↓初めてのウラジオストクで眼に留め、関係の情報を色々調べて、少し馴染みになったエレオノラ・プレイの像である…

ウラジオストクに関しては「軍事や政治の歴史」ということで話題になり、その種の史料研究も行われている他方…「市井の人達の普通な暮らし」に話題が及ぶような、「(外国人であるというような独特な位置に在ったかもしれないが)“一般人”が綴ったモノ」も幾つか伝えられ、“後世”ということになる現代では「貴重な史料」ということになる…
エレオノラ・プレイは、そういう「市井の人達の普通な暮らし」に話題が及ぶような、現代では「貴重な史料」ということになる書簡を多く残している人物だ…
今般、ボートで近海を巡るツアーに参加した中で、ツアー会社の人達とも言葉を交わした。そういう中でも、伝えられている「市井の人達の普通な暮らし」に話題が及ぶようなモノは大切にすべきであるというようなことに話題が及んだ…「“一般人”が綴ったモノ」に見受けられる「昔日の街」を想いながら、地域の色々な文物に触れることは愉しいかもしれない…
↓エレオノラ・プレイがウラジオストクに住み始めた1890年代は、鉄道の建設も進んで「発展が著しい」という雰囲気も在ったと思われる時代だ…対して現在は、2本の「街の歴史の中では画期的」な巨大橋梁が登場し、「街が改造されつつある?」というような時代だ…

↑「発展が著しい」という雰囲気から、「20世紀の激動」とでも呼ぶべき時期を潜り抜けた彼女の眼に、「今日の街」はどのように映じているであろうか…
こういうエレオノラ・プレイの像だが、辺りにベンチが在るので、一息入れている人、更に犬も見受けられた…そして、ここで記念写真を撮っている旅行者も散見する…スヴェトランスカヤ通に在って、“目印”のようになる像かもしれない…