ユジノサハリンスクのA.S.プーシキン像(2017.04.30)

映画を観て、劇中に登場するプーシキンに親近感を抱いたのだったが、<スクウェル・プーシキナ>(プーシキン広場)と称する都市緑地―近くに同名のバス停も在る…―がユジノサハリンスクに在ったことを思い出し、近くを通り掛かった折に立寄ってみた。

↓こういう具合に、プーシキンが座っていた…
A.S.Pushkin at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 30, 2017 (2)

↓1999年に出来上がった像だという…
A.S.Pushkin at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 30, 2017 (3)
↑概ね、実際の人間位の大きさの像だ…

プーシキンの時代…サハリンの方では、ロシアの人達の活動が盛んになって行くには少し待たなければならないような時代に相当するのだが…それでも、足跡を残したでもないプーシキンの像が出来るというのは、「国の文化史を代表するような文学者」として敬愛されているからなのであろう…

写真を撮って、この像を眺めながら…「多分、プーシキンさん御自身は存在さえ知らなかったであろう、遠い東の果ての国の小さな町で、あなたが生まれた170年位後の同じ日に産れたモノ好きが、あなたが足跡を残した筈も無い島に在るあなたの像に会いに来ました…」等と考えてしまった…そうしていると「とりあえず、よく私に会いに来てくれた!」と像が微笑んでくれたような気がした…

Белка(ビェルカ)=リス(2017.04.29)

「森の散策路」という趣の場所が在るガガーリン公園…街の人達は単純に「Парк(パルク)」と呼ぶことも多い。

日本国内であれば「〇〇公園」とでも看板が出ていそうな都市緑地のようなモノは多々在るユジノサハリンスク市内だが、そうした場所は「Сквер XX(スクウェル XX)」等と呼び習わされていて、“公園”の「Парк(パルク)」とは名乗っていない。故に「Парк(パルク)」と言えばガガーリン公園なのである…

そのガガーリン公園の散策路を歩いていると、木の辺りに何かが素早く動く気配を感じる…

↓リスだ!
at the Park, Yuzhno-Sakhalinsk on APR 29, 2017 (2)
↑小さな身体で目まぐるしく動く動物である…

↓ここでは二匹が動き回っていた…
at the Park, Yuzhno-Sakhalinsk on APR 29, 2017 (1)
↑ビルの壁を自在に動く“スパイダーマン”のように、素早く樹上で上や下に自在に動き回る様が面白かった…

↓地上でも動き回る…
at the Park, Yuzhno-Sakhalinsk on APR 29, 2017 (5)

↓地上に居たのかと思えば、物凄い勢いで木の上に去った…
at the Park, Yuzhno-Sakhalinsk on APR 29, 2017 (6)

「ガガーリン公園でリスを視掛ける…」というのは然程珍しいことでもないらしい…稚内公演のように鹿が登場することは無いらしいが…

ロシアの目覚まし時計<Восток>(ヴォストーク)(2017.04.28)

ここまでのサハリン滞在で、特段に「朝寝坊」のような状況は発生していない。寧ろ「早寝早起き」な感じなのだが…それでも、何となく「使い易い目覚まし時計」を部屋に置いておきたくなった。

↓見付けて来たのはこういう目覚まし時計…ロシアの<Восток>(ヴォストーク)という会社の製品だ…酷くデザインに惹かれた!!
my clock or Russian 'VOSTOK' on APR 28, 2017 (3)
↑電池で動く、何の変哲もない古風な目覚まし時計だ…

画では時計は「7時頃」だが…これは「午後7時頃」である…「稚内では午後5時頃」というような光線の加減になる…

レーニン通の<サハリン>という百貨店のテナントに時計店が在り、その片隅に在ったのを見付けて、気に入ったので求めた。1800ルーブル…自身では「こんな感じの価格?酷く気に入ったので納得…」と思ったが、或いは「やや高い?」のかもしれない…もっと安価な目覚まし時計も幾分見受けられたからだ…

それにしても、「ロシアで過ごしている時間を、ロシアの時計が刻んでいる」という按配で、これを自室に置いて何時も使うことにしてみた。

“警察仕様”な作業服(2017.04.28)

↓以前にも利用したことが在る店―店の方が私を覚えていた!!―で、「その辺で一寸着るモノ…」と思い付いて求めた…「薄い上着」というのか「シャツ感覚」というのか、出番が多そうな感じのモノだ…
my jacket on APR 28, 2017
↑蒼系迷彩柄の作業服…随分と活躍しそうな衣類である…前はファスナーで閉まる型だ…

“警察仕様”または“軍仕様”のような服だが、その辺で色々な作業をしている人達も、こういうような服を着用していた。要は“警察仕様”のようなモノが「使い易い」ということなのであろう…

<モビーリナヤ・カフェーイニャ>(мобильная кофейня)(2017.04.27)

↓ユジノサハリンスク市内の、通り過ぎる機会が多い場所である…
in morning on APR 27, 2017 (1)
↑パラソルまで立てて、何時も同じような場所に駐車している車輛…視ていて「不思議だ?」と思っていたのだが、これは「珈琲を売る車」だった…

<モビーリナヤ・カフェーイニャ>(мобильная кофейня)という名が付いている。「モビーリナヤ」(мобильная)は「移動可能」という「モバイル」から来ている形容詞で、「カフェーイニャ」(кофейня)は「珈琲店」とか「喫茶店」という意味で用いられている語である。

先客が途切れたところで、“店”を営む青年に声を掛け、珈琲をお願いした。そして「何時も、ここでコーヒーを売っていますよね?」と青年に話し掛けてみた。

何度か視掛けて興味を持ったので、今朝は一寸試してみようと、コーヒーをお願いしたと言えば、青年は「平日はここで、休日はガガーリン公園等に行ってコーヒーを売っている」と言っていた。

「毎日、何杯位のコーヒーを用意しているのですか?」と尋ねれば、「うーん…考えたことがないけれど…お天気次第で、道行く人達の気分次第だから…」ということだった。確かにそのとおりだが、多分、沢山売れる日と、残念ながら余り売れない日の落差が大きいのだと想像した。

「フシェヴォ― ドーブロヴォ!」(Всего доброго!)(ごきげんよう!)という青年の挨拶に頷いて、その場を去った…

↓求めた珈琲がこれである…
in morning on APR 27, 2017 (2)
↑<モビーリナヤ・カフェーイニャ>(мобильная кофейня)というロゴが刷り込まれたカップが使用されている…

ユジノサハリンスクでは、何時の間にか「珈琲を求められる場所」が凄く増えた…珈琲好きにとっては好都合だ…

巨大なレーニン像(2017.04.26)

↓ユジノサハリンスク都心で最も目立つモノの一つのような気がする。
Yuzhno-Sakhalinsk in evening on APR 26, 2017 (10)
↑高さが9mも在ると聞く…3階建てとか4階建ての建物に比肩するような高さだ。随分以前に、どなたかが「“ガンダム”の半分」と言っていたが…アニメに登場するメカか何かのような、「些か現実感を欠く?」とまで思える大きさだ…

↓時々、像の背後の空に旅客機の姿を視掛ける…
Yuzhno-Sakhalinsk in evening on APR 26, 2017 (6)
↑飛行機が視えている画の左側を進んで行くと、街の南西寄りに相当し、その辺りに空港が在る…

↓午後8時前の時間帯だが、この時間帯にはレーニンの「背中」側から陽の光が射す。
Yuzhno-Sakhalinsk in evening on APR 26, 2017 (11)
↑レーニンは陽が上る東側を向いて佇んでいる。

この像を視ると「何処かの渋くスタイルが好い俳優さんのような…」と何時も思う…

ユジノサハリンスクからホルムスクへの道(2017.04.25)

↓ユジノサハリンスクの都心部から、北西方向に延びる道路を進んで郊外へ…日本海側へ通じる道路だ…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (6)
↑画の「〇に70」は制限速度で、時速70㎞だ。速度違反の取り締まりも在るのだというが、運転手さんによれば、「“標識表示+20km”まではセーフ。“標識表示+21km以上”はアウト」なのだそうだ。こういう郊外の道路では「飛ばす」運転手が多いように見える…

↓やがて道は、日本海岸のホルムスクへ向かう方と、少し南のネベリスクへ向かう方とに分岐する…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (7)
↑画の右側に案内表示の看板が在る…

↓ホルムスク港からユジノサハリンスクへの幹線なので、大型トラック等も通行し易いように整備された経過が在ると聞く道路だ…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (22)
↑実際に大型トラックと擦れ違うことも在った…

↓オートバイも現れた…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (23)
↑既に前週の積雪も全く気にならなくなっていて、オートバイの走行にも何ら不都合は無い…

↓何処となく…稚内から内陸を通って名寄を経て旭川へ至る<国道40号>の、「名寄以北の区間」を想い起す…勿論、北海道の「車輛は左側通行」に対して、サハリンは「右側通行」なのは違いだが…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (34)
↑実際、サハリンの方と同乗して<国道40号>を車で移動した時、「何かユジノサハリンスク・ホルムスク間の道路のような?」と仰っていた…

↓ホルムスクの街が近い辺りで、少し高い丘の上に道路が敷設された箇所が在り、「丘の道路の向こうに日本海が霞む」という区間が在る…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (42)
↑ここが好い!

↓「大造りな螺旋階段」という風の、地形を縫って何回も曲がりながら上り下りする区間を経て、やがてホルムスクの街へ至る…
road on island - Yuzhno-Sakhalinsk to Kholmsk on APR 26, 2017 (44)

ユジノサハリンスク・ホルムスク間…概ね2時間という按配の行程だ。寧ろ、写真の街道に繋がるユジノサハリンスク市内の道路が混み合う場合が多く、多少余計な時間を要する場合も在る…

「遠くに海!」とか、「曲りくねった坂」等、何となく記憶に残り易い道路だ…

ユジノサハリンスクからコルサコフへの道(2017.04.21)

↓ユジノサハリンスク・コルサコフ間…通行量が比較的多い道路だ…
Road between Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on APR 21, 2017 (1)
↑この区間は、コルサコフからサハリン島のやや東寄りで北へ延びて最北部のオハに至る“縦断道路”の一部と位置付けられる区間なのだそうだ…

↓海が視える区間が在り、「港町へ!」と実感する…
Road between Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on APR 21, 2017 (6)

↓適当に上り下りが在る区間が続く…
Road between Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on APR 21, 2017 (12)
↑北海道内の北寄りな方の、海岸部辺りの道路の雰囲気に、この辺りの道路が妙に似ていると思った…

↓やがて道はコルサコフに至る…
Road between Yuzhno-Sakhalinsk and Korsakov on APR 21, 2017 (14)

「海の玄関」であるコルサコフとユジノサハリンスクとを往来する道路…両市の間は“小一時間”なので、日常的な往来が多目な区間でもあるようだ。

夕刻の「復活主教座聖堂」(ユジノサハリンスク)(2017.04.24)

稚内で「午後6時前後」が日没で在るような時季、ユジノサハリンスクでは「午後8時前後」が日没である…

午後6時台…「マダマダ明るい…」感じな中でビールを頂き、少し経ってから何となく戸外へ出ると、沈みかかった夕陽が放つ光線が射し込み、風情溢れる光景が視られる…

↓教会は、金色の部分が輝き、少し神秘的な空気感を放っていた…
Yuzhno-Sakhalinsk in evening on APR 24, 2017 (14)

↓数分間、辺りで建物を眺めたが、それだけでも光線の関係で何やらドラマチックに雰囲気が変わった…
Yuzhno-Sakhalinsk in evening on APR 24, 2017 (12)

↓こういう「ディーテール」が、何となく好い!
Yuzhno-Sakhalinsk in evening on APR 24, 2017 (13)

この「復活主教座聖堂」は「酷くロシア風な感じな建物」として、「サハリンを紹介」という場面でよく登場していたが…画になる…

ユジノサハリンスク市内の路線バス(2017.04.23)

↓「市内区間 一律20ルーブル」の路線バスは、なかなか使い易い…
Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (3)
↑運行系統番号や主な行先が電光表示されるようになっているバス…2年程前から登場した、新しめな車輛なのだそうだ…

こういうバスにも何度か乗車したが、①乗車時に運転士さんに20ルーブルを渡す、②乗っている車掌さんに20ルーブルを渡す、③下車時に運転士さんに20ルーブルを渡す、と3パターンに出くわした。①が最も多いように思った。乗車する際は、20ルーブルを直ぐ払えるように持って、バスを待っていれば間違いない…

路線バスに関しては、運行系統の番号を挙げて「〇番のバス」と呼び習わしている。写真のバスは「63番」で、ユジノサハリンスクの都心部寄りから空港辺りまでの路線。空港から市内を目指す場合にも用いることが出来る。そして、<シティーモール>という大型商業施設の辺りへ向かう場合にも使い易い…

サハリン州郷土博物館(2017.04.22)

視ると「〇〇へやって来た!」と妙に納得する「個性的な建物」というモノが在る場所は多いと思うのだが…

↓ユジノサハリンスクでは「これ!」だと思う…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (14)
↑「樺太時代」の1937年に完成した建物…サハリン州郷土博物館である。

滞在している宿から簡単に行ける場所なのだが…「季節外れな感じの雪」で歩き悪いというような状況や、色々と時間を取られたことが在って、月曜日の夜に到着後、土曜日の早朝に至って漸く眺めに行くことが叶った…

↓コンクリート造の建築に、瓦の屋根を組合わせるという、1930年代に一部で流行ったと伝えられる“帝冠様式”の建物だ…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (19)

↓この博物館は「建物そのもの」が歴史を伝える“重要展示”のような趣だが…建物の周囲にも色々な屋外展示が見受けられる…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (18)
↑手前の大砲は20世紀の初めの方で使用されたような様式のモノで、日露戦争でもこの種の大砲が使われている…

この場所!ユジノサハリンスクの「気に入っている場所」の一つだ。そして、これを眺めて「ユジノサハリンスクへやって来た!」と納得出来た…

アイスホッケーをプレイする少年達(2017.04.23)

「日曜日に<アリーナ・シティー>(АРЕНА СИТИ)でアイスホッケーの試合をやっている」と聞き、一寸足を運んでみた。

ユジノサハリンスクでは、アイスホッケーの試合が開催可能な場所が2箇所在る。“公設施設”という感じの<クリスタル>と、大型ショッピングモールの傍に在る“民営”という感じの<アリーナ・シティー>だ。或いは、街の人口規模として20万人程度で、所謂“商圏規模”としては30万人程度というような地域で、“アイスアリーナ”が2つというのは、なかなかに凄い…

各々、アイスホッケーの試合が開催可能なアイスリンクを備えるが、館内は「多目的利用」が可能となっている。<アリーナ・シティー>に関しては、「サハリンにやって来る有名アーティストの公演会場」としても知られている。ユジノサハリンスク市内や近郊からの路線バスも多く在る他、広大な駐車場も在る場所だ…

↓場内で催されていた試合だ…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (27)
↑小学3年生位だろうか?少年達の試合だった…

↓大人の審判員が居て、少年たちがフェイスオフをしている場面だが、こうして視れば選手達が幼いことが判り易い。彼らが声を出した場面では、聞こえたのは“ボーイズソプラノ”だった…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (29)

これは<州知事杯 アイスホッケー大会>というもので、年代別に参加チームを募っていて試合が催されるものだ。観たのは「少年の部」で、写真の試合は多分“最年少”なカテゴリーだと思うのだが、計3試合をのんびりと観ていた…

↓少年のチームスポーツの試合では“力量”の差が歴然としてしまって、大きな点差が生じてしまう試合が見受けられるが、この試合は正しくそういうパターンだった…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (37)

場内には、出場している少年選手達の家族や、付き合いが在って本人達を知っている大人、或いは大人に連れられて来た幼い子ども達が見受けられ、声援を送っていた。各試合で応援する人達が入れ替わっていたが、中には「かなり目立つ…」程度に熱が入っている方も見受けられた。「少年スポーツの試合」というものは、何処でもそういうものかもしれない。

↓少し年上なカテゴリーの試合になると、選手達の動きは格段に好く、なかなかに迫力が在る感じだった…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (5)

「少年アイスホッケー」だが、成人の試合で20分間のピリオドが15分間になっている。例えば<アジアリーグ>の試合等では第1ピリオド終了後と第2ピリオド終了後に「整氷作業車」が現れて10分間から15分間程度の休憩が発生するが、「少年アイスホッケー」では「2分間の休憩」が取られ、特段に「整氷」はしていなかった。この日は「次々に試合」という具合だったので、試合と試合との間に「整氷」を行っていた…

↓試合の合間に、館内に設けられたスタンドで珈琲を求めて頂くというのも、意外に好い…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (11)

もしかすると…ここでプレイしていた少年達の中から、「未来の名選手」が登場するかもしれない…そういうことも思ったが、家族等の応援を受けて、懸命に、溌溂とプレーしていた少年達の様子が、なかなかに好かった!

<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の屋根(2017.04.22)

2015年9月に<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の建設中な様子を視たが、2016年に竣工して開いたと聞いていた。

↓「クーポル」と呼ばれる屋根は、中央の金色のモノを囲むように青いモノが4つ据えられ、計5個が朝の光に輝く…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (48)
↑暫し見入ってしまった…

建物の周辺は、何やら周辺整備工事のようなモノが行われている様子だったので、「屋根のアップ」という写真にしてみた。

「レーニン生誕100年」の壁画が残る集合住宅(2017.04.22)

↓好天に誘われてユジノサハリンスク市内を歩いてみて見付けた…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (34)
↑建物の右側壁に「1870-1970」と在るのは、レーニンの生誕100年を記念するものなのだろう…集合住宅の建物だが、多分1970年頃のモノだ…

↓恐らく、1970年頃にはソ連全土の方々に、こういうレーニンの画が登場したことであろう…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (35)

樺太時代、ソ連時代、そして現在と、色々な時代のモノが混在しているのがユジノサハリンスクを歩き回ってみて面白い部分だ…

コルサコフ:G.I.ネヴェリスコイ提督銅像(2017.04.21)

↓<СКВЕР ВАККАНАЙ>(スクヴェル・ワッカナイ)=稚内広場にも近い辺りに、なかなかに立派な銅像が在る…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (7)
↑ロシアでは、サハリンでの様々な活動の端緒を拓く活躍が在った人物として知られるG.I.ネヴェリスコイ提督である…

コルサコフ市では、このネヴェリスコイ提督の率いる一隊が上陸し、現在のコルサコフ市内の一隅に<ムラヴィヨフスキー砦>を築いたという1853年―日本史では「黒船来航」の頃…―の故事をもって「建都」と位置付けている。

↓この銅像は、2013年に「建都150年記念」というようなことで設置されたモノだ…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (8)
↑コルサコフ市では「1853年建都」ということで「サハリンで最も古い街の一つ」と言っている。もっと、史跡等も紹介されるべきだと思うが…

ネヴェリスコイ提督の一隊がサハリンで活動したという故事の以前から、日本の人達はサハリンに多くの足跡を残している。幕末期にサハリンの帰属を巡って、ロシア側と日本の幕府側とがなかなか折り合わなかったのは、ネヴェリスコイ提督の一隊が活動という故事に因んで領有を主張するロシア側に対して、幕府側が「かなり以前からの日本人の足跡」を根拠に譲らなかったからであるのだという…

銅像一つから、色々と話しが拡がるものだ…

コルサコフ:<СКВЕР ВАККАНАЙ>(スクヴェル・ワッカナイ)=稚内広場(2017.04.21)

↓コルサコフ市内の公園の一画にこんなモノが据えられていた…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (6)
↑「コルサコフ・稚内(日本) 友好都市10年を記念して 2001年」と石板に刻まれている…

↓週の前半から半ばの「季節外れな雪」が中途半端に残り、マダマダ“早春”という風な公園である…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (5)

稚内市とコルサコフ市との友好都市提携は1991年に遡り、昨2016年は25年だった…

コルサコフの<СКВЕР ВАККАНАЙ>(スクヴェル・ワッカナイ)に対し、実は稚内にも<コルサコフ広場>というモノが在る…何れも、広く人口に膾炙しているのか否かはよく判らない…誰かが言及したのを聞いたという覚えが無いのだ…

稚内市とコルサコフ市との歴史的な関わりは深い…それに鑑みての友好都市提携だった…そうした歴史や、コルサコフのことに関しては、更に知ってみたい…

ネベリスク:広場の改修工事(2017.04.20)

↓ネベリスク地区行政府庁舎前からの眺めだ…
Nevelsk, Sakhalin on APR 20, 2017 (1)
↑正面に旧庁舎を改装したネベリスク郷土歴史博物館が在り、建物の前にレーニン像も在る。画面では切れてしまっているが、左側は文化センターだ…

御覧のとおりの広場なのだが、日本語の文字が在ることから、日本の何処かから持ち込まれた中古と見受けられる重機が動き、右側手前で測量のようなことをしている人達の姿が視える。作業をしている人達は、確り防寒作業服を着込んでいる。

この「街のメインの広場」のような場所だが、整備工事が始まった。数ヶ月間での竣工が目指されている。

ネベリスクは2007年の地震災害で大きな被害が生じて以来、順次「再建と整備」が進んでいる。“第1期”という感じの整備は、2011年頃までで、2011年には文化センターがオープンした。その翌年には新市庁舎、2014年には博物館だ。他にも色々だが…現在は“第2期”とか“第3期”という趣で、この広場の整備や、他に公園やスポーツ施設の整備計画が在るようだ。

ところで…レーニン像に関しては、広場の整備計画を練る中で「移転案」が有力であったようだが、「モニュメントは濫りに動かすものでもない」という話しになって、動かないことになったらしい。他所の事だが、2013年から2014年頃に広場を整備したコルサコフでは、レーニン像は“遷座”…動いていたが…長くない期間だが、“考え方”や“ルール”が変わったのかもしれない…

ユジノサハリンスクからネベリスクへの道路は整備が完了し、乗物での移動がスムースになっている。機会を見付けて、この広場の様子も見届けたいものだ…

軽い吹溜り…(2017.04.20)

↓早朝のユジノサハリンスク…
Yuzhno-Sakhalinsk in early morning on APR 20, 2017
↑既に「4月20日」なのである…4月18日夕方以降の雪…存外にしつこい…

雪がもっと少なくなって、「ベチャベチャ」が落ち着けば、もっと辺りを歩き回り易くなる筈なのだが…

Трасса "Огоньки - Невельск" (トラッサ “アゴニキ - ニェーヴェリスク”)(アゴニキ・ネベリスク線)(2017.04.20)

サハリンに「アゴニキ・ネベリスク線」という道路が在る。

ユジノサハリンスクから西側へ進み、西海岸のホルムスクへ向かう道路が分岐し、アゴニキという場所から山を越えて西海岸の南寄りに在るネベリスクに至る。

この道路は「険しい感じの峠道」という風情も在るのだが、何時から始まったのかが判らない位以前から“整備中”な状況が続いた。順次、道路の舗装が整うのだが、「不整地」としか呼びようの無い区間が交じっていて、ユジノサハリンスク・ネベリスク間は「3時間弱?」という感じだった。それでも「遠回りになるホルムスク経由よりは好いかもしれない」とこの道路を利用した。

ハッキリ言えば、“整備中”区間が目立つような頃にこの区間を移動する機会が多かったので、何か「ネベリスクは遠い」というイメージが拭えなかった。それが、整備が進む中で「2時間を少し超える程度の行程」という具合になって行き、終に昨年に「全区間の舗装工事が完了」という話しが伝わった…

↓これがその「アゴニキ・ネベリスク線」である…
'Ogonki-Nevelsk' road on APR 20, 2017 (1)
↑カーブ区間も随分と多く、上りも下りも様々な感じだ…

ここを通ってネベリスクに向かうことになった前々日から、ユジノサハリンスクでは「季節外れな感じながらも存外な雪」という状態で、「あの道路は、上り下りが雪や氷で気懸りな場合も在り、降雪が強めになると視界が悪い場合も在る」ということで、「少々早過ぎ…」な感じの時刻に出発したのだが、次第に天候は好転した。南サハリンに横たわる山地や、山肌の森が雪に染まっているような景色を愉しみ…或いは「車に乗っているだけ」の故に催す眠気に抗い切れなくなりながら進む…嘗ての“不整地”のような状態とは無縁なので、「すうーっ」という具合に車は走る…

↓走っている感じは北海道内と然程変わるでもない。道内の何処かを想い起すのだが…そういう想いから「サハリンの道路を移動中」という現実に引き戻されるのは「対向車が現れる場面」である。サハリンでは車輛は“右側通行”なのだ…
'Ogonki-Nevelsk' road on APR 20, 2017 (3)

↓こういう山間の様な場所を抜け切ると、平坦な場所になり、やがて日本海が視えるネベリスクの市街に到着する…
'Ogonki-Nevelsk' road on APR 20, 2017 (4)

ネベリスクが近付く辺りで時計に目を落とせば…「1時間半強!?」というような感じで、ネベリスク市街のやや狭い道に入り込んでいた…“昔”を想えば、移動所要時間は「半減!」である…

こうした道路整備で地域で最も多くの人工を擁するユジノサハリンスクとの往来がし易くなることを受け、ネベリスクでは「来訪者の増加」に期待を寄せているのだという。“観光振興”だ…当然ながら、サハリンではポピュラーな都市間バスも運行時間が縮減された筈で、手軽に向かうことが出来そうだ…

「4月19日」の雪景色:ユジノサハリンスク(2017.04.19)

↓「風雪が…」と戸外に出ることが憚られた夜が明けてみると…“冬”に戻っていた…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 19, 2017 (1)

↓順次除雪作業が進められている様子も伺えたが…足下が悪い中、そして少々雪も降り続ける中での朝だった…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 19, 2017 (2)

流石に「時季外れ!!」な感じの雪だった。「積雪期としては高めな気温帯」の故に、雪はベタベタに湿り、足下は滑り易かった…

“ルーブル”=ロシア通貨の現金(2017.04.18)

当面の飲物代や食事代に充てる現金を確保しようと、一寸銀行で両替した…

↓こういう按配な、ロシアの現金を入手した…何となくデザインが好い…
Russian money on APR 19, 2017 (2)
↑1,000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルの各紙幣に、10ルーブルの硬貨が…

12,000円分の日本円紙幣を銀行に持込み、窓口でお願いをした…直ぐに係の人が計算して、現金とレシートが出る。何か、日本国内の銀行での外貨両替よりも「カジュアル」な感じがする…ただ、窓口は「現金出納扱い専用」の奥まった壁で囲われた場所だが…

この日は「100円=49ルーブル」ということで、12,000円は5,880ルーブルということになった。1ルーブルが2円余りという感じか…

珈琲とチーズケーキ:ユジノサハリンスク(2017.04.18)

↓サハリンのベーカリーカフェのチェーン店で頂ける!甘過ぎないチーズケーキと珈琲の組み合わせ…2015年9月以来だったが…健在だった!
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 18, 2017 (2)
↑現在、この組み合わせで254ルーブルだった…以前から「“500円ワンコイン”の珈琲とケーキのセット」という感覚で愉しんでいたが、為替レートなどが変わっていても、そういう感覚に余り変わりは無い…

↓甘過ぎないチーズケーキに、チョコレートが飾られているのだが、味の組み合わせも秀逸だと思う!
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 18, 2017 (3)

↓このお店で朝の一寸した時間に頂いた…
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 18, 2017 (1)
↑レーニン通に面した辺りの店だ…今回は極短い時間居ただけだったが、入れ替わりに色々な人達が出入りしていた…

これから…立ち寄り機会が増えそうだ…

チェーホフによる『サハリン島』の事績を伝えるモニュメント(2017.04.18)

「雪が交る」との気象情報も在る肌寒いユジノサハリンスク…結局、日中は単に肌寒い曇天だったが、夕方近くになって雨が少し強く降り、やがて雪が交り始めた…

「雪が交る」ようになるずうっと以前の朝…滞在先の宿から、用事が在る辺りまでゆったりと歩いた。

ミール通とコムニスチーチェスキー通とが交差するような辺りは、<A.P.チェーホフ『サハリン島』文学記念館>(チェーホフ記念館)や<A.P.チェーホフ記念サハリン国際劇場センター>(チェーホフ劇場)が在り、辺りが都市公園のように整備されている。大きな通りが交差する辺りを「斜めに横切る」感じの「一寸だけ近道…」のようにも思える歩き易い場所だ。ここを通ってみた…

↓チェーホフ記念館の目の前…「こんなモノ?在ったか?」と思った…何時の間にか出来ていた代物である。
A.P.Chekhov's monument on APR 18, 2017 (1)
↑視たとおり“本”をイメージしたモニュメントだが、左側に『サハリン島』と在る。モニュメントの形状は「本を開いた様子」だが、『サハリン島』と在る左側の頁は、ロシアで視掛ける本の“表紙”風の体裁である。

チェーホフは1860年生まれで1904年に他界している。日本史で言えば、「桜田門外の変」の年に生まれ、「日露戦争」開戦の年に逝去したことになる。この彼が30歳であった1890年、彼はサハリンを訪ねている。

1890年のサハリンにやって来たチェーホフは約3ヶ月間滞在し、その様子を徹底的に調査した。それに依拠するルポルタージュ、ノンフィクションという感の作品を纏め、1895年に『サハリン島』として発表し、なかなかに話題になった経過が在る。

チェーホフは劇作家として、世界的に高名な文学者となって行く訳だが…その世界的に高名な、ロシアを代表する作家の一人でもある彼が「実際に訪ねている」という経過から、サハリンではチェーホフは敬愛されている感でもある。

↓右側の頁…「著名な劇作家」としてよく出て来る晩年近くの肖像ではなく、サハリンを訪ねて『サハリン島』に取組んでいた30歳代をイメージした画になっている…
A.P.Chekhov's monument on APR 18, 2017 (2)

↓このページに在る文章…拙訳であるが…

地方は未だ若い…

人々の仕事と過去に於ける献身は大なるものが在ったが、

それでもこれは未だ始りに過ぎず、

未来に在っては少なからぬ佳きもの、そして興味深い役目が在る筈だ…

A.P.チェーホフ(署名)


↑何か…「深い含蓄」を感じる…

チェーホフが足跡を記した頃…「流刑の地」で、“開拓”の途上のような感も漂う地域だった筈だ…そこに「一定の大きな達成」を視て、同時に「大きな可能性」をも観ている…

それにしても…何時でも「未だ始りに過ぎない」(это еще только начало)(エタ イェショ トリカ ナチャーラ)と言えるような感じ…何となく好いと思う…

或いはサハリンは、この時のチェーホフの観方を遥かに超える“可能性”を見出して「未来」へ向かおうとしているのかもしれない…