↓ウラジオストク駅の傍、<РЖД>という鉄道会社のロゴも視えた建物に掲出されていた幕だ…
↑5月に入ると、対独戦の終戦である「5月9日」に関連する飾りが方々に出る。これもそうした例の一つだ…
ロシアの鉄道関係者の中には「鉄道を担った先達は、“勝利”を運ぼうと奮闘を続けた」という想いが強いようだ。ウラジオストク駅にも往時の機関車が展示されているのだが、戦時に鉄道は人員や物資の輸送手段として大いに活躍したのだ…
この飾りの幕も、そういう鉄道関係者の想いが反映されているようで、ウラジオストク駅にも在るような型の機関車が描かれている…
機関車の上を、平和の象徴たる鳩が舞っているが…鉄道は平和な時代に人々の夢や物語を運ぶような存在である方が、当然ながら望ましいものではあると思える…が、平和をもたらそうと、戦時に必要な輸送活動を必死に担ったという歴史は忘れる訳にも行かない…
色々と考えながら、思わず足を停めて眺めたのだった…
キュリロス(キリル)とメトディオス(メフォディ)の像(2018.05.04)
↓ウラジオストクの金角湾を一望する高台に据えられている像である…
↑2人は9世紀後半にスラブ語圏に正教を伝えたとされる宣教師だった兄弟である。
更に、彼らは正教の教えを伝えるという目的のために、スラブ語を綴るための文字を初めて考案したとされる。
当初の文字は「グラゴル文字」と呼ばれるやや煩雑な形状のモノだったが、ギリシア文字の影響も受けながらより使い易い文字が工夫されて行った。それが「キュリロスの文字」と呼び習わされ、10世紀頃には使われていたらしい。そして文字は「キリル文字」と呼ばれて行くことになる…
その後正教はロシアに伝播し、938年にキエフ大公ウラジーミル1世が正教を受容れたことが契機となって、キリル文字がロシアで広く使用されて行くこととなる…
ロシアではその後、18世紀のピョートル大帝の時代に活字が整備され、それが現在に至る文字の直接的な前身で、1917年の革命後に現在も使われるロシア語のアルファベットが定まった…
そういうロシアで主流を占めるようになった正教の伝播に関わった2人の聖人達が、ウラジオストクを見守り続けているということになる…
↑2人は9世紀後半にスラブ語圏に正教を伝えたとされる宣教師だった兄弟である。
更に、彼らは正教の教えを伝えるという目的のために、スラブ語を綴るための文字を初めて考案したとされる。
当初の文字は「グラゴル文字」と呼ばれるやや煩雑な形状のモノだったが、ギリシア文字の影響も受けながらより使い易い文字が工夫されて行った。それが「キュリロスの文字」と呼び習わされ、10世紀頃には使われていたらしい。そして文字は「キリル文字」と呼ばれて行くことになる…
その後正教はロシアに伝播し、938年にキエフ大公ウラジーミル1世が正教を受容れたことが契機となって、キリル文字がロシアで広く使用されて行くこととなる…
ロシアではその後、18世紀のピョートル大帝の時代に活字が整備され、それが現在に至る文字の直接的な前身で、1917年の革命後に現在も使われるロシア語のアルファベットが定まった…
そういうロシアで主流を占めるようになった正教の伝播に関わった2人の聖人達が、ウラジオストクを見守り続けているということになる…