クズネツォフ岬:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)

ネベリスク地区内の景勝地として、名前が上ることが少なくなく、何度もその名を耳にしたクズネツォフ岬…実際に視たことは無かった…

↓これがそのクズネツォフ岬である…
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↑上陸したカモイの浜のやや北に位置していたのだった…

↓岬の上の方には、古びた灯台も視えた…
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↑険しい崖なので、船で辿り着いた浜の側から上に上がるのはやや難しく、上がることはしなかったのだが…

↓多少岬に近付いてみると、遠くからは見え難い、少し不思議な型の岩も視えた…
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↓こんな雰囲気!何か、酷く気に入った…
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砂浜で、所在なく過ごすというような時間…そんな時間を、今般のツアー参加以前で持ったのは、どれ位以前のことだったか?或いは以前には唯の一度も無かったのかもしれない…

例えば「もうサハリンへ行く必要は無い!」とでも言いがかりを付けられて、実際に行かないということになっても、或いは悔いは無いかもしれない。とにかくも好い時間だった。場合によって…9月の好天な日に、機会が在れば「再挑戦」ということをしてしまわないとも限らない…

サハリン南西海岸を疾駆したボート:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)

「この場所の名前は?」と問えば、船長は「カモイ」と応えた。「旧いアイヌの言葉で“カムイ”という、確か“神”を意味する言葉が在って、ロシア語では転訛してしまってカモイとなった訳だ…辺りは、古くはアイヌの村だったらしいが、樺太時代にも村が在った。今となってはその跡地だという場所に、石の基礎が視られるばかりなんだが…」と船長は言葉を継ぐ…

そんなカモイの浜は、サハリンの南西海岸を「サハリンの涯」たるクリリオン岬へ南下する途中の、クズネツォフ岬の脇に在る。同じツアーに参加した女性が「サハリンにも未だこんな所!」とか「私達だけ!」と率直に感嘆を漏らしていた…そんな場所だ…クリリオン岬を海上から眺め、再び北上して上陸した場所だ…

↓カモイの浜に、ボートが停泊している。
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↑船長が操縦席に陣取り、その脇の席に1人―私に割り当てられた場所…―、後部に4人と「6人で満員」の小舟だ…

「6人で満員」の小舟だが、「40ノットは出るさ…」と船長が言う高速艇である。小型高速艇に特有な「多少撥ねる」ような動きも見せながら進んだ…或いは“海釣り”では、この種の小型高速艇がよくとうじょうするのかもしれないのだが、私自身はこの種の船には「全く初めて」乗船した。気分は「“007”か何かのアクション映画」という具合だった…そして、クリリオン岬に向かって行く中で、何やらの無線交信の声が聞こえて「国境の海域を疾駆…」という状態が感じられ、興味深かった…

船長によると…嘗てこの種のボートは90万ルーブル台で入手出来た様子だが、最近は200万ルーブル位だという。これは“為替変動”によるものだ…このボートは、嘗て北海道の紋別で購われたモノとも聞いた…

こんな船で輝く海を駆け巡りながら視た光景…忘れ難い経験になった…

古い事故船の残骸:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)

↓クリリオン岬のやや北側である…
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↑かなり古い時期の事故船の残骸であるらしい…海鳥の巣のようになっていた…

↓以前はもっと長さが在って、「船らしい」感じもしたのだというが…
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↑朽ち果てるに任されている感である…

↓「自然に呑み込まれる文明」というのか…そういうようなことを考えてしまった…
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クリリオン岬近海の霧が濃くなって、北上を初めて程無く霧の影響を免れ、明るい空の下で航海は続いたのだった…

クリリオン岬灯台を海上から望む:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)

海面が陽光に輝くタタール海峡…日本海の北部…小型高速艇に特有な、時々跳ね上がるような動きも見せながら南下していたが、不意に減速した…

「御案内申し上げます。この先、お手持ちのスマートフォンが何らかの通信を受信する場合、“ローミング”が適用される場合が在ります」と船長が船を停止させながら切り出す。

「要は通信がわざわざサッポロか何処かを経由して、国際料金の適用で、後からビックリする場合が在るのです。気になる方は機器の調整、または電源をお切り下さい」と船長は言葉を継いだ…

「よろしいでしょうか?進みます…」と船が進み始める…

「これからラペルーズ海峡の水域になります。潮流により、やや揺れる場合が在ります。御注意願います」と船長が言い始めると、船は本当に揺れた…

↓「あれがクリリオン岬…国境警備関係者が詰めている場所や、灯台が在ります」と船長は言いながら、船を停止した。
19-08-2017 (14)
↑「少しだけ停船します」ということになった…

「右側はアニワ湾の海域、現在居る辺りがラペルーズ海峡の海域、そしてここまで走って来たのがタタール海峡です。何れも日本海の一部ではありますが…」と船長は言う。それを耳にしながら乗客達は様子を眺め、各々に写真やビデオを撮影する。乗客は5名…所謂“釣り船”ということで使うようなことが在る、小型のモーターボートなのだ。後で船長に尋ねれば、以前に北海道の紋別で購ったというYAMAHAのボートである。

↓左寄りな辺りに灯台が在るのが判る…
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↑1875年以降、ロシアがサハリン全土を領有することになっていた時期、アレクサンドロフスク・サハリンスキーの灯台を模して、霧も多く潮流が複雑なこの海域で航海の安全性を向上させるべく灯台を築いたというのが、ここの灯台の事始めらしい。往時の建物は木造で現存せず、現存するのはその後立て直されたモノであるようだが…

5人の乗客…1人で参加の自然巡り、名所巡りを趣味にしている風な女性…2人で参加の親戚同士か古い知り合いという風で、一寸変わった場所で愉しむということを試みている風な女性達、更に「如何にも野外活動をする」という服装で、確り湿地に踏み入る長靴を履いて、一眼レフのカメラを抱えた男性、更に彼らの眼には「よく判らない、多分“外国人”な男」と映じたであろう私である…

一眼レフのカメラを手にした男性は“写真家”であるらしく、サハリンの方々へ行っていて、色々な事情に明るく女性達に色々と語っていた場面も在った。私も何となくそれを聞いていたが…

「やっぱり来たね…」と“写真家”氏が言う…

↓俄かに霧が立ち込めて来た…
19-08-2017 (18)
↑「今日は凄く運が好いと思ったが…ここは“霧”の頻発する場所だ…」と“写真家”氏…「みるみるうちに視えなくなって…」と女性達も驚いている…

俄かに霧が拡がって辺りが視えなくなるような様…確かに少々驚かされるが…私は「この場所の“らしい”雰囲気かもしれない」とも、やや揺れる船上で思っていた…

白い霧で辺りが包まれ始め、海面だけが鈍く輝くような、「幻想的」とも言える状態となったが、とりあえず遠景は視えない…

「この辺りでは、御覧のように“瞬時”で霧のために視界が極端に悪くなります。船を出します。着席下さい…」と船長は宣し、YAMAHAのエンジンが唸って船はまた北上し始めた…

残念ながら、この辺りの海域から宗谷の地、条件が好ければ視えるという利尻富士を望むことは叶わなかった。というよりも、沖のモネロン島さえも視えなかった訳だが…それでも「好い経験」が出来たと思う。

「製糖工場」→「製菓工場」(2017.08.17)

甜菜で砂糖を製造する工場として樺太時代に建設された工場の建物が、ソ連時代は食品関係の工場として利用され、1967年からは製菓工場となって現在に至っているという話しを聞いていた…

↓工場の近くに辿り着くことが出来た…
AUG 17, 2017 (4)
↑裏側に廻り込んで、何となく雰囲気が判る感じの画が撮れた…

ユジノサハリンスクの東寄りを南北に貫くミール通をかなり北上し、高層住宅の建設が進んでいた辺り、ドリンスカヤ通に入って西寄りへ向かう。何となく道路が入り組んで、何時の間にか通の名の表示がクライニャヤ通となる辺りに工場が視える。工場の辺りは線路に近く、線路の敷設されている箇所は横断不可なので“行き止まり”な感じの場所になる。

↓それでも通に面した辺りに入口が在って、製菓工場の製品の売店になっている。(工場で製造されているモノが中心だが、それ以外のモノも多少在る…)
AUG 17, 2017 (7)
↑売店を覗こうとしたが、私が入る前にも何人かの先客が出入りしていた。永年愛されている「地元製品」ということなのであろう…

稼働中の工場で、中にずかずかと入って行く訳にも行かない場所だが、何やら「時間が積上げられている」感じがする場所だ…

レーニン通の猫:昼寝…(2017.08.18)

集合住宅が集まっている辺りに、建物に囲まれる中庭風な場所が在った。子ども達が遊んでいるような様子も視える辺りの隅の方を、何やら猫が歩き回っていた。

「猫が居る…」と何気なく見ていたが、不意に猫の姿が視えなくなった…何か不思議に思えたので、姿が視えなくなった辺りに静かに近付いた…

↓置いて在ったタイヤの陰に隠れて、タイヤの向こう側だった位置からは「不意に視えなくなった」ように思えたのだ…
18-08-2017 (9)
↑何か「確りと寝ている」感じである…

燕が舞う空…(2017.08.18)

↓今朝は…殊更に燕が多いような気がした…
18-08-2017 (6)
↑或いは、眼に留まり易いような角度や高さに燕が偶々集まったというだけなのかもしれないが…

何となく、朝にすこしぼんやりと燕を眺めてみるような時間というものが…好い…

アムールスカヤ通の猫:朝の散歩…(2017.08.18)

↓駐車スペースのような場所を、猫が歩き回って、時々立ち止まっていた…
18-08-2017 (2)
↑猫も、朝の空気感の中で歩き回るようなことを好むのだろうか?

↓動き回る他方、時々こうやって座り込む…
18-08-2017 (5)

こんな様子を視ると、「猫の目線で視える世界は、どういう感じか?」と想うことが在る…

<王子製紙豊原工場>の遺構が覗く(2017.08.17)

ユジノサハリンスクの東寄りな辺りを南北に貫くミール通を北上し、街の北寄りな側へ進む。製紙工場が在った経過を伝える「ブマージナヤ通」―「紙の」という形容詞が通の名称になっている―と交差する辺りに至る。

↓こういう様子が視える…
AUG 17, 2017 (1)
↑<王子製紙豊原工場>の“製薬塔”や煙突の遺構が、建物の間から視えている…

幹線道路に沿っていて、住宅も在り、会社も色々と立地している辺りで、少し大きなチェーンスーパーの店舗が在るような場所である。画の右寄り、階段が視える建物がスーパーだ…

↓望遠で少し寄って視た…
AUG 17, 2017 (2)

往時は間違いなく辺りで最大の構造物であった筈の<王子製紙豊原工場>である。往時の近隣住民や行き交う人達も、こういうように「工場が在るなぁ…」と何となく見上げたのかもしれない…そして私事だが、こういう感じで工場を見上げた往時の人達の中には、昭和の初め頃に豊原に住んでいたという私の祖父母の「若き日」の姿も在ったかもしれない…

何気なく見過ごすような景色だが、妙に愛おしく思えた…

Говядина по-строгановски=牛肉ストロガノフ風=要するに<ビーフストロガノフ>(2017.08.17)

↓「貴族の邸宅で振る舞われていた料理が起源」という話しが在る<ビーフストロガノフ>…
17-08-2017 dinner (6)
↑最近の「連発中の停電」という状況下、何処か冴えない気分で朝から夕刻まで過ごした1日…そういう時は「アレが美味いんだ!」をゆっくり楽しむに限る…

住まいの極近所のロシア料理店…一度グループで利用し、その時のメニューをまた再訪した際に頂くということをしたが「他のメニュー??」と気になっていた…

↓「ロシアが発祥」とも言われる「コース料理方式」で順次登場する料理なのだが、<ビーフストロガノフ>はメインということで2番目…
17-08-2017 dinner (5)

結局、色々な場所で食事をする際、ロシア料理系統の店で<ビーフストロガノフ>をメニュー上に視ると、思わずお願いしてしまう…

Уха с палтусом и сезонной красной рыби=オヒョウと季節の赤身魚のウハー=要するに「ロシアの“三平汁”」のような<ウハー>(2017.08.17)

住まいの極近所のロシア料理店…一度グループで利用し、その時のメニューをまた再訪した際に頂くということをしたが「他のメニュー??」と気になっていた…

↓こういうスープを頂いた…
17-08-2017 dinner (3)
↑「ロシアが発祥」とも言われる「コース料理方式」で順次登場する料理なのだが、<ウハー>はスープ…スープは“ピェールヴァヤ”とも呼ばれ、1番目に…(サラだが在ると、サラダの後になる場合も在るが…)

この<ウハー>!!2種類の魚にジャガイモ等が入り、本当に“三平汁”のような感じ…問答無用に美味い!!

交通整理の警察官(2017.08.17)

↓停電で信号機が“消灯”してしまい…登場したのが「交通整理の警察官」である…
policeman, 17-08-2017 (6)
↑交差点に佇み、順番に車輛や道路を横断する歩行者を、停めたり、進行を促したりとなかなかに忙しい…

↓これ…結構「キツい…」仕事だと思う…
policeman, 17-08-2017 (5)

「送電網の切替、更新の工事」というようなことで、やや広めな区域で停電が発生して、信号機の“消灯”も見受けられる。

信号機の“消灯”は少々大変だが、「逆に驚く…」という程度に“混乱”は少なく視える。道路での「歩行者優先」がかなり徹底しているので、歩行者を視掛ければ随時停止して横断させるような感じで、「全然道路を渡れない!?」というような、変な状態でもない…

そういう感じではあっても、「本当に交通量が多い、幹線や準幹線というような道路が交差するような箇所」は収拾が困難で、こういう「交通整理の警察官」が登場する。

彼らは、近くに警察車輌(乗用車型のパトカー)を置いて、そして交通整理に立っている。多分「〇〇と△△の交差点…混雑が激しい…向かってくれ…」という話しで、混み合っている場所へ随時駆け付けるのであろう…そして落ち着けば引揚げるのだと思う。8月15日の停電で警察官が立っているのを視なかった箇所でも、警察官が立っていた例を視掛けたから思ったことなのだが…

今般の停電…8月22日にも予告されている…知人の範囲の話しでは「困るには困るが…」という他方で、「70年代の送電関係の機器が、最早使用継続に耐えない状態らしく、早晩行わなければならない工事…“何回か”のことだ」という感じの方が多いように思える…

それにしても…交通整理の警察官の皆さん!お疲れ様です!!

レーニン通の朝霧(2017.08.16)

↓レーニン通が少しずつ賑やかさを増し始める午前8時台の様子…
16-08-2017 (1)
↑歩き回る分には「薄曇り?」と感じられるのだが…遠くの建物の高めな部分が光っている…朝陽の光が確実に射し込んでいるのだ…

ユジノサハリンスクでは、好天で日中に少々暑く感じられるような日の早朝に、どうしたものか霧が掛かる場合が多い…或いは「当地らしい…」と何となく思う雰囲気である…

<コカ・コーラ>のロシア版ポスター(2017.08.15)

↓こういうモノが掲出されていた…
on AUG 15, 2017 (1)
↑ユジノサハリンスクの鉄道駅に近い「小さな売店」という趣の商店の壁に在った。適当に年季も入って、妙に味わい深い…

「独自の味。防腐剤無し。1886年以来」と列記されている。要は「1886年以来、独自の味で防腐剤無しの伝統を受継ぐ」という<コカ・コーラ>の宣伝で、昔からの“歴代ボトル”の写真が入っている。

ところで…写真右側の「現行の小瓶」の<コカ・コーラ>…最近はペットボトルや缶が多く、視る機会が非常に少ないように思う。少なくともサハリンでは視掛けた覚えが無い…

コンテナを載せているトレーラー:コルサコフ港(2017.08.15)

↓サハリンでは厳つい外観のトレーラーヘッドを存外に視掛ける…画はコルサコフ港の北埠頭に出入りする辺りだ…
Korsakov, 15-08-2017 (20)
↑日本国内では余り視ないようなタイプのトレーラーヘッドだと思う。短めな型のコンテナが載っている。「SASCO」とサハリンの会社のロゴが視える…

最近のサハリンでは、コルサコフ港にウラジオストク港等から輸送されるコンテナの貨物が「物流の基幹」を成しているという話しが在るようだ…

コンテナ輸送を主に扱うのは、コルサコフ港の中、ソ連時代に整備された北埠頭である…

<在コルサコフ日本領事館>の遺構(2017.08.15)

<樺太・千島交換条約>(1875年)の後、日本は樺太に領事館を設置した。

往時の日本領事館は、現在のコルサコフの、最も古くから拓けていた“クシュンコタン”地区に設けられた。

↓その遺構と伝わる石垣が現在でも見受けられる。
Korsakov, 15-08-2017 (17)
↑残っている石垣は、その「一部」ではあるのだが…現在、辺りはロシア正教関係の施設が在る…

1890年にサハリンを訪ねている作家のチェーホフは、サハリン滞在の後半にコルサコフを拠点にして活動していた。その際、日本領事館の近くに滞在していて、日本人の領事館員達と親しく交流していたという…

誰でも名前位は知っているロシアの有名作家が、“隣国”日本の人達と友好的に接していたと伝わる地…ユジノサハリンスク側からコルサコフへ向かうと、「街の入口」のように見受けられる、鉄道と道路が在って(ロシアの最大手石油会社)<ロスネフチ>のロゴが在るガソリンスタンドが視える辺りである。バスで向かった時は、「この辺りで下りたい」と運転手さんに申し出ると、近くに停留所が在ったが…

<王子製紙豊原工場>の「製薬塔」遺構(2017.08.14)

樺太時代には方々に製紙工場が在った。ソ連時代にも永く稼働していたが、ソ連時代末期からロシア連邦に移行して行く中で廃業してしまった所が殆どだ…

ユジノサハリンスクには<王子製紙豊原工場>が在った…1917(大正6)年に開業したそうだ…そしてそこはソ連化以降にも製紙工場として稼働し、辺りの通に「ブマージナヤ通」(=「ブマージナヤ」は「紙の」という形容詞)の名が残っている…

その「製紙工場が在った」という歴史を伝える「ブマージナヤ通」は、市街のやや北寄りに在る。豊原時代には「南1丁目、南2丁目…」と「北1丁目、北2丁目…」の境目であったサハリンスカヤ通の少し北側で東西に延びる「ブマージナヤ通」に出くわす。どちらかと言えば静かな、「市街の端」という空気感が漂う場所だ…

レーニン通側から「ブマージナヤ通」に至ると、東側へ進んで行く…そうすると…製紙工場の遺構が覗く…しかし、「製紙工場の遺構」と判り易い写真が撮影し易いのでもない。辺りの木や建物の陰に、それらしい遺構が覗く感じだ…

そういう訳で、「見え易い位置に近付きたい…」と辺りを多少迷いながら進んでみた…工場の遺構の在る敷地の入口らしい場所に至ったが、「私有地につき立入は御遠慮願います」という看板の掲出も見受けられる…聞けば、製紙工場の遺構は朽ちるままに残る他方、工場敷地には車輛整備や機械修理等を手掛ける会社等が使用しているというのだ…

ということで、何となく「らしい写真」を撮ることは叶わず終いとも思ったのだが…

↓こういう不思議なモノの直ぐ傍まで来ることが出来た…
14-08-2017 (1)
↑明らかに使われていないモノながら、相当に堅牢な建築であることが伺える、非常に背が高い構造物だ…

↓これは製紙工場に在って「製薬塔」と呼ばれていたモノの遺構のようだ…
14-08-2017 (3)
↑往時は大変に目立つモノで、辺りのシンボルのような感じだったらしい…

「製薬塔」というのは、製紙のために木材チップを煮込む際に使用する薬剤を、石灰岩や亜硫酸を使って製造するための施設であったらしい…

私事で恐縮だが…かなり以前に母方の祖母と話した際、祖母は祖父と結婚して樺太の豊原に移り住み、そこで母の長兄(私の伯父)が産れたということを聞いた。伯父の生年から推測して、昭和初期の何年間かの話しであろう…その当時、祖父は「チップ工場で働いていたことが在って」と祖母が口にしていた。そんな記憶が在ったので、とりあえず「祖父母が暮らしたり、働いていたかもしれないような辺り」ということで<王子製紙豊原工場>の遺構は訪ねてみたかった…それを叶えた!或いは祖父母が毎日のように見上げていたかもしれない、辺りで最も目立ったらしい「製薬塔」を、朽ち果ててしまっているとは言え、仰ぎ見たのだった…

こういうような、「長い間、少々気に掛っていた…」を少しずつ視る機会を設けるようにしている昨今である…

ブマージナヤ通の猫:車輛の下(2017.08.14)

時々思うことが在る。「動物目線」で、その辺の建物や車輛や、その他の色々なモノは「どのように映じている?」ということである…恐らくは、「様々な地形」というように認識されているのだと想像しているが…

↓こういう様子を視掛けた…
14-08-2017 (8)
↑自動車の下に猫が居た…「猫の目線」では、「屋根状のモノに覆われた、少し居心地の良い日陰」ということなのだろうか?

↓ふと顔を上げた…
14-08-2017 (9)
↑目線の先には、何が在るのか…

燕が舞う空…(2017.08.14)

前週の後半…元気に編隊飛行をする燕を余り視掛けなかった気がする…曇天基調で雨が交じる感じばかりが続いていた…殊に日曜日の朝は、普段は飛び回っているような時間帯に姿が視えず、声も聞こえなかった…

週が明けて天候が漸く好転した…

↓今朝は燕が編隊飛行をしている様子が見受けられ、声も聞こえる…
morning, 14-08-2017 (4)

この燕…或る時「そう言えば?あれは?」という感じで現れるようになった訳だが…季節が移ると「不意に見受けられなくなる」という話しだ…

雨上がりの夕べ:レーニン通(2017.08.13)

↓前夜遅くから断続していた感の弱めな雨が上がった感…レーニン通のバス停の辺りだ…
evening on 13-08-2017 (11)
↑灯りが入り始めている電飾看板が歩道上の水溜りに映り込む…

バスを待っている風情の男性が佇んでいるのだが…服装を視れば「20℃を切る気温」という状況が判り易い…

「レーニン生誕110年」の壁画:コルサコフ(2017.08.12)

何度も通り掛かって、様子を視ていて、「何か気になる…」と思っていて、他方で「間近に寄って眺める」ということをした経過が無いモノ…存外にそういうモノは色々と在るように思う…

そんなモノの一つが、実はコルサコフに在った…「列車に乗ってみよう…」という思い付きでコルサコフを訪ねることとした際、念頭に在ったのはその「気になる…」他方で「間近に寄って眺めていない」というモノを視ることであった…

↓こういう顔の描かれた大きな壁が在る…レーニンの顔だ…
Korsakov, 12-08-2-17 (4)
↑コルサコフ港からユジノサハリンスクへ向けて移動する際に通る道筋から視える…場所としては「コルサコフ駅」から近い…

↓港のエリアに、こういうような壁が築かれている…色々と画が描き込まれた感じだ…
Korsakov, 12-08-2-17 (1)
↑“1870”と“1980”という数字が両端に少し目立つが…これは「レーニン生誕110年」に寄せて造られたモノで在ることが伺える…

↓1905年頃の議会制度が登場して行く頃の経過をイメージした画…
Korsakov, 12-08-2-17 (7)

↓1917年の革命をイメージした画…
Korsakov, 12-08-2-17 (6)

↓内戦を経て、1922年にソ連が成立する状況をイメージした画…
Korsakov, 12-08-2-17 (3)

↓第二次大戦を戦い抜き、戦後は産業を復興させ、宇宙飛行士も登場するようになって行ったという経過をイメージした画…
Korsakov, 12-08-2-17 (2)

こういうように、なかなかに凝ったモノなのだが…

↓然程顧みられるでもなく、特に綺麗に整備されている感じでもない場所に、何となく佇んでいる…
Korsakov, 12-08-2-17 (9)

この“壁”自体、もう直ぐ40年になろうかというような代物だ…近くで視れば、多少の傷みも見受けられる…

この種の「中途半端に古いモノ」が何となく面白い…

バス停とATM(2017.08.13)

↓ユジノサハリンスク市内では、「何となく、よく視掛ける感じ」な光景の様に思う…バスが停車するバス停を反対側の歩道から視た感じであるのだが…
13-08-2017 (16)
↑バス停の辺りに、風雨を避けてバスを待つための屋根が設置されているのだが、その端の方に「СБЕРБАНК」という文字ロゴが覗いている…

文字ロゴの「СБЕРБАНК」(ズベルバンク)というのは、ロシア最大の銀行のモノである。正式には「ロシア連邦貯蓄銀行」と言うそうだが、「ズベルバンク」の通称で知られている。1841年創業であるという。日本史で言えば“天保年間”に起こったということだ…現代へ連なる金融機関というようなモノの草創期からの伝統を受継いでいるという存在かもしれない。色々な料金等の支払と言えば、とりあえず「ズベルバンク」の窓口というイメージが強い…方々のお店にデビットカード、クレジットカードの端末が在るのを視掛けるが、さり気なく「ズベルバンク」の文字ロゴが貼って在る場合も多い…

かなり大きな存在感の「ズベルバンク」だが…バス停の屋根に広告を掲出しているという訳ではない…勿論、広告にもなっているかもしれないが、あの文字ロゴの下に硝子張りのブースが設けられ、「ズベルバンク」のATMが設置されているのだ…勿論、全てのバス停ではないのだが、かなり方々でこの「スポンサード・バイ・ズベルバンク」という“屋根”が見受けられ、そこにATMが在る…そして<24>という看板も掲出され、一日中、時間を問わずにATMを利用可能なようになっている…

ロシアのATM…日本の銀行等で視掛けるタイプよりも軽量な機器のように見える…が、出金の他に振込等の色々な利用の仕方が可能なようだ。そしてこれらは日本国内で発行されている“国際”対応なクレジットカード、デビットカードにも対応し、現金を引出すことが出来る…

ユジノサハリンスク市内で「ATM…」(“バンコマート”と言う…)と言えば、各銀行や商業施設の建物の中等にも在るが、何となく「バス停の脇に在る…」というイメージも強くなっているように見受けられる…

それにしても…日本の銀行等で視掛けるATMには、「数百万円の現金」を入れていると聞いたことが在ったが…ユジノサハリンスク市内のATMにしても、それなりの現金を入れている筈で…銀行の営業拠点等と然程関係無く、「方々のバス停にATM」ということになると?「街中に凄い金…」という感じになる…何か不思議に思える…

こういう例のように、何となく「独自に“発展”して“拡がる”様々なサービス」というモノが、ユジノサハリンスク辺りでは色々と在るようだ…

雨交じりな夜と灯りと…(2017.08.12)

↓弱めな雨が交じっていた夜…近所のスーパーは電飾で輝いていた…
Yuzhno-Sakhalinsk in evening, 12-08-2017 (4)
↑灯りが濡れた路面に跳ね返る…行き交う車のライトが流れる…

↓時間帯は午後9時半過ぎである…路線バスも未だ普通に運行中である…
Yuzhno-Sakhalinsk in evening, 12-08-2017 (5)
↑休日の土曜日の夜…未だ車輛や通行人の往来は途切れない…

↓こうやって、何時の間にか夜が更けて行く…
Yuzhno-Sakhalinsk in evening, 12-08-2017 (7)

それにしても、スッキリ晴れない日が少し続いている…

「昇天寺院」の内部(2017.08.12)

「自身とサハリンとの関わり」も何時の間にか「足掛け四半世紀」というような次元になって来たが、永い間「列車に乗ったことが無い」という状況だった…時間的なゆとりが無い状態でのサハリン訪問を繰り返していたという事情に加え、最近は益々顕著になっているのだが、極端に列車本数が少ないために利用機会を設け損なっていた訳だ…

そういう中で休日の土曜日を利用し、「土日のみ運行」というユジノサハリンスク・コルサコフ間の列車に乗車する機会を設けることが叶った。極端に列車本数が少ないので、往路は列車でコルサコフ入りし、街を散策した後の復路はバスでユジノサハリンスクへ引揚げた訳だが…

そのコルサコフでの散策の際、「広くない道路沿いの敷地に建っている」状況で、建物全体を美しく写真に収めることが難しいものの、なかなかに雰囲気が在る建物として記憶に残る「昇天寺院」に立寄った…

最近、この「昇天寺院」では教会そのものの建物の脇に、3階建ての地域活動の拠点となるセンターを建設している。その建設工事が行われている脇の教会は、普通に活動していて、「土曜日の午前中」に相当する時間帯であったことから、断続的に街の人達の出入も見受けられた…

趣が在る建物ということで、独特な屋根の形状等を写真に収める等した経過は在る場所だが、内部は視たことが無かった…そこで入ってみた訳である…


↓木の壁でロシア正教の教会の様式の空間が設えられ、なかなかに見事なイコンが飾られている…
Korsakov, 12-08-2-17 (13)
↑お祈りの人達が何となく途切れ、思わずカメラを出して撮ってしまった…

様子を視ていると、驚く程大勢が押し掛けているのではないが、子ども達を含む家族連れでお祈りに立寄っている人達が断続していた。地元の老若男女に親しまれる、素朴な見栄えながらも「活きている」感じがする教会だった…木の壁の高い辺りに窓が設えられ、光が射し込んでいるのだが、何処となく「静かな森で神との邂逅を望む」というような空間の演出に思えた…

↓そして外に出て、独特な形状の屋根を改めて見上げた…
Korsakov, 12-08-2-17 (11)

想えば、サハリンでこうしたロシア正教の教会が方々に見受けられるようになったのもこの四半世紀のことだが、今では確りと人々の暮らしに根付いているような気がする…