ユジノサハリンスクの北西側、樺太時代には日露戦争の際の上陸作戦で戦死した指揮官の名に因んで“西久保”と命名されていたダリネエー地区は、「人口が漸増する新興住宅地」という雰囲気で、比較的新しいように見える集合住宅が多く並んでいる。
そのダリネエー地区の<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という住所に並ぶ集合住宅の1棟の壁に、граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノが登場し、「こういうモノをやって構わないのか?」、「華やいで好ましいから、もっとやると好い」というような、一寸した論争風な話しが出ていたのだが、「その後の動き」が在った。
壁をграффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノで彩ろうという運動が進み、これを支持する州議会議員や市議会議員も登場して、住民達が集まって「構想説明会」的な催しも開かれたらしく、「第2弾作品」が登場した…
↓こういう画が新たに登場した…
↑命名の由来等はよく判らないが、<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という“モスクワ”から来ている言葉の住所に因み、モスクワの聖ワシ―リー寺院のイラストが描かれた…
↓やや引いた感じで視ると、こういう具合に…
↑流麗な書体で書き込まれている文字の方は、建物の場所の住所で「ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通9」ということになる。
この動きは、地元放送局のテレビニュースでも取上げられている。その中で、コメントを求められた方が「ソ連時代にも共同住宅の建物壁にモザイクが施され、“あの画の建物”というように言っていた例は在った。そういうようなモノの、最近の流儀がこういうようにアーティストがデザインして画を描くというようなことのように思う」としていたのを聞いた。この“9”の建物の住民達は、壁に画が入ることに同意もしたのだということだが、この地区での「граффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)に飾られた住宅街」という動きは続く感である…