↓何やら年季が入った駅名看板だ…
↑日豊本線の駅で、大分県内に在る…「大神」と書いて「おおが」と読むようだ…
この日は宮崎駅を発ち、美々津駅、延岡駅で下車し、延岡駅では「1日に3往復」という佐伯駅行に乗車し、佐伯駅から大分駅や別府駅を過ぎて北上した。そして、中津駅を経て小倉駅へ向かう列車に乗換えようと、この大神駅で列車を乗換えようとしたのだ…
後から考えると…眺めるモノが色々と在りそうな、大分駅で少し待っていれば善かったのだが…何となく、列車に乗り続けてしまった…
↓何か非常に「ローカル」な雰囲気の駅だった…
北上中の列車から下車し、「もっと先まで…」の列車をここで待ったというだけのことなのだが…「妙に記憶に残る」場所である…
早朝の原爆ドーム(2015.10.28)
夜行バスで広島のバスターミナルに着いた後、直ぐ近くでもあったことから、原爆ドームを視に行った…
↓「明るくなって来たな…」という中、少し離れた辺りから眺めてみた…
↑「明るくなって来たな…」という中だが、未だ灯りが少し残っていた…
初めてこの原爆ドームを視た時、「思ったより小さな建物?」とも思ったのだが…このドームの部分の両脇に、昭和20年時点では色々な官庁のオフィスなどが入居していて、建設当初には各種の見本展示会等に利用されたという大き目な建物が在った…爆風で建物の三分の二か四分の三が吹き飛ばされてしまっている訳である…
この日、何度か辺りを通り過ぎ、夕刻に今一度立寄って原爆ドームを眺めたが…通り過ぎながら、これを見上げて、写真を撮る人が絶えない感じだった…正しくこの原爆ドームは、ここで起きてしまったことを静かに伝え続けるモノだ…
↓「明るくなって来たな…」という中、少し離れた辺りから眺めてみた…
↑「明るくなって来たな…」という中だが、未だ灯りが少し残っていた…
初めてこの原爆ドームを視た時、「思ったより小さな建物?」とも思ったのだが…このドームの部分の両脇に、昭和20年時点では色々な官庁のオフィスなどが入居していて、建設当初には各種の見本展示会等に利用されたという大き目な建物が在った…爆風で建物の三分の二か四分の三が吹き飛ばされてしまっている訳である…
この日、何度か辺りを通り過ぎ、夕刻に今一度立寄って原爆ドームを眺めたが…通り過ぎながら、これを見上げて、写真を撮る人が絶えない感じだった…正しくこの原爆ドームは、ここで起きてしまったことを静かに伝え続けるモノだ…