ホルムスク港の一隅を閉める辺りに交通ターミナルのようになっている場所が在る。そこにバスが到着して下車すると、大きな門のような型をして市章が飾られた場所、鉄道と踏切が在って、丘の上に在る街の側に進むことになる。
文化センターが在る辺りが「谷の底」のような具合になり、左へ右へ上り坂が在るのだが、右側の坂を上がる。坂を上がると少し開けた広場―レーニン像が在る…―になって、街路が延びている。階段状の土地に築かれた不思議な形状の市街なのだ。方角を見失い易い地形なのだが、街路が南に延びているので、そこをそのまま進むと、何となく「巨大なコンクリートと見受けられる構造物」が色々な建物の隙間からチラチラと覗く。
建物の隙間からチラチラと大きな構造物が覗くのは海が視える側だ…若干の上り坂で続く街路を進むと、集合住宅が何棟も集まって一群を成している場所に出くわす…その一群の集合住宅は、「あれ」を見下ろす高台に立地している。集合住宅が一群を成しているような場所というものは、建物周辺の通路、子ども達が遊ぶような場所等が在るものだが、そういうものが面積の限られた高台に在る訳で、見通しが非常に好い場所が在った…
↓こういう光景が眼前に拡がる!!

↓線路に列車も現れた!!

樺太時代に眞岡(まおか)と呼ばれたホルムスクに製紙工場を起こしたのは、「樺太工業」という会社であった。1919年9月に創業を開始したそうだ。1921年5月に工場が全焼してしまうが、1922年3月に復旧したという。
その後、製紙業界で企業合併が進められて業界が再編された中、1933年に「樺太工業」は「王子製紙」に合併となり、眞岡工場は王子製紙の工場となった。(因みにこの当時の「王子製紙」は1949年に解体され、1961年に清算を終了して消滅している。現在の王子製紙の前身という性質は帯びるが、関係性は薄いようだ…)そして1945年に樺太が放棄されて以降、眞岡工場はソ連の工場になった。1990年代に入って間もなく工場が操業を停止し、現在の“廃墟”状態になってしまっている…
↓“工場”が“工場跡”となってしまってからも、相当な年月を経てしまっているので、なかなかに凄い様子になってしまっている…

↓塔の金属製の階段は完全に錆び付いている…昇降すると壊れそうだ…

↓今般、「綺麗に視える高台」を見付けられたのは好かった…

↑随分以前に「手前の線路脇に在る道路」から見上げたことは在ったのだが…こうして少し高い辺りから視ると、背後に日本海が拡がる様子が視られる…
それにしても…風化するままに放置された工場跡…どういう風になって行くのだろうか?