↓<高田屋嘉兵衛顕彰館>に在ったモノである…
↑ピョートル・リコルドの子孫ということになる一家に伝えられていた小さな像に着想を得て制作されたモノであるという…
ロシアの海軍士官であるリコルドは『対日折衝記』と呼ばれる記録を綴っている。<高田屋嘉兵衛顕彰館>でその翻訳を出版しており、現地でそれを求めて読んでみた…
国後島に上陸を試み、日本人に捕えられてしまったゴロヴニーンを奪還すべく国後を訪れたリコルドは、「彼らは既に死んでいる」という信じ難い情報に触れる。込み上げた怒りの中、少々客観的な情報を更に収集しようとした。そして出くわした船に高田屋嘉兵衛が在った。有力な商人である高田屋嘉兵衛は、捕えられたロシア人が箱館に在って存命であるという事情を承知していた。そこでリコルドは高田屋嘉兵衛をペトロパヴロフスク・カムチャツキーへ連れて行く…そのペトロパヴロフスク・カムチャツキーへの航海の途次、更に現地で間近に接し、リコルドは高田屋嘉兵衛と色々と相談した。そして高田屋嘉兵衛が当局に掛け合って、リコルドは箱館で解放されたゴロヴニーンとの再会を果たすのである…
<高田屋嘉兵衛顕彰館>のオブジェは、リコルドが高田屋嘉兵衛と話し合っているイメージを再現したモノである…所謂「北方警固」という話しの端緒になった、ロシア船による村落の襲撃という事態が在ったことで、そういう無法な振舞いではなく、普通に航路調査等の活動に取り組んでいたゴロヴニーンが拘束され、一触即発な状態になってしまったが…豪胆な商人、高田屋嘉兵衛の活躍で両国の衝突のような事態を回避出来た訳である…
このオブジェは、或いは<高田屋嘉兵衛顕彰館>の象徴のような存在である…
↓館内で、こういう按配に飾られている…