エレオノラ・プレイの像(2018.04.14)

ウラジオストクのスヴェトランスカヤ通を歩き、伝統を誇る<GUM>(百貨店)の華麗な建物等が在る辺り…少し不思議な銅像が佇んでいる…

↓こんな具合に、階段の辺りで何かをしようとしているようなポーズで佇んでいる女性…
Vladivostok 14-04-2018 (18)
↑等身大よりはかなり大きい感じで、存外に目立つので足を停めて眺めた…

何となく思い浮かべたのは…幼少の頃から小学生位までに親しんだ、外国の児童文学に原案を求めたアニメ作品の“世界名作劇場”のようなモノに出て来る劇中人物…要は、それらの作品の原案の小説の背景になっている「19世紀後半から20世紀初め」というような時代の衣装を身に着けた、「良家の奥様」風な女性の像だということである…

↓「この女性は何者?」と思えば、確りと「Eleanor Lord Pray」とフルネームが記されている…
Vladivostok 14-04-2018 (17)

このエレオノラ・プレイは、1894年から1930年までウラジオストクに住み続けていて、その間に実家、親類、友人と方々に盛んに手紙を出していた女性で、その手紙が現在に伝えられているのだという。そのエレオノラ・プレイの像が、長く住んでいたウラジオストクに登場したということだが…その像を視ると、益々「この人物?」と気になる…

エレオノラ・プレイに関しては、「英語による情報」は存外に多く、色々なことが判った…

エレオノラ・ロード・プレイ(Eleanor Lord Pray)(1868-1954)…米国メイン州で産れている…

1894年、フレデリック・プレイと結婚した。シベリアで交易を手掛けた一族の出で、ウラジオストクで<アメリカンストア>という会社を営んでいたチャールズ・スミスという人物が在る。エレオノラの夫であるフレデリックは、このチャールズ・スミスの妻であるサラの弟だ。義兄の会社を手伝うことになり、ウラジオストクへ渡る際に妻のエレオノラを伴った。この時、彼らは太平洋を越えて横浜に至り、横浜からウラジオストクを目指したようだ…

義兄のチャールズ・スミスが1898年に逝去し、<アメリカンストア>という会社の権利は義姉のサラ・スミスが引き継ぐ…

1906年には娘のドロシーが産れている。1916年に、このドロシーを上海のアメリカンスクールで学ばせることにしたが、義姉のサラも上海に移っていた。

1918年には<アメリカンストア>は閉鎖を余儀なくされるが、夫のフレデリックは在ウラジオストク米国領事館の職員となり、ウラジオストクで勤務を続けた。エレオノラもウラジオストクに留まり続けた。

1923年、夫のフレデリックが逝去する。その後、エレオノラは<クンスト&アルバース>というデパートで働いていた…が、1930年にその<クンスト&アルバース>が閉鎖を余儀なくされると、エレオノラ・プレイはウラジオストクを離れた。そして上海で娘や義姉を合流した。

やがて帰国し、1954年にワシントンDCで他界したそうだ…

大雑把に纏めると上記のような感じだが…1894年から1930年の35年間程…彼女自身の「人生の“ド真ん中”」で「人生の半分」をウラジオストクで過ごしている訳だが、「時代が畝っていた」という時期でもある…

1894年と言えば、皇帝ニコライ2世が即位した年だ。ニコライ2世は皇太子時代にウラジオストクへ立ち寄って、駅の起工式も在ったのだが、1890年代はウラジオストクが「新興都市」として大いに発展していたような時期でもある…そして日露戦争が在って、第1次大戦が在って、革命や内戦や外国の派兵というような出来事も在った…

こういう中、新たな土地での新しい暮らしに心弾ませる場面や、一定程度の熟し方が見受けられた社交生活も在って、他方に血腥い戦乱のニュースに気持ちを曇らせる場面や、第1次大戦期には「ドイツ系の姓」というだけで追い払われるようにウラジオストクを去る羽目になった知人達の行く末を案じるような場面も在った訳だ…

そういう揺れた時代の様々なことが活き活きと活写された彼女の手紙は、「大変に貴重な史料」であり、彼女の後裔にあたる人達も含めて多くの人達が参照しているようだ…

↓何気ない銅像なのだが…その背後になかなかに「凄い物語」が在るということになる…
Vladivostok 14-04-2018 (21)

霧の下の街…:ウラジオストク空港周辺(2018.04.16)

S7航空のA320が離陸すると、間も無く霧を突き抜け、明るく高い空に上昇し始めた…機窓から覗く「下界」は霧に覆われていた…

↓こういう具合に、一面が霧で、一部の背が高い建物や構造物が霧の層から少々抜き出ている感だ…
'S7 3209' on 16-04-2018 (4)

ウラジオストク空港は、海辺に在る街の中心部から40km以上内陸に入った辺りである。「ウラジオストク市」の管轄区域を少しだけ出る…眼下の街が何と呼ばれる場所なのかはよく判らないが…深い霧の中で、人々が朝の一時を過ごしていたことであろう…

ウラジオストク空港の駐機場:機窓から…(2018.04.16)

深い霧に包まれていたウラジオストク空港で、予定どおりに搭乗の案内が在って、ボーディングブリッジから機内に入り、所定の座席に着いた…

離陸へ向けて、飛行機―S7航空のA320―はボーディングブリッジからゆっくりと離れ、駐機場脇の通路を動き始めた…

↓空港のビルも、待機中の飛行機も、深い霧に包まれている…
VVO in early morning on 16-04-2018 (10)
↑荷物を動かしているらしい車輛の灯りが妙に目立つ…しかも車輛は、ロシアの作業車輛に見受けられる「本来はトラクター?」という感じの型である…

↓尾翼にロシア国旗風なリボン…多分<アエロフロート>の少し大き目な飛行機だ…
VVO in early morning on 16-04-2018 (11)
↑モスクワ等との間を往来しているモノと想像したが…こんな距離で、この種の飛行機を視る機会は少ない…

↓大きな飛行機も、奥のビルも、本当に霧に包まれている…
VVO in early morning on 16-04-2018 (12)

↓ボーディングブリッジを使わない、小型の飛行機は、建物から少し離れた辺りに集められていた…
VVO in early morning on 16-04-2018 (14)

早朝は深い霧だったが…この日は後からなかなかの好天に恵まれたというようにも聞く…

霧の空港に送り出されたが…またウラジオストクを訪ねてみたいものだ…