コルサコフ港鳥瞰(2017.09.16)

「コルサコフ港が鳥瞰出来る」という場所は2箇所知っている…

その2箇所の中の1つは、1925年の「摂政宮行啓の折に御立寄り」という歴史も在る場所で、往時は亜庭神社の後背に拡がっていた公園の一部でもあったらしい…

「上り方」を覚えたので特段に迷わず、「なかなかの好天!」と張り切って上がった…

↓こういう場所を見付けた…
Корсаков 16-09-2017 (9)
↑このコルサコフ港が鳥瞰出来る場所というのが、非常に急峻な崖の頂上部であることが判る…そして、崖の真下のような場所に道路が在って、港の域内の色々なモノが「ミニチュア?」のように地面に貼り付いている…そして今日の雲は「油絵の絵具で丁寧に描いた?」ような感じだ…

多少馴染んだ場所も、訪ねる都度に表情が変わるのが面白い…

M.S.コルサコフ胸像(2017.09.16)

休日の土曜日の日中…何となくコルサコフへ足を運んでしまった…

↓コルサコフの街の広場にこんな胸像が在る…(像に焦点が合って、背後の空がボケる感じは、「レンズの絞り開放でも速いシャッター」ということが出来る<X100F>の御蔭だ!!)
Корсаков 16-09-2017 (15)
↑ミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフ(Корсаков, Михаил Семёнович)(1826 - 1871)という人物の胸像である…

コルサコフでは、1853年のムラヴィヨフスキー哨所の開設という故事を建都と位置付けている。ムラヴィヨフスキー哨所は、クリミア戦争等の事由で運営出来なくなり、1854年に一旦は休止してしまう。そして1869年に活動を再開することとなった。その際、当時の東シベリア総督であったミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフに因んで“コルサコフスキー哨所”と改めて命名した。

この「コルサコフスキー」から「コルサコフ」という通称が起こり、辺りの地名として定着し、日露戦争後に日本領となるまでコルサコフとして知られていた…1946年以降のソ連化以降、日露戦争前のコルサコフが地域の地名として採用されている…

↓この胸像は、1993年に「建都140年」ということで登場したモノということである…
Корсаков 16-09-2017 (13)

ハッキリ言えば…このミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフ総督自身は、地域との縁が然程深いのでもないのだと思えるが…「街の名の由来になっている」ということで、立派な胸像が1993年に設けられている…以来、この胸像はそれなりに大切にされていると見受けられる…

コルサコフに立寄ると、この胸像の前を通って「来ましたよ!」と報告してみたい気分になる…

黄昏:レーニン通とプルカエフ通の交差するロータリー(2017.09.15)

ユジノサハリンスク都心部のレーニン通を南下する…コルサコフの側、空港の側から街へ向かって北上する場合に「ユジノサハリンスクの繁華な辺りへ入って行く…」という感じがする辺りへ至る…そこは、大きなオベリスクが聳え立っているロータリーが設けられたプルカエフ通との交差点である…

↓傾く西日と、流れていて複雑に様子を変えている雲が、何か独特な空気感を醸し出している…
evening 15-09-2017 (5)
↑車輛の交通量も多目な場所で、歩道で多少注意しながら様子を眺め、写真を撮った…

↓複雑に流れながら拡がる雲の形状が、こういうような縦位置の画では判り易い…
evening 15-09-2017 (8)
↑更にその複雑な形状が、刻々と変わる光に照らされる様は面白い…

手近に在る「面白い」を見出す、または確かめるのが、手軽に近所で写真を撮る愉しさであるように思う…