「この時季って…雲が綺麗な時季だと思わない?」と居合わせた友人が口にした…
↓何気なく見上げると、何となく「劇的?」な雲が…
早朝は「薄暗い?」と思わせるものが在ったが、よく晴れた日曜日となった…
「ウラジミロフカ村」の歴史を伝える記念碑(2017.07.23)
ユジノサハリンスクのレーニン通を少し北上し、サハリンスカヤ通と交差する辺りで西寄りに進む…歩けば20分前後、バスなら停留所が2つという辺り…
↓こういうモノが建っている…道路から近く、容易に見付かる…
↑何となく見上げる程度の大きさだ…
↓大きな石の真中に貼り付けられたプレートに注目…
↑「ここに1882年、ロシアの入植者がウラジミロフカという村落を起こし、ユジノサハリンスク市の礎となった」というような趣旨のことが書かれている…
これは、1882年に「ウラジミロフカ村」が起こったという経過を示す記念碑である。
街のことに明るい方の話しを聴く限り、「ウラジミロフカ村」の中心的な場所というのは、レーニン通とサハリンスカヤ通の交差する辺りを通り越した、もう少し北寄りな辺りと考えられるようだ。この記念碑が在る場所―現在、「ウラジミロフカ」と呼び習わされている辺り―は、村内の農場の一部であった場所のようだという…
史跡を示そうとすれば、色々な話しも出て来ようが、とりあえず現在のユジノサハリンスクで「街の起こり」と考えている「ウラジミロフカ村」のことを伝える場所というのは興味深い…
ウラジミロフカ村の経過は在るが、現在のユジノサハリンスクの都心部は、1907年頃から拓かれた豊原を基礎としていて、1946年以降にソ連化して現在に至っている。ウラジミロフカ村は、現在の都心部よりやや北西に寄った感じになる…
↓こういうモノが建っている…道路から近く、容易に見付かる…
↑何となく見上げる程度の大きさだ…
↓大きな石の真中に貼り付けられたプレートに注目…
↑「ここに1882年、ロシアの入植者がウラジミロフカという村落を起こし、ユジノサハリンスク市の礎となった」というような趣旨のことが書かれている…
これは、1882年に「ウラジミロフカ村」が起こったという経過を示す記念碑である。
街のことに明るい方の話しを聴く限り、「ウラジミロフカ村」の中心的な場所というのは、レーニン通とサハリンスカヤ通の交差する辺りを通り越した、もう少し北寄りな辺りと考えられるようだ。この記念碑が在る場所―現在、「ウラジミロフカ」と呼び習わされている辺り―は、村内の農場の一部であった場所のようだという…
史跡を示そうとすれば、色々な話しも出て来ようが、とりあえず現在のユジノサハリンスクで「街の起こり」と考えている「ウラジミロフカ村」のことを伝える場所というのは興味深い…
ウラジミロフカ村の経過は在るが、現在のユジノサハリンスクの都心部は、1907年頃から拓かれた豊原を基礎としていて、1946年以降にソ連化して現在に至っている。ウラジミロフカ村は、現在の都心部よりやや北西に寄った感じになる…
インスティテューツカヤ通の猫:見上げて…想う…(2017.07.22)
黄昏のレーニン広場(2017.07.22)
インスティテューツカヤ通の猫達:花壇に潜むように…(2017.07.22)
燕が舞う夕空(2017.07.22)
<シャシュカ>を使った剣舞 ほか:<極東“サバントゥイ”>より(2017.07.22)
<サバントゥイ>(Сабантуй)という祭りが在る。
タタール文化圏で催されて来た伝統的な祭りに起源を有する催しで、古式なレスリングの<キョレシ>の大会や、古くから伝わる伝統的なゲームや、出店が出て賑々しいという按配だが、タタール文化圏の音楽や踊りが披露されるステージも、催事の時間でずうっとやっていた…
タタール文化圏の音楽や踊りが披露されるステージでは、タタールスタンを始め、方々から集まったアーティスト達が出演していたが、サハリンで活動するグループも登場していた。“生”で聴いて、観る歌や演奏、或いは踊りはなかなか楽しいと思ったのだが…
↓こういう様子に注目した。
↑音楽の途中で、背の高い若者が、剣を手にステージ中央に進み、歌ったり演奏をしていたメンバーが少し奥に退いた…
↓グループは、こういうような女性6人、男性3人という編成だった…
↑勇壮さの中に哀切が滲むような、そしてテンポは好い感じの楽曲をやっていて、「何となく好い…」と思いながら視ていた…剣の若者は、右端の方で余り目立っていなかったのだったが…
↓若者は手にした剣を振って、勇壮な舞を披露してくれた…
この剣…確か<シャシュカ>と呼ばれるモノで、コーカサスの部族が用いた武器を起源とするモノだ。サーベルと長剣の中間程度の大きさで、一突きで相手を戦闘不能に陥れる威力を有する剣だ。そして適度に湾曲している関係で、勢いよく振るうと相手の首も斬れたという…ロシアでは騎兵が使う武器として帝政期から用いられ、ソ連時代の1950年代最初に騎兵部隊が解散する頃まで「正式な装備」として扱われていたらしい…(以降、儀仗兵がセレモニーで用いる場合というのは在って、それは現在にも受け継がれているようだ…)
多分、刃を研いでいないモノを使うのであろうが、この<シャシュカ>を振るう剣舞は方々でやっているようだ。音楽関係のビデオクリップでも、やっているのを視た覚えが在るが…
↓音楽的には、このバヤンが鳴っていて、リズムパートの音が流される中で各メンバーが歌う感じだった…
非常によく晴れた休日の土曜日に、野外で音楽を聴いて、催事を眺めて…なかなかに好かった…
タタール文化圏で催されて来た伝統的な祭りに起源を有する催しで、古式なレスリングの<キョレシ>の大会や、古くから伝わる伝統的なゲームや、出店が出て賑々しいという按配だが、タタール文化圏の音楽や踊りが披露されるステージも、催事の時間でずうっとやっていた…
タタール文化圏の音楽や踊りが披露されるステージでは、タタールスタンを始め、方々から集まったアーティスト達が出演していたが、サハリンで活動するグループも登場していた。“生”で聴いて、観る歌や演奏、或いは踊りはなかなか楽しいと思ったのだが…
↓こういう様子に注目した。
↑音楽の途中で、背の高い若者が、剣を手にステージ中央に進み、歌ったり演奏をしていたメンバーが少し奥に退いた…
↓グループは、こういうような女性6人、男性3人という編成だった…
↑勇壮さの中に哀切が滲むような、そしてテンポは好い感じの楽曲をやっていて、「何となく好い…」と思いながら視ていた…剣の若者は、右端の方で余り目立っていなかったのだったが…
↓若者は手にした剣を振って、勇壮な舞を披露してくれた…
この剣…確か<シャシュカ>と呼ばれるモノで、コーカサスの部族が用いた武器を起源とするモノだ。サーベルと長剣の中間程度の大きさで、一突きで相手を戦闘不能に陥れる威力を有する剣だ。そして適度に湾曲している関係で、勢いよく振るうと相手の首も斬れたという…ロシアでは騎兵が使う武器として帝政期から用いられ、ソ連時代の1950年代最初に騎兵部隊が解散する頃まで「正式な装備」として扱われていたらしい…(以降、儀仗兵がセレモニーで用いる場合というのは在って、それは現在にも受け継がれているようだ…)
多分、刃を研いでいないモノを使うのであろうが、この<シャシュカ>を振るう剣舞は方々でやっているようだ。音楽関係のビデオクリップでも、やっているのを視た覚えが在るが…
↓音楽的には、このバヤンが鳴っていて、リズムパートの音が流される中で各メンバーが歌う感じだった…
非常によく晴れた休日の土曜日に、野外で音楽を聴いて、催事を眺めて…なかなかに好かった…