↓風雨が強かった日…宿に近かった<スパワールド>で寛ごうとした…
↓入口に「妙な男」が?!
↑頭が小さいプロポーションだが…190㎝前後も在る等身大…漫画『キン肉マン』に登場した“ウォーズマン”じゃないか!
↓“ウォーズマン”が初登場した頃、正体を隠してトレーナーとしてセコンドを務めた経過の在る“ロビンマスク”も居た…
↑かなり厳つい体形だ…
↓米国のテキサス州からやって来た、“キン肉マン”の仲間の“テリーマン”も居た…
↑「闘いに臨む」というポーズが決まっていた…
↓6本の腕で対戦相手をガッチリ抑え込んで技を仕掛ける恐るべき強敵“アシュラマン”も、不気味な姿で佇んでいる…
↓主役の“キン肉マン”も確りと居た!!
<スパワールド>では寛いだ一時を過ごしたが、出入口の辺りでも、確り楽しませて頂いた感だった…
夜の「復活主教座聖堂」(ユジノサハリンスク)(2015.09.07)
ユジノサハリンスク市内には2箇所の屋内スケートリンクが在って、各々にそこを本拠地とするアイスホッケーチームが在り、シーズンには試合も催される…
9月の好天の日、夕刻にアイスホッケーの試合を観戦し、試合終了後に夜の街を歩いて宿へ引揚げた。
↓ロシア正教の教会に在る鐘楼が、近くの街灯に浮かび上がるように見えた…
↑とりあえず“ライトアップ”を施しているのでもない…街灯に鐘楼が照らし出されているのである…
サハリンの諸都市では、1990年代に入ってロシア正教の教会が建てられるようになった。ユジノサハリンスク市内の教会は、祭壇を備えた部分の建築が先行し、写真の鐘楼は少し時間差で登場している。
非常に目立つ建物で、「あのロシア正教の教会」というように訪問経験者の間では記憶されることが多いが…「復活主教座聖堂」(Воскресенский Кафедральный Собор)という正式な呼称が在るそうだ。“主教座”が入るということは、教会の中で指定された管轄地域内で高位に在る聖職者が原則的に常駐して活動する場ということになる。ここは、サハリンでのロシア正教の活動の中心的拠点と位置付けられている訳だ…
何度視ても、何となく記憶に残る建物である…
9月の好天の日、夕刻にアイスホッケーの試合を観戦し、試合終了後に夜の街を歩いて宿へ引揚げた。
↓ロシア正教の教会に在る鐘楼が、近くの街灯に浮かび上がるように見えた…
↑とりあえず“ライトアップ”を施しているのでもない…街灯に鐘楼が照らし出されているのである…
サハリンの諸都市では、1990年代に入ってロシア正教の教会が建てられるようになった。ユジノサハリンスク市内の教会は、祭壇を備えた部分の建築が先行し、写真の鐘楼は少し時間差で登場している。
非常に目立つ建物で、「あのロシア正教の教会」というように訪問経験者の間では記憶されることが多いが…「復活主教座聖堂」(Воскресенский Кафедральный Собор)という正式な呼称が在るそうだ。“主教座”が入るということは、教会の中で指定された管轄地域内で高位に在る聖職者が原則的に常駐して活動する場ということになる。ここは、サハリンでのロシア正教の活動の中心的拠点と位置付けられている訳だ…
何度視ても、何となく記憶に残る建物である…
雨交じりな朝の通天閣(2016.04.04)
今井町(2014.07.31)
↓何やら「時代劇映画の壮大なセット」というような感じがしないでもないが…普通に住民の暮らしが営まれている町の一部である…
近鉄の、名古屋から大阪への東西に延びる線と、橿原神宮前から京都に至る南北に延びる線とが交差する大和八木駅辺りから然程遠くない場所に在る今井町の様子だ…
寺内町は、寺院との強い結び付きの中で興り、一定程度の高度な自治権を得て、周辺地域の商業流通や金融で重きをなしたというような経過を辿るモノで、今井町もそうした町だった。江戸時代辺りには「過ぎる程に豊か」と視られたために、幕府や領主に富を奪われてしまうような感でも在ったようだ…
↓強めな夏の陽射しの下、古い建物は独特な強い陰影を見せていた…
↓江戸時代か、或いはそれより少し以前の状態から、「時間が停まった」かのような感じもした…
こういうような場所でも、現在の住民の「普通な暮らし」が見え隠れする場面も在るのだが…とは言え、相当な努力もしながら、貴重な街並みを大切に守っている雰囲気も伝わる場所だ…
近鉄の、名古屋から大阪への東西に延びる線と、橿原神宮前から京都に至る南北に延びる線とが交差する大和八木駅辺りから然程遠くない場所に在る今井町の様子だ…
寺内町は、寺院との強い結び付きの中で興り、一定程度の高度な自治権を得て、周辺地域の商業流通や金融で重きをなしたというような経過を辿るモノで、今井町もそうした町だった。江戸時代辺りには「過ぎる程に豊か」と視られたために、幕府や領主に富を奪われてしまうような感でも在ったようだ…
↓強めな夏の陽射しの下、古い建物は独特な強い陰影を見せていた…
↓江戸時代か、或いはそれより少し以前の状態から、「時間が停まった」かのような感じもした…
こういうような場所でも、現在の住民の「普通な暮らし」が見え隠れする場面も在るのだが…とは言え、相当な努力もしながら、貴重な街並みを大切に守っている雰囲気も伝わる場所だ…
吉松駅に停車する<はやとの風>と<しんぺい>(2014.12.19)
↓鹿児島県の北側、熊本県や宮崎県との境界に近い吉松駅だ…
↑鹿児島中央駅を右の<はやとの風>で発って吉松駅に着き、ここから左の<しんぺい>に乗換えて、人吉駅へ向かった…
この肥薩線の区間…「そこに鉄道が敷かれた」という事実そのものを、「歴史を伝える出来事。鉄路は貴重なモノ」ということで「皆で親しむべきモノ」と位置付け、“観光列車”を運行している。大変に善いと思う。
↓<しんぺい>の車内は、木目調を多用したクラシカルな雰囲気で纏められている。
<しんぺい>は、寧ろ<いさぶろう/しんぺい>として知られている。これは途中の長いトンネルの出入口に掛けられた額を揮毫した人物、開通当時の逓信大臣であった山縣伊三郎、鉄道院総裁であった後藤新平に因む。人吉から吉松へ向かう列車を<いさぶろう>、吉松から人吉へ向かう列車を<しんぺい>と呼ぶ。
この吉松・人吉間…何度か列車で移動したが…なかなかに好い!!
↑鹿児島中央駅を右の<はやとの風>で発って吉松駅に着き、ここから左の<しんぺい>に乗換えて、人吉駅へ向かった…
この肥薩線の区間…「そこに鉄道が敷かれた」という事実そのものを、「歴史を伝える出来事。鉄路は貴重なモノ」ということで「皆で親しむべきモノ」と位置付け、“観光列車”を運行している。大変に善いと思う。
↓<しんぺい>の車内は、木目調を多用したクラシカルな雰囲気で纏められている。
<しんぺい>は、寧ろ<いさぶろう/しんぺい>として知られている。これは途中の長いトンネルの出入口に掛けられた額を揮毫した人物、開通当時の逓信大臣であった山縣伊三郎、鉄道院総裁であった後藤新平に因む。人吉から吉松へ向かう列車を<いさぶろう>、吉松から人吉へ向かう列車を<しんぺい>と呼ぶ。
この吉松・人吉間…何度か列車で移動したが…なかなかに好い!!