<ニコライ堂>こと<東京復活大聖堂>(2017.11.18)

JR東日本の浅草橋駅から東京駅へ向かう場合、乗換は要るものの、御茶ノ水駅が「途中」であることに思い至った…

御茶ノ水駅と言えば…

↓こういうモノが在ったことを思い出し、何か妙に懐かしくなって、寄り道して眺めてしまった…
'Holy Resurrection Cathedral' at Tokyo, JAPAN on 18-11-2017 (1)
↑日本最大の正教会の聖堂で、「全日本の府主教」が管轄する「首座主教座教会」という格式を持つ…<東京復活大聖堂>という正式名称で、ロシア語では<Воскресенский собор (Токио)>とか<Собор Воскресения Христова>と呼ぶようだが…創建者に因んだ<ニコライ堂>の通称で知られる…

日本でのロシア正教の布教に尽力したニコライ・カサートキンが中心となり、1884年に起工して1891年に竣工して成聖式が催されている…

1923年の関東大震災で聖堂は被災してしまったが、1924年には改修・再建を決した。1927年から1929年に工事が行われ、当初とは少し外観が変わっている。それが現在に至っているこの建物だ…

↓聖堂はやや高くなった場所に建っている…
'Holy Resurrection Cathedral' at Tokyo, JAPAN on 18-11-2017 (10)

↓現在では「ビルの谷間の旧い建築」という趣だが、創建されたような時代には相当に目立ったことであろう…
'Holy Resurrection Cathedral' at Tokyo, JAPAN on 18-11-2017 (8)

↓硝子扉を据えた入口の感じが美しかった…
'Holy Resurrection Cathedral' at Tokyo, JAPAN on 18-11-2017 (4)
↑土曜の夕べの祈りが行われる時間帯なので、中の見学は遠慮した…

ニコライがロシア正教を布教した経過の中では、かの坂本龍馬の従兄弟ということにもなる、最初期の日本人信者で司祭になった沢辺琢磨との箱館での出会い等、面白い挿話も多い。日本語や日本の色々な事を研究するニコライを「“密偵”の活動を行う不逞な外国人」と考えた沢辺琢磨は、江戸の桃井道場で磨いた県の腕前を駆使して「斬るべし…」と考えていた。帯刀してニコライに会いに行けば、正々堂々、理路整然と自身の活動を語るニコライに魅せられ、ニコライが奉じる正教を学んでみるべきということになって行ったのだという…

素晴らしい建築と、それが登場した背後に在る日ロ交流史の中の物語…一寸、「寄道したい…」雰囲気の場所だが、かなり久々に寄ってみたのだった…
posted by Charlie at 02:56Comment(0)東京都