↓以前にも同じようなモノを求めていて…稚内の拙宅の何処かに在るのだが…眼に留めて、面白いのでまた入手してしまった…
↑500ルーブルだった…
サハリンでは、警備員は何処でも“ОХРАНА”(オフラナ)というワッペンを貼ったシャツや作業服風のジャケットを着用している…
百貨店<サハリン>:俄かに強めな雨の夕方(2017.08.30)
日中は好天であった他方で、強めな俄雨という時間帯も在った。夕刻近く、よく晴れていた状態から雲が多少多目にはなっていた…それでも気持ちが好い戸外の感じの中、夕食に出掛けた…
↓夕食後に戸外に出れば雨…それも次第に強めに…
↑百貨店<サハリン>の辺りも、建物の灯りや行き交う車輛の灯りが濡れた路面に跳ね返っている感じだ…道路の脇では、車輛が跳ね上げる雨水にも多少注意が必要だった…
↓強めな雨が叩き付けて濡れる路面に、辺りの光景が揺らめいているような、雨の日に特有な様子…多少キツい状態ではあったが、「何か綺麗だ…」と少しだけ見入ってしまった…
少し前に「С халин」となっていた電飾看板は、電球を入れ替えたのか「Сахалин」という普通な状態になっていた…
「変わり易い天候」というのは「秋」な傾向かもしれない…この後、「やや派手に雨で濡れた…」状態で住まいへ引揚げた。戸外では多少強めな雨が断続していたようだが…朝を迎えると好天になっていた…
↓夕食後に戸外に出れば雨…それも次第に強めに…
↑百貨店<サハリン>の辺りも、建物の灯りや行き交う車輛の灯りが濡れた路面に跳ね返っている感じだ…道路の脇では、車輛が跳ね上げる雨水にも多少注意が必要だった…
↓強めな雨が叩き付けて濡れる路面に、辺りの光景が揺らめいているような、雨の日に特有な様子…多少キツい状態ではあったが、「何か綺麗だ…」と少しだけ見入ってしまった…
少し前に「С халин」となっていた電飾看板は、電球を入れ替えたのか「Сахалин」という普通な状態になっていた…
「変わり易い天候」というのは「秋」な傾向かもしれない…この後、「やや派手に雨で濡れた…」状態で住まいへ引揚げた。戸外では多少強めな雨が断続していたようだが…朝を迎えると好天になっていた…
巨大な生物のような雲…(2017.08.30)
Панкейк(パンケーキ)(2017.08.27)
道路清掃作業車と旧 北海道拓殖銀行豊原支店=サハリン州美術館(2017.08.28)
夕刻の「暗い感じになり始める時間帯」が日々早めになって行くことを、何となく体感し易くなったように思う…
↓そういう中で歩き回っていて眼に留めた…
↑小型の“スイーパー”というモノであろうか?車輛の前方に着いたブラシを廻して道路を清掃する車輛が何となく停止している。無理をすればもう1人乗れるかもしれないが、ドライバー1人でキツそうな運転台だ。何か、SF系のコミックやアニメに登場する“作業用メカ”のようで面白い…
更にこの「近未来?」を想起させるような、不思議な形状の作業用車輛が、1930年代の意匠を残す古い典雅な建物の前に停車中というのが面白い…
それにしても…この車輛が作業の途中だったのか、これから作業を始めようというのか、作業を終えたところなのかはよく判らなかった…
↓そういう中で歩き回っていて眼に留めた…
↑小型の“スイーパー”というモノであろうか?車輛の前方に着いたブラシを廻して道路を清掃する車輛が何となく停止している。無理をすればもう1人乗れるかもしれないが、ドライバー1人でキツそうな運転台だ。何か、SF系のコミックやアニメに登場する“作業用メカ”のようで面白い…
更にこの「近未来?」を想起させるような、不思議な形状の作業用車輛が、1930年代の意匠を残す古い典雅な建物の前に停車中というのが面白い…
それにしても…この車輛が作業の途中だったのか、これから作業を始めようというのか、作業を終えたところなのかはよく判らなかった…
ポポヴィチ通の朝:舗装工事(2017.08.30)
暗くなり始める頃のチェーホフ像(2017.08.28)
カフェのオブジェ(2017.08.28)
「ロシアの流儀」なカップを使って“トゥルカ”で淹れた珈琲を頂く…(2017.08.28)
↓金属製のモノに耐熱硝子のグラスを嵌め、グラスに温かい飲物を注いで頂く…何か凄く「ロシアの流儀」という感じがする…
↑今朝はこういう具合にして、“トゥルカ”で淹れた珈琲を頂いている…
グラスの方は、“トゥルカ”を入手した春から愛用しているモノだ。ロシアの何処かで製造されたモノらしく、1990年代にも視掛けたような代物だ…
金属製のグラスを嵌めるモノ…これはユジノサハリンスク・コルサコフ間の列車に登場した車内販売で求めた。1100ルーブルだったが、この種のモノはその程度の価格はすることは承知していた…“ロシア”のイメージで「双頭の鷲」の紋章が視えるが、何と言っても「サハリン州の地図に列車と朝陽」という、サハリンの鉄道で土産用に用意したと見受けられる意匠が確り入っているのが好い。車内販売の女性も「御覧になって下さい」とこれを見せていた。そこで「好いね!いくら??」と求めてしまった訳だ…
↓何時も飲んでいる中身だが…こういう変わったモノを使って頂くと、ほんの少し高級になったような気分になる…
勿論、美味しく飲物を頂いた後は、グラスを外して普通に洗う訳だ…
↑今朝はこういう具合にして、“トゥルカ”で淹れた珈琲を頂いている…
グラスの方は、“トゥルカ”を入手した春から愛用しているモノだ。ロシアの何処かで製造されたモノらしく、1990年代にも視掛けたような代物だ…
金属製のグラスを嵌めるモノ…これはユジノサハリンスク・コルサコフ間の列車に登場した車内販売で求めた。1100ルーブルだったが、この種のモノはその程度の価格はすることは承知していた…“ロシア”のイメージで「双頭の鷲」の紋章が視えるが、何と言っても「サハリン州の地図に列車と朝陽」という、サハリンの鉄道で土産用に用意したと見受けられる意匠が確り入っているのが好い。車内販売の女性も「御覧になって下さい」とこれを見せていた。そこで「好いね!いくら??」と求めてしまった訳だ…
↓何時も飲んでいる中身だが…こういう変わったモノを使って頂くと、ほんの少し高級になったような気分になる…
勿論、美味しく飲物を頂いた後は、グラスを外して普通に洗う訳だ…
「色画用紙に“雲”を描き込んだ」かのような青空(2017.08.27)
暗くなり始める空(2017.08.26)
地面に樹木:雨上がりの午後(2017.08.25)
工事が段落したコムソモリスカヤ通(2017.08.25)
<D2>ディーゼルカーの車内(2017.08.26)
コルサコフ港に停泊中の<ペンギン33>を鳥瞰(2017.08.26)
好天だったコルサコフ…「摂政宮行啓の折りに御立寄り」という謂れが在るという高台に徒歩で…往路は、バスなどの車輛が上って行くコースを見付けて、そこを歩き、復路は小ぶりで登坂能力が高い車輛が上り下りするような道を見付けて、そこを下った…
↓港が“大泊港”と呼ばれた頃の細長い桟橋が視える側…
↑独特な地形の上に港や周辺、そして市街が拡がっている…
↓画の左端は、コルサコフ入りした際に列車で通った鉄路が視える。そして脇が埠頭で、何やら色々な船が停泊中だ…
↓見覚えが在る船と思えば…<ペンギン33>が停泊中だった…
↑出入港時以外には、この辺りに停泊するのが定番であるように見受けられた…
<ペンギン33>は金曜日と土曜日の「コルサコフ→稚内→コルサコフ」の往復を、「荒天(高浪)の危惧」ということで欠航してしまった…それ故にここで停泊中なのだが…コルサコフ港は、深いアニワ湾の最奥部のような場所で、船が稚内との間を往来する海域の様子は一寸伺い悪いのだが…
今般は、何となくこの高台でゆったりとした…コルサコフでのランチと思っていたが…立寄ろうとしていた店が休業だったので、早々にユジノサハリンスクへバスで引揚げた…
↓港が“大泊港”と呼ばれた頃の細長い桟橋が視える側…
↑独特な地形の上に港や周辺、そして市街が拡がっている…
↓画の左端は、コルサコフ入りした際に列車で通った鉄路が視える。そして脇が埠頭で、何やら色々な船が停泊中だ…
↓見覚えが在る船と思えば…<ペンギン33>が停泊中だった…
↑出入港時以外には、この辺りに停泊するのが定番であるように見受けられた…
<ペンギン33>は金曜日と土曜日の「コルサコフ→稚内→コルサコフ」の往復を、「荒天(高浪)の危惧」ということで欠航してしまった…それ故にここで停泊中なのだが…コルサコフ港は、深いアニワ湾の最奥部のような場所で、船が稚内との間を往来する海域の様子は一寸伺い悪いのだが…
今般は、何となくこの高台でゆったりとした…コルサコフでのランチと思っていたが…立寄ろうとしていた店が休業だったので、早々にユジノサハリンスクへバスで引揚げた…
<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)の<D2>ディーゼルカー(2017.08.26)
朝、何やら天候が好さそうな感…不意に思い付いたのが、過日乗車した「土日曜日運行」の「ユジノサハリンスク→コルサコフ」の列車である…
今日は、コルサコフ地区で何やら催しが在り、その会場への連絡バスと接続ということになっている列車は、少し賑やかだった。4輛になった<D2>という型のディーゼルカーなのは、一度乗車してみた時と変わりなかったが…今般は少々賑やかな中、“車内販売”の係まで乗務していた…
コルサコフ市内に至り、<КОРСАКОВ>(コルサコフ)という駅までは前回辿り着いたが、「その先」が在って、そこは乗車していなかった。2駅在る。“駅”と言うより「乗降場」という風情なのだが…<ПРИСТАНЬ>(プリスタニ)という場所が在って、最後は<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)という場所だ。鉄路そのものは、「南埠頭」と呼び習わされている、大泊時代に整備された埠頭の方まで至っているが、(列車の本数は非常に限定的ではあるのだが)旅客の乗降を行うのは、この<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)までだ。
↓高くなっている車輛から、何も設えられていないような地面に「ヨイショッ!!」と飛び跳ねるように下りる…やれやれと端の方に来て、乗せてもらった車輛を何となく視る…
↓列車は、殆ど「直ちに」という具合に、折り返しのユジノサハリンスク行きということになり、エンジンを唸らせて直ぐに発車してしまった…
↑速度は然程上がっているようにも視えなかったが、何やら見る見る視えなくなった…
↓これは少し後に高台へ上って眺望した、旅客の乗降が行われる最後の方の区間である。
↑真中の奥辺り、4階建てか5階建ての建物の右手前に木が繁っている。その少し手前に<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)が在る。画の下に相当する手前に鉄路を辿ると、橋になっている箇所が在って、その辺りでカーブしている。やや大き目な古い倉庫という風な建物の一寸手前に小さな乗降場が視える。これが<ПРИСТАНЬ>(プリスタニ)だ。
こういうような鉄路で、やや独特な趣のディーゼルカーの旅客列車が、極限られた本数ながらも運行されている…
今日は、コルサコフ地区で何やら催しが在り、その会場への連絡バスと接続ということになっている列車は、少し賑やかだった。4輛になった<D2>という型のディーゼルカーなのは、一度乗車してみた時と変わりなかったが…今般は少々賑やかな中、“車内販売”の係まで乗務していた…
コルサコフ市内に至り、<КОРСАКОВ>(コルサコフ)という駅までは前回辿り着いたが、「その先」が在って、そこは乗車していなかった。2駅在る。“駅”と言うより「乗降場」という風情なのだが…<ПРИСТАНЬ>(プリスタニ)という場所が在って、最後は<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)という場所だ。鉄路そのものは、「南埠頭」と呼び習わされている、大泊時代に整備された埠頭の方まで至っているが、(列車の本数は非常に限定的ではあるのだが)旅客の乗降を行うのは、この<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)までだ。
↓高くなっている車輛から、何も設えられていないような地面に「ヨイショッ!!」と飛び跳ねるように下りる…やれやれと端の方に来て、乗せてもらった車輛を何となく視る…
↓列車は、殆ど「直ちに」という具合に、折り返しのユジノサハリンスク行きということになり、エンジンを唸らせて直ぐに発車してしまった…
↑速度は然程上がっているようにも視えなかったが、何やら見る見る視えなくなった…
↓これは少し後に高台へ上って眺望した、旅客の乗降が行われる最後の方の区間である。
↑真中の奥辺り、4階建てか5階建ての建物の右手前に木が繁っている。その少し手前に<ПЯТЬ УГЛОВ>(ピャチ ウグロフ)が在る。画の下に相当する手前に鉄路を辿ると、橋になっている箇所が在って、その辺りでカーブしている。やや大き目な古い倉庫という風な建物の一寸手前に小さな乗降場が視える。これが<ПРИСТАНЬ>(プリスタニ)だ。
こういうような鉄路で、やや独特な趣のディーゼルカーの旅客列車が、極限られた本数ながらも運行されている…
晩夏の空とサハリン州郷土博物館(2017.08.25)
雨上がりの集合住宅前(2017.08.25)
燕が舞う空…(2017.08.25)
雲と街と…(2017.08.24)
旧 北海道拓殖銀行豊原支店=サハリン州美術館(2017.08.23)
百貨店<サハリン>:夜(2017.08.23)
百貨店<サハリン>:雨上がりの夕べ(2017.08.13)
百貨店<サハリン>:夕刻の賑わい(2017.08.03)
夜のレーニン広場(2017.08.23)
<1-я Московская дом 9>(2017.08.22)
ユジノサハリンスクの北西側、樺太時代には日露戦争の際の上陸作戦で戦死した指揮官の名に因んで“西久保”と命名されていたダリネエー地区は、「人口が漸増する新興住宅地」という雰囲気で、比較的新しいように見える集合住宅が多く並んでいる。
そのダリネエー地区の<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という住所に並ぶ集合住宅の1棟の壁に、граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノが登場し、「こういうモノをやって構わないのか?」、「華やいで好ましいから、もっとやると好い」というような、一寸した論争風な話しが出ていたのだが、「その後の動き」が在った。
壁をграффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノで彩ろうという運動が進み、これを支持する州議会議員や市議会議員も登場して、住民達が集まって「構想説明会」的な催しも開かれたらしく、「第2弾作品」が登場した…
↓こういう画が新たに登場した…
↑命名の由来等はよく判らないが、<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という“モスクワ”から来ている言葉の住所に因み、モスクワの聖ワシ―リー寺院のイラストが描かれた…
↓やや引いた感じで視ると、こういう具合に…
↑流麗な書体で書き込まれている文字の方は、建物の場所の住所で「ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通9」ということになる。
この動きは、地元放送局のテレビニュースでも取上げられている。その中で、コメントを求められた方が「ソ連時代にも共同住宅の建物壁にモザイクが施され、“あの画の建物”というように言っていた例は在った。そういうようなモノの、最近の流儀がこういうようにアーティストがデザインして画を描くというようなことのように思う」としていたのを聞いた。この“9”の建物の住民達は、壁に画が入ることに同意もしたのだということだが、この地区での「граффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)に飾られた住宅街」という動きは続く感である…
そのダリネエー地区の<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という住所に並ぶ集合住宅の1棟の壁に、граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノが登場し、「こういうモノをやって構わないのか?」、「華やいで好ましいから、もっとやると好い」というような、一寸した論争風な話しが出ていたのだが、「その後の動き」が在った。
壁をграффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノで彩ろうという運動が進み、これを支持する州議会議員や市議会議員も登場して、住民達が集まって「構想説明会」的な催しも開かれたらしく、「第2弾作品」が登場した…
↓こういう画が新たに登場した…
↑命名の由来等はよく判らないが、<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という“モスクワ”から来ている言葉の住所に因み、モスクワの聖ワシ―リー寺院のイラストが描かれた…
↓やや引いた感じで視ると、こういう具合に…
↑流麗な書体で書き込まれている文字の方は、建物の場所の住所で「ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通9」ということになる。
この動きは、地元放送局のテレビニュースでも取上げられている。その中で、コメントを求められた方が「ソ連時代にも共同住宅の建物壁にモザイクが施され、“あの画の建物”というように言っていた例は在った。そういうようなモノの、最近の流儀がこういうようにアーティストがデザインして画を描くというようなことのように思う」としていたのを聞いた。この“9”の建物の住民達は、壁に画が入ることに同意もしたのだということだが、この地区での「граффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)に飾られた住宅街」という動きは続く感である…
バスの中の犬(2017.08.22)
住宅街になっているような場所に立寄り、引揚げようとした際、バスに乗って移動することにした…
恐らく然程待つまでもなくバスは現れるであろうとバス停側に歩み寄った。
すると、近くに愛犬の散歩をしている風情の女性が居た。Tシャツにショートパンツというような軽装だ。
御近所の方が歩いているのだろうと思っていれば、バスが停留所に近付くのを視て、彼女は犬を抱え上げて小走りに走った…
私もバスを視て、歩調を早めてバスに寄って乗車しようとしたが、犬を抱えた女性も乗車していた…
「だから何?」というような話しなのだが…
↓バスの中で、犬がこんな様子だった…
↑犬は、何か妙に満足気な表情をしている…ような気がした…
カメラを持っていて、撮った写真を視ようとしていた時に、犬の表情を眼に留めて、何となく撮ったのだ…
恐らく然程待つまでもなくバスは現れるであろうとバス停側に歩み寄った。
すると、近くに愛犬の散歩をしている風情の女性が居た。Tシャツにショートパンツというような軽装だ。
御近所の方が歩いているのだろうと思っていれば、バスが停留所に近付くのを視て、彼女は犬を抱え上げて小走りに走った…
私もバスを視て、歩調を早めてバスに寄って乗車しようとしたが、犬を抱えた女性も乗車していた…
「だから何?」というような話しなのだが…
↓バスの中で、犬がこんな様子だった…
↑犬は、何か妙に満足気な表情をしている…ような気がした…
カメラを持っていて、撮った写真を視ようとしていた時に、犬の表情を眼に留めて、何となく撮ったのだ…
アザラシの群れ:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)
クズネツォフ岬:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)
ネベリスク地区内の景勝地として、名前が上ることが少なくなく、何度もその名を耳にしたクズネツォフ岬…実際に視たことは無かった…
↓これがそのクズネツォフ岬である…
↑上陸したカモイの浜のやや北に位置していたのだった…
↓岬の上の方には、古びた灯台も視えた…
↑険しい崖なので、船で辿り着いた浜の側から上に上がるのはやや難しく、上がることはしなかったのだが…
↓多少岬に近付いてみると、遠くからは見え難い、少し不思議な型の岩も視えた…
↓こんな雰囲気!何か、酷く気に入った…
砂浜で、所在なく過ごすというような時間…そんな時間を、今般のツアー参加以前で持ったのは、どれ位以前のことだったか?或いは以前には唯の一度も無かったのかもしれない…
例えば「もうサハリンへ行く必要は無い!」とでも言いがかりを付けられて、実際に行かないということになっても、或いは悔いは無いかもしれない。とにかくも好い時間だった。場合によって…9月の好天な日に、機会が在れば「再挑戦」ということをしてしまわないとも限らない…
↓これがそのクズネツォフ岬である…
↑上陸したカモイの浜のやや北に位置していたのだった…
↓岬の上の方には、古びた灯台も視えた…
↑険しい崖なので、船で辿り着いた浜の側から上に上がるのはやや難しく、上がることはしなかったのだが…
↓多少岬に近付いてみると、遠くからは見え難い、少し不思議な型の岩も視えた…
↓こんな雰囲気!何か、酷く気に入った…
砂浜で、所在なく過ごすというような時間…そんな時間を、今般のツアー参加以前で持ったのは、どれ位以前のことだったか?或いは以前には唯の一度も無かったのかもしれない…
例えば「もうサハリンへ行く必要は無い!」とでも言いがかりを付けられて、実際に行かないということになっても、或いは悔いは無いかもしれない。とにかくも好い時間だった。場合によって…9月の好天な日に、機会が在れば「再挑戦」ということをしてしまわないとも限らない…
サハリン南西海岸を疾駆したボート:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)
「この場所の名前は?」と問えば、船長は「カモイ」と応えた。「旧いアイヌの言葉で“カムイ”という、確か“神”を意味する言葉が在って、ロシア語では転訛してしまってカモイとなった訳だ…辺りは、古くはアイヌの村だったらしいが、樺太時代にも村が在った。今となってはその跡地だという場所に、石の基礎が視られるばかりなんだが…」と船長は言葉を継ぐ…
そんなカモイの浜は、サハリンの南西海岸を「サハリンの涯」たるクリリオン岬へ南下する途中の、クズネツォフ岬の脇に在る。同じツアーに参加した女性が「サハリンにも未だこんな所!」とか「私達だけ!」と率直に感嘆を漏らしていた…そんな場所だ…クリリオン岬を海上から眺め、再び北上して上陸した場所だ…
↓カモイの浜に、ボートが停泊している。
↑船長が操縦席に陣取り、その脇の席に1人―私に割り当てられた場所…―、後部に4人と「6人で満員」の小舟だ…
「6人で満員」の小舟だが、「40ノットは出るさ…」と船長が言う高速艇である。小型高速艇に特有な「多少撥ねる」ような動きも見せながら進んだ…或いは“海釣り”では、この種の小型高速艇がよくとうじょうするのかもしれないのだが、私自身はこの種の船には「全く初めて」乗船した。気分は「“007”か何かのアクション映画」という具合だった…そして、クリリオン岬に向かって行く中で、何やらの無線交信の声が聞こえて「国境の海域を疾駆…」という状態が感じられ、興味深かった…
船長によると…嘗てこの種のボートは90万ルーブル台で入手出来た様子だが、最近は200万ルーブル位だという。これは“為替変動”によるものだ…このボートは、嘗て北海道の紋別で購われたモノとも聞いた…
こんな船で輝く海を駆け巡りながら視た光景…忘れ難い経験になった…
そんなカモイの浜は、サハリンの南西海岸を「サハリンの涯」たるクリリオン岬へ南下する途中の、クズネツォフ岬の脇に在る。同じツアーに参加した女性が「サハリンにも未だこんな所!」とか「私達だけ!」と率直に感嘆を漏らしていた…そんな場所だ…クリリオン岬を海上から眺め、再び北上して上陸した場所だ…
↓カモイの浜に、ボートが停泊している。
↑船長が操縦席に陣取り、その脇の席に1人―私に割り当てられた場所…―、後部に4人と「6人で満員」の小舟だ…
「6人で満員」の小舟だが、「40ノットは出るさ…」と船長が言う高速艇である。小型高速艇に特有な「多少撥ねる」ような動きも見せながら進んだ…或いは“海釣り”では、この種の小型高速艇がよくとうじょうするのかもしれないのだが、私自身はこの種の船には「全く初めて」乗船した。気分は「“007”か何かのアクション映画」という具合だった…そして、クリリオン岬に向かって行く中で、何やらの無線交信の声が聞こえて「国境の海域を疾駆…」という状態が感じられ、興味深かった…
船長によると…嘗てこの種のボートは90万ルーブル台で入手出来た様子だが、最近は200万ルーブル位だという。これは“為替変動”によるものだ…このボートは、嘗て北海道の紋別で購われたモノとも聞いた…
こんな船で輝く海を駆け巡りながら視た光景…忘れ難い経験になった…