水浴びする鳩(2017.09.13)

「雨の一日」という感だったが、雨が上がっていた時間帯も在った。そんな時間帯に、近所の緑地を歩いた。

↓鳩が何か不思議な動きを見せていて、何となく見入ってしまった…
13-09-2017 vol01 (1)
↑水溜りで水を飲んでいたかと思えば、何やら水浴びのような動きを見せている…

雨に濡れて汚れたのか、サッパリしたかったのだろうか?何か不思議な感じだった…

“Буханка”(ブハンカ)ことУАЗ-452が行く日没後の街角(2017.09.12)

↓何やら古めかしい形のバンが、電飾の美しいスーパーの前を通り過ぎて行く…
12-09-2017 (7)
↑思わず写真に収めてしまった…

УАЗ-452は最初のモノがソ連時代の1965年に登場したということで、以来「伝統的なデザイン」が継承されている車輛だ。これに関しては「パンの塊のような形の車輛」ということで、「塊」を意味する“Буханка”(ブハンカ)という通称が在るそうだ。

因みに検索サイトで“Буханка”を検索すると、車輛の画や説明がヒットする場合も在る…

「財布の中身」…(2017.09.12)

↓何気なく、財布の中身をテーブル上に出してみた…
money 12-09-2017 (4)
↑1000ルーブル、500ルーブル、100ルーブル、50ルーブルと常用する紙幣の他に、コインがかなり貯まっていた…

これらのコイン…10ルーブル、5ルーブル、2ルーブル、1ルーブルは非常に出入りが多い。最近は商店で支払いをする際に「細かいのが在りませんか?」という例が非常に多く、そういう場面でこれらのコインは出入りが多い…

他方…10コペイカ、50コペイカというのは、一部の店で釣銭として頂くのだが、支払いに使用する機会が非常に少ない…そこで、財布の中に貯まる一方だ…

これらのコインだが、コインの大きさや厚みは“記念硬貨”として登場する例外的なモノを除くと、永く変わっていない様子なのだが…デザインが多少「新しい」モノになっている場合が見受けられる。非常に判り易いのは、1990年代に採用された「冠等が省かれた<双頭の鷲>」に対し、近年は「冠も着いた、確り“ロシアの紋章”の<双頭の鷲>」が入ったモノが現れている。また1ルーブルのコインには“ルーブル”を示す「Рに横線」の記号を入れたモノが見受けられるようになった。

何となく使ってしまうコインだが、こうして時々眺めてみると面白い。

V.M.ゴロヴニーン胸像(2017.09.10)

サハリンスカヤ通に4箇所在る「胸像が据えられた緑地」の中、3箇所に関しては整備工事が行われていて、暫く立入ることが出来なかった。9月に入ってそれらが竣工し、普通に立入りも出来るようになった。

サハリンスカヤ通を東寄りから西寄りへ進み、交通量も多目なレーニン通と交差する辺りを越えると、胸像が据えられた広場に出くわす。3箇所同時に進んでいた整備工事の中では、何やら生コンを流し込む車輛が出入りしていた等「酷く大袈裟な工事?」と視えた場所だが、そこも他とほぼ同時期に竣工している…

↓こういう胸像が据えられている…
10-09-2017 (10)
↑これを視て、アニメの『銀河英雄伝説』に登場する“帝国軍”の指揮官級の劇中人物達を思い出していた…(あれは、欧州諸国の昔の海軍を意識したようなデザインの服装を敢えてしているので、こういう「帝政ロシアの海軍士官の軍服」というイメージと重なる部分が在ると思うが…)

この人物、ワシ―リー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニーン(1776-1831)である。

ゴロヴニーンは、<ディアナ>号という船で、更に後年は<カムチャッカ>号という船で世界周航を複数回成功させている指揮官としてロシアでは知られている。そして日本でも<ゴローニン事件>と呼び習わされる、箱館を拠点にしていた商人の高田屋嘉兵衛が絡まる事件の当事者として少し知られている…

この広場には、ゴロヴニーンの伝記的な情報や、彼が指揮を執った<カムチャッカ>号を紹介するパネルも据えられている。(ロシア語の説明文が在る…)そこに、<ゴローニン事件>の詳述はされていないが、日本の幕吏に捕えられてしまい、2年近く日本に抑留されてしまったことと、その時の経験や見聞を綴った『日本幽囚記』がよく知られていることは紹介されていた。

↓何度も近海を通過しているサハリンの街に据えられた胸像…目線の先には何が在るのであろう?
10-09-2017 (12)

このゴロヴニーンの胸像の在る緑地…私にとっては食事を摂る気に入った店への通り道なので、何時もこの胸像を少し離れた位置から視ている…

N.V.ルダノフスキー胸像(2017.09.09)

サハリンスカヤ通の、海事史関係の人物の胸像が据えられた広場は4箇所在るが、中の3箇所で整備工事が行われていた。9月に入って、それらの工事が竣工しており、胸像の近くに寄ることも出来るようになっていた…

↓映画館の傍に在る、ルダノフスキーの胸像だ…
on 09SEP2017 (5)
↑何か非常に渋い感じで、気に入っている…工事が終わって近寄れるようになったので、久し振りに眺めてみた…

この人物はネヴェリスコイ提督の麾下で、サハリン南部を踏査したことで知られる人物だ。サハリンに関してロシアで語られる際、「遺されている記録として最も古い」というモノが、このルダノフスキーの調査記録であるという事例も少なくないようだ…

↓整備工事が竣工し、広場に寛ぐ人達が戻った様子を、厳めしい顔をしたルダノフスキーの胸像が静かに見守っているような風情が、何となく好い…
on 09SEP2017 (4)

この人がサハリンを踏査した1853年から1854年頃…道路が整っていたでもない中、きっと物凄く苦労したのだと、勝手に想像してしまう…この胸像の目線の先には、車輛の通行量も多目なサハリンスカヤ通が在る…

「雲の中に聳え立つ」感の<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>と「神の宇宙」のような内部(2017.09.10)

好天に恵まれた日曜日だった…

遠くの青空に白い「大きな生物?」のような大きな雲が視え、大聖堂の独特な形状の屋根である“クーポル”が光っているのが視えた…「後刻、近くへ…」と思ったのだったが…実際に、道すがらに珈琲を求めて、それを飲みながらテクテクと歩いて大聖堂の近くへ足を運んだ…

↓こういうような具合に聳え立っていた…
The Cathedral 10-09-2017 (2)
↑“天国”と名が付くモノは「歩行者天国」位しか知らないのだが、何か「“天国”という場所はこんな感じなのか?」と想像させるものが在った…

「極東最大」を誇るというロシア正教の大聖堂の威容を暫し眺めていたが…日曜日でもあるので、存外に人々の出入も見受けられる…内部は「何やら工事中?」とも聞いたが、久し振りに入ってみた…

↓数多くのイコンに飾られた巨大な壁が眼前に…
The Cathedral 10-09-2017 (4)
↑天井の側から陽光が適度に射し込み、金色に飾られた部分が少し煌いている…

↓光に導かれるように上を仰ぎ見る…
The Cathedral 10-09-2017 (6)
↑複数の屋根を組合わせた“クーポル”の、中央に在るモノの裏側にキリストの大きな画が入っている。これを仰ぎ見ると、何か「神の宇宙」というような表現を思い浮かべてしまう…

そんなことを想っていると…ロシア正教に特有な朗唱するような、独特の調子な「祈り」の声音が大聖堂内部に木霊していた…

↓司祭が祈祷を行っているところだった…
The Cathedral 10-09-2017 (5)
↑暫し祈りの声を聴き入った…そして、最近は「何やら不穏な情勢?!」なので、何となく「平和な世界を祈ろう…」という気分になった…“拝観料”でもないが、蝋燭を1本求めて点して供えた…

↓「時には訪ねてみたい」という想いになる空間だ…
The Cathedral 10-09-2017 (7)

↓そして建物の外観も素晴らしいと思う…
The Cathedral 10-09-2017 (9)

久し振りに大聖堂を訪ねる機会が出来たのは、何か非常に善かったような気がする…平穏な日曜日は「斯く在りたい」という気もする…

夜空に輝く:ユジノサハリンスク市行政府本庁舎(2017.09.09)

『街の日』ということで色々な催事が続いていた。夕刻から夜は、何やらバンドが入ってレーニン広場や市行政府本庁舎の周辺でライブをやっていた。音が住まいの辺りでも、窓を開けていれば聞こえる状態だ…そして午後10時前位に花火が盛大に打上られ、何となく催しが落ち着いた…

そういう夜、午後11時を過ぎたような頃に一寸気になった…住まいの入口辺りに何となく佇んでみると、“サーチライト”のように、夜空に放たれた光線が、不規則に動く様子が少し離れた辺りに視えていた。「多分、市行政府本庁舎?」と思い、一寸行ってみることにした…大袈裟な話しでもない。往復しても然程時間を要しない辺りへ散歩だ…

↓「何じゃこりゃ!?」という感じだ…
on 09SEP2017 vol02 (5)
↑“ライトアップ”という感じで、庁舎の外壁を照らし出すような灯りが点くことは承知していたが…

↓やや驚きながら、様子を少し角度も変えながら眺めてしまった…
on 09SEP2017 vol02 (8)

↓「見慣れた御近所」の筈が…「全然違う?!」感じに視える…
on 09SEP2017 vol02 (6)

ユジノサハリンスクでは、「夜の灯りに映える」というようなことに関心が高まっているようにも視えるのだが…市の庁舎で率先してそういうことに取組んでいる…

この日は催事も在ったからかもしれないが…午後11時を過ぎていながら、存外に通行人は居て、車輛の往来も見受けられた…

クルーゼンシュテルンの胸像(2017.09.09)

ユジノサハリンスクのサハリンスカヤ通には幾つかの緑地が設けられているのだが、そこにはサハリン周辺の様子をロシアで紹介すること等に功績が在った史上の人物の胸像が据えられている。なかなかに興味深い。

が…最近、何やら「広場の整備工事」というのをやっていて、その胸像をゆったりと眺めるようなことが出来なかった…

そして極短い期間ながら、サハリンから離れて戻ってみれば…整備工事が竣工して、広場は普通に出入り可能になっていたようだ…

↓こういう胸像が在る…
on 09SEP2017 (8)

これはアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン(1770-1846)の胸像だ。ロシアではイヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールンとして知られており、ユジノサハリンスクの胸像にはそのイワン・フョードロヴィチの方で名が刻まれている。

クルーゼンシュテルンは、バルト海沿岸部のドイツ系、スウェーデン貴族の流れを汲む一族の出で、エストニアで産れた。長じて海軍軍人となり、探検家として知られるような事績も残している。殊に1803年から1806年の期間で、ロシアとしては初めて記録に残る世界周航を達成している。そして、その際に通過した日本海に関して"MER DU JAPON" と記録し、諸国に“日本海”の名を紹介した人物と考えられる…

1804年にロシアの使節であるニコライ・レザノフが長崎へ至り、日本との通商関係樹立を目指して交渉に臨もうとしたものの巧く事が運ばなかった経過が在った。その際の、レザノフが乗っていた船の指揮を執っていたのがクルーゼンシュテルンということになるようだ…

↓クルーゼンシュテルンが来航したような頃には、想像さえ出来ないような状況の街が、胸像の目線の先には拡がっていることであろう…
on 09SEP2017 (7)

Гамбургер(ガンブルゲル)=ハンバーガー(2017.09.09)

「軽い昼食…」と思い立ち、その後の予定を慮って離れた場所まで行くことを逡巡したが…近所のホテル館内のカフェで軽いモノを頂いてみることにした…

↓こういうモノを頂いた…320ルーブル…これが好かった!
on 09SEP2017 (3)
↑厚めなハンバーグに、トマト、タマネギ、レタス、ピクルスなどが入った「クラシカルな感じ」のハンバーガー…気に入った!

付け合せにフライポテト…確りケチャップも供される…

こういうような「好いじゃないか!」が少しずつ増えて行く…

軍楽隊と衛兵隊:ユジノサハリンスク『街の日』のオープニングパレード(2017.09.09)

早朝は雨だった土曜日…陽が高くなって行くに連れて天候は好転した…

「建都135年」ということで開催される予定だった『街の日』には好適な感じになって行った…

そのオープニングパレードを視ようと、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎やレーニン広場辺りのメイン会場に足を運び、巧く“桟敷”に陣取ることが叶った。

↓陣取った辺りの真ん前に、モスクワから招かれたという軍楽隊が現れ、眼前で演奏する様子を観られた!
parade on 09-09-2017 (2)
↑独特な所作で力強い演奏をしていた…

↓パレードの先頭を切って登場した衛兵隊は、真直ぐ観悪い角度の位置でパフォーマンスをやっていた…
parade on 09-09-2017 (5)
↑モスクワのクレムリン等で活動している衛兵隊が招かれたという…独特な、擬古風なユニフォームに身を包んでいる…

↓何か“伝統”のようなモノが感じられ、視ていて面白かった…
parade on 09-09-2017 (6)

やがて衛兵隊は空砲を放ち、拍手喝采が沸き起こり、そのうち力強い足取りでメイン会場から離れ、軍楽隊も後から続いた…

サハリン州政府庁舎(2017.09.09)

小雨が交じった朝…少し辺りを歩いた…

↓小雨の中、州政府庁舎が未だ少しだけ残る灯りに浮かび上がり、濡れている地面に建物が映り込んでいる…
morning 09-09-2017 (3)

こういう状態の後…ユジノサハリンスクの天候は好転している…

<ペンギン33>から望んだ宗谷岬周辺の陸地(2017.09.08)

↓定刻よりやや早めに、準備が整って稚内港を出た<ペンギン33>は穏やかな海を北東側へ進んだ…
Wakkanai 08-09-2017 (14)
↑なかなかの好天で、宗谷側の陸地の様子が美しかった!

↓宗谷岬の辺りだ!
Wakkanai 08-09-2017 (15)
↑こういう感じの眺めは、「宗谷海峡を越える船上ならでは」な眺めのように思う。

この少し後から霧が濃くなり、サハリン側の海は曇天になっていた…そして無事にコルサコフ港に到着した…

夕刻:稚内港北防波堤ドーム(2017.09.07)

↓陽が傾いた頃…稚内港北防波堤ドームに灯りが入った…
evening 07-09-2017 (7)
↑稚内港北防波堤ドームの手前に、地図を模った石が敷かれている箇所が在るが、石に光が跳ね返っている…

こうやって稚内は暗い夕べに入って行く…

稚内港北防波堤ドーム:日出の頃(2017.09.06)

↓やや雲が多い感じながら、明るい朝である…
morning 06-09-2017 (1)
↑こういう朝…明暗のコントラストが「よりハッキリ」という感じもする…

↓暫し様子を伺っていれば…朝陽が静かに光を解き放った…
morning 06-09-2017 (2)

今朝は、この場所にカメラを手にした旅行者風な人達が幾分集まっていた…彼らにとっては、きっと「忘れ難い光景」となるであろう…地元に住んでいる者の目線でも素敵な光景なのだから…

そして…所謂「撮って出しの.jpg」という方式だが、“新機材”(=X100F)の「フィルムシミュレーション=ACROS」という「モノクロフィルム風」な画…スッカリ気に入った!!

稚内港を発つ<ペンギン33>(2017.09.05)

↓明るい空の下、輝く海の上で<ペンギン33>が待機…乗客が次々と乗船している…
Port of Wakkanai 05-09-2017 (5)

↓準備が整うと、素早く繋留索やタラップが仕舞い込まれ、エンジンが唸りを上げ、関係者に見送られながら<ペンギン33>は離岸を始める…
Port of Wakkanai 05-09-2017 (13)

↓少しバックしながら、<ペンギン33>は進む態勢を整える…
Port of Wakkanai 05-09-2017 (15)

↓コルサコフへ進む態勢が整った…
Port of Wakkanai 05-09-2017 (16)

↓次第にエンジン音が高まり、速度が上がり、<ペンギン33>後方の飛沫も目立つようになる…
Port of Wakkanai 05-09-2017 (18)

6月から運航が始まったのだが…早くも「もう直ぐ今季の運航が終了」という時季に差し掛かった…

エゾシカと稚内港北防波堤ドーム(2017.09.05)

↓未だ灯りが残る稚内港北防波堤ドーム…見慣れていても、何時も少しずつ「感じ」が変わり、「飽きない」気に入っている眺めだが…何か妙だ?
morning at Wakkanai 05-09-2017 (5)
↑早くも活動を開始したカラスがチョロチョロとしているのも視えるが…妙に存在感が大きいのは、夢中で草を食むエゾシカである…

稚内の中央地区―この辺りの住所は「開運」だが、「中央地区」の一隅と考えて差し支えないであろう…―では、早朝の時間帯にエゾシカとの遭遇確率が高い…“35㎜相当”画角の<X100F>で撮っている。カメラに通じた方であれば、何となく“距離”を想像して頂けると思うが、彼らは「カメラを持って視ている通行人」という私を然程気に掛けていない…

瞬時、エゾシカが頭を上げると角が視えた。若い牡のようだ…この辺りの草…雪の下になっていない期間は、終始“潮風”に晒されている…「美味い塩味?」と想像してみる…

これが「最近の稚内らしい」という光景かもしれない…

黎明の頃:稚内港北防波堤ドーム周辺(2017.09.04)

↓「未だ少し薄暗い?」感がする場合も在る時間帯ながら「明るい?」感じもする静かな朝だった…
morning at Wakkanai 04-09-2017 (2)

↓この時間帯は「視た感じ」が刻々と変わる…
morning at Wakkanai 04-09-2017 (13)

↓低い空が一際輝き、少しずつ朝陽の光が天空と海面とに解き放たれる…
morning at Wakkanai 04-09-2017 (21)

↓今朝はやや“浪”の動きが強い感じもしたが…格別という程でもない…
morning at Wakkanai 04-09-2017 (22)

“新機材”(=X100F)を手に、こういう光景を眺める…好い朝の過ごし方になって行きそうだ…

特急<宗谷>の車窓から…(2017.09.03)

「稚内へ北上」の列車では「進行方向左の窓側」が好い…

↓稚内市の域内に入って暫く経った抜海駅を過ぎた辺り…こういう車窓が愉しめる…
train window 03-09-2017
↑朝に札幌を出て稚内へ向かう特急<宗谷>…車掌さんが車窓が素晴らしい旨の車内放送をして、少しだけ列車が徐行する場合も在る…

札幌駅で乗車券と特急券を求めた際、何となく指定席を取ったが、「進行方向左の窓側」に相当する「3号車1D」だった…運が好かった…左の利尻富士は、山頂部が少々雲に隠れてしまっているが、海の上に流れる雲の感じが好い…

“新機材”(=X100F)で何となく車窓を撮った…カラーの方は「気になる?」程度に水平線が傾いてしまって、モノクロの方をブログに掲載することにしたが…「フィルムシミュレーション」の“ACROS”は、こういう光景の画でも素晴らしい!

イカ漁船が稚内港から出漁へ(2017.09.03)

↓数え切れない程の船が、殆ど一斉に、列を成して稚内港から出航している様子を視掛けた…
Wakkanai 03-09-2017 (5)
↑夏から秋に稚内港に集まるイカ漁船の一群だ…

多数の船がドンドン出航している様子はなかなかに勇壮で好い…

夜明けの旭橋(2017.09.03)

衝動的な買物で札幌へ出て、直ぐに旭川まで引き返して、旭川で夜を明かすことにしたのは…「飯を食う」ためではない!「明け方に旭橋の写真を撮る」ためである!

↓ということで…「願い」も通じて「好天な感じの朝」となり、薄暗い間に宿を出て旭橋と対面である…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa 03-09-2017 (6)

↓橋の背後が東寄りな空ということになる…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa 03-09-2017 (4)

↓次第に東寄りな空が眩しくなる…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa 03-09-2017 (15)

実を言えば…“新機材”(=新しいカメラ)を入手した!!その“テスト”の題材に「気に入っている被写体」の一つということになる旭橋を選んだのである…

“新機材”…大変に評価の高い<X100F>である!<富士フィルム>社の「自慢の製品」と言って差し支えないモノだ…

<フィルムシミュレーション>という、色調や画調を調整する機能が在る。それの「ACROS」という「モノクロフィルム調」を選んでみた訳だ…

勿論、写真は「機材で撮る」訳でもない…が、「持っているだけでも嬉しい!」ような評価が高い機材を手にすると、一寸張り切ってしまう…休む前にバッテリーを充電して「直ぐ使える!」ようにして朝を待ったが…宿ではよく眠れなかった…早く“新機材”を使ってみたかった訳だ…

旭川駅に到着後、折り返し運転に備える特急<ライラック>=789系電車(2017.09.02)

↓「函館・青森間」で運用されていて、“新幹線”の開通で使わなくなり、「札幌・旭川間」に移って来た車輛である…札幌から出発で、旭川に到着だ…
Asahikawa Station 02-09-2017 vol02 (6)

↓午後4時に出て、午後5時25分に到着…強めな西日を受けて、折り返し運転に備える様子を眺めていた…
Asahikawa Station 02-09-2017 vol02 (2)

「札幌・旭川間」では、少し後発の同型で色違いの車輛が活躍していたのだったが…そちらの方に出会わず、この最近になってこの区間に登場した車輛に何度も出くわした…

この最近になって登場した方…暫し列車に御無沙汰だったことも在るが…初めて乗車した型になった…が、何となく「(既に)この区間の主役」のようにも視える…

釧路から到着した列車(右)と旭川へ向かう列車(左)と…(2017.09.02)

↓特急列車用の車輛が並ぶ感じ…或いは非常に「札幌駅らしい」感じかもしれない…
Sapporo Station 02-09-2017 (5)
↑右の列車は少し前から札幌と釧路とを往来しているディーゼルカー…左の列車は函館・青森間で走っていたモノが札幌・旭川間に移って来た電車…

函館・青森間の車輛が札幌・旭川間を走るようになって…列車を利用する機会を余り設けられていなかったので、少し新鮮に視えた…他方で同型の色違いで、少し前から札幌・旭川間で走っていたモノを視ていない気がする…

音威子府駅の「久し振り!!」な光景(2017.09.02)

↓「久し振りだ!こういう様子!!」と思わず、頭の中で叫んでしまった…
Otoineppu Station 02-09-2017 (1)
↑列車運行本数が減り、音威子府駅でこうやってキハ54が並ぶ様子は視られなくなってしまっていたが、久々に視た…

音威子府のやや北、筬島・佐久間で倒木処理の必要が生じたので、北上中の列車は音威子府で待機し、南下していた列車は佐久で待ち合わせて音威子府に着いた…やがて南下する特急列車が現れるのを待つわけだが…以前に利用していた「朝に普通列車で稚内を発って…」というパターンの時に偶然似た型になってしまっていた…

佐久駅に停車中のキハ54(2017.09.02)

早朝の5時20分に稚内駅を発つ普通列車に乗ると、午前9時前に名寄駅に着ける…名寄で一息入れて、旭川駅まで普通列車…そんなプランを思い描き、久々に「日出処の黎明!」という感である「稚内の夜明け」の光景を愉しみながら稚内駅へ足を運び、何度も乗車した記憶が在るキハ54に乗り込んだ…

「もう少しで音威子府…」という辺り…佐久駅で列車が動かなくなった…佐久駅と筬島駅との間で倒木処理の必要が生じたのだという…

↓1時間強もの先行き不透明だった停車…滅多に視ないような角度で車輛を眺めて、ホームに出たり車内で掛けたりと、何となくゆっくりしていた…
Saku Station 02-09-2017 (5)

結局…音威子府駅で全乗客が後発の特急列車に乗換えて名寄に移動ということになったのだが…私は特急券を求めて旭川まで乗って行った…「道草をしながら…」というプランは崩れた…結局、車輛も少なく、列車本数も少ないと、こういう場面が時々起こってしまう…

↓しかしそれはそれとして、こういう角度で見慣れた鉄道車輌を視る機会は少ないので、少し貴重な経験だったかもしれない…
Saku Station 02-09-2017 (3)