思い付いて2016年4月に始めたのが「何となく撮るようになっていたモノクロ画をランダムに展示」という主旨のブログだった。このブログである…
元来、「言葉数がやや多い…」性分なので、撮ったモノや撮影に出掛けた場所に関する蘊蓄めいた事柄や、撮影時の状況等も含めて「モノクロ画を入れた何やらの長文の話題」という記事も多いが、2年余りも続いて、記事件数も1700件以上に膨らんだ…
記事に関して、件数が少し増えれば“カテゴリ”を割り当てるような事は必要になる筈と考え、当初から設定していた。
何年間かで溜まったモノクロ画を使う記事を順次起こしていくとすれば、単純に「最も合理的」で「単純」と思えたのが、“撮影地”を基準にした分け方だった。
「北海道」に関しては、例えば「北海道/稚内」、「北海道/札幌」、「北海道/旭川」というように「道内での地域名」を加えたが、他は都府県名だ…この都府県名の“カテゴリ”は、何回か「〇〇県に足を踏み入れてモノクロ画を撮る機会が在った…」と増やすようにしている…例えば…ふざけて「出入禁止になっている…」と言っている「東京都」はやや御無沙汰で、つい最近加わったモノである…
当初は国内の都道府県の名を冠した“カテゴリ”だけであったが、そのうちに「サハリン州」が加わり、更に通過する機会が在ったことから「沿海地方」が加わるようになった…
何か「偶々」というように、自身で撮ったモノクロ画と、撮影時のことや、関心を寄せた事柄等を綴った記事を“撮影地”基準で“カテゴリ”に分けているのだが…結果的に「何処を訪ね、何をやって、何に関心を寄せたか…何を想ったか…」というようなことを、気に入った画と共に巧く記録出来ているようにも見える…
各々の“カテゴリ”を視ると…「稚内」や「サハリン州」は“地元”、または“地元同然”な状況で滞在という関係上、抜きん出て記事件数、掲載写真点数が多い。これは「例外」というモノだ…他に関しては、「居心地が好いので何度も立寄っている地域」または「立寄る機会が多く、そういう時に写真を撮る時間も少し設けている」とか…「“画になる!”と気に入って、訪ねた折りに相当な数の写真を撮ってしまっている」という場所の記事件数(≒写真点数)は多い…
「立寄る機会が多く、そういう時に写真を撮る時間も少し設けている」という例は…「札幌」が間違いなく該当する…
「居心地が好いので何度も立寄っている地域」という例は…「大阪府」がやや抜きん出ているが、「兵庫県」や「京都府」等の関西が該当するであろう…
「“画になる!”と気に入って、訪ねた折りに相当な数の写真を撮ってしまっている」という例は…ウラジオストクがスッカリと気に入ってしまい、関係写真をドンドン使って記事を起こしている「沿海地方」がそれに該当する…
このブログをやるようになって…何かモノクロ写真が益々愉しくなり、撮る機会が増えている。更に「伝統のフィルム的な感じの画」が出て来る<X100F>の“フィルムシミュレーション”を使うようになって、「モノクロ撮影頻度」は高まった…
この2年で…普段過ごす時間が長い場所が遷った、新しいカメラ機材の<X100F>が加わったという「手近な、存外に大きいかもしれない変化」は在った…が、「何時の間にか好きになっていて相当な年数を経ている写真を撮るということを好む傾向…」は変わっていない…そして、「何となく力が入り始めた…」というモノクロ画を撮ることへの関心も衰えない…そうした中、「何処を訪ね、何をやって、何に関心を寄せたか…何を想ったか…」というようなことを綴るというのは続けてみたいように思う…
<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>の中…(2018.05.09)
ペリメニの店:ウラジオストク スヴェトランスカヤ通(2018.05.06)
夕刻のウラジオストクに着いた日に、高台で景色を楽しんでからペリメニの店に入った。
なかなかに感じも好く、肝心のペリメニが美味かったので、「滞在中にもう一度…」と思った。お店の方に訊ねれば、特段に店休日は無く、毎日のように昼食時間帯の前から夜まで営業しているということだった。「日曜日の昼?」と訊ねれば、「勿論営業。但し、日曜日は平日に提供中の“ランチ”は無い」という話しだった。それはそれで結構である…
↓そして日曜日の昼、ウラジオストクを発つ前に再訪してみた…
↑小麦粉を使って作るペリメニを提供する店…ということで、「小麦を育てて粉を作り…粉を使ってペリメニの生地を作る…」というイメージのディスプレイが店内に在る…
夜に寄った時にも気付いたが、他の来店客が多目だったので写真は遠慮していたが、今般は着席時点で多少空いていたので、ディスプレイの写真を撮っておいた。何となく「昔から在るような小麦粉の袋」が面白い…
↓黒ビールを頂きながら待っていれば、頼んだペリメニが運ばれて来た…
↓「おばあさんのレシピ」と称し、ガーリックが具材に交じっているモノが、なかなかに気に入った…
↑ペリメニは、「モチモチとした感じの生地」を使って、丁寧に具材を包み込んで作る。熱湯で加熱する「水餃子」風な作り方が主流のようだ…
↓「シベリア風」というスタンダードな代物は、「スープ入りに…」というようにオーダーしてみた。50ルーブル加算で出来るようになっている…
↓この<コンデューム>というモノは、19世紀の料理で廃れてしまっていたというが、歴史家が再現したレシピを参照し、この店で出すようになったという代物…
↑これも食べ易くで好かった…
ペリメニには何れも「スメタナ」(サワークリーム)が添えられる。他の調味料も、40ルーブル出すと添えられる。最初に寄った時には、全てのペリメニに「スメタナ」が添えられていることを知らなかったので、何となくマヨネーズを頼んだ…マヨネーズも好かったが…「スメタナ」を点けるのが妙に好い…
↓ペリメニの後、「ピラジョク」(ピロシキ)を「デザートの気分」で頼んでみた。
↑右がキャベツ入りで、左がジャガイモ入り…何れも美味かった!
このペリメニの店…何となく「ウラジオストクの想い出の店」という感である…
>>Пельменная "Ложки-плошки", пельменная Владивосток(ウェブサイト-露語)
なかなかに感じも好く、肝心のペリメニが美味かったので、「滞在中にもう一度…」と思った。お店の方に訊ねれば、特段に店休日は無く、毎日のように昼食時間帯の前から夜まで営業しているということだった。「日曜日の昼?」と訊ねれば、「勿論営業。但し、日曜日は平日に提供中の“ランチ”は無い」という話しだった。それはそれで結構である…
↓そして日曜日の昼、ウラジオストクを発つ前に再訪してみた…
↑小麦粉を使って作るペリメニを提供する店…ということで、「小麦を育てて粉を作り…粉を使ってペリメニの生地を作る…」というイメージのディスプレイが店内に在る…
夜に寄った時にも気付いたが、他の来店客が多目だったので写真は遠慮していたが、今般は着席時点で多少空いていたので、ディスプレイの写真を撮っておいた。何となく「昔から在るような小麦粉の袋」が面白い…
↓黒ビールを頂きながら待っていれば、頼んだペリメニが運ばれて来た…
↓「おばあさんのレシピ」と称し、ガーリックが具材に交じっているモノが、なかなかに気に入った…
↑ペリメニは、「モチモチとした感じの生地」を使って、丁寧に具材を包み込んで作る。熱湯で加熱する「水餃子」風な作り方が主流のようだ…
↓「シベリア風」というスタンダードな代物は、「スープ入りに…」というようにオーダーしてみた。50ルーブル加算で出来るようになっている…
↓この<コンデューム>というモノは、19世紀の料理で廃れてしまっていたというが、歴史家が再現したレシピを参照し、この店で出すようになったという代物…
↑これも食べ易くで好かった…
ペリメニには何れも「スメタナ」(サワークリーム)が添えられる。他の調味料も、40ルーブル出すと添えられる。最初に寄った時には、全てのペリメニに「スメタナ」が添えられていることを知らなかったので、何となくマヨネーズを頼んだ…マヨネーズも好かったが…「スメタナ」を点けるのが妙に好い…
↓ペリメニの後、「ピラジョク」(ピロシキ)を「デザートの気分」で頼んでみた。
↑右がキャベツ入りで、左がジャガイモ入り…何れも美味かった!
このペリメニの店…何となく「ウラジオストクの想い出の店」という感である…
>>Пельменная "Ложки-плошки", пельменная Владивосток(ウェブサイト-露語)
<パベーダ>(ГАЗ-М20):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)
ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」のコレクションは何れも興味深い…
↓<パベーダ>とは「勝利」を意味する語だが、この車輛に付けられた名でもある…
↑1946年から1958年まで製造されたという車輛…第2次大戦後、「勝利」という意味の名が付けられた、言わば「戦後の国威発揚」というような存在感が在る代物である…
これは「外国のノウハウを入れる」ということでもなく、「完全なソ連の国産」で製造された車輛であり、「初の本格的なソ連の国産車」ということになる代物で、製造総数は23万台を数えるのだという…
この<パベーダ>…フォードのノウハウが入って製造された<GAZ-M1>に比べ、飛躍的な技術的進歩が見受けられ、同時代の他国の車輛と比べても遜色が無いという代物であったようだ…
こういうような…「何を造ってきたか?」を伝えること…意外に大切であるように思う…そして、こうして伝えられたモノを視るのは面白い…
↓<パベーダ>とは「勝利」を意味する語だが、この車輛に付けられた名でもある…
↑1946年から1958年まで製造されたという車輛…第2次大戦後、「勝利」という意味の名が付けられた、言わば「戦後の国威発揚」というような存在感が在る代物である…
これは「外国のノウハウを入れる」ということでもなく、「完全なソ連の国産」で製造された車輛であり、「初の本格的なソ連の国産車」ということになる代物で、製造総数は23万台を数えるのだという…
この<パベーダ>…フォードのノウハウが入って製造された<GAZ-M1>に比べ、飛躍的な技術的進歩が見受けられ、同時代の他国の車輛と比べても遜色が無いという代物であったようだ…
こういうような…「何を造ってきたか?」を伝えること…意外に大切であるように思う…そして、こうして伝えられたモノを視るのは面白い…
<GAZ-M1>(ГАЗ-М1):アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>(2018.05.05)
ソ連時代のモノを中心とした古い自動車、更に各国の古いオートバイのコレクションが展示されている「アンティークカー&オートバイ館 <アフトモトスタリーナ>」は「第2次大戦期辺りの車輛」も色々と在る…
↓この車輛!1936年から1943年に製造されたモノだという…
↑こういうような年代の車輛となると…“クラシックカー”という趣が濃くなる…
<GAZ>という自動車メーカーは、現在では旧名に復して二―ジニーノブゴロドと呼ばれている街、ソ連時代のゴーリキーに立地している。「ゴーリキー・アフト・ザヴォ―ド」(ゴーリキー自動車工場)の頭文字で<GAZ>だ。米国のフォード社から様々な機器を入れて、それを利用しながらソ連流のアレンジを加えて自動車製造を始めた経過が在るようだ…この<M1>もそういう流れの車輛であるようだ…
こういう時代の、このような型の自動車…民間でも使用されていたと同時に、軍関係でも使用されていて、兵卒か下士官が運転手を務めて、一定以上の地位の士官が連絡車として半ば専用のように使っていた…そんなイメージだ…
↓この車輛!1936年から1943年に製造されたモノだという…
↑こういうような年代の車輛となると…“クラシックカー”という趣が濃くなる…
<GAZ>という自動車メーカーは、現在では旧名に復して二―ジニーノブゴロドと呼ばれている街、ソ連時代のゴーリキーに立地している。「ゴーリキー・アフト・ザヴォ―ド」(ゴーリキー自動車工場)の頭文字で<GAZ>だ。米国のフォード社から様々な機器を入れて、それを利用しながらソ連流のアレンジを加えて自動車製造を始めた経過が在るようだ…この<M1>もそういう流れの車輛であるようだ…
こういう時代の、このような型の自動車…民間でも使用されていたと同時に、軍関係でも使用されていて、兵卒か下士官が運転手を務めて、一定以上の地位の士官が連絡車として半ば専用のように使っていた…そんなイメージだ…