↓海岸に沿った、緑地のように整備されている辺りに、不思議な像が在る…
↑遠くから「鳥居」らしきモノが見えて「何なんだ?!」と近付いた。3人の人物…柔道着姿だ…
講道館柔道を学んだロシア人、ワシリー・オシチェプコフが嘉納治五郎から、嘉納治五郎の弟子の一人である苫米地英俊の立会いの下に黒帯を授けられている様子なのだということだ…このモニュメントは2016年9月に除幕したらしい…
ワシリー・オシチェプコフは1914年にウラジオストクで柔道場を開いたのだそうだが、それが「ロシアの柔道」の事始めらしい…そして体育大学の教員であったワシリー・オシチェプコフは、1920年代終わりから1930年代にかけて、柔道に着想を得た格闘技を考案した。サンボである…
ワシリー・オシチェプコフは日本の柔道に惹かれて、真摯にそれを学び、学んだことを教員として伝えようとしていただけなのだが…1937年10月、「粛清の時代」の波に呑まれ、「日本のスパイ」という妙な嫌疑で収監され、獄中で心臓発作のために他界してしまった…が、1957年に名誉回復はされている…
今や柔道は、寧ろ「JUDO」という位に世界中で親しまれている。ロシアにそれをもたらした人物が、初めて柔道場を開いたのが、様々な人やモノが行き交うウラジオストクであったというのは、少し面白い…
↓3人の人物像は、概ね等身大だ…ワシリー・オシチェプコフは、講道館に在っては「抜きん出て長身」であったのであろう…
<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>の建物:日没後の風情(2018.04.15)
↓夕食を愉しんだ後、戸外に出て「おぉっ!」と注目した…
↑「角」を利用した美しい建物である…
非常に美しい建物だが、スヴェトランスカヤ通がアレウツカヤ通と交差する辺りで、双方共に交通量が多いことから、写真撮影にはやや不向きな感もする…
建物は<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>として利用されている。沿海地方各地の多くの博物館が、この総合博物館の支所という扱いになっているらしいが、ここが本部であるのだという…
「沿海地方総合博物館」の前に在る「アルセーニエフ記念」だが…これはウラジーミル・クラウディエヴィチ・アルセーニエフ(Владимир Клавдиевич Арсеньев)(1872-1930)という、沿海地方の色々なことを広く紹介する功績が在った人物を記念している。往年の日ソ合作映画の『デルスウザーラ』に、このアルセーニエフをモデルとする劇中人物が在り、その役をソ連では非常に有名な俳優で、ロシア時代に入っても活躍を続けている、かのユーリー・ソローミンが演じていた…
そしてこの建物だが…1918年から1924年まで、横浜正金銀行の支店が入っていたそうだ…
「横浜正金銀行」?1879年に創設され、国外との取引に関連した業務を主に担っていた銀行だという…1946年まで活動を続け、当時新設された「東京銀行」に営業が譲渡されている。やがて「東京銀行」は1996年に三菱銀行と合併し、行名が何度か変わって、現在は「三菱UFJ銀行」となっている…
現在は博物館になっている建物に在ったという「横浜正金銀行」の活動は限定的な期間であったようだが、ウラジオストクから退いた後、関係業務はハルビン支店に引き継がれたのだそうだ…
↓街角の美しい建物に、様々な歴史の物語が…こういうのが愉しい!!
↑「博物館」ということなのだが…或いは「建物そのもの」も、「博物館の大切な展示品」と言えるかもしれない…
↑「角」を利用した美しい建物である…
非常に美しい建物だが、スヴェトランスカヤ通がアレウツカヤ通と交差する辺りで、双方共に交通量が多いことから、写真撮影にはやや不向きな感もする…
建物は<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>として利用されている。沿海地方各地の多くの博物館が、この総合博物館の支所という扱いになっているらしいが、ここが本部であるのだという…
「沿海地方総合博物館」の前に在る「アルセーニエフ記念」だが…これはウラジーミル・クラウディエヴィチ・アルセーニエフ(Владимир Клавдиевич Арсеньев)(1872-1930)という、沿海地方の色々なことを広く紹介する功績が在った人物を記念している。往年の日ソ合作映画の『デルスウザーラ』に、このアルセーニエフをモデルとする劇中人物が在り、その役をソ連では非常に有名な俳優で、ロシア時代に入っても活躍を続けている、かのユーリー・ソローミンが演じていた…
そしてこの建物だが…1918年から1924年まで、横浜正金銀行の支店が入っていたそうだ…
「横浜正金銀行」?1879年に創設され、国外との取引に関連した業務を主に担っていた銀行だという…1946年まで活動を続け、当時新設された「東京銀行」に営業が譲渡されている。やがて「東京銀行」は1996年に三菱銀行と合併し、行名が何度か変わって、現在は「三菱UFJ銀行」となっている…
現在は博物館になっている建物に在ったという「横浜正金銀行」の活動は限定的な期間であったようだが、ウラジオストクから退いた後、関係業務はハルビン支店に引き継がれたのだそうだ…
↓街角の美しい建物に、様々な歴史の物語が…こういうのが愉しい!!
↑「博物館」ということなのだが…或いは「建物そのもの」も、「博物館の大切な展示品」と言えるかもしれない…
ソ連時代の(?!)公衆電話(2018.04.14)
↓こういうモノ!?流石に、何処ででも視られるモノではない…
↑コインを投入口に入れて、ダイヤルを回して架電という方式…投入口には「2コペイカ」と在る…
学生時代に耳にした…ソ連では、公衆電話と言えば専ら「2コペイカ」のコインを使うモノなので、公衆電話を使う可能性が在る人はそのコインを常に大切に持ち歩くようにしていた…とか…
「凄いモノが…」と思ったが、ダイヤルの辺りに針金のようなモノが在って回らないようになっている…これは“記念碑”的になっているモノのようだ…
↓スヴェトランスカヤ通の、巨大な橋梁を見上げるような場所にこんなモノが在って、その中に「ソ連時代の(?!)公衆電話」が据えられていたのだ…
↑何気なく歩いていて、この「公衆電話ボックス」という「20世紀の遺物」のようなモノに気付いて驚いた…旧い型の公衆電話ボックスではあるが、現在のロシアで電話通信を担う<ロステレコム>社のマークが確り入っている。或いは、<ロステレコム>社で「電話の歴史を一寸紹介…」ということで設置しているのかもしれない…
こういう電話ボックスが実際に使用されている様子…「少し昔…」という設定のテレビドラマや映画の作中に、劇中人物が利用する場面が出る場合も在るという程度である…こんなモノは視掛けなくなって久しい…
流石にウラジオストク程度の、少し規模が大き目な街となると、色々なモノが“記念碑”的に伝えられていたりするものだ…そんなモノに出くわしながら、街を歩き廻る…非常に愉しいものだ!
↑コインを投入口に入れて、ダイヤルを回して架電という方式…投入口には「2コペイカ」と在る…
学生時代に耳にした…ソ連では、公衆電話と言えば専ら「2コペイカ」のコインを使うモノなので、公衆電話を使う可能性が在る人はそのコインを常に大切に持ち歩くようにしていた…とか…
「凄いモノが…」と思ったが、ダイヤルの辺りに針金のようなモノが在って回らないようになっている…これは“記念碑”的になっているモノのようだ…
↓スヴェトランスカヤ通の、巨大な橋梁を見上げるような場所にこんなモノが在って、その中に「ソ連時代の(?!)公衆電話」が据えられていたのだ…
↑何気なく歩いていて、この「公衆電話ボックス」という「20世紀の遺物」のようなモノに気付いて驚いた…旧い型の公衆電話ボックスではあるが、現在のロシアで電話通信を担う<ロステレコム>社のマークが確り入っている。或いは、<ロステレコム>社で「電話の歴史を一寸紹介…」ということで設置しているのかもしれない…
こういう電話ボックスが実際に使用されている様子…「少し昔…」という設定のテレビドラマや映画の作中に、劇中人物が利用する場面が出る場合も在るという程度である…こんなモノは視掛けなくなって久しい…
流石にウラジオストク程度の、少し規模が大き目な街となると、色々なモノが“記念碑”的に伝えられていたりするものだ…そんなモノに出くわしながら、街を歩き廻る…非常に愉しいものだ!
日没後…:レーニン像の背中とウラジオストク駅舎(2018.04.15)
俄雨が交じったような時間帯も在ったが、早朝の霧が日中には晴れ、「曇時々晴れ」という感の一日だった…結果的に「3回に分けて」という感で動き廻った…
ゆったりと夕食を愉しみ始めた辺りには未だ明るかったが…「1923年創業」を謳うロシア料理の店での食事に満足し、外に出る頃には陽が落ちてしまって、暗くなっていた…
↓自身にとっては、空港からのバスが到着した辺りという訳で「初めて下立ったウラジオストクの街中…」ということになるのだが、この辺りの景色が気に入った…
↑酷く早い時間帯に空港へ発つので、こういう具合に眺めるのは「今般の滞在で最後の機会」となった…
レーニンの背中…駅舎…<ВЛАДИВОСТОК>の文字は、早朝には電飾が消えていたが、暗くなった少し後の時間帯には輝いている…更に、駅の背後にはあの巨大な橋梁の上に据えられた街灯の光が“点線”を形成している…
↓やや退いた感じの眺めだ…
今般、極短い期間ながらウラジオストクに滞在し、「最初から最後まで」という感で付き合ったのがこの光景…強く記憶に残る…また何度でも出くわしたい光景である…
ゆったりと夕食を愉しみ始めた辺りには未だ明るかったが…「1923年創業」を謳うロシア料理の店での食事に満足し、外に出る頃には陽が落ちてしまって、暗くなっていた…
↓自身にとっては、空港からのバスが到着した辺りという訳で「初めて下立ったウラジオストクの街中…」ということになるのだが、この辺りの景色が気に入った…
↑酷く早い時間帯に空港へ発つので、こういう具合に眺めるのは「今般の滞在で最後の機会」となった…
レーニンの背中…駅舎…<ВЛАДИВОСТОК>の文字は、早朝には電飾が消えていたが、暗くなった少し後の時間帯には輝いている…更に、駅の背後にはあの巨大な橋梁の上に据えられた街灯の光が“点線”を形成している…
↓やや退いた感じの眺めだ…
今般、極短い期間ながらウラジオストクに滞在し、「最初から最後まで」という感で付き合ったのがこの光景…強く記憶に残る…また何度でも出くわしたい光景である…