<ニホロ>に展示されているロシア紙幣(2016.02.13)

根室市内に「北海道立北方四島交流センター」という施設が在る。日本(ニッポン)、北海道(ホッカイドウ)、ロシアの頭文字から<ニホロ>という愛称が冠せられている。「日本とロシアとを結ぶ北海道の施設」という訳だ…

館内に根室辺りの歴史や、根室での日露交流史等を紹介する展示が在る。これが面白かった。

↓それらの中にこういう展示が在って、一寸注目した…1990年代頃等のロシアで出回っていた紙幣が集められ、額に収められているのだ。多くは、北方四島との地域間交流で往来した人等が持ち帰ったモノであろう…
Nemuro on FEB 13, 2016 (1)
↑「そう言えば…こういうの在った!」という少し懐かしい感じもするモノが多々交っていた。ソ連時代末期に掛けての“レーニン肖像”が入っているモノや、1990年代前半辺りのシンプルなデザインのモノや、インフレが進んだ1990年代の末近くに出ていた“100000”という額面のモノ等が見えている…一寸見入ってしまった…

“冷やし中華(大盛)”(2016.06.04)

「暑い時季に…」という感じの“冷やし中華”だが…特段に暑い訳でもない稚内に在っても「時季のモノ」として6月から登場する…

↓こういう具合に「大盛!」で頂くのが、妙に好い…
lunch on JUN 04, 2016 (2)

<ピョートル1世>(2015.07.21)

↓サハリンを訪ねると求めてしまう…ロシアの煙草…
Yuzhno-Sakhalinsk on JUL 21, 2015 (2)
↑日本国内で売られているモノで、強いて似ている感じの味なモノを挙げると…赤いパッケージの<ラーク>を想い起す…

パッケージ上、鷲の紋章の下に在る「КУРЕНИЕ УБИВАЕТ」(クリェーニエ ウビヴァーイェット)は「Smoking Kill」で「喫煙すると死ぬ」という意味…

<あべのハルカス>の展望室から望んだ通天閣(2014.07.31)

結果的に…<あべのハルカス>の展望室のオープンから数ヶ月というタイミングで訪れることになった。開業直後のように酷く混んでいるでもない中、ゆったりと夕暮れの大阪を眺めていたことが好い想い出だ…

↓通天閣だ…灯りが入る少し前だ…
A Bird Eye view of Osaka area at 'HARUKASU' on JUL 31, 2014 (3)

↓辺りが少々薄暗い感じになり、通天閣にも灯りが入った…
A Bird Eye view of Osaka area at 'HARUKASU' on JUL 31, 2014 (13)

この時は通天閣周辺には立寄らなかったのだが…概ね1年半を経て、通天閣周辺に滞在してみると、<あべのハルカス>は雨で雲が垂れ込めているのでもない限り、あの辺りからよく見えた…
posted by Charlie at 05:43Comment(0)大阪府

我孫子道停留所近辺の阪堺の車輛基地(2015.10.31)

↓我孫子道停留所の近くに、阪堺の車輛基地が在って、柵の辺りから色々な車輛が見える…
Tramcars of Hankai Tramways Co. on OCT 31, 2015 (12)
↑左の奥は「昭和3年製造」という、非常に古い車輛…真ん中は“主力”という感じの車輛…右の手前は<堺トラム>の愛称も在る、最新の低床型電車だ…

「昭和3年製造」の車輛と低床型電車の“堺トラム”との「年の差」…80年以上!?こういうように、新旧様々な車輛が同じ軌道を行き交っているというのが、路面電車を眺めたり、乗車して街を巡る場合の「非常に愉しい要素」の一つだ…
posted by Charlie at 05:39Comment(0)大阪府

恵美須町停留所の阪堺「355」(2015.10.31)

天王寺の宿に宿泊し、夕刻の関西空港からのフライトで“帰国”とした日の日中…“1日乗車券”を手に、阪堺の電車で大阪市内や堺市内を動き回った…

↓通天閣の足下に相当する恵美須町の停留所に、古めかしい感じの電車「355」が停車している…
Tramcars of Hankai Tramways Co. on OCT 31, 2015 (2)

少し残念なのだが…「通天閣の姿と阪堺の電車」が「1枚の画」に入るような場所…見付けられなかった…上記の画では、辛うじて建物の上の方に、通天閣の頂部辺りが微かに覗く感じだ…
posted by Charlie at 05:37Comment(0)大阪府

水天宮(2015.10.27)

“水天宮”という神社は方々に見受けられるが…

↓久留米の水天宮が総本社なのだそうだ…
Kurume on OCT 27, 2015 (4)

↓ここは幕末期に真木和泉を輩出した場所でもあり、境内には立派な像が在った…
Kurume on OCT 27, 2015 (3)

多少の雨交じりの中、久留米駅から少し歩いて辿り着いた場所だった…
posted by Charlie at 04:01Comment(0)福岡県

高千穂通の並木(2015.10.25)

稚内ではやや考え悪いのだが…「10月下旬」でありながら、宮崎市内では「半袖Tシャツにジーンズ穿き」という程度の服装で歩いて、何らの抵抗感が無かった。殆ど25℃に近いような気温だった…

↓高千穂通を歩き、歩道橋が在ったので上に上ってみた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (2)
↑「静かな休日の地方都市」という趣で、それはどうということもないのだが…中央分離帯に据えられた並木に注目してしまった…

こういう種類の木…「温かい地域」ならではだと思う。こういうのは「米国のテレビドラマに出て来る南カリフォルニアとかフロリダの都市に在るモノ」というイメージを持っている。“実物”を眺めたという経験は、強い印象を残してくれる…
posted by Charlie at 03:59Comment(0)宮崎県

札幌都心の大友亀太郎像(2014.12.14)

札幌は「明治期から開拓」というイメージが強く、明治期に導入された、当時としては目新しかった文物が「郷土の古いモノ」というイメージになっていると思う…

↓そんな札幌の都心部に、「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物像が在る…初めてこれに気付いた時には「何者か?!」とも思ったのだった…
Sapporo on DEC 14, 2014 (2)
↑札幌都心部で東西に拡がる緑地、大通公園の東端部の西一丁目からやや南下し、テレビ塔を仰ぎ見るような辺りの創成川沿いに在る像だ…

この像の「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物…大友亀太郎(1834-1897)という人物だ。相模国…現在の小田原市の範囲の出身らしいが、幕臣である。

幕末期、1858年に大友亀太郎は箱館奉行所に属する役人として北海道に入っている。1866年に至り、石狩原野の開拓を計画し、現在の札幌市内に入っている。そして1867年に水路、運河ということになる“大友堀”の建設を手掛けている。

この「大友堀」が、明治期に改名され、現在も札幌では御馴染な「創成川」という呼称になった。人造の水路、運河であっただけに、“川”とは言っても創成川は「真っ直ぐ」なのが特徴だ…

創成川の畔に在る大友亀太郎の像…何か「堀を造る工事を監督すべく現場に現れた」というような風情だ…見逃してしまいそうな場所だが、札幌の古いことを偲ばせてくれる大事な場所のように思える…他方、好天で温かい日に、一寸辺りのベンチに腰を下ろして一息入れるにも悪くない場所である…

晴れた朝に仰ぎ見る通天閣(2016.04.08)

滞在していた「通天閣の足下」のような地区を離れる朝…よく晴れていたのだが、些か名残惜しいような気がして、辺りを離れる前に通天閣の辺りを散策した…

↓午後や夕刻とは光の当たり方が変わり、朝は一味違って見えた…
'Shinsekai' area, Osaka in early morning on APR 08, 2016 (6)
↑見上げることが多かった、コンビニが在った辺りや、逆の商店街側とも違う辺りに近付いて視てみた…非常階段なのだと思うが、螺旋階段が設置されていた…

大阪に滞在した日々から、時間を経るに連れて、様子を思い出す頻度が高まっているような気がする…
posted by Charlie at 06:44Comment(0)大阪府

宗太郎駅に停車中のキハ220(2015.10.26)

↓小さな駅に、1輛運行の列車が停車…何か好い光景だ…このキハ220という車輛のデザインも好い!
Sotaro Station on OCT 26, 2015
↑宗太郎駅…延岡・佐伯間、「普通列車は1日3往復」で、特急列車が悉く通過するような大分県・宮崎県の県境の路線に在る駅だ。住所は佐伯市内になる…

この時は、延岡から佐伯へ北上し、特急列車の通過待ちでこの駅に停車した際に車輛を眺めて写真を撮っていた…
posted by Charlie at 06:42Comment(0)大分県

屋根付き歩道橋(2015.07.23)

↓従前、サハリンでは歩道橋というモノを見掛けなかったが…最近はユジノサハリンスク市内の、車輛通行量が多めな辺りに登場するようになった…
Yuzhno-Sakhalinsk on JUL 23, 2015 (43)

雨や雪を除ける屋根が施されている。それは結構なようだが…「夏には“温室”のような感じなので、“蒸し風呂”状態では?!」と思いながら眺めていた…

↓試しに歩道橋に入ってみた…何か「不思議な空間」に見える…
Yuzhno-Sakhalinsk on JUL 23, 2015 (44)
↑通風窓が設けられているらしく、暑いということもなかった…明るい日中なら、少し様子も違うかもしれないが…

幌南小学校前停留所付近の「241」と「3305」(2016.01.02)

↓歩道橋辺りから鳥瞰するような具合にして、デジカメの望遠を使って撮る画…存外に気に入っている感じの画だ…
Sapporo on JAN 02, 2015 (31)

手前に向かって来るように見える「241」…1960年に初めて登場したモノであるが、この「241」は2013年に公開された映画『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』に登場した車輛だ。悪漢の襲撃を受けた主人公の乱闘と脱出という、劇中のアクションとしては見所に数えられる場面に登場している。

奥の「3305」は1998年に初登場した、古い電装部品を活用しながら、車体を新造したという車輛である…

風雨が強めだった日の通天閣(2016.04.07)

大阪滞在の期間中、少し風雨が強めで、何処かへ出掛けてみることを控えた一日が在ったが…

↓通天閣を望む辺りの入浴施設に一寸出掛けてみた…通天閣を仰ぎ見た…
Rainy and Windy day at Osaka on APR 07, 2016 (1)
↑辺りの通行人は、風を受けてやや不便を強いられながら、傘を使っている。雨脚は強かった…

こういう、天候が冴えない様子も記憶に残るものだ…
posted by Charlie at 01:17Comment(0)大阪府

夕刻の道路(2015.09.07)

ユジノサハリンスク市内は車輛が多いが…

↓夕刻辺りに戸外に出ると、殊更に多いように思う…“渋滞”のような状況も見受けられ、「渋滞知らず」の静かな街の住民の目線では、少々驚かざるを得ない…
Yuzhno-Sakhalinsk on SEP 07, 2015 (13)
↑遠くに、道路が何本か交差する地点に設けられたロータリーが在り、その中央に大きなオベリスクが建っている。先端には、ロシアの「双頭の鷲」の紋章が見えている…

高千穂通の道標(2015.10.24)

鹿児島・宮崎間の都市間バスを利用してみた。鹿児島に着いた時、大掛かりな催事で市内の宿が取り悪かったことから、「とりあえずネットカフェででも夜を明かして、翌日午後から夜に掛けて宮崎で移動し、宮崎に2泊でゆっくり過ごそう」というように考えたのだった…

押えた宿は、宮崎の都心部、“高千穂通”と“橘通”が交差する辺りから近い場所であった。鹿児島中央駅に近いバスターミナルを出たバスは、高速道路に入り、鹿児島空港を経てから、概ね鉄道の吉都線の沿線に相当するような場所を通り抜け、宮崎市内に至る…

宮崎駅前の手前辺りの停留所が「“高千穂通”と“橘通”が交差する辺り」に近いことに気付き、下車した。

↓辺りをキョロキョロとしながら歩き始めると、こういう道標が据えられていた…
Arrival at Miyazaki on OCT 24, 2015
↑なかなかに趣が在ると思った…

宮崎の街に関しては、列車の乗換で宮崎駅や南宮崎駅を利用した経過が在り、駅の辺りを多少視たことが在る程度にしか馴染みが無かった。この宮崎訪問以前にも一泊した経過は在るが、駅の直ぐ前に在る宿泊施設を利用し、そこに夜少し遅くなって到着し、翌早朝には都城方面に出発してしまい、街の様子には親しんでいない…

この道標をスタートに、宿の場所を探して滞在し、街にも少し親しむことが叶った…

この時に利用した宿…小規模な感じがする居心地が好いモノだったのだが、非常に大きな建物の陰になっていて通から見え難く、初めて入ろうとした時に少々迷ったのが、後になると笑える想い出になっている。宮崎を再訪する機会でも在れば、また利用した場所だが…
posted by Charlie at 07:43Comment(0)宮崎県

ユジノサハリンスクの「横断歩道マーク」(2014.09.08)

↓こういう「誰でも判る」ことを企図した“ピクトグラム”…凄く好きだ。
Yuzhno-Sakhalinsk, Russia on SEP 08, 2014 (4)
↑誰が視ても「道路を横断している人物」と判る。

ユジノサハリンスク市内の道路では、このマークの場所で道路を横断する。「歩行者優先」の規則が徹底しており、このマークの辺りで車の流れを伺いながら佇んでいれば、かなり高い確率―例えば、拙宅近隣の「信号機が無い横断歩道」辺りの何倍もの確率…―で通過中の車輛は停車する…それは少し不思議な気がする。

因みに、この「横断歩道マーク」はサハリンの他都市でも見掛けた…

ペットボトルに入ったビール(2014.09.07)

↓宿の部屋で寛いでいる場面で撮っている画だが…サハリンで出会う「些か不思議なモノ」が在る…
Yuzhno-Sakhalinsk on SEP 07, 2014 (17)
↑「КРАСНОЕ ПИВО」(クラースナヤ・ピーヴァ)…「赤いビール」??エール系のビールである。何種類も在るのだが、このタイプのモノが気に入っている…これは港町のコルサコフに在る工場で製造している代物だ…

↓結構「美味いビール」だと思うのだが…1.5lの、濃い色が着いたペットボトルで売られている…
Yuzhno-Sakhalinsk on SEP 07, 2014 (18)
↑「ペットボトルにビール」というと「保存の上で如何なものか?」と思うのだが…地元では「近在の工場で出来たてのモノが出回っていて…」と「好印象!」であるらしい…

実際、サハリンで求めて直ぐに呑む分には美味いのだが…抱えて稚内に持ち帰ってみると…「?!」という感じになる…“土産向き”ではない!現地で寛ぐ場面で、一寸頂くという程度が善い…

浪を見詰めるようなカモメ(2016.06.02)

「6月」に入ったばかりでありながら、何処となく「これから積雪期に向かって行くような時季?」を思い出すような、10℃をハッキリ下回る気温で冷たい強風が吹き抜け、雨が交じる時間帯も長めな稚内…

↓早朝、陽射しが射して来た…海は風浪が少々激しそうな感じ…離岸堤で翼を休めるカモメは、こんな海を見詰めているかのようだった…
Wakkanai on JUN 02, 2016 (6)

新世界の灯が輝く頃の通天閣(2016.04.06)

↓灯りが入る少し前から、辺りはそこそこに賑わっているように見えるが、灯りが入ると賑わいが何割が増すような…気もした…
'SHINSEKAI' area, Osaka on APR 06, 2016 (7)

鮮やかな周囲の看板の中、通天閣も電飾看板を灯し、夜空に輝きを放ち始める…
posted by Charlie at 04:08Comment(0)大阪府

神戸空港(2016.04.08)

神戸空港は、人工島である神戸のポートアイランドの向こうに築かれた人工島の上に在る。街の交通結節点である三宮から、ポートライナーで神戸空港との間を往来出来る。片道20分を切る…そして三宮は関西圏内の各地との往来が、何となく思う以上に便利だ…

↓空港ビルの屋上から、駐機場や滑走路の状況がよく見える。遠くに船が航行している様も覗える…好天の日には居心地が好い…
Kobe AP on APR 08, 2016 (11)
↑見えているスカイマーク航空の飛行機が多い。同社が拠点として神戸空港を利用しているようだ…

↓離陸しようとする北海道国際航空(Air Do)機が滑走路に引き出された…
Kobe AP on APR 08, 2016 (3)
↑こういう、空港内での飛行機の動きは、視ていて一寸愉しい…

2015年10月と、2016年4月とで神戸空港は通算3回利用したが…また利用してみたい…
posted by Charlie at 04:06Comment(0)兵庫県

大阪の“きつねうどん”(2016.04.07)

「大阪で“軽いランチ”という感じで気軽に頂くモノ」とでも聞けば…何となく“きつねうどん”を思い浮かべる。

甘辛く煮た油揚げが乗り、麺が薄らと視える、色が濃過ぎない出汁の丼…そんなイメージだったのだが…

↓新世界で、「ズバリ!」そういうイメージどおりの“きつねうどん”に出くわした。何か酷く嬉しかった…
'Kitsune-Udon' in 'SHINSEKAI' area, Osaka on APR 06, 2016
↑頂いた場所は、何やら昭和40(1960)年代の開業という、少し懐かしい雰囲気が漂う食堂だった…

この時は…雨が弱まったものの、風が強い状態が続いていて、近所の一寸した看板が風を受けて「バタン!」と倒れていた。きつねうどんを美味しく頂いて、「ごちそうさまでした…」と丼を所定の位置に置くようにすると、店のおばちゃんは…「風が強いな…気を付けてや…おおきに!」と送り出してくれた。「どうも…」と会釈をして、やや風が強かった新世界の通に去った…

大阪滞在から日が経つ毎に、こういう「さり気ないモノ」、「どうでもいいかもしれないようなこと」を思い出す頻度が高まっている…
posted by Charlie at 04:03Comment(0)大阪府

サハリン州郷土博物館(2015.09.07)

↓「サハリン」と聞けば…何となく登場する頻度が高い、有名な博物館の建物だ…博物館の開館前の時間帯―この日は休館の日でもあったが…―に辺りを通って眺めた際の画だ…
Morning at Yuzhno-Sakhalinsk on SEP 07, 2015 (19)
↑この博物館に関して、この建物の故に「建物自体が重要な収蔵・展示品」と私は思っている。

1937年に「樺太庁博物館」として竣工し開館した訳だが、1946年以降の“ソ連化”の中でも博物館として利用され続けて現在に至っている。

1930年代の日本で、コンクリート造の建物に瓦を使った和風な屋根を埋め込むという建築様式が一部に流行った。“帝冠様式”と呼ばれるものだ。この博物館も、その“帝冠様式”の一例である。

スポーツ用品店の広告看板(2014.09.08)

ユジノサハリンスク等では「道路脇に大き目な看板を」というのが、広告媒体として評価を得て、認知されているように見受けられる。何やら、面白そうな看板や、「洒落た画…」というモノも時々見掛ける…

↓「眼を引く」感じの女性の姿…何か酷く目立っていた…
Yuzhno-Sakhalinsk on SEP 08, 2014 (22)
↑スポーツ用品店の広告のようだ…

地下鉄 新さっぽろ駅のエスカレーターと階段(2016.01.02)

↓開業当初から、何度となく視ていて、何度となく利用しているエスカレーターだが…何度見ても「長いエスカレーター…」と思ってしまう…
Sapporo on JAN 02, 2015 (2)

↓エスカレーターを下りて、何となく見上げる脇の階段…何時の間にか、日本語、英語、中国語、韓国語で段に文字が入っていた…開業したような頃から、毎日この駅を利用した高校生の頃には、こういうモノは無かったように思う…
Sapporo on JAN 02, 2015 (4)
↑やや長いので、ここを駆け上がったような記憶は…殆ど無い…

京都御所(2015.10.30)

蛤御門を眺めていて、「京都御所一般公開」が正しく「開催中!」であることを知り、御所に足を運んだ。

足を運んでみれば、入口で簡単なチェックを経て、無料で中を見学することが出来た…

↓皇室が用いる「菊の御門」が見受けられる建物…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (7)
↑現在の御所は、幕末期の建物が主体で、明治天皇がここを離れた後の時期以降では、大正天皇が即位する頃に整備を行った経過が在るらしく、その頃のモノが目立つようだ…

「全く初めて」で御所を興味深く見学した…

↓或いは御所を象徴するような<紫宸殿>だ…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (9)
↑天皇や皇太子が居る「内裏」と呼ばれるエリアに在って、重要公式行事が催される場所が<紫宸殿>なのだという…

↓人形を配置して、「往時の雰囲気」を伝えている箇所も在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (13)

事前に予定をしていたでもなく、「近くに行ったら、開催中だった!!」という、本当の“偶然”で京都御所を見学…非常に幸運な経験だったかもしれない。
posted by Charlie at 04:54Comment(0)京都府

蛤御門(2015.10.30)

幕末の歴史の中、“蛤御門”という名は耳にする機会が多い。

京都での減退を強いられた勢力を挽回すべく長州勢が進入し、京都で市街戦が展開されたという<禁門の変>の舞台として蛤御門が登場する…

↓その蛤御門に立寄ってみた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (2)
↑現在では「京都御苑」と呼ぶのが妥当なのか?京都の御所の敷地に据えられた門の一つである。

現在でも幾つかこの禁門と呼ばれた門が残っている様子だ…幕末の歴史のことを思い出しながら、少し眺めていた…「大きい」とも「存外に小さい」とも言えるような大きさだと思った…

↓長州勢を会津勢や、会津勢に加勢した薩摩勢等が迎え撃った戦いがここで展開したようだが…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (1)
↑「或いは当時の銃弾か何かによる傷?」という痕が、門扉に見受けられた…

暫くここで蛤御門を眺めていると…何やらバスやタクシーの出入りが見受けられた…

「ここは畏れ多くも御所の御門!駐車場のゲートではない!!」と思ったのだが…

この蛤御門に立寄った日は「京都御所一般公開」の期間に相当し、御所を含む京都御苑内に設けられた駐車スペースから道路への出口になっていたのだった…事情を察し、京都御所にも足を伸ばして立寄ったのが、好い想い出になっている…
posted by Charlie at 04:53Comment(0)京都府