根室市内に「北海道立北方四島交流センター」という施設が在る。日本(ニッポン)、北海道(ホッカイドウ)、ロシアの頭文字から<ニホロ>という愛称が冠せられている。「日本とロシアとを結ぶ北海道の施設」という訳だ…
館内に根室辺りの歴史や、根室での日露交流史等を紹介する展示が在る。これが面白かった。
↓それらの中にこういう展示が在って、一寸注目した…1990年代頃等のロシアで出回っていた紙幣が集められ、額に収められているのだ。多くは、北方四島との地域間交流で往来した人等が持ち帰ったモノであろう…
↑「そう言えば…こういうの在った!」という少し懐かしい感じもするモノが多々交っていた。ソ連時代末期に掛けての“レーニン肖像”が入っているモノや、1990年代前半辺りのシンプルなデザインのモノや、インフレが進んだ1990年代の末近くに出ていた“100000”という額面のモノ等が見えている…一寸見入ってしまった…
“冷やし中華(大盛)”(2016.06.04)
<ピョートル1世>(2015.07.21)
<あべのハルカス>の展望室から望んだ通天閣(2014.07.31)
我孫子道停留所近辺の阪堺の車輛基地(2015.10.31)
恵美須町停留所の阪堺「355」(2015.10.31)
ユーリー・ガガーリン像(2015.09.07)
水天宮(2015.10.27)
高千穂通の並木(2015.10.25)
札幌都心の大友亀太郎像(2014.12.14)
札幌は「明治期から開拓」というイメージが強く、明治期に導入された、当時としては目新しかった文物が「郷土の古いモノ」というイメージになっていると思う…
↓そんな札幌の都心部に、「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物像が在る…初めてこれに気付いた時には「何者か?!」とも思ったのだった…
↑札幌都心部で東西に拡がる緑地、大通公園の東端部の西一丁目からやや南下し、テレビ塔を仰ぎ見るような辺りの創成川沿いに在る像だ…
この像の「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物…大友亀太郎(1834-1897)という人物だ。相模国…現在の小田原市の範囲の出身らしいが、幕臣である。
幕末期、1858年に大友亀太郎は箱館奉行所に属する役人として北海道に入っている。1866年に至り、石狩原野の開拓を計画し、現在の札幌市内に入っている。そして1867年に水路、運河ということになる“大友堀”の建設を手掛けている。
この「大友堀」が、明治期に改名され、現在も札幌では御馴染な「創成川」という呼称になった。人造の水路、運河であっただけに、“川”とは言っても創成川は「真っ直ぐ」なのが特徴だ…
創成川の畔に在る大友亀太郎の像…何か「堀を造る工事を監督すべく現場に現れた」というような風情だ…見逃してしまいそうな場所だが、札幌の古いことを偲ばせてくれる大事な場所のように思える…他方、好天で温かい日に、一寸辺りのベンチに腰を下ろして一息入れるにも悪くない場所である…
↓そんな札幌の都心部に、「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物像が在る…初めてこれに気付いた時には「何者か?!」とも思ったのだった…
↑札幌都心部で東西に拡がる緑地、大通公園の東端部の西一丁目からやや南下し、テレビ塔を仰ぎ見るような辺りの創成川沿いに在る像だ…
この像の「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物…大友亀太郎(1834-1897)という人物だ。相模国…現在の小田原市の範囲の出身らしいが、幕臣である。
幕末期、1858年に大友亀太郎は箱館奉行所に属する役人として北海道に入っている。1866年に至り、石狩原野の開拓を計画し、現在の札幌市内に入っている。そして1867年に水路、運河ということになる“大友堀”の建設を手掛けている。
この「大友堀」が、明治期に改名され、現在も札幌では御馴染な「創成川」という呼称になった。人造の水路、運河であっただけに、“川”とは言っても創成川は「真っ直ぐ」なのが特徴だ…
創成川の畔に在る大友亀太郎の像…何か「堀を造る工事を監督すべく現場に現れた」というような風情だ…見逃してしまいそうな場所だが、札幌の古いことを偲ばせてくれる大事な場所のように思える…他方、好天で温かい日に、一寸辺りのベンチに腰を下ろして一息入れるにも悪くない場所である…
晴れた朝に仰ぎ見る通天閣(2016.04.08)
宗太郎駅に停車中のキハ220(2015.10.26)
屋根付き歩道橋(2015.07.23)
幌南小学校前停留所付近の「241」と「3305」(2016.01.02)
暁の雲と翼を休めるカモメ(2016.06.04)
風雨が強めだった日の通天閣(2016.04.07)
夕刻の道路(2015.09.07)
ロータリーのオベリスク(2014.09.08)
高千穂通の道標(2015.10.24)
鹿児島・宮崎間の都市間バスを利用してみた。鹿児島に着いた時、大掛かりな催事で市内の宿が取り悪かったことから、「とりあえずネットカフェででも夜を明かして、翌日午後から夜に掛けて宮崎で移動し、宮崎に2泊でゆっくり過ごそう」というように考えたのだった…
押えた宿は、宮崎の都心部、“高千穂通”と“橘通”が交差する辺りから近い場所であった。鹿児島中央駅に近いバスターミナルを出たバスは、高速道路に入り、鹿児島空港を経てから、概ね鉄道の吉都線の沿線に相当するような場所を通り抜け、宮崎市内に至る…
宮崎駅前の手前辺りの停留所が「“高千穂通”と“橘通”が交差する辺り」に近いことに気付き、下車した。
↓辺りをキョロキョロとしながら歩き始めると、こういう道標が据えられていた…
↑なかなかに趣が在ると思った…
宮崎の街に関しては、列車の乗換で宮崎駅や南宮崎駅を利用した経過が在り、駅の辺りを多少視たことが在る程度にしか馴染みが無かった。この宮崎訪問以前にも一泊した経過は在るが、駅の直ぐ前に在る宿泊施設を利用し、そこに夜少し遅くなって到着し、翌早朝には都城方面に出発してしまい、街の様子には親しんでいない…
この道標をスタートに、宿の場所を探して滞在し、街にも少し親しむことが叶った…
この時に利用した宿…小規模な感じがする居心地が好いモノだったのだが、非常に大きな建物の陰になっていて通から見え難く、初めて入ろうとした時に少々迷ったのが、後になると笑える想い出になっている。宮崎を再訪する機会でも在れば、また利用した場所だが…
押えた宿は、宮崎の都心部、“高千穂通”と“橘通”が交差する辺りから近い場所であった。鹿児島中央駅に近いバスターミナルを出たバスは、高速道路に入り、鹿児島空港を経てから、概ね鉄道の吉都線の沿線に相当するような場所を通り抜け、宮崎市内に至る…
宮崎駅前の手前辺りの停留所が「“高千穂通”と“橘通”が交差する辺り」に近いことに気付き、下車した。
↓辺りをキョロキョロとしながら歩き始めると、こういう道標が据えられていた…
↑なかなかに趣が在ると思った…
宮崎の街に関しては、列車の乗換で宮崎駅や南宮崎駅を利用した経過が在り、駅の辺りを多少視たことが在る程度にしか馴染みが無かった。この宮崎訪問以前にも一泊した経過は在るが、駅の直ぐ前に在る宿泊施設を利用し、そこに夜少し遅くなって到着し、翌早朝には都城方面に出発してしまい、街の様子には親しんでいない…
この道標をスタートに、宿の場所を探して滞在し、街にも少し親しむことが叶った…
この時に利用した宿…小規模な感じがする居心地が好いモノだったのだが、非常に大きな建物の陰になっていて通から見え難く、初めて入ろうとした時に少々迷ったのが、後になると笑える想い出になっている。宮崎を再訪する機会でも在れば、また利用した場所だが…
ユジノサハリンスクの「横断歩道マーク」(2014.09.08)
ペットボトルに入ったビール(2014.09.07)
↓宿の部屋で寛いでいる場面で撮っている画だが…サハリンで出会う「些か不思議なモノ」が在る…
↑「КРАСНОЕ ПИВО」(クラースナヤ・ピーヴァ)…「赤いビール」??エール系のビールである。何種類も在るのだが、このタイプのモノが気に入っている…これは港町のコルサコフに在る工場で製造している代物だ…
↓結構「美味いビール」だと思うのだが…1.5lの、濃い色が着いたペットボトルで売られている…
↑「ペットボトルにビール」というと「保存の上で如何なものか?」と思うのだが…地元では「近在の工場で出来たてのモノが出回っていて…」と「好印象!」であるらしい…
実際、サハリンで求めて直ぐに呑む分には美味いのだが…抱えて稚内に持ち帰ってみると…「?!」という感じになる…“土産向き”ではない!現地で寛ぐ場面で、一寸頂くという程度が善い…
↑「КРАСНОЕ ПИВО」(クラースナヤ・ピーヴァ)…「赤いビール」??エール系のビールである。何種類も在るのだが、このタイプのモノが気に入っている…これは港町のコルサコフに在る工場で製造している代物だ…
↓結構「美味いビール」だと思うのだが…1.5lの、濃い色が着いたペットボトルで売られている…
↑「ペットボトルにビール」というと「保存の上で如何なものか?」と思うのだが…地元では「近在の工場で出来たてのモノが出回っていて…」と「好印象!」であるらしい…
実際、サハリンで求めて直ぐに呑む分には美味いのだが…抱えて稚内に持ち帰ってみると…「?!」という感じになる…“土産向き”ではない!現地で寛ぐ場面で、一寸頂くという程度が善い…
浪を見詰めるようなカモメ(2016.06.02)
新世界の灯が輝く頃の通天閣(2016.04.06)
神戸空港(2016.04.08)
神戸空港は、人工島である神戸のポートアイランドの向こうに築かれた人工島の上に在る。街の交通結節点である三宮から、ポートライナーで神戸空港との間を往来出来る。片道20分を切る…そして三宮は関西圏内の各地との往来が、何となく思う以上に便利だ…
↓空港ビルの屋上から、駐機場や滑走路の状況がよく見える。遠くに船が航行している様も覗える…好天の日には居心地が好い…
↑見えているスカイマーク航空の飛行機が多い。同社が拠点として神戸空港を利用しているようだ…
↓離陸しようとする北海道国際航空(Air Do)機が滑走路に引き出された…
↑こういう、空港内での飛行機の動きは、視ていて一寸愉しい…
2015年10月と、2016年4月とで神戸空港は通算3回利用したが…また利用してみたい…
↓空港ビルの屋上から、駐機場や滑走路の状況がよく見える。遠くに船が航行している様も覗える…好天の日には居心地が好い…
↑見えているスカイマーク航空の飛行機が多い。同社が拠点として神戸空港を利用しているようだ…
↓離陸しようとする北海道国際航空(Air Do)機が滑走路に引き出された…
↑こういう、空港内での飛行機の動きは、視ていて一寸愉しい…
2015年10月と、2016年4月とで神戸空港は通算3回利用したが…また利用してみたい…
大阪の“きつねうどん”(2016.04.07)
「大阪で“軽いランチ”という感じで気軽に頂くモノ」とでも聞けば…何となく“きつねうどん”を思い浮かべる。
甘辛く煮た油揚げが乗り、麺が薄らと視える、色が濃過ぎない出汁の丼…そんなイメージだったのだが…
↓新世界で、「ズバリ!」そういうイメージどおりの“きつねうどん”に出くわした。何か酷く嬉しかった…
↑頂いた場所は、何やら昭和40(1960)年代の開業という、少し懐かしい雰囲気が漂う食堂だった…
この時は…雨が弱まったものの、風が強い状態が続いていて、近所の一寸した看板が風を受けて「バタン!」と倒れていた。きつねうどんを美味しく頂いて、「ごちそうさまでした…」と丼を所定の位置に置くようにすると、店のおばちゃんは…「風が強いな…気を付けてや…おおきに!」と送り出してくれた。「どうも…」と会釈をして、やや風が強かった新世界の通に去った…
大阪滞在から日が経つ毎に、こういう「さり気ないモノ」、「どうでもいいかもしれないようなこと」を思い出す頻度が高まっている…
甘辛く煮た油揚げが乗り、麺が薄らと視える、色が濃過ぎない出汁の丼…そんなイメージだったのだが…
↓新世界で、「ズバリ!」そういうイメージどおりの“きつねうどん”に出くわした。何か酷く嬉しかった…
↑頂いた場所は、何やら昭和40(1960)年代の開業という、少し懐かしい雰囲気が漂う食堂だった…
この時は…雨が弱まったものの、風が強い状態が続いていて、近所の一寸した看板が風を受けて「バタン!」と倒れていた。きつねうどんを美味しく頂いて、「ごちそうさまでした…」と丼を所定の位置に置くようにすると、店のおばちゃんは…「風が強いな…気を付けてや…おおきに!」と送り出してくれた。「どうも…」と会釈をして、やや風が強かった新世界の通に去った…
大阪滞在から日が経つ毎に、こういう「さり気ないモノ」、「どうでもいいかもしれないようなこと」を思い出す頻度が高まっている…
サハリン州郷土博物館(2015.09.07)
スポーツ用品店の広告看板(2014.09.08)
地下鉄 新さっぽろ駅のエスカレーターと階段(2016.01.02)
京都御所(2015.10.30)
蛤御門を眺めていて、「京都御所一般公開」が正しく「開催中!」であることを知り、御所に足を運んだ。
足を運んでみれば、入口で簡単なチェックを経て、無料で中を見学することが出来た…
↓皇室が用いる「菊の御門」が見受けられる建物…
↑現在の御所は、幕末期の建物が主体で、明治天皇がここを離れた後の時期以降では、大正天皇が即位する頃に整備を行った経過が在るらしく、その頃のモノが目立つようだ…
「全く初めて」で御所を興味深く見学した…
↓或いは御所を象徴するような<紫宸殿>だ…
↑天皇や皇太子が居る「内裏」と呼ばれるエリアに在って、重要公式行事が催される場所が<紫宸殿>なのだという…
↓人形を配置して、「往時の雰囲気」を伝えている箇所も在った…
事前に予定をしていたでもなく、「近くに行ったら、開催中だった!!」という、本当の“偶然”で京都御所を見学…非常に幸運な経験だったかもしれない。
足を運んでみれば、入口で簡単なチェックを経て、無料で中を見学することが出来た…
↓皇室が用いる「菊の御門」が見受けられる建物…
↑現在の御所は、幕末期の建物が主体で、明治天皇がここを離れた後の時期以降では、大正天皇が即位する頃に整備を行った経過が在るらしく、その頃のモノが目立つようだ…
「全く初めて」で御所を興味深く見学した…
↓或いは御所を象徴するような<紫宸殿>だ…
↑天皇や皇太子が居る「内裏」と呼ばれるエリアに在って、重要公式行事が催される場所が<紫宸殿>なのだという…
↓人形を配置して、「往時の雰囲気」を伝えている箇所も在った…
事前に予定をしていたでもなく、「近くに行ったら、開催中だった!!」という、本当の“偶然”で京都御所を見学…非常に幸運な経験だったかもしれない。
蛤御門(2015.10.30)
幕末の歴史の中、“蛤御門”という名は耳にする機会が多い。
京都での減退を強いられた勢力を挽回すべく長州勢が進入し、京都で市街戦が展開されたという<禁門の変>の舞台として蛤御門が登場する…
↓その蛤御門に立寄ってみた…
↑現在では「京都御苑」と呼ぶのが妥当なのか?京都の御所の敷地に据えられた門の一つである。
現在でも幾つかこの禁門と呼ばれた門が残っている様子だ…幕末の歴史のことを思い出しながら、少し眺めていた…「大きい」とも「存外に小さい」とも言えるような大きさだと思った…
↓長州勢を会津勢や、会津勢に加勢した薩摩勢等が迎え撃った戦いがここで展開したようだが…
↑「或いは当時の銃弾か何かによる傷?」という痕が、門扉に見受けられた…
暫くここで蛤御門を眺めていると…何やらバスやタクシーの出入りが見受けられた…
「ここは畏れ多くも御所の御門!駐車場のゲートではない!!」と思ったのだが…
この蛤御門に立寄った日は「京都御所一般公開」の期間に相当し、御所を含む京都御苑内に設けられた駐車スペースから道路への出口になっていたのだった…事情を察し、京都御所にも足を伸ばして立寄ったのが、好い想い出になっている…
京都での減退を強いられた勢力を挽回すべく長州勢が進入し、京都で市街戦が展開されたという<禁門の変>の舞台として蛤御門が登場する…
↓その蛤御門に立寄ってみた…
↑現在では「京都御苑」と呼ぶのが妥当なのか?京都の御所の敷地に据えられた門の一つである。
現在でも幾つかこの禁門と呼ばれた門が残っている様子だ…幕末の歴史のことを思い出しながら、少し眺めていた…「大きい」とも「存外に小さい」とも言えるような大きさだと思った…
↓長州勢を会津勢や、会津勢に加勢した薩摩勢等が迎え撃った戦いがここで展開したようだが…
↑「或いは当時の銃弾か何かによる傷?」という痕が、門扉に見受けられた…
暫くここで蛤御門を眺めていると…何やらバスやタクシーの出入りが見受けられた…
「ここは畏れ多くも御所の御門!駐車場のゲートではない!!」と思ったのだが…
この蛤御門に立寄った日は「京都御所一般公開」の期間に相当し、御所を含む京都御苑内に設けられた駐車スペースから道路への出口になっていたのだった…事情を察し、京都御所にも足を伸ばして立寄ったのが、好い想い出になっている…