前日の強風という状況は鳴りを潜め、静かな朝を迎えた…
↓鏡面のような海面に、上る朝陽の姿が雲と共に映り込む…
好い感じの朝だ…
鴨都波神社(かもつばじんじゃ):奈良県御所市(2019.04.02)
<松山西口関門>:奈良県宇陀市(2019.04.02)
大阪と名古屋とを結ぶ近鉄の沿線、奈良県のやや東寄りに在る榛原駅からバスに乗って大宇陀という場所へ…そこには「宇陀松山」と呼ばれた城下町の面影を伝える、古い建物が独特な雰囲気を醸し出す地区が在る…
↓その城下町の面影を伝える地区の端に相当する辺りに門が在る…
↑城下町の出入口であったと思わせる設えだ…
↓碧空にやや多めな雲が流れるというような天候だった…
宇陀松山は…関ケ原合戦の後に福島家の本拠になったが、「大坂夏の陣」の頃に改易となった…そして、その頃未だ存命だった織田信長の次男の織田信雄がこの地を与えられた…以降、織田家が宇陀松山を世襲していくが、4代目の織田信武が<宇陀崩れ>と呼ばれる“お家騒動”で自殺してしまった…5代目は織田信休が継ぐが、転封となり、宇陀松山の大名家は途絶えてしまった…
↓この門を、どんな人達が通り抜けたのか?色々と考えながら暫し眺めていた…
↓その城下町の面影を伝える地区の端に相当する辺りに門が在る…
↑城下町の出入口であったと思わせる設えだ…
↓碧空にやや多めな雲が流れるというような天候だった…
宇陀松山は…関ケ原合戦の後に福島家の本拠になったが、「大坂夏の陣」の頃に改易となった…そして、その頃未だ存命だった織田信長の次男の織田信雄がこの地を与えられた…以降、織田家が宇陀松山を世襲していくが、4代目の織田信武が<宇陀崩れ>と呼ばれる“お家騒動”で自殺してしまった…5代目は織田信休が継ぐが、転封となり、宇陀松山の大名家は途絶えてしまった…
↓この門を、どんな人達が通り抜けたのか?色々と考えながら暫し眺めていた…
キハ54:名寄駅(2019.04.06)
キハ54:旭川駅(2019.04.06)
「旭川から稚内へ北上」というコースでの移動は、自身の中で“定番”のようになっている。が、「早朝の普通列車」というのは少し御無沙汰だった…
静岡駅で求めて利用していた<青春18きっぷ>…未だ1回使用可能だったことから…旭川で夜を明かした後、この「早朝の普通列車」に乗車してみることにした…
↓休日の土曜日は乗客がやや少ないが…列車はキハ54が前、キハ40が後ろの2輌で現れる…
↑後ろのキハ40は名寄駅で切り離す…
↓後ろ側に廻り込めば、こういう具合に見える…
↓以前は…「旭川⇔稚内」という行先表示が出たものだったが…何やら「宗谷線」というようになっている…
↓他の乗客が乗車する前に乗車した…
↓この列車…6時3分に出て、稚内には12時8分…やや長い運行で、途中で少し長い停車も在る…
↓車内では…こういうモノを何となく頂く場合も…
少し暫く振りに乗車したが…この列車での移動も悪くはない…
静岡駅で求めて利用していた<青春18きっぷ>…未だ1回使用可能だったことから…旭川で夜を明かした後、この「早朝の普通列車」に乗車してみることにした…
↓休日の土曜日は乗客がやや少ないが…列車はキハ54が前、キハ40が後ろの2輌で現れる…
↑後ろのキハ40は名寄駅で切り離す…
↓後ろ側に廻り込めば、こういう具合に見える…
↓以前は…「旭川⇔稚内」という行先表示が出たものだったが…何やら「宗谷線」というようになっている…
↓他の乗客が乗車する前に乗車した…
↓この列車…6時3分に出て、稚内には12時8分…やや長い運行で、途中で少し長い停車も在る…
↓車内では…こういうモノを何となく頂く場合も…
少し暫く振りに乗車したが…この列車での移動も悪くはない…