高台の上の方…カトリックの教会の辺りから坂を下りると、ルーテル教会が在る…
↓そのルーテル教会の傍に、何やら小さな、少し離れた場所からは不思議な何かに見えたので傍に寄ると…可愛らしい仔猫だった…
↓暫し、この仔猫の様子を何となく観てみた…
↓「妙なおっちゃんが僕を視ている…気色悪い…」と仔猫は考えていたかもしれない…
こういうのに偶々出くわすと、何となく気持ちが和む…
巡洋艦<ヴァリャーグ>(2018.09.30)
ウラジオストク港を1時間で巡る遊覧船…券を売っていて、乗船する場所は「“潜水艦”が展示されている場所の正面」ということになるのだが…同時に「ロシア海軍太平洋艦隊」の“司令部庁舎”が在って、艦船が停泊している辺りの「並び…」ということにもなる…
この位置関係を視た時…「ここで遊覧船に乗れば…或いは?!」と一寸だけ期待した眺望が在る…
↓こんな眺めだ!!
↑太平洋艦隊の旗艦であるという…巡洋艦<ヴァリャーグ>…真横辺りを遊覧船が通る場面で視られた眺望だ…“主兵装”ということになる対艦ミサイルの発射筒…2連装のモノが4基視えている…反対側の舷にも在る訳で、計16基の発射筒を備えている訳だ…
これは…一寸面白かった!!
この位置関係を視た時…「ここで遊覧船に乗れば…或いは?!」と一寸だけ期待した眺望が在る…
↓こんな眺めだ!!
↑太平洋艦隊の旗艦であるという…巡洋艦<ヴァリャーグ>…真横辺りを遊覧船が通る場面で視られた眺望だ…“主兵装”ということになる対艦ミサイルの発射筒…2連装のモノが4基視えている…反対側の舷にも在る訳で、計16基の発射筒を備えている訳だ…
これは…一寸面白かった!!
レーニン通:霧の早朝…(2018.09.29)
レーニン広場:霧の早朝…(2018.09.29)
<旭川広場>:霧の早朝…(2018.09.29)
雲と海…:プリゴロドノエ(2018.09.26)
タグボート…:プリゴロドノエ(2018.09.26)
ユジノサハリンスクからコルサコフへ南下し、郊外のプリゴロドノエの辺りに出て、資源開発関連、天然ガス液化工場も在る辺りに近い海岸から空と海とを望んだ…
↓タグボートが見えた…50㎜レンズを着けた<X-Pro2>の画だ…
↑液化天然ガス(LNG)の専用船や石油のタンカーというような、大型の船の発着をサポートするための強力なタグボートで、辺りに氷が入った際にも動くことが適うよう、深い特殊な形状の船底に設えられている船だ…
ここで運用されている画のタグボートは、定期メンテナンス等で稚内へやって来て、港内のドックに入ることが在る…船底の形状はその時に視掛けたことも在った…
↓こちらは<X100F>の画だ…
雰囲気が在る雲が拡がっている中、何となく画になると思った…
↓タグボートが見えた…50㎜レンズを着けた<X-Pro2>の画だ…
↑液化天然ガス(LNG)の専用船や石油のタンカーというような、大型の船の発着をサポートするための強力なタグボートで、辺りに氷が入った際にも動くことが適うよう、深い特殊な形状の船底に設えられている船だ…
ここで運用されている画のタグボートは、定期メンテナンス等で稚内へやって来て、港内のドックに入ることが在る…船底の形状はその時に視掛けたことも在った…
↓こちらは<X100F>の画だ…
雰囲気が在る雲が拡がっている中、何となく画になると思った…
専用桟橋…:プリゴロドノエ(2018.09.26)
影…:レーニン広場(2018.09.25)
コルサコフ港:南埠頭と北埠頭(2018.09.22)
<鮭の押し寿司>(2018.09.21)
↓ユジノサハリンスクの日本料理店で「人気メニュー」となっているモノだという…
↑「鮭の押し寿司」と聞いて…何となく思い浮かべるモノとは様子が異なる…サハリンの人達の好みに寄り添った「アレンジが施された日本風料理」ということになる…
恐らく…溶けるチーズを押し寿司に乗せて加熱するのだと思うが…「魚にクリームソースを合わせた」ような、洋食的な味わいにやや甘味を加えた和風の調味料が加わる…という按配である…
↓全く初めて頂いた時は…とりあえず「不思議?」だったが…こういうのも好い!
「日本の料理」と言っても…「日本の流儀が採り入れられ、入れられた地域の人達の好みに寄り添った形にアレンジされて行く」という訳なのだ…興味深い!
↑「鮭の押し寿司」と聞いて…何となく思い浮かべるモノとは様子が異なる…サハリンの人達の好みに寄り添った「アレンジが施された日本風料理」ということになる…
恐らく…溶けるチーズを押し寿司に乗せて加熱するのだと思うが…「魚にクリームソースを合わせた」ような、洋食的な味わいにやや甘味を加えた和風の調味料が加わる…という按配である…
↓全く初めて頂いた時は…とりあえず「不思議?」だったが…こういうのも好い!
「日本の料理」と言っても…「日本の流儀が採り入れられ、入れられた地域の人達の好みに寄り添った形にアレンジされて行く」という訳なのだ…興味深い!
コルサコフ港北埠頭(2018.09.22)
↓「ソ連時代」の整備である北埠頭は、様々なモノを収めたコンテナの積み下ろしが行われている場所だ…
↑周辺はトレーラーが往来する場所や、鉄道貨車の基地、更に燃料類を蓄える大型タンクが設えられている…そして埠頭の陸に近い側には、時折“国境警備軍”の所属らしい艦艇が停泊しているのが見受けられる…
様々な用途に利用されている港の「らしい」雰囲気が醸し出されている場所だと思う…
↓こういう“縦位置”の画で視ると…「崖の下の海岸」のような場所に港湾施設が建設されている様子が判る…
↑こんなに「広い」画角…入手して日が浅いレンズで、何となく新鮮であるということも在るかもしれないが、何となく好い感じだ…
この時は、碧空に拡がって流れる白雲が強い印象を残す感であった…
↑周辺はトレーラーが往来する場所や、鉄道貨車の基地、更に燃料類を蓄える大型タンクが設えられている…そして埠頭の陸に近い側には、時折“国境警備軍”の所属らしい艦艇が停泊しているのが見受けられる…
様々な用途に利用されている港の「らしい」雰囲気が醸し出されている場所だと思う…
↓こういう“縦位置”の画で視ると…「崖の下の海岸」のような場所に港湾施設が建設されている様子が判る…
↑こんなに「広い」画角…入手して日が浅いレンズで、何となく新鮮であるということも在るかもしれないが、何となく好い感じだ…
この時は、碧空に拡がって流れる白雲が強い印象を残す感であった…
<PRO100БУРГЕР>(プロスタブルゲル)に「一寸プラス」…(2018.09.24)
後光…!?:レーニン広場(2018.09.21)
コルサコフ港南埠頭(2018.09.22)
後になって…「気儘な休日らしい…」と苦笑いしてしまったのだが…朝食前に一寸辺りの様子を眺めようと戸外に出て、天候が好いので、朝食は「後刻に早めの昼食を兼用ということにでも…」ということにしてしまって、バスに乗ってコルサコフへ出掛けてしまった…
↓コルサコフでは気に入っている場所である高台に上がり、港の眺望を楽しんだ…この南埠頭が見える側は市街の一部も見えて面白い…
↑場所自体が、1925年の「摂政宮行啓の折に御立寄り」という挿話が在るのだという。摂政宮(=皇太子時代の昭和天皇)も眺めたという1920年代に整備の桟橋が現在も使用されていて、この場所から画の右半ばに見えている…
この桟橋は、現在でも稚内・コルサコフ航路の船が発着している。この前日…9月22日の“稚内発”の便の運航を海上荒天で見合わせた<ペンギン32>がコルサコフに引揚げて来たのだというが…画の真ん中辺りの繋留可能な一画に<ペンギン32>の姿が見えている…
↓この時は、碧空に拡がって流れる白雲が鮮烈な感じであった…
入手して日が浅い“広角ズーム”で、この種の眺望を撮るのはなかなか面白い…入手して日が浅いレンズで、何となく新鮮であるということも在るかもしれないが…
↓コルサコフでは気に入っている場所である高台に上がり、港の眺望を楽しんだ…この南埠頭が見える側は市街の一部も見えて面白い…
↑場所自体が、1925年の「摂政宮行啓の折に御立寄り」という挿話が在るのだという。摂政宮(=皇太子時代の昭和天皇)も眺めたという1920年代に整備の桟橋が現在も使用されていて、この場所から画の右半ばに見えている…
この桟橋は、現在でも稚内・コルサコフ航路の船が発着している。この前日…9月22日の“稚内発”の便の運航を海上荒天で見合わせた<ペンギン32>がコルサコフに引揚げて来たのだというが…画の真ん中辺りの繋留可能な一画に<ペンギン32>の姿が見えている…
↓この時は、碧空に拡がって流れる白雲が鮮烈な感じであった…
入手して日が浅い“広角ズーム”で、この種の眺望を撮るのはなかなか面白い…入手して日が浅いレンズで、何となく新鮮であるということも在るかもしれないが…
旧 北海道拓殖銀行大泊支店:コルサコフ(2018.09.22)
I.P.ファルフトディーノフ胸像(2018.09.20)
眼下の市街…:<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2018.09.21)
「高所作業」…(2018.09.20)
ユジノサハリンスク鳥瞰:<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2018.09.21)
「ОПАСНО!」(アパースナ!)=「危険!」(2018.09.20)
↓ユジノサハリンスク都心部の建物で、壁に「ОПАСНО!」(アパースナ!)という看板が掲出されているのを存外に多く視掛ける…
「ОПАСНО!」(アパースナ!)=「危険!」と言われても?「ややこしいモノ」が置かれている筈もない、街中の普通のオフィスやら住宅やら商店が入居している建物の壁なのである…実際…東京方面からユジノサハリンスクへ旅行に来た方に「随分と沢山、“危険!”と貼ってあるのは??」とお訊ね頂いたことも在った…
これは、冬季に屋根等の高い場所から雪や氷が落下するので注意喚起をしているという看板だ…雪や氷の冬が在る地域らしい…北海道でも「落雪注意」というようなモノが掲出される場合が見受けられる…しかし…ユジノサハリンスクのコレは、年中そのまま貼って在る…雪が無い時季、何となく「危険!」を視ると、少し落ち着かないような気がしないでもない…他方、何となく慣れてしまって、気にならなくなるものでもあるが…
↓光の加減で、建物の隙間に射し込む光が「ОПАСНО!」(アパースナ!)を照らし出しているかのようで面白いと思った…
因みに…画の場所は積雪期が進むと、雪が堆くなって人が通り抜け悪くなってしまうので、屋根から雪や氷が落下することに然程気を遣うこともない場所ではある…
「ОПАСНО!」(アパースナ!)=「危険!」と言われても?「ややこしいモノ」が置かれている筈もない、街中の普通のオフィスやら住宅やら商店が入居している建物の壁なのである…実際…東京方面からユジノサハリンスクへ旅行に来た方に「随分と沢山、“危険!”と貼ってあるのは??」とお訊ね頂いたことも在った…
これは、冬季に屋根等の高い場所から雪や氷が落下するので注意喚起をしているという看板だ…雪や氷の冬が在る地域らしい…北海道でも「落雪注意」というようなモノが掲出される場合が見受けられる…しかし…ユジノサハリンスクのコレは、年中そのまま貼って在る…雪が無い時季、何となく「危険!」を視ると、少し落ち着かないような気がしないでもない…他方、何となく慣れてしまって、気にならなくなるものでもあるが…
↓光の加減で、建物の隙間に射し込む光が「ОПАСНО!」(アパースナ!)を照らし出しているかのようで面白いと思った…
因みに…画の場所は積雪期が進むと、雪が堆くなって人が通り抜け悪くなってしまうので、屋根から雪や氷が落下することに然程気を遣うこともない場所ではある…
「飛ぶ人」が在る光景…:<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2018.09.21)
サハリン州郷土博物館(2018.09.20)
「カップの表面」に「サハリン」…(2018.09.21)
何気なく、持ち帰りの珈琲を求めた…
↓こんなカップが…
↑下の方…ユジノサハリンスクの戦史博物館と大聖堂…それらの上に郷土博物館?
↓やや向きを変えれば…嘗ての銀行の建物を利用した美術館らしき建物が半ばの左に…
↑下の方には、レーニン通とプルカエフ通との交差点に在る巨大なオベリスクらしきモノ?
↓街らしきモノの周縁…山や海らしくなっていて、灯台が在る…
このカップ!サハリンをイメージした画を入れている?!
↓ウラジオストクで似たようなモノを視たことが在った…
>>「カップの表面」に「ウラジオストク」…(2018.05.06)
ウラジオストクの例のようなインパクトには欠けるように思うが…サハリンの画のカップ!一寸面白い…
↓こんなカップが…
↑下の方…ユジノサハリンスクの戦史博物館と大聖堂…それらの上に郷土博物館?
↓やや向きを変えれば…嘗ての銀行の建物を利用した美術館らしき建物が半ばの左に…
↑下の方には、レーニン通とプルカエフ通との交差点に在る巨大なオベリスクらしきモノ?
↓街らしきモノの周縁…山や海らしくなっていて、灯台が在る…
このカップ!サハリンをイメージした画を入れている?!
↓ウラジオストクで似たようなモノを視たことが在った…
>>「カップの表面」に「ウラジオストク」…(2018.05.06)
ウラジオストクの例のようなインパクトには欠けるように思うが…サハリンの画のカップ!一寸面白い…
エントランス…(2018.09.20)
<復活主教座聖堂>(2018.09.20)
「背中」から…:レーニン広場(2018.09.19)
<ПАРК>(パルク)(2018.09.18)
G.I.ネヴェリスコイ胸像(2018.09.18)
クルーゼンシュテルンの胸像(2018.09.18)
レーニン通の側からサハリンスカヤ通に入り、西寄りから東寄りへ進んでみた…
↓久し振りにクルーゼンシュテルンの胸像が在る辺りに立寄った…
↓胸像は、こういう具合に広場に据えられている…
↓こうして眺めると、なかなかに凛々しい像だ…
クルーゼンシュテルンは、1803年から1806年の期間で、ロシアとしては初めて記録に残る世界周航を達成している。そして、その際に通過した日本海に関して"MER DU JAPON" と記録し、諸国に“日本海”の名を紹介した人物と考えられる…
彼はロシアが日本へ派遣した使節であったレザノフが乗っていた船の指揮を執っていた。レザノフは、長崎での幕府との交渉が巧く行かなかった後、カムチャッカへ向かっているようだが…その途中に日本海を北上して稚内辺りを通り過ぎているようだ…
時々視ると、そういう「19世紀の稚内?」というようなことを不意に想起する胸像だ…
↓久し振りにクルーゼンシュテルンの胸像が在る辺りに立寄った…
↓胸像は、こういう具合に広場に据えられている…
↓こうして眺めると、なかなかに凛々しい像だ…
クルーゼンシュテルンは、1803年から1806年の期間で、ロシアとしては初めて記録に残る世界周航を達成している。そして、その際に通過した日本海に関して"MER DU JAPON" と記録し、諸国に“日本海”の名を紹介した人物と考えられる…
彼はロシアが日本へ派遣した使節であったレザノフが乗っていた船の指揮を執っていた。レザノフは、長崎での幕府との交渉が巧く行かなかった後、カムチャッカへ向かっているようだが…その途中に日本海を北上して稚内辺りを通り過ぎているようだ…
時々視ると、そういう「19世紀の稚内?」というようなことを不意に想起する胸像だ…