開始から概ね1年半…(2017.10.07)

2016年4月、「モノクロ写真を主体に纏めている場を…設けていなかった…」と不意に思ったことが切っ掛けで、このブログ<MONOCHROME - モノクローム寫眞>を始めた。

モノクロの写真に関しては、愛用のデジタルカメラで「一寸だけダイヤルを回す」ような感じで撮影出来るということで愉しむようになり、何となく撮影機会が多くなっていた…そういうことで、このブログも「一寸以前の気に入っているモノを引っ張り出して…」という当初の感じが、「ドンドン撮っている新しいモノを出す…」という雰囲気になって行った…そして随分と記事件数も増え、現時点で総数1226件となっている。

デジタルカメラはニコンの<P7700>を使っているが、この9月に富士フィルムの<X100F>を入手し、両者を併用している。と言って、<P7700>は「望遠の画が…」という場面に登場する感じで、<X100F>が「常用…」な感じになって来た…

<X100F>については「フィルムシミュレーション」という機能が在って、各種のカラーの画調・色調の他、モノクロフィルム風な画調・色調に出来る。このブログには、専らそのモノクロフィルム風な画調・色調にして撮った画から記事を起こして掲載している。

「写っているモノ」に基づいて“タグ”とか“ラベル”と呼ばれるキーワードを記事に付すようにしている。画面の右側にその“タグ”または“ラベル”が表示されている。この9月の<X100F>入手以降は、「X100F」という“タグ”または“ラベル”を設定し、この魅力的な新機材で撮った画を纏めている。

“タグ”とか“ラベル”と呼ばれるキーワードの以前に「撮影地」を基準に記事をカテゴリに分けている。日本国内の都道府県名を基本とし、住んでいる北海道に関しては「北海道/〇〇」と地名を添えるようにした。更に「サハリン州」と、ロシアのサハリンで撮った画のカテゴリも設けた。

北海道以外の都府県では、未だ画が無い都県が多いのだが、2015年、2016年位に出掛けた経過を踏まえ「大阪府」の記事(=画)が多い。が、それ以外の記事(=画)が少ない他の府県に関しても、凄く気に入っているモノ、強い思い入れを抱くようになったモノが厳選されているような感じになっている。

北海道に関して、当然“地元”ということになるので「北海道/稚内」の記事(=画)が多い。しかし…最近になって、2017年4月以降に滞在機会が増えているサハリンで撮影した画、それによる記事を出している「サハリン州」が「北海道/稚内」の件数を超えたのだ…

そういう意味では「サハリンで撮影したモノクロ写真のブログ」という性質も強まっている昨今である。が、別段にそれを意識して題名をどうこうしようというようなことは考えていない。その時々に主にいる場所で、また訪ねた場所で随意にモノクロ写真を撮り、気に入ったモノをここで御紹介することを淡々と続けるばかりである…

Салаты - Цезарь с курицей (シーザーサラダ チキントッピング) (2017.10.06)

↓利用頻度が比較的高い「ピザとパスタの店」で頼む機会が多いサラダだ…
06-10-2017 (2)
↑“Цезарь”(ツェーザリ)はかのカエサル、「シーザー」のこと…「シーザーサラダ」というモノだ…

このサラダ…別段にかのカエサルとは関係が薄いようだ…

1924年、メキシコの米国国境に近い街であるティファナで<シーザーズ・プレイス>というレストランで、料理人のシーザー・カルディーニが考案して提供していたのが起こりと伝えられる。カルディーニはイタリア系で、ファーストネームは寧ろチェーザレと言っていた感じではあるが…

1920年代の米国と言えば、「禁酒法」の時代だった。国境を少し越えたティファナはその適用が及ばない訳で、米国人が沢山出掛けて酒も入る食事を愉しむということが盛んに行われていた。そんな中、カルディーニが偶々供したサラダが人気になり、「シーザー・サラダ」として米国等で広まったというのだ…

しかしカルディーニは、詳しくこのサラダのレシピを書き遺したという訳でもないということで、彼が供したという「オリジナル」、「元祖シーザーサラダ」というモノに関してはよく判らないらしい…

そんな来歴が在る訳だが…ロシアのサハリンの街、ユジノサハリンスクでもレタスにドレッシング、チーズやクルトン、更にチキンをトッピングするという型で常時提供されている…一寸面白いのだが…このサラダ…美味い!

ネフチェゴルスクのモニュメント(2017.10.07)

↓ユジノサハリンスク都心部の巨大なレーニン像が建っている広場の、レーニン像が視える辺りから奥側、鉄道駅に近い側に進むとこういうモノが在る…
07-10-2017 morning (11)
↑これは1995年の災害のことを記憶に止めるべく設けられたモニュメントである…霧の朝に、久し振りに眺めて写真を撮った…

1995年5月28日、サハリン島北部のネフチェゴルスクという町で地震が発生した。特段に観測地点になっていないことから、詳しいデータは伝わっていないらしいが、日本の気象庁では「震度5強から震度6程度」と推定しているということである。極めて強い地震で、ネフチェゴルスクは断層の上に在ったようで、町は壊滅的被害を受けた。

地震発生は現地の深夜1時という、3200名程であったという町民の大半が家で休んでいるような時間帯の出来事だった。耐震性が顧慮されていない集合住宅が多く、それらの住宅群は瓦礫の山と化してしまい、住民の7割近くが死亡してしまったという。

災害後、余りにも被害が大きく、町の再建は断念してしまった…そして、このモニュメントが出来た。800名程居たという生存者は、各々が方々に移ったようだ…

静かにそんな出来事を伝えるモニュメント…広場のメンテナンスの一環と言ってしまえばそれまでだが、何時も辺りは綺麗に清掃が行き届き、その役目を無言で果たしている…

霧とレーニン(2017.10.07)

朝7時少し前…戸外の様子を伺えば、深い霧に包まれていた…そのまま…少しばかり歩いた…

↓大きなレーニン像が霧の中に佇み、周辺は未だ灯りが点いている…
07-10-2017 morning (7)
↑幻想的な感じがして、暫し見入った…

辺りでは、日中に催しが在るらしく、何やら準備に勤しんでいる様子も見受けられた…

↓霧が深いと、朝なのか夜なのか、非常に判り悪い…
07-10-2017 morning (4)

↓灯りが消えて、急に明るい感じになっては来たが…霧は未だ残る…
07-10-2017 morning (8)

更に時間を経て…霧が晴れると好天な感じの土曜日になって行った…