<義経>または<7100形>―<京都鉄道博物館>(2016.11.28)

↓京都鉄道博物館にずらりと並んだ蒸気機関車の中の1輛…<義経>である…「西部劇の蒸気機関車?」という雰囲気だが、正しく“西部劇”の物語が展開していたような時代に米国で製造された車輛である…
Kyoto Railway Museum on NOV 28, 2016 vol01 (20)
↑国鉄時代の形式番号としては<7100形>と言うが、北海道で鉄道を敷設した頃に米国から輸入したこの機関車と同型の何輛かには「親しみ易い愛称」というものが冠せられている。この機関車は、その愛称が<義経>なのだ…

↓こうやって、晩秋の陽射しを受けて、大きな車庫に置かれた<義経>の姿を、少し嬉しい想いで眺めていた…
Kyoto Railway Museum on NOV 28, 2016 vol01 (22)

私自身が小学生の頃で、かなり古い話しになるために精確な記録も残していないことだが…この<義経>が当時置かれていた神戸市内の工場から北海道に運び込まれて、小樽でデモンストレーション走行をした場面を視たことを覚えている…

あれは何を記念した行事だったか?<義経>は小樽にやって来て、源義経が愛した白拍子の名であるという<しづか>と名付けられた同型蒸気機関車の6号機とランデブーを果たしたのだった…(6号機の<しづか>は現在も小樽の博物館に在る。そして源義経の忠臣、ドラマなどでは永年苦楽を共にする同志、善き友のように描かれる場合もある武蔵坊弁慶の名を冠した2号機<弁慶>は大宮の鉄道博物館に在る…何れも静態保存だ…)

時代が下った、蒸気機関車の最盛期に長い編成の旅客列車や、数え切れない程の貨車を牽引していたモノに比べると、如何にも小柄な<義経>だが、蒸気機関車らしく白い蒸気を吐出して、呼吸をするようなリズムで動輪を動かして小樽の線路を動いていた…あの時は、生憎の曇天だったような気がする…

そういう遠い記憶を呼び覚ましてくれる、北海道の開拓で活躍した車輛と、こうして何時でも会える!!これを視て、凄く気持ちが弾んだ。
posted by Charlie at 17:47Comment(0)京都府

御手洗港の<かがやき2>号(2016.11.23)

↓瀬戸内海の“真中”のような位置に在る、大崎下島の御手洗に連絡船が着いたところ…
Mitarai on NOV 23, 2016 (2)
↑竹原から、大崎上島、大崎下島の港に寄りながら航行している高速艇だ。船内の掲示によると、32名定員ということだった…

竹原から大長(おおちょう)の航路は、概ね45分間程度の運航である。全体で1日に7往復が運航されているようだが、御手洗に関しては、午前中の1往復が寄港することになっているという。今般、早朝に竹原に移動し、最初の便で御手洗に入り、少し後の復路の便で竹原に引揚げた…

船の乗り心地…「多少状態が悪い道路を、中途半端な大きさの自動車で移動した時」の感触を思い出すような感じだった…

御手洗を発つ時、出入港関係の業務を請け負っているという風だった御夫妻のおばちゃんと言葉を交わした。乗船客が在る時には、合図の回転灯を点けて、船に見えるようにしておくのだという。実際、その合図が見えないらしい停泊地について、船は通過していた…

↓この後は大長に向かい、また竹原へ折り返す…
Mitarai on NOV 23, 2016 (3)

何かこの航路は…海上を駆ける小型高速艇でありながら、何処と無く「小さな町の路線バス」というような風情が漂っていた…

言葉を交わしたおばちゃんが、「“島だった”頃は、もっといろいろな船が出入りして賑やかじゃった…」と口にしていた。この辺の小さな島は、架橋が推進されていて、橋を経て本州等と往来がし易くなった。そうなると、島の側は賑わいが失われて行ったようだ…

大崎下島の辺りだが、行政管轄としては広島県呉市になるそうだ…
posted by Charlie at 06:42Comment(0)広島県

南禅寺の水路閣(2016.11.28)

早朝から大阪を出て京都に向かった…

↓名刹南禅寺の一隅に不思議な建造物が在る…
Nanzen-ji Temple at Kyoto on NOV 28, 2016 (6)
↑琵琶湖から京都への水路、<疎水>の一部を成すモノで水を通す水道橋である…

↓アーチが組み合わさった不思議な外観だ…
Nanzen-ji Temple at Kyoto on NOV 28, 2016 (3)

<疎水>は1885年から1890年の第1次、1908年から1912年の第2次と2回に亘って整備されているのだそうだ…

この水路閣…以前にも一度観ているが…なかなかに好い!!

Nanzen-ji Temple at Kyoto on NOV 28, 2016 (5)
posted by Charlie at 02:00Comment(0)京都府

阪神桜川駅の出入口とホームの駅名表示(2016.11.29)

↓大阪で連泊した宿の最寄駅、最寄りの出入口である…
Sakuragawa Station on NOV 29, 2016 (1)
↑こういう画…「どうでもいいモノ」のようでもあるが、後から視て「非常に懐かしい」感じになるものだ…

↓列車は地下を通っていて、こういう具合に“地下鉄式”な駅名表示がホームで見受けられる…
Sakuragawa Station on NOV 29, 2016 (3)

実は…戻って来てから日が浅いにも拘らず…早くもこの桜川駅の感じが「懐かしい…」ように思い始めている…
posted by Charlie at 01:00Comment(0)大阪府

地下鉄 淀屋橋駅 の御手洗のサイン(2016.12.01)

↓大阪市営地下鉄の駅構内で気付いた…
Yodoyabashi Station on DEC 01, 2016
↑御手洗のサインで、実際に御手洗が傍に在って利用もしたが…男女を示しているサインが、“〇”になった頭の位置の関係で、軽くお辞儀をしているように見える…足下には「ようおこし」と歓迎の意思表示…

画は淀屋橋駅で視掛けたモノだが、大阪市営地下鉄の色々な駅で採用されている。内装も、少し新しいモノに改装されたようだが、改装に合わせて「新デザインのサイン」を採用したのであろう…

posted by Charlie at 20:19Comment(0)大阪府

明治 >> 大正 >> 昭和 各時代の蒸気機関車―<京都鉄道博物館>(2016.11.28)

<京都鉄道博物館>は今年の春にオープンした…JR西日本が大阪と京都に持っていた展示施設を統合した型だ…今般、「関西方面に滞在…」を思い立った動機の一つが、この博物館を訪ねてみたいということであった…

ここには<梅小路蒸気機関車庫>が在り、“展示物”として静態保存されて動かない蒸気機関車と、各地でイベント列車として動く、またはこの<京都鉄道博物館>内で<スチーム号>ということでデモンストレーション走行を行う動態保存の動く蒸気機関車とが、大きな扇形機関庫にずらりと並んで居る…

改装工事でこの<梅小路蒸気機関車庫>は暫く視られなかった。そういう訳で、とにかくもこれが視たかった…

↓動態保存の動く蒸気機関車が入っている箇所に3輛の機関車が並んで居たのを眼に留めた…
Kyoto Railway Museum on NOV 28, 2016 vol01 (31)
↑左の“1番”に入っているのが<義経>、“2番”は<8620形>、3番は<C62形>だ…因みに<C62形>の脇には旗が掲出されていて、メンテナンス作業が行われているところだった…

<義経>は形式番号としては<7100形>と言う…1880(明治13)年に米国から輸入された…北海道で活躍していた、明治時代の蒸気機関車だ。

<8620形>は、1914(大正3)年から1929(昭和4)年の間に672輛製造された。大正時代の代表的な蒸気機関車だ。日本全国に加えて、樺太や台湾でも活躍している…

<C62形>は、1948(昭和23)年から1949(昭和24)年に49輛製造されたという。幹線で優等列車を牽引していた経過が在り、次第に北海道等の地方に活躍の場を移した蒸気機関車だ…昭和の、それも「蒸気機関車の時代」の掉尾を飾るような存在だ…

こういう「時代を超えた車輛」が一堂に会しているというのは、この種の博物館「ならでは」だと思う。こんな様子を、しばしじっと眺めてしまっていた…

明治、大正、昭和と、蒸気機関車は大型化して行ったということが、この3輛が並んで居る様から伺うことが出来る…
posted by Charlie at 18:14Comment(0)京都府

華々しい看板越しに望む通天閣(2016.12.01)

↓私自身も含めて、他地域に住んでいる人が「大阪」とでも聞けば思い浮かべるのは…こういうイメージかもしれない…
'SHINSEKAI' area, Osaka on DEC 01, 2016 (6)
↑華々しい看板が並ぶ、新世界エリア…そんな看板の上に通天閣が聳え立っている…

暗い時間帯には、通天閣の姿が見え難かったが…明るい時間帯であれば、電飾部分に「通天閣60周年」と懸垂幕が掛かった姿がよく見える…
posted by Charlie at 18:00Comment(0)大阪府

大阪:丸福珈琲店 本店(2016.12.01)

大阪の地下鉄の「日本橋駅」だが…“日本橋”は「にっぽんばし」と読む…2系統の地下鉄が乗り入れていて、他に近鉄線にも乗換えられる。なんばに近い繁華なエリアの駅で、辺りには色々なモノが在る…

大阪では、大正期から昭和の初め頃に街が大きく発展して“大大阪”と呼ばれていた時期が在るという。そういう頃に、当時は家庭にまで普及していたでもなかった珈琲を供する店が興った。それらの店では、豆を独自に焙煎して、器具や淹れ方を工夫して珈琲を提供していたというが、そうした中から“大阪ストロング”と呼ばれるような、キツめな焙煎の豆を使う非常に濃く、香ばしい珈琲というモノが登場したという…

日本橋駅から歩いて数分という辺りに、“大阪ストロング”と呼ばれるような珈琲の「源流の一つ」とでも呼ぶべき店が在ると聞いて、立寄ってみた…

↓車輛通行量が多めな辺りから、商店街というのか、飲食街というのか、アーケードになった通を一寸入って、もう1本路地を入った辺りの店なのだが…角に趣の在る看板が掲げられていた…
'MARUFUKU COFFEE' at Osaka on DEC 01, 2016 (1)
↑1934(昭和9)年に興ったという、丸福珈琲店だ…方々に喫茶店を出店しているようだが、ここは本店である。

↓店内は、「伝統」が感じられる典雅な雰囲気に溢れている!
'MARUFUKU COFFEE' at Osaka on DEC 01, 2016 (5)

↓濃くて香ばしい珈琲と、“珈琲ミルクジャム”というモノを使ったトーストのセットを頂いた…
'MARUFUKU COFFEE' at Osaka on DEC 01, 2016 (6)

店の感じは、正しく「古き善き、少し大きな喫茶店」で、「空いている席へどうぞ」と席に陣取ると、ホール係がメニューを持ってやって来て、頼むモノが決まったら係を呼んで注文、そしてモノが運ばれて来るというスタイルだ。(イマドキ風なカフェでは、寧ろカウンターでモノを頼んで、各自で席へ持って行く方式が多いように思うので、こういうのが妙に新鮮だった…)

酷く雰囲気が気に入ったので…大阪を離れる前―この翌日―にも、再訪して珈琲を頂いてしまった…
posted by Charlie at 08:19Comment(0)大阪府

神戸空港搭乗待合室の喫煙コーナー(2016.12.02)

新千歳空港へ出発しようと、煩わしい保安検査を終えて、「慌てる必要が無い程度にゆとりが在り、他方で長く待つという程でもない…」という程好いタイミングで搭乗待合室に入った…

<喫煙コーナー>のマークを見付けて入ってみた…

↓中に入るとこんな様子が…
Kobe AP on DEC 02, 2016 (1)
↑硝子扉に大きくマークが描かれているのだが、射し込む光で、マークが壁に綺麗な影になって映っていた…

「一寸面白い…」と眺め、思わず写真を撮ってしまった…
posted by Charlie at 08:17Comment(0)兵庫県

恵美須町駅側から望む通天閣(2016.12.01)

地下鉄の恵美須町駅に着き、地上への出口に関する案内を視ると…「通天閣」という案内が在る…

↓案内に「通天閣」と在る出口を出ると…こういうような光景に出くわす…
'SHINSEKAI' area, Osaka on DEC 01, 2016 (8)
↑<通天閣本通商店街>の街並みが眼前に拡がり、その向こうに通天閣が建っている…

暗くなって行く時間帯、今般の大阪入りで初めて通天閣を眼にした際、「電飾が?!」と思ったのだが…なるほど、電飾部分に「通天閣60周年」とか「HITACHI」という懸垂幕が掛かっていて、工事中であることが判る…

こういう様子も、頻繁に見られる訳でもないのだから、これはこれで善しということにしたい…
posted by Charlie at 03:00Comment(0)大阪府

本願寺の銀杏(2016.11.28)

<京都鉄道博物館>を訪ねた後、訪ねた際の道をそのまま京都駅へ引き返すのも面白くないと思い、また天候も好かったので“西本願寺”に寄り道をした…

↓大きな御影堂(ごえいどう)の辺りに、大きな銀杏が在る…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on NOV 29, 2016 (3)
↑酷く背が高いでもないが、枝が物凄く幅広く拡がり、独特な形になっている。樹齢約400年と推定されるそうだ…

この“西本願寺”と通称される寺だが、1591年に豊臣秀吉が現在の場所を寄進したことから移転して、それ以来今日に至るまでここで活動を続けているのだという。とするとこの大きな銀杏は、1590年代に寺の基礎が築かれたような頃、または16世紀末から17世紀初頭に植えられて、永い歴史を見つめ続けて来たということになる…

関西方面に滞在した頃、所謂「紅葉のピーク」は過ぎてしまったような感じだったのだが…

↓この本願寺の銀杏の様子は、凄く強い印象を受けた…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on NOV 29, 2016 (6)
↑暗い色をしている御堂の瓦の前で、葉が輝いているように見えたのだ…

ここの銀杏の独特な形状と相俟って、この時季にここを訪ねて様子が視られたのは大変に幸いだった…
posted by Charlie at 02:00Comment(0)京都府

通天閣が視えない夜…(2016.11.27)

雨が強く、動き悪かった一日が暮れた…とりあえず宿に落ち着いた後に、何となく様子見をしていると雨が弱くなり、戸外に出てみた…

↓何か…“妙”な感じだ…
'SHINSEKAI', Osaka on NOV 27, 2016 (3)
↑“ふぐ”の大きな看板の向こうに、通天閣が在るのだが…「視えない」のだ?!

通天閣は、現在の形に再建されてから60年ということで、塔の電飾広告を改装している最中らしい。そのために、電飾が輝いて塔の姿を夜空に浮かび上がらせる部分が幕で覆われてしまっている…それで「暗い」訳だ…

多少寂しい様子ではあるが、そのうちに電飾も通常化するのであろう。或いは様子が一新されるのか?機会が在れば、そんな様子も眺めてみたい…
posted by Charlie at 17:50Comment(0)大阪府

大阪難波駅(2016.11.29)

↓ビルの壁面に在る文字が、夜空に浮かび上がる…
Namba area, Osaka on NOV 29, 2016 (2)
↑駅は地下に在り、看板の下辺りの階段から地下に入って、通路を歩いて進むと在る…

名古屋との間を往来している近鉄の特急に関して「大阪の“代表”」とする意図で<大阪難波駅>と名付けられたのであろう…その近鉄の駅に阪神が乗入れた型であり、阪神関係の記述は「後から追加した?」と見える…

中に入ると、従前からの近鉄の駅部分に、阪神の列車が発着する部分を追加した様子が伺える…

因みに…今般、大阪で滞在している宿は、この駅から阪神で西側へ一駅の場所だ…多分、近鉄の方が保有車両が多いのだとも思うが、最寄駅では寧ろ近鉄の車輛を視掛ける場面が多いように思った…

それはそれとして、この画を視ると、各々に伝統を重ねて個性在る各私鉄が活躍する「大阪辺りの交通網の雰囲気」を何となく思い浮かべる…
posted by Charlie at 06:19Comment(0)大阪府

新山口駅に待機中の「クモハ115+クモハ114」による2輛編成の列車(2016.11.24)

柳井を発ち、新山口に至った…更に下関へ進むべく、待機中の列車へ…

↓如何にも「鉄道車輌!!」という風で眼に馴染んだ“クモハ115”に対して…
Shin-Yamaguchi Station on NOV 24, 2016 (1)

↓列車の反対側は、「やや眼に馴染まない」感じもする…
Shin-Yamaguchi Station on NOV 24, 2016 (6)
↑平板で武骨な外観だと思うが…これは“クモハ114”という。“クモハ115”と組み合わさった2輛編成で運用されている…

115系電車は4輛ユニットで動くモノだったが…これを“半分”にして2輛ユニットで「より短い編成」の列車として運用出来るよう、本来は運転台が無かった車輛にそれを据え付けて“クモハ114”とした訳だ…

この「クモハ115+クモハ114」による2輛編成の列車は、中国地方では少し頻繁に視掛けた…
posted by Charlie at 06:14Comment(0)山口県

鞆の浦の坂本龍馬(2016.11.22)

↓誰かが扮装しているのではない…リアルに造られた人形だ…実際に人間の大きさになっている…
Tomo-no-ura area on NOV 22, 2016 (11)
↑鞆の浦の古くから在る港に近い資料館で視掛けた…

幕末、坂本龍馬が関わった<海援隊>が運用していた船<いろは丸>が紀州徳川家の船との間で事故を起こしてしまった…現場が鞆の浦辺り…事故の後始末のため、坂本龍馬は鞆の浦にやって来て滞在したという…その時の様子をイメージしたのがこの人形だ…
posted by Charlie at 01:00Comment(0)広島県

石上神宮の鶏達…(2016.11.30)

奈良県天理市に在る石上神宮(いそのかみじんぐう)…「最古の神社」の一つと考えられる存在であり、大和朝廷で軍事関係部門を司って活躍したという物部氏が“氏神”にしていたと伝わる…

近鉄やJRの天理駅から、石上神宮までは歩けば片道30分弱だ。バス路線も在るが、「1日に数本」なので、然程実用的でもない…そこで「片道30分程度なら許容範囲」と徒歩で訪ねてみることにした。道程の半分程度は、屋根が架かって、車輛の進入が制限されている商店街の中なので、意外に歩き易い。

石上神宮に辿り着いてみれば…古くから祀られている神々の霊力のようなモノを秘めているかのような森が在る場所に境内が開けている感じだ…少し厳かな気分になるのだが…

↓「白っぽいモノ」が足下を蠢いたのに目を奪われ、「面妖な…」と動いたモノを眼で追うと、下記のような様子が…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 (16)
↑鶏だ!?

↓白いモノばかりではなく、色々な種類の鶏が見受けられた…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 (20)

↓この鶏は、妙に元気に「コケコッコー」と鳴き声を上げていた…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 (17)

↓この鶏は、一際身体が大きく、随分勢いよく辺りを動き回っていた…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 (14)

石上神宮では40年程前に鶏の奉納を受け、爾来概ね計30羽程度の鶏が代を重ねて境内に居るというのだ…「暁に時を告げる」として神聖視されていた一面もある鶏である…関係者や訪れる人達に可愛がられている、石上神宮の人気者であるようだ…

↓これは確か?“烏骨鶏”(うこっけい)という、少し珍しい種類の鶏だった…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 (22)

古から尊崇を集めている「最古の神社」の一つであるという空間で、大切に可愛がられている鶏達に出逢う…何か面白かった…
posted by Charlie at 19:02Comment(0)奈良県

岡山城天守閣(2016.11.22)

↓多少の褪色は見受けられるが…黒い板張りの外観の故に“烏城”とも呼ばれる岡山城…
Okayama Castle on NOV 22, 2016 (9)
↑好天な朝に間近で眺めることが出来た!!
posted by Charlie at 00:00Comment(0)岡山県

夜の道頓堀(2016.11.29)

↓或いは「大阪へ来た!」を強く実感する光景かもしれない…
Namba area, Osaka on NOV 29, 2016 (5)
↑“大阪”とでも聞けば、直ぐに思い浮かべる他方で、実際に大阪に足を運んだ場合に「存外に視ない?」という気もする…

今般は、機会を設けてゆっくりとこの光景を眺めていた…
posted by Charlie at 03:24Comment(0)大阪府

上空から望んだ神戸(2016.12.02)

新千歳空港へ発つ日、大阪・神戸はなかなかの好天に恵まれた。

何度か神戸空港を利用してみて、「関西方面に入る」という場面で意外に「使い易い」と感じ、今般は敢えて「神戸空港を“出入口”」とまでしてしまった…

こうした中で「神戸の街や港を上空から?」と少し期待した…

↓そして期待に違わず、なかなかに好い眺望が楽しめた!!
from anairplane window on DEC 02, 2016 (2)

↓飛行機が高度を上げ、神戸の街や港が遠ざかる…
from anairplane window on DEC 02, 2016 (5)
↑「また来てや!」と神戸の街や港に見送られている気分で、上昇する飛行機の窓から様子を視ていた…

飛行機は少し西寄りに進んでから旋回し、日本海側を北上して新千歳空港を目指す…
posted by Charlie at 22:24Comment(0)兵庫県

大阪ビジネスパーク駅のホーム(2016.12.01)

大阪城公園の周辺には幾つもの駅が在る。

そうした駅の一つに、地下鉄の大阪ビジネスパーク駅が在る。

↓長いエスカレーターに何度か乗って、ホームに入るとこういう様子が眼前に…
Osaka Buisiness Park Station in evening on DEC 01, 2016 (2)
↑以前に一度視たことが在るのだが…改めて視て「非常にクール!」だと思った。“間接照明”を多用し、地下鉄電車が往く軌道に沿ったホームの直線に、アーチを描く屋根と太い円柱がシンプルに組み合わされている…列車の行先方向を示す掲示が円柱に貼られていて、目を凝らすと「日本語の文字」が視えるが、それでも「外国?!」という雰囲気だ…

この駅は1996年に長堀鶴見緑地線の京橋・心斎橋間の延伸開業の際にオープンしたのだそうだ…今年で20年ということになる…

大阪では、縦横に巡っている地下鉄路線が便利で、各方面の私鉄路線への直通運転も多く、なかなかに便利だ…
posted by Charlie at 23:41Comment(0)大阪府

西宮砲台(2016.11.29)

海側を目指して阪神の駅から歩き続けて辿り着いた<御前浜公園>…

↓こういう不思議なモノが在った…
'Tochika' in 19th Century at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (2)
↑大きなモノだが、壁や辺りの建物や木々、或いは地形の感じで遠くからは見え悪かった…

↓画面に収め悪い程度に大きな円筒状の構造物であるが、これは1863年から1866年に掛けて建造されたという砲台だ…
'Tochika' in 19th Century at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (3)
↑実戦使用された経過は無いという…

幕末期に幕府は海防のために施設を色々と築いたが、これもその一つ…千本以上と伝えられる杭を打ち込み、石を積んで漆喰で壁を固めている…11の砲眼と1つの窓が設けられ、中に据えた大砲で各方位を砲撃可能とされていたそうだ…

貴重な史跡であるが、実にひっそりとした場所だった…
posted by Charlie at 00:43Comment(0)兵庫県