↓サハリンでは厳つい外観のトレーラーヘッドを存外に視掛ける…画はコルサコフ港の北埠頭に出入りする辺りだ…
↑日本国内では余り視ないようなタイプのトレーラーヘッドだと思う。短めな型のコンテナが載っている。「SASCO」とサハリンの会社のロゴが視える…
最近のサハリンでは、コルサコフ港にウラジオストク港等から輸送されるコンテナの貨物が「物流の基幹」を成しているという話しが在るようだ…
コンテナ輸送を主に扱うのは、コルサコフ港の中、ソ連時代に整備された北埠頭である…
<在コルサコフ日本領事館>の遺構(2017.08.15)
<樺太・千島交換条約>(1875年)の後、日本は樺太に領事館を設置した。
往時の日本領事館は、現在のコルサコフの、最も古くから拓けていた“クシュンコタン”地区に設けられた。
↓その遺構と伝わる石垣が現在でも見受けられる。
↑残っている石垣は、その「一部」ではあるのだが…現在、辺りはロシア正教関係の施設が在る…
1890年にサハリンを訪ねている作家のチェーホフは、サハリン滞在の後半にコルサコフを拠点にして活動していた。その際、日本領事館の近くに滞在していて、日本人の領事館員達と親しく交流していたという…
誰でも名前位は知っているロシアの有名作家が、“隣国”日本の人達と友好的に接していたと伝わる地…ユジノサハリンスク側からコルサコフへ向かうと、「街の入口」のように見受けられる、鉄道と道路が在って(ロシアの最大手石油会社)<ロスネフチ>のロゴが在るガソリンスタンドが視える辺りである。バスで向かった時は、「この辺りで下りたい」と運転手さんに申し出ると、近くに停留所が在ったが…
往時の日本領事館は、現在のコルサコフの、最も古くから拓けていた“クシュンコタン”地区に設けられた。
↓その遺構と伝わる石垣が現在でも見受けられる。
↑残っている石垣は、その「一部」ではあるのだが…現在、辺りはロシア正教関係の施設が在る…
1890年にサハリンを訪ねている作家のチェーホフは、サハリン滞在の後半にコルサコフを拠点にして活動していた。その際、日本領事館の近くに滞在していて、日本人の領事館員達と親しく交流していたという…
誰でも名前位は知っているロシアの有名作家が、“隣国”日本の人達と友好的に接していたと伝わる地…ユジノサハリンスク側からコルサコフへ向かうと、「街の入口」のように見受けられる、鉄道と道路が在って(ロシアの最大手石油会社)<ロスネフチ>のロゴが在るガソリンスタンドが視える辺りである。バスで向かった時は、「この辺りで下りたい」と運転手さんに申し出ると、近くに停留所が在ったが…