「天候が下り坂…」とか「荒天への注意喚起」ということがなされていた水曜日、気温がドンドンと下がり、夕刻から夜には風が強まって雪が交って来た…
日曜日に降った嵩張っていた雪が、気温上昇で消えかかっていた所に、氷点下5℃クラスの気温で見受けられるサラサラになっている雪が降るような状態で木曜日の朝を迎えた…
↓朝、種々の灯りが未だ残る時間帯の雰囲気だ…
↑近所のホテルのビルに入って眺めてみた光景だ…
何となく…「冬らしい」風情だ…
稚内港中央埠頭(2017.11.30)
稚内港北防波堤ドーム(2017.11.30)
パフェ(2017.11.23)
<ガーリックステーキと焼肉弁当>:新函館北斗駅(2017.11.19)
<パスタ・ジェノヴェーゼ>(2017.11.25)
“ケーキセット”(2017.11.25)
<ビッグハンバーグ>(2017.11.22)
<スパイシーチキンカレー>(2017.11.26)
<期間限定 とびきりハンバーグサンド 薫るベーコン&クリーミーポテト>(2017.11.26)
<はこだてライナー>:新函館北斗駅(2017.11.19)
新函館北斗駅は、何か「駅そのものが“跨線橋”」というように感じた…新幹線列車の発着するエリアと、在来線列車の発着するエリアとを結ぶ機能に「半ば特化?」という雰囲気だ。駅前も寂しい…
“駅前”というものが「適当に賑わっている…」という感覚だが…これは日本国内の都市部では、殆ど当てはまるような気がするが…例えばサハリンで列車を利用してみた時には、「必ずしも…」と思った。更に、日本国内でもローカルな駅は「どういう経過で、ここに駅!?」と感じてしまう場所も珍しくはない…
新函館北斗駅というのは、新幹線列車の発着する駅なので、何となく華々しい感じがする駅だが…場所は「渡島大野駅」そのものである。大野町の中心部から離れた場所に在って、町の代表駅ではあったが、「どういう経過で、ここに駅!?」という印象を与えるようなローカルな駅だったという…この大野町が2006年に上磯町と合併し、北斗市が登場している…
この駅は、新幹線が入るという中で「新函館駅」という仮称で建設されていたが、所在地の「北斗」が入るべきであろうという意見が出て、駅名決定が難航した…そして「仮称と所在地とを入れて」となって「新函館北斗駅」となった。
極々個人的な考えだが…駅名は「新函館」で、北海道へ上陸する列車の愛称―「主にJR北海道の車輛を使用」ということになっている列車だけでも…―を<ほくと>(北斗)にでもすれば好かったように思う…「函館」は、江戸時代の「箱館」の流れを汲む、北海道内の地名としては国内でかなり知名度が高いものだ。現行の「函館駅」そのものではない場所なら、新幹線の駅でよく視掛ける“新”とか、方角に因んで“北”とでも冠して駅名にすれば好い筈だ…そして、現在の列車は実態として「<はやぶさ>の運行区間の延伸」という以上でも以下でもないが、「北海道上陸」という「一寸、変わった…」が“名前”で判る何かが在っても悪くはないのではないか?<ほくと>というような「針路は北!」という愛称は素敵だと思うのだが…
正直なところ…学生の頃に上野・札幌間で<北斗星>に乗車する機会が在った際、客車の脇の行先表示に「札幌」の文字を視て覚えた昂奮のようなものは、「新函館北斗」という「何処かの私鉄の新しい路線の“それって何処?”とでも尋ねてみたくなる場所」と見紛うような行先表示を視ても湧き起らなかった…
そういうことで辿り着いた新函館駅であった…
↓この駅の「新幹線に次ぐ」感じの存在感を示す列車がこれだ…
↑片道15分程度で函館駅との間を往復する快速<はこだてライナー>である…
車輛そのものは、札幌近郊で視掛ける733系電車である。塗装が少々異なる…
今般は新函館北斗駅で過ごし、そのまま特急列車で札幌方面に去ったが…機会が在れば、この<はこだてライナー>で函館にも寄道したいものだ…
“駅前”というものが「適当に賑わっている…」という感覚だが…これは日本国内の都市部では、殆ど当てはまるような気がするが…例えばサハリンで列車を利用してみた時には、「必ずしも…」と思った。更に、日本国内でもローカルな駅は「どういう経過で、ここに駅!?」と感じてしまう場所も珍しくはない…
新函館北斗駅というのは、新幹線列車の発着する駅なので、何となく華々しい感じがする駅だが…場所は「渡島大野駅」そのものである。大野町の中心部から離れた場所に在って、町の代表駅ではあったが、「どういう経過で、ここに駅!?」という印象を与えるようなローカルな駅だったという…この大野町が2006年に上磯町と合併し、北斗市が登場している…
この駅は、新幹線が入るという中で「新函館駅」という仮称で建設されていたが、所在地の「北斗」が入るべきであろうという意見が出て、駅名決定が難航した…そして「仮称と所在地とを入れて」となって「新函館北斗駅」となった。
極々個人的な考えだが…駅名は「新函館」で、北海道へ上陸する列車の愛称―「主にJR北海道の車輛を使用」ということになっている列車だけでも…―を<ほくと>(北斗)にでもすれば好かったように思う…「函館」は、江戸時代の「箱館」の流れを汲む、北海道内の地名としては国内でかなり知名度が高いものだ。現行の「函館駅」そのものではない場所なら、新幹線の駅でよく視掛ける“新”とか、方角に因んで“北”とでも冠して駅名にすれば好い筈だ…そして、現在の列車は実態として「<はやぶさ>の運行区間の延伸」という以上でも以下でもないが、「北海道上陸」という「一寸、変わった…」が“名前”で判る何かが在っても悪くはないのではないか?<ほくと>というような「針路は北!」という愛称は素敵だと思うのだが…
正直なところ…学生の頃に上野・札幌間で<北斗星>に乗車する機会が在った際、客車の脇の行先表示に「札幌」の文字を視て覚えた昂奮のようなものは、「新函館北斗」という「何処かの私鉄の新しい路線の“それって何処?”とでも尋ねてみたくなる場所」と見紛うような行先表示を視ても湧き起らなかった…
そういうことで辿り着いた新函館駅であった…
↓この駅の「新幹線に次ぐ」感じの存在感を示す列車がこれだ…
↑片道15分程度で函館駅との間を往復する快速<はこだてライナー>である…
車輛そのものは、札幌近郊で視掛ける733系電車である。塗装が少々異なる…
今般は新函館北斗駅で過ごし、そのまま特急列車で札幌方面に去ったが…機会が在れば、この<はこだてライナー>で函館にも寄道したいものだ…
老舗の“サンドウヰッチ”:<はやぶさ>の車内販売(2017.11.19)
「6時半の列車で出発…」と「5時過ぎに宿の辺りから動き始める」というようなことをして東京駅を目指したが…東京都内では、何となく広く見受けられるような気がする、「24時間営業の飲食店」に出くわすでもないままに東京駅に至ってしまった…
東京駅では、夜明け前の建物の風情を愛で、各地へ向かう列車の色々な型の車輛を眺め、「これだ!」と待っていた<はやぶさ>の登場する様を視て、「さて…」とゆっくり乗車した。
全席指定の列車で、券を求めた際には「進行方向の右の窓側が楽―左は「アクシデント」の影響が在る…右であれば、座席背もたれや窓際に身体を預けるようにし易い…―だと思うので、もし空きが在れば…」と窓口の係員にお願いしてみた。出て来た指定席は「6号車6番A」というモノ…“6”が好きな数字なので、何か妙に嬉しい…そして、要望のとおりの「右の窓側」だった。
特段に朝食も摂らずに<はやぶさ>に乗車し、「敢えて少し時間を設けた新函館北斗駅で、軽く早めなランチを…」程度に考え、上野駅の地下に潜ってから東京の北東部を抜けて大宮駅へ向かって「速く流れる」車窓をぼんやりと視ていた…
そうしていれば…何やら声がするので、そちらに目線を向けると…車内販売が現れた!車内販売が在る列車…久し振りに乗車した感じだった…
↓「珈琲と…サンドイッチ…」と申し出て求めたのがこれである…
↑<大船軒>という老舗が出しているというサンドイッチ…<鎌倉ハム>という、これもまた老舗の具材を使っているらしい…そして箱には“サンドウヰッチ”とやや古風な綴り方のロゴが入っている…
↓開けてみればこういう具合だ…
↑「古き善き…」という雰囲気のサンドイッチだ!ハムを挟んだモノと、チーズを挟んだモノが在った。パンは白く柔らかい部分を使っている…昔…「サンドイッチ用」と称して「食パンを薄くカットして耳を落とす」というのが在ったと記憶するが、正しくそのスタイルだ…
<大船軒>は鎌倉市の大船駅が開業したような頃に登場し、弁当の製造販売を手掛けて現在に至っているそうだ。創業者が政府要人であった黒田清隆と話す機会が在り、黒田清隆が「サンドイッチというモノが在って、なかなか好い」と薦めたらしく、「恐らく日本で初めて」という「広く市販されるサンドイッチ」が登場したのだという…それが、この<はやぶさ>の車内販売で売られていた“サンドウヰッチ”だ。“サンドウヰッチ”の初登場は1899(明治32)年のことであったという…
“サンドウヰッチ”の箱を開けて、「古き善き…」という雰囲気を感じたのも、登場経過を知れば納得である。或いは、この“サンドウヰッチ”が「サンドイッチとはこういうようなモノ」という「モデル」になって、方々に普及したとも見受けられる…
現在…「アクシデント」の故に「片手で摘まむ…」というサンドイッチは有難い…が、そもそもサンドイッチは「カードゲームに興じながら、片手で摘まむ軽食」として考案されたと、かなり以前に何かで読んだ記憶も在る…
こういう「古き善き…」という雰囲気のモノ…好い!
東京駅では、夜明け前の建物の風情を愛で、各地へ向かう列車の色々な型の車輛を眺め、「これだ!」と待っていた<はやぶさ>の登場する様を視て、「さて…」とゆっくり乗車した。
全席指定の列車で、券を求めた際には「進行方向の右の窓側が楽―左は「アクシデント」の影響が在る…右であれば、座席背もたれや窓際に身体を預けるようにし易い…―だと思うので、もし空きが在れば…」と窓口の係員にお願いしてみた。出て来た指定席は「6号車6番A」というモノ…“6”が好きな数字なので、何か妙に嬉しい…そして、要望のとおりの「右の窓側」だった。
特段に朝食も摂らずに<はやぶさ>に乗車し、「敢えて少し時間を設けた新函館北斗駅で、軽く早めなランチを…」程度に考え、上野駅の地下に潜ってから東京の北東部を抜けて大宮駅へ向かって「速く流れる」車窓をぼんやりと視ていた…
そうしていれば…何やら声がするので、そちらに目線を向けると…車内販売が現れた!車内販売が在る列車…久し振りに乗車した感じだった…
↓「珈琲と…サンドイッチ…」と申し出て求めたのがこれである…
↑<大船軒>という老舗が出しているというサンドイッチ…<鎌倉ハム>という、これもまた老舗の具材を使っているらしい…そして箱には“サンドウヰッチ”とやや古風な綴り方のロゴが入っている…
↓開けてみればこういう具合だ…
↑「古き善き…」という雰囲気のサンドイッチだ!ハムを挟んだモノと、チーズを挟んだモノが在った。パンは白く柔らかい部分を使っている…昔…「サンドイッチ用」と称して「食パンを薄くカットして耳を落とす」というのが在ったと記憶するが、正しくそのスタイルだ…
<大船軒>は鎌倉市の大船駅が開業したような頃に登場し、弁当の製造販売を手掛けて現在に至っているそうだ。創業者が政府要人であった黒田清隆と話す機会が在り、黒田清隆が「サンドイッチというモノが在って、なかなか好い」と薦めたらしく、「恐らく日本で初めて」という「広く市販されるサンドイッチ」が登場したのだという…それが、この<はやぶさ>の車内販売で売られていた“サンドウヰッチ”だ。“サンドウヰッチ”の初登場は1899(明治32)年のことであったという…
“サンドウヰッチ”の箱を開けて、「古き善き…」という雰囲気を感じたのも、登場経過を知れば納得である。或いは、この“サンドウヰッチ”が「サンドイッチとはこういうようなモノ」という「モデル」になって、方々に普及したとも見受けられる…
現在…「アクシデント」の故に「片手で摘まむ…」というサンドイッチは有難い…が、そもそもサンドイッチは「カードゲームに興じながら、片手で摘まむ軽食」として考案されたと、かなり以前に何かで読んだ記憶も在る…
こういう「古き善き…」という雰囲気のモノ…好い!
新函館北斗駅(2017.11.19)
東京駅からの<はやぶさ>で新函館北斗駅に着き、札幌方面への特急列車には直ぐに乗換出来るようになっている。が…「駅の様子を眺めて一息…」と思い、敢えて1時間余り待ってから札幌方面へ向かう列車に乗ってみることにした…
↓天候も好かったので、何となく駅前に出てみた…
↑駅前は路線バス等が発着するようになっているが、2階建ての「存外に小さい?」と思えた駅である…或いは、「新幹線の“途中駅”」というのは、こういう感じなのかもしれない…
新幹線列車の発着する場所が在り、“跨線橋”のような役目を担う駅舎の中を抜けると、函館との間を往来する快速電車が発着する場所、札幌方面との間を往来する特急列車が発着する場所、ローカルな普通列車が発着する場所が在る…
駅前は…特段に画になるでもない…畑の真中のような場所に、こんな建物が佇んでいる訳である…何か…「複雑な気分」になった…
↓天候も好かったので、何となく駅前に出てみた…
↑駅前は路線バス等が発着するようになっているが、2階建ての「存外に小さい?」と思えた駅である…或いは、「新幹線の“途中駅”」というのは、こういう感じなのかもしれない…
新幹線列車の発着する場所が在り、“跨線橋”のような役目を担う駅舎の中を抜けると、函館との間を往来する快速電車が発着する場所、札幌方面との間を往来する特急列車が発着する場所、ローカルな普通列車が発着する場所が在る…
駅前は…特段に画になるでもない…畑の真中のような場所に、こんな建物が佇んでいる訳である…何か…「複雑な気分」になった…
稚内港北防波堤ドーム(2017.11.24)
上空…(2017.11.18)
「ユジノサハリンスク空港→ウラジオストク空港→成田空港」という移動をした…「アクシデント」の関係でやや不自由な状況下の移動であったことから、殊更に強い印象を残した感である…
ユジノサハリンスクを離陸した際には…「雪が降り始めた?真っ白で街等は視えない…雲を突き抜けた?雲の上の青空…」というのを窓から視た辺りで、無事に出発出来たことに安堵して寝入ってしまった…
これに対し、ウラジオストクを離陸した際には、雲の様子や、雲から透けて見える陸地や海の感じが面白いと思い、幾分写真を撮ったのだった…
↓何度も飛行機に乗っていれば、別段に珍しくはない光景だが…それでも「好きな感じの光景」ではある…
↓沿海地方の何処かの陸地が、雲の隙間から覗いていて「何処なのだろうか?」と思いながら見入っていた…
こういうような光景を愉しんだ後…「乗っている飛行機が着陸すると日本国…」と何となく安堵し、また寝入ってしまった…
初めて利用する航空会社…初めての経路…「アクシデント」の少し後という悪条件下での旅…忘れ難いものだが、あっという間に1週間経った…
ユジノサハリンスクを離陸した際には…「雪が降り始めた?真っ白で街等は視えない…雲を突き抜けた?雲の上の青空…」というのを窓から視た辺りで、無事に出発出来たことに安堵して寝入ってしまった…
これに対し、ウラジオストクを離陸した際には、雲の様子や、雲から透けて見える陸地や海の感じが面白いと思い、幾分写真を撮ったのだった…
↓何度も飛行機に乗っていれば、別段に珍しくはない光景だが…それでも「好きな感じの光景」ではある…
↓沿海地方の何処かの陸地が、雲の隙間から覗いていて「何処なのだろうか?」と思いながら見入っていた…
こういうような光景を愉しんだ後…「乗っている飛行機が着陸すると日本国…」と何となく安堵し、また寝入ってしまった…
初めて利用する航空会社…初めての経路…「アクシデント」の少し後という悪条件下での旅…忘れ難いものだが、あっという間に1週間経った…
稚内の雪景色(2017.11.24)
11月21日の夕刻に稚内に到着した際、辺りの雪が多いことに驚いた…翌22日は雨が交じり、何やら「グチャグチャ」の酷い按配になった…翌々23日も雨交じりは継続し、雪の嵩は激減した…21日に「アクシデント」の影響で不自由な状態ながら、一生懸命に拙宅玄関前に在った雪を除けていたのだったが…何やら「徒労感…」を禁じ得ない感だ…
↓そして11月24日である…
↑雪景色が実に素早く戻って来た…
↓こうして視ると…車道や駐車場の除雪は素早く済ませている箇所が目立つが、歩道がやや遅れ気味だ…
↑実際…「何処をどうやって歩こうか?否…何処なら歩けるだろうか?」と道端で考えてしまう場面も在った…
11月にして「この状態」であるのは、少し珍しい感じだ…
↓そして11月24日である…
↑雪景色が実に素早く戻って来た…
↓こうして視ると…車道や駐車場の除雪は素早く済ませている箇所が目立つが、歩道がやや遅れ気味だ…
↑実際…「何処をどうやって歩こうか?否…何処なら歩けるだろうか?」と道端で考えてしまう場面も在った…
11月にして「この状態」であるのは、少し珍しい感じだ…
<かがやき>:東京駅(2017.11.19)
乗車予定の<はやぶさ>が発車する筈のホームでは、15分位前に別な列車が出ることが判った。
その列車をのんびりと眺め、「行ってらっしゃい!!」と見送れば、待ち望んだ<はやぶさ>が登場する手筈だ…
↓そう思った辺りで、列車の入線に関して注意喚起の構内放送が流れ、列車が登場した…
↑金沢へ向かう列車だ!未だ真新しい感じもする車輛である…
「土曜日の早朝」ということで、この列車の乗客には“出張”という雰囲気の人達は余り目立たず、国内外の色々な旅行者が見受けられた…
↓ホームの反対側まで歩き、先頭車輛により近い位置で眺めてみた…
この列車が向かう金沢…首都圏からのアクセスが格段に好くなったと、大変に賑わっているらしい…自身、あの辺りに関しては「日本海岸縦断ルート」を移動した際に通過しただけで、未踏の地のようなものである…何時かこの<かがやき>に乗車してみたいと思った…
その列車をのんびりと眺め、「行ってらっしゃい!!」と見送れば、待ち望んだ<はやぶさ>が登場する手筈だ…
↓そう思った辺りで、列車の入線に関して注意喚起の構内放送が流れ、列車が登場した…
↑金沢へ向かう列車だ!未だ真新しい感じもする車輛である…
「土曜日の早朝」ということで、この列車の乗客には“出張”という雰囲気の人達は余り目立たず、国内外の色々な旅行者が見受けられた…
↓ホームの反対側まで歩き、先頭車輛により近い位置で眺めてみた…
この列車が向かう金沢…首都圏からのアクセスが格段に好くなったと、大変に賑わっているらしい…自身、あの辺りに関しては「日本海岸縦断ルート」を移動した際に通過しただけで、未踏の地のようなものである…何時かこの<かがやき>に乗車してみたいと思った…
<つばさ>:東京駅(2017.11.19)
有り勝ちな「小さな失敗」の原因として、「慌ててしまった結果…」という割合は高いように思う…
そういう訳で…“始発”の<はやぶさ>に乗車すべく東京駅へ出るのに「十二分な余裕」を見て、夜を明かした宿を出た…
4時間を少々超える乗車時間だ。車内での「居眠り…」というのも結構な訳で、やや浅かったかもしれない、また短めだったかもしれない睡眠であったが「夜明前…」な東京都内を移動した…
着いてみた東京駅の新幹線ホーム…JR東日本によって運転されている列車が発着するエリアにかなり早く入った…奥まった場所で座っているよりも、ホームに出て、出入りする色々な車輛を眺めて過ごす位が愉しいというものだ…
↓山形県方面へ向かう列車…短い編成であり、長大なホームの半ば位までに収まっている…
↑以前、この山形県方面の列車は「銀色に緑のアクセント」という塗装だった記憶も在るのだが…何やらイメージが随分と変わった感じだ…
未だ早朝で、方々から乗客を乗せて到着する方の列車は見受けられないのだが、随分と多くの列車が“回送”の型で東京駅ホームに現れ、待ち受けた乗客達を載せて続々と出発していた…
そういう訳で…“始発”の<はやぶさ>に乗車すべく東京駅へ出るのに「十二分な余裕」を見て、夜を明かした宿を出た…
4時間を少々超える乗車時間だ。車内での「居眠り…」というのも結構な訳で、やや浅かったかもしれない、また短めだったかもしれない睡眠であったが「夜明前…」な東京都内を移動した…
着いてみた東京駅の新幹線ホーム…JR東日本によって運転されている列車が発着するエリアにかなり早く入った…奥まった場所で座っているよりも、ホームに出て、出入りする色々な車輛を眺めて過ごす位が愉しいというものだ…
↓山形県方面へ向かう列車…短い編成であり、長大なホームの半ば位までに収まっている…
↑以前、この山形県方面の列車は「銀色に緑のアクセント」という塗装だった記憶も在るのだが…何やらイメージが随分と変わった感じだ…
未だ早朝で、方々から乗客を乗せて到着する方の列車は見受けられないのだが、随分と多くの列車が“回送”の型で東京駅ホームに現れ、待ち受けた乗客達を載せて続々と出発していた…
「東京都区内→稚内」の乗車券等(2017.11.19-21)(※11.22撮影)
「アクシデント」の影響で「減速・出力低下」な状況であっても…否!だからこそ、思い出に残る、それなりに愉しい移動をしてみたい…
加えて…飛行機に関しては、「アクシデント」で片腕の利かない中、搭乗時の保安検査―正直、ロシアの方が“普通”なように個人的には思う。日本国内の空港は、申し訳ないが、酷く感じが悪い…感覚的には「3回に2回」程度は気分を害する…―を受けるというのが、耐え難い苦痛に思えた。「苦痛に思える」を通り越して、自由が利かずにストレスも生じ易そうな状況の故に現場で「怒り沸騰!!」になり、「吐いた唾、呑み込むなや!責任者を呼んで来い!!直ぐや!!!」程度に怒鳴って暴れてしまうかもしれない…
そんなことで、上陸した東京で考えたのは「列車の旅」をアレンジして、札幌に寄りながら稚内へ引揚げようということであった…
浅草橋駅に近い宿に荷物を置いて、一息入れてから土曜日の夕刻の東京駅を訪ねた…
丸の内北口の地上に設けられた窓口は営業を終えていた…「えっ?!」と思い、改札口辺りで問い合わせに応じてくれる駅員さんを見付けて尋ねれば、地階の窓口は営業中ということだった…
その地階の窓口で、手帳に書いた案を示し、特急列車の指定席券類と乗車券をお願いした…
↓これが東京駅で求めて、稚内駅まで乗り継いで来た特急列車の指定席券類と乗車券だ。
↑改札口で申し出ると、これらは記念に頂くことが出来るのである。非常に好い記念品だ…
乗車券は、「券の紙幅」の故に印字が途切れた記載事項が在って、窓口の係の方が「手書き」で加筆をしている…札幌・稚内間は、2本の列車の指定席券が1枚に収まる様式だ…
<はやぶさ>に関しては「6号車6番A」という席が割り当てられた。“6”は好きな数字なので、何か妙に嬉しかった…
今般…一部に車窓を愉しみながらも、車内では「居眠りの時間…」も長い感じで、列車による北上を行った…「急ぐでもないが、道草もし悪い」という妙な状況の下だったことで、札幌で用を足すに留まったのだが…機会が在れば、もう少し「方々に寄りながら、ゆったりと…」という移動もしてみたいものだ…
加えて…飛行機に関しては、「アクシデント」で片腕の利かない中、搭乗時の保安検査―正直、ロシアの方が“普通”なように個人的には思う。日本国内の空港は、申し訳ないが、酷く感じが悪い…感覚的には「3回に2回」程度は気分を害する…―を受けるというのが、耐え難い苦痛に思えた。「苦痛に思える」を通り越して、自由が利かずにストレスも生じ易そうな状況の故に現場で「怒り沸騰!!」になり、「吐いた唾、呑み込むなや!責任者を呼んで来い!!直ぐや!!!」程度に怒鳴って暴れてしまうかもしれない…
そんなことで、上陸した東京で考えたのは「列車の旅」をアレンジして、札幌に寄りながら稚内へ引揚げようということであった…
浅草橋駅に近い宿に荷物を置いて、一息入れてから土曜日の夕刻の東京駅を訪ねた…
丸の内北口の地上に設けられた窓口は営業を終えていた…「えっ?!」と思い、改札口辺りで問い合わせに応じてくれる駅員さんを見付けて尋ねれば、地階の窓口は営業中ということだった…
その地階の窓口で、手帳に書いた案を示し、特急列車の指定席券類と乗車券をお願いした…
↓これが東京駅で求めて、稚内駅まで乗り継いで来た特急列車の指定席券類と乗車券だ。
↑改札口で申し出ると、これらは記念に頂くことが出来るのである。非常に好い記念品だ…
乗車券は、「券の紙幅」の故に印字が途切れた記載事項が在って、窓口の係の方が「手書き」で加筆をしている…札幌・稚内間は、2本の列車の指定席券が1枚に収まる様式だ…
<はやぶさ>に関しては「6号車6番A」という席が割り当てられた。“6”は好きな数字なので、何か妙に嬉しかった…
今般…一部に車窓を愉しみながらも、車内では「居眠りの時間…」も長い感じで、列車による北上を行った…「急ぐでもないが、道草もし悪い」という妙な状況の下だったことで、札幌で用を足すに留まったのだが…機会が在れば、もう少し「方々に寄りながら、ゆったりと…」という移動もしてみたいものだ…
札幌時計台(2017.11.21)
「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です」とは…<札幌市民憲章>なるモノの冒頭に在る文言だ…
何時の間にか“住民登録”が為されている場所としては「稚内市」の方が長くなったが、「育った街」ということになる「札幌市」の、この<札幌市民憲章>なるモノの冒頭に在る文言は忘れない…
↓その時計台の前を通り掛かり、思わず写真を撮ってしまった…
↑正面のビルに在る、デッキ状の部分からの画で、近年何となく気に入っている眺めだ…
実は「アクシデント」の故に左腕が使えず、“縦位置”の撮影が難しい状態である…が、そういうことも含めた“制約”の中で「気に入った画」を創るというのが、「写真を撮る」ということなのかもしれない…
微妙な懐かしさが在るモノが佇む光景…非常に好い。
何時の間にか“住民登録”が為されている場所としては「稚内市」の方が長くなったが、「育った街」ということになる「札幌市」の、この<札幌市民憲章>なるモノの冒頭に在る文言は忘れない…
↓その時計台の前を通り掛かり、思わず写真を撮ってしまった…
↑正面のビルに在る、デッキ状の部分からの画で、近年何となく気に入っている眺めだ…
実は「アクシデント」の故に左腕が使えず、“縦位置”の撮影が難しい状態である…が、そういうことも含めた“制約”の中で「気に入った画」を創るというのが、「写真を撮る」ということなのかもしれない…
微妙な懐かしさが在るモノが佇む光景…非常に好い。
キハ183系による<サロベツ>:稚内駅(2017.11.21)
「札幌→旭川→稚内」と2本の特急列車を乗り継いで移動する…そのパターンを選んで稚内へ引揚げた…
北海道内では少数派な電化区間の札幌・旭川間に対し、旭川・稚内間は多数派の非電化区間である。旭川駅では、ディーゼルカーの列車が待機していて、それに乗車することになる。
札幌駅から<ライラック>が出る際、接続ということになる新千歳空港駅からの快速列車の到着が若干遅れ、出発が少し遅れた。故に旭川駅での乗換は、ややゆとりが無かった…とは言え、“島式ホーム”の左側に<ライラック>が着き、右側で待っている<サロベツ>に乗換であるので、何やら「乗り移る」という感で特段に負担感が在るでもない。個人的には「列車の旅らしい」とさえ思う…更に言えば、「乗車する列車を一寸眺める程度の数分が在れば…」という程度には思ったが…
旭川・稚内間の特急列車はキハ261系で運行されている。この型が2000年に初登場して投入された区間でもある。(その当時から、長く旭川を越えて札幌との間を往来していたが…)このキハ261系は最近も新しいモノが配備されていて、「途中駅で乗車し、途中駅で下車」の型、加えてホームが混み合っていて、加えて今般は自身のコンディションの事情も手伝って写真は撮り損なったが、函館・札幌間の特急列車にも使用されている…
旭川駅で待っていたのは…そのキハ261系ではなかった…
「車輛を変更」の旨が車内でもアナウンスされていたが、「鹿との衝突」に起因するらしい車輛の不具合が生じてしまったということで、今となっては「一寸レトロ?」なキハ183系が登場した…
キハ183系による<サロベツ>ということになったが、運行中に一度“非常停止”が在った…「鹿が列車直前を横断」ということだった…が、接触は無く、運行は直ぐに再開である…
↓前置きが長くなったが…今の時季は真っ暗になっている時間帯の稚内駅に、キハ183系の<サロベツ>が到着した…
↑「11月21日」という時点でこの景色…少しだけ珍しい…ホーム屋根の粉雪が風に舞っている様子も見受けられる…
↓拙宅へ引揚げる直前、一寸駅ビルのデッキに上がってみた…
↑この型の車輛に独特なデザインの先頭…好い!!
結局…「ユジノサハリンスク→ウラジオストク→成田」で帰国後、「東京→稚内」は全て列車で動いた…
北海道内では少数派な電化区間の札幌・旭川間に対し、旭川・稚内間は多数派の非電化区間である。旭川駅では、ディーゼルカーの列車が待機していて、それに乗車することになる。
札幌駅から<ライラック>が出る際、接続ということになる新千歳空港駅からの快速列車の到着が若干遅れ、出発が少し遅れた。故に旭川駅での乗換は、ややゆとりが無かった…とは言え、“島式ホーム”の左側に<ライラック>が着き、右側で待っている<サロベツ>に乗換であるので、何やら「乗り移る」という感で特段に負担感が在るでもない。個人的には「列車の旅らしい」とさえ思う…更に言えば、「乗車する列車を一寸眺める程度の数分が在れば…」という程度には思ったが…
旭川・稚内間の特急列車はキハ261系で運行されている。この型が2000年に初登場して投入された区間でもある。(その当時から、長く旭川を越えて札幌との間を往来していたが…)このキハ261系は最近も新しいモノが配備されていて、「途中駅で乗車し、途中駅で下車」の型、加えてホームが混み合っていて、加えて今般は自身のコンディションの事情も手伝って写真は撮り損なったが、函館・札幌間の特急列車にも使用されている…
旭川駅で待っていたのは…そのキハ261系ではなかった…
「車輛を変更」の旨が車内でもアナウンスされていたが、「鹿との衝突」に起因するらしい車輛の不具合が生じてしまったということで、今となっては「一寸レトロ?」なキハ183系が登場した…
キハ183系による<サロベツ>ということになったが、運行中に一度“非常停止”が在った…「鹿が列車直前を横断」ということだった…が、接触は無く、運行は直ぐに再開である…
↓前置きが長くなったが…今の時季は真っ暗になっている時間帯の稚内駅に、キハ183系の<サロベツ>が到着した…
↑「11月21日」という時点でこの景色…少しだけ珍しい…ホーム屋根の粉雪が風に舞っている様子も見受けられる…
↓拙宅へ引揚げる直前、一寸駅ビルのデッキに上がってみた…
↑この型の車輛に独特なデザインの先頭…好い!!
結局…「ユジノサハリンスク→ウラジオストク→成田」で帰国後、「東京→稚内」は全て列車で動いた…
<ライラック>:札幌駅(2017.11.21)
「札幌→旭川→稚内」と2本の特急列車を乗り継いで移動する…そのパターンを選んで稚内へ引揚げた…
札幌辺りは日曜日に酷く雪が降り、一気に「真冬な雰囲気」になったということのようだ。が、列車は元気に運行中だった…
雪に加えて、路面の凍結で酷く歩き悪かった札幌都心…想定以上の歩き悪さであったので、街中を動き廻るのは少し控え、札幌駅近隣のネットカフェでゆったりと予定の列車を待った…
↓その予定の列車、<ライラック>の789系電車が現れた…
↑11月19日に新幹線の列車<はやぶさ>で青函トンネルを潜り抜けたばかりだが、この車輛はその函館・新青森間で運行されていた経過が在るものだ。先頭車に“回送”の表示を出して、乗客が待つ札幌駅のホームに鮮やかな車輛が現れた…
↓乗客が乗車を始める頃、先頭車の表示は列車愛称の<ライラック>になった…
↑正面に、走行時に巻き上げる雪の付着が残っているのが「積雪期らしい」感じだ。
札幌・旭川間の、この型の車輛で運行される特急列車は速い…1時間半程の旅だ…今回は途中の美唄辺りまで居眠りしてしまったので、殊更に速く感じた…
札幌辺りは日曜日に酷く雪が降り、一気に「真冬な雰囲気」になったということのようだ。が、列車は元気に運行中だった…
雪に加えて、路面の凍結で酷く歩き悪かった札幌都心…想定以上の歩き悪さであったので、街中を動き廻るのは少し控え、札幌駅近隣のネットカフェでゆったりと予定の列車を待った…
↓その予定の列車、<ライラック>の789系電車が現れた…
↑11月19日に新幹線の列車<はやぶさ>で青函トンネルを潜り抜けたばかりだが、この車輛はその函館・新青森間で運行されていた経過が在るものだ。先頭車に“回送”の表示を出して、乗客が待つ札幌駅のホームに鮮やかな車輛が現れた…
↓乗客が乗車を始める頃、先頭車の表示は列車愛称の<ライラック>になった…
↑正面に、走行時に巻き上げる雪の付着が残っているのが「積雪期らしい」感じだ。
札幌・旭川間の、この型の車輛で運行される特急列車は速い…1時間半程の旅だ…今回は途中の美唄辺りまで居眠りしてしまったので、殊更に速く感じた…
『明日への秘孔』 ケンシロウ:新函館北斗駅(2017.11.19)
新函館北斗駅…正直なところ「乗換が主流な駅」という感で、駅や近隣は申し訳ないが「やや期待外れ…」ではあった…
しかし、東京駅から列車に乗り続けて着いた訳で、駅構内等で一寸身体を伸ばして動き回ってみるのも悪くはない…
そうした中…「そう言えば!」と思い出し、探したモノが在った…勝手に「かなり大きい」というイメージも持っていて、直ぐに判らなかったので“観光案内所”で「何処に居ますか?」と尋ねてしまったが…
↓『北斗の拳』のケンシロウだ…
↑駅が在る北斗市の名称に因んで、『北斗の拳』を持って来た訳だ…
↓1mに足りない程度の像が、台座に乗っている…
↑『明日への秘孔』と題されている…「未来へ向かって必殺の一突き」というようなことか?
『北斗の拳』と言えば…週刊誌連載の時代に、殆ど毎週のように読んでいた漫画で、各劇中人物に親しみや思い入れも在る。その主人公のケンシロウ…有名な「おまえはもう…死んでいる…」の台詞を吐く場面にしか見えないが…「未来を拓こう」という地域の願いを負って、この駅構内に佇んでいる…
しかし、東京駅から列車に乗り続けて着いた訳で、駅構内等で一寸身体を伸ばして動き回ってみるのも悪くはない…
そうした中…「そう言えば!」と思い出し、探したモノが在った…勝手に「かなり大きい」というイメージも持っていて、直ぐに判らなかったので“観光案内所”で「何処に居ますか?」と尋ねてしまったが…
↓『北斗の拳』のケンシロウだ…
↑駅が在る北斗市の名称に因んで、『北斗の拳』を持って来た訳だ…
↓1mに足りない程度の像が、台座に乗っている…
↑『明日への秘孔』と題されている…「未来へ向かって必殺の一突き」というようなことか?
『北斗の拳』と言えば…週刊誌連載の時代に、殆ど毎週のように読んでいた漫画で、各劇中人物に親しみや思い入れも在る。その主人公のケンシロウ…有名な「おまえはもう…死んでいる…」の台詞を吐く場面にしか見えないが…「未来を拓こう」という地域の願いを負って、この駅構内に佇んでいる…
ウラジオストク空港のS7航空機(2017.11.18)
「全く初めて足を踏み入れる」という地域の関して…仮令それが「極短い時間に過ぎない“通過”」という状況であろうとも、場所や状況は記憶に止めたいものだ…
↓私が視た「初めてのウラジオストク」である…
↑ユジノサハリンスク空港からのフライトで到着し、国際線の出発エリアに進んで出国手続を済ませ、待合室で過ごす中で眼にしていた光景だ…
駐機中の飛行機はS7航空のA320だ…市街と空港が近いユジノサハリンスクでは、街中で「見上げると飛行機…」が時々在る…何となく目立つ塗装のS7航空の機材は判り易い…見上げたことが在る飛行機を、ゆっくり見下ろしている型だ…
「ウラジオストク空港」と聞き、「離着陸時に港や、海岸部の市街が視える?」とも期待したが…街の中心から約40㎞も内陸側に北上した場所らしく、そういう希望は叶わなかった…
空港のターミナルは「APEC2012」開催の経過によって整備されたモノらしく、なかなかに好い感じだった…
自身は「“アクシデント”を受けた好くないコンディション」ながら、「初めて利用した航空会社の便で、初めての空港に降り立った」という状況は少々強い印象を残す…記憶に止めたい…
↓私が視た「初めてのウラジオストク」である…
↑ユジノサハリンスク空港からのフライトで到着し、国際線の出発エリアに進んで出国手続を済ませ、待合室で過ごす中で眼にしていた光景だ…
駐機中の飛行機はS7航空のA320だ…市街と空港が近いユジノサハリンスクでは、街中で「見上げると飛行機…」が時々在る…何となく目立つ塗装のS7航空の機材は判り易い…見上げたことが在る飛行機を、ゆっくり見下ろしている型だ…
「ウラジオストク空港」と聞き、「離着陸時に港や、海岸部の市街が視える?」とも期待したが…街の中心から約40㎞も内陸側に北上した場所らしく、そういう希望は叶わなかった…
空港のターミナルは「APEC2012」開催の経過によって整備されたモノらしく、なかなかに好い感じだった…
自身は「“アクシデント”を受けた好くないコンディション」ながら、「初めて利用した航空会社の便で、初めての空港に降り立った」という状況は少々強い印象を残す…記憶に止めたい…
珈琲と…(2017.11.19)
<はやぶさ>の入線:東京駅(2017.11.19)
早朝の東京駅新幹線ホーム…JR東日本による運行の各列車が発着する場所と、JR東海による運行の各列車が発着する場所に分かれている…両者の間に“チェックゲート”が設けられているということも、以前に一度だけ京都・新青森間を新幹線列車の乗継で動いた経験が在るので承知している…
今般…JR東日本の乗場に入った…
早朝なので、何処かの街から東京へ向かって来て到着した列車は見当たらないが…方々へ向かう「一日の始発?または2本目?」という列車が“回送”の型で順次現れ、「御乗車頂けます」という態勢になれば、色々な乗客が順次乗車して行く…列車は各地へ向けて、淡々と出発する…
利用する<はやぶさ>は、盛岡駅で切り離す秋田行の<こまち>を連結し、「17輛編成」という状態で現れると知った…<はやぶさ>の先頭車が現れる側を案内モニターで確認し、海底トンネルを越えて北を目指す列車が現れるのを待った…
↓カーブも在る長大なホーム…「列車が到着しています」という構内放送が聞こえても、なかなか姿が視えない…更に、猛禽の名を列車愛称にした車輛が「翼を広げる」ように高速走行出来るような状態でもない…ゆったりとその姿が視野に入るまで、存外に時間を要した…
↓列車に乗り込む乗務員が待機している辺りに車輛が近付く…
↓高速走行の実現に向けてデザインされ、丹念に造り込まれた車輛の先端部…凄まじく長い…
↑<X100F>のレンズの画角を食み出す長さだ…
この<はやぶさ>…「鳥が滑空?」というように、快適に走る列車だった…
今般…JR東日本の乗場に入った…
早朝なので、何処かの街から東京へ向かって来て到着した列車は見当たらないが…方々へ向かう「一日の始発?または2本目?」という列車が“回送”の型で順次現れ、「御乗車頂けます」という態勢になれば、色々な乗客が順次乗車して行く…列車は各地へ向けて、淡々と出発する…
利用する<はやぶさ>は、盛岡駅で切り離す秋田行の<こまち>を連結し、「17輛編成」という状態で現れると知った…<はやぶさ>の先頭車が現れる側を案内モニターで確認し、海底トンネルを越えて北を目指す列車が現れるのを待った…
↓カーブも在る長大なホーム…「列車が到着しています」という構内放送が聞こえても、なかなか姿が視えない…更に、猛禽の名を列車愛称にした車輛が「翼を広げる」ように高速走行出来るような状態でもない…ゆったりとその姿が視野に入るまで、存外に時間を要した…
↓列車に乗り込む乗務員が待機している辺りに車輛が近付く…
↓高速走行の実現に向けてデザインされ、丹念に造り込まれた車輛の先端部…凄まじく長い…
↑<X100F>のレンズの画角を食み出す長さだ…
この<はやぶさ>…「鳥が滑空?」というように、快適に走る列車だった…
夜明前の東京駅(2017.11.19)
<ニコライ堂>こと<東京復活大聖堂>(2017.11.18)
JR東日本の浅草橋駅から東京駅へ向かう場合、乗換は要るものの、御茶ノ水駅が「途中」であることに思い至った…
御茶ノ水駅と言えば…
↓こういうモノが在ったことを思い出し、何か妙に懐かしくなって、寄り道して眺めてしまった…
↑日本最大の正教会の聖堂で、「全日本の府主教」が管轄する「首座主教座教会」という格式を持つ…<東京復活大聖堂>という正式名称で、ロシア語では<Воскресенский собор (Токио)>とか<Собор Воскресения Христова>と呼ぶようだが…創建者に因んだ<ニコライ堂>の通称で知られる…
日本でのロシア正教の布教に尽力したニコライ・カサートキンが中心となり、1884年に起工して1891年に竣工して成聖式が催されている…
1923年の関東大震災で聖堂は被災してしまったが、1924年には改修・再建を決した。1927年から1929年に工事が行われ、当初とは少し外観が変わっている。それが現在に至っているこの建物だ…
↓聖堂はやや高くなった場所に建っている…
↓現在では「ビルの谷間の旧い建築」という趣だが、創建されたような時代には相当に目立ったことであろう…
↓硝子扉を据えた入口の感じが美しかった…
↑土曜の夕べの祈りが行われる時間帯なので、中の見学は遠慮した…
ニコライがロシア正教を布教した経過の中では、かの坂本龍馬の従兄弟ということにもなる、最初期の日本人信者で司祭になった沢辺琢磨との箱館での出会い等、面白い挿話も多い。日本語や日本の色々な事を研究するニコライを「“密偵”の活動を行う不逞な外国人」と考えた沢辺琢磨は、江戸の桃井道場で磨いた県の腕前を駆使して「斬るべし…」と考えていた。帯刀してニコライに会いに行けば、正々堂々、理路整然と自身の活動を語るニコライに魅せられ、ニコライが奉じる正教を学んでみるべきということになって行ったのだという…
素晴らしい建築と、それが登場した背後に在る日ロ交流史の中の物語…一寸、「寄道したい…」雰囲気の場所だが、かなり久々に寄ってみたのだった…
御茶ノ水駅と言えば…
↓こういうモノが在ったことを思い出し、何か妙に懐かしくなって、寄り道して眺めてしまった…
↑日本最大の正教会の聖堂で、「全日本の府主教」が管轄する「首座主教座教会」という格式を持つ…<東京復活大聖堂>という正式名称で、ロシア語では<Воскресенский собор (Токио)>とか<Собор Воскресения Христова>と呼ぶようだが…創建者に因んだ<ニコライ堂>の通称で知られる…
日本でのロシア正教の布教に尽力したニコライ・カサートキンが中心となり、1884年に起工して1891年に竣工して成聖式が催されている…
1923年の関東大震災で聖堂は被災してしまったが、1924年には改修・再建を決した。1927年から1929年に工事が行われ、当初とは少し外観が変わっている。それが現在に至っているこの建物だ…
↓聖堂はやや高くなった場所に建っている…
↓現在では「ビルの谷間の旧い建築」という趣だが、創建されたような時代には相当に目立ったことであろう…
↓硝子扉を据えた入口の感じが美しかった…
↑土曜の夕べの祈りが行われる時間帯なので、中の見学は遠慮した…
ニコライがロシア正教を布教した経過の中では、かの坂本龍馬の従兄弟ということにもなる、最初期の日本人信者で司祭になった沢辺琢磨との箱館での出会い等、面白い挿話も多い。日本語や日本の色々な事を研究するニコライを「“密偵”の活動を行う不逞な外国人」と考えた沢辺琢磨は、江戸の桃井道場で磨いた県の腕前を駆使して「斬るべし…」と考えていた。帯刀してニコライに会いに行けば、正々堂々、理路整然と自身の活動を語るニコライに魅せられ、ニコライが奉じる正教を学んでみるべきということになって行ったのだという…
素晴らしい建築と、それが登場した背後に在る日ロ交流史の中の物語…一寸、「寄道したい…」雰囲気の場所だが、かなり久々に寄ってみたのだった…
東京駅(2017.11.18)
真冬日の早朝:サハリン州郷土博物館(2017.11.17)
一日の最低気温が氷点下という日が、何時の間にか珍しくもない感じになっているが…最高気温の方も0℃を超えていない…所謂「真冬日」ということになった一日だった…
↓早朝…と言っても、午前8時前である…
↑前々日に降ってから、降雪らしい降雪も見受けられず、雪の嵩は少ないが、低温なので人が余り歩かない場所では存外に雪が綺麗に残る…
不覚にも負傷し、左腕の自由が利かない…それでも「撮りたい!」時に出来るか否かを試そうと撮った画でもある…素早く撮ることは無理であるが、ゆっくりと撮る分には…“手ブレ”の発生頻度は高くなりそうだが…何とか出来そうだ…
そういう「妙な意味」も籠った画ということになるが…この景色!何か非常に気に入っている…少しの間だけ、御無沙汰してしまうことになる…
↓早朝…と言っても、午前8時前である…
↑前々日に降ってから、降雪らしい降雪も見受けられず、雪の嵩は少ないが、低温なので人が余り歩かない場所では存外に雪が綺麗に残る…
不覚にも負傷し、左腕の自由が利かない…それでも「撮りたい!」時に出来るか否かを試そうと撮った画でもある…素早く撮ることは無理であるが、ゆっくりと撮る分には…“手ブレ”の発生頻度は高くなりそうだが…何とか出来そうだ…
そういう「妙な意味」も籠った画ということになるが…この景色!何か非常に気に入っている…少しの間だけ、御無沙汰してしまうことになる…