↓円形の転車台の周囲に、放射状に軌道が敷設されて扇形の車庫に連なる…その軌道の独特な感じが面白い…
↓少し「引く」位置から視ると、こういう具合に視える…
<京都鉄道博物館>ということになって、この大きな扇形機関車庫を「少し離れて、少し高い位置」から眺めることが叶うようになった。<京都鉄道博物館>の前身ということになる<蒸気機関車館>だった頃にこの扇形機関車庫を眺めて気に入っていたが、益々「視易い」感じになって、私は非常に喜んでいる…
この<京都鉄道博物館>に関しては…「また何度でも!」という感じだ…
阪急 神戸三宮駅(2016.12.02)
今般、阪急の列車を多用したような感じだが、「梅田・三宮」で阪急の列車を利用してみた経過が無かったことに思い至り、“帰国”に向けて神戸空港へ移動する際にこの区間で阪急の列車に乗車してみることにした…
↓阪急の神戸三宮駅は、JR三ノ宮駅―JRの駅は何故か「三ノ宮」と“ノ”が入る…他の鉄道は「三宮」となっている…―と通路で結ばれた高架駅だった…
↑少し厳つい、金属のアーチ型支柱でホーム上の屋根を支えるようなデザインが記憶に残る…
大阪の梅田から“特急”に乗車したのだが、三宮まで「30分を切る」感じであり、「速い!」と思った…
↓この神戸三宮から先は、地下の区間に入り、各駅に停車しながら新開地駅を目指す…
車輛は7000系電車というモノで、1980(昭和55)年から1988(昭和63)年に製造されたという…210輛が製造されていて、阪急が最も多く保有している型であるようだ。
↓阪急の神戸三宮駅は、JR三ノ宮駅―JRの駅は何故か「三ノ宮」と“ノ”が入る…他の鉄道は「三宮」となっている…―と通路で結ばれた高架駅だった…
↑少し厳つい、金属のアーチ型支柱でホーム上の屋根を支えるようなデザインが記憶に残る…
大阪の梅田から“特急”に乗車したのだが、三宮まで「30分を切る」感じであり、「速い!」と思った…
↓この神戸三宮から先は、地下の区間に入り、各駅に停車しながら新開地駅を目指す…
車輛は7000系電車というモノで、1980(昭和55)年から1988(昭和63)年に製造されたという…210輛が製造されていて、阪急が最も多く保有している型であるようだ。
通天閣と<ルナパーク>の画(2016.12.01)
京都・嵐山:天龍寺の曹源池庭園(そうげんちていえん)(2016.11.29)
“紅葉シーズン”というようなことで、物凄い人出であった嵐山界隈だが…名刹天龍寺も多くの来訪者で溢れていた…
天龍寺の曹源池庭園(そうげんちていえん)…天龍寺を開いたという夢窓国師が築かせた庭を起源とするモノであるという…夢窓国師が活躍した時代と言えば、概ね700年も昔のことだ…拝観券を求めて入ってみた…
↓曹源池を囲むように、或いは池の中に色々と配して在って、境内の建物の中等から僧達が眺めて色々と考えを巡らせる…というようなことで築かれた庭園なのであろうと思いながら、池の辺りを歩き回った…
↑池には大きな鯉の群れが悠然と泳ぎ回っていた…
↓相当に永い間、大切に護られて来たであろう樹木や、手間を掛けて頻繁に整えているであろう砂地等、こういう庭では「全般の雰囲気」に加えて「ディーテール」にも強く惹かれる…
私自身を含む拝観者を受容れる遥か以前から、数え切れない程に多くの人達が眺めたであろう庭園…そんなモノに触れられたことが、少し嬉しかった…
天龍寺の曹源池庭園(そうげんちていえん)…天龍寺を開いたという夢窓国師が築かせた庭を起源とするモノであるという…夢窓国師が活躍した時代と言えば、概ね700年も昔のことだ…拝観券を求めて入ってみた…
↓曹源池を囲むように、或いは池の中に色々と配して在って、境内の建物の中等から僧達が眺めて色々と考えを巡らせる…というようなことで築かれた庭園なのであろうと思いながら、池の辺りを歩き回った…
↑池には大きな鯉の群れが悠然と泳ぎ回っていた…
↓相当に永い間、大切に護られて来たであろう樹木や、手間を掛けて頻繁に整えているであろう砂地等、こういう庭では「全般の雰囲気」に加えて「ディーテール」にも強く惹かれる…
私自身を含む拝観者を受容れる遥か以前から、数え切れない程に多くの人達が眺めたであろう庭園…そんなモノに触れられたことが、少し嬉しかった…
竹原:竹鶴夫妻の像(2016.11.23)
広島県竹原市には“町並み保存地区”が在り、地区内を散策するのはなかなかに愉しい…
↓竹原の“町並み保存地区”に、こんな銅像が在った。殆ど人物の実寸大と思える像だった…
↑これはこの竹原出身の竹鶴政孝翁とリタ夫人の像である…
竹鶴翁は、北海道の余市に在る<ニッカウヰスキー>を起こしたことで知られているが、この竹原で醸造業を営んでいた一家の生まれである。
大阪の学校で醸造に関することを学び、大阪の会社で働いていた時、当時は余り詳しく知られていなかった「本格的なウィスキー造り」を学ぶ機会を得てスコットランドに渡った。スコットランドでリタ夫人とも巡り合い、共に帰国する…
その後、現在も続くサントリーの山崎蒸留所を起こす仕事に携わり、10年程経たところで「スコットランドにより近い環境でウィスキー造りに勤しむ」という夢を追い求め、北海道の余市に自身の蒸留所を起こした。ウィスキーは最初の製品を送り出すまでに年月を要することから、竹鶴翁は余市で収穫されるリンゴを使ったジュースを製造販売しながらその年月を繋ぐことを構想し、<大日本果汁>という社名を掲げた。この“日”と“果”を取って「ニッカ」という略称が登場し、それがウィスキーのブランド名になって行くのだ…
北海道ではなかなかに有名な竹鶴翁に、御自身の故郷で出会うことが出来たのは、少し嬉しかった。しかも、深く愛し合っていたという、リタ夫人と一緒の姿である。リタ夫人は竹鶴翁よりも先に他界してしまったが、竹鶴翁は「自分がリタに無用な苦労を掛けてしまったから先に逝ってしまった」と随分深く悲しんでいたと伝えられているそうだ…
↓竹原の“町並み保存地区”に、こんな銅像が在った。殆ど人物の実寸大と思える像だった…
↑これはこの竹原出身の竹鶴政孝翁とリタ夫人の像である…
竹鶴翁は、北海道の余市に在る<ニッカウヰスキー>を起こしたことで知られているが、この竹原で醸造業を営んでいた一家の生まれである。
大阪の学校で醸造に関することを学び、大阪の会社で働いていた時、当時は余り詳しく知られていなかった「本格的なウィスキー造り」を学ぶ機会を得てスコットランドに渡った。スコットランドでリタ夫人とも巡り合い、共に帰国する…
その後、現在も続くサントリーの山崎蒸留所を起こす仕事に携わり、10年程経たところで「スコットランドにより近い環境でウィスキー造りに勤しむ」という夢を追い求め、北海道の余市に自身の蒸留所を起こした。ウィスキーは最初の製品を送り出すまでに年月を要することから、竹鶴翁は余市で収穫されるリンゴを使ったジュースを製造販売しながらその年月を繋ぐことを構想し、<大日本果汁>という社名を掲げた。この“日”と“果”を取って「ニッカ」という略称が登場し、それがウィスキーのブランド名になって行くのだ…
北海道ではなかなかに有名な竹鶴翁に、御自身の故郷で出会うことが出来たのは、少し嬉しかった。しかも、深く愛し合っていたという、リタ夫人と一緒の姿である。リタ夫人は竹鶴翁よりも先に他界してしまったが、竹鶴翁は「自分がリタに無用な苦労を掛けてしまったから先に逝ってしまった」と随分深く悲しんでいたと伝えられているそうだ…
未だ暗い西明石駅(2016.11.22)
「神戸市内 >> 福岡市内」の乗車券を手に、神戸の元町駅を早朝に出発した。日出が遅いこの時季…最初の乗換となった西明石駅も、早朝と言うよりも「夜の残滓」という空気感が色濃かった…
↓西明石駅には、一寸昔風な跨線橋が在って、ホームからホームの移動は階段を上がって橋を渡る。その際にこういう具合に、停車中の列車が綺麗に視える。意外に好きな光景だ…
↑左側が神戸から乗って来た列車で、早速大阪府の北寄りに位置する高槻市駅を目指して折り返すために乗客を迎え始めている…右側の列車は…正直、よく知らない行先のようだった…
私自身はここから画の右側へ更に進み、別のホームに下りて更に西を目指して進み続けた…
何か、朝のこういう暗めな時間帯には「これから始まる忙しい朝の予兆」といでも言うような、名状し悪い空気感が漂うものだ…
↓西明石駅には、一寸昔風な跨線橋が在って、ホームからホームの移動は階段を上がって橋を渡る。その際にこういう具合に、停車中の列車が綺麗に視える。意外に好きな光景だ…
↑左側が神戸から乗って来た列車で、早速大阪府の北寄りに位置する高槻市駅を目指して折り返すために乗客を迎え始めている…右側の列車は…正直、よく知らない行先のようだった…
私自身はここから画の右側へ更に進み、別のホームに下りて更に西を目指して進み続けた…
何か、朝のこういう暗めな時間帯には「これから始まる忙しい朝の予兆」といでも言うような、名状し悪い空気感が漂うものだ…