↓鉄道が地域に開通したような頃に設けられた駅舎が、永い時を超えて今でも使用されている…九州各地にはそういう駅が見受けられるようだが、この肥薩線の嘉例川駅は、そうした「受け継がれる古い駅舎」の代表格のような存在だ…
↓九州新幹線が部分開業した頃から運行しているという<はやとの風>…
↑渋いアレンジの車輛で運行されるのだが、嘉例川駅でも何分間か停車してくれる…列車本数が少なめな区間なので、こういう「少し長い停車」は嬉しい…
京都:七条大橋(2016.04.06)
一杯の珈琲(2014.08.02)
住吉鳥居前停留場の阪堺「501」(2015.10.31)
大阪市の南寄りな辺りと堺市内を往来している阪堺の路面電車…一部、専用軌道になっている区間も在るが、住吉大社の周辺等は併用軌道の「らしい!」感じの路面電車である…
↓少し年季が入った車輛が行き交う感じ…何か凄く気に入っている!!
↑この車輛…初登場から半世紀を超えるようなモノだ…細かい改装も行われ、行先表示はLEDランプのモノになっていたりするが、<ワンマンカー>という金属製プレートが据え付けられているなど、「不思議な味わい」の車輛だ…
「誰もが利用し易い」ということでは、最近の“低床型”の車輛の方が好いことは間違い無い。旧い車輛の場合、大き目な段差が在って乗降し悪い方も在る。が、そういう人が居ると、さり気なく近付いて、モノを持ったり、手を引いて乗車を手伝うような若い人が見受けられる…そういう好ましい感じも在るのが、この阪堺の沿線の感じである…
路面電車は、新旧様々な車輛が同じ軌道を行き交っている様子が、視ていて面白いのだが…互いに知人でもない乗客同士が、困っていればさり気なく助ける様子に出くわすという、阪堺のような路線は、何か心安らかに移動が出来るような感じもする…
↓少し年季が入った車輛が行き交う感じ…何か凄く気に入っている!!
↑この車輛…初登場から半世紀を超えるようなモノだ…細かい改装も行われ、行先表示はLEDランプのモノになっていたりするが、<ワンマンカー>という金属製プレートが据え付けられているなど、「不思議な味わい」の車輛だ…
「誰もが利用し易い」ということでは、最近の“低床型”の車輛の方が好いことは間違い無い。旧い車輛の場合、大き目な段差が在って乗降し悪い方も在る。が、そういう人が居ると、さり気なく近付いて、モノを持ったり、手を引いて乗車を手伝うような若い人が見受けられる…そういう好ましい感じも在るのが、この阪堺の沿線の感じである…
路面電車は、新旧様々な車輛が同じ軌道を行き交っている様子が、視ていて面白いのだが…互いに知人でもない乗客同士が、困っていればさり気なく助ける様子に出くわすという、阪堺のような路線は、何か心安らかに移動が出来るような感じもする…
スパイラル…(2015.10.29)
ノシャップの標識灯(2016.05.10)
黄昏の美瑛駅(2016.02.11)
住吉大社(2015.10.31)
大阪の天王寺駅前、または通天閣に近い恵美須町から、堺市内へ向けて南下する経路を行く阪堺の路面電車に乗ると、住吉大社を訪ねることが出来る。
住吉大社はなかなかに雰囲気が好い場所で、何となく気に入っているのだが…
↓殊にこの場所が気に入っている。境内に建ち並ぶ古い建物の手前側に大きな古木が立っていて、注連縄が飾られている…
住吉大社は古くから色々な人達の尊崇を集めている神社で、色々な時代の年号が入った、寄進された灯篭等も見受けられる。“北前船”―大坂から瀬戸内海を経て関門海峡、海峡を抜けて日本海岸を行き交った、江戸時代から明治時代初期まで活躍した船。―で現在の北海道のモノを運んでいたような海運業者が寄進したというモノも見受けられ、“北海道民”としてもこの神社に親近感を覚えてしまった…
そういうような歴史が在る住吉大社だが、立寄った時には、七五三の親子連れ、結婚式をやっている家族、車椅子に乗ったお年寄りと介助している若者が一緒に参拝していた等、正しく老若男女が集っていて、現在でも地元の多くの人達に親しまれている様子が伺えた。
何度でも再訪を期したいような場所である…
住吉大社はなかなかに雰囲気が好い場所で、何となく気に入っているのだが…
↓殊にこの場所が気に入っている。境内に建ち並ぶ古い建物の手前側に大きな古木が立っていて、注連縄が飾られている…
住吉大社は古くから色々な人達の尊崇を集めている神社で、色々な時代の年号が入った、寄進された灯篭等も見受けられる。“北前船”―大坂から瀬戸内海を経て関門海峡、海峡を抜けて日本海岸を行き交った、江戸時代から明治時代初期まで活躍した船。―で現在の北海道のモノを運んでいたような海運業者が寄進したというモノも見受けられ、“北海道民”としてもこの神社に親近感を覚えてしまった…
そういうような歴史が在る住吉大社だが、立寄った時には、七五三の親子連れ、結婚式をやっている家族、車椅子に乗ったお年寄りと介助している若者が一緒に参拝していた等、正しく老若男女が集っていて、現在でも地元の多くの人達に親しまれている様子が伺えた。
何度でも再訪を期したいような場所である…
興福寺五重塔(2014.07.31)
明石海峡大橋(2015.10.29)
瀬戸内海沿岸を列車で走ると、車窓に巨大な橋梁が見えることが在る。それらの近くに立寄って、間近で少し眺めてみるというのも悪くはない…
↓この明石海峡大橋…何度も列車の車窓で視ているが、初めて間近に立寄ってみた…
↑神戸市の西端、明石市との境目のような地区に公園が整備されていて、その辺りに出ると間近に巨大な橋梁を望むことが出来る。
この明石海峡大橋は、本州と淡路島を結び、淡路島の上の路を経て、淡路島と四国とを結ぶ別な橋を経て徳島県に出られるのだという…明石海峡大橋は鉄道が通っている訳ではないが…淡路島へ行くバスが神戸等から出ているようなので、何時かそれに乗車して渡ってみたいものだ…
↓橋梁の巨大さを実感した角度の眺め…
↓この明石海峡大橋…何度も列車の車窓で視ているが、初めて間近に立寄ってみた…
↑神戸市の西端、明石市との境目のような地区に公園が整備されていて、その辺りに出ると間近に巨大な橋梁を望むことが出来る。
この明石海峡大橋は、本州と淡路島を結び、淡路島の上の路を経て、淡路島と四国とを結ぶ別な橋を経て徳島県に出られるのだという…明石海峡大橋は鉄道が通っている訳ではないが…淡路島へ行くバスが神戸等から出ているようなので、何時かそれに乗車して渡ってみたいものだ…
↓橋梁の巨大さを実感した角度の眺め…
広島城(2015.10.28)
利尻富士の眺望(2016.05.08)
根室:納沙布岬(2016.02.13)
神戸・長田:<鉄人28号>(2015.10.29)
地下鉄御堂筋線 淀屋橋駅(2016.04.06)
旭川駅:出発する特急<オホーツク>(2016.03.25)
少し大きな駅から列車に乗ろうとする場合…乗車する列車が到着、発車するまでに「やや間が在る?」というような時間帯にホームに出て、列車を待ちながら、各方面との間を行き交う列車を眺めているのが意外に好きだ…
↓札幌駅を発って、旭川駅を経た後、北見駅を通って網走駅へ向かう特急列車<オホーツク>…少し年季が入った感じの、“スレートノーズ”と呼ばれる形状の先頭車を連結した183系ディーゼルカーである…旭川駅で乗客の一部を下し、ここから先の区間を利用する乗客が乗込む…安全確認の後、警笛が鳴って、エンジンの排気が勢いよく出てゆっくりと北東へ続く鉄路を進み始める…
朝、旭川駅を経て稚内駅を目指す特急列車に乗ろうとするような場合、少し前の時間帯に発着する<オホーツク>を見掛ける機会が多い…「少し年季が入った感じの車輛外観」が好きで、存外に頻繁に写真に撮ってしまう…
↓札幌駅を発って、旭川駅を経た後、北見駅を通って網走駅へ向かう特急列車<オホーツク>…少し年季が入った感じの、“スレートノーズ”と呼ばれる形状の先頭車を連結した183系ディーゼルカーである…旭川駅で乗客の一部を下し、ここから先の区間を利用する乗客が乗込む…安全確認の後、警笛が鳴って、エンジンの排気が勢いよく出てゆっくりと北東へ続く鉄路を進み始める…
朝、旭川駅を経て稚内駅を目指す特急列車に乗ろうとするような場合、少し前の時間帯に発着する<オホーツク>を見掛ける機会が多い…「少し年季が入った感じの車輛外観」が好きで、存外に頻繁に写真に撮ってしまう…
美瑛:<マイルドセブンの丘>(2016.01.08)
黄昏の通天閣(2016.04.06)
都城駅に停車中の<ななつぼしin九州>(2014.12.17)
雪のえびの(2014.12.17)
稚内公園のエゾシカ(2016.05.04)
鹿児島駅前停留所の<かごでん>(2015.10.24)
鹿児島の路面電車は1912年に初登場し、2012年に100周年を迎えた…
↓100年を迎え、更に新たな100年に向けて一歩を踏み出すという意味合いで“101”という車番を与えられたようだが、「大正時代から昭和初期の電車」をイメージして、旧い台車に新造の車体を載せた<かごでん>が登場した…
↑鹿児島駅前停留所で、少し長めに停車している場面だ…
<かごでん>は通常の1番系統、2番系統の運行ということでもなく、“貸切”や「観光電車」として運行されていることが多い。この「観光電車」が、何度か乗車もしてみたが、なかなかに好い。
「観光電車」は、鹿児島中央駅前停留所から、概ね2番系統の経路で鹿児島駅前停留所に入り、そこからは半ば1番系統の経路で往路とは少し異なる場所を通り、郡元停留所で2番系統の経路に入って鹿児島中央駅前停留所に至る。1時間余りで一周するような按配で、車内では沿線の事物や街の人々の暮らしに纏わるお話しが聴ける。これがなかなかに愉しい!!
鹿児島で路面電車を運行している鹿児島市交通局にとって、この<かごでん>の「観光電車」は、「一押し!!」であって、同時になかなかに人気なので時々話題になっている様子だが…そういうことに触れる都度、「また鹿児島でこの<かごでん>に…」と思い出している…
↓100年を迎え、更に新たな100年に向けて一歩を踏み出すという意味合いで“101”という車番を与えられたようだが、「大正時代から昭和初期の電車」をイメージして、旧い台車に新造の車体を載せた<かごでん>が登場した…
↑鹿児島駅前停留所で、少し長めに停車している場面だ…
<かごでん>は通常の1番系統、2番系統の運行ということでもなく、“貸切”や「観光電車」として運行されていることが多い。この「観光電車」が、何度か乗車もしてみたが、なかなかに好い。
「観光電車」は、鹿児島中央駅前停留所から、概ね2番系統の経路で鹿児島駅前停留所に入り、そこからは半ば1番系統の経路で往路とは少し異なる場所を通り、郡元停留所で2番系統の経路に入って鹿児島中央駅前停留所に至る。1時間余りで一周するような按配で、車内では沿線の事物や街の人々の暮らしに纏わるお話しが聴ける。これがなかなかに愉しい!!
鹿児島で路面電車を運行している鹿児島市交通局にとって、この<かごでん>の「観光電車」は、「一押し!!」であって、同時になかなかに人気なので時々話題になっている様子だが…そういうことに触れる都度、「また鹿児島でこの<かごでん>に…」と思い出している…
屋蓋(おくがい)の下―夕べの稚内港北防波堤ドーム(2016.05.03)
<新世界>の猫(2016.04.08)
桜が咲いていた祇園白川(2016.04.06)
石橋記念公園の西田橋と桜島(2014.12.18)
城下町の鹿児島…天保年間に5本の石造アーチ橋を架け、橋は1990年代まで実際に利用されていた経過が在る。
150年間も利用された堅牢な石造アーチ橋であったが、河川の状況も大きく変わった中、水害で橋が損傷してしまった。5本の中の2本は流失という憂き目に遭ってしまった…
そうしたことから、貴重な石造アーチ橋を護って後世に伝えたいと、市内の石橋記念公園に3本の石造アーチ橋を移築するということになったのだそうだ…
↓その貴重な石造アーチ橋の一つ、西田橋である。背後に、「少し珍しい12月の雪」を被っている桜島が見える。何か「銭湯の壁画」を思わせないでもない…
↑画の左側に門が設けられている。これは1990年代まで実際に道路で利用されていた際には撤去されていたモノで、この公園に橋を移築した際に再現した江戸時代に在ったモノである…
↓門から橋を眺めてみる…
↑往時と場所は変わっているが、門から橋を覗いた時の型は変わらないことであろう…
この西田橋は、鶴丸城(鹿児島城)から城下町を経て各地域へ繋がる街道への道筋に相当する箇所に架っていたのだという。参勤交代で往来する島津侯の行列、将軍に輿入れした篤姫、島津斉彬侯の密命を帯びて方々を訪ねた西郷隆盛と、様々な史上の人物達が行き交った橋でも在る…
この場所…鹿児島市内の「一寸気に入っている場所」でもある…
150年間も利用された堅牢な石造アーチ橋であったが、河川の状況も大きく変わった中、水害で橋が損傷してしまった。5本の中の2本は流失という憂き目に遭ってしまった…
そうしたことから、貴重な石造アーチ橋を護って後世に伝えたいと、市内の石橋記念公園に3本の石造アーチ橋を移築するということになったのだそうだ…
↓その貴重な石造アーチ橋の一つ、西田橋である。背後に、「少し珍しい12月の雪」を被っている桜島が見える。何か「銭湯の壁画」を思わせないでもない…
↑画の左側に門が設けられている。これは1990年代まで実際に道路で利用されていた際には撤去されていたモノで、この公園に橋を移築した際に再現した江戸時代に在ったモノである…
↓門から橋を眺めてみる…
↑往時と場所は変わっているが、門から橋を覗いた時の型は変わらないことであろう…
この西田橋は、鶴丸城(鹿児島城)から城下町を経て各地域へ繋がる街道への道筋に相当する箇所に架っていたのだという。参勤交代で往来する島津侯の行列、将軍に輿入れした篤姫、島津斉彬侯の密命を帯びて方々を訪ねた西郷隆盛と、様々な史上の人物達が行き交った橋でも在る…
この場所…鹿児島市内の「一寸気に入っている場所」でもある…