街が“豊原”と呼ばれていた時代から、住民に親しまれていたというユジノサハリンスクの公園…かの宇宙飛行士のガガーリンに因み、<ガガーリン公園>と呼ばれている…
↓園内にその宇宙飛行士ガガーリンの像が在る。
水天宮(2015.10.27)
高千穂通の並木(2015.10.25)
札幌都心の大友亀太郎像(2014.12.14)
札幌は「明治期から開拓」というイメージが強く、明治期に導入された、当時としては目新しかった文物が「郷土の古いモノ」というイメージになっていると思う…
↓そんな札幌の都心部に、「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物像が在る…初めてこれに気付いた時には「何者か?!」とも思ったのだった…
↑札幌都心部で東西に拡がる緑地、大通公園の東端部の西一丁目からやや南下し、テレビ塔を仰ぎ見るような辺りの創成川沿いに在る像だ…
この像の「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物…大友亀太郎(1834-1897)という人物だ。相模国…現在の小田原市の範囲の出身らしいが、幕臣である。
幕末期、1858年に大友亀太郎は箱館奉行所に属する役人として北海道に入っている。1866年に至り、石狩原野の開拓を計画し、現在の札幌市内に入っている。そして1867年に水路、運河ということになる“大友堀”の建設を手掛けている。
この「大友堀」が、明治期に改名され、現在も札幌では御馴染な「創成川」という呼称になった。人造の水路、運河であっただけに、“川”とは言っても創成川は「真っ直ぐ」なのが特徴だ…
創成川の畔に在る大友亀太郎の像…何か「堀を造る工事を監督すべく現場に現れた」というような風情だ…見逃してしまいそうな場所だが、札幌の古いことを偲ばせてくれる大事な場所のように思える…他方、好天で温かい日に、一寸辺りのベンチに腰を下ろして一息入れるにも悪くない場所である…
↓そんな札幌の都心部に、「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物像が在る…初めてこれに気付いた時には「何者か?!」とも思ったのだった…
↑札幌都心部で東西に拡がる緑地、大通公園の東端部の西一丁目からやや南下し、テレビ塔を仰ぎ見るような辺りの創成川沿いに在る像だ…
この像の「江戸時代の旅姿の武士」という風体の人物…大友亀太郎(1834-1897)という人物だ。相模国…現在の小田原市の範囲の出身らしいが、幕臣である。
幕末期、1858年に大友亀太郎は箱館奉行所に属する役人として北海道に入っている。1866年に至り、石狩原野の開拓を計画し、現在の札幌市内に入っている。そして1867年に水路、運河ということになる“大友堀”の建設を手掛けている。
この「大友堀」が、明治期に改名され、現在も札幌では御馴染な「創成川」という呼称になった。人造の水路、運河であっただけに、“川”とは言っても創成川は「真っ直ぐ」なのが特徴だ…
創成川の畔に在る大友亀太郎の像…何か「堀を造る工事を監督すべく現場に現れた」というような風情だ…見逃してしまいそうな場所だが、札幌の古いことを偲ばせてくれる大事な場所のように思える…他方、好天で温かい日に、一寸辺りのベンチに腰を下ろして一息入れるにも悪くない場所である…