サハリン州郷土博物館(2017.04.22)

視ると「〇〇へやって来た!」と妙に納得する「個性的な建物」というモノが在る場所は多いと思うのだが…

↓ユジノサハリンスクでは「これ!」だと思う…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (14)
↑「樺太時代」の1937年に完成した建物…サハリン州郷土博物館である。

滞在している宿から簡単に行ける場所なのだが…「季節外れな感じの雪」で歩き悪いというような状況や、色々と時間を取られたことが在って、月曜日の夜に到着後、土曜日の早朝に至って漸く眺めに行くことが叶った…

↓コンクリート造の建築に、瓦の屋根を組合わせるという、1930年代に一部で流行ったと伝えられる“帝冠様式”の建物だ…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (19)

↓この博物館は「建物そのもの」が歴史を伝える“重要展示”のような趣だが…建物の周囲にも色々な屋外展示が見受けられる…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (18)
↑手前の大砲は20世紀の初めの方で使用されたような様式のモノで、日露戦争でもこの種の大砲が使われている…

この場所!ユジノサハリンスクの「気に入っている場所」の一つだ。そして、これを眺めて「ユジノサハリンスクへやって来た!」と納得出来た…

アイスホッケーをプレイする少年達(2017.04.23)

「日曜日に<アリーナ・シティー>(АРЕНА СИТИ)でアイスホッケーの試合をやっている」と聞き、一寸足を運んでみた。

ユジノサハリンスクでは、アイスホッケーの試合が開催可能な場所が2箇所在る。“公設施設”という感じの<クリスタル>と、大型ショッピングモールの傍に在る“民営”という感じの<アリーナ・シティー>だ。或いは、街の人口規模として20万人程度で、所謂“商圏規模”としては30万人程度というような地域で、“アイスアリーナ”が2つというのは、なかなかに凄い…

各々、アイスホッケーの試合が開催可能なアイスリンクを備えるが、館内は「多目的利用」が可能となっている。<アリーナ・シティー>に関しては、「サハリンにやって来る有名アーティストの公演会場」としても知られている。ユジノサハリンスク市内や近郊からの路線バスも多く在る他、広大な駐車場も在る場所だ…

↓場内で催されていた試合だ…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (27)
↑小学3年生位だろうか?少年達の試合だった…

↓大人の審判員が居て、少年たちがフェイスオフをしている場面だが、こうして視れば選手達が幼いことが判り易い。彼らが声を出した場面では、聞こえたのは“ボーイズソプラノ”だった…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (29)

これは<州知事杯 アイスホッケー大会>というもので、年代別に参加チームを募っていて試合が催されるものだ。観たのは「少年の部」で、写真の試合は多分“最年少”なカテゴリーだと思うのだが、計3試合をのんびりと観ていた…

↓少年のチームスポーツの試合では“力量”の差が歴然としてしまって、大きな点差が生じてしまう試合が見受けられるが、この試合は正しくそういうパターンだった…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (37)

場内には、出場している少年選手達の家族や、付き合いが在って本人達を知っている大人、或いは大人に連れられて来た幼い子ども達が見受けられ、声援を送っていた。各試合で応援する人達が入れ替わっていたが、中には「かなり目立つ…」程度に熱が入っている方も見受けられた。「少年スポーツの試合」というものは、何処でもそういうものかもしれない。

↓少し年上なカテゴリーの試合になると、選手達の動きは格段に好く、なかなかに迫力が在る感じだった…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (5)

「少年アイスホッケー」だが、成人の試合で20分間のピリオドが15分間になっている。例えば<アジアリーグ>の試合等では第1ピリオド終了後と第2ピリオド終了後に「整氷作業車」が現れて10分間から15分間程度の休憩が発生するが、「少年アイスホッケー」では「2分間の休憩」が取られ、特段に「整氷」はしていなかった。この日は「次々に試合」という具合だったので、試合と試合との間に「整氷」を行っていた…

↓試合の合間に、館内に設けられたスタンドで珈琲を求めて頂くというのも、意外に好い…
at 'ARENA CITI', Yuzhno-Sakhalinsk on APR 23, 2017 (11)

もしかすると…ここでプレイしていた少年達の中から、「未来の名選手」が登場するかもしれない…そういうことも思ったが、家族等の応援を受けて、懸命に、溌溂とプレーしていた少年達の様子が、なかなかに好かった!

<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の屋根(2017.04.22)

2015年9月に<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の建設中な様子を視たが、2016年に竣工して開いたと聞いていた。

↓「クーポル」と呼ばれる屋根は、中央の金色のモノを囲むように青いモノが4つ据えられ、計5個が朝の光に輝く…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (48)
↑暫し見入ってしまった…

建物の周辺は、何やら周辺整備工事のようなモノが行われている様子だったので、「屋根のアップ」という写真にしてみた。

「レーニン生誕100年」の壁画が残る集合住宅(2017.04.22)

↓好天に誘われてユジノサハリンスク市内を歩いてみて見付けた…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (34)
↑建物の右側壁に「1870-1970」と在るのは、レーニンの生誕100年を記念するものなのだろう…集合住宅の建物だが、多分1970年頃のモノだ…

↓恐らく、1970年頃にはソ連全土の方々に、こういうレーニンの画が登場したことであろう…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 22, 2017 (35)

樺太時代、ソ連時代、そして現在と、色々な時代のモノが混在しているのがユジノサハリンスクを歩き回ってみて面白い部分だ…

コルサコフ:G.I.ネヴェリスコイ提督銅像(2017.04.21)

↓<СКВЕР ВАККАНАЙ>(スクヴェル・ワッカナイ)=稚内広場にも近い辺りに、なかなかに立派な銅像が在る…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (7)
↑ロシアでは、サハリンでの様々な活動の端緒を拓く活躍が在った人物として知られるG.I.ネヴェリスコイ提督である…

コルサコフ市では、このネヴェリスコイ提督の率いる一隊が上陸し、現在のコルサコフ市内の一隅に<ムラヴィヨフスキー砦>を築いたという1853年―日本史では「黒船来航」の頃…―の故事をもって「建都」と位置付けている。

↓この銅像は、2013年に「建都150年記念」というようなことで設置されたモノだ…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (8)
↑コルサコフ市では「1853年建都」ということで「サハリンで最も古い街の一つ」と言っている。もっと、史跡等も紹介されるべきだと思うが…

ネヴェリスコイ提督の一隊がサハリンで活動したという故事の以前から、日本の人達はサハリンに多くの足跡を残している。幕末期にサハリンの帰属を巡って、ロシア側と日本の幕府側とがなかなか折り合わなかったのは、ネヴェリスコイ提督の一隊が活動という故事に因んで領有を主張するロシア側に対して、幕府側が「かなり以前からの日本人の足跡」を根拠に譲らなかったからであるのだという…

銅像一つから、色々と話しが拡がるものだ…

コルサコフ:<СКВЕР ВАККАНАЙ>(スクヴェル・ワッカナイ)=稚内広場(2017.04.21)

↓コルサコフ市内の公園の一画にこんなモノが据えられていた…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (6)
↑「コルサコフ・稚内(日本) 友好都市10年を記念して 2001年」と石板に刻まれている…

↓週の前半から半ばの「季節外れな雪」が中途半端に残り、マダマダ“早春”という風な公園である…
Korsakov, Sakhalin on APR 21, 2017 (5)

稚内市とコルサコフ市との友好都市提携は1991年に遡り、昨2016年は25年だった…

コルサコフの<СКВЕР ВАККАНАЙ>(スクヴェル・ワッカナイ)に対し、実は稚内にも<コルサコフ広場>というモノが在る…何れも、広く人口に膾炙しているのか否かはよく判らない…誰かが言及したのを聞いたという覚えが無いのだ…

稚内市とコルサコフ市との歴史的な関わりは深い…それに鑑みての友好都市提携だった…そうした歴史や、コルサコフのことに関しては、更に知ってみたい…

ネベリスク:広場の改修工事(2017.04.20)

↓ネベリスク地区行政府庁舎前からの眺めだ…
Nevelsk, Sakhalin on APR 20, 2017 (1)
↑正面に旧庁舎を改装したネベリスク郷土歴史博物館が在り、建物の前にレーニン像も在る。画面では切れてしまっているが、左側は文化センターだ…

御覧のとおりの広場なのだが、日本語の文字が在ることから、日本の何処かから持ち込まれた中古と見受けられる重機が動き、右側手前で測量のようなことをしている人達の姿が視える。作業をしている人達は、確り防寒作業服を着込んでいる。

この「街のメインの広場」のような場所だが、整備工事が始まった。数ヶ月間での竣工が目指されている。

ネベリスクは2007年の地震災害で大きな被害が生じて以来、順次「再建と整備」が進んでいる。“第1期”という感じの整備は、2011年頃までで、2011年には文化センターがオープンした。その翌年には新市庁舎、2014年には博物館だ。他にも色々だが…現在は“第2期”とか“第3期”という趣で、この広場の整備や、他に公園やスポーツ施設の整備計画が在るようだ。

ところで…レーニン像に関しては、広場の整備計画を練る中で「移転案」が有力であったようだが、「モニュメントは濫りに動かすものでもない」という話しになって、動かないことになったらしい。他所の事だが、2013年から2014年頃に広場を整備したコルサコフでは、レーニン像は“遷座”…動いていたが…長くない期間だが、“考え方”や“ルール”が変わったのかもしれない…

ユジノサハリンスクからネベリスクへの道路は整備が完了し、乗物での移動がスムースになっている。機会を見付けて、この広場の様子も見届けたいものだ…

軽い吹溜り…(2017.04.20)

↓早朝のユジノサハリンスク…
Yuzhno-Sakhalinsk in early morning on APR 20, 2017
↑既に「4月20日」なのである…4月18日夕方以降の雪…存外にしつこい…

雪がもっと少なくなって、「ベチャベチャ」が落ち着けば、もっと辺りを歩き回り易くなる筈なのだが…

Трасса "Огоньки - Невельск" (トラッサ “アゴニキ - ニェーヴェリスク”)(アゴニキ・ネベリスク線)(2017.04.20)

サハリンに「アゴニキ・ネベリスク線」という道路が在る。

ユジノサハリンスクから西側へ進み、西海岸のホルムスクへ向かう道路が分岐し、アゴニキという場所から山を越えて西海岸の南寄りに在るネベリスクに至る。

この道路は「険しい感じの峠道」という風情も在るのだが、何時から始まったのかが判らない位以前から“整備中”な状況が続いた。順次、道路の舗装が整うのだが、「不整地」としか呼びようの無い区間が交じっていて、ユジノサハリンスク・ネベリスク間は「3時間弱?」という感じだった。それでも「遠回りになるホルムスク経由よりは好いかもしれない」とこの道路を利用した。

ハッキリ言えば、“整備中”区間が目立つような頃にこの区間を移動する機会が多かったので、何か「ネベリスクは遠い」というイメージが拭えなかった。それが、整備が進む中で「2時間を少し超える程度の行程」という具合になって行き、終に昨年に「全区間の舗装工事が完了」という話しが伝わった…

↓これがその「アゴニキ・ネベリスク線」である…
'Ogonki-Nevelsk' road on APR 20, 2017 (1)
↑カーブ区間も随分と多く、上りも下りも様々な感じだ…

ここを通ってネベリスクに向かうことになった前々日から、ユジノサハリンスクでは「季節外れな感じながらも存外な雪」という状態で、「あの道路は、上り下りが雪や氷で気懸りな場合も在り、降雪が強めになると視界が悪い場合も在る」ということで、「少々早過ぎ…」な感じの時刻に出発したのだが、次第に天候は好転した。南サハリンに横たわる山地や、山肌の森が雪に染まっているような景色を愉しみ…或いは「車に乗っているだけ」の故に催す眠気に抗い切れなくなりながら進む…嘗ての“不整地”のような状態とは無縁なので、「すうーっ」という具合に車は走る…

↓走っている感じは北海道内と然程変わるでもない。道内の何処かを想い起すのだが…そういう想いから「サハリンの道路を移動中」という現実に引き戻されるのは「対向車が現れる場面」である。サハリンでは車輛は“右側通行”なのだ…
'Ogonki-Nevelsk' road on APR 20, 2017 (3)

↓こういう山間の様な場所を抜け切ると、平坦な場所になり、やがて日本海が視えるネベリスクの市街に到着する…
'Ogonki-Nevelsk' road on APR 20, 2017 (4)

ネベリスクが近付く辺りで時計に目を落とせば…「1時間半強!?」というような感じで、ネベリスク市街のやや狭い道に入り込んでいた…“昔”を想えば、移動所要時間は「半減!」である…

こうした道路整備で地域で最も多くの人工を擁するユジノサハリンスクとの往来がし易くなることを受け、ネベリスクでは「来訪者の増加」に期待を寄せているのだという。“観光振興”だ…当然ながら、サハリンではポピュラーな都市間バスも運行時間が縮減された筈で、手軽に向かうことが出来そうだ…

「4月19日」の雪景色:ユジノサハリンスク(2017.04.19)

↓「風雪が…」と戸外に出ることが憚られた夜が明けてみると…“冬”に戻っていた…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 19, 2017 (1)

↓順次除雪作業が進められている様子も伺えたが…足下が悪い中、そして少々雪も降り続ける中での朝だった…
Yuzhno-Sakhalinsk in morning on APR 19, 2017 (2)

流石に「時季外れ!!」な感じの雪だった。「積雪期としては高めな気温帯」の故に、雪はベタベタに湿り、足下は滑り易かった…

“ルーブル”=ロシア通貨の現金(2017.04.18)

当面の飲物代や食事代に充てる現金を確保しようと、一寸銀行で両替した…

↓こういう按配な、ロシアの現金を入手した…何となくデザインが好い…
Russian money on APR 19, 2017 (2)
↑1,000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルの各紙幣に、10ルーブルの硬貨が…

12,000円分の日本円紙幣を銀行に持込み、窓口でお願いをした…直ぐに係の人が計算して、現金とレシートが出る。何か、日本国内の銀行での外貨両替よりも「カジュアル」な感じがする…ただ、窓口は「現金出納扱い専用」の奥まった壁で囲われた場所だが…

この日は「100円=49ルーブル」ということで、12,000円は5,880ルーブルということになった。1ルーブルが2円余りという感じか…

珈琲とチーズケーキ:ユジノサハリンスク(2017.04.18)

↓サハリンのベーカリーカフェのチェーン店で頂ける!甘過ぎないチーズケーキと珈琲の組み合わせ…2015年9月以来だったが…健在だった!
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 18, 2017 (2)
↑現在、この組み合わせで254ルーブルだった…以前から「“500円ワンコイン”の珈琲とケーキのセット」という感覚で愉しんでいたが、為替レートなどが変わっていても、そういう感覚に余り変わりは無い…

↓甘過ぎないチーズケーキに、チョコレートが飾られているのだが、味の組み合わせも秀逸だと思う!
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 18, 2017 (3)

↓このお店で朝の一寸した時間に頂いた…
a cafe at Yuzhno-Sakhalinsk on APR 18, 2017 (1)
↑レーニン通に面した辺りの店だ…今回は極短い時間居ただけだったが、入れ替わりに色々な人達が出入りしていた…

これから…立ち寄り機会が増えそうだ…

チェーホフによる『サハリン島』の事績を伝えるモニュメント(2017.04.18)

「雪が交る」との気象情報も在る肌寒いユジノサハリンスク…結局、日中は単に肌寒い曇天だったが、夕方近くになって雨が少し強く降り、やがて雪が交り始めた…

「雪が交る」ようになるずうっと以前の朝…滞在先の宿から、用事が在る辺りまでゆったりと歩いた。

ミール通とコムニスチーチェスキー通とが交差するような辺りは、<A.P.チェーホフ『サハリン島』文学記念館>(チェーホフ記念館)や<A.P.チェーホフ記念サハリン国際劇場センター>(チェーホフ劇場)が在り、辺りが都市公園のように整備されている。大きな通りが交差する辺りを「斜めに横切る」感じの「一寸だけ近道…」のようにも思える歩き易い場所だ。ここを通ってみた…

↓チェーホフ記念館の目の前…「こんなモノ?在ったか?」と思った…何時の間にか出来ていた代物である。
A.P.Chekhov's monument on APR 18, 2017 (1)
↑視たとおり“本”をイメージしたモニュメントだが、左側に『サハリン島』と在る。モニュメントの形状は「本を開いた様子」だが、『サハリン島』と在る左側の頁は、ロシアで視掛ける本の“表紙”風の体裁である。

チェーホフは1860年生まれで1904年に他界している。日本史で言えば、「桜田門外の変」の年に生まれ、「日露戦争」開戦の年に逝去したことになる。この彼が30歳であった1890年、彼はサハリンを訪ねている。

1890年のサハリンにやって来たチェーホフは約3ヶ月間滞在し、その様子を徹底的に調査した。それに依拠するルポルタージュ、ノンフィクションという感の作品を纏め、1895年に『サハリン島』として発表し、なかなかに話題になった経過が在る。

チェーホフは劇作家として、世界的に高名な文学者となって行く訳だが…その世界的に高名な、ロシアを代表する作家の一人でもある彼が「実際に訪ねている」という経過から、サハリンではチェーホフは敬愛されている感でもある。

↓右側の頁…「著名な劇作家」としてよく出て来る晩年近くの肖像ではなく、サハリンを訪ねて『サハリン島』に取組んでいた30歳代をイメージした画になっている…
A.P.Chekhov's monument on APR 18, 2017 (2)

↓このページに在る文章…拙訳であるが…

地方は未だ若い…

人々の仕事と過去に於ける献身は大なるものが在ったが、

それでもこれは未だ始りに過ぎず、

未来に在っては少なからぬ佳きもの、そして興味深い役目が在る筈だ…

A.P.チェーホフ(署名)


↑何か…「深い含蓄」を感じる…

チェーホフが足跡を記した頃…「流刑の地」で、“開拓”の途上のような感も漂う地域だった筈だ…そこに「一定の大きな達成」を視て、同時に「大きな可能性」をも観ている…

それにしても…何時でも「未だ始りに過ぎない」(это еще только начало)(エタ イェショ トリカ ナチャーラ)と言えるような感じ…何となく好いと思う…

或いはサハリンは、この時のチェーホフの観方を遥かに超える“可能性”を見出して「未来」へ向かおうとしているのかもしれない…

上空から見下ろす稚内…(2017.04.17)

新千歳空港・ユジノサハリンスク空港の便…“国際線”だが機材は<DHC-8>(ダッシュ・エイト)という双発のプロペラ機で、多分ジェット旅客機よりも低い高度を航行している…そのために「下界」が視易い…

↓稚内上空だ…地図で何時も見ている稚内港の様子がよく判る…
to fly over Hokkaido Island on APR 17, 2017 (15)

「稚内からサハリンへ向かう」場合…「理不尽な遠回り!!」になる新千歳空港経由に関しては、ハッキリ言って嫌いなのだが…こうやって稚内の街が上空から視られるというのは悪くない…

すすきの駅(2017.04.16)

↓さっぽろ駅へ北上しようと、地下鉄を利用した…伝統の南北線…
Susukino Station on APR 16, 2017 (2)
↑近年は“ホーム扉”が定着して来た感じだ…登場して陽が浅かった頃には、何となく変な感じもしたが、最近は慣れてしまった…

「北海道庁旧本庁舎」(赤レンガ)(2017.04.16)

夕刻に待ち合わせをしようとして、場所を「例えば“赤レンガ”の正門の辺りに…」と持ち出すと、「そうしましょう!」とスッキリと話しが纏まった。

そういう次第で、多少のゆとりを持って現場に辿り着き、「観光客 その1」というような風体で、“赤レンガ”を眺めてみた…

↓道路に面した正門の辺りから、門柱の脇から覗いた感じ…クラシックなデザインの街灯との組合せが非常に好い…
Former Hokkaido Local Gov. Building on APR 16, 2017 (12)

この建物は1881(明治21)年に竣工したそうだ。正面中央の“八角塔”が撤去されてしまったり、火災と火災からの復旧工事等も在った。1968(昭和43)年、前年にこの場所が「開拓使札幌本庁本庁舎跡および旧北海道庁本庁舎」として国の史跡に指定され、更に“明治100年”で“北海道100年”でもあるので、竣工時の姿に復元されて現在に至っている…

↓夕刻、建物の正面とは反対側、西寄りから光が射し、何か古い建物の形状が浮かび上がる気がする…
Former Hokkaido Local Gov. Building on APR 16, 2017 (2)
↑「明治時代の煉瓦造建築」で、ここのように一定以上の規模のモノは、意外に少ないような気がするのだが、思わず見入ってしまう…

未だ旅行者等が相対的に少ない時季ながら、存外に多くの人達が行き交っていた…

札幌は私自身にとって「縁深い街」と呼んで差し支えないと思うのだが、この「北海道庁旧本庁舎」(赤レンガ)を何となく気に掛けて、時々機会を設けて写真を撮ってみるなどするようになったのは、比較的近年であるように思う。とりあえず、この建物は非常に気に入っている。

蟹…(2017.04.16)

「北海道」とでも聞けば…「蟹!!」という連想は一部に在るらしいが…

北海道内に住んでいて、それ程頻繁に蟹を頂いている訳でもないことに直ぐ思い至る…稚内辺りでは、“蟹船”と通称されていた「よく海を越えてここまで…」と感心するような小さな船が港に溢れていた時期も在ったが、最近はそういうモノも珍しくなってしまっている…

そういう状態でも、「北海道」と聞けば「蟹!!」という連想は残っているのであろうか?

↓宿の近所で最も目立った屋外の看板だ…巨大なタラバガニだ…
Sapporo Citycentre in night on APR 16, 2017 (4)
↑建物の入口の上に掲げて在るので、大きさがやや判り難いが、“四畳半”とか“六畳”の部屋には収めることが難しい程度の大きさのように思った…

こういう看板だが…「北海道の…」というよりも「大阪の流儀の大看板」というようにも思える…

札幌時計台(2017.04.16)

「愉しい夕べ」を過ごし、「大通駅まで…」と少し歩いたが…思わず「あれ!!一寸、写真を撮りましょう…」と立ち止まって、持っていたバッグからデジカメを取り出した…

↓この時計台の辺りだけ、「時間の流れが停まっている?」という感じであるのが、「妙?」な感じだと思っていたが、近年は寧ろ「面白い…」と感じるようになった…
Sapporo Citycentre in night on APR 16, 2017 (1)
↑札幌を訪れた人で、「時計台の写真を撮る」という方が、「最も多く撮っている?」ように見受けられる画角の画になったと思う…

資生館小学校前停留所付近の「A1202」(2017.04.16)

↓「併用軌道にこの車輛」という様子を視れば、「札幌にやって来た!!」という感じがする…
Tramcars in Susukino area, Sapporo on APR 16, 2017 (5)
↑すすきの停留所側から西に少し進んだ資生館小学校前停留所辺りで、“3連接”の車体が大きく曲がり、電車は南下する軌道に乗って行く…

↓曲がりながら車体が大きく見える辺り…意外に迫力が在る…
Tramcars in Susukino area, Sapporo on APR 16, 2017 (6)

↓大きくカーブした電車が、南下する軌道に乗った…
Tramcars in Susukino area, Sapporo on APR 16, 2017 (7)

これからの時代は、このA1200形のような「低床型」の路面電車が主流になって行くのだと思われるが…札幌では未だ3編成であり、軌道上には色々な年代の車輛が見受けられるのだが…この「近未来の主力車種」は、凄く目立つ…

ビルの壁面に…(2017.04.16)

↓高層建築が林立する街では、然程珍しい光景でもないのかもしれないが…ビルの窓の外側を清掃する作業が行われていた…
Sapporo Citycentre in afternoon on APR 16, 2017 (1)
↑こんな様子を視ると…「大きな街へ足を踏み入れた」ことを変に強く実感する…

↓地上にもう1人居て、その人が綱を支えて、何やら高さの調整をしていた…綱に下がる人はバランスを取りながら、硝子張りのような壁面で窓を“ワイパー”のような道具で手早く拭いていた…
Sapporo Citycentre in afternoon on APR 16, 2017 (2)

今日は…「やや風が強め?」な感じもした…梯子や足場を用意するような高さでもないが、高所作業車のようなモノも入り難い場所…こういう“技”が生きる…

RIMOWA(リモワ)のトランク(2017.04.13)

↓「久し振りの…出番だ…」と部屋の隅から引っ張り出して、埃を拭った…旅行用のトランクだ…
my bag for trips on APR 13, 2017 (2)

確か、1998年頃に入手したモノだった。ドイツのミュンヘンでデパートを冷やかし、何やら“特価”で販売していた。多分「型落ち」なモノの“在庫処分セール”のようなことでもしていたのだろう…

RIMOWA(リモワ)というメーカーは、ドイツで旅行用トランクのようなモノを色々と出している、なかなかに伝統が在る会社だと、1998年頃にも承知していた。ドイツの代表的な航空会社である<ルフトハンザ>も、このRIMOWA(リモワ)と提携して、旅行用トランク等を売っていた筈だった。トランクの外観は、往年の貨客輸送に用いられた飛行機の金属製の機体表面をイメージしたモノだ…

↓“縦位置”にしてハンドルを延ばして“トロリー”にした状態の時、地面に立てる小さな“脚”が1箇所傷んでしまったのだが…それでも「適当に年季が入った…」という程度で、現在でも「使い易いトランク」である。
my bag for trips on APR 13, 2017 (1)
↑随分以前に、大型機で運航の国際線で、このトランクを客室内に持ち込んでしまった記憶も在るのだが…酷く大きい訳でもない。しかし、現在持っているトランクやカバンの類で、これは「最大級」な部類だ…

ミュンヘンのデパートで仕入れてから、稚内の私の所へやって来たトランク…近年は「宗谷海峡を渡る…」場面での登場が多かった…2016年に関しては、或いはこのトランクの出番は無かったかもしれないが…また出番なので、埃を拭ったような次第だ…

凍る地面や水溜りと稚内港北防波堤ドーム(2017.04.14)

↓稚内港北防波堤ドームが視える駐車場辺り…水溜りの他に、昨日の雪で水分を多く含んだ地面も、何やら凍った感じになっている…
Wakkanai in early morning on APR 14, 2017 (9)
↑日中に少し気温が上昇すると、「ベタベタ」とか「ドロドロ」という按配になってしまいそうだ…

こういう具合の“凍る箇所”…時々、思いも掛けない状態で足を滑らせてしまうことも在るので、要注意である…

直ぐに融けたが…!!(2017.04.13)

冷えた感じの明るい朝…そういう状況だったが、厚めな雲が上空を流れていたのか、俄かに暗くなるようなことが断続した…

↓雪が降り…路面が少し冷えていたために薄らと積もった…「4月13日」である…
snow at Wakkanai on APR 13, 2017 (1)
↑「積雪寒冷地」、「冷涼な気候」の稚内でも、「4月13日」に「降雪・積雪」は、やや珍しい感じがする…

この雪…雲が薄くなって陽の光が射すと、直ぐに融けた…

鏡面のような海面(2017.04.11)

稚内港北防波堤ドームの屋蓋が視える早朝の海岸に佇んだ…

↓海面に稚内港北防波堤ドームの屋蓋の形状が映り込み、手前に「右上から左下」で雲の筋が海面に映り込んでいる…
Wakkanai in early morning on APR 11, 2017 (12)
↑眼を上空に転じれば、「右下から左上」で雲が筋状になっていることが判る…

正しく鏡面のような海面だ…