
↑国鉄時代の形式番号としては<7100形>と言うが、北海道で鉄道を敷設した頃に米国から輸入したこの機関車と同型の何輛かには「親しみ易い愛称」というものが冠せられている。この機関車は、その愛称が<義経>なのだ…
↓こうやって、晩秋の陽射しを受けて、大きな車庫に置かれた<義経>の姿を、少し嬉しい想いで眺めていた…

私自身が小学生の頃で、かなり古い話しになるために精確な記録も残していないことだが…この<義経>が当時置かれていた神戸市内の工場から北海道に運び込まれて、小樽でデモンストレーション走行をした場面を視たことを覚えている…
あれは何を記念した行事だったか?<義経>は小樽にやって来て、源義経が愛した白拍子の名であるという<しづか>と名付けられた同型蒸気機関車の6号機とランデブーを果たしたのだった…(6号機の<しづか>は現在も小樽の博物館に在る。そして源義経の忠臣、ドラマなどでは永年苦楽を共にする同志、善き友のように描かれる場合もある武蔵坊弁慶の名を冠した2号機<弁慶>は大宮の鉄道博物館に在る…何れも静態保存だ…)
時代が下った、蒸気機関車の最盛期に長い編成の旅客列車や、数え切れない程の貨車を牽引していたモノに比べると、如何にも小柄な<義経>だが、蒸気機関車らしく白い蒸気を吐出して、呼吸をするようなリズムで動輪を動かして小樽の線路を動いていた…あの時は、生憎の曇天だったような気がする…
そういう遠い記憶を呼び覚ましてくれる、北海道の開拓で活躍した車輛と、こうして何時でも会える!!これを視て、凄く気持ちが弾んだ。