運行系統#7のバス:プーシキン広場にて(2017.07.15)

多少陽射しが強く「30℃を伺う?」という気温だった土曜日の午後…「歩き回るのがややキツい?」程度に思っていると、“プーシキン広場”と行先表示に出ているバスが居合わせた辺りで運行されていることに気付いた…

「“プーシキン広場”?行こうとしている辺りから然程遠いでもない…乗せてもらおう…」と、やって来たバスに20ルーブルで乗車…運行系統の番号は7番だった…

この7番のバス…思ったよりも大きな範囲で“循環”している路線だった…ぐるりと市内を巡って走り、20分強も乗車すると“プーシキン広場”の停留所に至った…

↓“プーシキン広場”の停留所に着くと、数分間はこうやって、黙って停まっている…
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↑この路線…“プーシキン広場”を「起点・終点」のようにして、グルグルと循環をしている路線なのであろう…

窓に相当する部分に広告ラッピングが在るのだが、この箇所は窓から外が視え悪い…

また、この新し目なバスは「室内XX℃ 車外XX℃」と表示が出る…この日は「室内33℃ 車外28℃」と表示され、なにやらガックリしたが…窓は開け放たれ、車内は存外に風が抜けて、表示されている気温の割には過ごし易かった…というより、こういう日は歩くとキツい…

こういう「非常に夏らしい感じ」と、「やや肌寒い感じ」とが「数日おき」なので、多少面倒な感じもする…

水面に博物館…(2017.07.15)

↓サハリン州郷土博物館の敷地内を散策していて見付けた様子…
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↑小さな池が幾つか在って、その一つ…敷地内のやや西寄りに相当する辺りだ…

こういう画…視たことが無かった…その辺を動き回ると、こういう“発見”は在るものだ…

「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」の国章(2017.07.15)

↓サハリン州郷土博物館の敷地内に在る…屋外展示の一つだ…
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↑屋外展示と言っても、敷地の端に、何となく「フェンスの一部が“塀”のように?一寸、不自然?」というのが木の陰に視えるという感じで、余り目立つモノでもない感じだ…

↓概ね「直径3m弱の円形?」という雰囲気なのだが、これは1918年に設立で、1992年に「ロシア連邦」へ移行することになった「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」の国章である。
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↑ユジノサハリンスクで実際に建物に掲げられていた経過が在る代物で、2013年から博物館に在るのだという…

「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」は<10月革命>の後に社会主義国ということになったロシアであり、1922年に「ソ連」が成立した時点で「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」と号している。そして“連邦”であるソ連を構成する“共和国”であり続けた。「ソ連を構成する共和国」の位置付けながら、「共和国自体が“連邦”の制度」という不思議に思えるような状態も見受けられた…

15の共和国で構成されていた“ソ連”は、バルト3国が「離脱」という手続きで離れた後、残る12の共和国が各々に完全な独立国ということになった。「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」については、「ロシア連邦」となり、現在に至っている。(1990年代前半辺りと、最近の様子を比べると、本当に「隔世の感」ではあるが…)

それにしても…1990年代初頭までの“ソ連”に関連するモノ…完全に「史料」という扱いである…この屋外展示自体は、何やら「不思議な存在感」というのか、「余り目立っていないので、知らない方が多い?」という気もしてしまうのだが…

アムールスカヤ通の猫達(2017.07.12)

↓集合住宅の床下というのか、地下というのか、微妙な場所に棲んでいる猫達の中、これはやや大柄な猫で、相対的に高めな“指定席”に何時も陣取っている…
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↑黒く見える毛並みだが、喉の辺りがマフラーでも巻いているか、アスコットタイでも着用しているかのように白い…

↓低い辺りには、子猫のような小柄な猫がよくチョロチョロしている…
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↑右側の猫は、何時も“指定席”に陣取る大柄な猫の子だろうか?マフラーかアスコットタイのような、黒の中で目立つ白い毛がソックリで笑ってしまう…

このアムールスカヤ通の猫達にも、「何時ものとおり…」も在れば「一寸変わった展開」も在って、のんびりと寛いでいるように見える他方で、色々と大変なのだろうと想像してしまう…

この日は一寸出掛けなければならなかった日だったが…そういう日の朝にこの猫達を視掛けて、そしてカメラを持ち合わせて写真に収めると、何か「善いことでも在りそう?」という気分にならないでもない…

古いタイプライター=コルサコフ郷土博物館(2017.07.12)

↓これ!一寸見入ってしまった…
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↓キーの感じが少し判り易い角度でも画を撮ってみた…
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「イマドキの子ども達」には、多分、どういうモノなのか判らないであろうタイプライター…「地域の子ども達が学ぶ場」というような役目を果たしている郷土博物館の展示品だ…

「ソ連時代」な部屋?=コルサコフ郷土博物館(2017.07.12)

↓「“ソ連時代”に見受けられたモノ」が並んでいた…モノクロでが妙に似合う画になった…
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↑これらは、コルサコフの郷土博物館の展示だ…

小ぶりな博物館である…小さいながらも「地域の子ども達が学ぶ場」というような役目を果たしている。こういう少し古い道具は、「そんなモノを視たことが無いという子ども達に紹介する」という場面が多々在るようだ…

例えば…「イマドキの子ども達」は、画に写っている「一部破損した箇所も見受けられるダイヤル式の、家庭やオフィスに在った電話機」を視ても、どうやって使うのか、そもそも「これは電話機」ということさえ判らないかもしれない…

一寸気に入って、暫し眺めてしまった展示だった…

コルサコフ港を望む…(2017.07.11)

午前中から朝から雨交じり…日中に雨が上がり、そこから天候は好転するでもなく、また雨交じり…

その「雨が上がっていた」という日中にコルサコフに立寄る…

↓高台から港を望んだ…
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↑奥側の細長い桟橋は、1920年代の“大泊”の時代に築かれたモノの上にソ連時代以来のクレーン等が配されている桟橋だ…

この高台…当時は“摂政宮”と呼ばれていた皇太子時代の昭和天皇が樺太行啓の際に立寄った経過も在ると言われる場所だ。「大泊港の桟橋が立派に竣工し…」と御一行も視たかもしれない光景である…

画の手前の右寄りにコンテナが視える…これはソ連時代に整備された埠頭の付け根の陸地に相当する部分だ…

↓こういう具合に埠頭が整備され、コンテナを積載した船に対応している…
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↓望遠で寄ってみれば、奥の船はコンテナを下ろす作業をしているように見える…
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↑主にウラジオストク港や釜山港との間をコンテナ船が往来し、それらが「サハリンの物流」の要ともなっている…

久し振りに、この高台からコルサコフ港を眺める機会となった…

一羽の鳩…(2017.07.10)

金曜日から日曜日の週末、好天に恵まれて「25℃超」、「30℃を伺う」という程度に気温も上昇したユジノサハリンスクだったが…週明け月曜日は「ガクン…」と気温が下がり、何やら「15℃を挟む?」という感じの気温で、時々風が冷たく、午後から夕方はやや強めな雨が交じった…

そういう雨の夕刻…何時の間にか「夕刻の…何時もの…」という雰囲気も漂うようになった、ピザやパスタの店に足を運んでみる…

↓窓辺に陣取って雨の街に目を向ける…
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↑目の前のバス停…行き交う車輛や人々の隙間に一羽の鳩…

何か、独特なムードが漂う…

こうやって様子を視ていた間に…今日は雨が弱まって、復路は歩き易くなった…

「ЖДИТЕ」(ジディーチェ)=「お待ちください」(2017.07.08)

↓朝、近所で眼に留めた…
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↑「横断する際はボタンを押してください」と在って、「ЖДИТЕ」(ジディーチェ)=「お待ちください」と電光掲示が出ている…

↓学校の玄関の真正面に設けられている横断歩道に、“押しボタン式”な信号機が設置されている…
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ユジノサハリンスクでは…或いはロシア全般でそういうことになっているのか?横断歩道に関して、信号機の設置が無い場合に「歩行者優先」がかなり徹底している…「近付いて来た車を1台遣り過ごして横断…」と“感覚的”に思って何となく佇んでいると、九分九厘近付いた車輛が停止するので、少し戸惑う場合が在る…そういう状態で在っても、未だ幼い感じの児童も通う学校の正面だけに、「押しボタン式信号機」を横断歩道に設置したのであろう…

横断歩道の“塗装”(2017.07.08)

↓少し不思議な光景を視掛けた…
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↑かなり日が高いが、もう夕方である。土曜日なので、相対的に交通量は少ないのだが、道路上で何やら作業が進行中だ。

様子を視ていると…「ペンキ?」という匂い…

横断歩道の色が着いている部分の型の木枠を2人で合わせ、一人がコンプレッサーを押し、もう一人がエアブラシのような感じの器具で塗料を路面に塗り付けている…

何時の頃からか、ユジノサハリンスクの横断歩道は「黄色と白の縞々」になっているのだが、この「塗装」をやっていた人達は2色を用意して黄色と白を交互に塗っていた…

塗装直後の場所は“コーン”を置いて「車輛通過は御遠慮願います」ということにしている…それにしても、この路面の塗装は存外に剥がれてしまうものなのだということに気付かされた。塗装が済んだ手前と、未だ着手していない奥の違いで、そういうことがよく判る…

カウントダウン…(2017.07.07)

↓ユジノサハリンスクの都心部に据えられている横断歩道の信号機…
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↑結構以前から、この「カウントダウン」な方式である…

この方式は好い。「変に待ち時間が長くないか!?」と苛々する必要が無いのが好きだ…

カルボナーラ(2017.07.07)

何となく、最近寄ることが多くなっている店へ夕食に…

↓中のベーコンと、惜し気もなく掛かったチーズが凄く食欲を刺激してくれた…
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↑これ“も”、気に入ったモノのリストに加わってしまった感…

なかなか訪れない夕闇の中でのレーニン像(2017.07.05)

↓何となくスタイルが好いユジノサハリンスクの巨大なレーニン像だが、日没近くには「背中側から光が当たる」ような感じになる…
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↑午後9時台に日没であるため、何やら「なかなか暗くならない」感じで、そんな中で背後の空の感じが非常に面白い場合が在る…

「66日と2時間50分」(2017.07.04)

↓レーニン広場の傍で妙な看板を視掛けた…
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↑最初は「66」という電光掲示を眼に留めた…やがて「2」と「50」…時間は午後9時過ぎで、何を表現しようとしているのか、よく判らなかった…

近付いてゆっくり視れば…「ユジノサハリンスク市の“街の日”まで66日と2時間50分」である旨を示していると判った…

“街の日”とは「建都XXX年」と銘打って、方々の街で毎年催されている文化行事のことだ…

ユジノサハリンスク市は「ウラジミロフカ村の起こり」という、1882年の故事を以て「建都」と位置付けている。今年は「建都135年」ということになる。

看板の下の方…ハート型の中に“ユジノサハリンスク”と在って、周辺に「大好きな街」と書かれたロゴマーク…何となく好いと思った…

ところで…この「カウントダウン」の看板の存在については、地元でも知らない方が存外多いかもしれない。他方で、9月初めに“街の日”が催行されることは、多くの人が知っているが…

燕が舞う夕空…(2017.07.04)

「完全に日が落ちる」という感じになってしまうまでの間、随分と粘り強く「燕の声」が聞こえている…

↓既に建物の上の方に視えている月が明るさを増し始めている…
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↑こういう中、「形がややブレて写る」程度の高速で、燕が編隊飛行を続けている…

不思議なもので、ユジノサハリンスクでは随分賑やかな燕だが、稚内では視たことが無い…

大きな水溜り(2017.07.04)

「2日連続で概ね晴天」という状況…久し振りな感じがするユジノサハリンスクである…

↓近所の駐車スペースの、少々しつこい水溜り…集合住宅の側面が丸ごと映り込んでいる…
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↑これでも、やや強めな雨が交じる状況が続いていた時よりも小さくなったのだが…

この駐車スペース…舗装されていない…そういう場所では、何処でもこういう水溜りはしつこく残るものだ…

「НА БЕРЛИН!」(ベルリンへ!)の刺繍?(2017.07.02)

↓厚いフエルトのような生地で、刺繍が入っている。
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↑一見すると、何に使うモノなのかよく判らない…

↓こういう具合にして使用する…
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↑これはハットである…

時々サウナを利用する。行けば、サウナに入る時にこういう「サウナハット」を使っている方を存外に視掛ける。「好さそうだ…」と思っていると、そのハットが200ルーブルで売られていたので、求めて愛用し始めた。気に入っている。

頭にこういうハットを被ってサウナに入ると、「キツさ」が和らぎ、少し長く入って居られる…御蔭で「より多く汗をかく」ことになる…ロシア方式の「蒸気が出る」ような場所では、こういうハットはより効果的だ…

稚内の<港のゆ>のサウナでこんなモノを使っている方は視掛けたことが無いが…一つ用意して、持ち込んでみようか等と考えてみたりする…

因みに刺繍の「НА БЕРЛИН!」(ベルリンへ!)は、第2次大戦の終わりの方で、ソ連軍がドイツへ向かって攻め上がる際のスローガンだった。戦車の砲塔等に、こういうスローガンを描き込んだのである…サウナハットとは何ら関係無いが、結局「自分のモノが判り易くなるように…」と色々な刺繍のような目印を入れている例の一つなのだと思う。視掛ける他所の方のハットにも、色々なモノが見受けられた…

<Белая Бепёзка>(ベーラヤ ベリョースカ)(2017.07.02)

↓美しいボトルに収められたウォッカ…
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↓「正統派!」な感じのスッキリしたウォッカ…シベリアのオムスクのメーカーの産だ…
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↑ボトルの真中に、「ロシアの村落」というような感じの画が覗く…何となく好い…

↓裏側の画が、正面の窓の様になった箇所から覗くという単純な仕掛けだった…
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或いは「土産向け?」かもしれない…500mlのボトルが、495ルーブルだった…

初めて洗濯したジーンズ(2017.07.02)

1週間余りという「やや慌ただしい」感じで稚内に戻っていたのは、何やら「着替えを取りに…」というムードも在ったのだが…新品のジーンズを1本用意した…

その新品を半月少々穿いていたが…ユジノサハリンスクの住まいに据えられた洗濯機で洗ってみた…「初洗濯」となった…

↓余り長い時間でもなかったが、日が射す時間帯が在って、未だ「新品…」の質感が残る雰囲気がよく判る…
02-07-2017 vol02 (5)

↓裏側はこういう感じだ…
02-07-2017 vol02 (4)

偶々なのだが…丁度丸1年前、「求めてから半年余り」という、今般の「新品」と全く同じ型のジーンズを選択した経過が在って、久々にそのジーンズを写真に撮ってブログに掲載していた…面白い偶然た…

ところでこの“未洗い”だったジーンズ…今後の状態の変化が少し楽しみである…

<КАРТА-СХЕМА ЮЖНОЙ ЧАСТИ САХАЛИНА>(サハリン南部の図):<サハリン鉄道史博物館>の展示から…(2017.06.30)

「見覚えが在るモノ」のようでいて「一寸違う…」というモノに出くわすと、何か酷く「気になる」ものだ…

↓こういう図に出会った…これは稚内では御馴染みなモノに酷似している。稚内の郷土資料館ということになる<北方記念館>に飾られている、1930年代の南樺太の図に酷似している図だ…
Museum of Railways History on Sakhalin 30-06-2017 (1)
↑1930年代の樺太を紹介する日本の図に似ているのだが、ロシア語によるタイトルが冠せられていて、図上の地名等も悉くロシア語になっている…不思議だ…

これは<サハリン鉄道史博物館>に展示されているモノだ。制作年代を特定する資料が無いということだが、恐らく1940年代末から1950年代に入ったばかりの頃に制作されたモノと見受けられる。長く、サハリンの鉄道局長の執務室に飾られていたモノであるというが、1930年代の日本の図を模倣して作り込まれたモノであるらしい。が、決定的な違いは、サハリン州の管轄区域になった千島列島が詳しく描かれていることだ。これは稚内で視られる樺太の図には出ていないのだ…

日本の統治下だった樺太で整備された鉄道は、ソ連化された後も受け継がれて盛んに利用された経過が在る。この図には、1945年までに敷設が完了して運用されていた鉄道が、序にソ連化後も長く使用され続けた製紙工場のような産業施設が詳しく描き込まれている。一部に新規路線が敷設された経過も在るというが、この図に在る路線の一部は現在では使われなくなってしまっているモノも見受けられる…

この図…「ソ連化された1930年代の樺太の図」というモノが妙に興味深く、少しゆっくり眺めてしまったのだが…<サハリン鉄道史博物館>は小ぶりで地味ながらも、なかなかに興味深い展示に触れられる場所だ…

「白いアジサイ」の花言葉は「寛容」…(2017.07.01)

「天候が優れない」という按配に些かの不満は禁じ得ないが…「暑いでもなく、酷く寒いでもない」を「悪くない」とか「好い」とする考え方も無い訳でもない…そう考えながら休日である土曜日のユジノサハリンスクを歩く…

↓ロシア語ではГортензия(ガルテンジヤ)と言うらしい…この呼称自体は、偶々視掛けた「日本文化紹介」の一環で行われた生け花のデモンストレーションで聞いて記憶に残ったのだが…アジサイだ…
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↑紫の“紫陽花”と漢字で表記したい花に対して、これは白のアジサイだ…“モノクロ”で映える花であるように思った…

↓多少の小雨が交じったような感じの日の湿った空気感に、このアジサイが妙に似合う…
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アジサイに関しては色々な色の花が在るので、色毎に各々の“花言葉”が在るそうだ…「白いアジサイ」の花言葉は「寛容」なのだという…