↓木造の橋で橋桁が無い。
↓奈良井川に架かる橋で、奈良井宿と国道19号とを結んでいる。
↓雪や氷の時季には、滑り易いので立入りは御遠慮願うということになっている。
↑奈良井宿側から眺めた。
↓樹齢300年以上の檜で造られた太鼓橋ということだ。興味深い。
雪交りな早朝に列車で訪ねて、歩き廻ってからまた列車で引揚げるという自身なりの流儀で奈良井を訪ねた。「中山道の宿場町」という風情に触れたかったのだったが、それが実現した。実に思い出深い。
豚丼…(2025.01.05)
<地下鉄1日乗車券>:神戸市地下鉄(2025.01.06)
列車案内…:甲府駅改札口(2024.12.27)
↓松本方面に移動すべく、列車の発車時刻案内に着目していた。
↑改札口辺りに在るこういう案内は何処ででも眼を向ける。駅では必須だと思う。
今般、小淵沢へ向かう列車に乗ることにした。小淵沢で乗換えて松本へ向かうことが出来るのだ。
ところで列車案内の脇に「山梨学院大学」の広告が見える。この大学は甲府市内に在って、甲府駅の手前、東京方向に1駅の酒折駅の辺りに看板が掲げられた建物を多く見掛けた。最寄駅であるらしい。武田神社を訪ねた際に乗車したタクシーの運転手氏によると、近年は色々な活動で学名が知られるようになって、山梨学院大学の人気も少し高まり、酒折駅辺りは「学園の街」という風情になっているそうだ。
また列車案内の辺りに、身延線でSUICAやPASMOが使えないという案内も在る。身延線はJR東海であい、JR東日本とはやや勝手が異なるようだ。今般、何箇所かで「交通系ICの利用の可否に関する“境界”」というようなモノに出くわすこととなった。最近は「とりあえず交通系ICで改札を潜る」という感じで、「利用不可の路線の列車にも乗ってしまう」というのが頻繁に在るのであろう。
甲府に関しては、様々な話題が在る。そういうモノに出会うべく再訪したいという想いが高まる。
↑改札口辺りに在るこういう案内は何処ででも眼を向ける。駅では必須だと思う。
今般、小淵沢へ向かう列車に乗ることにした。小淵沢で乗換えて松本へ向かうことが出来るのだ。
ところで列車案内の脇に「山梨学院大学」の広告が見える。この大学は甲府市内に在って、甲府駅の手前、東京方向に1駅の酒折駅の辺りに看板が掲げられた建物を多く見掛けた。最寄駅であるらしい。武田神社を訪ねた際に乗車したタクシーの運転手氏によると、近年は色々な活動で学名が知られるようになって、山梨学院大学の人気も少し高まり、酒折駅辺りは「学園の街」という風情になっているそうだ。
また列車案内の辺りに、身延線でSUICAやPASMOが使えないという案内も在る。身延線はJR東海であい、JR東日本とはやや勝手が異なるようだ。今般、何箇所かで「交通系ICの利用の可否に関する“境界”」というようなモノに出くわすこととなった。最近は「とりあえず交通系ICで改札を潜る」という感じで、「利用不可の路線の列車にも乗ってしまう」というのが頻繁に在るのであろう。
甲府に関しては、様々な話題が在る。そういうモノに出会うべく再訪したいという想いが高まる。
<かふふ驛煉瓦ひろば>…(2024.12.27)
↓甲府駅の1番ホーム辺りで見掛けた。<かふふ驛煉瓦ひろば>と名付けられている。「かふふ」とは「こうふ」(甲府)の旧仮名遣いであるのだという。
↑1903(明治36)年に甲府駅が開業しているのだが、その頃の建築と見受けられるそうだ。一部を遺している。
明治期から昭和初期迄、鉄道では灯油ランプを多用していた。客車内の灯りに使ったのだという。そういうランプの準備をする場所、この煉瓦倉庫のような場所が多くの駅に設けられ、「整灯手」と呼ばれた職員がランプを扱う仕事に就いていたそうだ。
↓「かふふ驛」の面影を伝えるようにしていた場所の辺りに、現代の甲府駅の一般的な看板も在った。
初めて甲府を訪ねて少し時日が経ったが、何か甲府が凄く懐かしいような気がしている。好い出会いだったのだと思う。
↑1903(明治36)年に甲府駅が開業しているのだが、その頃の建築と見受けられるそうだ。一部を遺している。
明治期から昭和初期迄、鉄道では灯油ランプを多用していた。客車内の灯りに使ったのだという。そういうランプの準備をする場所、この煉瓦倉庫のような場所が多くの駅に設けられ、「整灯手」と呼ばれた職員がランプを扱う仕事に就いていたそうだ。
↓「かふふ驛」の面影を伝えるようにしていた場所の辺りに、現代の甲府駅の一般的な看板も在った。
初めて甲府を訪ねて少し時日が経ったが、何か甲府が凄く懐かしいような気がしている。好い出会いだったのだと思う。
100円硬貨と500円硬貨と:小銭入れの中身…(2025.01.21)
普段、小銭が入らない札入れに紙幣を入れ、小銭は別な小銭入れに入れるというようにして、双方を持ち歩く。
そういう調子にして、重ねて何枚も持っている千円紙幣を支払いに使用し、釣銭を小銭入れに入れる。自ずと小銭が溜まる。
↓何気なく小銭入れを見れば随分小銭が在った。卓上に出してみれば、こういうような調子になっていた。
↓500円硬貨だけでも存外な枚数である。そして様々な鋳造年次のモノが在って、何となく面白いと思った。
↓100円硬貨も様々な年次のモノが在った。
こういうような感じで、手持ちの硬貨を眺めるというようなことも時にはやってしまう。が、こんなに硬貨が溜まると、今度は紙幣を使わずに硬貨で支払いをするというように考えるべきかもしれない。
そういう調子にして、重ねて何枚も持っている千円紙幣を支払いに使用し、釣銭を小銭入れに入れる。自ずと小銭が溜まる。
↓何気なく小銭入れを見れば随分小銭が在った。卓上に出してみれば、こういうような調子になっていた。
↓500円硬貨だけでも存外な枚数である。そして様々な鋳造年次のモノが在って、何となく面白いと思った。
↓100円硬貨も様々な年次のモノが在った。
こういうような感じで、手持ちの硬貨を眺めるというようなことも時にはやってしまう。が、こんなに硬貨が溜まると、今度は紙幣を使わずに硬貨で支払いをするというように考えるべきかもしれない。
三宮駅…:神戸市地下鉄(2025.01.04)
大掛かりな工事が進む三宮で、「通れません」というのばかりでグルグル辺りを廻る羽目になり、思うように歩き廻れずに苛立っていた。
↓そういう中、地下鉄駅の案内を見掛けた。
↓地下鉄に乗ってみるということを思い付き、地下鉄の三宮駅へ歩を進めた。美しい通路だと思う。
↓三宮駅の駅名標ということになる。各地の地下鉄で見受けられる、トンネルの壁を利用したモノである。
↓列車が現れた。「6639」という車輛の番号が判るが、数字が少し独特な書体で美しいと思った。
神戸に関して、考えてみると余り地下鉄に親しんでいなかったかもしれない。これもまた課題だ。結局「コンディションを整えて神戸を再訪すべきだ」ということなのであろう。そう思いながら振り返っている。
↓そういう中、地下鉄駅の案内を見掛けた。
↓地下鉄に乗ってみるということを思い付き、地下鉄の三宮駅へ歩を進めた。美しい通路だと思う。
↓三宮駅の駅名標ということになる。各地の地下鉄で見受けられる、トンネルの壁を利用したモノである。
↓列車が現れた。「6639」という車輛の番号が判るが、数字が少し独特な書体で美しいと思った。
神戸に関して、考えてみると余り地下鉄に親しんでいなかったかもしれない。これもまた課題だ。結局「コンディションを整えて神戸を再訪すべきだ」ということなのであろう。そう思いながら振り返っている。
<東みどりの窓口>…:札幌駅(2025.01.04)
札幌の宿というのは、札幌駅の北側の東寄りに在る出入口から出ると近い。札幌駅に着いて、東改札口を潜って、北寄りに歩を進めた。そうしながら「翌日以降の切符が入手出来た筈…」と思い出していた。
↓その「翌日以降の切符が入手出来た筈…」と思い出した場所である。絶句してしまった。
↑多分、閉まったのは10分に満たない「ほんの少し前」だ。こういう状況は酷く悔しいものだ。「午後7時」?列車で移動する人は未だ多く居そうな感じの時間帯のように思うが、既に切符を買う窓口が閉まっている。
近くの券売機で求められるとの案内ではある。あれは何を如何いう順番で発注して買うのか、非常に判り悪い。漸く「翌日に札幌駅を発って、稚内駅迄行ける乗車券」は求めた。が、翌々日の朝に旭川駅で特急列車の指定席に乗車する券の買い方が理解不可能だった。そもそも「札幌駅以外からの指定席券が買えるのか、買えないのかが不明」という感じだった。酷く苛立ったので、とりあえず宿へ向かった。そして翌日の朝、改めて窓口で尋ねて、旭川駅で特急列車の指定席に乗車する券を求めることがかなった。
窓口で2分も掛らずに済む買物に関して、券売機では15分も「判らない?」と苛々させられた。もう少し何とかならないものかと思った。鉄道利用に際して、適切な切符を素早く売る窓口の係員というのは、値段が付けられない程度に貴重なのではなかろうかと思う。
↓その「翌日以降の切符が入手出来た筈…」と思い出した場所である。絶句してしまった。
↑多分、閉まったのは10分に満たない「ほんの少し前」だ。こういう状況は酷く悔しいものだ。「午後7時」?列車で移動する人は未だ多く居そうな感じの時間帯のように思うが、既に切符を買う窓口が閉まっている。
近くの券売機で求められるとの案内ではある。あれは何を如何いう順番で発注して買うのか、非常に判り悪い。漸く「翌日に札幌駅を発って、稚内駅迄行ける乗車券」は求めた。が、翌々日の朝に旭川駅で特急列車の指定席に乗車する券の買い方が理解不可能だった。そもそも「札幌駅以外からの指定席券が買えるのか、買えないのかが不明」という感じだった。酷く苛立ったので、とりあえず宿へ向かった。そして翌日の朝、改めて窓口で尋ねて、旭川駅で特急列車の指定席に乗車する券を求めることがかなった。
窓口で2分も掛らずに済む買物に関して、券売機では15分も「判らない?」と苛々させられた。もう少し何とかならないものかと思った。鉄道利用に際して、適切な切符を素早く売る窓口の係員というのは、値段が付けられない程度に貴重なのではなかろうかと思う。
居室等…:<東横イン札幌駅北口>(2025.01.04)
神戸空港を発ち、北海道へ戻った。新千歳空港駅で列車に乗り、札幌駅に無事に到着した。こういうようになると、旅の「復路」という感覚が強まる。
札幌駅で翌日から使う列車の券を入手する等しようとして少し色々とやっていて、そこから戸外へ出た。12月26日に新千歳空港を発った後、12月28日に訪ねてみた奈良井で「雪の木曽路」という趣で雪の上を歩いたということも在ったが、基本的に積雪と縁が薄いような場所ばかりで歩き廻っていた。そういう意味で「雪と氷の札幌」を歩くのは些か緊張した。転倒への警戒を深めながら慎重に歩を進めた。
↓何度も利用していて、記憶にも強く残る宿の出入口を見ると凄く大きな安堵感を覚えた。
↓居室に入れば「見慣れた感じ」である。
↓この札幌の宿は何度も利用しているので、「勝手知った場所へ戻って来た」という感だ。
↓何処でも使い勝手が同じような感じというのは安心出来る。
もう少し早く北海道に戻るのであれば一気に旭川迄出たと思うが、「札幌で一息」というような感じも気に入っている。この宿は、今般のような「移動の途次」という様子の中でも利用するが、「札幌で所用」という場面で利用する例も少なくない。気に入っている場所だ。
札幌駅で翌日から使う列車の券を入手する等しようとして少し色々とやっていて、そこから戸外へ出た。12月26日に新千歳空港を発った後、12月28日に訪ねてみた奈良井で「雪の木曽路」という趣で雪の上を歩いたということも在ったが、基本的に積雪と縁が薄いような場所ばかりで歩き廻っていた。そういう意味で「雪と氷の札幌」を歩くのは些か緊張した。転倒への警戒を深めながら慎重に歩を進めた。
↓何度も利用していて、記憶にも強く残る宿の出入口を見ると凄く大きな安堵感を覚えた。
↓居室に入れば「見慣れた感じ」である。
↓この札幌の宿は何度も利用しているので、「勝手知った場所へ戻って来た」という感だ。
↓何処でも使い勝手が同じような感じというのは安心出来る。
もう少し早く北海道に戻るのであれば一気に旭川迄出たと思うが、「札幌で一息」というような感じも気に入っている。この宿は、今般のような「移動の途次」という様子の中でも利用するが、「札幌で所用」という場面で利用する例も少なくない。気に入っている場所だ。
「線路に物を落された方は駅係員にお申し出ください」…:東京駅(2024.12.26)
↓東京駅のホームで眼に留まった。
↑何かの拍子に線路に物を落すという場面は存外の頻度で生じるのかもしれない。看板の「困っている子どもを援ける駅員さん」という感じが何となく好い。
後から同じ看板を松本駅でも見掛けた。JR東日本の各地の駅で見受けられる看板なのかもしれない。
こういうモノに眼を留めて写真に収めるのも少し愉しい。
↑何かの拍子に線路に物を落すという場面は存外の頻度で生じるのかもしれない。看板の「困っている子どもを援ける駅員さん」という感じが何となく好い。
後から同じ看板を松本駅でも見掛けた。JR東日本の各地の駅で見受けられる看板なのかもしれない。
こういうモノに眼を留めて写真に収めるのも少し愉しい。
最近の「特殊簡易公衆電話」…(2025.01.14)
↓こんな電話機が在る。
↓10円硬貨、100円硬貨を利用出来る電話機だ。硬貨を投入し、ボタンを押して架電ということになる。
古くから在るダイヤル式の「特殊簡易公衆電話」を見掛けた経過も在ったのだが、こちらは「特殊簡易公衆電話」の最近の型ということになる。店舗等の事業所や個人宅やその他何処でも電話が設置可能なら設置出来るようだが、「硬貨収納等信号送出機能を付加した固定電話回線に料金回収機構を持った電話機を接続」という仕組みである。
↓こんな具合に設置されていた。
滞在中の場所で架電する用事が在った際、古くから在るダイヤル式の「特殊簡易公衆電話」を使って、後から写真に収めた。この最近の型に関しては「何か美しい」と思い、何となく写真に収めた。そして後から架電する用事が生じた際に利用もしてみた。古くからのダイヤルではなく、最近のボタンを押す方式での架電で、使用感が大きく変わるのでもない。
日頃から、この種のモノには何となく眼が向き、時にはこうして写真に収めてみたくなる場合も在る。
↓10円硬貨、100円硬貨を利用出来る電話機だ。硬貨を投入し、ボタンを押して架電ということになる。
古くから在るダイヤル式の「特殊簡易公衆電話」を見掛けた経過も在ったのだが、こちらは「特殊簡易公衆電話」の最近の型ということになる。店舗等の事業所や個人宅やその他何処でも電話が設置可能なら設置出来るようだが、「硬貨収納等信号送出機能を付加した固定電話回線に料金回収機構を持った電話機を接続」という仕組みである。
↓こんな具合に設置されていた。
滞在中の場所で架電する用事が在った際、古くから在るダイヤル式の「特殊簡易公衆電話」を使って、後から写真に収めた。この最近の型に関しては「何か美しい」と思い、何となく写真に収めた。そして後から架電する用事が生じた際に利用もしてみた。古くからのダイヤルではなく、最近のボタンを押す方式での架電で、使用感が大きく変わるのでもない。
日頃から、この種のモノには何となく眼が向き、時にはこうして写真に収めてみたくなる場合も在る。
<タイガースICOCA>…(2025.01.21)
↓「交通系IC」は便利に利用しているのだが、最近は専らコレを使っていて、他のモノは何処かに置きっ放しで全く顧みなくなった。
↑モノは2019年に入手しているので、存外に年数を経たと思う。
最近は「交通系IC」と言わずに「ICOCA」と言ってしまう場合も在る程度に馴染んでいる。今般、関西方面に出て阪神電車の大阪梅田駅を何度も利用する等、阪神電車への親しみが増し、何となくこのICOCAを写真に収めてしまった。
結局、「交通系IC」を鉄道やバス等に乗車する場面で利用する機会が全く無いような地域に住んで居て、「交通系IC」は他地域へ出掛けた場合に使用するために持っているという感じで、時々一部の御店での買い物に利用する場合が無いのでもないという感じだと思う。そんな中でこの「ICOCA」が「愛用品」として落ち着いた。北海道在住の人の場合、首都圏に出た際に入手のモノ、札幌圏で入手のモノを愛用している例が多いように見受けられるので、関西のモノを愛用するというのは少し少ないのかもしれない。
↓この<タイガースICOCA>は「ICOCA記念デザインカード」というモノであるようだ。「記念デザイン」として特注して色々なデザインを用意出来るモノとして阪神電車が手掛けたということであるようだ。
↓未だ傷んでいるのでもないので、未だこれからもこれを愛用することになると思う。
こういう手近な愛用品は一寸写真に収めてみたくなる場合も在る。
↑モノは2019年に入手しているので、存外に年数を経たと思う。
最近は「交通系IC」と言わずに「ICOCA」と言ってしまう場合も在る程度に馴染んでいる。今般、関西方面に出て阪神電車の大阪梅田駅を何度も利用する等、阪神電車への親しみが増し、何となくこのICOCAを写真に収めてしまった。
結局、「交通系IC」を鉄道やバス等に乗車する場面で利用する機会が全く無いような地域に住んで居て、「交通系IC」は他地域へ出掛けた場合に使用するために持っているという感じで、時々一部の御店での買い物に利用する場合が無いのでもないという感じだと思う。そんな中でこの「ICOCA」が「愛用品」として落ち着いた。北海道在住の人の場合、首都圏に出た際に入手のモノ、札幌圏で入手のモノを愛用している例が多いように見受けられるので、関西のモノを愛用するというのは少し少ないのかもしれない。
↓この<タイガースICOCA>は「ICOCA記念デザインカード」というモノであるようだ。「記念デザイン」として特注して色々なデザインを用意出来るモノとして阪神電車が手掛けたということであるようだ。
↓未だ傷んでいるのでもないので、未だこれからもこれを愛用することになると思う。
こういう手近な愛用品は一寸写真に収めてみたくなる場合も在る。
居室等…:<東横イン阪神尼崎駅前>(2024.12.31)
他地域へも出て随意に過ごすという中では、余り事情を知らないような地域を初めて訪ねながらドンドン動くというのも愉しいのだが、少しばかり馴染んだような地域に「半ば棲むように」と滞在して周辺を随意に動き回るという程度の過ごし方をするのも愉しい。今般はその双方を実践するということにした。
↓「半ば棲むように」と、神戸空港から発つ迄の期間に滞在することとしたのはここである。
↑「尼崎駅」という場合、阪神の駅とJRの駅が在る。両者は一寸離れている。両者の間は、何となく路線バスで移動するような感じかもしれない。そういうことなので敢えて「阪神尼崎駅前」というような看板になっている。実際、本当に阪神の尼崎駅を出ると眼前というような感じの場所だ。
↓居室は「何時もの感じ」である。
↓「何処へ行っても同じ使い勝手」というチェーンの宿である。ここも例に洩れなかった。
↓毎度ながら「既視感」を覚える。
必ずしも自身のコンディションが好くない中、この宿ではゆったりと過ごすことが叶った。そして可能な範囲で「関西の休日」を愉しむ拠点となってくれた。是非、また関西で過ごす際にここでの滞在も検討したい。阪神尼崎駅の直ぐ傍というのはなかなかに便利だった。
↓「半ば棲むように」と、神戸空港から発つ迄の期間に滞在することとしたのはここである。
↑「尼崎駅」という場合、阪神の駅とJRの駅が在る。両者は一寸離れている。両者の間は、何となく路線バスで移動するような感じかもしれない。そういうことなので敢えて「阪神尼崎駅前」というような看板になっている。実際、本当に阪神の尼崎駅を出ると眼前というような感じの場所だ。
↓居室は「何時もの感じ」である。
↓「何処へ行っても同じ使い勝手」というチェーンの宿である。ここも例に洩れなかった。
↓毎度ながら「既視感」を覚える。
必ずしも自身のコンディションが好くない中、この宿ではゆったりと過ごすことが叶った。そして可能な範囲で「関西の休日」を愉しむ拠点となってくれた。是非、また関西で過ごす際にここでの滞在も検討したい。阪神尼崎駅の直ぐ傍というのはなかなかに便利だった。
印刷博物館…(2024.12.26)
他所の方と話しをしていて、企業等による「周年事業」ということに話題が及んだ。そういう中で、大手印刷会社が創立100年を記念し、新たな社屋の一部に「印刷博物館」というモノを設け、なかなかに好評であるという御話しが出た。
こういう話しを聴いて、その「印刷博物館」というモノに強い興味を抱いた。
その辺に「印刷物」ということになるモノが溢れる中で暮らしている。印刷というのは、生活や人生の広い範囲に陰に陽に色々と関わっていると思う。印刷によって様々な知識の広範な普及が在り、それを基礎に技術発展や学問の深まりが在る。更に文芸や絵画や写真というような文化活動を拡げる媒体を造ったのは印刷のノウハウの発展に他ならない。最近は印刷で培われたノウハウが様々に応用されている。様々な機器に入っている、電子部品を載せた精密な基盤のようなモノは、印刷の際に版を作る技術が応用されているというようなことも聞く。
こういう印刷の全般に携わる大手企業が関わっている博物館で「面白くない訳がない!」と考えた。実は東京に上陸しようということになった際、そのまま東京以外に動くようなことでも構わなかったのだが、敢えて
鶯谷駅の傍に滞在としたのは、印刷博物館を訪ねてみる時間を捻出しようと思い付いたからに他ならない。
印刷博物館は「水道橋」という住所になっていて「小石川ビル」という建物に入っているのだが、最寄駅として「飯田橋駅」が挙っている。何かこういう「ややこしい?」というような感じに、変に「“東京”らしい?」と感じてしまった。
「飯田橋駅」辺りで「大きな高速道路の高架」を見出し、それを見上げるような感じの通を進むと印刷博物館の入っている建物に出くわすということを知った。それを試すことにした。
↓「この通で間違っていない?」と思いながらゆっくりと歩を進めればこういう看板が現れた。
↑思った以上に駅からの距離は在ったが、間違えずに印刷博物館を目指すことが叶った。
↓「もう一息…」というような感じになった。
↓目指すビルが現れた。
↓ここで間違いない。
↓建物の内部が美しいと思った。
↓印刷博物館は地階である。
一口に「印刷」と言っても様々なモノが在る訳だが、この印刷博物館では古代から近世、そして近代、更に現代の主流になっているような新しい技術が登場した経過等、膨大なコレクションから択びながら工夫して展示していた。興味深く拝見したのは、近世の浮世絵の印刷というような事柄の紹介だった。そして印刷は、版や活字を彫るというようなことから、描かれた原盤から製版するというような方式が主流になっているということのようだった。
何か凄いコレクションに圧倒されたような感じだった。そして前夜から動いていたという中で「一息入れたい…」と思い始め、印刷博物館ではやや駆足での見学ということになってしまった。が、こういう場所は「再訪すべき!」なのだと思う。
偶々、聞いた話しで気になって足を運んだが、興味深い場所と出逢えて大変に善かったと思う。
>>印刷博物館 PRINTING MUSEUM, TOKYO (公式サイト)
こういう話しを聴いて、その「印刷博物館」というモノに強い興味を抱いた。
その辺に「印刷物」ということになるモノが溢れる中で暮らしている。印刷というのは、生活や人生の広い範囲に陰に陽に色々と関わっていると思う。印刷によって様々な知識の広範な普及が在り、それを基礎に技術発展や学問の深まりが在る。更に文芸や絵画や写真というような文化活動を拡げる媒体を造ったのは印刷のノウハウの発展に他ならない。最近は印刷で培われたノウハウが様々に応用されている。様々な機器に入っている、電子部品を載せた精密な基盤のようなモノは、印刷の際に版を作る技術が応用されているというようなことも聞く。
こういう印刷の全般に携わる大手企業が関わっている博物館で「面白くない訳がない!」と考えた。実は東京に上陸しようということになった際、そのまま東京以外に動くようなことでも構わなかったのだが、敢えて
鶯谷駅の傍に滞在としたのは、印刷博物館を訪ねてみる時間を捻出しようと思い付いたからに他ならない。
印刷博物館は「水道橋」という住所になっていて「小石川ビル」という建物に入っているのだが、最寄駅として「飯田橋駅」が挙っている。何かこういう「ややこしい?」というような感じに、変に「“東京”らしい?」と感じてしまった。
「飯田橋駅」辺りで「大きな高速道路の高架」を見出し、それを見上げるような感じの通を進むと印刷博物館の入っている建物に出くわすということを知った。それを試すことにした。
↓「この通で間違っていない?」と思いながらゆっくりと歩を進めればこういう看板が現れた。
↑思った以上に駅からの距離は在ったが、間違えずに印刷博物館を目指すことが叶った。
↓「もう一息…」というような感じになった。
↓目指すビルが現れた。
↓ここで間違いない。
↓建物の内部が美しいと思った。
↓印刷博物館は地階である。
一口に「印刷」と言っても様々なモノが在る訳だが、この印刷博物館では古代から近世、そして近代、更に現代の主流になっているような新しい技術が登場した経過等、膨大なコレクションから択びながら工夫して展示していた。興味深く拝見したのは、近世の浮世絵の印刷というような事柄の紹介だった。そして印刷は、版や活字を彫るというようなことから、描かれた原盤から製版するというような方式が主流になっているということのようだった。
何か凄いコレクションに圧倒されたような感じだった。そして前夜から動いていたという中で「一息入れたい…」と思い始め、印刷博物館ではやや駆足での見学ということになってしまった。が、こういう場所は「再訪すべき!」なのだと思う。
偶々、聞いた話しで気になって足を運んだが、興味深い場所と出逢えて大変に善かったと思う。
>>印刷博物館 PRINTING MUSEUM, TOKYO (公式サイト)
松本城と松本駅との「中間点」…(2024.12.27)
松本城のプロジェクションマッピングを観て、大名町のイルミネーションを通り抜け、山菜蕎麦を頂き、宿へ引揚げようと歩いていた。
↓こんな看板に出くわした。
↑松本城も松本駅も、双方へ概ね550mという地点なのである。「中間点」という感じで面白いと思った。
こういうのは「だから?」という程度の話しかもしれないのだが、何となく提げていたカメラを使ってしまい、後から写真を見ると懐かしい。
↓こんな看板に出くわした。
↑松本城も松本駅も、双方へ概ね550mという地点なのである。「中間点」という感じで面白いと思った。
こういうのは「だから?」という程度の話しかもしれないのだが、何となく提げていたカメラを使ってしまい、後から写真を見ると懐かしい。
公衆電話機…:<FamilyMart> 松本城前店(2024.12.27)
松本城のプロジェクションマッピングを観て、宿へ引揚げようと大名町のイルミネーションが見える辺りへ歩を進めた。そこからコンビニに何気なく立寄った。
↓コンビニの店舗前に在るような、この種の公衆電話機は、何か味わいが在るような気がする。
↑何となく見入ってしまい、提げていたカメラを使った。
こういうような写真が意外に溜まる。それもまた愉しい。
↓コンビニの店舗前に在るような、この種の公衆電話機は、何か味わいが在るような気がする。
↑何となく見入ってしまい、提げていたカメラを使った。
こういうような写真が意外に溜まる。それもまた愉しい。
<酒蔵仕込 京都麦酒>…(2024.12.31)
↓京都の宿の館内に在った自販機で見付けて求めてみたモノだ。
↑朝から居室でモノを開けて愉しんだ。
↓伏見で清酒を手掛ける酒造会社が製造しているというビールだ。1995年に初登場したということである。
↑「赤銅色」というような感じの「ブラウンエール」というタイプのビールだ。苦味とコクというような感じだと思う。ゆっくりと啜るのが美味い感じだ。
時にはこういう飲物も好い。京都以外でもこれは見掛けたことが在るような気がするが、京都の酒蔵が手掛ける京都で最初のクラフトビール系統の製品ということで、なかなかに魅力的だと思う。こんなモノに御当地で出くわすのも愉しい。
↑朝から居室でモノを開けて愉しんだ。
↓伏見で清酒を手掛ける酒造会社が製造しているというビールだ。1995年に初登場したということである。
↑「赤銅色」というような感じの「ブラウンエール」というタイプのビールだ。苦味とコクというような感じだと思う。ゆっくりと啜るのが美味い感じだ。
時にはこういう飲物も好い。京都以外でもこれは見掛けたことが在るような気がするが、京都の酒蔵が手掛ける京都で最初のクラフトビール系統の製品ということで、なかなかに魅力的だと思う。こんなモノに御当地で出くわすのも愉しい。
大名町の夕べ…:松本(2024.12.27)
↓松本城天守の辺りに近い大名町である。
↑辺りは松本城の城主の重臣達の邸宅が立ち並び、「大名丁」と呼び習わされ、明治期以降に「大名町」というようになって行ったようだ。
この時季、大名町の辺りでは夕刻からのイルミネーションが美しい。午後5時台に戸外へ出たのだったが、午後5時頃から点灯し始めたと見受けられる様子だった。序ながら、滞在していた宿の建物の最上階側の電飾の光も通の奥に見えていた。
後から写真を見て思うのだが、松本の街のこんな様子を時々思い出しそうな気がする。
↑辺りは松本城の城主の重臣達の邸宅が立ち並び、「大名丁」と呼び習わされ、明治期以降に「大名町」というようになって行ったようだ。
この時季、大名町の辺りでは夕刻からのイルミネーションが美しい。午後5時台に戸外へ出たのだったが、午後5時頃から点灯し始めたと見受けられる様子だった。序ながら、滞在していた宿の建物の最上階側の電飾の光も通の奥に見えていた。
後から写真を見て思うのだが、松本の街のこんな様子を時々思い出しそうな気がする。
211系電車…:小淵沢駅(2024.12.27)
甲府駅で乗込んだ列車は小淵沢駅に着いた。
↓そして小淵沢駅で待機していた列車に乗換える。
↑3輛編成の211系電車だ。甲信方面では出会う機会が多い車輛だと思う。
小淵沢駅は山梨県の鉄道駅の中で最も西側に在る駅なのだそうだ。JR東日本の業務の上で、この駅と吉祥寺駅とをクス部中央線が「八王子支社」の管轄で、塩尻駅や松本駅方面、そして小海線が「長野支社」の管轄であうという。加えて、後から知ったが標高886.7mという辺りに在る駅だという。海岸部の標高というモノが非常に低い地域に住む自身にとっては、やや驚く事実だった。
↓行先表示は「松本」だ。
こういうような車輛の列車を乗り継ぎ、途中の駅や着いた駅で街へ出るというような感じが非常に愉しいと思っている。
↓そして小淵沢駅で待機していた列車に乗換える。
↑3輛編成の211系電車だ。甲信方面では出会う機会が多い車輛だと思う。
小淵沢駅は山梨県の鉄道駅の中で最も西側に在る駅なのだそうだ。JR東日本の業務の上で、この駅と吉祥寺駅とをクス部中央線が「八王子支社」の管轄で、塩尻駅や松本駅方面、そして小海線が「長野支社」の管轄であうという。加えて、後から知ったが標高886.7mという辺りに在る駅だという。海岸部の標高というモノが非常に低い地域に住む自身にとっては、やや驚く事実だった。
↓行先表示は「松本」だ。
こういうような車輛の列車を乗り継ぎ、途中の駅や着いた駅で街へ出るというような感じが非常に愉しいと思っている。
211系電車…:甲府駅を発つ(2024.12.27)
↓立寄ってみた甲府はなかなかに興味深かった。初めて訪ねた街と好い感じで出逢えたかもしれない。が、とりあえず松本を目指して移動しようと甲府駅で列車に乗ることにした。
↑小淵沢駅(こぶちざわえき)へ出ると、乗換の列車が在って、松本へ向かうことが叶うということであった。
今般12月から「新ルール」になった<青春18きっぷ>を利用していた。普通列車で移動する訳だが、東京を発って、1箇所道草して甲府に至って知らなかった街を愉しく歩き、更に松本を目指すというような行程で動くというのは「程好い感じ」だと思った。中央線も東京都内のような列車運行本数が凄く多い区間が在る他方、甲府へ向かう辺りや松本等に通じる辺りは程々の本数の列車が運行という感じになる。が、極端に列車本数が少ないというレベルでもないと感じていた。
↓甲信方面で少し見慣れた211系電車が待機していて、これに乗って小淵沢駅を目指した。
↓車輛の側面に、こういう具合に行先表示が出るというのが個人的には気に入っている。
↑「小淵沢」を最初は思わず「おぶちざわ」と読んでしまったが、「KOBUCHIZAWA」とローマ字が在って「こぶちざわ」と判る。個人的には、こういうような場所に現れるローマ字は「読み仮名」の一種だと思っている。
<青春18きっぷ>でも、他の何でも構わないが、切符を手に列車に乗って、見慣れぬ鉄路の向こうの知らない街に至って歩き廻るというようなことを繰り返しながら動くのは実に愉しい。今回、これまで長く甘い縁が無かった中央線方面で動き回る機会を設けられて非常に好かった。
↑小淵沢駅(こぶちざわえき)へ出ると、乗換の列車が在って、松本へ向かうことが叶うということであった。
今般12月から「新ルール」になった<青春18きっぷ>を利用していた。普通列車で移動する訳だが、東京を発って、1箇所道草して甲府に至って知らなかった街を愉しく歩き、更に松本を目指すというような行程で動くというのは「程好い感じ」だと思った。中央線も東京都内のような列車運行本数が凄く多い区間が在る他方、甲府へ向かう辺りや松本等に通じる辺りは程々の本数の列車が運行という感じになる。が、極端に列車本数が少ないというレベルでもないと感じていた。
↓甲信方面で少し見慣れた211系電車が待機していて、これに乗って小淵沢駅を目指した。
↓車輛の側面に、こういう具合に行先表示が出るというのが個人的には気に入っている。
↑「小淵沢」を最初は思わず「おぶちざわ」と読んでしまったが、「KOBUCHIZAWA」とローマ字が在って「こぶちざわ」と判る。個人的には、こういうような場所に現れるローマ字は「読み仮名」の一種だと思っている。
<青春18きっぷ>でも、他の何でも構わないが、切符を手に列車に乗って、見慣れぬ鉄路の向こうの知らない街に至って歩き廻るというようなことを繰り返しながら動くのは実に愉しい。今回、これまで長く甘い縁が無かった中央線方面で動き回る機会を設けられて非常に好かった。
<甲府 時の鐘>…(2024.12.27)
↓「川越で観た建物に似ている?」と思いながら眺めた。
↑江戸時代には、十二支の名を宛て「〇の刻」というモノを12種設け、概ね2時間毎に鐘を鳴らして街の人達に時刻を伝えるというようなことをしていた。それを「時の鐘」と呼ぶ。川越で観た建物もそういう趣旨のモノであった。
甲府での「時の鐘」は江戸時代に設けられていて、火災で焼失したというような経過を経て1818年に再建され、それが1872(明治5)年迄使用されていたと伝わっている。
2013(平成25)年、火災で焼失した「時の鐘」を模したと伝わる寺の鐘楼の、明治期に撮ったらしい写真を参照して忠実に再建したというのが写真の「時の鐘」であるそうだ。
こういうような、喪われた古い建物のイメージで何かを建てるというような事柄は面白いと思う。「松本へ向かう途中に寄る」という感じではありながら、色々と興味深い甲府に立寄る機会が設けられたことは大変に幸いだった。
↑江戸時代には、十二支の名を宛て「〇の刻」というモノを12種設け、概ね2時間毎に鐘を鳴らして街の人達に時刻を伝えるというようなことをしていた。それを「時の鐘」と呼ぶ。川越で観た建物もそういう趣旨のモノであった。
甲府での「時の鐘」は江戸時代に設けられていて、火災で焼失したというような経過を経て1818年に再建され、それが1872(明治5)年迄使用されていたと伝わっている。
2013(平成25)年、火災で焼失した「時の鐘」を模したと伝わる寺の鐘楼の、明治期に撮ったらしい写真を参照して忠実に再建したというのが写真の「時の鐘」であるそうだ。
こういうような、喪われた古い建物のイメージで何かを建てるというような事柄は面白いと思う。「松本へ向かう途中に寄る」という感じではありながら、色々と興味深い甲府に立寄る機会が設けられたことは大変に幸いだった。
<藤村記念館>…(2024.12.27)
↓甲府駅の北側にこういう建物が在る。
↑建物は文化財指定を受けており、文化財としての呼称は「旧睦沢学校校舎」という。1875(明治8)年、睦沢村(現在の甲斐市)に建てられた学校校舎だ。
1966(昭和41)年に武田神社に近い辺りに移築し、その際に建築時の県令であった藤村紫朗(ふじむらしろう 1845-1909)に因んで「藤村記念館」と命名され、資料館となった。2010(平成22)年に、甲府駅北口広場に再度移築されて現在に至っている。
県令であった藤村紫朗は「擬洋風建築」の建築を積極的に奨励していたということで、この学校もその一つである。「擬洋風建築」の学校と言えば松本の旧開智学校校舎も思い出す。方々で「擬洋風建築」の学校等が登場した明治時代前半頃の雰囲気に想いが巡る。
↓実際に立っていた場所を離れても、或る程度の多くの人が通るような場所に移築されて保存される歴史的建造物というのも好いように思う。
今般、思い立って甲府に寄り、色々な文物と出くわし、凄く愉しかった。きっと再訪したい。
↑建物は文化財指定を受けており、文化財としての呼称は「旧睦沢学校校舎」という。1875(明治8)年、睦沢村(現在の甲斐市)に建てられた学校校舎だ。
1966(昭和41)年に武田神社に近い辺りに移築し、その際に建築時の県令であった藤村紫朗(ふじむらしろう 1845-1909)に因んで「藤村記念館」と命名され、資料館となった。2010(平成22)年に、甲府駅北口広場に再度移築されて現在に至っている。
県令であった藤村紫朗は「擬洋風建築」の建築を積極的に奨励していたということで、この学校もその一つである。「擬洋風建築」の学校と言えば松本の旧開智学校校舎も思い出す。方々で「擬洋風建築」の学校等が登場した明治時代前半頃の雰囲気に想いが巡る。
↓実際に立っていた場所を離れても、或る程度の多くの人が通るような場所に移築されて保存される歴史的建造物というのも好いように思う。
今般、思い立って甲府に寄り、色々な文物と出くわし、凄く愉しかった。きっと再訪したい。
居室等…:<東横イン京都五条烏丸>(2024.12.30)
少し長めな期間で他地域に出て気儘に動く場合、最初に泊まる場所と、地元へ引揚げる途次に泊まる場所というような一部は早目に予約する場合が在るのだが、それ以外は移動の途次で「次は?あの辺りで…」という具合に、よく利用するチェーンのウェブサイトや宿泊予約サービスのウェブサイトを開いて探して利用するような感じだ。
本州方面に出て動いた中、北海道へ引揚げる飛行機と、それを利用する前に滞在する場所は早目に決まっていた。それを目掛けて西へ進んでいた。「で?何処へ?」という具合だった。
今般は一寸「フットワークが好くないような…」ということになったので、名古屋辺りに陣取って色々と歩くことはせず、西へ急ごうと松本から彦根へ動いている。彦根の先、色々な場所へ行けたと思うが、京都に一寸だけ滞在することを思い付いた。何度か立寄っていて想い出の在るバーが「本年最後の営業は12月30日」としたことを知り、その12月30日に京都に滞在することを思い付いた。
JR京都駅に着き、宇治を訪ねてみた後、京都の宿を目指した。
↓「五条」と言うが、何か五条通と四条通の中間のような場所だ。<東横イン京都五条烏丸>が在る。
↑この日の1泊を御願いすることが出来た。
↓<東横イン京都五条烏丸>は多分初めて滞在するのだが、何か「既視感」のようなモノを感じる居室だ。
↓何処へ行っても使い勝手が同じ居室というチェーンの宿というのも悪くないと個人的には思う。
京都に関しては連泊で宿を予約し悪いような感じも在るのだが、何となく1泊というような感じであれば、意外に見つかるような気もする。他方、京都に関しては大阪等に滞在して「通ってみる」ということも難しくはない。
京都の居心地が好い滞在場所を幾つか憶えておくということもしたい感じだ。
本州方面に出て動いた中、北海道へ引揚げる飛行機と、それを利用する前に滞在する場所は早目に決まっていた。それを目掛けて西へ進んでいた。「で?何処へ?」という具合だった。
今般は一寸「フットワークが好くないような…」ということになったので、名古屋辺りに陣取って色々と歩くことはせず、西へ急ごうと松本から彦根へ動いている。彦根の先、色々な場所へ行けたと思うが、京都に一寸だけ滞在することを思い付いた。何度か立寄っていて想い出の在るバーが「本年最後の営業は12月30日」としたことを知り、その12月30日に京都に滞在することを思い付いた。
JR京都駅に着き、宇治を訪ねてみた後、京都の宿を目指した。
↓「五条」と言うが、何か五条通と四条通の中間のような場所だ。<東横イン京都五条烏丸>が在る。
↑この日の1泊を御願いすることが出来た。
↓<東横イン京都五条烏丸>は多分初めて滞在するのだが、何か「既視感」のようなモノを感じる居室だ。
↓何処へ行っても使い勝手が同じ居室というチェーンの宿というのも悪くないと個人的には思う。
京都に関しては連泊で宿を予約し悪いような感じも在るのだが、何となく1泊というような感じであれば、意外に見つかるような気もする。他方、京都に関しては大阪等に滞在して「通ってみる」ということも難しくはない。
京都の居心地が好い滞在場所を幾つか憶えておくということもしたい感じだ。
神戸空港ビル…(2025.01.04)
三宮が工事でゴチャゴチャしていたという状態で、神戸空港との間を往来するポートライナーに乗る場所へ如何いうように近付くのか判り悪かった。加えて自身のコンディションの故にフットワークも悪かった。
そういうことだったので、昼食を愉しんだ後、辺りで「空車」を見付けてタクシーに乗車して神戸空港へ向かった。
↓無事、程好い時間に神戸空港にタクシーで着いた。南京町から3900円だった。
↑建物の中の「ポートライナー」を利用する場合が専らで、タクシーでここへやって来たという経過は無かったと思う。
↓建物の中で動くばかりで、この建物外観を余り見ていなかったと思い、何となく写真に撮っていた。今般は正月の飾りが在るのも好い。
↑この例のような「そう言えば建物正面の出入口を余り通らない?」という場所も、存外に多く在るのかもしれない。
こういうような「細かい変わったこと」をしてみるのも時には好い。が、神戸関係の画を見ると「コンディションを整えて再訪を」というようなことを強めに思ってしまう。
そういうことだったので、昼食を愉しんだ後、辺りで「空車」を見付けてタクシーに乗車して神戸空港へ向かった。
↓無事、程好い時間に神戸空港にタクシーで着いた。南京町から3900円だった。
↑建物の中の「ポートライナー」を利用する場合が専らで、タクシーでここへやって来たという経過は無かったと思う。
↓建物の中で動くばかりで、この建物外観を余り見ていなかったと思い、何となく写真に撮っていた。今般は正月の飾りが在るのも好い。
↑この例のような「そう言えば建物正面の出入口を余り通らない?」という場所も、存外に多く在るのかもしれない。
こういうような「細かい変わったこと」をしてみるのも時には好い。が、神戸関係の画を見ると「コンディションを整えて再訪を」というようなことを強めに思ってしまう。
駐機場…:神戸空港(2025.01.04)
「BE KOBE」…(2025.01.04)
三宮の地下の通路を歩き廻った。
↓こういう掲示に出くわした。
↑「BE KOBE」という神戸が発信しているメッセージだ。2015年1月、阪神・淡路大震災から20年を経た時にこのメッセージを発しようということにしたそうだ。
神戸という街に矜持を持って暮らす人達、集う人達が各々に「神戸は神戸らしく」と思うというような意図が込められている「BE KOBE」であるようだ。
このメッセージを発し始めて10年を経た中、更にこれを拡げようとしているのかもしれないと思った。今般は「神戸に関しては、自身のコンディションを少し整えて、ゆっくり再訪を」という想いばかりが募るような感じになっている。そんな中、何となく撮ったこの写真が気になった。
↓こういう掲示に出くわした。
↑「BE KOBE」という神戸が発信しているメッセージだ。2015年1月、阪神・淡路大震災から20年を経た時にこのメッセージを発しようということにしたそうだ。
神戸という街に矜持を持って暮らす人達、集う人達が各々に「神戸は神戸らしく」と思うというような意図が込められている「BE KOBE」であるようだ。
このメッセージを発し始めて10年を経た中、更にこれを拡げようとしているのかもしれないと思った。今般は「神戸に関しては、自身のコンディションを少し整えて、ゆっくり再訪を」という想いばかりが募るような感じになっている。そんな中、何となく撮ったこの写真が気になった。
居室等…:<東横イン彦根駅東口>(2024.12.29)
松本の宿に2泊した後に西へ移動した。そして彦根駅東口に至った。
↓辺りは、古くからの経過が在る街というよりも、何か新しめな大きな建物が点在する新興地域という風情だった。
↓歩き廻って、少し離れた辺りの御店に入り、宿の居室で飲むモノ等を求めた。そして何やら辺りを睥睨するかのような建物の宿に入った。
↓居室は見慣れた感じだ。
↓初めての施設でありながらも、何か「既視感」のようなモノを覚える様子だ。
↓こういうような居室でゆったりとするのが、他地域へ出た場合の自身の定番である。
この辺りに至って、少しフットワークが悪くならざるを得ないコンディションに陥ってしまっていた。そういう訳で、彦根は歩き廻らず、この居室で寛いで居た。そういう意味で「やや変わった行動」という感じで、この宿は記憶に少し残る。
↓辺りは、古くからの経過が在る街というよりも、何か新しめな大きな建物が点在する新興地域という風情だった。
↓歩き廻って、少し離れた辺りの御店に入り、宿の居室で飲むモノ等を求めた。そして何やら辺りを睥睨するかのような建物の宿に入った。
↓居室は見慣れた感じだ。
↓初めての施設でありながらも、何か「既視感」のようなモノを覚える様子だ。
↓こういうような居室でゆったりとするのが、他地域へ出た場合の自身の定番である。
この辺りに至って、少しフットワークが悪くならざるを得ないコンディションに陥ってしまっていた。そういう訳で、彦根は歩き廻らず、この居室で寛いで居た。そういう意味で「やや変わった行動」という感じで、この宿は記憶に少し残る。
彦根駅東口…(2024.12.29)
「西へ向けて…」ということで移動していて、彦根に宿を求めて休むことにした。その求めた宿が彦根駅の「東口」ということであった。
このブログに写真は無いが、ブログを始めた2016年よりも随分と以前に何度か彦根には立寄った経過が在る。そういう中で「東口」という表現に余り馴染が無かった。
↓そんなことを思いながら辿り着いた彦根駅の「東口」である。
↑初めて辿り着いた辺りということになる。
「東口」というのは、城下町の趣が漂うような辺り、或いは彦根城そのものへ通じる辺りとは逆の側になる。何か「新興地域の新しい鉄道駅」という風情になっていると思った。
過去に訪ねた経過が在る辺りの中にも「よく判らない」は色々と存在するということになる。
このブログに写真は無いが、ブログを始めた2016年よりも随分と以前に何度か彦根には立寄った経過が在る。そういう中で「東口」という表現に余り馴染が無かった。
↓そんなことを思いながら辿り着いた彦根駅の「東口」である。
↑初めて辿り着いた辺りということになる。
「東口」というのは、城下町の趣が漂うような辺り、或いは彦根城そのものへ通じる辺りとは逆の側になる。何か「新興地域の新しい鉄道駅」という風情になっていると思った。
過去に訪ねた経過が在る辺りの中にも「よく判らない」は色々と存在するということになる。
居室等…:<東横イン松本駅前本町>(2024.12.27)
東京から甲府を経て松本に至った。中央線を列車でゆっくりと移動したという感じだ。松本に着いてから街を歩き始め、滞在する宿を探した。
↓松本駅前から直ぐ見える程度に近いということでもないが、松本の街を歩き廻ろうと考えればなかなかに好適な辺りに宿は在った。
↓既に受付可能な時間帯なので、早速に宿に入った。
↓前年に各地で利用した居室に近い感じの様子だった。
↓全く初めて訪れた街だが、これまでに利用した各地の宿の居室と同じような使い勝手の場所を拠点に出来たので、何か心強い感じもした。
↓初めての場所であるのだが「既視感」を覚える。
チェーンの宿の各地に在る施設を辿るかのように移動をしていた感じではある。こういうのも悪くないと思う。
↓松本駅前から直ぐ見える程度に近いということでもないが、松本の街を歩き廻ろうと考えればなかなかに好適な辺りに宿は在った。
↓既に受付可能な時間帯なので、早速に宿に入った。
↓前年に各地で利用した居室に近い感じの様子だった。
↓全く初めて訪れた街だが、これまでに利用した各地の宿の居室と同じような使い勝手の場所を拠点に出来たので、何か心強い感じもした。
↓初めての場所であるのだが「既視感」を覚える。
チェーンの宿の各地に在る施設を辿るかのように移動をしていた感じではある。こういうのも悪くないと思う。