コルチャーク提督のプレート:ウラジオストク(2018.05.06)

↓ウラジオストクの客船ターミナルの建物の隅、外壁にプレートが在ったのを眼に留めた…
Vladivostok on 06-05-2018 (23)
↑未だ新しい感じがしたプレートだった…眺めてみて…「おぉ!」と驚いた…かのアレクサンドル・ワシーリエヴィチ・コルチャーク提督のプレートであった…

ロシアの街で、こういうようなプレートそのものは珍しいということもない…

よく在るのは、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等のビルに、その場所で活躍した先達の功労を伝え、敬意を表する意味で掲げられているプレートである。さもなければ、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるプレートという場合も在る…こうしたモノはユジノサハリンスクに在っても視掛けるが、ウラジオストクでも色々と視掛けた…

前者の、官公署や“〇〇公社(公団)”の流れを汲む企業等で先達の功労を伝え、敬意を表するというモノに関しては…些か申し訳ないのだが「来訪者の目線」では判り悪い場合の方が多い…対して、何らかの分野で著名な人物が足跡を遺していることを伝えるようなモノに関しては、時々気付いて「おぉ!」と驚く場合が在る。

コルチャーク提督のプレート…「日本国内の知名度」ということでは、“前者”に限りなく近いかもしれない…が、私自身は“後者”の一例と受け止め、足を停めて眺めた…

コルチャーク提督は、1917年の<十月革命>の後に生じた内戦で、革命側の「赤軍」に対して「白衛軍」と呼ばれた反革命勢力の代表を務めた人物である。1920年にイルクーツクで処刑されて最期を遂げているのだが、なかなかに興味深い人物である。

海軍軍人を輩出していた貴族の家の出で、当時のエリート士官のコースに乗って幼年学校(カデット)を経て海軍に入隊している。若き日には北極探検に参加した経過が在り、士官として水雷を用いる作戦の指揮で功績を挙げるというような場面も在ったという。日露戦争にも参加している…第1次大戦期には将官になっていて、黒海艦隊の司令官になっていたが、<2月革命>の後に解任されてしまった経過が在る。

このコルチャーク提督は、海軍軍人としてのキャリアの中でウラジオストクとも縁が深い人物である。最初の任地がウラジオストクであったというのだ…そして革命後、一旦アメリカに出た経過が在って、その後は横浜を経てウラジオストクからロシアに帰国し、内戦の<白衛軍>の指導者となって行くのだ…

このコルチャーク提督に関して…2008年にユジノサハリンスクに在った時、偶々映画館で上映中だった『アドミラル』という映画を観た。“アドミラル”は“提督”(=海軍の将官)のことであるが…この映画がコルチャーク提督の物語で、後に『提督の戦艦』という邦題で日本国内でDVDが出たそうだ…或いは、こういう作品を観るというのが、この人物を知る手っ取り早い方法かもしれない…

1990年代に入ろうとした頃の、ロシアでの「歴史との向き合い方」というようなモノが「揺れていた」という状態に関心を持っていたのだが…ソ連時代に「全面的な敵役」のように扱われていたであろう人物に関して、「所縁の街」の片隅にプレートが貼り付けられるようにまでなっている…序でに言えば、コルチャーク提督に関しては、イルクーツクで2004年に銅像も建てられたというが…

このコルチャーク提督のプレートを視て…「“時代”が通り過ぎ、交錯した港町」という印象を強くした…こんなモノに出くわしたことで、ウラジオストクに関しては「また何度でも訪ねたい…」という気分になる…