↓大阪市営地下鉄の駅構内で気付いた…
↑御手洗のサインで、実際に御手洗が傍に在って利用もしたが…男女を示しているサインが、“〇”になった頭の位置の関係で、軽くお辞儀をしているように見える…足下には「ようおこし」と歓迎の意思表示…
画は淀屋橋駅で視掛けたモノだが、大阪市営地下鉄の色々な駅で採用されている。内装も、少し新しいモノに改装されたようだが、改装に合わせて「新デザインのサイン」を採用したのであろう…
明治 >> 大正 >> 昭和 各時代の蒸気機関車―<京都鉄道博物館>(2016.11.28)
<京都鉄道博物館>は今年の春にオープンした…JR西日本が大阪と京都に持っていた展示施設を統合した型だ…今般、「関西方面に滞在…」を思い立った動機の一つが、この博物館を訪ねてみたいということであった…
ここには<梅小路蒸気機関車庫>が在り、“展示物”として静態保存されて動かない蒸気機関車と、各地でイベント列車として動く、またはこの<京都鉄道博物館>内で<スチーム号>ということでデモンストレーション走行を行う動態保存の動く蒸気機関車とが、大きな扇形機関庫にずらりと並んで居る…
改装工事でこの<梅小路蒸気機関車庫>は暫く視られなかった。そういう訳で、とにかくもこれが視たかった…
↓動態保存の動く蒸気機関車が入っている箇所に3輛の機関車が並んで居たのを眼に留めた…
↑左の“1番”に入っているのが<義経>、“2番”は<8620形>、3番は<C62形>だ…因みに<C62形>の脇には旗が掲出されていて、メンテナンス作業が行われているところだった…
<義経>は形式番号としては<7100形>と言う…1880(明治13)年に米国から輸入された…北海道で活躍していた、明治時代の蒸気機関車だ。
<8620形>は、1914(大正3)年から1929(昭和4)年の間に672輛製造された。大正時代の代表的な蒸気機関車だ。日本全国に加えて、樺太や台湾でも活躍している…
<C62形>は、1948(昭和23)年から1949(昭和24)年に49輛製造されたという。幹線で優等列車を牽引していた経過が在り、次第に北海道等の地方に活躍の場を移した蒸気機関車だ…昭和の、それも「蒸気機関車の時代」の掉尾を飾るような存在だ…
こういう「時代を超えた車輛」が一堂に会しているというのは、この種の博物館「ならでは」だと思う。こんな様子を、しばしじっと眺めてしまっていた…
明治、大正、昭和と、蒸気機関車は大型化して行ったということが、この3輛が並んで居る様から伺うことが出来る…
ここには<梅小路蒸気機関車庫>が在り、“展示物”として静態保存されて動かない蒸気機関車と、各地でイベント列車として動く、またはこの<京都鉄道博物館>内で<スチーム号>ということでデモンストレーション走行を行う動態保存の動く蒸気機関車とが、大きな扇形機関庫にずらりと並んで居る…
改装工事でこの<梅小路蒸気機関車庫>は暫く視られなかった。そういう訳で、とにかくもこれが視たかった…
↓動態保存の動く蒸気機関車が入っている箇所に3輛の機関車が並んで居たのを眼に留めた…
↑左の“1番”に入っているのが<義経>、“2番”は<8620形>、3番は<C62形>だ…因みに<C62形>の脇には旗が掲出されていて、メンテナンス作業が行われているところだった…
<義経>は形式番号としては<7100形>と言う…1880(明治13)年に米国から輸入された…北海道で活躍していた、明治時代の蒸気機関車だ。
<8620形>は、1914(大正3)年から1929(昭和4)年の間に672輛製造された。大正時代の代表的な蒸気機関車だ。日本全国に加えて、樺太や台湾でも活躍している…
<C62形>は、1948(昭和23)年から1949(昭和24)年に49輛製造されたという。幹線で優等列車を牽引していた経過が在り、次第に北海道等の地方に活躍の場を移した蒸気機関車だ…昭和の、それも「蒸気機関車の時代」の掉尾を飾るような存在だ…
こういう「時代を超えた車輛」が一堂に会しているというのは、この種の博物館「ならでは」だと思う。こんな様子を、しばしじっと眺めてしまっていた…
明治、大正、昭和と、蒸気機関車は大型化して行ったということが、この3輛が並んで居る様から伺うことが出来る…
華々しい看板越しに望む通天閣(2016.12.01)
大阪:丸福珈琲店 本店(2016.12.01)
大阪の地下鉄の「日本橋駅」だが…“日本橋”は「にっぽんばし」と読む…2系統の地下鉄が乗り入れていて、他に近鉄線にも乗換えられる。なんばに近い繁華なエリアの駅で、辺りには色々なモノが在る…
大阪では、大正期から昭和の初め頃に街が大きく発展して“大大阪”と呼ばれていた時期が在るという。そういう頃に、当時は家庭にまで普及していたでもなかった珈琲を供する店が興った。それらの店では、豆を独自に焙煎して、器具や淹れ方を工夫して珈琲を提供していたというが、そうした中から“大阪ストロング”と呼ばれるような、キツめな焙煎の豆を使う非常に濃く、香ばしい珈琲というモノが登場したという…
日本橋駅から歩いて数分という辺りに、“大阪ストロング”と呼ばれるような珈琲の「源流の一つ」とでも呼ぶべき店が在ると聞いて、立寄ってみた…
↓車輛通行量が多めな辺りから、商店街というのか、飲食街というのか、アーケードになった通を一寸入って、もう1本路地を入った辺りの店なのだが…角に趣の在る看板が掲げられていた…
↑1934(昭和9)年に興ったという、丸福珈琲店だ…方々に喫茶店を出店しているようだが、ここは本店である。
↓店内は、「伝統」が感じられる典雅な雰囲気に溢れている!
↓濃くて香ばしい珈琲と、“珈琲ミルクジャム”というモノを使ったトーストのセットを頂いた…
店の感じは、正しく「古き善き、少し大きな喫茶店」で、「空いている席へどうぞ」と席に陣取ると、ホール係がメニューを持ってやって来て、頼むモノが決まったら係を呼んで注文、そしてモノが運ばれて来るというスタイルだ。(イマドキ風なカフェでは、寧ろカウンターでモノを頼んで、各自で席へ持って行く方式が多いように思うので、こういうのが妙に新鮮だった…)
酷く雰囲気が気に入ったので…大阪を離れる前―この翌日―にも、再訪して珈琲を頂いてしまった…
大阪では、大正期から昭和の初め頃に街が大きく発展して“大大阪”と呼ばれていた時期が在るという。そういう頃に、当時は家庭にまで普及していたでもなかった珈琲を供する店が興った。それらの店では、豆を独自に焙煎して、器具や淹れ方を工夫して珈琲を提供していたというが、そうした中から“大阪ストロング”と呼ばれるような、キツめな焙煎の豆を使う非常に濃く、香ばしい珈琲というモノが登場したという…
日本橋駅から歩いて数分という辺りに、“大阪ストロング”と呼ばれるような珈琲の「源流の一つ」とでも呼ぶべき店が在ると聞いて、立寄ってみた…
↓車輛通行量が多めな辺りから、商店街というのか、飲食街というのか、アーケードになった通を一寸入って、もう1本路地を入った辺りの店なのだが…角に趣の在る看板が掲げられていた…
↑1934(昭和9)年に興ったという、丸福珈琲店だ…方々に喫茶店を出店しているようだが、ここは本店である。
↓店内は、「伝統」が感じられる典雅な雰囲気に溢れている!
↓濃くて香ばしい珈琲と、“珈琲ミルクジャム”というモノを使ったトーストのセットを頂いた…
店の感じは、正しく「古き善き、少し大きな喫茶店」で、「空いている席へどうぞ」と席に陣取ると、ホール係がメニューを持ってやって来て、頼むモノが決まったら係を呼んで注文、そしてモノが運ばれて来るというスタイルだ。(イマドキ風なカフェでは、寧ろカウンターでモノを頼んで、各自で席へ持って行く方式が多いように思うので、こういうのが妙に新鮮だった…)
酷く雰囲気が気に入ったので…大阪を離れる前―この翌日―にも、再訪して珈琲を頂いてしまった…
神戸空港搭乗待合室の喫煙コーナー(2016.12.02)
恵美須町駅側から望む通天閣(2016.12.01)
本願寺の銀杏(2016.11.28)
<京都鉄道博物館>を訪ねた後、訪ねた際の道をそのまま京都駅へ引き返すのも面白くないと思い、また天候も好かったので“西本願寺”に寄り道をした…
↓大きな御影堂(ごえいどう)の辺りに、大きな銀杏が在る…
↑酷く背が高いでもないが、枝が物凄く幅広く拡がり、独特な形になっている。樹齢約400年と推定されるそうだ…
この“西本願寺”と通称される寺だが、1591年に豊臣秀吉が現在の場所を寄進したことから移転して、それ以来今日に至るまでここで活動を続けているのだという。とするとこの大きな銀杏は、1590年代に寺の基礎が築かれたような頃、または16世紀末から17世紀初頭に植えられて、永い歴史を見つめ続けて来たということになる…
関西方面に滞在した頃、所謂「紅葉のピーク」は過ぎてしまったような感じだったのだが…
↓この本願寺の銀杏の様子は、凄く強い印象を受けた…
↑暗い色をしている御堂の瓦の前で、葉が輝いているように見えたのだ…
ここの銀杏の独特な形状と相俟って、この時季にここを訪ねて様子が視られたのは大変に幸いだった…
↓大きな御影堂(ごえいどう)の辺りに、大きな銀杏が在る…
↑酷く背が高いでもないが、枝が物凄く幅広く拡がり、独特な形になっている。樹齢約400年と推定されるそうだ…
この“西本願寺”と通称される寺だが、1591年に豊臣秀吉が現在の場所を寄進したことから移転して、それ以来今日に至るまでここで活動を続けているのだという。とするとこの大きな銀杏は、1590年代に寺の基礎が築かれたような頃、または16世紀末から17世紀初頭に植えられて、永い歴史を見つめ続けて来たということになる…
関西方面に滞在した頃、所謂「紅葉のピーク」は過ぎてしまったような感じだったのだが…
↓この本願寺の銀杏の様子は、凄く強い印象を受けた…
↑暗い色をしている御堂の瓦の前で、葉が輝いているように見えたのだ…
ここの銀杏の独特な形状と相俟って、この時季にここを訪ねて様子が視られたのは大変に幸いだった…