古風な道標:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

かのチェーホフがアレクサンドロフスク・サハリンスキーに滞在していたという1890年頃には、既に家屋が並んで村落が形成されていたというような地域に「チェーホフ通」という住所が在る。

↓そのチェーホフ通の一隅に塀で囲われている他方で、通用扉のようなモノは開き、出入を拒んでいるでもないような場所が見受けられた…覗き込むと、何やら不思議なモノが在って、吸い寄せられるように敷地内へ入った…
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol03 (1)
↑古式な道標である…

この道標…サンクトペテルブルグ、ウラジオストク、ニコラエフスク・ナ・アムーレというような地名が読める。地名は主にロシア革命以前に用いられた旧いアルファベットで綴られている。そして地名が在る各地への距離は、ヴェルスタ(верста)という、文学作品の翻訳に「露里」と訳出されている場合が在るロシアの旧い単位が用いられている。チェーホフが辺りを動き回っていた19世紀末辺りというような時代であれば「1ヴェルスタ=1066.8メートル」だったとのこと…目安になるモノが在るでもなく、初めて足を踏み入れた場所で方角は少々判り悪いものの、地名が出ている各地への距離は?ここに在る数字の感じで正しいと思われる…

これは3つの施設から成っている<歴史・文学博物館『A.P.チェーホフとサハリン』>の中の1つである施設の中だ。「スタンカ」と呼ばれていた、街と街とを結ぶために馬や馬車を交換するようなことをしていた場所を再現した場所であるという…交通拠点なので、とりあえず道標な訳だ…

一寸気に入ってしまったモノである…

A.P.チェーホフ像:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

↓実際にチェーホフが立ち寄ったと伝えられる、現在は資料館になっている古い家の辺りに銅像が佇んでいる…
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol03 (12)
↑かなり細身で、非常に背が高い像だが…これはチェーホフの像だという…

この辺りは、或る種の“ミュージアム・パーク”のように整備する構想なようで、像の周りは広場でも整えようかというような工事に手を掛けている様子だった…

アレクサンドロフスク・サハリンスキー…便利で快適な場所でもなく、ユジノサハリンスクからも遠く気軽に行ける場所でもないが、とりあえず「気に入った訪問先」に挙げたい場所である…将来にこの街を再訪する機会が在れば?この像の辺りは立派な広場になっているのだろうか?

19世紀末の村落?―アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

↓アレクサンドロフスク・サハリンスキーのチェーホフ通の一画である…古い建物を大切に改修している、または古いように建てている建物が並ぶ型になっている…
Alexandrovsk-Sakhalinsky 23-09-2017 vol03 (13)
↑手前の建物が、「流刑地時代の1886年にリンズベルグによって建てられた建物で、1890年の6月から9月に統治に滞在したチェーホフが何度となく立ち寄っている」という建物で、貴重なモノも収蔵する資料館だ…

ここも3つの施設から成っている<歴史・文学博物館『A.P.チェーホフとサハリン』>の中の1つである施設だ…

画のような様子の中、チェーホフがやって来たという1890年頃という雰囲気を何となく想像しながら、暫しぼんやりと様子を眺めていた…

郵便局の建物:アレクサンドロフスク・サハリンスキー(2017.09.23)

アレクサンドロフスク・サハリンスキーのバスターミナルに到着し、予約してある宿も在る通の方向を目指そうと、辺りの緩やかな上り坂をゆっくりと歩き始めた…

↓アレクサンドロフスク・サハリンスキーの街中に出て、初めて眼に留めて、何となく写真に収めた建物である…
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↑やや古い、木造とも見受けられるような建物なのだが、郵便局の看板が出ている。土曜日の朝なので、郵便局は開いていない様子ではあるが…

「森の中に街」というような感がしないでもないような、街路樹が存外に多いように思える中、葉の色が変わっていたり落葉が多少見受けられるような中、古めかしい郵便局の建物だ…

アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、“古都”という程の特別な趣が感じられるという程でもないのだが、サハリンの中では古くからの経過が色々と在る街の一つである。この郵便局の建物に「特別な由緒」が在るとは聞かないが、何か好い…

「少年志願兵」のモニュメント(2017.09.23)

↓衣装が「少し昔風?」な感じで、何か「古き良き時代の少年達」という雰囲気の、少し惹かれる彫像を見付けた。
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↑アレクサンドロフスク・サハリンスキーの<生神女寺院>の近くに在るモノだ。寺院の敷地内から「あちらに彫像らしきモノ?」と視える位置関係に在る像で、後から近寄って視たのだった。

↓像はこういう具合に「高台から海に注ぐ川が造る独特な地形と海を望む」と同時に「街並みが少し覗く」という場所に建っている。
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像の下のプレートには人名が多数並んでいるが、その標題として「ЮНЫМ САХАЛИНЦАМ - ДОБРОВОЛЬЦАМ」(ユーヌィム サハリンツァム―ドブロヴォリツァム)と在る。これは「サハリンの少年志願兵に捧ぐ」という意味だ。

「ドブロヴォリツ」(добровольц)というのは、直訳すれば「善意の人」ということになるが、意味合いとしては「自発的な意志で行動する人」ということになる。「自発的な意志」ということで、ここでは「志願兵」と訳出すべきだ。

第2次大戦期、徴兵年齢に達していない少年達の中に、「自発的な意志」で前線に向けて旅立った「少年志願兵」が多く見受けられたという。当時のサハリン、アレクサンドロフスク・サハリンスキーを中心とする地域からもそうした「少年志願兵」が旅立った。そして、彼らの殆どは消息を絶ってしまったのだという。多数の戦死者や、戦禍で命を落とした夥しい人達の中で、彼らは命を落としてしまい、生還出来なかったものと推定される。

ソ連時代の終わり頃、1980年代の末に近い頃から“戦中秘話”とでもいうような「それまで余り伝えられなかった戦時下の色々な事」に関して、記録を残すべきであると生存者へのインタビューを基に綴ること等が始まり、それが公刊されたことを契機にそうした動きが拡がる、或いは古い未公開資料を精査するような研究が始まる等、色々な動きを受けて様々な事が伝えられるようになっている。

「自発的な意志」で前線に向けて旅立った「少年志願兵」の中には、どういう運命を辿ったのか仔細が不明なまま消息が判っていない人達も大勢居るようだ。そうした人達の中で氏名が判っている人達の名を挙げながらこうしたモニュメントを建て、理想に散った少年達を悼むと同時に「そういう時代が在った」ことを伝えようとしていることになる。

↓日が傾くような頃になると、西日に染まる空と海が視えるような位置に「少年志願兵」のモニュメントは佇んでいる。
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↑或いはアレクサンドロフスク・サハリンスキーの「らしい感じ」な風景が視える場所に、生還出来なかった少年達をイメージした像が佇んでいると言えるであろう。

実物を見れば、コンクリートの台座に経年変化らしきものが見受けられないのが判るが、モニュメントが建ったのは近年のことであるらしい。近年の、古い未公開記録の研究の様なところから、こうしたモニュメントを設ける計画が持ち上がったのかもしれない。

単純に「少し惹かれる少年達の彫像」と眺めていたが、「平和の尊さ」に想いを巡らせることになった。

V.M.ゴロヴニーンの胸像(2017.09.28)

↓通り掛かった時の、「西日の光を受ける感じ」が凄く好いと思った…
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↓こうして写真に撮ると…「実物より大きい?」ような感じがしないでもない…
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↓目線の先には、例によって夕刻の混み合うサハリンスカヤ通を見詰めている…
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大袈裟にも視えた工事を経て、気持ちの好い広場となったゴロヴニーンの胸像が在る辺りなのだが…気に入っている食事を摂る店への通り道なので、目が向く機会が増えている昨今だ…

羽ペン型のゲート(2017.09.28)

ユジノサハリンスクのレーニン通沿いで、美術館や図書館が在る辺りは緑地が整備されていて、<チェーホフ広場>と名付けられている…

↓レーニン通側にゲートのようなモノが設えられている…
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↑型が「作家の名に因んだ…」という連想なのか、よく見ると羽ペンの型になっている…

何度も視て、「何の型??」と思っていたが、不意に「羽ペン!!」と気付いて思わず手を打った…

そして更に思ったが、「金属製オブジェ」として、なかなかに存在感が在って、何を模ったにせよ美しいと思う。