↓大阪の北浜に、こういう石柱が建っている。

↑江戸時代末期の医師、緒方洪庵が寝起きし、<適塾>を営んでいたという建物の脇に在る石柱だ…
幕末辺りに活躍した人物に関して語られる中で、「大坂の適塾に学ぶ」という話題を視掛けることが存外に頻繁に在る…「どういう場所??」と好奇心を抱くようになっていた。そこで、大阪市営地下鉄の1日乗車券を手に方々を巡った中で「一寸立寄ってみる…」ということにしたのだ…
北浜駅辺りで案内図を視て、「あの辺り?」と辿り着いたのは<愛珠幼稚園>だったが、その「建物の裏辺り」というような間近な場所に、上記写真の石柱も在る緒方洪庵の住宅兼<適塾>が在る…
↓「これか…」と辿り着いて、最初に視たのは建物の横の側だった…

↑建物の雰囲気は、正しく<大阪くらしの今昔館>に再現されている、天保年間辺りの建物を想起させる感じだった…
この建物と小さな庭を“借景”とするかのように、「オフィス街のオアシス」という感じな小さな都市緑地風な場所が在る…
↓その小さな緑地的な辺りに、緒方洪庵の像が在る。書物を開いて、門弟たちに何かを語り掛けるような雰囲気で、ほぼ等身大だ…多くの優秀な門弟を送り出したという人物なので、こういう雰囲気の像は非常に好ましいと思った…

↑当時は群を抜いてオランダ語に通じていて、医師としては種痘の研究を手掛けていたという緒方洪庵である。学習態度や生活態度が好くない門弟については問答無用で追放するような厳しい一面を見せたというが、普段は声を荒げるようなこともなく、温厚な印象を与える人物だったという。そんな雰囲気が出ている像だ…
↓正面を視ると、存外に広くない間口に、少々驚いた…

↑江戸時代位まで、或いは更に時代が下ったモノにも在るのだろうが、古い家屋には「間口を狭く、奥行きを長く」という傾向が在るような感じがする…この緒方洪庵の家も例に漏れないかもしれない…
↓緒方洪庵の像が在る側の反対側の様子だ…

↑奥の方にビルが視えるが、本当に「古くからの大阪のビジネス街」という雰囲気の場所に“オアシス”のように史蹟である江戸時代の家屋が在る場所だ…
かの1万円紙幣に肖像画が在る福澤諭吉や、箱館に至るまで戦い続けて、明治期には外交官も務めた大鳥圭介、医師として名を成した高松凌雲、箱館五稜郭の設計者の武田斐三郎、佐賀で活躍して後年は赤十字社を起こした佐野常民、戊辰戦争で活躍した大村益次郎や、安政の大獄に斃れた橋本佐内…幕末から明治の歴史で名前を聞いたことが在る多くの人達が学んだ場所…ここを訪ねて「何をする」というのでもないが、“時代”を駆け抜けた様々な人達のことに想いを巡らせ、何となくゆったりと過ごした…
地味な史蹟かもしれないが、雰囲気が非常に気に入った!機会が在れば再訪したい…