↓奈良公園の、半ば街の一部の様にも思える広めな敷地を歩いていて、趣の在る建物を眼に留めた。
↑これは1902(明治35)年に竣工したという建物だ…
県下の殖産興業に関する事務を扱い、物産の展示販売を行うというような場所だったようだ…1951(昭和26)年に国の管理下に入り、埋蔵物研究所として利用されていて、1983(昭和58)年には文化財となって、奈良国立博物館管理下の研究所として利用されているということだ…
重厚な洋館と、伝統を活かした和風建築の趣とが、巧みに組合わされたような、明治時代の建築家のセンスを感じさせる。中の様子や、間近に寄って建物のディーテールを眺める訳には行かなかったが、何となく見入ってしまった…
G.I.ネヴェリスコイ胸像(2015.07.23)
A.P.チェーホフ像(2014.09.06)
↓「図書館前に有名な作家の像」というアイディア…好いと思うが…ユジノサハリンスクの図書館前にはチェーホフの像が在る。
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(Антон Павлович Чехов)(1860-1904)は、劇作家として有名だが、小説等も書いている。世界中で敬愛されているような劇作家で、世界中の演劇関係者も彼の作品を取上げている訳だが、サハリンでは殊更に敬愛されている。それは「郷土に縁が在る、物凄く有名な作家」だからである。
1890年、当時30歳であったチェーホフは、サハリンを訪ねていて、その調査経験を世に問う『サハリン島』という作品を著している。
この図書館前のチェーホフ像…30歳当時をイメージしたのか否かは判らないが、よく知られている晩年近い時期の写真よりも「若い」イメージで、何か「長旅の合間に腰掛けている」ようなイメージだ。
ユジノサハリンスク辺りは、1890年頃とは似ても似つかない、地域の中心的な都市となっている訳だが…このチェーホフの眼には、どのように映っているのだろうか?
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(Антон Павлович Чехов)(1860-1904)は、劇作家として有名だが、小説等も書いている。世界中で敬愛されているような劇作家で、世界中の演劇関係者も彼の作品を取上げている訳だが、サハリンでは殊更に敬愛されている。それは「郷土に縁が在る、物凄く有名な作家」だからである。
1890年、当時30歳であったチェーホフは、サハリンを訪ねていて、その調査経験を世に問う『サハリン島』という作品を著している。
この図書館前のチェーホフ像…30歳当時をイメージしたのか否かは判らないが、よく知られている晩年近い時期の写真よりも「若い」イメージで、何か「長旅の合間に腰掛けている」ようなイメージだ。
ユジノサハリンスク辺りは、1890年頃とは似ても似つかない、地域の中心的な都市となっている訳だが…このチェーホフの眼には、どのように映っているのだろうか?