古い事故船の残骸:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)

↓クリリオン岬のやや北側である…
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↑かなり古い時期の事故船の残骸であるらしい…海鳥の巣のようになっていた…

↓以前はもっと長さが在って、「船らしい」感じもしたのだというが…
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↑朽ち果てるに任されている感である…

↓「自然に呑み込まれる文明」というのか…そういうようなことを考えてしまった…
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クリリオン岬近海の霧が濃くなって、北上を初めて程無く霧の影響を免れ、明るい空の下で航海は続いたのだった…

クリリオン岬灯台を海上から望む:『サハリンの涯へ』ツアー(2017.08.19)

海面が陽光に輝くタタール海峡…日本海の北部…小型高速艇に特有な、時々跳ね上がるような動きも見せながら南下していたが、不意に減速した…

「御案内申し上げます。この先、お手持ちのスマートフォンが何らかの通信を受信する場合、“ローミング”が適用される場合が在ります」と船長が船を停止させながら切り出す。

「要は通信がわざわざサッポロか何処かを経由して、国際料金の適用で、後からビックリする場合が在るのです。気になる方は機器の調整、または電源をお切り下さい」と船長は言葉を継いだ…

「よろしいでしょうか?進みます…」と船が進み始める…

「これからラペルーズ海峡の水域になります。潮流により、やや揺れる場合が在ります。御注意願います」と船長が言い始めると、船は本当に揺れた…

↓「あれがクリリオン岬…国境警備関係者が詰めている場所や、灯台が在ります」と船長は言いながら、船を停止した。
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↑「少しだけ停船します」ということになった…

「右側はアニワ湾の海域、現在居る辺りがラペルーズ海峡の海域、そしてここまで走って来たのがタタール海峡です。何れも日本海の一部ではありますが…」と船長は言う。それを耳にしながら乗客達は様子を眺め、各々に写真やビデオを撮影する。乗客は5名…所謂“釣り船”ということで使うようなことが在る、小型のモーターボートなのだ。後で船長に尋ねれば、以前に北海道の紋別で購ったというYAMAHAのボートである。

↓左寄りな辺りに灯台が在るのが判る…
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↑1875年以降、ロシアがサハリン全土を領有することになっていた時期、アレクサンドロフスク・サハリンスキーの灯台を模して、霧も多く潮流が複雑なこの海域で航海の安全性を向上させるべく灯台を築いたというのが、ここの灯台の事始めらしい。往時の建物は木造で現存せず、現存するのはその後立て直されたモノであるようだが…

5人の乗客…1人で参加の自然巡り、名所巡りを趣味にしている風な女性…2人で参加の親戚同士か古い知り合いという風で、一寸変わった場所で愉しむということを試みている風な女性達、更に「如何にも野外活動をする」という服装で、確り湿地に踏み入る長靴を履いて、一眼レフのカメラを抱えた男性、更に彼らの眼には「よく判らない、多分“外国人”な男」と映じたであろう私である…

一眼レフのカメラを手にした男性は“写真家”であるらしく、サハリンの方々へ行っていて、色々な事情に明るく女性達に色々と語っていた場面も在った。私も何となくそれを聞いていたが…

「やっぱり来たね…」と“写真家”氏が言う…

↓俄かに霧が立ち込めて来た…
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↑「今日は凄く運が好いと思ったが…ここは“霧”の頻発する場所だ…」と“写真家”氏…「みるみるうちに視えなくなって…」と女性達も驚いている…

俄かに霧が拡がって辺りが視えなくなるような様…確かに少々驚かされるが…私は「この場所の“らしい”雰囲気かもしれない」とも、やや揺れる船上で思っていた…

白い霧で辺りが包まれ始め、海面だけが鈍く輝くような、「幻想的」とも言える状態となったが、とりあえず遠景は視えない…

「この辺りでは、御覧のように“瞬時”で霧のために視界が極端に悪くなります。船を出します。着席下さい…」と船長は宣し、YAMAHAのエンジンが唸って船はまた北上し始めた…

残念ながら、この辺りの海域から宗谷の地、条件が好ければ視えるという利尻富士を望むことは叶わなかった。というよりも、沖のモネロン島さえも視えなかった訳だが…それでも「好い経験」が出来たと思う。