「雨の一日」という感だったが、雨が上がっていた時間帯も在った。そんな時間帯に、近所の緑地を歩いた。
↓鳩が何か不思議な動きを見せていて、何となく見入ってしまった…
↑水溜りで水を飲んでいたかと思えば、何やら水浴びのような動きを見せている…
雨に濡れて汚れたのか、サッパリしたかったのだろうか?何か不思議な感じだった…
“Буханка”(ブハンカ)ことУАЗ-452が行く日没後の街角(2017.09.12)
「財布の中身」…(2017.09.12)
↓何気なく、財布の中身をテーブル上に出してみた…
↑1000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルと常用する紙幣の他に、コインがかなり貯まっていた…
これらのコイン…10ルーブル、5ルーブル、2ルーブル、1ルーブルは非常に出入りが多い。最近は商店で支払いをする際に「細かいのが在りませんか?」という例が非常に多く、そういう場面でこれらのコインは出入りが多い…
他方…10コペイカ、50コペイカというのは、一部の店で釣銭として頂くのだが、支払いに使用する機会が非常に少ない…そこで、財布の中に貯まる一方だ…
これらのコインだが、コインの大きさや厚みは“記念硬貨”として登場する例外的なモノを除くと、永く変わっていない様子なのだが…デザインが多少「新しい」モノになっている場合が見受けられる。非常に判り易いのは、1990年代に採用された「冠等が省かれた<双頭の鷲>」に対し、近年は「冠も着いた、確り“ロシアの紋章”の<双頭の鷲>」が入ったモノが現れている。また1ルーブルのコインには“ルーブル”を示す「Рに横線」の記号を入れたモノが見受けられるようになった。
何となく使ってしまうコインだが、こうして時々眺めてみると面白い。
↑1000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルと常用する紙幣の他に、コインがかなり貯まっていた…
これらのコイン…10ルーブル、5ルーブル、2ルーブル、1ルーブルは非常に出入りが多い。最近は商店で支払いをする際に「細かいのが在りませんか?」という例が非常に多く、そういう場面でこれらのコインは出入りが多い…
他方…10コペイカ、50コペイカというのは、一部の店で釣銭として頂くのだが、支払いに使用する機会が非常に少ない…そこで、財布の中に貯まる一方だ…
これらのコインだが、コインの大きさや厚みは“記念硬貨”として登場する例外的なモノを除くと、永く変わっていない様子なのだが…デザインが多少「新しい」モノになっている場合が見受けられる。非常に判り易いのは、1990年代に採用された「冠等が省かれた<双頭の鷲>」に対し、近年は「冠も着いた、確り“ロシアの紋章”の<双頭の鷲>」が入ったモノが現れている。また1ルーブルのコインには“ルーブル”を示す「Рに横線」の記号を入れたモノが見受けられるようになった。
何となく使ってしまうコインだが、こうして時々眺めてみると面白い。
V.M.ゴロヴニーン胸像(2017.09.10)
サハリンスカヤ通に4箇所在る「胸像が据えられた緑地」の中、3箇所に関しては整備工事が行われていて、暫く立入ることが出来なかった。9月に入ってそれらが竣工し、普通に立入りも出来るようになった。
サハリンスカヤ通を東寄りから西寄りへ進み、交通量も多目なレーニン通と交差する辺りを越えると、胸像が据えられた広場に出くわす。3箇所同時に進んでいた整備工事の中では、何やら生コンを流し込む車輛が出入りしていた等「酷く大袈裟な工事?」と視えた場所だが、そこも他とほぼ同時期に竣工している…
↓こういう胸像が据えられている…
↑これを視て、アニメの『銀河英雄伝説』に登場する“帝国軍”の指揮官級の劇中人物達を思い出していた…(あれは、欧州諸国の昔の海軍を意識したようなデザインの服装を敢えてしているので、こういう「帝政ロシアの海軍士官の軍服」というイメージと重なる部分が在ると思うが…)
この人物、ワシ―リー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニーン(1776-1831)である。
ゴロヴニーンは、<ディアナ>号という船で、更に後年は<カムチャッカ>号という船で世界周航を複数回成功させている指揮官としてロシアでは知られている。そして日本でも<ゴローニン事件>と呼び習わされる、箱館を拠点にしていた商人の高田屋嘉兵衛が絡まる事件の当事者として少し知られている…
この広場には、ゴロヴニーンの伝記的な情報や、彼が指揮を執った<カムチャッカ>号を紹介するパネルも据えられている。(ロシア語の説明文が在る…)そこに、<ゴローニン事件>の詳述はされていないが、日本の幕吏に捕えられてしまい、2年近く日本に抑留されてしまったことと、その時の経験や見聞を綴った『日本幽囚記』がよく知られていることは紹介されていた。
↓何度も近海を通過しているサハリンの街に据えられた胸像…目線の先には何が在るのであろう?
このゴロヴニーンの胸像の在る緑地…私にとっては食事を摂る気に入った店への通り道なので、何時もこの胸像を少し離れた位置から視ている…
サハリンスカヤ通を東寄りから西寄りへ進み、交通量も多目なレーニン通と交差する辺りを越えると、胸像が据えられた広場に出くわす。3箇所同時に進んでいた整備工事の中では、何やら生コンを流し込む車輛が出入りしていた等「酷く大袈裟な工事?」と視えた場所だが、そこも他とほぼ同時期に竣工している…
↓こういう胸像が据えられている…
↑これを視て、アニメの『銀河英雄伝説』に登場する“帝国軍”の指揮官級の劇中人物達を思い出していた…(あれは、欧州諸国の昔の海軍を意識したようなデザインの服装を敢えてしているので、こういう「帝政ロシアの海軍士官の軍服」というイメージと重なる部分が在ると思うが…)
この人物、ワシ―リー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニーン(1776-1831)である。
ゴロヴニーンは、<ディアナ>号という船で、更に後年は<カムチャッカ>号という船で世界周航を複数回成功させている指揮官としてロシアでは知られている。そして日本でも<ゴローニン事件>と呼び習わされる、箱館を拠点にしていた商人の高田屋嘉兵衛が絡まる事件の当事者として少し知られている…
この広場には、ゴロヴニーンの伝記的な情報や、彼が指揮を執った<カムチャッカ>号を紹介するパネルも据えられている。(ロシア語の説明文が在る…)そこに、<ゴローニン事件>の詳述はされていないが、日本の幕吏に捕えられてしまい、2年近く日本に抑留されてしまったことと、その時の経験や見聞を綴った『日本幽囚記』がよく知られていることは紹介されていた。
↓何度も近海を通過しているサハリンの街に据えられた胸像…目線の先には何が在るのであろう?
このゴロヴニーンの胸像の在る緑地…私にとっては食事を摂る気に入った店への通り道なので、何時もこの胸像を少し離れた位置から視ている…
N.V.ルダノフスキー胸像(2017.09.09)
サハリンスカヤ通の、海事史関係の人物の胸像が据えられた広場は4箇所在るが、中の3箇所で整備工事が行われていた。9月に入って、それらの工事が竣工しており、胸像の近くに寄ることも出来るようになっていた…
↓映画館の傍に在る、ルダノフスキーの胸像だ…
↑何か非常に渋い感じで、気に入っている…工事が終わって近寄れるようになったので、久し振りに眺めてみた…
この人物はネヴェリスコイ提督の麾下で、サハリン南部を踏査したことで知られる人物だ。サハリンに関してロシアで語られる際、「遺されている記録として最も古い」というモノが、このルダノフスキーの調査記録であるという事例も少なくないようだ…
↓整備工事が竣工し、広場に寛ぐ人達が戻った様子を、厳めしい顔をしたルダノフスキーの胸像が静かに見守っているような風情が、何となく好い…
この人がサハリンを踏査した1853年から1854年頃…道路が整っていたでもない中、きっと物凄く苦労したのだと、勝手に想像してしまう…この胸像の目線の先には、車輛の通行量も多目なサハリンスカヤ通が在る…
↓映画館の傍に在る、ルダノフスキーの胸像だ…
↑何か非常に渋い感じで、気に入っている…工事が終わって近寄れるようになったので、久し振りに眺めてみた…
この人物はネヴェリスコイ提督の麾下で、サハリン南部を踏査したことで知られる人物だ。サハリンに関してロシアで語られる際、「遺されている記録として最も古い」というモノが、このルダノフスキーの調査記録であるという事例も少なくないようだ…
↓整備工事が竣工し、広場に寛ぐ人達が戻った様子を、厳めしい顔をしたルダノフスキーの胸像が静かに見守っているような風情が、何となく好い…
この人がサハリンを踏査した1853年から1854年頃…道路が整っていたでもない中、きっと物凄く苦労したのだと、勝手に想像してしまう…この胸像の目線の先には、車輛の通行量も多目なサハリンスカヤ通が在る…
百貨店<サハリン>(2017.09.11)
百貨店<サハリン>(2017.09.10)
路面に高層マンション…(2017.09.09)
雲とレーニン(2017.09.11)
「雲の中に聳え立つ」感の<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>と「神の宇宙」のような内部(2017.09.10)
好天に恵まれた日曜日だった…
遠くの青空に白い「大きな生物?」のような大きな雲が視え、大聖堂の独特な形状の屋根である“クーポル”が光っているのが視えた…「後刻、近くへ…」と思ったのだったが…実際に、道すがらに珈琲を求めて、それを飲みながらテクテクと歩いて大聖堂の近くへ足を運んだ…
↓こういうような具合に聳え立っていた…
↑“天国”と名が付くモノは「歩行者天国」位しか知らないのだが、何か「“天国”という場所はこんな感じなのか?」と想像させるものが在った…
「極東最大」を誇るというロシア正教の大聖堂の威容を暫し眺めていたが…日曜日でもあるので、存外に人々の出入も見受けられる…内部は「何やら工事中?」とも聞いたが、久し振りに入ってみた…
↓数多くのイコンに飾られた巨大な壁が眼前に…
↑天井の側から陽光が適度に射し込み、金色に飾られた部分が少し煌いている…
↓光に導かれるように上を仰ぎ見る…
↑複数の屋根を組合わせた“クーポル”の、中央に在るモノの裏側にキリストの大きな画が入っている。これを仰ぎ見ると、何か「神の宇宙」というような表現を思い浮かべてしまう…
そんなことを想っていると…ロシア正教に特有な朗唱するような、独特の調子な「祈り」の声音が大聖堂内部に木霊していた…
↓司祭が祈祷を行っているところだった…
↑暫し祈りの声を聴き入った…そして、最近は「何やら不穏な情勢?!」なので、何となく「平和な世界を祈ろう…」という気分になった…“拝観料”でもないが、蝋燭を1本求めて点して供えた…
↓「時には訪ねてみたい」という想いになる空間だ…
↓そして建物の外観も素晴らしいと思う…
久し振りに大聖堂を訪ねる機会が出来たのは、何か非常に善かったような気がする…平穏な日曜日は「斯く在りたい」という気もする…
遠くの青空に白い「大きな生物?」のような大きな雲が視え、大聖堂の独特な形状の屋根である“クーポル”が光っているのが視えた…「後刻、近くへ…」と思ったのだったが…実際に、道すがらに珈琲を求めて、それを飲みながらテクテクと歩いて大聖堂の近くへ足を運んだ…
↓こういうような具合に聳え立っていた…
↑“天国”と名が付くモノは「歩行者天国」位しか知らないのだが、何か「“天国”という場所はこんな感じなのか?」と想像させるものが在った…
「極東最大」を誇るというロシア正教の大聖堂の威容を暫し眺めていたが…日曜日でもあるので、存外に人々の出入も見受けられる…内部は「何やら工事中?」とも聞いたが、久し振りに入ってみた…
↓数多くのイコンに飾られた巨大な壁が眼前に…
↑天井の側から陽光が適度に射し込み、金色に飾られた部分が少し煌いている…
↓光に導かれるように上を仰ぎ見る…
↑複数の屋根を組合わせた“クーポル”の、中央に在るモノの裏側にキリストの大きな画が入っている。これを仰ぎ見ると、何か「神の宇宙」というような表現を思い浮かべてしまう…
そんなことを想っていると…ロシア正教に特有な朗唱するような、独特の調子な「祈り」の声音が大聖堂内部に木霊していた…
↓司祭が祈祷を行っているところだった…
↑暫し祈りの声を聴き入った…そして、最近は「何やら不穏な情勢?!」なので、何となく「平和な世界を祈ろう…」という気分になった…“拝観料”でもないが、蝋燭を1本求めて点して供えた…
↓「時には訪ねてみたい」という想いになる空間だ…
↓そして建物の外観も素晴らしいと思う…
久し振りに大聖堂を訪ねる機会が出来たのは、何か非常に善かったような気がする…平穏な日曜日は「斯く在りたい」という気もする…
夜空に輝く:ユジノサハリンスク市行政府本庁舎(2017.09.09)
『街の日』ということで色々な催事が続いていた。夕刻から夜は、何やらバンドが入ってレーニン広場や市行政府本庁舎の周辺でライブをやっていた。音が住まいの辺りでも、窓を開けていれば聞こえる状態だ…そして午後10時前位に花火が盛大に打上られ、何となく催しが落ち着いた…
そういう夜、午後11時を過ぎたような頃に一寸気になった…住まいの入口辺りに何となく佇んでみると、“サーチライト”のように、夜空に放たれた光線が、不規則に動く様子が少し離れた辺りに視えていた。「多分、市行政府本庁舎?」と思い、一寸行ってみることにした…大袈裟な話しでもない。往復しても然程時間を要しない辺りへ散歩だ…
↓「何じゃこりゃ!?」という感じだ…
↑“ライトアップ”という感じで、庁舎の外壁を照らし出すような灯りが点くことは承知していたが…
↓やや驚きながら、様子を少し角度も変えながら眺めてしまった…
↓「見慣れた御近所」の筈が…「全然違う?!」感じに視える…
ユジノサハリンスクでは、「夜の灯りに映える」というようなことに関心が高まっているようにも視えるのだが…市の庁舎で率先してそういうことに取組んでいる…
この日は催事も在ったからかもしれないが…午後11時を過ぎていながら、存外に通行人は居て、車輛の往来も見受けられた…
そういう夜、午後11時を過ぎたような頃に一寸気になった…住まいの入口辺りに何となく佇んでみると、“サーチライト”のように、夜空に放たれた光線が、不規則に動く様子が少し離れた辺りに視えていた。「多分、市行政府本庁舎?」と思い、一寸行ってみることにした…大袈裟な話しでもない。往復しても然程時間を要しない辺りへ散歩だ…
↓「何じゃこりゃ!?」という感じだ…
↑“ライトアップ”という感じで、庁舎の外壁を照らし出すような灯りが点くことは承知していたが…
↓やや驚きながら、様子を少し角度も変えながら眺めてしまった…
↓「見慣れた御近所」の筈が…「全然違う?!」感じに視える…
ユジノサハリンスクでは、「夜の灯りに映える」というようなことに関心が高まっているようにも視えるのだが…市の庁舎で率先してそういうことに取組んでいる…
この日は催事も在ったからかもしれないが…午後11時を過ぎていながら、存外に通行人は居て、車輛の往来も見受けられた…
クルーゼンシュテルンの胸像(2017.09.09)
ユジノサハリンスクのサハリンスカヤ通には幾つかの緑地が設けられているのだが、そこにはサハリン周辺の様子をロシアで紹介すること等に功績が在った史上の人物の胸像が据えられている。なかなかに興味深い。
が…最近、何やら「広場の整備工事」というのをやっていて、その胸像をゆったりと眺めるようなことが出来なかった…
そして極短い期間ながら、サハリンから離れて戻ってみれば…整備工事が竣工して、広場は普通に出入り可能になっていたようだ…
↓こういう胸像が在る…
これはアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン(1770-1846)の胸像だ。ロシアではイヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールンとして知られており、ユジノサハリンスクの胸像にはそのイワン・フョードロヴィチの方で名が刻まれている。
クルーゼンシュテルンは、バルト海沿岸部のドイツ系、スウェーデン貴族の流れを汲む一族の出で、エストニアで産れた。長じて海軍軍人となり、探検家として知られるような事績も残している。殊に1803年から1806年の期間で、ロシアとしては初めて記録に残る世界周航を達成している。そして、その際に通過した日本海に関して"MER DU JAPON" と記録し、諸国に“日本海”の名を紹介した人物と考えられる…
1804年にロシアの使節であるニコライ・レザノフが長崎へ至り、日本との通商関係樹立を目指して交渉に臨もうとしたものの巧く事が運ばなかった経過が在った。その際の、レザノフが乗っていた船の指揮を執っていたのがクルーゼンシュテルンということになるようだ…
↓クルーゼンシュテルンが来航したような頃には、想像さえ出来ないような状況の街が、胸像の目線の先には拡がっていることであろう…
が…最近、何やら「広場の整備工事」というのをやっていて、その胸像をゆったりと眺めるようなことが出来なかった…
そして極短い期間ながら、サハリンから離れて戻ってみれば…整備工事が竣工して、広場は普通に出入り可能になっていたようだ…
↓こういう胸像が在る…
これはアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン(1770-1846)の胸像だ。ロシアではイヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールンとして知られており、ユジノサハリンスクの胸像にはそのイワン・フョードロヴィチの方で名が刻まれている。
クルーゼンシュテルンは、バルト海沿岸部のドイツ系、スウェーデン貴族の流れを汲む一族の出で、エストニアで産れた。長じて海軍軍人となり、探検家として知られるような事績も残している。殊に1803年から1806年の期間で、ロシアとしては初めて記録に残る世界周航を達成している。そして、その際に通過した日本海に関して"MER DU JAPON" と記録し、諸国に“日本海”の名を紹介した人物と考えられる…
1804年にロシアの使節であるニコライ・レザノフが長崎へ至り、日本との通商関係樹立を目指して交渉に臨もうとしたものの巧く事が運ばなかった経過が在った。その際の、レザノフが乗っていた船の指揮を執っていたのがクルーゼンシュテルンということになるようだ…
↓クルーゼンシュテルンが来航したような頃には、想像さえ出来ないような状況の街が、胸像の目線の先には拡がっていることであろう…
Гамбургер(ガンブルゲル)=ハンバーガー(2017.09.09)
軍楽隊と衛兵隊:ユジノサハリンスク『街の日』のオープニングパレード(2017.09.09)
早朝は雨だった土曜日…陽が高くなって行くに連れて天候は好転した…
「建都135年」ということで開催される予定だった『街の日』には好適な感じになって行った…
そのオープニングパレードを視ようと、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎やレーニン広場辺りのメイン会場に足を運び、巧く“桟敷”に陣取ることが叶った。
↓陣取った辺りの真ん前に、モスクワから招かれたという軍楽隊が現れ、眼前で演奏する様子を観られた!
↑独特な所作で力強い演奏をしていた…
↓パレードの先頭を切って登場した衛兵隊は、真直ぐ観悪い角度の位置でパフォーマンスをやっていた…
↑モスクワのクレムリン等で活動している衛兵隊が招かれたという…独特な、擬古風なユニフォームに身を包んでいる…
↓何か“伝統”のようなモノが感じられ、視ていて面白かった…
やがて衛兵隊は空砲を放ち、拍手喝采が沸き起こり、そのうち力強い足取りでメイン会場から離れ、軍楽隊も後から続いた…
「建都135年」ということで開催される予定だった『街の日』には好適な感じになって行った…
そのオープニングパレードを視ようと、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎やレーニン広場辺りのメイン会場に足を運び、巧く“桟敷”に陣取ることが叶った。
↓陣取った辺りの真ん前に、モスクワから招かれたという軍楽隊が現れ、眼前で演奏する様子を観られた!
↑独特な所作で力強い演奏をしていた…
↓パレードの先頭を切って登場した衛兵隊は、真直ぐ観悪い角度の位置でパフォーマンスをやっていた…
↑モスクワのクレムリン等で活動している衛兵隊が招かれたという…独特な、擬古風なユニフォームに身を包んでいる…
↓何か“伝統”のようなモノが感じられ、視ていて面白かった…
やがて衛兵隊は空砲を放ち、拍手喝采が沸き起こり、そのうち力強い足取りでメイン会場から離れ、軍楽隊も後から続いた…
サハリン州政府庁舎(2017.09.09)
屋蓋の下:稚内港北防波堤ドーム(2017.09.08)
<ペンギン33>から望んだ宗谷岬周辺の陸地(2017.09.08)
夕刻:稚内港北防波堤ドーム(2017.09.07)
稚内港北防波堤ドーム:日出の頃(2017.09.06)
稚内港を発つ<ペンギン33>(2017.09.05)
エゾシカと稚内港北防波堤ドーム(2017.09.05)
↓未だ灯りが残る稚内港北防波堤ドーム…見慣れていても、何時も少しずつ「感じ」が変わり、「飽きない」気に入っている眺めだが…何か妙だ?
↑早くも活動を開始したカラスがチョロチョロとしているのも視えるが…妙に存在感が大きいのは、夢中で草を食むエゾシカである…
稚内の中央地区―この辺りの住所は「開運」だが、「中央地区」の一隅と考えて差し支えないであろう…―では、早朝の時間帯にエゾシカとの遭遇確率が高い…“35㎜相当”画角の<X100F>で撮っている。カメラに通じた方であれば、何となく“距離”を想像して頂けると思うが、彼らは「カメラを持って視ている通行人」という私を然程気に掛けていない…
瞬時、エゾシカが頭を上げると角が視えた。若い牡のようだ…この辺りの草…雪の下になっていない期間は、終始“潮風”に晒されている…「美味い塩味?」と想像してみる…
これが「最近の稚内らしい」という光景かもしれない…
↑早くも活動を開始したカラスがチョロチョロとしているのも視えるが…妙に存在感が大きいのは、夢中で草を食むエゾシカである…
稚内の中央地区―この辺りの住所は「開運」だが、「中央地区」の一隅と考えて差し支えないであろう…―では、早朝の時間帯にエゾシカとの遭遇確率が高い…“35㎜相当”画角の<X100F>で撮っている。カメラに通じた方であれば、何となく“距離”を想像して頂けると思うが、彼らは「カメラを持って視ている通行人」という私を然程気に掛けていない…
瞬時、エゾシカが頭を上げると角が視えた。若い牡のようだ…この辺りの草…雪の下になっていない期間は、終始“潮風”に晒されている…「美味い塩味?」と想像してみる…
これが「最近の稚内らしい」という光景かもしれない…
黎明の頃:稚内港北防波堤ドーム周辺(2017.09.04)
特急<宗谷>の車窓から…(2017.09.03)
「稚内へ北上」の列車では「進行方向左の窓側」が好い…
↓稚内市の域内に入って暫く経った抜海駅を過ぎた辺り…こういう車窓が愉しめる…
↑朝に札幌を出て稚内へ向かう特急<宗谷>…車掌さんが車窓が素晴らしい旨の車内放送をして、少しだけ列車が徐行する場合も在る…
札幌駅で乗車券と特急券を求めた際、何となく指定席を取ったが、「進行方向左の窓側」に相当する「3号車1D」だった…運が好かった…左の利尻富士は、山頂部が少々雲に隠れてしまっているが、海の上に流れる雲の感じが好い…
“新機材”(=X100F)で何となく車窓を撮った…カラーの方は「気になる?」程度に水平線が傾いてしまって、モノクロの方をブログに掲載することにしたが…「フィルムシミュレーション」の“ACROS”は、こういう光景の画でも素晴らしい!
↓稚内市の域内に入って暫く経った抜海駅を過ぎた辺り…こういう車窓が愉しめる…
↑朝に札幌を出て稚内へ向かう特急<宗谷>…車掌さんが車窓が素晴らしい旨の車内放送をして、少しだけ列車が徐行する場合も在る…
札幌駅で乗車券と特急券を求めた際、何となく指定席を取ったが、「進行方向左の窓側」に相当する「3号車1D」だった…運が好かった…左の利尻富士は、山頂部が少々雲に隠れてしまっているが、海の上に流れる雲の感じが好い…
“新機材”(=X100F)で何となく車窓を撮った…カラーの方は「気になる?」程度に水平線が傾いてしまって、モノクロの方をブログに掲載することにしたが…「フィルムシミュレーション」の“ACROS”は、こういう光景の画でも素晴らしい!
イカ漁船が稚内港から出漁へ(2017.09.03)
中央埠頭から望む稚内港北防波堤ドーム(2017.09.03)
夜明けの旭橋(2017.09.03)
衝動的な買物で札幌へ出て、直ぐに旭川まで引き返して、旭川で夜を明かすことにしたのは…「飯を食う」ためではない!「明け方に旭橋の写真を撮る」ためである!
↓ということで…「願い」も通じて「好天な感じの朝」となり、薄暗い間に宿を出て旭橋と対面である…
↓橋の背後が東寄りな空ということになる…
↓次第に東寄りな空が眩しくなる…
実を言えば…“新機材”(=新しいカメラ)を入手した!!その“テスト”の題材に「気に入っている被写体」の一つということになる旭橋を選んだのである…
“新機材”…大変に評価の高い<X100F>である!<富士フィルム>社の「自慢の製品」と言って差し支えないモノだ…
<フィルムシミュレーション>という、色調や画調を調整する機能が在る。それの「ACROS」という「モノクロフィルム調」を選んでみた訳だ…
勿論、写真は「機材で撮る」訳でもない…が、「持っているだけでも嬉しい!」ような評価が高い機材を手にすると、一寸張り切ってしまう…休む前にバッテリーを充電して「直ぐ使える!」ようにして朝を待ったが…宿ではよく眠れなかった…早く“新機材”を使ってみたかった訳だ…
↓ということで…「願い」も通じて「好天な感じの朝」となり、薄暗い間に宿を出て旭橋と対面である…
↓橋の背後が東寄りな空ということになる…
↓次第に東寄りな空が眩しくなる…
実を言えば…“新機材”(=新しいカメラ)を入手した!!その“テスト”の題材に「気に入っている被写体」の一つということになる旭橋を選んだのである…
“新機材”…大変に評価の高い<X100F>である!<富士フィルム>社の「自慢の製品」と言って差し支えないモノだ…
<フィルムシミュレーション>という、色調や画調を調整する機能が在る。それの「ACROS」という「モノクロフィルム調」を選んでみた訳だ…
勿論、写真は「機材で撮る」訳でもない…が、「持っているだけでも嬉しい!」ような評価が高い機材を手にすると、一寸張り切ってしまう…休む前にバッテリーを充電して「直ぐ使える!」ようにして朝を待ったが…宿ではよく眠れなかった…早く“新機材”を使ってみたかった訳だ…
旭川駅に到着後、折り返し運転に備える特急<ライラック>=789系電車(2017.09.02)
釧路から到着した列車(右)と旭川へ向かう列車(左)と…(2017.09.02)
音威子府駅の「久し振り!!」な光景(2017.09.02)
佐久駅に停車中のキハ54(2017.09.02)
早朝の5時20分に稚内駅を発つ普通列車に乗ると、午前9時前に名寄駅に着ける…名寄で一息入れて、旭川駅まで普通列車…そんなプランを思い描き、久々に「日出処の黎明!」という感である「稚内の夜明け」の光景を愉しみながら稚内駅へ足を運び、何度も乗車した記憶が在るキハ54に乗り込んだ…
「もう少しで音威子府…」という辺り…佐久駅で列車が動かなくなった…佐久駅と筬島駅との間で倒木処理の必要が生じたのだという…
↓1時間強もの先行き不透明だった停車…滅多に視ないような角度で車輛を眺めて、ホームに出たり車内で掛けたりと、何となくゆっくりしていた…
結局…音威子府駅で全乗客が後発の特急列車に乗換えて名寄に移動ということになったのだが…私は特急券を求めて旭川まで乗って行った…「道草をしながら…」というプランは崩れた…結局、車輛も少なく、列車本数も少ないと、こういう場面が時々起こってしまう…
↓しかしそれはそれとして、こういう角度で見慣れた鉄道車輌を視る機会は少ないので、少し貴重な経験だったかもしれない…
「もう少しで音威子府…」という辺り…佐久駅で列車が動かなくなった…佐久駅と筬島駅との間で倒木処理の必要が生じたのだという…
↓1時間強もの先行き不透明だった停車…滅多に視ないような角度で車輛を眺めて、ホームに出たり車内で掛けたりと、何となくゆっくりしていた…
結局…音威子府駅で全乗客が後発の特急列車に乗換えて名寄に移動ということになったのだが…私は特急券を求めて旭川まで乗って行った…「道草をしながら…」というプランは崩れた…結局、車輛も少なく、列車本数も少ないと、こういう場面が時々起こってしまう…
↓しかしそれはそれとして、こういう角度で見慣れた鉄道車輌を視る機会は少ないので、少し貴重な経験だったかもしれない…