↓存外に強かった風の故か、潮の満ち退きの関係だったのか?第一副港の海水が「河の流れ」のように見えた…
↑朝の光線が、海面に当たっている…眩しかった…
京阪5000系電車のシート(2014.08.01)
石山寺の朗澄大徳(ろうちょうだいとく)(2014.08.01)
↓石山寺に「不思議な姿の怪人?妖怪?」が刻まれた石板が据えられている…
↑「何者?」と思ったのだが…これは“鬼”に化身したという言い伝えが在る高僧、朗澄大徳だという…
朗澄大徳(1131-1209)は「朗澄律師」とも呼ばれ、大変に高名な僧だった。彼は「(没後には)石山寺経蔵の一切経、並びに聖教(しょうぎょう)を守護し、万民の降魔招福(ごうましょうふく)の為、鬼の姿となるのだ」と誓ったと言われ、没後の或る時に弟子が鬼を見掛けたという言い伝えが在るのだそうだ…
そうした言い伝えに基き、石山寺を盛り立てた功労者とされる朗澄大徳の名を冠した庭園を造成する際、「鬼となって万民の降魔招福に努めている」という彼の姿を刻んだ石板が登場した訳だ…
この鬼と化した朗澄大徳の姿…この時訪ねた石山寺で観たモノの中で、どうしたものか、一際記憶に残る…
↑「何者?」と思ったのだが…これは“鬼”に化身したという言い伝えが在る高僧、朗澄大徳だという…
朗澄大徳(1131-1209)は「朗澄律師」とも呼ばれ、大変に高名な僧だった。彼は「(没後には)石山寺経蔵の一切経、並びに聖教(しょうぎょう)を守護し、万民の降魔招福(ごうましょうふく)の為、鬼の姿となるのだ」と誓ったと言われ、没後の或る時に弟子が鬼を見掛けたという言い伝えが在るのだそうだ…
そうした言い伝えに基き、石山寺を盛り立てた功労者とされる朗澄大徳の名を冠した庭園を造成する際、「鬼となって万民の降魔招福に努めている」という彼の姿を刻んだ石板が登場した訳だ…
この鬼と化した朗澄大徳の姿…この時訪ねた石山寺で観たモノの中で、どうしたものか、一際記憶に残る…
船上で翼を休めるカモメ(2015.07.19)
大阪城の石垣と高層ビル群(2016.04.03)
往時の「巨大な要塞」だった“大坂城”を想えば、現在の大阪城公園の大部分を占める城は小さくなっているのだが、それでも敷地はかなり広い…
敷地の桜や、石垣や、遠くに見えた天守閣等を眺めながらゆっくりと歩き回っていた…宿へ引揚げるために、駅を探し始めたのだが…
↓こういう様子を眼に留めて、歩を停めた…
↑大きな石垣と、巨大な高層ビル群…恐らく石垣は江戸幕府が「大坂の陣」の後に築いたモノであろう…そんな時代の巨大構築物と、現代の大建築が並ぶ…そしてそれが濠の水面に映り込んでいる…
往時は…というよりも長い間に亘って「大坂城の天守閣」が、「辺りで最も目立つ高層建築」であった筈だが…現在は「城が高層ビルに囲まれている」ようにも見える…
「大坂城の天守閣」だが…江戸時代の比較的早い時期に火災で喪われ、幕末期に至るまで「広大な敷地に様々な用途の低層の建物」という様子だったらしい。明治期、大正期にも、ここの用地は色々と利用されたようだが、昭和の初めに現在の天守閣が「街のシンボル」として建設されて現在に至っているという…
敷地の桜や、石垣や、遠くに見えた天守閣等を眺めながらゆっくりと歩き回っていた…宿へ引揚げるために、駅を探し始めたのだが…
↓こういう様子を眼に留めて、歩を停めた…
↑大きな石垣と、巨大な高層ビル群…恐らく石垣は江戸幕府が「大坂の陣」の後に築いたモノであろう…そんな時代の巨大構築物と、現代の大建築が並ぶ…そしてそれが濠の水面に映り込んでいる…
往時は…というよりも長い間に亘って「大坂城の天守閣」が、「辺りで最も目立つ高層建築」であった筈だが…現在は「城が高層ビルに囲まれている」ようにも見える…
「大坂城の天守閣」だが…江戸時代の比較的早い時期に火災で喪われ、幕末期に至るまで「広大な敷地に様々な用途の低層の建物」という様子だったらしい。明治期、大正期にも、ここの用地は色々と利用されたようだが、昭和の初めに現在の天守閣が「街のシンボル」として建設されて現在に至っているという…
鹿児島中央駅前停留所の“7001”(2015.10.24)
“鹿児島中央駅”というのは、永く“西鹿児島駅”と呼ばれていた。「鹿児島市内の旅客ターミナル駅」という位置付けで、九州新幹線もこの駅を発着している…
新幹線の開通で、鹿児島では「駅に着いた人の移動」または「駅へ向かう人の移動」という「二次交通」の強化という論点が在ったようだが、駅と併せ、軌道の配置も含めた停留所のリニューアルが施された。駅前の広場から道路側に向かうと、歩道脇に双方向の乗場が「道路を横断することなく」利用可能な形状に設えられた停留所が在る。これは非常に便利だ!
そういう訳で、鹿児島の路面電車は、鹿児島中央駅前から天文館通辺りで利用客が増えているらしい…
↓「少し増えた乗客に対応する」と同時に「誰でも乗降し易い低床型」であることを目指して登場したのが、この7000形である…
↑前後に運転台の在るパーツが入り、中間が3つの部分で構成され、全体としては「五連接」になっている…
これの以前から在った低床型の1000形は、運転台部分がやや大き目な「三連接」で乗客定員が少し少な目である…そこで「五連接」にすることで乗客定員を増やそうとしたのである。
何か「かなり長い?」感じに見えるこの型…一部の停留所では、乗降の扉開閉と関係ない部分が、停留所の端の方で「少しはみ出した」感じに見える…
新幹線の開通で、鹿児島では「駅に着いた人の移動」または「駅へ向かう人の移動」という「二次交通」の強化という論点が在ったようだが、駅と併せ、軌道の配置も含めた停留所のリニューアルが施された。駅前の広場から道路側に向かうと、歩道脇に双方向の乗場が「道路を横断することなく」利用可能な形状に設えられた停留所が在る。これは非常に便利だ!
そういう訳で、鹿児島の路面電車は、鹿児島中央駅前から天文館通辺りで利用客が増えているらしい…
↓「少し増えた乗客に対応する」と同時に「誰でも乗降し易い低床型」であることを目指して登場したのが、この7000形である…
↑前後に運転台の在るパーツが入り、中間が3つの部分で構成され、全体としては「五連接」になっている…
これの以前から在った低床型の1000形は、運転台部分がやや大き目な「三連接」で乗客定員が少し少な目である…そこで「五連接」にすることで乗客定員を増やそうとしたのである。
何か「かなり長い?」感じに見えるこの型…一部の停留所では、乗降の扉開閉と関係ない部分が、停留所の端の方で「少しはみ出した」感じに見える…