船と海を見詰めるかのようなカモメ(2016.05.22)

底曳船が見える稚内港の“第一副港”…繋船濠になっている辺りだ…天候の好い日には、辺りを歩くのが心地好い…

↓繋船濠の辺りは鳥も多いのだが…時々、こういう具合に「船と海を見詰めている?」かのような感じで、翼を休めているカモメも視る…
Wakkanai on MAY 22, 2016 (12)

橿原神宮前駅(2016.04.04)

↓大阪阿部野橋駅から古市駅、富田林駅を往復し、また古市駅から東南に進んで橿原神宮前駅に着いた…
Kashihara-Jingu-Mae Station on APR 04, 2016 (1)
↑乗車していたのは吉野駅へ向かう列車だった…反対側、大阪阿部野橋駅へ向かって走る列車も待機していた…

↓橿原神宮前駅から離れようとした際…京都方向へ北上する各種列車がホームに並んでいる感じだった…
Kashihara-Jingu-Mae Station on APR 04, 2016 (2)
↑左端は“特急券”が要る列車…隣は短い編成の各駅停車…右端が、大和郡山市の近鉄郡山駅まで乗車した急行だ…これは編成が長めだった…

駅のホームで、行き交う近鉄の各列車を視ていると、新旧色々な型の車輛が存在し、それらが長い編成や短い編成で現れるので、視ていて飽きない…この日は地下鉄の恵美須町駅から天王寺駅に出て、大阪阿部野橋駅からずっと近鉄を使って動き回っていた…

橿原神宮前駅は、大阪の南の方から奈良県の真中を抜けて吉野に至る線路と、奈良県を縦断して京都方面に延びている線路とが交差している駅で、立寄って各列車を視るのも少し面白い…

近鉄の駅では、この橿原神宮前駅の少し北側、大和八木駅も東西の路線と南北の路線とが交差する感じになっている…近鉄電車を利用した旅も、なかなかに面白い…

大久保利通像(2016.10.24)

鹿児島中央駅の近隣を歩き、美味しく手軽な店が集まる<かごっまふるさと屋台村>脇の路面電車停留所を過ぎた辺りに高見橋が在る…

↓橋の辺りに、明治時代の洋装姿で、厳めしい髭の人物の像が建っている…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (24)
↑幕末期に、更に政治家として明治時代の初めに活躍した大久保利通の像である…

島津家中の武士として生まれた彼だが、若い頃は父親が家中の騒動に巻き込まれて処分を受けたことなどが在って不遇であり、苦労も重ねたようだ。そして、明治時代の様々な“くにづくり”に尽くし、やがて凶刃に斃れてしまう…

鹿児島では、地元では声望が非常に高い西郷隆盛と対立してしまった経過の在る人物であることから、必ずしも人気が高い訳でもなく、「没後100年」というようなことで1979年にこの像がようやく建立され、その功を顕彰しようというようになった経過が在るようだ…

この像に出くわすと…「凛々しくスマートな明治の政治家」という感じがするのだが、同時に背後に植えられた木に「南国!!」という感を抱く…

延岡城址(2015.10.26)

宮崎駅を起点に、九州の東海岸を南北に縦断している日豊本線の普通列車を乗り継ぎ、北九州の小倉駅へ一日仕事で動いた…

以前に小倉・宮崎間を、大分県内で色々と道草しながら南下してみたことも在ったのだが、逆コースを取ったのだった。

日豊本線を普通列車で動き回る時、宮崎県の北側の延岡駅と大分県の南側の佐伯駅との間、宮崎県と大分県との境界は普通列車が「1日3往復」と驚く程に少なく、存外に大変だ…

そういう事情で、延岡で「待ち時間」が一定程度生じる展開は免れ得ないので、延岡の街を歩いてみた…

↓小高い丘のような場所に踏み込んで行けば、延岡城の址に至る…
Nobeoka Castle on OCT 26, 2015 (1)
↑酷く大きいのでもなかったが、何となく趣の在る門から石垣が巡らされた辺りに入って行く…

↓なかなかに迫力の在る石垣が在る…
Nobeoka Castle on OCT 26, 2015 (10)
↑攻囲を受けた際には、この石垣が崩れる仕掛けが在って、攻囲している的に大きなダメージを…という言い伝えが在るらしいが、そんなことは微塵も感じさせない、普通に「堅牢そうで大きい」石垣だ…

↓城址の域内は、散策路風に通路が整備されている。
Nobeoka Castle on OCT 26, 2015 (9)
↑この日は「流石に南国の宮崎県…」という程度に光線が眩しい好天で、適当に木陰も在るこういう通路は心地好かった…

戦国時代の終わり頃から江戸時代頃に登場した、「城」と聞けば思い浮かべるようなモノは、「近世城郭」と呼ばれている訳だが、延岡城は現在の宮崎県内で見受けられる「近世城郭」としては最大級のモノだったそうだ…

延岡の街…何となく静かな感じだったが、この城址の公園のことを時々思い出す…

旭川駅で待機中の721系電車(2016.04.02)

早朝に稚内駅を発ち、旭川駅に至って、数時間休んで…というよりも、普通列車が走っていないので休憩を強いられる型になって、漸く滝川行の列車の時刻が近付いた…

↓ホームで待機中だったのがこの車輛…
Asahikawa Station on APR 02, 2016 (3)
↑711系電車が数を減らし始めた頃から旭川駅でも散見するようになり、711系電車が“引退”の後、旭川駅で見掛ける深川や滝川へ向かう普通列車としてこの721系電車を視る機会が多くなった…

北海道内では、こういう架線から電気を受けるパンタグラフの着いた電車が走っているのは…旭川・小樽間と札幌・室蘭間だけ…他は悉くディーゼルカーだ…

そんな訳で、この721系電車のようなものを視ると「旭川に至ったか…」という感慨のようなものも湧き起こる…

新今宮駅辺りから望む<あべのハルカス>(2016.04.06)

2016年4月の関西訪問で滞在を続けた宿の近く…

↓巨大な<あべのハルカス>が、雨天時以外は大概よく見えた…
around Shin-imamiya Station in early morning on APR 06, 2016
↑画は、滞在中でも最も天候が好かった4月6日の早朝の様子だ…

何時の間にか、これを視る都度に「(馴染みのエリアに)戻って来た…」という安堵感、「これから出発だ!」という昂揚感を覚えるようになっていた…それだけ、辺りに俄かに馴染んでしまった感だ…

少し時日を経て、「またこの辺りへ…」というような強い気持ちが湧き起こってしまうことが在る…

天王寺駅前停留所の阪堺「501」(2015.10.30)

天王寺駅の傍…交差点の上で「通路が交差している」というのか、「大きなデッキのような様相」というのか、大きな歩道橋が設えられた箇所が在る。そこから周辺の建物や道路を何となく眺めてしまうのだが…

↓阪堺の路面電車の起点・終点になっている停留所が見える…
Osaka on OCT 30, 2015 (1)
↑夕方の少々混み合う時間帯に入っていて、到着した人達か、乗車しようという人達か判然としない大勢の人達が行き交っている様子が見える…

交通量も多めな感じがする辺りで、「ひょい!」と道路を渡って路面電車の停留所に近付くことは難しいようにも見えるが…画の下側に地下と結ばれた階段が据えられていて、阪堺の電車を乗降しようとする人達は地下通路経由で停留所と近隣を往来しているのだ…

幌南小学校前停留所付近の歩道橋下へ向かう「A1201」(2015.12.29)

低床型の路面電車は、前後に車輪の在る部分が在って、間に車輪の無い部分を挟む「三連接」になる場合が多い。札幌のA1200形もその例に漏れない…

↓歩道橋下に入る手前で「A1201」が信号待ちをしている…
Sapporo on DEC 29, 2015 (7)
↑奥に乗用車が停止しているが、比較するとこの型の路面電車の「長さ」が何となく判る…

幌南小学校前停留所近くに大きな歩道橋が在り、そこが「路面電車を眺める場所」として、なかなかに好い…

うねる?(2016.05.22)

↓存外に強かった風の故か、潮の満ち退きの関係だったのか?第一副港の海水が「河の流れ」のように見えた…
Wakkanai on MAY 22, 2016 (5)
↑朝の光線が、海面に当たっている…眩しかった…

京阪5000系電車のシート(2014.08.01)

↓京都市内を移動しようとした際、京阪電車を利用した…
In a KEIHAN Train on AUG 01, 2014
↑何気ないロングシートの車内だが…「少し変?」な感じだ…一部のシートの背中が“扉”になっている…

この車輛は、1輛に5枚の扉を備えている。混雑時には5枚の扉が開閉するが、それ以外の場面では天井側に揚げてあったシートがリフト方式で下りて来て、3枚扉の車輛という型になるのだ…

一寸ユニークだ…

石山寺の朗澄大徳(ろうちょうだいとく)(2014.08.01)

↓石山寺に「不思議な姿の怪人?妖怪?」が刻まれた石板が据えられている…
Ishiyama-dera Temple, Ohtsu, Shiga pref. on AUG 01, 2014 (2)
↑「何者?」と思ったのだが…これは“鬼”に化身したという言い伝えが在る高僧、朗澄大徳だという…

朗澄大徳(1131-1209)は「朗澄律師」とも呼ばれ、大変に高名な僧だった。彼は「(没後には)石山寺経蔵の一切経、並びに聖教(しょうぎょう)を守護し、万民の降魔招福(ごうましょうふく)の為、鬼の姿となるのだ」と誓ったと言われ、没後の或る時に弟子が鬼を見掛けたという言い伝えが在るのだそうだ…

そうした言い伝えに基き、石山寺を盛り立てた功労者とされる朗澄大徳の名を冠した庭園を造成する際、「鬼となって万民の降魔招福に努めている」という彼の姿を刻んだ石板が登場した訳だ…

この鬼と化した朗澄大徳の姿…この時訪ねた石山寺で観たモノの中で、どうしたものか、一際記憶に残る…

大阪城の石垣と高層ビル群(2016.04.03)

往時の「巨大な要塞」だった“大坂城”を想えば、現在の大阪城公園の大部分を占める城は小さくなっているのだが、それでも敷地はかなり広い…

敷地の桜や、石垣や、遠くに見えた天守閣等を眺めながらゆっくりと歩き回っていた…宿へ引揚げるために、駅を探し始めたのだが…

↓こういう様子を眼に留めて、歩を停めた…
Osaka Castle area on APR 03, 2016 (5)
↑大きな石垣と、巨大な高層ビル群…恐らく石垣は江戸幕府が「大坂の陣」の後に築いたモノであろう…そんな時代の巨大構築物と、現代の大建築が並ぶ…そしてそれが濠の水面に映り込んでいる…

往時は…というよりも長い間に亘って「大坂城の天守閣」が、「辺りで最も目立つ高層建築」であった筈だが…現在は「城が高層ビルに囲まれている」ようにも見える…

「大坂城の天守閣」だが…江戸時代の比較的早い時期に火災で喪われ、幕末期に至るまで「広大な敷地に様々な用途の低層の建物」という様子だったらしい。明治期、大正期にも、ここの用地は色々と利用されたようだが、昭和の初めに現在の天守閣が「街のシンボル」として建設されて現在に至っているという…

鹿児島中央駅前停留所の“7001”(2015.10.24)

“鹿児島中央駅”というのは、永く“西鹿児島駅”と呼ばれていた。「鹿児島市内の旅客ターミナル駅」という位置付けで、九州新幹線もこの駅を発着している…

新幹線の開通で、鹿児島では「駅に着いた人の移動」または「駅へ向かう人の移動」という「二次交通」の強化という論点が在ったようだが、駅と併せ、軌道の配置も含めた停留所のリニューアルが施された。駅前の広場から道路側に向かうと、歩道脇に双方向の乗場が「道路を横断することなく」利用可能な形状に設えられた停留所が在る。これは非常に便利だ!

そういう訳で、鹿児島の路面電車は、鹿児島中央駅前から天文館通辺りで利用客が増えているらしい…

↓「少し増えた乗客に対応する」と同時に「誰でも乗降し易い低床型」であることを目指して登場したのが、この7000形である…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24, 2015 (3)
↑前後に運転台の在るパーツが入り、中間が3つの部分で構成され、全体としては「五連接」になっている…

これの以前から在った低床型の1000形は、運転台部分がやや大き目な「三連接」で乗客定員が少し少な目である…そこで「五連接」にすることで乗客定員を増やそうとしたのである。

何か「かなり長い?」感じに見えるこの型…一部の停留所では、乗降の扉開閉と関係ない部分が、停留所の端の方で「少しはみ出した」感じに見える…

<ピース>の「70年記念」パッケージ(2016.05.21)

コンビニで煙草を求めようとして…「今日は…」と呟きながら選び始めると、店員さんはクスッと笑った。日替わりのように煙草を選ぶというのは…“極少数派”なようだ…

↓こういうモノを選んでみた…
'Peace - 70th Aniversary' on MAY 21, 2016 (2)
↑美しいパッケージだ…見慣れたモノに<70th Anniversary>と「70年記念」のロゴを組合わせている…

煙草が配給制から自由販売に切り替わった1946年、「自由販売第1号」の商品として登場したのが、この<ピース>だったそうだ…1946年から70年を迎えた訳だ…

「だから?」とでも言われてしまえば、それまでだが…記念ロゴの入ったパッケージが気に入ったので、写真に撮ってみた…

↓フィルター付の“ロング”もこういう按配だ…
'Peace - 70th Aniversary' on MAY 21, 2016 (1)

何れも、「70年記念」のロゴが入っているパッケージだが、“中身”はあの芳香も「ガツン!」と来るような刺激も、何もかもが変わっていない…

新今宮駅前停留所の阪堺「705」(2016.04.05)

↓未だ、やや薄暗い街を阪堺の路面電車が駆ける…
around Shin-Imamiya Station in early morning on APR 05, 2016 (2)
↑踏切になっている場所…朝早くから、歩行者も自転車に乗った人も存外に多い感じがした…

この“700番台”の車輛…所謂「主力」な車輛と見受けられ、沿線で見掛ける機会が多い型だ…

↓JRの高架になっている新今宮駅の真下辺りに、阪堺の停留所が設けられている…
around Shin-Imamiya Station in early morning on APR 05, 2016 (3)
↑この停留所の向こうは、通天閣に近い恵美須町だ。

老舗カフェ(2016.02.12)

↓「人生初訪問」で根室を訪ね、到着した日の夕食に立寄った店…
Nemuro on FEB 12, 2016 (3)
↑落ち着いた感じの内装に、適度に「懐かしい感じ」な小物が散っている感じが、なかなかに好い…

この店で…どういう訳か「根室では御馴染な他方、根室以外では知られていない」という料理、<エスカロップ>を頂いたことが忘れ難い…

利尻:オタトマリ沼(2015.07.19)

利尻島に聳える利尻岳は、視る角度毎に色々な表情を見せてくれる。上陸する場合、観光バス等で一周というのが面白い…

↓島の南側、オタトマリ沼での眺望…
Otatomarinuma, Rishiri island on JUL 19, 2015 (9)
↑幾つか視た眺望の中、ここの眺めが気に入っている…

↓ここから望む山の頂にもっと雪が多めな時季の画…北海道内の有名な菓子のパッケージに採用されていることが、密かに知られている…
Otatomarinuma, Rishiri island on JUL 19, 2015 (4)

稚内に居ても、利尻は少々「近くて遠い」という感じではある…

大和西大寺駅(2016.04.04)

何となく近鉄電車の利用頻度が高かった日…大和西大寺駅に至った…

↓車輛の待機場所のようなものまで見えて、幾つもの軌道が交わっている場所で、忙しそうに新旧様々な近鉄の車輛が行き交っている様を何となく眺めた…
Yamato-Saidaiji Station on APR 04, 2016 (3)
↑近鉄の各列車は、4輛編成や6輛編成が目立つ感じだが、時々2輛や8輛で運行されている列車も在った。

大和西大寺駅は近鉄奈良駅の少し西に在る。奈良県内のもう少し南側になる橿原神宮前駅から、この駅を経て京都駅に向かう運行系統と、西へ進んで大阪難波駅や、大阪府を通り越しながら阪神の軌道に乗入れて神戸三宮まで行く運行系統とが交差する駅だ…南北の系統と東西の系統が交差している十字路になっている訳で、立寄るのは何となく愉しい。利用客も多めに見え、立寄る都度に賑わっている駅だ…

琵琶湖の<一番丸>(2014.08.01)

「滋賀県」と聞いて…申し訳ないが、稚内辺りでは「何処??」と問う方も存外多いのだが…「滋賀県」と言えば、琵琶湖である…

↓「夏の関西」を訪ねた際、琵琶湖で運航していた遊覧船だ…
'ICHIBAN-MARU' at Ohtsu, Shiga pref. on AUG 01, 2014 (1)
↑明治時代の船を模した形状の<一番丸>である…

↓船室も、何かクラシカルな設えで、なかなかに趣が在る…
'ICHIBAN-MARU' at Ohtsu, Shiga pref. on AUG 01, 2014 (2)

↓船室の雰囲気は素敵だが、夏季の場合には、このデッキで湖を渡る風を受けながら景色を眺め、ガイドさんのお話しの音声に耳を傾けるのが好い…
'ICHIBAN-MARU' at Ohtsu, Shiga pref. on AUG 01, 2014 (3)

この時は、“大津プリンスホテル”の辺りから出航し、石山寺に向かうクルーズだった…

雪の丘に木の影(2016.01.09)

冬の美瑛に立寄り、何やら多少道に迷うような具合にもなりながら、随分と精力的に歩き回った…

↓丘の上に一本の大き目な木が立っている…雲が切れて日が射して来た…
Hills and Trees at Biei on JAN 09, 2016 (8)
↑雪の上に大きな影が出来ている…

こういうような様子…何か幻想的な感じがする…

通天閣を望む商店街<通天閣本通>(2015.10.31)

阪堺の恵美須町停留所から少し進んだ辺り…または地下鉄の恵美須町駅から地上に出て直ぐの辺り…

↓通天閣を仰ぎ見るような具合の商店街が在る…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (1)

↓歩道がアーケードになっている商店街だが、こういうバナーが飾られている…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (2)

↓商店街の“おっちゃん”の話し口調が聞こえて来るような掲示も在った…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (9)

この商店街を歩くと…国内外からこの“新世界”エリアを訪れる様々な人達が行き交う様子も視られるのだが…同時に、辺りの「旧き善き雰囲気」を伝えているような気もする。大阪の「気に入っているエリア」に数えられる場所だ…

京阪 萱島駅(2016.04.06)

大阪・京都間を結ぶ鉄道の一つである京阪電車の経路は、何か幕末史の「鳥羽伏見の戦い」を想い起させてくれる。“大坂城”が見えるような辺りから、伏見を経て京都市内に至る経路なのだが、これが「鳥羽伏見の戦い」で幕府方が進撃し、撤退した経路を思い出させる…

そういうことを想いながら、速くて快適な京阪電車を利用してみるのも愉しいのだが…

↓寝屋川市内に在るこの萱島駅は、一寸不思議だ…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (2)
↑高架区間の駅で、駅のホームは高架の上なのだが、画の左側を視れば大きな樹木が在る…

↓駅から出て高架の下に行くとこういう具合になっている…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (4)
↑高架下の大木を活かすため、ホームの一部になる場所に“穴”の部分を設け、「大木が高架線上の駅を貫く」ような型なのだ…この大木…楠で、樹齢は「700年?」と言われているらしい…

↓古くから神社が在った場所に高架線を築くこととなり、「何とかあの大木を活かしたい…」ということで、こういう型にしたというのだ…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (3)

「一寸したスポット」ということになるが、大阪・京都間を移動する場合の「小さな寄道」としては愉しい場所だ…

西15丁目停留所付近の歩道橋から視る「A1203」(2014.12.29)

↓「三連接」構造の低床型電車は、緩やかなカーブの在るような場所を通過する場面を、少し高い場所から視られると面白い…
Tramcars at Sapporo on DEC 29, 2014 (17)

↓歩道橋の下を潜り抜け、西15丁目停留所に向けて「A1203」は進んで行った…
Tramcars at Sapporo on DEC 29, 2014 (18)

↓停留所が近付くと、「A1203」は減速する…
Tramcars at Sapporo on DEC 29, 2014 (19)
↑この界隈は大き目な病院が目立つ感じだ…西15丁目停留所は、東西に延びる通称“電車通”から南北に延びる通に曲がって直ぐの場所に在る…

日没後の鹿児島駅前停留所(2015.10.23)

鹿児島の路面電車は、鹿児島駅前停留所の「三叉路」になった軌道に到着し、暫く待機して折り返し運転を行う。

↓暗くなってから、3本の軌道に3輛の電車が並ぶ様は、何となく画になる。
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2015 (1)

右側は、初めて導入された低床型電車の1000形、左側は少し新しい低床型電車の7000形だ。真中は…灯りが強めで、一寸番号が見え難いが、1990年代までの低床ではない型の車輛だ…

鹿児島の路面電車は2つの運行系統が在り、鹿児島駅前を出ると途中の高見馬場停留所の辺りで分岐する。1系統は鹿児島市の南側に在る谷山停留所に向かう。2系統は鹿児島中央駅前停留所を経て郡元停留所に至る…

駅前通を北上する「A1203」(2016.04.02)

JR札幌駅前を南北に延びる駅前通…この通の両端、歩道側に軌道を敷設し、西4丁目停留所とすすきの停留所を結び、札幌の路面電車は“ループ化”された…

↓すすきの停留所の近くで、駅前通の歩道側を北上する電車を見掛けた…
Tramcars at Sapporo on APR 02, 2016 (5)
↑軌道に入り込む車輛も見受けられたり、不慣れな通行人も未だ目立つことから、運行が始まって以来、角の辺りに警備員が出ている…

或いは「札幌都心の昨今」という感じがする光景だ…

黄昏の稚内港北防波堤ドーム(2015.05.05)

↓稚内港北防波堤ドーム手前の広場には、世界地図が刻まれた石板が貼られている…
Wakkanai on MAY 05, 2015 (29)
↑地図と稚内港北防波堤ドームが写るように低い姿勢から仰ぎ見る…石板に稚内港北防波堤ドームの姿が少し映り込む…

或いは「近所の気に入っている眺め」という感じ…

稚内公園で佇むエゾシカの“一家”(2015.06.17)

稚内公園の丘陵の上…街並みの向こうの丘陵に風力発電の風車が林立している様が見えている…

↓そんな光景を背負って、エゾシカの一群が佇んでいる…
Wakkanai on JUN 17, 2015 (13)
↑実に堂々としていて、こちらを見据えているようにさえ見える…

稚内公園に立寄ると、存外な頻度で出くわす光景である…