広島県竹原市には“町並み保存地区”が在り、地区内を散策するのはなかなかに愉しい…
↓竹原の“町並み保存地区”に、こんな銅像が在った。殆ど人物の実寸大と思える像だった…

↑これはこの竹原出身の竹鶴政孝翁とリタ夫人の像である…
竹鶴翁は、北海道の余市に在る<ニッカウヰスキー>を起こしたことで知られているが、この竹原で醸造業を営んでいた一家の生まれである。
大阪の学校で醸造に関することを学び、大阪の会社で働いていた時、当時は余り詳しく知られていなかった「本格的なウィスキー造り」を学ぶ機会を得てスコットランドに渡った。スコットランドでリタ夫人とも巡り合い、共に帰国する…
その後、現在も続くサントリーの山崎蒸留所を起こす仕事に携わり、10年程経たところで「スコットランドにより近い環境でウィスキー造りに勤しむ」という夢を追い求め、北海道の余市に自身の蒸留所を起こした。ウィスキーは最初の製品を送り出すまでに年月を要することから、竹鶴翁は余市で収穫されるリンゴを使ったジュースを製造販売しながらその年月を繋ぐことを構想し、<大日本果汁>という社名を掲げた。この“日”と“果”を取って「ニッカ」という略称が登場し、それがウィスキーのブランド名になって行くのだ…
北海道ではなかなかに有名な竹鶴翁に、御自身の故郷で出会うことが出来たのは、少し嬉しかった。しかも、深く愛し合っていたという、リタ夫人と一緒の姿である。リタ夫人は竹鶴翁よりも先に他界してしまったが、竹鶴翁は「自分がリタに無用な苦労を掛けてしまったから先に逝ってしまった」と随分深く悲しんでいたと伝えられているそうだ…