<黒豚とんかつセット>(2018.12.12)

最近…札幌に出て、札幌駅周辺に在って「昼食でも摂ろう…」という場面になると「4回の中で3回」かそれ以上の確率で「とりあえず…あそこ!」と足を運ぶ場所が在る…

↓こういうモノを嬉々として頂くのだ!
12-DEC-2018 (6)
↑札幌駅の辺りで「鹿児島の流儀」を謳う店へ…そしてこのランチメニューの<黒豚とんかつセット>…

↓鹿児島県は「全国の豚肉の1割程度を生産」と言われる“畜産王国”で、他の地域で余り頂いていなかった時代から豚肉を嗜んでいたという一面も在るらしい…その鹿児島の産という良質な肉を使ったとんかつ…とにかく美味い!
12-DEC-2018 (4)

↓とんかつだけではなく、「あっ!!鹿児島で頂く機会が在った…アレだ!!」という風情な豚汁が添えられているのが嬉しい…
12-DEC-2018 (8)

↓大概、何か大事な用事が控えているという訳でもない状況で立寄る店なので…昼食の時間帯からこういうモノも愉しむ…
12-DEC-2018 (2)
↑湯をグラスに入れ、そこに焼酎を注ぐ訳である…

↓「肉そのものの美味さを愉しむ」というシンプルなとんかつだ…
12-DEC-2018 (5)

札幌には札幌なりに好いモノは多々在るが…「方々の流儀の美味いモノを供する場所が在る」というのも「都市らしい魅力」のように思う…そういう訳で、この札幌に在りながら「鹿児島の流儀」を謳う店に寄ってしまう…聞けば、鹿児島県内発祥の店で、東京圏や関西圏にも出店している店の札幌での出店ということらしいが…凄く気に入っている!!

「増結作業」…:岩見沢駅(2018.12.12)

旭川駅を早朝の6時28分に出る列車は、ゆっくりと札幌方面へ向かう…

3輛編成の721系電車が旭川駅を発つ…車内は空いているのだが、深川駅以南では通勤や通学―制服の上に防寒用の上着類という、高校生と見受けられる若者達が目に付く…―の乗客が入れ替わりに乗降する感じである…

岩見沢駅に至ると…「増結作業」という案内放送が流れる…

↓手前が旭川駅から走って来て、岩見沢駅に到着の車輛だ…画の左寄り、奥から別な車輛が接近する…
12-12-2018 Iwamizawa (2)
↑近付く車輛の先頭、貫通扉が開いていて保安帽(作業時のヘルメット)を被った係員が乗り込んでいる。

↓右が旭川駅からやって来た編成…左が岩見沢駅に在った編成だ…
12-12-2018 Iwamizawa (4)
↑両者が慎重に接近する…

↓岩見沢側の編成に乗り込んでいた係員が軌道の上に下りて、両編成の連結を確認している…
12-12-2018 Iwamizawa (5)

岩見沢以南の札幌まで、列車は6輛編成で走る…岩見沢は「札幌圏」の北東端という感じで、IC乗車券が利用可能なエリアであり、旭川・札幌間を行き交う特急列車の合間に札幌や、その先の小樽方面とを行き交う普通列車や快速列車が多数運行されている…この「増結作業」は午前8時頃のことで、以降は札幌まで通勤や通学等の乗客でなかなかに混み合う…始発の旭川から乗車した私は…最初から陣取っていた席に悠然と座っていたが…

岩見沢から向こう…車内の雰囲気はかなり変わるように思う…

「通過待ち」…:奈井江駅(2018.12.12)

旭川駅から南下していた普通列車…砂川駅の先に在る奈井江駅でやや長く停車することになった…

↓ホームに出て乗車していた721系電車を眺めた…
12-12-2018 Naie (1)

↓そして列車が通過する旨の案内…
12-12-2018 Naie (3)

↓特急<カムイ>が通り過ぎて行った…
12-12-2018 Naie (4)

この後、乗っていた列車はまた動き始めた…時々、こういう停車を挟むながら進む普通列車の旅…好いものだ…


奈井江駅に関しては…辺りに伯父伯母が住んでいて、小学生の頃に「列車に乗ってみたい!!」と冬休み等に列車に乗って訪ねてみるということをした思い出も在る…何か「酷く懐かしい」感じがする駅でもある…

新千歳空港:上空から…(2018.12.13)

新千歳空港で国際線の便に搭乗したが…チェックインをした後…保安検査の行列で20分も要し、草臥れた…そこから出国審査で、何となく「チェックインの時から、免税店等が在るエリアに入るまでだけで40分位も…」という感だった…「フライトの2時間前からチェックイン」ということなら、正直に2時間以上前に空港に行って手続をするのが善いと思った…

↓離陸した際、新千歳空港が上空から視えた…
13-12-2018 (68)

↓「馬蹄形のカウンター」のような形をした建物に、ボーディングブリッジが付いていて、そこに飛行機が駐機している訳だ…
13-12-2018 (70)

こうして新千歳空港を離れた…稚内からゆっくりと移動し、空港で時間を要して飛行機に乗ったが…フライトそのものは1時間と少々…

鶏唐揚げ―“ダブル”(2018.11.30)

稚内に在って、「好んで頻繁に頂く…」というモノが幾分在る…

↓半ば戯れに「ダブル!!」と称するが…2人前をやや大きい更に盛って頂き…それを確りと…
30-11-2018 Wakkanai (2)
↑「唐揚げ」と聞けば思い出すような外観で、色々なモノを使った味付けが好いのだが…好みで若干の調味料も点けてみる…

これを頻繁に頂くので…「時には鶏を“供養”すべきか?」等と嘯くことも在るのだが…

こういうような「何時もの御近所で、毎度のように…」というメニューは非常に好い!是非、永く続けて提供願いたいものだ…

「桜島灰干し」の鶏唐揚げ:<かごっまふるさと屋台村>(2018.11.27)

「灰干し」??魚や肉を保存する方法で、時間を掛けて均一に水分を抜き、魚や肉の組織変化が少ない多方で旨味成分が濃厚になる…というものらしい…

その「灰干し」というモノを…「桜島の火山灰を利用」ということでやっていて、それを利用した魚や肉の料理を供する…そんな店に出くわした…

↓一見、何の変哲も無い鶏唐揚げ…だが、これは「桜島灰干し」という鶏肉を用いている…
27-11-2018 Kgaoshima vol03 (54)

鹿児島県は肉用家畜の肥育が盛んである。鶏肉も美味い!その鶏肉に手を掛けたモノを使った唐揚げ…素材の美味さを活かすべく、「味付け」はアッサリという具合に唐揚げにする…“塩味”な唐揚げとでの言うのか?「うゎ!美味い鶏肉!!」という感じがする…そして…九州で好まれる「柚子胡椒」が添えられ、これを一寸点けて頂くのが非常に好い!

幼少の頃から「鶏唐揚げ」というのは好きなのだが…この「鹿児島の流儀の粋な唐揚げ」というのも酷く好かった!何か、「随時これを思い出す…」というような状況だ…

11月24-30日の切符…(2018.12.06)

↓財布の中に残っていた、各地の列車を利用した場面の切符だ…11月24日から11月30日のモノである…
06-12-2018 (1)
↑改札口の“自動”ではない駅員さんが居る場所で「記念に切符が欲しい」と申し出れば、“無効”とか“乗車記念”というスタンプを押して、その切符を頂くということが出来る…その方式で、何となく貯まった券だ…

左下…成田空港で求めた、北九州まで行く乗車券と特急券等である…

右下…小倉駅から、宿を取った別府へ向かった際の券である…

真中は<ぐるっと九州きっぷ>だ。3日間、JR九州の普通列車は乗り放題…そして別途特急券を求めれば、在来線特急と博多・鹿児島中央間の新幹線の列車にも乗車出来る。左上が求めた特急券等である…

右上側は、福岡空港から新千歳空港に入った後の稚内までの列車で利用したモノである…

結局…JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州、JR北海道の各社の列車に乗車したという形になる…

こういうような具合に、近年の旅行の際の切符は存外に保存している…全く「だから?」という話しなのだが…

415系電車とキハ47系ディーゼルカー:隼人駅(2018.11.27)

国分駅から列車に乗り、隼人駅で下車した…

↓右が乗車して来た415系電車の列車…左は隼人駅で出発に向けて待機中だったキハ47系ディーゼルカーの列車だ…
27-11-2018 Hayatpo Station (2)
↑適当に古い車輌による列車が2本並ぶ…最近は見掛ける機会が減っている…

隼人駅は、日豊本線と肥薩線とが交差する駅だ…日豊本線は電化区間で電車が行き交っているが、肥薩線は非電化区間で、行き交うのは専らディーゼルカーだ…

この隼人駅に関しては、鹿児島神宮へ立ち寄るべく下車した…鹿児島神宮を訪ねた後、隼人駅から鹿児島中央駅へ向けて移動している…

噴水…:長崎 <諏訪神社>(2018.11.28)

↓<諏訪神社>の境内…散策が出来るような具合に整備された箇所である…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (26)
↑一条の水を噴き上げているモノが見受けられる…

↓1878(明治11)年に出版された本に在るという、「公園等での装飾用噴水としては、日本で最も古い」と見受けられるモノを再現したのだという…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (27)

↓独特な趣で、辺りの木も紅葉していて、何となく愉しく眺めていた…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (29)
↑何やら…「素朴な味わい」という風な噴水だ…

「公園等での装飾用噴水としては、日本で最も古い」と見受けられるというモノが再現されているが…長崎という場所も「日本最古と見受けられる○○」というようなモノの例が、調べると色々と出て来るのかもしれない…

721系電車:早朝の旭川駅(2018.12.12)

稚内から札幌へ出る場合…旭川に至ると、何となく「2/3」とか「3/4」の行程を終えたような…気がする…

そういうことも在って、何となく夕刻から夜で旭川に至り、サウナも付いた大浴場が自慢の宿が「時季の故」で簡単に予約出来て安価に利用可能だったので利用し、「朝から札幌へ向かう」ということにした…

↓早朝の旭川駅…「札幌方面へ向かう普通列車」としては始発ということになる列車だ…
12-12-2018 Asahikawa (4)

6時28分に旭川駅を発つと…途中の奈井江駅や江別駅で特急列車の通過待ち、岩見沢駅での「増結作業」という少しだけ長い停車も在るが、8時58分には札幌駅に到着である…個人的には「懐かしい…」というエリアも通り抜け、また乗客の入れ替わりも多い区間で、途中から混み合うことも在り、2時間半の乗車時間は然程苦にならない…

↓以前にも、この「札幌方面へ向かう普通列車」としては旭川駅からの始発となる列車に乗車したような記憶が在るのだが…久し振りに乗車した…
12-12-2018 Asahikawa (7)

そういう訳で…無事に札幌へ入って、旭川駅で撮った写真を整理していた訳だ…

雪の中の荷役…:稚内港中央埠頭(2018.12.11)

前日…風浪が強い状況が見受けられ、稚内への入港を延期したという貨物船が、穏やかになった稚内港の中央埠頭に登場した…

陽射しも見受けられるような天候の中で荷役作業を始めていたのだったが…俄かに雲が流れて来て、雪が存外に強く降り始めた…

↓雪が降り頻る状態になった…が、淡々と荷役作業は続く…
11-12-2018 port of Wakkanai (34)
↑雪は「風に舞って右往左往」ではなく、「天から地へ降る」という状況…風は強くない…そういう状態なら、多少の視界の悪さに注意することにはなるが、荷役作業は普通に出来る…

暗い色の船体が停泊中なので、白い雪が降る様がハッキリ見える…「北国の港の冬」という風情…興味深く視ていた…

稚内港北防波堤ドーム:中央埠頭から望む…(2018.12.10)

↓朝…中央埠頭から稚内港北防波堤ドームを望んだ…
10-12-2018 (6)
↑風雪がやや強い…ここへ辿り着くまでに手が酷く悴んだ…氷点下6℃程度の気温だったようだが、“体感”としては更に厳しい…

「画で判る」という程度に、降雪が風に舞っている…沖の風浪がやや強く、船の航行が些か困難であったと聞いた…

酷く「時季らしい」というムードではある…

神馬(しんめ):長崎 <諏訪神社>(2018.11.28)

↓少し惹かれる彫刻だ…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (18)
↑青銅の馬…「神馬」である…

<諏訪神社>には、明治時代に寄進―戦艦<武蔵>も建造している三菱重工長崎造船所の前身である<長崎製鉄所>が寄進したそうだ…―を受けた青銅の神馬が在ったという。しかし、これは戦時の「金属供出」で無くなってしまった…

↓1985(昭和60)年に至り、<平和祈念像>を手掛けている彫刻家の北村西望(きたむらせいぼう)(1884-1987)の手になる<神馬像>が奉納された…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (20)
↑「神馬」という存在の尊さと、力強さとが感じられる彫刻だと思う…

境内で見掛けたさりげない像にも、何らかの「物語」が在る…そういう事柄と出会うのが、何処かへ出掛ける場面での大きな楽しみでもある…

885系電車の<かもめ>:長崎駅(2018.11.28)

博多・長崎間を運行する<かもめ>に関しては、787系電車による運行と、885系電車による運行とが見受けられる…

↓長崎駅から鳥栖駅を目指そうとした際、885系電車による<かもめ>に乗車する機会が在った…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (97)
↑何か「欧州諸国の特急列車?」というような雰囲気のデザインが好い…

当初、この885系電車は博多・長崎間の<かもめ>で運用する編成と、博多・大分間の<ソニック>で運用する編成とに明確に分けられていたようだ…現在では、両者は混ざり合っているように見受けられる。

↓この編成は、初登場時には「<ソニック>で運用」だったと見受けられる。運転台の下の辺りに“S”というマークが付いている。
28-11-2018 Nagasaki vol02 (95)
↑初登場時には「<かもめ>で運用」だったと見受けられる方の編成は、少し潰れた“V”に見える「鴎の翼」をイメージしたマークだった筈だ…

↓今般は「ラッピング」の編成に乗車することとなった…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (98)
↑向かおうとしていた鳥栖駅の近隣にホームスタジアムを構えるサッカーJリーグのチーム<サガン鳥栖>の応援という「ラッピング」だった…

この885系電車の特急列車…カーブ区間での減速を抑える「振り子式」の構造を持った、時速130㎞までの運行が可能な「在来線最速」という仕様になっている車輌だ。内装も立派なシートが並んでいる感じで、出くわして乗車機会が生じると嬉しくなる車輌だ…

<諏訪神社>:長崎(2018.11.28)

「鎮西大社」と称えられる長崎の総氏神様…<諏訪神社>である…

↓坂道と平地が複雑に絡み合って独特な街並みを形成する長崎…そんな長崎の「総氏神様」は、幾つかの坂道が組み合わさった辺りの高台に鎮座する…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (12)
↑長く大きな石段を幾つも上がり、入口前の最後の石段に漸く至る…

↓門の真下で注連縄を見上げた…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (36)
↑以前、年末にこの場所に立ち寄った際、この注連縄を替える作業をしていた記憶も在る…

↓本殿を望む…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (15)
↑雨が交じっていたので、屋根が在った辺りに佇んで様子を伺ってみた…

多少の雨ながら、「時季」ということで「七五三参り」の親子連れが散見した。保護者の方がお子さんの手を引いて、長い石段を上がっている様子も視た…そういう様子を見掛けると「地域の人達に愛されている社」ということを強く感じる。

長崎は戦国時代にイエズス会に領地が贈られるというような経過も在って、神社は少々廃れていたようで、諏訪・森崎・住吉の三社を1625年に改めて祀ったのが<諏訪神社>の起こりとされているのだという。

1648年に幕府の朱印を得て社殿を建築したものの、1857年に火災で焼失してしまった…それを約10年掛けて、以前以上に立派な形で再建し、1829年に登場したというのが現在のモノの基礎となっているようだ。

諏訪・森崎・住吉を祀り、厄除け・縁結び・海上守護の神社として親しまれているのだという…何となく「地元の皆さんの愛着」のようなものが感じられ、訪ねて心地好い場所であると思う…

<牛すじカレー>(2018.12.08)

↓近所の、少し辛いカレーが美味い店で…「期間限定」ということで供している…
08-12-2018 (2)
↑<牛すじカレー>というモノである…

↓ゴロゴロと具材の牛筋煮込みが入っている…辛口なルーや米飯と一緒に頂く…これが非常に好い!!
08-12-2018 (3)

今般、稚内滞在時にそれなりな頻度で頂いた…「期間限定」の<牛すじカレー>に限らず、辛口なルーのカレーライスを供する近所の店に関しては、永く利用している…

<広島錦>(2018.12.07)

西条に立寄り…各酒造会社で素敵な清酒が販売中という状況に出くわし…「そう言えば美味い清酒は御無沙汰…」と思い至った…ユジノサハリンスク辺りでは、清酒は種類も量も潤沢でもない…ロシアは酒類の輸入に関して敷居が高めな国であるように見受けられ、“近隣国”ではあっても、日本の酒類は然程豊富でもない。人気の日本製ウィスキーは見受けられるが…酷く高価だ…

そういうことで…極一部の土産用として、加えて拙宅で少々頂こうと清酒を西条で仕入れて“地方発送”ということにしておいた…

↓既にこういうモノも美味しく頂いたが…他にも用意して在ったのだ…
>><白牡丹 広島の酒 原酒>(2018.12.04)

↓こういうモノを用意して在った…
07-12-2018 (2)

↓「酒都西条」という雰囲気を醸し出す、この場所で仕入れて来た代物である…
>><賀茂鶴>:西条(広島県)(2018.11.25)

↓広島県に伝わる<広島錦>という米を使って醸したという清酒だ…「大吟醸」だ!
07-12-2018 (7)

清酒は、米飯を炊くのに用いる米とは少し違う「酒造好適米」―「酒米」と呼ばれることが多い…―で醸す…

「酒造好適米」の中には、普通の米よりも背が高くなって倒れ易いというような、「些か扱い悪い」という側面も在る品種が見受けられ、そういうモノは栽培が流行らなくなってしまう事例も在るらしい…<広島錦>という品種もそれに該当するらしいが…それでも「広島のオリジナルな銘酒を!」と<広島錦>を栽培して、それを利用して酒を醸すということになった訳だ…

<広島錦>に関しては、飲食店向けに「純米酒」も製造販売されている。それを広島駅傍の店で頂く機会が在った中、<賀茂鶴>で「同じようなラベル?」とコレを見付けたのだ…

↓実は「大吟醸」というモノ自体が久し振りだったが…仄かな“吟醸香”のスッキリとした清酒で、ドンドンと杯が進んでしまった…
07-12-2018 (9)
↑西条の酒…様々なモノが在る…飽くまでも個人的に一部を呑んでみた感想だが…何方かと言えば「芳醇」とされる、「好い甘味」がするモノが多いような気がする…この<広島錦>は、「端麗」とされるモノとは少し違うと思った…

何時の頃からか清酒も愉しむようになっているが…これは好い!!

西条の、忘れ難い独特な街並みと相俟って、幾分愉しんだ彼の地の酒は「思い出の味」に加わった…「過ぎる!!」という程度に「早くも」ということになるが…「西条を再訪してみたい…」という想いが沸き起こってしまっている…

<牛筋煮込み>(2018.12.06)

↓御近所の居酒屋で…極最近になって出すようになった料理のようだが…これが美味い!!
06-12-2018 (5)
↑<牛筋煮込み>である…

これがハイボールに合う!ハイボール1杯と、この<牛筋煮込み>を摘む…そのために御近所の居酒屋に一寸寄ってしまう…

↓最近は、こういう具合に“お通し”の<おでん>とセットで供される…これが素晴らしい!!
06-12-2018 (4)

787系電車の<かもめ>:長崎駅(2018.11.28)

早朝に新幹線の列車で鹿児島中央駅を発ち、新鳥栖で特急列車に乗り換えると、存外に早く長崎駅に至ることが叶う…

「九州上陸…」という想いを募らせた時、「訪ねたい!」と思ったのは鹿児島や長崎だったのだが…鹿児島に至ることを優先した関係で、長崎は「何時になるか判らない“次の機会”」と考えていた。が、無理をするまでもなく、「長崎の一日」を過ごしてから北上に備えて取った宿へ移動することも可能と気付いたのだった…

↓新鳥栖駅から長崎駅まで乗車した車輌である…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (1)
↑787系電車…1992年に初登場し、2002年まで製造増備されて来た経過が在るJR九州の特急列車用の車輌だ…

様々な特急列車に利用された経過が在り、九州新幹線の部分開業後は、未開通区間を結ぶ<リレーつばめ>という列車の車輌として御馴染みだったという。九州新幹線の全線開業後は、九州各地の特急列車として運用され、国鉄時代以来の車輌が787系に入れ替わって行った。

そうした経過の故、この車輌は「JR九州の“看板”」のようなイメージも在るような気がする…幾つか編成のパターンが在るようだが、乗車したのはオーソドックスな感じの7輌編成のものだった…

↓長崎駅は「行き止まり式」でホームが並んでいる…その「行き止まり」な場所から、到着した列車を眺めるのが好きだ…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (2)

「九州上陸…」に関しては、JR九州が運用している様々な車輌による列車で動き回ってみるというのも、物凄く愉しいと感じる…

出島停留所の<209>:長崎(2018.11.28)

↓「長崎の街に在る」ということを強く感じるのは…画のような電車が行き交う様を見る時である…長崎の街には、少し年季の入った路面電車がよく似合う…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (67)
↑文字どおりに<出島>のそばに在る出島停留所で撮った画だ…

画の<209>…1950(昭和25)年に登場した「200形」の1輌だ…戦後の復興が進み、電車の路線延伸等も在って、旅客輸送需要が増える見込みであった中で製造増備された車輌だ…

もう少しで「70年」という永い年月に亘って活躍している車輌だ…

415系電車:国分駅(2018.11.27)

霧島神宮からバスに乗車し、「鹿児島方面の列車本数が多い筈…」と考え、霧島神宮駅を通り越してバスの終点だった国分駅に向かった…

バス停が「駅舎が見える」ということでもなかった場所だったので少々戸惑った。が、何とか国分駅に辿り着き、列車に乗って鹿児島市内の方角、隼人駅へ向かおうとした…

↓ホームに待機中だった列車…
27-11-2018 Kokubu Station (6)
↑こういう「国鉄時代」の車輌に出くわす機会…近年は少なくなったと思う…

↓「1970年代の感じ」という外観だ…この時は4輌で運行される列車だった…
27-11-2018 Kokubu Station (8)
↑中はロングシート、それも新しいモノが据え付けられていた…

この種の「1970年代…」な車輌は、次第に姿を消しているので、乗車機会が在ると「愛おしい…」というような気分になる…

札幌:<味噌キムチラーメン>(2018.11.29)

福岡空港から新千歳空港への順調なフライトの後…札幌駅へ出て、少しだけ買物をしようとした。

札幌駅の北口、出口の傍で一息入れていた頃…午後1時台…何気なく出口側を見れば…札幌では多少知られたラーメンの店のフランチャイズ店…

↓昼食時間帯の混雑が落ち着いたような雰囲気だったので、何となく店に入って、ラーメンを頂いてみた…
29-11-2018 Sapporo (4)
↑「札幌の流儀」と、何となく安心出来るような感じの味噌ラーメンだが…キムチをトッピングしたモノにしてみた…

古くから「個人的に馴染んでいる感じ」なモノだが、久々に頂くと少し新鮮だった…

<ちゃんぽん>(復刻版)と<皿うどん>(オリジナル):長崎(2018.11.28)

早朝に鹿児島中央駅を発って移動し、長崎に至って一日を過ごした…翌日のフライトに備えて泊まることとした鳥栖へは、夕刻にでも移動すれば善いという算段だった…

路面電車の「1日乗車券」を手に動き回り、何となく「ランチタイム」ということになった。

訪ねてみたのは…<ちゃんぽん>や<皿うどん>の「発祥の店」という話しも在る<四海楼>だった…

店の前に「満席」と掲出されていたが…店に入って、順番待ちの名簿に名前を記載して程無く呼ばれ、「待った…」という程でもなく食事を摂ることが叶った…

↓お願いしたのはこういう感じの料理だ…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (58)
↑手前が<ちゃんぽん>(復刻版)…奥が<皿うどん>(オリジナル)である…

↓<ちゃんぽん>という呼称の起こりには諸説在るようだ…豚骨出汁と野菜出汁を合わせたようなスープに、やや太目な麺と様々な具材という料理だ…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (59)
↑小ぶりな丼に蓋を付けて…これは「往年の出前用」だったらしい…

↓これは、「スープが在るでもない“うどん”を皿で供する」として<皿うどん>と呼び始めた頃のレシピで作るという<皿うどん>だ…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (61)
↑<四海楼>で、<ちゃんぽん>のヴァリエーションということで、焼きそば的なモノを作って供するようになって行ったのだという。現在では、チリチリの堅い麺の<皿うどん>が普及しているので、この「炒めた<ちゃんぽん>の麺」というのは「柔らかい方の<皿うどん>」と呼び習わされていた…

「こうもり傘1本で長崎へ行く船に乗り込み…」と伝えられる創業者が長崎で起こし、伝統的な店として発展した<四海楼>で、「ポピュラーな料理が流行り始めたような頃」を復元した感じの料理を頂いてみるというのは、なかなかに面白い…

実は以前にも頂いてみたことが在って、御無沙汰していたので「再度!」という思いが沸き起こり、<四海楼>へ足を運んでみたのである…

鹿児島の<こむらさき>のラーメン(2017.11.27)

鹿児島中央駅の駅ビル…地下のフロアに飲食店街が在り、「少しだけ遅い昼食」を愉しむこととした…

早朝から動き回っていた関係も在って、前夜以来食事を摂っていなかった…霧島神宮や鹿児島神宮を訪ねた後、鹿児島中央駅に至り、駅ビル地下の飲食店街を思い出した訳だ…

↓「私のチョイス」としては「やや珍しい?」かもしれない…昼食としてラーメンを頂いてみた…
27-11-2018 Kagoshima vol02 (4)

1950(昭和50)年に創業したという<こむらさき>…キャベツが少し多めに入った、細く真直ぐな麺というスタイルは、創業当時からほとんど変わらずに受け継がれているものらしい…これが酷く好い!!

鹿児島市内の繁華街である<天文館>で永く営業している店だが、「鹿児島の玄関」というようなことになる鹿児島中央駅に支店を出して、「鹿児島の味で来訪者を歓迎」ということをして頂いていることになる。

実を言えば、以前にここのラーメンを頂き、「ほんの少し懐かしい…」という気がしていた。今般、立ち寄ることが叶って善かった!!

<賀茂鶴>:西条(広島県)(2018.11.25)

広島の東側…山陽線の列車で広島駅から40分程進むと西条駅が在る。

西条は酒造業が盛んな地域として知られる…盛んになったのは、重量物―清酒の一斗樽のようなモノ…―の輸送を容易にする鉄道の山陽線が通った明治期以降であるという。鉄道で酒を方々に出荷することが出来るので、売上を伸ばして製造量も増やしたということになるのであろう…

そして西条は、幾つもの酒造会社が立地し、独特な景観を見せる町になり、「酒都西条」とまで呼ばれるようになった…

↓「酒都西条」という表現が似合う景観…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (15)
↑「広島県の西条の酒造会社」として広く知られる<賀茂鶴>の辺りである。古くからの「蔵」という造りの建物に、煉瓦造の煙突が組み合わさる感じ…独特で好い…

↓敷地の中にも入ることが出来る…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (7)

↓建物と建物との間…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (10)

↓売店等が設けられていた辺りだ…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (11)

こういうような、西条の独特な景観…強く記憶に残る…また訪ねられるか否かは判らないのだが…こういう景観は受け継がれて欲しいものだ…各酒造会社の銘酒の美味さと共に…

<372>の運転台:長崎(2018.11.28)

↓車輌正面の感じが独特な、少し年季が入った路面電車の運転台付近である…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (53)
↑空いていた電車に乗車し、進行方向とは逆の、乗務員(運転士)が乗務していない側である…

古い車輌だが、画の左上には停留所や運賃等の情報が映るモニターが据えられ、運賃箱は両替機能を備え、加えて長崎地区のICカード乗車券に対応する機器―乗車時に料金を引き落とす機能と、現金をチャージする機能を有する。―が組み込まれている。何か「古くても着実に更新」という感じで、電車は永く走り続けている訳だ…

↓上の運転台はこの車輌のモノだ…
28-11-2018 Nagasaki vol02 (52)
↑<372>は、1962(昭和37)年に製造され、和暦に因んで「370形」と命名された車輌の1輌である…

既に55年間以上働いている車輌だが、「今、求められるモノ」を装備して「使い易さ」を損なわないようにしていることになる。

<ペプシ>の缶…(2018.11.19)

↓少し目に馴染んだ感じの右側の缶に対し、左側の2本の缶は「初めて視た…」という代物だった…
19-11-2018 (1)
↑「少し目に馴染んだ感じ」と思った右側は1990年代のデザイン…真中が1960年代のボトルの蓋、左側は1950年代のラベルを各々デザインした缶だということだ…

世代を超えて愛飲されている…そんなイメージで、永い歴史を誇るメーカーが送り出した企画商品ということであろう…

因みに…ユジノサハリンスクのスーパーでこれを求めているが…ロシアに在って所謂“コーラ”として紹介されて販売された経過は、<ペプシ>が<コカコーラ>よりも先行しているという。前者は1970年代に紹介されて1980年頃に販売されているのに対し、後者は1980年代末に紹介されて1990年代以降に盛んに販売されているのだという…

1950年代、1960年代、1990年代のデザインという缶の<ペプシ>…順次試飲したが…味は変わらなかった…

<宇佐参宮線26号蒸気機関車>(2018.11.26)

↓宇佐神宮の敷地の入口辺りに、古い小さな蒸気機関車が展示されている…
Usa, Oita pref. on 26-11-2018 (5)

「宇佐八幡」こと<宇佐神宮>を訪ねてみようと、宇佐駅に辿り着いた…宇佐駅からバスに乗車しようとしたが、何やら発車時刻まで間が在り過ぎる感だったので…「1300円」という固定料金が設定されているらしいタクシーを利用した。

このタクシー…感じが好かった。運転士さんが色々と必要な情報―観光協会で嵩張る荷物を預かって頂けることや、敷地内は上り下りの坂道が存外に多いというようなこと…―や、<宇佐神宮>を巡る話題提供もしてくれるので、あっという間に<宇佐神宮>に着いてしまった…

タクシーの窓から、この小さな蒸気機関車が見えて「<宇佐神宮>と機関車の関係?」と運転士さんに尋ねれば、「<参宮線>が在った経過」を教えてくれた…

↓この機関車<26号>が走っていた<参宮線>は、1916(大正5)年に開業し、1965(昭和40)年に廃止されている。
Usa, Oita pref. on 26-11-2018 (6)
↑宇佐駅から<宇佐神宮>の間近までの路線で、参拝客や地元住民が利用していた旅客路線だった訳だ…

↓機関車<26号>は<参宮線>そのものよりも古い…1891(明治24)年にドイツのミュンヘンの<クラウス社>で製造され、1894(明治27)年に「九州鉄道」が輸入している…
Usa, Oita pref. on 26-11-2018 (9)
↑「九州鉄道」は後に「国鉄」になっていて、<26号>も活動していたが、大型化した機関車の中で運用し悪くなり、1948(昭和23)年に<参宮線>に譲渡された。

長さ約7.5mで高さが約3.5m、動輪が2組という小さな蒸気機関車の<26号>…通算70年間も活動していた…「所縁の地」で、その勇姿が伝えられていることになる。

遥かな昔からの経過が在る<宇佐神宮>に比べると…相対的に新しい時代に70年間動いた機関車ということになるのだが…何となく見入ってしまった…

<白牡丹 広島の酒 原酒>(2018.12.04)

「東広島市」…広島駅から東へ、山陽線の普通列車で40分程度の西条駅辺りを中心とする自治体だ…1973年に広島大学が西条に移転して、大規模な開発が行われることを契機に周辺の町が合併して登場したのが「東広島市」であると聞いた…

この東広島の中心的な地区であるという西条は、古くは「四日市」と呼ばれる宿場町だった。明治時代に鉄道(山陽線)が開通し、重量物の輸送が容易になったことを受け、酒造業が活性化した。やがて「酒都西条」という呼び方もされる程に酒造業が盛んな地域として知られるようになった。

ということなのだが…この西条に「江戸時代からの伝統を受け継ぐ」という老舗の酒造会社も在る。

<白牡丹>(はくぼたん)がその老舗である。かの関ケ原合戦の時、西軍の石田三成に仕えていたという勇将、島左近の子ども達の1人が京都から安芸に移り住み、その後裔が1675(延宝3)年に酒造業を起こしたという。創業家が島家といい、この1675(延宝3)年と伝えられる故事を以て創業としていて、現在活動している広島県内の酒造会社としては「最古」と目されるそうだ…

過日、この西条に立ち寄って酒蔵を眺めて歩いた際、<白牡丹>に立ち寄り、「寧ろ明治時代以降に酒造が盛んに」という地域の経過の中、「300年の伝統」というお話しを会社の方から伺い、「では、その伝統の美酒を…」とお薦めの逸品を入手して稚内の拙宅へ送ったのだった…

↓これがその<白牡丹>から送ったモノだが…実に「渋い」感じのボトルである…
04-12-2018 (9)

↓古い書簡を写して作った、「在りそうで無い」というような感じのラベルが貼られている…
04-12-2018 (12)

このラベルには<白牡丹>という銘の由来となった故事が示されている…

1840(天保10)年、京都の最高位の公家(「五摂家」と呼ばれた、摂政や関白を輩出した家の一つ)である鷹司家から、家紋に因んだ<白牡丹>という酒銘が島家に贈られた。

「一つ 此の度 御殿より 白牡丹の御銘 下され置き候間以来 入念に酒造致すべき物也」という書簡でこの酒銘を贈る旨が伝えられ、末尾に「以後も酒造に励むように」というメッセージが加えられている。

この大切な書簡の写しがラベルになっているのが、<白牡丹 広島の酒 原酒>である。「原酒」…特段に手を加えない「出来たままの酒」で、一般的な清酒よりやや度数が高い…

↓猪口に注いでみれば…「清酒!!」という芳香が立ち込める…酒粕の仄かな甘みのようなモノがハッキリと感じられるのだが…好い甘みで呑み易い…
04-12-2018 (15)

「ロックも好い」とされているので、氷を満たしたカップに注いでゆったりと頂いてみたが…「冷えて甘い飲料」ということで、非常に楽しい感じで呑むことが出来る…

古くから、身分の在る人達に至るまで親しんでいたという、「酒造好適地」とされる地域が育んだ味…これはなかなかに素晴らしい!!