阪急の大阪梅田駅(2018.05.21)

京都の河原町駅で大阪梅田駅へ向かう阪急の列車に乗る場合…京阪の祇園四条駅寄りな側から四条通の地下に在る駅に入る…そうすると「列車の最後尾寄り」に乗り込む場合が多い…

↓梅田駅に着けば、こういう具合に後尾から下車して長居ホームをゆっくりと歩くことになる…
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↑列車の右側の扉から到着した乗客が下車した後、扉を閉めて左側が開く…進行方向が変わるので右側ということになるかもしれないが…

↓ホームに出ると、別段に急ぐでもないので、何となく身体を伸ばして駅内の様子を眺めるのも好きだ…
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「1日乗車券」のようなモノを手に、気侭に動く…「随意に過ごす時間」という場合、そういうやり方が好きだ…
posted by Charlie at 20:06Comment(0)大阪府

大阪梅田駅:阪急(2018.05.21)

阪急と阪神…両社共に「大阪・神戸間」に路線を有し、互いに競い合う関係だった歴史が長い訳だが…“同一ホールディング”の傘下という体裁になって、何やら「阪急と阪神の全線で利用可能な1日乗車券」というモノが何時の間にか売られるようになっている。これが在れば、神戸から大坂を経て京都までの広い範囲で動き回ることが叶う…そんな訳でなかなかに気に入っている…

それを駆使して…大阪の難波の隣り、桜川駅から阪神の列車を利用し、西宮を経て神戸に出て…神戸で愉しく過ごしてから大阪を経て京都に向かい…また大阪に戻った…

↓何度視ても壮観な阪急の大阪梅田駅である…
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↑手前が「1号線」で、京都の河原町駅から乗って来た列車だ…直ぐに折り返しで河原町行の列車となり、大勢の乗客が足早に乗車していた…そして各乗場に各方面から到着して折り返す様々な列車が勢揃いしている…

阪急では「1号線」という具合に“号線”という言い方をしている…よく在るのは「1番線」とか「1番乗場」または「1番ホーム」だが…阪急は「1号線」だ…

聞けば…阪急では車庫内で“番線”という用語を用いていて、区別する意味で各駅では“号線”を用いる寒冷なのだそうだ…一寸、面白い…

何れにしても、この梅田の阪急の駅を視ると「関西に在る」ということを強く実感する…
posted by Charlie at 19:45Comment(0)大阪府

<OSAKA METRO>(大坂メトロ)のロゴ:地下鉄中央線の車内(2018.05.20)

大坂の地下鉄…“市営”という型で発足した日本国内最初の事例だった筈だが…「“市営”の“民営化”」としても日本国内最初の事例となった…

↓4月から改組でロゴマークを変える旨、電車の中に広告が掲出されていた…
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この“M”のマーク―「METRO」から取ったのだと推測する…―は、方々に掲出されるようになってはいたが、未だ以前のマークも見受けられる…

こういうモノは、切り替わるのにそれなりな期間を要する筈だ…とりあえず「1日乗車券」の料金は何ら変わっていなかった…
posted by Charlie at 03:55Comment(0)大阪府

ユジノサハリンスクの桜:ポポヴィチ通(2018.05.19)

ユジノサハリンスクを発とうとした朝…住まいの近隣に在るポポヴィチ通に出て、朝食によく利用する店を目指した…

↓時季になると「あそこが…」と話題になる場所である…
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↑集合住宅の傍に、然程背が高くない桜の木が在って、毎年花がなかなかに好い…

「5月18日」に至って、ユジノサハリンスクは漸く“エゾヤマザクラ”が開花という感じだ…

大坂城で来訪者の案内をしていたおばちゃん達と言葉を交わしたが…今季は梅、桜、藤、桃と大坂城公園の様々な花は何れも「早い?!」という時季に咲き、時々不意に「寒い?」が挨拶言葉になるような、「多少不安定?」な天候状況だそうだ…

日本国内の方々で似たような感じなのかもしれないが…ユジノサハリンスクは例年と然程変わらない…

大阪城天守閣:西の丸側から望む(2018.05.20)

好天に恵まれた中…昼食(兼朝食)で予定以上にゆったりとしてしまい、「櫓の公開」の「入場時間に遅れてしまう…」と慌てた…

目指す<大手口>に近いのは…地下鉄の谷町4丁目駅なのだが…通り過ごしで森ノ宮駅まで地下鉄で移動し「1駅分」の距離「プラスアルファ」を丸ごと速足で歩いた…

何とか間に合い、順路に従って<多門櫓><千貫櫓>を視て、<煙硝蔵>を目指した…

↓そういう最中に視た天守閣…
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↑背後の空の感じが好い!

好天な中で、近隣や国内に留まらず、「世界中からの来訪者」が溢れていた大阪城で過ごしたが…何となく好かった!!
posted by Charlie at 22:09Comment(0)大阪府

千貫櫓:大坂城(2018.05.20)

大阪城では、江戸時代に徳川幕府が建築した状況のままに残っているモノ―「大坂城」だった頃のモノ―が幾分在り、色々なことを伝える貴重な存在となっているのだが…「明治150年」という今年、徳川幕府が瓦解して行った経過にも立ち会っている、そうしたモノを特に公開している…

日本で「城」と言えば…一般には「壮麗な天守閣」のイメージが強いのかもしれないが…実はそうでもない…

江戸時代に「城」が所領を経営する大名の居城ということになって以降は、「領主の公館」であって、来客が在った場合の「迎賓館」であって、家中の公式行事を催す「会館」であって、主だった家臣達が行政事務や会議を行う「政庁」でもあった<御殿>がより重要で、天守閣が在る場合でも「警備担当者」が些か居る程度だったらしい…天守閣に関しては、或いは「領主の権威の象徴」というような意味合いも色濃かったかもしれない…

江戸時代の初期や、もう少し前の時代に「城」が「本当に防衛拠点であった」という時代には、築かれた場所の地形や、時代が下ってからは石垣や堀で囲われた「攻めるに難く、護るに易い」ような工夫、地形や石垣による工夫を補完する「櫓」と呼び習わされた「将兵が詰める場所」が重要だった…

↓これは千貫櫓の中だ…
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↑格子の窓や火縄銃を突き出す銃眼が幾つも据えられた防衛施設だ…

↓こういうように見える場所に建築されている構造物なのだ…
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↑城を囲む軍勢と対峙する最前線という構造物である…

「千貫」というのは「多量の銭」を意味する…「非常に高い価値」という含意だ…

「大坂城」の場所が「石山本願寺」であった頃、激しい抗争を展開した織田信長が、攻めあぐねていた櫓に関して「千貫文を出してでも奪いたい…」(どんな大金を積んででも攻め落としたい)と言っていた場所に在る櫓なので「千貫櫓」と呼ばれているという説が在るのだという…

この建物…1620年に徳川幕府が大坂城を再建した頃からの建物ではあるようだが…何度か改修の手が入っている可能性も在るのだそうだ…

何か「浪漫溢れる」という存在感が在る場所だと思う…
posted by Charlie at 21:55Comment(0)大阪府

大手口多門櫓:大坂城(2018.05.20)

大阪城では、江戸時代に徳川幕府が建築した状況のままに残っているモノ―「大坂城」だった頃のモノ―が幾分在り、色々なことを伝える貴重な存在となっているのだが…「明治150年」という今年、徳川幕府が瓦解して行った経過にも立ち会っている、そうしたモノを特に公開している…

↓「日本の城の建物内」という雰囲気が色濃い…
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↑城の区画を囲う石垣の側に在って、城内を移動する際の通路になり、敵と対峙する将兵が詰めた場所…「多門櫓」と呼ばれる構造物である…

大阪城にもこの「多門櫓」と呼ばれた構造物は多々在ったらしいが、現存しているのは第2次大戦期の大阪空襲の被害を免れた、この大手口のモノだけである…

大手口多門櫓は1628年に建築され、1783年に落雷による火災で焼失し、1848年に再建されたのだという。幕末期に大阪城に入った14代将軍の徳川家茂、15代将軍の徳川慶喜もこの「大手口多門櫓」を通って本丸の御殿へ向かっていたらしい…

そんな話しを聞けば…幕末の<鳥羽伏見の戦い>の後、徳川慶喜が大坂城を抜け出して、半ば乗っ取るように乗り込んだ<開陽丸>で密かに江戸に引揚げてしまうという挿話が在るが…そういう場面で血相を変えて「大樹公は何処におわす!!」と口々に叫ぶ関係者が、絵の場所をドタドタと走り回っていたのかもしれないと想像してしまう…

↓大きな大坂城の構造物だけに、天井も高く、なかなかに立派だ…
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「大阪城天守閣」は、「昭和の代」になったことを記念する事業という位置付で、「“大大阪”のシンボル」として築かれたモノなのだが…大阪の<大坂城>は、間違いなく「歴史の舞台」なのだ…そんな「当たり前」かもしれないことを改めて想った…
posted by Charlie at 21:23Comment(0)大阪府

煙硝蔵:大坂城(2018.05.20)

大阪城では、江戸時代に徳川幕府が建築した状況のままに残っているモノ―「大坂城」だった頃のモノ―が幾分在り、色々なことを伝える貴重な存在となっているのだが…「明治150年」という今年、徳川幕府が瓦解して行った経過にも立ち会っている、そうしたモノを特に公開している…

↓その一つがこれである…不思議な石の廊下のようだが?
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↑煙硝蔵という代物だ…要するに「火薬庫」である…徳川幕府は、銃砲を色々と持っていた…江戸時代を通じて、火縄銃が主なモノだったが、幕末期にはかなり進んだ銃を使った…そして大砲も在った…それらの銃砲用の火薬を保管した場所だ…

この場所は2.5m程度の幅で、廊下のように細長い特殊倉庫ということになるが、壁の厚さも概ね2.5m程度も在り、一定の通気のために穴も開けられている…

↓出入口の扉も、金属製の堅牢なモノが用意されている…
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明治期以降、大阪城の場所は陸軍が使用していた…昭和の初めの「古き善き時代」には、「“大大阪”の街のシンボル」として、現在の<大阪城天守閣>が出来た経過も在るが…この煙硝蔵は<帝国陸軍>(明治時代以降の軍)も使っていた経過が在るらしい…

見学に行けば、地元大阪のガイドのおばちゃんが居て、なかなかに愉しい。少しお話しを伺った…
posted by Charlie at 20:59Comment(0)大阪府

<HOOTERS BURGER>(フーターズバーガー)(2018.05.20)

午前中に買物…宿に引揚げて少々休憩…そして少しだけ遅いランチ…実質的な「朝食兼用」のような感じがしないでもないのだが…早朝に求めた地下鉄の「1日乗車券」で堺筋本町駅へ出向いた…

↓そして立ち寄った店で…こういう「アメリカン!!」な感じ…
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↑「米国の流儀」というようなことで、最近は日本国内の方々に出店している様子のスポーツバー<HOOTERS>…

今日はプロ野球中継が流れていた店内…画像は流れているが、何となくノリが好い音楽が店内では鳴っている…

↓付け合わせのフライポテトに点けるマスタード…
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↑こういう具合に皿に盛るというのが秀逸!

スタッフと少しお話しをしながら、ランチをゆったりと頂き、何となく想定したよりも長居をした…
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通天閣:恵美須町駅側から…(2018.05.19)

大阪で宿に落ち着き…考えてみれば、朝食にユジノサハリンスクで何時ものボリュームが在るサンドイッチの後…飛行機で2回、極軽いサンドイッチに、新幹線の車中でアイスクリームと、余り食べていない一日だった…そういうことで食事に出掛けた…

新大阪から宿の在る辺りへの移動で地下鉄の“1日乗車券”を求めて在ったのだが…それを使って恵美須町駅へ向かい<新世界>へ…

↓久し振りに通天閣を見上げた!!
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↑それも夜の照明に輝く姿だ…

何度視ても、これは好いモノだ…
posted by Charlie at 12:38Comment(0)大阪府

エレオノラ・プレイの像:夜(2018.05.04)

↓日没辺りに高台で巨大な橋梁を眺めるなどした後、スヴェトランスカヤ通に下りて…この像を眺めた…
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↓辺りが暗くなった後…少し独特な趣が漂う…
Vladivostok on 04-05-2018 (68)

4月にこの像を視て、少し気になって調べた経過が在ったが…結局、彼女は「旧き善きウラジオストクを深く愛していた」のだと思えるが…彼女の眼に“現在”はどのように映じるであろうか?

<復活主教座聖堂>(2018.05.18)

↓前日来の好天が続き、朝の光の感じが好かった…
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↑日本の様式を採り入れた感の庭の向こうにロシア正教の教会…何処となく「日本列島の向こうにロシアが…」というようなことを想う…そんなことをサハリンで人に話すと、「偶然にそういう配置になったに過ぎないのでは?」と笑われるのだが…

↓眺めていれば、取りの一群が辺りの上空に舞った…
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こんな風景…モノクロ画というのが酷く合う…

咲き始めたユジノサハリンスクの桜(2018.05.18)

↓近所で視掛けた!
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↓余り背が高くない木で、花の様子が少し好かったので写真を撮ってみた…
SAKURA at Yuzhno-Sakhalinsk on 18-05-2018 (4)

朝、別な背が高い木で花が咲いていたことに気付いたのだが…夕方に別な木でも少しずつ咲き始めていたことに気付いたのだった…

実は、少しの間だがユジノサハリンスクを離れる予定が在ったのだが…離れる前に何とか花が咲いた状況を視ることが叶って好かった…

桜が咲くようになると、街には急速に「花々」が加わって行く感である…

サハリン州郷土博物館(2018.05.17)

↓屋外展示の古い大砲と、現在となってはかなり個性的な外観と言い得る1937年竣工の建物…
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↑大変に気に入っている、敷地の西寄り辺りのフェンスの隙間からの眺めである…

完全に積雪が消えていて、少しずつ緑が目立ち始めている…未だ木の葉が茂っていないので、こういう画が視られる訳である…

既に、朝焼けが見受けられるような時間帯が「早過ぎ…」という感になってはいるのだが、“朝の光”でこの建物を視るのは好い…

「1:43 “ブハンカ”」(2018.05.06ウラジオストクで入手)(2018.05.17)

ウラジオストクの客船ターミナルの建物に、色々な店が入居している…

その色々な店の一軒に…“ホビーショップ”が在る…組み立てる模型も、完成品も、色々なモノが売られていて、「小ぶりな店舗の割に、少し本格的…」という感じがする店だ…

↓その店で見付けて、思わず求めてしまったモノがこれだ…
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↑ウラジオストクを発つ直前に店で求めて、バッグに入れて持ち帰った状態のままになっている…

「1:43」という、各国でポピュラーなスケールの車輛の模型…完成品で売られているモノが多い訳だが…そういう模型でソ連やロシアの車輛が幾分売られていた。「なかなか好い感じ…」とショーケースの中に在ったそれらを眺めていて…結果的に思わず求めてしまった車輛に気付いた…

店主氏と見受けられる男性に尋ねた…「これ…“ブハンカ”ですよね?」と問えば、「そう!“ブハンカ”ですよ…日本なんかでも人気の車種と聞きますね…」と応じてくれた。ソ連時代から、永くデザインが変わらない、現在となっては「非常に個性的なデザイン」なワンボックスカーである…

直ぐに「買います!」と求めることにした。こういうモノは、見付けて気に入って、法外に高くて求められないというような事情でも無ければ、「即買い!!」をすべきだと思う…「またの機会」は無い場合も多いのだ…

最初は、箱がビニールで半ば密封されているでもないモノが出て来て…脇にビニールで包まれて半ば密封のモノが在り…「こちらを差し上げましょう…」と私が手にしたのがこれなのである…

↓この「斜め前」の雰囲気…時々ユジノサハリンスクでも視掛ける“実車”の感じが実によく再現されている!
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↑前方の座席脇に少し突き出したバックミラーの感じ…これが凄く「らしい」感じだ…

正直…「やや高い?」とも思ったが、この種の模型で精度が或る程度高いモノは…「多分そんな感じ…」という価格帯だ…

想い出のウラジオストクで、何となく気に入っている“ブハンカ”のなかなかに出来が好い模型を入手…大事にしたい代物である…

加えて、客船ターミナルの建物に入っていた小さな店も「“ブハンカ”を買った場所」として、「想い出の店」とでも呼ぶべきリストに加わった…

土産物の“プレート”(2018.05.0 6ウラジオストクで入手)(2018.05.17)

バスの中で居眠りに陥ってしまった間に、間近に近付いたウラジオストク空港だったが、ユジノサハリンスク空港へ向かうフライトの搭乗手続を前に、土産物を売っている店の前を通り掛かった…

↓思わず求めてしまったモノ…
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↑古くから市章にも使われているアムールトラと、現代のウラジオストクの街…なかなか面白い絵柄である…

大切にユジノサハリンスクに持ち帰ってみたが…「さて…どうしようか…」という感がしないでもない…

こういうような「以上でも以下でもない完全な土産物」を求めてしまったというのも…随分と久し振りなような気がする…

ウズベキスタン料理の店:ウラジオストク アレウツカヤ通(2018.05.05)

ユジノサハリンスクからウラジオストクの機中、“機内誌”に在ったウラジオストクの飲食店の広告を視ていた…

「アレウツカヤ通17番」という住所の店が在ったことを記憶に留めたが…実際にアレウツカヤ通を歩くと、「15番」の次が「19番」で、「奇数の並び」で在れば両者の間に存在する筈な「17番」が見当たらずに戸惑った…

そうすれば、複雑な地形の上に街が築かれているウラジオストクらしく、「15番」と「19番」との間に在った階段またはスロープを上った奥に建物が在って、そこが「17番」だった…

↓これがその、多少戸惑いながら辿り着いた店だ…
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↑「ウズベキスタン料理」ということだが、それ以外と見受けられるモノも扱っていた…なかなかに落ち着いた、好い雰囲気の場所だった…

↓<ハルチョ>という適当に香辛料が効いたスープを頂いた…
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↑朝から随分と動き回った日の、「多少…早いかもしれない?」という感の夕食に、こういうのは好い…

↓そして「ウズベキスタン料理」と言えば<プロフ>!!
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↑<プロフ>はソ連時代にロシアでも定番化したようで、出先で視掛ければよく頂くのだが…この店のモノは、小さく辛い唐辛子が1本入っていて、そういうモノが食欲を強く刺激してくれて、細かく刻まれた具材や米飯も好く、酷く美味かった…

ここも、一度寄ってみたに過ぎないのだが「ウラジオストクの想い出の味」という場所になった…“次回”が在ったとして、今度は戸惑わずに辿り着くことが叶う筈だ…

↓美味しそうなモノが色々と載っていたメニュー表…
Vladivostok on 05-05-2018 vol02 (58)
↑ほとんどの料理に写真も入っていた…表紙は<プロフ>だ…

>>Чайхона Хлопок: ресторан узбекской кухни Владивосток

<GUM百貨店>の中庭(2017.05.06)

↓「路地が入り組んでいる古い街並みの一部」という趣きだ…
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↑ここはウラジオストクでも最もにぎやかな通の一つと言えるスヴェトランスカヤ通からほんの少しだけ入った辺りである…<GUM百貨店>の、表通に面した側の裏に相当する…

この場所は“中庭”である。古くは倉庫等として利用されていた場所らしいが、旧い建物を活かす、または一部増改築を施したように見えるが、様々な店舗等に利用するようにして、なかなかに人気が高いようである…

↓こんな具合に、少し洒落た案内図も掲出されている…
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↑カフェや様々なモノを売っている場所が、各建物に入居しているようだ…

実は前日にここを歩いて珈琲を頂くということも在ったのだが…「風情の漂う画は早朝が?」と、翌朝の散策の中で立ち寄ってみたのだった…

こういう「古いモノを活かしたトレンディーな空間の創出」というような感…意外に好きだ…そしてロシアの街で、こういうことが手掛けられるようになっている…

或いは、欧州諸国では古い建物の外観は殆どそのままにして、中を現代の普通な商業施設のようにするというやり方が多く見受けられるようなのだが、そんな手法が容れられたということなのかもしれない。或いは「古くて新しいようなウラジオストク」というモノを象徴するような空間かもしれない…興味深い!

<スパゲッティ・ボロネーゼ>(2018.05.15)

思い付いて近くのイタリア料理の店により、ビールを頂きながら食事を摂った…

↓日本国内で言う“ミートソース”に近いかもしれない“ボロネーゼ”を頂いた…
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↑ミンチの肉が入るのだが…この店はその肉が他所よりもかなり多い感じがする…

最初はフォークで具が多いソースとパスタを絡めて頂くのだが…最後の方は「スプーンでトマト味が入った“肉そぼろ”を掬って頂く」という雰囲気にもなる…

こういうモノ…好い!

<シーザーサラダ>(2018.05.15)

このところ…スーパーの総菜コーナーで何やら買い込んで夕食にするというようなことが何となく続いたので…思い付いて近くのイタリア料理の店により、ビールを頂きながら食事を摂った…

↓なかなかに盛り付けが多い感のサラダ…
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↑時にはこういうのが凄く好い…

これは所謂<シーザーサラダ>で、盛り上がったレタスの下にチキンがやや多目に入っていた…

鉄道会社による「5月9日」の飾り(2018.05.06)

↓ウラジオストク駅の傍、<РЖД>という鉄道会社のロゴも視えた建物に掲出されていた幕だ…
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↑5月に入ると、対独戦の終戦である「5月9日」に関連する飾りが方々に出る。これもそうした例の一つだ…

ロシアの鉄道関係者の中には「鉄道を担った先達は、“勝利”を運ぼうと奮闘を続けた」という想いが強いようだ。ウラジオストク駅にも往時の機関車が展示されているのだが、戦時に鉄道は人員や物資の輸送手段として大いに活躍したのだ…

この飾りの幕も、そういう鉄道関係者の想いが反映されているようで、ウラジオストク駅にも在るような型の機関車が描かれている…

機関車の上を、平和の象徴たる鳩が舞っているが…鉄道は平和な時代に人々の夢や物語を運ぶような存在である方が、当然ながら望ましいものではあると思える…が、平和をもたらそうと、戦時に必要な輸送活動を必死に担ったという歴史は忘れる訳にも行かない…

色々と考えながら、思わず足を停めて眺めたのだった…

キュリロス(キリル)とメトディオス(メフォディ)の像(2018.05.04)

↓ウラジオストクの金角湾を一望する高台に据えられている像である…
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↑2人は9世紀後半にスラブ語圏に正教を伝えたとされる宣教師だった兄弟である。

更に、彼らは正教の教えを伝えるという目的のために、スラブ語を綴るための文字を初めて考案したとされる。

当初の文字は「グラゴル文字」と呼ばれるやや煩雑な形状のモノだったが、ギリシア文字の影響も受けながらより使い易い文字が工夫されて行った。それが「キュリロスの文字」と呼び習わされ、10世紀頃には使われていたらしい。そして文字は「キリル文字」と呼ばれて行くことになる…

その後正教はロシアに伝播し、938年にキエフ大公ウラジーミル1世が正教を受容れたことが契機となって、キリル文字がロシアで広く使用されて行くこととなる…

ロシアではその後、18世紀のピョートル大帝の時代に活字が整備され、それが現在に至る文字の直接的な前身で、1917年の革命後に現在も使われるロシア語のアルファベットが定まった…

そういうロシアで主流を占めるようになった正教の伝播に関わった2人の聖人達が、ウラジオストクを見守り続けているということになる…

コルチャーク提督のプレート:ウラジオストク(2018.05.06)

↓ウラジオストクの客船ターミナルの建物の隅、外壁にプレートが在ったのを眼に留めた…
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↑未だ新しい感じがしたプレートだった…眺めてみて…「おぉ!」と驚いた…かのアレクサンドル・ワシーリエヴィチ・コルチャーク提督のプレートであった…

ロシアの街で、こういうようなプレートそのものは珍しいということもない…

よく在るのは、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等のビルに、その場所で活躍した先達の功労を伝え、敬意を表する意味で掲げられているプレートである。さもなければ、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるプレートという場合も在る…こうしたモノはユジノサハリンスクに在っても視掛けるが、ウラジオストクでも色々と視掛けた…

前者の、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等で先達の功労を伝え、敬意を表するというモノに関しては…些か申し訳ないのだが「来訪者の目線」では判り悪い場合の方が多い…対して、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるようなモノに関しては、時々気付いて「おぉ!」と驚く場合が在る。

コルチャーク提督のプレート…「日本国内の知名度」ということでは、“前者”に限りなく近いかもしれない…が、私自身は“後者”の一例と受け止め、足を停めて眺めた…

コルチャーク提督は、1917年の<十月革命>の後に生じた内戦で、革命側の「赤軍」に対して「白衛軍」と呼ばれた反革命勢力の代表を務めた人物である。1920年にイルクーツクで処刑されて最期を遂げているのだが、なかなかに興味深い人物である。

海軍軍人を輩出していた貴族の家の出で、当時のエリート士官のコースに乗って幼年学校(カデット)を経て海軍に入隊している。若き日には北極探検に参加した経過が在り、士官として水雷を用いる作戦の指揮で功績を挙げるというような場面も在ったという。日露戦争にも参加している…第1次大戦期には将官になっていて、黒海艦隊の司令官になっていたが、<2月革命>の後に解任されてしまった経過が在る。

このコルチャーク提督は、海軍軍人としてのキャリアの中でウラジオストクとも縁が深い人物である。最初の任地がウラジオストクであったというのだ…そして革命後、一旦アメリカに出た経過が在って、その後は横浜を経てウラジオストクからロシアに帰国し、内戦の<白衛軍>の指導者となって行くのだ…

このコルチャーク提督に関して…2008年にユジノサハリンスクに在った時、偶々映画館で上映中だった『アドミラル』という映画を観た。“アドミラル”は“提督”(=海軍の将官)のことであるが…この映画がコルチャーク提督の物語で、後に『提督の戦艦』という邦題で日本国内でDVDが出たそうだ…或いは、こういう作品を観るというのが、この人物を知る手っ取り早い方法かもしれない…

1990年代に入ろうとした頃の、ロシアでの「歴史との向き合い方」というようなモノが「揺れていた」という状態に関心を持っていたのだが…ソ連時代に「全面的な敵役」のように扱われていたであろう人物に関して、「所縁の街」の片隅にプレートが貼り付けられるようにまでなっている…序でに言えば、コルチャーク提督に関しては、イルクーツクで2004年に銅像も建てられたというが…

このコルチャーク提督のプレートを視て…「“時代”が通り過ぎ、交錯した港町」という印象を強くした…こんなモノに出くわしたことで、ウラジオストクに関しては「また何度でも訪ねたい…」という気分になる…

ネベリスクの“観察所”(2018.05.14)

↓一寸、不思議な様子…
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↑古い離岸堤のような場所にトドの群れだ…蠢いていて、時々海に飛び込んで泳いでいる…静かな海岸に、彼らの“雄叫び”も時々遠くから聞こえる…

↓昔の海難事故を伝える遭難慰霊碑が在る緑地の辺りにこういう“観察所”が設けられた…今年登場したという…
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↑上述の画は、この望遠鏡をカメラのレンズで覗いてみた画だ…この望遠鏡は、コインを入れるような方式でもなく、無料で視ることが出来るようになっていた…

↓こういうオブジェも直ぐ脇に…
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↑「皆さんのゴミが私達を蝕む…」という海獣達の訴えという体裁で、海岸や海でのゴミの投棄を諫めるという意味を込めている…

↓「御近付になりましょう…僕がトドです…」というような看板が掲出されている…
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ネベリスクの地区行政府庁舎が在るような辺りから、車で3分も掛からないような辺りである…「街の海岸から視える…」と親しまれてきたトド…こういう“観察所”が遂に登場だ!

トドに関しては、4月後半から5月中位の時季に数が多く、視る機会が多いようだ…

<GAZ-67B>(ГАЗ-67Б):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)

ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」には軍用車も在る…

↓「ジープ?」と視えるのだが…有名な<ジープ>とは少し違う…ソ連の自動車である…
Vladivostok on 05-05-2018 vol01 (17)
↑これは確か、米国から供与を受けた<ジープ>が使い易い車輛であったことから、「ああいうのを国産で…」ということになって登場したモノが在って…この<GAZ-67B>はそれの改良型だった筈だ…

この車輛は1943年に登場し、1953年まで製造されたそうだ…

DHC-8-Q400:テイクオフ!:ウラジオストク空港(2018.05.06)

ウラジオストク空港で飛行機に搭乗…ユジノサハリンスク空港を目指すこととなる…

窓側の席が当たっていて、通路側に他の乗客は無い…酷く居心地は好いのだが…

↓窓から、着陸脚と滑走路の路面しか視えなかった…
'S7 4613' on 06-05-2018 (4)
↑飛行機は胴体の上に翼が在って、そこに機関部を提げている型で。機関部の下の着陸脚が出入りする仕掛けだ…天候が好転して光が強く、路面に機体の影がハッキリと視える…

こういう状況では…景色を愉しみ悪い…と些か不満を感じながら、ぼんやりと窓を眺めていた…

↓ゆったりと滑走路に入った機体は、離陸のために速度を上げ始めた…
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↓機体が浮いた…
'S7 4613' on 06-05-2018 (7)

↓着陸脚が機体に収められて行く…
'S7 4613' on 06-05-2018 (8)

こうして…私が乗った、S7航空とアエロフロート航空のコードシェアであり、アエロフロート航空とオーロラ航空のコードシェアでもあって、オーロラ航空の機材と乗員によって運航されているという、「些かややこしい?!」体裁の便はユジノサハリンスク空港を目指し始めた訳だ…