稚内へ北上する朝…6時に出る普通列車ではなく、敢えて9時に出る特急列車を選んだ…訳が在る…
↓日出が午前6時40分頃という今の時季…天候に恵まれれば空が染まる時間帯に、こういう画を撮りたかったのだ…
↑画の右寄りが東寄りな方角である…
前夜は…食事を摂って直ぐに休んだ…そして早起き…また少し休んで、再度起き出し…漸く「程好い頃合いか…」という時間帯になった…
降ったり止んだりで少々積もった雪を踏み締め、氷点下3℃程度で凍り付いた箇所も見受けられた中で細心の注意を払いながら<昭和通>を進む…そして未だ交通量が少ない旭橋の辺りに至ったのだ…カメラを扱う前に手が悴むので、手袋は確り着用して歩いた…そして<ヴォストーク65>(サハリンのバスケットボールチーム)のロゴが入ったニットキャップも確り着用である…
↓明るくなって行く中だったが、未だ「消灯」ではなかった…
↑照明で明るい箇所を凝視すると、雪が舞っているのが少し判る…
今般巡った山陽地域や九州では…こういう画のような状況は「考え悪い」に尽きる…「国内」ながらも「異国?」のような遠い地域を巡り、「馴染み切った」ような雰囲気の場所に還って来て「しまった…」という訳だ…
或いは…こういう画を撮るべく、敢えて旭川に泊まるようにしたという側面も在る…
「焼酎の維新は、薩摩から。」:鹿児島中央駅前(2018.11.27)
↓鹿児島中央駅前東口の広場からも視えるが…商業ビルの壁に掲出された酒造会社の看板だ…
↑ダイナミックな筆致で、西郷隆盛と大久保利通をモデルとしたと思われる2人の人物の画…そして「焼酎の維新は、薩摩から。」とのキャッチフレーズ…
以前…この場所の看板は少し様子が違った…新しいモノに替った訳だ…看板で宣伝している<黒白波>という銘柄の焼酎…気に入っているモノでもある…
↓因みに、以前はこういう看板だった…
>>「だいやめで、きばいやんせ。―さつま白波」の広告看板(2014.12.17)
↑ダイナミックな筆致で、西郷隆盛と大久保利通をモデルとしたと思われる2人の人物の画…そして「焼酎の維新は、薩摩から。」とのキャッチフレーズ…
以前…この場所の看板は少し様子が違った…新しいモノに替った訳だ…看板で宣伝している<黒白波>という銘柄の焼酎…気に入っているモノでもある…
↓因みに、以前はこういう看板だった…
>>「だいやめで、きばいやんせ。―さつま白波」の広告看板(2014.12.17)
G.I.ネヴェリスコイ像(2018.11.21)
黒豚蒸籠蒸し:<かごっまふるさと屋台村>(2018.11.27)
鹿児島を訪ねたなら…殊に鹿児島中央駅の近隣に滞在するなら…<かごっまふるさと屋台村>への立寄りは「外せない!!」と考える…2012年に開業した屋台村だが、鹿児島を訪れると、間違いなく立ち寄っている…
<かごっまふるさと屋台村>は、鹿児島県内の産品を利用した料理や銘酒を供することを中心とした小さな店が集まっていて、地元の人達から来訪者まで、市内、県内、県外、更に国外からの色々な人達が集まって気軽に楽しめるという場所だ…
今般…別府を発って、幾つもの県境を越え―大分県内を北上し、福岡県を東西に縦断して、佐賀県の東部を経て熊本県を南下して鹿児島県に入った…―て鹿児島に辿り着いて宿に入った後、一寸足を運んでみた…
鹿児島中央駅前…東口の広場から路面電車の軌道も敷設された広い道路を望んで進む…路面電車の高見橋停留所が視えるような辺りに差し掛かると<かごっまふるさと屋台村>である…
<かごっまふるさと屋台村>では…「料理を少々頂いて銘酒を一杯…」という具合に、何軒かを梯子するというようなスタイルが愉しい…そういうことを想いながら、とりあえず方々の焼酎を愉しみながらおでんを摘まむ1軒目の店へ…
↓こういう具合で…メニューに在った「黒豚」というモノが出て来た…
↑「蒸籠で蒸すので、他のモノより一寸時間が要ります」ということだったが、“時間”という程に待つのでもない…
↓枕崎の鰹節で作るというおでんの出汁を使って、キャベツと黒豚のスライス肉を蒸す…これが酷く美味い!!
↑脇の小鉢に用意した、おでんの出汁に柚子胡椒を入れて、キャベツと肉を点けて頂くのだ…
鹿児島に2泊したのだったが…初日に酷く美味かったので、第2日にも立ち寄って「昨日のアレが!!」と再度頂いてしまったのだ…
実は写真好きらしいお店の方に「フィルムのカメラ?!」と尋ねられた<X-Pro2>でこの料理の写真を撮ってしまったが…写真を眺めて、「鰹節の出汁で蒸した豚肉…」を懐かしむようになって行くことであろう…
<かごっまふるさと屋台村>は、鹿児島県内の産品を利用した料理や銘酒を供することを中心とした小さな店が集まっていて、地元の人達から来訪者まで、市内、県内、県外、更に国外からの色々な人達が集まって気軽に楽しめるという場所だ…
今般…別府を発って、幾つもの県境を越え―大分県内を北上し、福岡県を東西に縦断して、佐賀県の東部を経て熊本県を南下して鹿児島県に入った…―て鹿児島に辿り着いて宿に入った後、一寸足を運んでみた…
鹿児島中央駅前…東口の広場から路面電車の軌道も敷設された広い道路を望んで進む…路面電車の高見橋停留所が視えるような辺りに差し掛かると<かごっまふるさと屋台村>である…
<かごっまふるさと屋台村>では…「料理を少々頂いて銘酒を一杯…」という具合に、何軒かを梯子するというようなスタイルが愉しい…そういうことを想いながら、とりあえず方々の焼酎を愉しみながらおでんを摘まむ1軒目の店へ…
↓こういう具合で…メニューに在った「黒豚」というモノが出て来た…
↑「蒸籠で蒸すので、他のモノより一寸時間が要ります」ということだったが、“時間”という程に待つのでもない…
↓枕崎の鰹節で作るというおでんの出汁を使って、キャベツと黒豚のスライス肉を蒸す…これが酷く美味い!!
↑脇の小鉢に用意した、おでんの出汁に柚子胡椒を入れて、キャベツと肉を点けて頂くのだ…
鹿児島に2泊したのだったが…初日に酷く美味かったので、第2日にも立ち寄って「昨日のアレが!!」と再度頂いてしまったのだ…
実は写真好きらしいお店の方に「フィルムのカメラ?!」と尋ねられた<X-Pro2>でこの料理の写真を撮ってしまったが…写真を眺めて、「鰹節の出汁で蒸した豚肉…」を懐かしむようになって行くことであろう…
眼鏡橋(2018.11.28)
長崎…路面電車が大活躍な街…「1日乗車券」を手に、気儘に街を巡るのが愉しい…少々御無沙汰していたが、早朝から新幹線と在来線の列車を乗り継いで鹿児島から長崎に至り、「1日乗車券」を入手して動き回った…
↓諏訪神社を訪ねた後、「運行系統4番の電車で真直ぐ…」と思い至り、訪ねてみた眼鏡橋だ…
↑とりあえず「超有名…」な場所で、雨混じりな平日でも存外に来訪者が多かった…
雨で湿って「足元が…滑る?」と思いながら、狭い川辺にゆっくりと下りて、川を渡ることが出来るように置かれた“飛び石”の上を慎重に歩き「水面レベルで橋を望む」ということをしてみた…川面に雨が落ちているのも少し判る画になったが…好条件とは言い難い状況ながら、水面に橋が映り込んで、呼び名の由来のように「眼鏡」の形になっている…
確か17世紀の橋である…江戸時代を通じて様々な動きが在った長崎の街に在り続け、その後も明治・大正・昭和の近代、平成の現在も在り続けている橋だ…長崎に所縁の史上の人物達の多くが視ている、または実際にこの橋を渡っているということになるだろうか…そういうことを想い起すと、この場所を訪ねるのは益々面白い…
↓諏訪神社を訪ねた後、「運行系統4番の電車で真直ぐ…」と思い至り、訪ねてみた眼鏡橋だ…
↑とりあえず「超有名…」な場所で、雨混じりな平日でも存外に来訪者が多かった…
雨で湿って「足元が…滑る?」と思いながら、狭い川辺にゆっくりと下りて、川を渡ることが出来るように置かれた“飛び石”の上を慎重に歩き「水面レベルで橋を望む」ということをしてみた…川面に雨が落ちているのも少し判る画になったが…好条件とは言い難い状況ながら、水面に橋が映り込んで、呼び名の由来のように「眼鏡」の形になっている…
確か17世紀の橋である…江戸時代を通じて様々な動きが在った長崎の街に在り続け、その後も明治・大正・昭和の近代、平成の現在も在り続けている橋だ…長崎に所縁の史上の人物達の多くが視ている、または実際にこの橋を渡っているということになるだろうか…そういうことを想い起すと、この場所を訪ねるのは益々面白い…
御神木:鹿児島神宮(2018.11.27)
「大隅国一之宮 国分正八幡 鹿児島神宮」…隼人駅から15分程度も歩けば辿り着く古い社である…「海幸山幸」の神話の「山幸」を祀っているそうだ…
鹿児島神宮は相当に古い神社で、延喜年間(10世紀冒頭)には“大社”に列せられて「大隅国一之宮」と称されていて、建久年間(12世紀末)の後鳥羽天皇の御代には多くの社領を得ており、江戸時代末期にも千石を領していたという…
↓その境内に植えられている「御神木」である…
↑余りにも大きい!!只管に見上げてしまった…
建久年間(12世紀末)の植樹と云われ、推定樹齢は800年を超える!?
人間は100歳で「大変な長寿…」ということになる…私事だが、2人の祖母は長命で、他界した際には何れも97歳で、葬儀に集まった人達は「大変に長生きをされて…大往生…」と口々に言っていた…この御神木は、そういう次元の長命の8倍もの時間、この境内に在る訳で…今でも勿論「活きて」いるのだ…途方もないことだと思った…
御神木が植樹されたような頃…12世紀末…鎌倉幕府が成立したような時代で、13世紀に入って体制が固まり、以降は室町時代、戦国期、江戸時代、明治・大正・昭和となって平成の御代に至っている訳だが…御神木はそういう時間を活き続けている…
この巨大な御神木を、「エキゾチック!」と感じながら見上げていた自身に、ここを立ち去って隼人駅へ向かって歩いていた時に気付いた…そして、こういう御神木を擁する神社の境内…何か「自然の力」が渦を巻いているような雰囲気が漂う…こんな場所を訪ねると、そういう「力」を少しだけ分けて頂けるような…気もする…
鹿児島神宮は相当に古い神社で、延喜年間(10世紀冒頭)には“大社”に列せられて「大隅国一之宮」と称されていて、建久年間(12世紀末)の後鳥羽天皇の御代には多くの社領を得ており、江戸時代末期にも千石を領していたという…
↓その境内に植えられている「御神木」である…
↑余りにも大きい!!只管に見上げてしまった…
建久年間(12世紀末)の植樹と云われ、推定樹齢は800年を超える!?
人間は100歳で「大変な長寿…」ということになる…私事だが、2人の祖母は長命で、他界した際には何れも97歳で、葬儀に集まった人達は「大変に長生きをされて…大往生…」と口々に言っていた…この御神木は、そういう次元の長命の8倍もの時間、この境内に在る訳で…今でも勿論「活きて」いるのだ…途方もないことだと思った…
御神木が植樹されたような頃…12世紀末…鎌倉幕府が成立したような時代で、13世紀に入って体制が固まり、以降は室町時代、戦国期、江戸時代、明治・大正・昭和となって平成の御代に至っている訳だが…御神木はそういう時間を活き続けている…
この巨大な御神木を、「エキゾチック!」と感じながら見上げていた自身に、ここを立ち去って隼人駅へ向かって歩いていた時に気付いた…そして、こういう御神木を擁する神社の境内…何か「自然の力」が渦を巻いているような雰囲気が漂う…こんな場所を訪ねると、そういう「力」を少しだけ分けて頂けるような…気もする…