↓好い場面だ!!
↑圧倒的に多くシュートを放って攻め続けながら…先制点を許す嫌な展開…そこから1対1の均衡に持ち込み、攻防を続け、好機を活かして2点目を挙げた場面だった…リンク上の選手もベンチの選手も「万歳!」が出る!!コーチ陣も思わず腕を挙げたり、拳を握りしめて「よくやった!!」という感じ…場内も沸き上がっている…
この試合…<サハリン>は<アニャンハルラ>を2対1で破った!3連戦を「2勝1敗」で終え、計8試合消化で4勝4敗と五分に持ち込むことに成功した…
チアリーダー…:<サハリン>VS<アニャンハルラ>(2018.10.08)
“フェイスオフ”直前…:<サハリン>VS<アニャンハルラ>(2018.10.08)
東寄りから望む…:<黄金橋>が視える光景(2018.09.30)
高台にその姿が視えていて、「近付いて眺めたい…」と何となく思っていたものの、なかなか行けなかったカトリックの教会を訪ねてみようと歩いた…
「どういう具合に上って行く?」と、余り調べずに、建物が視えるような辺りで高台側を目指して坂道を上がってみるということを試みたが…何やら道が複雑に巡らされていて、巧く目指す辺りに辿り着かない…やがて、建物の間の「車輛が100%入らない、近隣の人達が些か利用するという感の小路」を見出して上ってみると、目指すカトリックの教会の「目の前」に至った…
↓そのカトリックの教会の手前で、多少迷いながら小路を上がって来た側を振り返った…
↑この時は素晴らしい好天で、景色は何処でどうやって眺めても素晴らしい感じだったが…暫し佇んで見入ってしまうような感じだった…
場所としては…既に「街の名所」のようになっている、ケーブルカーで上がった辺りの高台よりも東側に相当する…スヴェトランスカヤ通を西から東に進んで、<黄金橋>の下を潜り―非常に橋が高い関係で、「潜る」という意識は薄いのだが…―抜けて進み、丘陵状の地形の場所を上がっている。
小さなキオスクのようなモノが在って、辺りの小さなスペースに数脚の小さなテーブルと椅子も在った。一寸した料理―「中国式餃子」と称していた―と、飲物等を供する店であったようだ。この画の場所は、その店の辺りだ。歩いて喉が渇いたので、その店でミネラルウォータを求めて、一寸飲んで一息入れた…
↓とにかく「素晴らしい!」に尽きた眺めだった…
「どういう具合に上って行く?」と、余り調べずに、建物が視えるような辺りで高台側を目指して坂道を上がってみるということを試みたが…何やら道が複雑に巡らされていて、巧く目指す辺りに辿り着かない…やがて、建物の間の「車輛が100%入らない、近隣の人達が些か利用するという感の小路」を見出して上ってみると、目指すカトリックの教会の「目の前」に至った…
↓そのカトリックの教会の手前で、多少迷いながら小路を上がって来た側を振り返った…
↑この時は素晴らしい好天で、景色は何処でどうやって眺めても素晴らしい感じだったが…暫し佇んで見入ってしまうような感じだった…
場所としては…既に「街の名所」のようになっている、ケーブルカーで上がった辺りの高台よりも東側に相当する…スヴェトランスカヤ通を西から東に進んで、<黄金橋>の下を潜り―非常に橋が高い関係で、「潜る」という意識は薄いのだが…―抜けて進み、丘陵状の地形の場所を上がっている。
小さなキオスクのようなモノが在って、辺りの小さなスペースに数脚の小さなテーブルと椅子も在った。一寸した料理―「中国式餃子」と称していた―と、飲物等を供する店であったようだ。この画の場所は、その店の辺りだ。歩いて喉が渇いたので、その店でミネラルウォータを求めて、一寸飲んで一息入れた…
↓とにかく「素晴らしい!」に尽きた眺めだった…
雨混じりな夕刻…:レーニン広場(2018.10.07)
生神女カトリック教会(2018.09.30)
高台に覗く美しい姿が気になり…多少迷いながら辿り着くことが叶ったのがカトリックの教会である…
↓2本の尖塔が聳え立つ、カトリックの国々で見受けられるモノと変わらないような立派な建物だ…
↑丁寧に煉瓦を積上げた、見事な建築に魅せられた…
↓多少迷いながら…こういうような小路を見付けて、教会まで歩いて近づいた訳だ…
ウラジオストクにはポーランド系の人達―カトリック教徒である―が多く住んでいて、カトリックの教会も営まれたという。1921年にこの<生神女カトリック教会>が完成した。1935年頃まで活動していたそうだ…そして1994年に活動再開で、建物の修復等が完成したのは2010年頃という…
それにしても…古い建物の中には、1930年代に破壊されてしまったという事例も在るらしいのだが…この建物に関しては「伝えられて善かった…」という感じがした…
↓今般、開いている時間帯に立寄ったのでもないので、中を見学することは叶わなかった…
↑それでも、暫しこの美しい建物を青空の下で眺めていた…
こういうモノを視ると、「様々な文物が容れられていた港町」というウラジオストクの経過が強く感じられる…
↓引揚げた時には…車輛も通行可能な、普通な道路を見付けてゆっくり歩いた…
↓2本の尖塔が聳え立つ、カトリックの国々で見受けられるモノと変わらないような立派な建物だ…
↑丁寧に煉瓦を積上げた、見事な建築に魅せられた…
↓多少迷いながら…こういうような小路を見付けて、教会まで歩いて近づいた訳だ…
ウラジオストクにはポーランド系の人達―カトリック教徒である―が多く住んでいて、カトリックの教会も営まれたという。1921年にこの<生神女カトリック教会>が完成した。1935年頃まで活動していたそうだ…そして1994年に活動再開で、建物の修復等が完成したのは2010年頃という…
それにしても…古い建物の中には、1930年代に破壊されてしまったという事例も在るらしいのだが…この建物に関しては「伝えられて善かった…」という感じがした…
↓今般、開いている時間帯に立寄ったのでもないので、中を見学することは叶わなかった…
↑それでも、暫しこの美しい建物を青空の下で眺めていた…
こういうモノを視ると、「様々な文物が容れられていた港町」というウラジオストクの経過が強く感じられる…
↓引揚げた時には…車輛も通行可能な、普通な道路を見付けてゆっくり歩いた…
ロマノフ家の歴代皇帝:<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>(2018.09.30)
ウラジオストクの<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>…「企画展の展示品」のような「御遠慮願います」という指定が在るモノ等を除けば、館内で写真を撮っても問題は無い…
↓眼に留めて撮ってしまったモノの一つである…
↑2013年にロマノフ帝室が「400年」ということで制作された歴代皇帝のメダルのセットのようだ…
上段の左から…ミハイル、アレクセイ、フョードル3世、イワン5世、ピョートル1世、エカテリーナ1世…
2段目の左から…ピョートル2世、アンナ、エリザヴェータ、ピョートル3世、エカテリーナ2世、パーヴェル…
3段目の左から…アレクサンドル1世、ニコライ1世、アレクサンドル2世、アレクサンドル3世、ニコライ2世…
17人の皇帝達のメダルだ…詳しく言えば、女帝のアンナとエリザヴェータとの間に、幼帝イワン6世が在り、ロマノフ家の皇帝は18人なのだが、イワン6世は極々短期の在位に留まったことから、このコレクションからは外れているのであろう…更に、色々とゴタゴタが在った後に登場した女帝エリザヴェータは、イワン6世を「歴史から忘却させる」ことに意を砕いたという経過も在ったらしい…
「最後の皇帝」であったニコライ2世の時代である1913年に「帝室300年」という祝賀行事が催されていたようだが…「400年」は?この種の記念品がとりあえず登場し、博物館に収まっている訳だ…
※ 画をクリックしてウェブギャラリーのページを出し、更に画をクリックすると拡大版の画が御覧頂ける…
↓眼に留めて撮ってしまったモノの一つである…
↑2013年にロマノフ帝室が「400年」ということで制作された歴代皇帝のメダルのセットのようだ…
上段の左から…ミハイル、アレクセイ、フョードル3世、イワン5世、ピョートル1世、エカテリーナ1世…
2段目の左から…ピョートル2世、アンナ、エリザヴェータ、ピョートル3世、エカテリーナ2世、パーヴェル…
3段目の左から…アレクサンドル1世、ニコライ1世、アレクサンドル2世、アレクサンドル3世、ニコライ2世…
17人の皇帝達のメダルだ…詳しく言えば、女帝のアンナとエリザヴェータとの間に、幼帝イワン6世が在り、ロマノフ家の皇帝は18人なのだが、イワン6世は極々短期の在位に留まったことから、このコレクションからは外れているのであろう…更に、色々とゴタゴタが在った後に登場した女帝エリザヴェータは、イワン6世を「歴史から忘却させる」ことに意を砕いたという経過も在ったらしい…
「最後の皇帝」であったニコライ2世の時代である1913年に「帝室300年」という祝賀行事が催されていたようだが…「400年」は?この種の記念品がとりあえず登場し、博物館に収まっている訳だ…
※ 画をクリックしてウェブギャラリーのページを出し、更に画をクリックすると拡大版の画が御覧頂ける…