水天宮(2015.10.27)

“水天宮”という神社は方々に見受けられるが…

↓久留米の水天宮が総本社なのだそうだ…
Kurume on OCT 27, 2015 (4)

↓ここは幕末期に真木和泉を輩出した場所でもあり、境内には立派な像が在った…
Kurume on OCT 27, 2015 (3)

多少の雨交じりの中、久留米駅から少し歩いて辿り着いた場所だった…
posted by Charlie at 04:01Comment(0)福岡県

高千穂通の並木(2015.10.25)

稚内ではやや考え悪いのだが…「10月下旬」でありながら、宮崎市内では「半袖Tシャツにジーンズ穿き」という程度の服装で歩いて、何らの抵抗感が無かった。殆ど25℃に近いような気温だった…

↓高千穂通を歩き、歩道橋が在ったので上に上ってみた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (2)
↑「静かな休日の地方都市」という趣で、それはどうということもないのだが…中央分離帯に据えられた並木に注目してしまった…

こういう種類の木…「温かい地域」ならではだと思う。こういうのは「米国のテレビドラマに出て来る南カリフォルニアとかフロリダの都市に在るモノ」というイメージを持っている。“実物”を眺めたという経験は、強い印象を残してくれる…
posted by Charlie at 03:59Comment(0)宮崎県

札幌都心の大友亀太郎像(2014.12.14)

札幌は「明治期から開拓」というイメージが強く、明治期に導入された、当時としては目新しかった文物が「郷土の古いモノ」というイメージになっていると思う…

↓そんな札幌の都心部に、「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物像が在る…初めてこれに気付いた時には「何者か?!」とも思ったのだった…
Sapporo on DEC 14, 2014 (2)
↑札幌都心部で東西に拡がる緑地、大通公園の東端部の西一丁目からやや南下し、テレビ塔を仰ぎ見るような辺りの創成川沿いに在る像だ…

この像の「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物…大友亀太郎(1834-1897)という人物だ。相模国…現在の小田原市の範囲の出身らしいが、幕臣である。

幕末期、1858年に大友亀太郎は箱館奉行所に属する役人として北海道に入っている。1866年に至り、石狩原野の開拓を計画し、現在の札幌市内に入っている。そして1867年に水路、運河ということになる“大友堀”の建設を手掛けている。

この「大友堀」が、明治期に改名され、現在も札幌では御馴染な「創成川」という呼称になった。人造の水路、運河であっただけに、“川”とは言っても創成川は「真っ直ぐ」なのが特徴だ…

創成川の畔に在る大友亀太郎の像…何か「堀を造る工事を監督すべく現場に現れた」というような風情だ…見逃してしまいそうな場所だが、札幌の古いことを偲ばせてくれる大事な場所のように思える…他方、好天で温かい日に、一寸辺りのベンチに腰を下ろして一息入れるにも悪くない場所である…