<旭川通>?(2017.05.10)

↓近所に「漢字」が入った看板を見付けた…
10-05-2017 (4)
↑「ул.АСАХИКАВА」とロシア語が在る下に<旭川通>と在って、通の名を示すモノに視えるのだが…

↓看板はこういう状態で掲出されている…
10-05-2017 (1)
↑“通”というより“広場”という趣だ…

直ぐ傍に学校や集合住宅等も在って、色々な人達が集って憩う場になっていて、間違いなく日本の用語で言う都市緑地や公園で、ユジノサハリンスク辺りではсквер(スクウェル)=広場と呼ばれる空間だ…

「ул.АСАХИКАВА/旭川通」という看板の下のプレートには「СКВЕР АСАХИКАВА/旭川広場」が2014年に整備されたというようなことが書かれている…要は、この場所は「СКВЕР АСАХИКАВА/旭川広場」なのだろう…

↓好天の日の夕方…暮れて行くには相当に間が在る感じの中、少し賑わっていた…
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G.I.ネヴェリスコイ像(2017.05.06)

↓ネベリスクに在る大きな像だ…
Nevelsk on MAY 06, 2017 (54)
↑地区行政府、文化センター、博物館が集まるような辺りから、北側へ15分程度歩いた辺りの広場に据えられた像である…

結局、承知している限り、このネベリスク、コルサコフ、ユジノサハリンスクにネヴェリスコイ提督の像が各々在るということになる。

占守島の九五式戦車(2017.05.01)

↓サハリン州郷土博物館の屋外展示の一つ…旧帝国陸軍の九五式戦車である…
The Regional Museam of Sakhalin on MAY 01, 2017 (4)
↑「終戦70年」というようなことで、2015年頃に占守島から持って来て、修復したモノだった筈だ…

修復時に「好い仕事」をしたと思えるのは、砲塔に在る<士>のマークである。

占守島に送り込まれていたのは「第十一連隊」という戦車隊だった。「十一」を縦に並べて書くと、“武士”や“士魂”という言葉の“士”という具合になる。誇り高く戦場に臨む将兵であろうと、彼らは装備品に「部隊の目印」としてこの<士>のマークを好んで描き込んでいたのだという。当然、戦車隊の主要装備である戦車も、こうした例に漏れない…

↓同時代のソ連の戦車と比べると、余りにも小ぶりで驚くのだが…占守島で、ソ連戦車と交戦はしていない…
The Regional Museam of Sakhalin on MAY 01, 2017 (1)
↑占守島では、8月18日に濃霧の中で若干の火砲を装備したソ連兵が上陸し、それらと交戦に及んだ際にこの戦車も戦闘に参加した訳である…

↓占守島の戦いを巡っては、下記の小説が酷く興味深い…
>>『終わらざる夏』
↑作中に、学校を中退して戦車の運転資格を得た若い兵士と、その上官の整備班の老兵が出て来て、展示されているこの戦車を視ると、その挿話を思い出してしまう…