↓ユジノサハリンスクから方々へ向かうバスの乗客が集まっている辺りで、寂しそうな犬が徘徊していた…
↓何処かのおばちゃんがパンを与えると、「お気遣い無用…」と戸惑うような仕草を見せていた…
この犬…何がしたいのか、暫しバスの乗客を黙って見送っていた…
ネベリスク:ЦУНАМИ=津波 関連の注意喚起看板(2017.05.06)
↓ネベリスク市内の海岸部で視掛けた看板…設置から少し年月を経ているのか、些か傷んでいるようではあるが…
↑地震の時は沿岸から離れるよう呼び掛けるないようである。関係官庁のマークが右下の方に視える…
ロシア語で、「津波」は日本語の単語が“外来語”のように定着していて、「ЦУНАМИ」(ツナミ)という具合になっている。上の画の看板では「危険地帯」を意味する「ОПАСНАЯ ЗОНА」(アパースナヤ・ゾーナ)の前に「ЦУНАМИ」(ツナミ)という単語が連接し、「津波危険地帯」と注意喚起していることになる。
↓こちらは、高台へ歩いて上ることが出来る辺りに在った…「津波災害時避難経路」という看板である…
地震災害に遭った経過が在る、沿岸部に拡がるネベリスク…防災の問題意識も高い地域と言えるかもしれない…
↑地震の時は沿岸から離れるよう呼び掛けるないようである。関係官庁のマークが右下の方に視える…
ロシア語で、「津波」は日本語の単語が“外来語”のように定着していて、「ЦУНАМИ」(ツナミ)という具合になっている。上の画の看板では「危険地帯」を意味する「ОПАСНАЯ ЗОНА」(アパースナヤ・ゾーナ)の前に「ЦУНАМИ」(ツナミ)という単語が連接し、「津波危険地帯」と注意喚起していることになる。
↓こちらは、高台へ歩いて上ることが出来る辺りに在った…「津波災害時避難経路」という看板である…
地震災害に遭った経過が在る、沿岸部に拡がるネベリスク…防災の問題意識も高い地域と言えるかもしれない…
ネベリスク:「聖生神女福音寺院」(せいしょうしんじょふくいんじいん)(2017.05.06)
ネベリスクで「新しい教会」というモノが登場したという…
↓こういう木造の教会である…
↓「月曜日から日曜日まで」、要するに毎日9時から17時まで教会は開いている旨、辺りにはビデオ監視カメラが在る旨が扉に掲示されていた…
↑「ХРАМ ПРЕСВЯТОЙ БОГОРОДИЦЫ "ПРИЗРИ НА СМИРЕНИЕ"」という名前らしい。多分…「聖生神女福音寺院」程度の意味であろう…
↓未だ「木材の香り」がするような真新しい感じの内部だが…「ロシア正教の寺院(教会)」という雰囲気が濃い、イコンの壁が据えられている…
↑ここは「未だ2年目」であると聞いた…
以前はネベリスクで教会と言えば、丘陵の上の方の用地に1990年代に建てたモノを指したが…そこを閉めて、沿岸部、市街地の用地に新しい建物を建てた訳だ…
ネベリスクは2007年の地震災害で大きな被害が生じた後、順次市街を新たに築いている経過も在り、教会もそういう文脈で新しいモノを建てたのかもしれない。或いは、従前の「丘の上」よりも「人々が集まり易い」ということを重視したようにも思える。
これから「街の人々と共に歴史を刻む教会」という感じだ。“拝観料”というのでもないが、10ルーブルで細い蝋燭を求め、何となく「街と人々の安寧」を祈って供えて来た…
↓こういう正教関係の建物に見受けられる屋根の感じが凄く気に入っている…
↓こういう木造の教会である…
↓「月曜日から日曜日まで」、要するに毎日9時から17時まで教会は開いている旨、辺りにはビデオ監視カメラが在る旨が扉に掲示されていた…
↑「ХРАМ ПРЕСВЯТОЙ БОГОРОДИЦЫ "ПРИЗРИ НА СМИРЕНИЕ"」という名前らしい。多分…「聖生神女福音寺院」程度の意味であろう…
↓未だ「木材の香り」がするような真新しい感じの内部だが…「ロシア正教の寺院(教会)」という雰囲気が濃い、イコンの壁が据えられている…
↑ここは「未だ2年目」であると聞いた…
以前はネベリスクで教会と言えば、丘陵の上の方の用地に1990年代に建てたモノを指したが…そこを閉めて、沿岸部、市街地の用地に新しい建物を建てた訳だ…
ネベリスクは2007年の地震災害で大きな被害が生じた後、順次市街を新たに築いている経過も在り、教会もそういう文脈で新しいモノを建てたのかもしれない。或いは、従前の「丘の上」よりも「人々が集まり易い」ということを重視したようにも思える。
これから「街の人々と共に歴史を刻む教会」という感じだ。“拝観料”というのでもないが、10ルーブルで細い蝋燭を求め、何となく「街と人々の安寧」を祈って供えて来た…
↓こういう正教関係の建物に見受けられる屋根の感じが凄く気に入っている…
“都市間バス”でネベリスクへ…(2017.05.06)
↓スーパーやカフェで支払い後に頂くレシートにしか見えない紙だが…実際、レシート同様にロールの感熱紙に印字され、料金を支払ったことの証という機能も有するモノだが…これはユジノサハリンスク鉄道駅傍の券売所で求めた“都市間バス”の「乗車券」ということになる代物だ…
↑ネベリスクまで、片道300ルーブルだ…
私:おはようございます。ネベリスクを往復したいのですが…
おばちゃん:おはようございます。ネベリスク?これから直ぐなら8時発です。
私:その8時で出発し、ネベリスクから昼に引揚げて来たいので、往復の券が…
おばちゃん:ネベリスクからの券は判りません。ここでは売っていないのです。
私:そうですか。ではその8時発を。
おばちゃん:何人ですか?
私:私1人ですけど…
おばちゃん:1枚300ルーブルです。
私:(支払う)
おばちゃん:はい、どうぞ…
私:どうも…
こういう具合に入手した券である。
↓やがて、発車の15分位前になるとバスが現れる…40人前後が乗れそうな大型車だ…
運転手さんが1人乗務するスタイルでの運行だ。このバスには、迷彩柄の作業ズボンにセーター姿で、キャップを被って、上背は普通だがガッチリした体形の「ロシアのおっちゃん」という風体の運転手さんだった。車輛を乗車位置に着けてから、一息入れながら準備をしていたようで、何やらリストのようなモノを手に運転席に腰を下ろして乗客を迎え始める。乗車券に番号が書かれていて、各々の番号の乗客が乗り込んでいるのを確認している訳だった…
↓車内の後ろの方に陣取ってみた…
ユジノサハリンスク鉄道駅の辺りから、線路に沿うように少し北へ動き、左折してサハリンスカヤ通に入り、そこから日本海側へ向かう街道に入って進む。途中、北寄りのホルムスクへ向かう側と南寄りのネベリスクへ向かう側が分かれる辺りから、ネベリスクへ向かう道路を目指して曲がって行く…
“ネベリスク”という、市の管轄区域に入ったことを示す看板が視える辺りまでは約1時間半だった…そして、ネベリスク域内を動いて一部に下車する人達が在って、終点まで15分位…始発から終点で1時間45分程度であった…
↑ネベリスクまで、片道300ルーブルだ…
私:おはようございます。ネベリスクを往復したいのですが…
おばちゃん:おはようございます。ネベリスク?これから直ぐなら8時発です。
私:その8時で出発し、ネベリスクから昼に引揚げて来たいので、往復の券が…
おばちゃん:ネベリスクからの券は判りません。ここでは売っていないのです。
私:そうですか。ではその8時発を。
おばちゃん:何人ですか?
私:私1人ですけど…
おばちゃん:1枚300ルーブルです。
私:(支払う)
おばちゃん:はい、どうぞ…
私:どうも…
こういう具合に入手した券である。
↓やがて、発車の15分位前になるとバスが現れる…40人前後が乗れそうな大型車だ…
運転手さんが1人乗務するスタイルでの運行だ。このバスには、迷彩柄の作業ズボンにセーター姿で、キャップを被って、上背は普通だがガッチリした体形の「ロシアのおっちゃん」という風体の運転手さんだった。車輛を乗車位置に着けてから、一息入れながら準備をしていたようで、何やらリストのようなモノを手に運転席に腰を下ろして乗客を迎え始める。乗車券に番号が書かれていて、各々の番号の乗客が乗り込んでいるのを確認している訳だった…
↓車内の後ろの方に陣取ってみた…
ユジノサハリンスク鉄道駅の辺りから、線路に沿うように少し北へ動き、左折してサハリンスカヤ通に入り、そこから日本海側へ向かう街道に入って進む。途中、北寄りのホルムスクへ向かう側と南寄りのネベリスクへ向かう側が分かれる辺りから、ネベリスクへ向かう道路を目指して曲がって行く…
“ネベリスク”という、市の管轄区域に入ったことを示す看板が視える辺りまでは約1時間半だった…そして、ネベリスク域内を動いて一部に下車する人達が在って、終点まで15分位…始発から終点で1時間45分程度であった…
プルカエフ通(2017.05.05)
夜間の照明に浮かび上がる<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.05.03)
<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)の試合(2017.05.03)
日が傾いて以降、多少空気が冷たくなった感の中、サッカーの試合を観戦した。
午後7時キックオフで、午後9時前に終了という試合だったが、後半に入る辺りで場内の照明が点り始めるという按配だった。
↓中央に居る選手が<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)の選手だ。<ПСК САХАЛИН>(ぺーエスカー サハリン)という、各プロスポーツチームを運営する機構の傘下になり、「サハリン州政府」がメインスポンサーという扱いのユニフォームである…
↑迎えている対戦相手は、コムソモリスク・ナ・アムーレのチーム<СМЕНА>(スミェーナ)である…
<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)が参加するのは、“プレミア”、“1部”、“2部”の“2部”である。“2部”については“西”、“中央”、“南”、“東”というような“ゾーン”が設けられ、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は“東”である。
↓場内警備には警察官も出ていた…
↓19時キックオフ…21時前に終了した試合だったが、後半開始辺りで場内に照明が点った…
試合…<СМЕНА>(スミェーナ)に先制を許しながらも<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)が追い付いて1対1で前半を折り返した後、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は見事にパスが繋がって得点を奪い、2対1と先行した。そういう中、何となくボールの支配率が高めに見えて「押している」感じだった<СМЕНА>(スミェーナ)は後半の終盤に相次いで得点し、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は2対3と追う立場に廻ってしまった。帰り始める観衆が目立ち始め、残り時間も殆ど無い中、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は「最後の攻勢」を仕掛け、アディショナルタイムが発表されるようなタイミングで得点を奪った。3対3で引き分けである…
リーグ戦は前年8月にスタートし、冬季の試合が休みの期間を挟んで6月までである。今回、「年が改まって最初のホームでの試合」ということで<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)が地元サポーター達の前に姿を見せた訳だ…
↓場内で、500ルーブルで売られていた…
↑「САХАЛИН」と大書されている
↓裏側はこんな具合…
↑「私の島 私のチーム」という意味のスローガンが…サハリンでは“島”という表現は「サハリンという地域」というニュアンスで用いられているので「我が地域の我がチーム」位がしっくりするかもしれない…
<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は、何となく引き分けが多い感じで、リーグでは2位、3位を競り合っている感じである…残り少な目なシーズンだが、彼らの戦いを見守りたい感じである…
午後7時キックオフで、午後9時前に終了という試合だったが、後半に入る辺りで場内の照明が点り始めるという按配だった。
↓中央に居る選手が<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)の選手だ。<ПСК САХАЛИН>(ぺーエスカー サハリン)という、各プロスポーツチームを運営する機構の傘下になり、「サハリン州政府」がメインスポンサーという扱いのユニフォームである…
↑迎えている対戦相手は、コムソモリスク・ナ・アムーレのチーム<СМЕНА>(スミェーナ)である…
<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)が参加するのは、“プレミア”、“1部”、“2部”の“2部”である。“2部”については“西”、“中央”、“南”、“東”というような“ゾーン”が設けられ、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は“東”である。
↓場内警備には警察官も出ていた…
↓19時キックオフ…21時前に終了した試合だったが、後半開始辺りで場内に照明が点った…
試合…<СМЕНА>(スミェーナ)に先制を許しながらも<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)が追い付いて1対1で前半を折り返した後、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は見事にパスが繋がって得点を奪い、2対1と先行した。そういう中、何となくボールの支配率が高めに見えて「押している」感じだった<СМЕНА>(スミェーナ)は後半の終盤に相次いで得点し、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は2対3と追う立場に廻ってしまった。帰り始める観衆が目立ち始め、残り時間も殆ど無い中、<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は「最後の攻勢」を仕掛け、アディショナルタイムが発表されるようなタイミングで得点を奪った。3対3で引き分けである…
リーグ戦は前年8月にスタートし、冬季の試合が休みの期間を挟んで6月までである。今回、「年が改まって最初のホームでの試合」ということで<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)が地元サポーター達の前に姿を見せた訳だ…
↓場内で、500ルーブルで売られていた…
↑「САХАЛИН」と大書されている
↓裏側はこんな具合…
↑「私の島 私のチーム」という意味のスローガンが…サハリンでは“島”という表現は「サハリンという地域」というニュアンスで用いられているので「我が地域の我がチーム」位がしっくりするかもしれない…
<ФК САХАЛИН>(FCサハリン)は、何となく引き分けが多い感じで、リーグでは2位、3位を競り合っている感じである…残り少な目なシーズンだが、彼らの戦いを見守りたい感じである…
G.I.ネヴェリスコイ広場(2017.05.03)
10ルーブル紙幣(2017.05.02)
350ルーブルの食事代を支払おうと500ルーブル紙幣を出した。釣銭を頂く。150ルーブルである。
何やら「紙幣が多くないか?」と思ったのだが…久し振りに「10ルーブル紙幣」が現れた…5枚も釣銭で頂いたのだ…
↓思わず写真を撮ってしまった…
↑年季が入った感じの紙幣だ…真中に硬貨も置いてみた…
10ルーブル紙幣は流通しているが、新しいモノは発行されなくなり、近年は「10ルーブル」と言えば専ら硬貨になっている。
このところ、ユジノサハリンスク市内で買物等をすると、例えば、「260ルーブル払う」というような場面で500ルーぶり紙幣を出すと「10ルーブル在りませんか?」と問われるような場面が増えている…きっとこの紙幣も、そうやって使って、何時の間にか出て行くことであろう…
何やら「紙幣が多くないか?」と思ったのだが…久し振りに「10ルーブル紙幣」が現れた…5枚も釣銭で頂いたのだ…
↓思わず写真を撮ってしまった…
↑年季が入った感じの紙幣だ…真中に硬貨も置いてみた…
10ルーブル紙幣は流通しているが、新しいモノは発行されなくなり、近年は「10ルーブル」と言えば専ら硬貨になっている。
このところ、ユジノサハリンスク市内で買物等をすると、例えば、「260ルーブル払う」というような場面で500ルーぶり紙幣を出すと「10ルーブル在りませんか?」と問われるような場面が増えている…きっとこの紙幣も、そうやって使って、何時の間にか出て行くことであろう…
西日の光に輝く<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.05.02)
「5月9日」に向けて…(2017.05.02)
ロシアでは「重要な祝日」という位置付けである「5月9日」は、独ソ戦終結の日である。戦場や戦禍の街で多大な犠牲が払われた1941年から1945年の戦争であった。犠牲者を悼み、功労者に感謝をし、平和で豊かな国をつくることを誓うというような意味が与えられている。1990年代前半にロシア連邦体制になって日が浅かった頃、共産党政権関係の歴史に鑑みて、この日の取り扱いを再検討という説が出たが、「馬鹿げている!」と一蹴されたようだ…
「5月9日」と言えば、軍等のパレードやその他の催事が色々と在るのだが…
↓こんな光景に出くわした…
↑明るい時間帯の公道である。ロケット弾発射装置を据えたトラックが移動している…
この時は「パレードのリハーサル」というようなことで、車輛を移動させていたのだが、警察の交通部門や軍関係の人達が登場し、辺りの車輛の往来を一時的に停めて、こういう軍用車輛を通すようにしていた…
↓本番のパレードでも使用するという辺り…
↑「立ち入りや通過は御遠慮願います」と周辺を広く囲い込むように軍関係者が立っている中、何やらリハーサルが行われていた…
↓少し前に視た軍用車輛の中に視掛けた覚えが在る装甲車も、広場の脇の方で待機していた…
こういうような様子を視ると、酷く「ロシアに入り込んだ…」という感じがする…
「5月9日」と言えば、軍等のパレードやその他の催事が色々と在るのだが…
↓こんな光景に出くわした…
↑明るい時間帯の公道である。ロケット弾発射装置を据えたトラックが移動している…
この時は「パレードのリハーサル」というようなことで、車輛を移動させていたのだが、警察の交通部門や軍関係の人達が登場し、辺りの車輛の往来を一時的に停めて、こういう軍用車輛を通すようにしていた…
↓本番のパレードでも使用するという辺り…
↑「立ち入りや通過は御遠慮願います」と周辺を広く囲い込むように軍関係者が立っている中、何やらリハーサルが行われていた…
↓少し前に視た軍用車輛の中に視掛けた覚えが在る装甲車も、広場の脇の方で待機していた…
こういうような様子を視ると、酷く「ロシアに入り込んだ…」という感じがする…
<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の中(2017.05.01)
雪で難儀してしまった週の末、4月22日に<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の辺りを通った。好天に恵まれ、“クーポル”と呼ばれる屋根が輝いていた様子が美しかったが、建物正面に足場が組まれていたり周辺整備工事のようなことが行われていたので、中には入ることが出来ないと思っていた。が、そうではなかった!!
↓手が込んだ大きな門が設えられていて、大聖堂は出入可能で、拝観・参拝は可能だったのだ…
↓開門時間には、脇の方の扉が開いていて、そこから出入するようになっているようだ…
↓「ユジノサハリンスクの住民並びに来訪者の皆様 <キリスト生誕記念主教座大聖堂>は8時から19時まで 皆様の来訪を御迎えします」とオープン時間の案内が掲示されていた…
重い扉を一枚開け、そこを進むと更にもう一枚の重い扉が在る。それを開けてみる…
↓眼前に飛び込む光景に圧倒される…
↑建物外観を視て、内部は薄暗いように想像したが、そうではなかった。存外に外の光が入り込むようになっているのだ。
ロシア正教のセレモニーの多くは立った状態で行う。そういうことなら、相当な人数が集まることが出来る空間だ。
大聖堂は、最も高い箇所が57mと聞いた。殆ど20階建のビルの様な高さだが、内部はかなり高い場所まで吹き抜けになっている。
↓大聖堂の中央辺りは、手が込んだ飾りの天蓋のようなモノも在る…
↑正面に飾られている、各々が大き目で手が込んでいるイコンだが、「上から〇段目、右から〇番目のモノは…」という解説のようなモノは未だ無いそうだ…ここでイコンが掲げられている色々な聖人に関する話題を扱った本は色々と在るようだが…
↓その中央の天蓋の辺りを見上げた…建物を外から見た時に、大きく高く見える中央の丸屋根(クーポル)の裏側に相当するような箇所が視えている…
↑外から観て塔のように見える箇所の裏側が丁寧に彩色されて画が描かれている。そして窓が多く在って、ここから大聖堂の中に外光が入っているのだ…他にも、建物の別な箇所からバルコニーのようになっている高い場所を介して大聖堂内部に外光が入っているように見えた…
少しの間、この中に居て頭に浮かんだのは「神の宇宙」というような表現だ…何か名状し悪い、不思議な気分になる空間だ…
↓建物の外壁にも、色々とモザイク画が飾られている…これも興味深い…
なかなかに気に入ったので、また足を運んでみたい…
↓手が込んだ大きな門が設えられていて、大聖堂は出入可能で、拝観・参拝は可能だったのだ…
↓開門時間には、脇の方の扉が開いていて、そこから出入するようになっているようだ…
↓「ユジノサハリンスクの住民並びに来訪者の皆様 <キリスト生誕記念主教座大聖堂>は8時から19時まで 皆様の来訪を御迎えします」とオープン時間の案内が掲示されていた…
重い扉を一枚開け、そこを進むと更にもう一枚の重い扉が在る。それを開けてみる…
↓眼前に飛び込む光景に圧倒される…
↑建物外観を視て、内部は薄暗いように想像したが、そうではなかった。存外に外の光が入り込むようになっているのだ。
ロシア正教のセレモニーの多くは立った状態で行う。そういうことなら、相当な人数が集まることが出来る空間だ。
大聖堂は、最も高い箇所が57mと聞いた。殆ど20階建のビルの様な高さだが、内部はかなり高い場所まで吹き抜けになっている。
↓大聖堂の中央辺りは、手が込んだ飾りの天蓋のようなモノも在る…
↑正面に飾られている、各々が大き目で手が込んでいるイコンだが、「上から〇段目、右から〇番目のモノは…」という解説のようなモノは未だ無いそうだ…ここでイコンが掲げられている色々な聖人に関する話題を扱った本は色々と在るようだが…
↓その中央の天蓋の辺りを見上げた…建物を外から見た時に、大きく高く見える中央の丸屋根(クーポル)の裏側に相当するような箇所が視えている…
↑外から観て塔のように見える箇所の裏側が丁寧に彩色されて画が描かれている。そして窓が多く在って、ここから大聖堂の中に外光が入っているのだ…他にも、建物の別な箇所からバルコニーのようになっている高い場所を介して大聖堂内部に外光が入っているように見えた…
少しの間、この中に居て頭に浮かんだのは「神の宇宙」というような表現だ…何か名状し悪い、不思議な気分になる空間だ…
↓建物の外壁にも、色々とモザイク画が飾られている…これも興味深い…
なかなかに気に入ったので、また足を運んでみたい…
ジャズの夕べ <チョコレートのようなジャズ>(Вечер Джаза "Джаз в Шоколаде")(2017.04.30)
「好い音楽に触れる」と、何か酷く血行が好くなるのか、また気持ちが昂るのか、多少遅めな時間帯に差し掛かっても眠気が射さない…
4月30日は「国際ジャズ・デー」ということになっているそうだ。「International Jazz Day」という訳だ…
ジャズを通じて世界の様々な文化に対する理解を深め、全世界195のユネスコ加盟国を始め、未だ十分に教育を受けられる環境にない地域に住む少年少女たちに、ジャズを伝えることを目的としている。ユネスコと、ユネスコ親善大使をつとめるピアニストのハービー・ハンコックが2011年に「2012年4月30日を嚆矢に」とこの日を実施すると発表して以来、世界中でジャズ関係の催しが企画されているのだという…
サハリンでも、この「国際ジャズ・デー」を意識し、催しが企画された。
最近は「少し新しい催事会場」として定着しつつある感じの<スタリッツァ・ビジネスセンター・コングレスホール>を会場に、サハリンを代表するジャズバンド<ジャズタイム>をメインに、モスクワからのゲストミュージシャンも迎え、「ジャズの夕べ <チョコレートのようなジャズ>(Вечер Джаза "Джаз в Шоколаде")」が開催されることとなったのだ。
こういう催事の準備で「なかなかに忙しい…」という<ジャズタイム>のリーダー、ウラジーミル・キンジーノフさんにお会いする機会が在り、「力が入っている催し」と御紹介頂き、御招き頂いた訳だ。
キンジーノフさんは、職業音楽家として活動する以前、稚内市の友好都市であるネベリスク市で音楽教員を務めていて、稚内とは縁が深い。そして<ジャズタイム>も稚内で公演を行っている。
彼らが稚内に初登場した2007年頃、<ジャズタイム>と同じ意味のロシア語である<ヴレーミャ・ジャザ>と名乗っていて、以降2009年、2010年、2012年に登場した時には、既に<ジャズタイム>を名乗っていたのだが、「稚内では<ヴレーミャ・ジャザ>で通ってしまった…」とそのまま<ヴレーミャ・ジャザ>と呼んでいた…2009年に再登場となった時、「1回限りだった幻の名演…あの<ヴレーミャ・ジャザ>が還って来る…」と宣伝したのが切っ掛けだったのだが…
とにかくもその<ジャズタイム>の演奏に触れられる!入場時の「ドレスコード=正装」ということになっている催事…そんなことを言われると、多少緊張するが、要は気楽なジーンズ姿ではなくスーツ着用、ネクタイ着用という感じであろう。(会場に行けば、ノーネクタイの方も存外に見受けられたが…)大変に楽しみにしながら会場へ向かった…
↓こんな感じに会場が設えられている。
↑<スタリッツァ・ビジネスセンター・コングレスホール>を入ると、入った辺りが“2階”風になっていて、階段が設けられ、その階段の下に広い場所、ステージが在る。ステージではミュージシャン達が演奏し、歌うようになっていて、進行係もステージ上で話す。ステージ手前は広めなフロアで、ダンスチームが舞踊を披露する時間が在る他方、来場者がダンスを愉しむことも出来る趣向だ。そのフロアを囲むようにテーブルや椅子が設置され、オードブルや飲物が供される…
↓ステージ前では、来場者がダンスを愉しむことも出来る。
↑凄くダンスの好きな方、或いは凄く上手な方も見受けられた…
↓演奏の合間に、ダンスチームの華麗なパフォーマンスという場面も在った…
↓キーボードを演奏するのがウラジーミル・キンジーノフさんだ…
↑何か“レコードジャケット”にでもしてみたいような画になった…
↓2012年に「あの人!!凄い!!」と人気者になっていたユーリー・スヴォ―ロフさんのサックス!!酷く懐かしかった!!
↓2007年以来、キンジーノフさんと一緒に何度も稚内に登場したウラジーミル・マシキンさんはパーカッションを叩いていた…
↓奥の位置で見え難かったが、2012年に登場したアレクセイ・ガジベクさんはドラムスを叩いていた…
↓そして益々艶やかなエレーナ・アクシェンツェワさん!!!
こういう稚内に来た経過がある皆さんが、元気に活躍している様子に昂奮していた…
<ジャズタイム>は「チェーホフ劇場の音楽部門」というような位置付けがされていたのだが、昨年から「交響楽団の関連グループ」と“組織替え”が生じ、最近は演奏機会も目に見えて増えているのだそうだ…機会が在れば、是非また彼らの演奏に触れたいものだ…
こういう音楽やら舞踏というような事柄…「文化大国=ロシア」の一隅であるサハリンにも、「視るべきモノ」は多い…
↓因みに、今般のモノクロ写真はこちらに纏めた…下記をクリックすると一連の多くの写真を御覧頂ける…
>>65RUS - Вечер Джаза "Джаз в Шоколаде" on 30.04.2017 - MONOCHROME
4月30日は「国際ジャズ・デー」ということになっているそうだ。「International Jazz Day」という訳だ…
ジャズを通じて世界の様々な文化に対する理解を深め、全世界195のユネスコ加盟国を始め、未だ十分に教育を受けられる環境にない地域に住む少年少女たちに、ジャズを伝えることを目的としている。ユネスコと、ユネスコ親善大使をつとめるピアニストのハービー・ハンコックが2011年に「2012年4月30日を嚆矢に」とこの日を実施すると発表して以来、世界中でジャズ関係の催しが企画されているのだという…
サハリンでも、この「国際ジャズ・デー」を意識し、催しが企画された。
最近は「少し新しい催事会場」として定着しつつある感じの<スタリッツァ・ビジネスセンター・コングレスホール>を会場に、サハリンを代表するジャズバンド<ジャズタイム>をメインに、モスクワからのゲストミュージシャンも迎え、「ジャズの夕べ <チョコレートのようなジャズ>(Вечер Джаза "Джаз в Шоколаде")」が開催されることとなったのだ。
こういう催事の準備で「なかなかに忙しい…」という<ジャズタイム>のリーダー、ウラジーミル・キンジーノフさんにお会いする機会が在り、「力が入っている催し」と御紹介頂き、御招き頂いた訳だ。
キンジーノフさんは、職業音楽家として活動する以前、稚内市の友好都市であるネベリスク市で音楽教員を務めていて、稚内とは縁が深い。そして<ジャズタイム>も稚内で公演を行っている。
彼らが稚内に初登場した2007年頃、<ジャズタイム>と同じ意味のロシア語である<ヴレーミャ・ジャザ>と名乗っていて、以降2009年、2010年、2012年に登場した時には、既に<ジャズタイム>を名乗っていたのだが、「稚内では<ヴレーミャ・ジャザ>で通ってしまった…」とそのまま<ヴレーミャ・ジャザ>と呼んでいた…2009年に再登場となった時、「1回限りだった幻の名演…あの<ヴレーミャ・ジャザ>が還って来る…」と宣伝したのが切っ掛けだったのだが…
とにかくもその<ジャズタイム>の演奏に触れられる!入場時の「ドレスコード=正装」ということになっている催事…そんなことを言われると、多少緊張するが、要は気楽なジーンズ姿ではなくスーツ着用、ネクタイ着用という感じであろう。(会場に行けば、ノーネクタイの方も存外に見受けられたが…)大変に楽しみにしながら会場へ向かった…
↓こんな感じに会場が設えられている。
↑<スタリッツァ・ビジネスセンター・コングレスホール>を入ると、入った辺りが“2階”風になっていて、階段が設けられ、その階段の下に広い場所、ステージが在る。ステージではミュージシャン達が演奏し、歌うようになっていて、進行係もステージ上で話す。ステージ手前は広めなフロアで、ダンスチームが舞踊を披露する時間が在る他方、来場者がダンスを愉しむことも出来る趣向だ。そのフロアを囲むようにテーブルや椅子が設置され、オードブルや飲物が供される…
↓ステージ前では、来場者がダンスを愉しむことも出来る。
↑凄くダンスの好きな方、或いは凄く上手な方も見受けられた…
↓演奏の合間に、ダンスチームの華麗なパフォーマンスという場面も在った…
↓キーボードを演奏するのがウラジーミル・キンジーノフさんだ…
↑何か“レコードジャケット”にでもしてみたいような画になった…
↓2012年に「あの人!!凄い!!」と人気者になっていたユーリー・スヴォ―ロフさんのサックス!!酷く懐かしかった!!
↓2007年以来、キンジーノフさんと一緒に何度も稚内に登場したウラジーミル・マシキンさんはパーカッションを叩いていた…
↓奥の位置で見え難かったが、2012年に登場したアレクセイ・ガジベクさんはドラムスを叩いていた…
↓そして益々艶やかなエレーナ・アクシェンツェワさん!!!
こういう稚内に来た経過がある皆さんが、元気に活躍している様子に昂奮していた…
<ジャズタイム>は「チェーホフ劇場の音楽部門」というような位置付けがされていたのだが、昨年から「交響楽団の関連グループ」と“組織替え”が生じ、最近は演奏機会も目に見えて増えているのだそうだ…機会が在れば、是非また彼らの演奏に触れたいものだ…
こういう音楽やら舞踏というような事柄…「文化大国=ロシア」の一隅であるサハリンにも、「視るべきモノ」は多い…
↓因みに、今般のモノクロ写真はこちらに纏めた…下記をクリックすると一連の多くの写真を御覧頂ける…
>>65RUS - Вечер Джаза "Джаз в Шоколаде" on 30.04.2017 - MONOCHROME