
↑遠くから「鳥居」らしきモノが見えて「何なんだ?!」と近付いた。3人の人物…柔道着姿だ…
講道館柔道を学んだロシア人、ワシリー・オシチェプコフが嘉納治五郎から、嘉納治五郎の弟子の一人である苫米地英俊の立会いの下に黒帯を授けられている様子なのだということだ…このモニュメントは2016年9月に除幕したらしい…
ワシリー・オシチェプコフは1914年にウラジオストクで柔道場を開いたのだそうだが、それが「ロシアの柔道」の事始めらしい…そして体育大学の教員であったワシリー・オシチェプコフは、1920年代終わりから1930年代にかけて、柔道に着想を得た格闘技を考案した。サンボである…
ワシリー・オシチェプコフは日本の柔道に惹かれて、真摯にそれを学び、学んだことを教員として伝えようとしていただけなのだが…1937年10月、「粛清の時代」の波に呑まれ、「日本のスパイ」という妙な嫌疑で収監され、獄中で心臓発作のために他界してしまった…が、1957年に名誉回復はされている…
今や柔道は、寧ろ「JUDO」という位に世界中で親しまれている。ロシアにそれをもたらした人物が、初めて柔道場を開いたのが、様々な人やモノが行き交うウラジオストクであったというのは、少し面白い…
↓3人の人物像は、概ね等身大だ…ワシリー・オシチェプコフは、講道館に在っては「抜きん出て長身」であったのであろう…
