2014年頃からロシアでは煙草関係の色々な規制が強化されている…
「煙草を視えるように陳列して販売してはならない」ということになり、買い求める場合には、専ら「扱っている店で店員さんに申し出て出してもらう」という感じになっていた…
今年、サハリン上陸に関しては少しだけ間隔が開いた中で、サハリンのスーパー等を覗くと…蓋がしまった戸棚のようなモノがレジの近く等に置かれている事例を視掛けるようになった。その蓋が付いた戸棚のようなモノの蓋を開けると、中に煙草が並んでいる。そこから求めたいモノを選び、また蓋は閉めておく…戸棚のようなモノの中から選んだ煙草を、他の商品のように、或いは他の商品と一緒にカゴに入れてレジへ持って行けば、煙草が求められる…この方式が「視えるように陳列して販売していない」という理解になるようだ…
正直…この「視えるように陳列して販売していない」という理解になるらしい“戸棚”方式のスーパーで煙草を求めるのが、何となく買い求め易い…視掛けると利用する場合が多く在るが…
↓日曜日、普段は余り利用しないようなスーパーで“戸棚”方式で煙草を売っているのを視掛けて利用したが…視た時に「うゎっ!!」と声が出そうになった代物だ…
↑思わず買い求めてしまった…1箱が55ルーブルの煙草である…
↓「パピロス」とロシア語では呼ばれるモノ…フィルターは無く、煙草を紙で巻いた部分の延長線上に厚めの紙を丸めた筒状のモノが付いている…
↓25本入っている「パピロス」を一寸出してみる…
↑こういう形状の紙巻き煙草…各国では1940年代位までで廃れてしまっていたらしいが…ソ連ではそれが延々と受け継がれ、ロシアの時代になっても…未だ残っている…
<ベラモルカナル>だが、これは「白海・バルト海運河」を指し示す語であるという。その名を冠した煙草を、当時のレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)の工場で造り始めたのが1932年であるという…今年が「初登場から85年」である…
全く初めてこれに出くわしたのは…学生時代にどなたかの土産として頂いたモノだった筈だ…「ソ連の匂い?ソ連の味?ソ連のデザインの箱と煙草そのもの?何やら妙だ…」と思ったものだった…
時々、不意にこれに出くわし、思わず求める等してしまうのだが…今般は「随分と久し振りに視掛けた…」という気がする…
そしてこれを“モノクロフィルム調”な画になるように撮ってみたが…酷くモノクロの画が似合うモノだ…
M.A.プルカエフ上級大将のプレート(2017.10.08)
ユジノサハリンスク市内を南北に延びる通…西寄りからレーニン通、ミール通、コムソモリスカヤ通、ゴーリキー通というような、やや交通量が多いように見える通が在って、それらと交わる東西に延びるやや交通量が多い通が在る。その東西に延びる通の中、南寄りの辺り、コルサコフ港やユジノサハリンスク空港から都心側へ北上する際に「繁華な地区に入って行く…」というように感じる辺りがプルカエフ通だ…
レーニン通を南下してプルカエフ通の西寄りな辺りに至り、プルカエフ通に入って東側へ進んで行く…コムソモリスカヤ通にまで至ると大きな商業施設が在る。その手前である…
↓こういうプレートを見付けた…
随分以前、モスクワでこの種の「建物に掲出されたプレート」を方々で視た。文化人、政治家、軍人、官吏等、功績が伝えられる人達に所縁の場所であること等を示すプレートだ…ユジノサハリンスクでも、官公署や古くからの会社等の建物の壁に、関係分野での功労者を顕彰するためのプレートが掲出されている例を視掛ける…
プルカエフ通でプレートを視掛けた…申し訳ないが、建物が伝統を感じさせる重厚なモノにも視えず、官公署か何かという風でもないので、何か「どういう人を顕彰しているのか?」と気になった…
↓「この通はマキシム・アレクセェヴィチ・プルカエフ上級大将、1945年8月のサハリン及びクリルを解放したソ連軍部隊の指揮官を記念したものである」とプレートには在る…
↑文の脇の人物は、よく視れば軍服を着用している…
M.A.プルカエフ(1894-1953)は、独ソ戦を戦い、1943年4月から極東方面で指揮を執り、1945年8月の対日参戦時に実戦部隊の司令官を務めている。戦後は極東管区の司令官を務め、後年は最高会議の代議員を務めたとのことだ。
この通の場所が、殊更にプルカエフ上級大将と縁が在ったのか否かは判らないが…こういうような形式で史上に足跡を遺した人物を伝える…少し興味深い…
因みに…このプルカエフ通を東端まで進めば、アジアリーグアイスホッケーの試合が催される<クリスタル>に至る…
レーニン通を南下してプルカエフ通の西寄りな辺りに至り、プルカエフ通に入って東側へ進んで行く…コムソモリスカヤ通にまで至ると大きな商業施設が在る。その手前である…
↓こういうプレートを見付けた…
随分以前、モスクワでこの種の「建物に掲出されたプレート」を方々で視た。文化人、政治家、軍人、官吏等、功績が伝えられる人達に所縁の場所であること等を示すプレートだ…ユジノサハリンスクでも、官公署や古くからの会社等の建物の壁に、関係分野での功労者を顕彰するためのプレートが掲出されている例を視掛ける…
プルカエフ通でプレートを視掛けた…申し訳ないが、建物が伝統を感じさせる重厚なモノにも視えず、官公署か何かという風でもないので、何か「どういう人を顕彰しているのか?」と気になった…
↓「この通はマキシム・アレクセェヴィチ・プルカエフ上級大将、1945年8月のサハリン及びクリルを解放したソ連軍部隊の指揮官を記念したものである」とプレートには在る…
↑文の脇の人物は、よく視れば軍服を着用している…
M.A.プルカエフ(1894-1953)は、独ソ戦を戦い、1943年4月から極東方面で指揮を執り、1945年8月の対日参戦時に実戦部隊の司令官を務めている。戦後は極東管区の司令官を務め、後年は最高会議の代議員を務めたとのことだ。
この通の場所が、殊更にプルカエフ上級大将と縁が在ったのか否かは判らないが…こういうような形式で史上に足跡を遺した人物を伝える…少し興味深い…
因みに…このプルカエフ通を東端まで進めば、アジアリーグアイスホッケーの試合が催される<クリスタル>に至る…