広島の東側…山陽線の列車で広島駅から40分程進むと西条駅が在る。
西条は酒造業が盛んな地域として知られる…盛んになったのは、重量物―清酒の一斗樽のようなモノ…―の輸送を容易にする鉄道の山陽線が通った明治期以降であるという。鉄道で酒を方々に出荷することが出来るので、売上を伸ばして製造量も増やしたということになるのであろう…
そして西条は、幾つもの酒造会社が立地し、独特な景観を見せる町になり、「酒都西条」とまで呼ばれるようになった…
↓「酒都西条」という表現が似合う景観…
↑「広島県の西条の酒造会社」として広く知られる<賀茂鶴>の辺りである。古くからの「蔵」という造りの建物に、煉瓦造の煙突が組み合わさる感じ…独特で好い…
↓敷地の中にも入ることが出来る…
↓建物と建物との間…
↓売店等が設けられていた辺りだ…
こういうような、西条の独特な景観…強く記憶に残る…また訪ねられるか否かは判らないのだが…こういう景観は受け継がれて欲しいものだ…各酒造会社の銘酒の美味さと共に…
<372>の運転台:長崎(2018.11.28)
↓車輌正面の感じが独特な、少し年季が入った路面電車の運転台付近である…
↑空いていた電車に乗車し、進行方向とは逆の、乗務員(運転士)が乗務していない側である…
古い車輌だが、画の左上には停留所や運賃等の情報が映るモニターが据えられ、運賃箱は両替機能を備え、加えて長崎地区のICカード乗車券に対応する機器―乗車時に料金を引き落とす機能と、現金をチャージする機能を有する。―が組み込まれている。何か「古くても着実に更新」という感じで、電車は永く走り続けている訳だ…
↓上の運転台はこの車輌のモノだ…
↑<372>は、1962(昭和37)年に製造され、和暦に因んで「370形」と命名された車輌の1輌である…
既に55年間以上働いている車輌だが、「今、求められるモノ」を装備して「使い易さ」を損なわないようにしていることになる。
↑空いていた電車に乗車し、進行方向とは逆の、乗務員(運転士)が乗務していない側である…
古い車輌だが、画の左上には停留所や運賃等の情報が映るモニターが据えられ、運賃箱は両替機能を備え、加えて長崎地区のICカード乗車券に対応する機器―乗車時に料金を引き落とす機能と、現金をチャージする機能を有する。―が組み込まれている。何か「古くても着実に更新」という感じで、電車は永く走り続けている訳だ…
↓上の運転台はこの車輌のモノだ…
↑<372>は、1962(昭和37)年に製造され、和暦に因んで「370形」と命名された車輌の1輌である…
既に55年間以上働いている車輌だが、「今、求められるモノ」を装備して「使い易さ」を損なわないようにしていることになる。
<ペプシ>の缶…(2018.11.19)
↓少し目に馴染んだ感じの右側の缶に対し、左側の2本の缶は「初めて視た…」という代物だった…
↑「少し目に馴染んだ感じ」と思った右側は1990年代のデザイン…真中が1960年代のボトルの蓋、左側は1950年代のラベルを各々デザインした缶だということだ…
世代を超えて愛飲されている…そんなイメージで、永い歴史を誇るメーカーが送り出した企画商品ということであろう…
因みに…ユジノサハリンスクのスーパーでこれを求めているが…ロシアに在って所謂“コーラ”として紹介されて販売された経過は、<ペプシ>が<コカコーラ>よりも先行しているという。前者は1970年代に紹介されて1980年頃に販売されているのに対し、後者は1980年代末に紹介されて1990年代以降に盛んに販売されているのだという…
1950年代、1960年代、1990年代のデザインという缶の<ペプシ>…順次試飲したが…味は変わらなかった…
↑「少し目に馴染んだ感じ」と思った右側は1990年代のデザイン…真中が1960年代のボトルの蓋、左側は1950年代のラベルを各々デザインした缶だということだ…
世代を超えて愛飲されている…そんなイメージで、永い歴史を誇るメーカーが送り出した企画商品ということであろう…
因みに…ユジノサハリンスクのスーパーでこれを求めているが…ロシアに在って所謂“コーラ”として紹介されて販売された経過は、<ペプシ>が<コカコーラ>よりも先行しているという。前者は1970年代に紹介されて1980年頃に販売されているのに対し、後者は1980年代末に紹介されて1990年代以降に盛んに販売されているのだという…
1950年代、1960年代、1990年代のデザインという缶の<ペプシ>…順次試飲したが…味は変わらなかった…
<宇佐参宮線26号蒸気機関車>(2018.11.26)
↓宇佐神宮の敷地の入口辺りに、古い小さな蒸気機関車が展示されている…
「宇佐八幡」こと<宇佐神宮>を訪ねてみようと、宇佐駅に辿り着いた…宇佐駅からバスに乗車しようとしたが、何やら発車時刻まで間が在り過ぎる感だったので…「1300円」という固定料金が設定されているらしいタクシーを利用した。
このタクシー…感じが好かった。運転士さんが色々と必要な情報―観光協会で嵩張る荷物を預かって頂けることや、敷地内は上り下りの坂道が存外に多いというようなこと…―や、<宇佐神宮>を巡る話題提供もしてくれるので、あっという間に<宇佐神宮>に着いてしまった…
タクシーの窓から、この小さな蒸気機関車が見えて「<宇佐神宮>と機関車の関係?」と運転士さんに尋ねれば、「<参宮線>が在った経過」を教えてくれた…
↓この機関車<26号>が走っていた<参宮線>は、1916(大正5)年に開業し、1965(昭和40)年に廃止されている。
↑宇佐駅から<宇佐神宮>の間近までの路線で、参拝客や地元住民が利用していた旅客路線だった訳だ…
↓機関車<26号>は<参宮線>そのものよりも古い…1891(明治24)年にドイツのミュンヘンの<クラウス社>で製造され、1894(明治27)年に「九州鉄道」が輸入している…
↑「九州鉄道」は後に「国鉄」になっていて、<26号>も活動していたが、大型化した機関車の中で運用し悪くなり、1948(昭和23)年に<参宮線>に譲渡された。
長さ約7.5mで高さが約3.5m、動輪が2組という小さな蒸気機関車の<26号>…通算70年間も活動していた…「所縁の地」で、その勇姿が伝えられていることになる。
遥かな昔からの経過が在る<宇佐神宮>に比べると…相対的に新しい時代に70年間動いた機関車ということになるのだが…何となく見入ってしまった…
「宇佐八幡」こと<宇佐神宮>を訪ねてみようと、宇佐駅に辿り着いた…宇佐駅からバスに乗車しようとしたが、何やら発車時刻まで間が在り過ぎる感だったので…「1300円」という固定料金が設定されているらしいタクシーを利用した。
このタクシー…感じが好かった。運転士さんが色々と必要な情報―観光協会で嵩張る荷物を預かって頂けることや、敷地内は上り下りの坂道が存外に多いというようなこと…―や、<宇佐神宮>を巡る話題提供もしてくれるので、あっという間に<宇佐神宮>に着いてしまった…
タクシーの窓から、この小さな蒸気機関車が見えて「<宇佐神宮>と機関車の関係?」と運転士さんに尋ねれば、「<参宮線>が在った経過」を教えてくれた…
↓この機関車<26号>が走っていた<参宮線>は、1916(大正5)年に開業し、1965(昭和40)年に廃止されている。
↑宇佐駅から<宇佐神宮>の間近までの路線で、参拝客や地元住民が利用していた旅客路線だった訳だ…
↓機関車<26号>は<参宮線>そのものよりも古い…1891(明治24)年にドイツのミュンヘンの<クラウス社>で製造され、1894(明治27)年に「九州鉄道」が輸入している…
↑「九州鉄道」は後に「国鉄」になっていて、<26号>も活動していたが、大型化した機関車の中で運用し悪くなり、1948(昭和23)年に<参宮線>に譲渡された。
長さ約7.5mで高さが約3.5m、動輪が2組という小さな蒸気機関車の<26号>…通算70年間も活動していた…「所縁の地」で、その勇姿が伝えられていることになる。
遥かな昔からの経過が在る<宇佐神宮>に比べると…相対的に新しい時代に70年間動いた機関車ということになるのだが…何となく見入ってしまった…
<白牡丹 広島の酒 原酒>(2018.12.04)
「東広島市」…広島駅から東へ、山陽線の普通列車で40分程度の西条駅辺りを中心とする自治体だ…1973年に広島大学が西条に移転して、大規模な開発が行われることを契機に周辺の町が合併して登場したのが「東広島市」であると聞いた…
この東広島の中心的な地区であるという西条は、古くは「四日市」と呼ばれる宿場町だった。明治時代に鉄道(山陽線)が開通し、重量物の輸送が容易になったことを受け、酒造業が活性化した。やがて「酒都西条」という呼び方もされる程に酒造業が盛んな地域として知られるようになった。
ということなのだが…この西条に「江戸時代からの伝統を受け継ぐ」という老舗の酒造会社も在る。
<白牡丹>(はくぼたん)がその老舗である。かの関ケ原合戦の時、西軍の石田三成に仕えていたという勇将、島左近の子ども達の1人が京都から安芸に移り住み、その後裔が1675(延宝3)年に酒造業を起こしたという。創業家が島家といい、この1675(延宝3)年と伝えられる故事を以て創業としていて、現在活動している広島県内の酒造会社としては「最古」と目されるそうだ…
過日、この西条に立ち寄って酒蔵を眺めて歩いた際、<白牡丹>に立ち寄り、「寧ろ明治時代以降に酒造が盛んに」という地域の経過の中、「300年の伝統」というお話しを会社の方から伺い、「では、その伝統の美酒を…」とお薦めの逸品を入手して稚内の拙宅へ送ったのだった…
↓これがその<白牡丹>から送ったモノだが…実に「渋い」感じのボトルである…
↓古い書簡を写して作った、「在りそうで無い」というような感じのラベルが貼られている…
このラベルには<白牡丹>という銘の由来となった故事が示されている…
1840(天保10)年、京都の最高位の公家(「五摂家」と呼ばれた、摂政や関白を輩出した家の一つ)である鷹司家から、家紋に因んだ<白牡丹>という酒銘が島家に贈られた。
「一つ 此の度 御殿より 白牡丹の御銘 下され置き候間以来 入念に酒造致すべき物也」という書簡でこの酒銘を贈る旨が伝えられ、末尾に「以後も酒造に励むように」というメッセージが加えられている。
この大切な書簡の写しがラベルになっているのが、<白牡丹 広島の酒 原酒>である。「原酒」…特段に手を加えない「出来たままの酒」で、一般的な清酒よりやや度数が高い…
↓猪口に注いでみれば…「清酒!!」という芳香が立ち込める…酒粕の仄かな甘みのようなモノがハッキリと感じられるのだが…好い甘みで呑み易い…
「ロックも好い」とされているので、氷を満たしたカップに注いでゆったりと頂いてみたが…「冷えて甘い飲料」ということで、非常に楽しい感じで呑むことが出来る…
古くから、身分の在る人達に至るまで親しんでいたという、「酒造好適地」とされる地域が育んだ味…これはなかなかに素晴らしい!!
この東広島の中心的な地区であるという西条は、古くは「四日市」と呼ばれる宿場町だった。明治時代に鉄道(山陽線)が開通し、重量物の輸送が容易になったことを受け、酒造業が活性化した。やがて「酒都西条」という呼び方もされる程に酒造業が盛んな地域として知られるようになった。
ということなのだが…この西条に「江戸時代からの伝統を受け継ぐ」という老舗の酒造会社も在る。
<白牡丹>(はくぼたん)がその老舗である。かの関ケ原合戦の時、西軍の石田三成に仕えていたという勇将、島左近の子ども達の1人が京都から安芸に移り住み、その後裔が1675(延宝3)年に酒造業を起こしたという。創業家が島家といい、この1675(延宝3)年と伝えられる故事を以て創業としていて、現在活動している広島県内の酒造会社としては「最古」と目されるそうだ…
過日、この西条に立ち寄って酒蔵を眺めて歩いた際、<白牡丹>に立ち寄り、「寧ろ明治時代以降に酒造が盛んに」という地域の経過の中、「300年の伝統」というお話しを会社の方から伺い、「では、その伝統の美酒を…」とお薦めの逸品を入手して稚内の拙宅へ送ったのだった…
↓これがその<白牡丹>から送ったモノだが…実に「渋い」感じのボトルである…
↓古い書簡を写して作った、「在りそうで無い」というような感じのラベルが貼られている…
このラベルには<白牡丹>という銘の由来となった故事が示されている…
1840(天保10)年、京都の最高位の公家(「五摂家」と呼ばれた、摂政や関白を輩出した家の一つ)である鷹司家から、家紋に因んだ<白牡丹>という酒銘が島家に贈られた。
「一つ 此の度 御殿より 白牡丹の御銘 下され置き候間以来 入念に酒造致すべき物也」という書簡でこの酒銘を贈る旨が伝えられ、末尾に「以後も酒造に励むように」というメッセージが加えられている。
この大切な書簡の写しがラベルになっているのが、<白牡丹 広島の酒 原酒>である。「原酒」…特段に手を加えない「出来たままの酒」で、一般的な清酒よりやや度数が高い…
↓猪口に注いでみれば…「清酒!!」という芳香が立ち込める…酒粕の仄かな甘みのようなモノがハッキリと感じられるのだが…好い甘みで呑み易い…
「ロックも好い」とされているので、氷を満たしたカップに注いでゆったりと頂いてみたが…「冷えて甘い飲料」ということで、非常に楽しい感じで呑むことが出来る…
古くから、身分の在る人達に至るまで親しんでいたという、「酒造好適地」とされる地域が育んだ味…これはなかなかに素晴らしい!!