」の新聞…:稚内市立図書館(2023.05.30)

「あの新聞の縮刷版で、古いモノは何年頃から在りますかね?」と問い合わせを受けた図書館の方は、「37年が一番古いようですね…」と応じた。すると「どの“37年”ですかね?」と重ねて問われ、図書館の方は「“昭和37年”ですね…」と応じたのだという。

これを聞いて思った。「元号XX年」という言い方の場合、“37”という数字が出れば「“昭和”ですね?」と即座に出て来ても不自然ではないように思う。“令和”は未だ5年で、“平成”は31年だった。遡って“大正”は15年である。となると、図書館に資料として保存されている新聞で「37年」とでも言えば、「64年の1月」に“平成”へ改元した“昭和”と考えるのが自然だ。末年が1912年と古いが、“明治”も45年であったので、「37年」は在り得る。が、図書館等の場合には、相当に収蔵資料が多いような限られた場所でもなければ、“明治”の刊行物は余り見られないような気もする。

“明治”以降は、一代の天皇の下に用いる元号を原則的に1つということにしているので、改元の機会はそれ以前より大きく減っている。少し気になって歴代の元号の一覧を見たが、数年で改元している例が殆どで、時々20年程度の期間で使われた例が散見する。だから「元号XX年」という言い方の場合の“37”という数字は、即座に“昭和”、場合によって“明治”も在り得るという理解で、間違っているのでもない。

この図書館の方と雑談をしていて、「元号XX年」となって“37”という数字が出れば、即座に“昭和”、場合によって“明治”も在り得るという理解で、間違っているのでもないというようなことを話題にした。すると「思い出した!」ということになった。そしてモノを見せて頂いた。

↓図書館にこういう資料が在って、閲覧可能なのだという。上側の縁に「日三月六年八十三治明」とある。「明治38年6月3日」の新聞だ。「明治38年」は1905年ということになる。
30-05-2023 X100F (9)
↑昭和30年代位迄、場合によって昭和40年前後と見受けられるが、何らかの契機で収集された明治38年の新聞が集められた綴りが在って、図書館に収められ、現在に受継がれているのだ。

↓紙面上側の記事について「変にカタカナが目立つ?」と思って気になって注目した。そして少し驚いた。「ロジェストウェンスキー提督を捕虜とせり」と在ったのだ。
30-05-2023 X100F (10)
↑記事冒頭の「東電」は恐らく「東京発の電信」というようなことであろう。そして内容は、5月27日から5月28日であったと伝わる日本海海戦(外国語では「対馬の海戦」というような呼び方になるようだ。)の決着が着き、壊滅してしまったロシア側艦隊の司令官以下の将兵が捕虜として収容された旨等が伝えられているのだ。

明治時代は電信が使用され始めている時代で、「明治三十七八年戦役」とも呼ばれた日露戦争の頃ともなれば、何処かの記者が聴いて取材した内容が電信で方々に送られ、それが各地の新聞等に記事として掲載されることも普通になっていたのであろう。海戦の後の出来事が公に発表されてから数日を要しているようだが、これでも「対馬での出来事が、稚内で出ていた新聞に数日で記事となる」というのは、少し古い時代には考え悪かったのではないかと思う。

日本海海戦に関しては、『海の史劇』という小説が在る。同作は、明治38年の新聞で「ロジェストウェンスキー」と標記されているロジェストヴェンスキー提督が困難に満ちた半年にも及ぶ航海で対馬沖の戦場に至る迄のことも含めた、非常に興味深い内容だ。

↓少し先走るように「稚内で出ていた新聞」とした。<北光新聞>なる題字の下に「北光新聞社」という、新聞を出していた会社の住所が在る。「北見國宗谷郡稚内町大字稚内本通南二丁目十一番地」となっている。
30-05-2023 X100F (12)
↑現在は「稚内市〇〇X丁目」という程度の住所の記載だが、当時は「北見國宗谷郡稚内町大字」である。確か「本通」は、現在では市内線の路線バスが走っている道道(北海道が管理する道路)だった筈だ。「南二丁目」は、多分、7階建ての市立病院の建物が目立つ中央4丁目周辺だと思う。が、何度か住所表示が変わっているので、少しよく判らない…

↓紙面を捲った。「稚内町役場公文」として、何やら予防接種の御案内が出ている。そして、日露戦争の日本海海戦に関する記事が続いていた。
30-05-2023 X100F (13)
↑当時はロシアを「露」とではなく「魯」という字で略する場合が多かったようである。その、やや見慣れない「魯」の字が散見する。

ロジェストヴェンスキー提督は、日本海海戦の戦闘中に負傷して昏倒し、指揮を執ることが出来ない状態に陥り、降伏したロシア艦隊側の負傷者として収容されて、佐世保の病院に入院した。負傷したロシア艦隊側将兵の多くは提督同様に病院に入って治療を受け、一定程度の恢復の後に各地の捕虜収容施設に送られている。そうした捕虜収容施設の一つが在ったという松山で、収容中に他界してしまった将兵の墓地を訪ねてみた経過も在った。海戦の他、地上の戦いでも降伏将兵が在って、彼らは一様に捕虜として収容されていたのだった。当時は、「捕虜は罪人ではない」とし、松山では捕虜のロシア将兵を「縁在ってやって来ることになり、滞在している外国人達」という程度に迎えていたようである。松山の収容所では、居合わせた将兵の中で上位の階級に在った海軍のボイスマン大佐が、収容者達の代表格と目されていたようで、墓地ではボイスマン大佐の墓石が他の人達より大きい。この墓地で、御近所の人達や近隣の中学校の生徒達が草むしりや清掃をして、場所を大切にしているという話しがロシアの人達に伝わり、ロシアの人達からボイスマン大佐の胸像が贈られ、それも現地に据えられている。因みに松山の墓地では、他界した将兵の名を記した辺りに「露国兵卒」というような方が気が添えられ、ロシアを「露」という字で略するようになっていたようだ。

何か「一寸した雑談」が切っ掛けで、なかなかに興味深い“発見”が在った。

キャップ…(2023.05.29)

↓多少暑い感じになっても、後側がメッシュで通気性の好いキャップを用意した。暑い日の日除けというような活躍が期待出来る。
29-05-2023 X100F (3)

↓「黒い地の上に黒い文字」が入っている。
29-05-2023 X100F (5)

これは独自の文字等を刺繍することが可能というモノを求め、独自に指定した文字である。

↓こういうサービスを利用した。

【文字を選ぶだけ】 メッシュキャップでオリジナル刺繍キャップがつくれる ホワイト ブラック チャコール ネイビー




↓「黒い地の上に黒い文字」で「WAKKANAI」としてみた。
29-05-2023 X100F (4)

これからの時季に活躍してくれそうなキャップだ…

波止場横丁の夕べ…(2023.05.29)

↓「連発に?」とは思ったが、2日間の休業日の第2日午後にまたサウナを利用してしまった。それはそれで好い感じではある。
29-05-2023 X100F (10)

↓“道草”も「連発?」を厭わずに繰り返してしまった。
29-05-2023 X100F (11)

↓そして御馴染になった暖簾を潜る。
29-05-2023 X100F (12)

↓席に就いてハイボールを頂く…
29-05-2023 X100F (13)

↓小ぶりな宗八を揚げたモノが御通しに登場した。この小さめなカレイは揚物も好い…
29-05-2023 X100F (15)

↓手羽先揚げは欠かせない…
29-05-2023 X100F (17)

↓そして明太子のおにぎりだ…
29-05-2023 X100F (20)

「連発?」を厭わず、最近の「休業日らしい?」と思う感じを繰り返している。こういうのも悪くはないであろう…

川辺の木…(2023.05.28)

海や船が視える天北1号埠頭の辺りから国道側にゆっくりと歩を進めていた。

↓何時も通るような辺りに至ったが、木の枝が風で揺れると、何か木の葉が触れ合うような音が聞こえていた。
28-05-2023 X100F (20)

↓雲がやや多目で、光は弱目であったが、木の葉の感じは既に春の終わり頃か初夏の様相かもしれない。
28-05-2023 X100F (21)

こういう「木の葉の様子」というようなモノの着実な変化の他方、何時までも肌寒いような様子が続いているのが、或いは酷く「当地らしい」のかもしれない。

波止場横丁の夕べ…(2023.05.28)

↓休業日の午後にサウナを利用し、道草をしてしまうというようなことが恒例化してしまった。
28-05-2023 X100F (29)
↑2007年だったと記憶する。施設が最初に開業した頃に敢えて設えた「少し昔風な様子」が何となく好い。

↓午後4時を過ぎると馴染んだ御店に暖簾が出る…
28-05-2023 X100F (30)

↓とりあえずハイボールを頂き、何となく読書に興じた。
28-05-2023 X100F (32)

↓蟹の身とキュウリを和えた御通しが好かった。
28-05-2023 X100F (34)

↓手羽先焼は欠かせない…
28-05-2023 X100F (35)

↓やや小柄なカレイの宗八を焼いたモノを所望した。
28-05-2023 X100F (37)
↑髪型の「総髪」が「宗八」という呼び方の起りらしい。「総髪」の人を正面から見た形に似ているというのだ。「そうはつ」が転訛して「そうはち」になり、何時の間にか「宗八」の字が宛てられている。北海道や日本海側各地で好まれるのだという。稚内の御店でも比較的頻繁に見掛ける魚だと思う。

↓確りと綺麗に平らげた…
28-05-2023 X100F (39)

↓イカを所望すれば、大きな鉄板が活躍した。
28-05-2023 X100F (41)

↓ややボリュームが在るイカ焼きをゆっくり頂いた。
28-05-2023 X100F (43)

↓明太子のおにぎりを摘まんだ…
28-05-2023 X100F (45)

こんな「休業日の道草」が止められない感じになっている昨今だ…

多用途支援艦<すおう>…:稚内港(2023.05.28)

↓稚内港の天北1号埠頭に停泊中の、やや目立つ船を見付けた。
28-05-2023 X100F (7)

↓やや冷たい風が滑らかな海面を渡る様子も見受けられた中であった。
28-05-2023 X100F (8)

↓天北1号埠頭に入ることが出来たので、少し近付いた。
28-05-2023 X100F (9)

↓「4302」という番号が大書されている。これは海上自衛隊の金井に与えられる番号だ。“多用途支援艦「ひうち」型”の2番艦で<すおう>という船だ。
28-05-2023 X100F (11)
↑<すおう>は「周防灘」に因む命名ということだ。同型艦はこの<すおう>を含めて5艦在って、各地に配置されている。<すおう>は大湊基地に在る艦だ。

↓何やら海上油田の開発に関係して動き廻る支援船に少し似ている形だ。海上油田関係の船は稚内港に寄港した経過も在るので、何となく判るが、「前側が大きく、後側は平になっている」という感じはその種の船の特徴だと思う。
28-05-2023 morning X-Pro2 (2)
↑この<すおう>は後部の甲板に嵩張るモノ、重量物を積載して輸送出来る他、沿岸や沖合での諸活動の拠点となることが出来、火災時の消火や救援を行うことも出来、強力なエンジンで相当に大きな艦船を曳航するようなことも可能だ。他にも色々な役目を担うようで、正しく「多用途」な艦である。強力な武装が搭載されているのでもない―機銃を取り付けることが可能な台座が在るだけであるという…―のだが、多様な任務に就くことが叶う、或る意味では凄く「自衛隊の艦船らしい」という感じの艦であるかもしれない。

↓稚内港にやって来た<すおう>は、前日から一般公開が行われた。前日は立寄ることが叶わず、この朝に足を運んでみたが、都合により公開は中止になってしまった…
28-05-2023 X100F (13)

↓長さ65m、幅12m、深さが5.8mで喫水が3.5m、基準排水量が980tということで、際立って大きな艦でもないが、酷く小さいのでもない。なかなかに迫力が在ると思った。<すおう>は、2004(平成16)年に就役したという。
28-05-2023 X100F (17)
↑概ね40名が乗艦するのだという。

一般公開による中の見学は叶わなかったが、こういう渋い艦船を近くで観られたのは好かった…

НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)=ネべリスク通り(2023.05.28)

稚内港天北1号埠頭辺りから国道側へ歩を進めようとした。国道に面した百貨店の建物の裏側が視えるような辺りに差し掛かり、「この辺り…暫く振りに通っている…」という程度に思った。

↓こんなモノが眼に留まった。歩を停め、偶々提げていたカメラを使った。
28-05-2023 X100F (18)
↑ロシア語の名前、「НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)」というモノが掲げられている。「ネべリスク通り」である。

↓反対側は、看板の一部が傷んでいた…確か、金属製の看板の痛みが目立って、修繕をした経過が在ったように思う。
28-05-2023 X100F (19)

「〇〇通」というような、街路に冠した名前は、一部の街では公に住所となっているが、そうでもない例、単なる通称という場合が日本国内では多いように思う。稚内でも「〇〇通」は通称で、そして定着している場合も、余り意識されていないと見受けられる場合も在る。

1972年に稚内市はサハリンのネべリスク市と友好都市提携をしている。1988年に当時のネべリスク市の市長に相当する「市執行委員会議長」の来訪が在った際、「友好都市15年記念」として、この通を「ネべリスク通り」としたのだ。

「1988年」は相対的には新しいかもしれないが、35年程も経っている。それでも公に住所となっているのでもない通称で、辺りに多くの人が出掛けるような何かが多く在るでもないので、「ネべリスク通り」が人口に膾炙するという程でもない。「知る人ぞ知る」という感であろうか?

思うと2022年はネべリスク市との友好都市50年ということであったが、特段に話題にはならなかった…

朝に…(2023.05.28)

休業日の朝に思い立って戸外に出て歩き始めた。

↓気温はやや上がっている…18℃らしい…
28-05-2023 X100F (3)

↓そういう気温の他方で風が冷たい場合も在る。
28-05-2023 X100F (1)

↓「何を着て出掛けようか?」という情況そのものが「時季らしい」ということになるであろうか?
28-05-2023 X100F (2)

そんなことを想いながら、平日に頻繁にやっているように、休日の朝に歩き廻ったのだった。

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.28)

稚内港の繋留濠である第一副港の辺りをゆっくりと歩いた。

↓繋留中の船に海鳥が多く集まっていた様子を眺め入っていた…
28-05-2023 X100F (4)

↓海鳥と街の鳥とが多少入り混じる場合も在るような様子になっている。
28-05-2023 X100F (5)

こんな様子を眺めながら歩くのが少し愉しい…

臨時急行<花たびそうや>…:南稚内駅のやや南側…(2023.05.27)

稚内駅へ向かう臨時急行の出発を旭川駅で見送ったという経過が在った。5月、そして6月最初の土曜日は、その旭川駅を発つ臨時急行が稚内駅にやって来る日ということになる。

↓南稚内駅のやや南側の軌道に沿った辺りに居合わせたので、カメラを引っ張り出した。少し向こうの踏切の警報機の音が聞こえ、列車が見え始めた。
27-05-2023 X100F (12)

↓ヘッドマークを掲出したキハ40である。
27-05-2023 X100F (13)

↓観光列車、イベント列車という運用も念頭に開創したキハ40を4輛連ねた列車が、南稚内駅へ向かっている。
27-05-2023 X100F (14)

↓とりあえず「鉄道ファン」ということでもない人が観ても「可愛い!」という感想を漏らす列車が通り過ぎた。
27-05-2023 X100F (15)

↓後尾になっている車輛にもヘッドマークが掲出されている。
27-05-2023 X100F (16)

土曜日に旭川駅から稚内駅に北上した列車は、一晩は稚内に在って、翌朝に稚内駅を発って旭川駅を目指すことになる。

個人的に思う。観光列車、イベント列車ということでもなく、「隔日運行の稚内・旭川間の急行」というのを普段から運行すると、意外に便利なような気がしないでもない。

稚内は辿り着いた後、またここを起点に何処かへ出発するという感じの場所だと思う。この臨時急行のような列車がこれからも登場することを願っている…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.27)

↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに到った。
27-05-2023 X100F (4)
↑やや風浪が強いという感じだった…

↓船で海に出ると、存外に強めに揺れそうな様子だと、水面を眺めながら思った。
27-05-2023 X100F (5)

↓上空の海鳥は、少し強風に流されるかのような感で飛んでいた…
27-05-2023 X100F (7)

↓風が水面を渡るような漣も見受けられる。タグボートの向こう側で、何やら多くの海鳥が活発に動いていた。
27-05-2023 X100F (9)

↓こういう何気ない眺めが、当地を離れるようなことにでもなった場合に、妙に懐かしく感じられるのではないかと想像する。
27-05-2023 X100F (11)

「カメラを提げてその辺を歩く」というようなことが、存外に愉しい…

朝に…(2027.05.27)

↓15℃程度の気温が珍しくない感じにはなっている。他方、風が強く、その風は未だ少し冷たい…
27-05-2023 X100F (1)

↓少し風が強い他方で気温がそこそこに上り、「何を着て出ようか?」と少し考える場合が増えたような感じだ。
27-05-2023 X100F (2)

↓晴れているような、雲が多いようなという様子だ。多分、強風で雲がダイナミックに流れているのであろう。
27-05-2023 X100F (3)

或いは、この時季の当地というのは、こんな感じなのかもしれない。

稚内港北防波堤ドーム…(2023.05.27)

深く眠ったような気がして、眼が醒めて、時計を見れば午前3時を少し過ぎたというような辺りだった。

↓ふらりと戸外に出てみた。午前3時台前半、稚内港北防波堤ドームは未だ消灯とはなっていなかった。
27-05-2023 early morning X-Pro2 (3)

↓この角度は画になると何時も思う…
27-05-2023 early morning X-Pro2 (4)

↓屋蓋の下の様子を眺めた。
27-05-2023 early morning X-Pro2 (7)

↓海側へ廻り込んでみた。風がやや強かった…
27-05-2023 early morning X-Pro2 (9)

淡い霧雨のようなモノも交る曇天の早朝だった。極々短い間、辺りに佇み、直ぐに引揚げた。

多少、温かいような感じになっても「続かない…」というのが「時季らしい」という感じなのであろうか。何か「強風で変わり易い天候」という感じになって行っていた日だ。

朝の道草…(2023.05.26)

↓「何時もの場所に、何時ものように…」という様子を観るのは悪くない。
26-05-2023 X100F (7)

↓“彼”は何時もこういう様子で、好天の朝も、雨でも雪でもこの場所に在り続けている。
26-05-2023 X100F (5)

↓そして道草である…
26-05-2023 X100F (8)

↓朝の時間帯に供されるセットを御願いするが、「サイドはサラダ」というのが、最近は酷く気に入っている。
26-05-2023 X100F (9)

↓その「サイドはサラダ」を頂く。
26-05-2023 X100F (13)

↓そして「メイン」へ…ソーセージエッグマフィンは凄く気に入っている。
26-05-2023 X100F (11)

こういう「ブレックファスト」で、珈琲を啜りながら、読み始めた面白い小説を読みながら寛いだ。そういう朝に時間帯の過ごし方が、何やら凄く好い。

朝に…(2023.05.26)

↓多少、気温が上がった。前日の強風が弱まっていた。
26-05-2023 X100F (1)

↓朝には身体に当たって判る程度の風がやや冷たいとは思ったが、「少し温かく?」という様相だった。
26-05-2023 X100F (2)

こういう様子で、日中には上着を引っ掛けずに辺りを少しばかり歩くことに抵抗感も薄くなったのだが…そういう様子が「続かない…」という感じだ。

稚内港北防波堤ドーム…(2023.05.25)

強風の日というのは、強風に由来する種々の妙な音というようなモノが生じ、屋内に在ってもそういう音の一部が聞える場合が在る。

早朝、拙宅の居室ではその「強風に由来する種々の妙な音」に気付いたのだが、その少し後に窓の外の明るさに気付いた。強風でややキツいので、秋が深まったような頃に持ち出す上着を引っ掛け、戸外に出てみた。

↓毎度のように「極々短い散策」と称して足を運ぶ辺りに佇んだ。
25-05-2023 early morning X100F (2)

↓「風が海面を渡る」という程度に表現してみるのだが、風が吹き込んで海面に漣が起こる様子が見受けられる。
25-05-2023 early morning X100F (4)

↓X100Fに搭載の23㎜レンズでは、稚内港北防波堤ドームの屋蓋と一緒に横位置では写し悪いような辺りから朝陽が覗く。「風が海面を渡る」と表現したい漣が見受けられる状態は途切れずに続いた。
25-05-2023 early morning X100F (6)

↓雲は殆ど無く、霧も見受けられない早朝だ。
25-05-2023 early morning X100F (7)

↓鳥が滑空する速度が速い?強風で押し流されているような感じにも見えた。
25-05-2023 early morning X100F (8)

↓稚内港北防波堤ドームの屋蓋と朝陽とを横位置の画で何とか収めてみた。ややバランスが悪い…
25-05-2023 early morning X100F (11)
↑夏季には朝陽の通り道はこういう具合で、画で言えば左にズレる。秋季や冬季はもっと右寄りだ…

強風がキツく、然程長くは留まらずに引揚げた。「一寸…」という感じで、こんな様子を眺めに出易い辺りに在るというのは幸いなことだ。

夕べに…(2023.05.25)

↓午後7時が近くなった頃の感じだ。画の御店で夜に点けている、看板が目立つようにする灯りは点いているのだが、何か「夜らしい」という風でもない。
25-05-2023 evening X100F (1)
↑画の御店の真前に背が高い建物が在って、夕方頃にはその建物の影の関係で日陰にはなるのだが、午後7時近くに至っても「日中の時間帯の日陰」という明るさだと思う。スッカリと日が長くなっている昨今だ。

↓しめ鯖を頂く…脂が乗った鯖が好い…
25-05-2023 evening X100F (6)

↓鳥皮…
25-05-2023 evening X100F (10)

↓ホルモン…
25-05-2023 evening X100F (12)

↓豚肉…
25-05-2023 evening X100F (14)

という具合に、しめ鯖の後に各種串焼きを愉しんだ。

5月下旬に至り、各宿泊施設が混み合い始めているように見受けられ、夕刻はそうした宿泊施設を利用しているらしい、旅行中と見受けられる人達を見掛ける機会が増えた。そして見慣れない地域名のナンバープレートを着けた車輌が停まっている様子も見掛けるようになった。

↓何となく枝豆を摘まむ…
25-05-2023 evening X100F (16)

こういう寛いだ夕べは好いものだ…