巷では「モチベーションが上がらない」というような表現が多用されているのかもしれない。何となく「前向きに何かに向かって行く意欲に少々欠ける」とか「何かをやる動機付けが弱め」というのが「モチベーションが上がらない」ということであろうか?
そんな「モチベーションが上がらない」という表現を思い出していたが、結局、最近は「意欲的に何かをやる気分が盛り上がり悪い」というように…感じている…
こういうような気分の時は…「好きなこと」にでも興じるのが好いのであろう…私の場合、その「好きなこと」というのは?「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」とか「写真を撮る」という程度のことなのだと思う…他には「読書」というのも在ろうが、これは何時でもやっている…
「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」と「写真を撮る」とであるが、これは“同時並行”で進めるような事柄になる。「出掛けたから写真を撮る…」のか「写真を撮るべく出掛ける…」のか、両者が混淆してしまって、何やら訳が分からなくなって久しい…
今般…「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」という時間を設けてみた…出掛ける際の持物だが…とりあえずカメラは絶対に忘れずに抱えて出る…「出掛けたから写真を撮る…」のか「写真を撮るべく出掛ける…」のかが益々判らなくなってしまう…
かなり古いヒット曲―私自身が小学校の低学年だったような時代の作品だ…―の歌詞に「行ったきりなら幸せになるがいい♪」というのが在った…そんな歌詞の文字どおりに、何処かへ出掛けて、そのまま彷徨い続けているというのも面白いかもしれないが…全く戻らないということにもなり悪い…そういう訳で「出先から引揚げる段取り」は既に考えてある…他方…その「段取り」に入り以前の状況に関しては…然程深く考えていない…
例えば、複数の関係者で纏まって動き回るとか、行程の中で他所の方と約束をして会うというようなことであれば、「予め細々と、ゆとりを十二分に持って行程を決めて、“馬鹿正直”に決めたとおり(!)に動く」というのが大原則だと思う。それが出来ないとか、細々とその場で変更したがるというなら、複数の関係者で纏まって動き回るとか、行程の中で他所の方と約束をして会うというようなことは最初から「止めてしまえ!」と個人的には思っている。他方…自身が「独り」で、特段に誰かと会う約束のようなことを事前に一切しない、文字どおりの「勝手気儘な物見遊山」であれば…「どうしても必要か?」と思って事前に決めた段取り以外は「好き勝手」で構わない筈だ…
私の流儀の「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」というのは…その「好き勝手」で差し支えが無い性質のものだと思う…が…例えば「今日は何が食べたい?」とでも身近な人に問うた時に「何でも構わない…」とでも応えられると困惑してしまう場合が在るというように、「決めた段取りに至るまでは全くの随意」ということで出掛けるとなれば、「さて…どうしようか?」ということになってしまう…
私の場合…「訪ねてみたい」とか「立寄ってみたい」という場所は、誇張でも何でもなく、毎週とか毎日というように「ドンドン増える」という一方だ。一度訪ねている場所に関しても「あそこを再訪」と思い出す頻度も非常に高い…全く際限が無い…
今般…「稚内へ引揚げる段取り」ということにする以前は、とりあえず然程深く考えていないのだが…「訪ねてみたい」とか「立寄ってみたい」という場所が余りにも多く…「こういうのが好さそう」というのを幾つも幾つも思い浮かべ、「どういう具合??」と延々と迷い続けている…
例えば…“第1案”というようなモノを思い付いたとして…その“第1案”の「軽微な変更」というようなモノが直ぐに3つ程度は思い浮かぶ…やがて“第2案”というようなモノを思い付き…そのヴァリエーションを4つも5つも思い付いてしまう…そのうちに“第1案”と“第2案”との“折衷案”のようなことを考えるが、今度は“折衷案”のヴァリエーションが2つや3つ出て来る…やがて“第1案”に戻るが、今度はこれまで思い付かなかった「軽微な変更」を思い付き、やがてそれのヴァリエーションが幾つか…流石に「収拾困難…」となってしまう…というような具合なのだ…
色々と細々としたことをやってみる、或いは食事を愉しむということをしながら、上述例のような「際限の無い考え事」を続けていたが…“結論”、或いは「結論めいた何か」が何時までも纏まらない…今般は…例えば「西へ行こうと駅へ向かい、南へ向かう列車に乗車してしまい、何となくそのまま西ではなく南に進んでしまった…」という馬鹿々々しいことをしたとしても、誰かに咎められるのでもなく、差障りも無いのだ…
今夜は休む…“結論”?明日、実際に動けばハッキリすることであろう…
新たに…
このブログに新しいカテゴリを設けることとした…
ランダムに、方々で撮ったモノクロ写真を掲出する記事が中心のこのブログでは、原則として「(国内の場合は)写真撮影地の都道府県」ということでカテゴリを設けている。故に「これまでに当該都道府県で撮った写真が無かったが、新たに加えたい」という場面で“○○県”という具合にカテゴリを新設していた。
今般は…そういうモノと性質を異にする…
最近は「写真を撮る」と思い立った場合にモノクロが占める割合が高くなった…何処かで写真を撮って、“備忘録”的な性質も帯びるが、何に興味を覚えて、どんな状態で写真を撮ったのか、或いは訪ねた場所や撮影したモノに関することを各記事に綴っている。そういうことは、このブログの以前から手掛けているのだが、最近は「先ずはモノクロから…」という場合も増えている。
そういう状況を踏まえ…このブログの中に新カテゴリを設定し、そこに「カメラを抱えて出掛けてみた記憶」と「その出掛けた辺りで考えていたこと」等々を綴ってみようと思う。
考えてみると…私は「出掛ける」という場面で、他の方に伝えると「!?」という反応が在る場合も排除し得ないような、「(客観的に)不思議」な動きをする場合も在ると思われる。そういうことに関して、記憶が鮮明な中で綴っておくというのは、自身にとって無駄ではない。このブログの読者諸賢にとっても面白い場合も在るかもしれない…
実は…「月が改まる日」でもある土曜日から…一寸だけ出掛ける…それを契機にこんなことを思い付いた訳だ…
このブログでは、例えば「4月の旅で撮った画の後に2月の旅のモノが登場し、その後は7月の画が登場」と“時系列”を尊重しているのでもない記事作成をしている。それは多分続く…他方、この新カテゴリの内容で「動いた時系列」を後から或る程度追跡出来る訳だ…
新カテゴリは<память>(パーミャチ)と名付ける…「記憶」という程の意味だ…
ランダムに、方々で撮ったモノクロ写真を掲出する記事が中心のこのブログでは、原則として「(国内の場合は)写真撮影地の都道府県」ということでカテゴリを設けている。故に「これまでに当該都道府県で撮った写真が無かったが、新たに加えたい」という場面で“○○県”という具合にカテゴリを新設していた。
今般は…そういうモノと性質を異にする…
最近は「写真を撮る」と思い立った場合にモノクロが占める割合が高くなった…何処かで写真を撮って、“備忘録”的な性質も帯びるが、何に興味を覚えて、どんな状態で写真を撮ったのか、或いは訪ねた場所や撮影したモノに関することを各記事に綴っている。そういうことは、このブログの以前から手掛けているのだが、最近は「先ずはモノクロから…」という場合も増えている。
そういう状況を踏まえ…このブログの中に新カテゴリを設定し、そこに「カメラを抱えて出掛けてみた記憶」と「その出掛けた辺りで考えていたこと」等々を綴ってみようと思う。
考えてみると…私は「出掛ける」という場面で、他の方に伝えると「!?」という反応が在る場合も排除し得ないような、「(客観的に)不思議」な動きをする場合も在ると思われる。そういうことに関して、記憶が鮮明な中で綴っておくというのは、自身にとって無駄ではない。このブログの読者諸賢にとっても面白い場合も在るかもしれない…
実は…「月が改まる日」でもある土曜日から…一寸だけ出掛ける…それを契機にこんなことを思い付いた訳だ…
このブログでは、例えば「4月の旅で撮った画の後に2月の旅のモノが登場し、その後は7月の画が登場」と“時系列”を尊重しているのでもない記事作成をしている。それは多分続く…他方、この新カテゴリの内容で「動いた時系列」を後から或る程度追跡出来る訳だ…
新カテゴリは<память>(パーミャチ)と名付ける…「記憶」という程の意味だ…
高札場…:東海道 関宿の面影(2019.04.01)
<玉屋>:東海道 関宿の面影(2019.04.01)
↓「江戸時代の人!?」と少々驚いた…少し“リアルタイプ”に設えた人形が据えられていたのだった…
↑ここは関宿で色々な人達が利用した宿泊施設で“旅籠”(はたご)と呼ばれたモノの中、なかなかに知名度が高かったという<玉屋>だった建物の中だ…幕末期頃の、旅籠のオーナーをイメージした人形が造られている訳だ。
↓旅人が休んだ部屋の感じが再現されていた…
↓台所が在るような辺りだ…
↓旅籠の屋号の「たまや」という文字、地名の「セキ」という文字が見える徳利が在った…ここに伝わるモノであろう…
↓中庭のようになっている場所に井戸が在る…
↓奥まった箇所に蔵も在った…
この<玉屋>は現在残っている建物よりも規模が大きかったというが、明治時代以降に宿泊施設としての規模縮小で建物の一部を壊して改装したのだという。やがて宿泊施設としての営業を止めた後、オーナー一族(上の写真の人形のモデルになった人の後裔に相当する人達)が住宅として使っていて、やがて資料館になって行ったのだという。
ここを見学すると…何となく「江戸時代に東海道を往来していた人」にでもなったような気分になる。
↑ここは関宿で色々な人達が利用した宿泊施設で“旅籠”(はたご)と呼ばれたモノの中、なかなかに知名度が高かったという<玉屋>だった建物の中だ…幕末期頃の、旅籠のオーナーをイメージした人形が造られている訳だ。
↓旅人が休んだ部屋の感じが再現されていた…
↓台所が在るような辺りだ…
↓旅籠の屋号の「たまや」という文字、地名の「セキ」という文字が見える徳利が在った…ここに伝わるモノであろう…
↓中庭のようになっている場所に井戸が在る…
↓奥まった箇所に蔵も在った…
この<玉屋>は現在残っている建物よりも規模が大きかったというが、明治時代以降に宿泊施設としての規模縮小で建物の一部を壊して改装したのだという。やがて宿泊施設としての営業を止めた後、オーナー一族(上の写真の人形のモデルになった人の後裔に相当する人達)が住宅として使っていて、やがて資料館になって行ったのだという。
ここを見学すると…何となく「江戸時代に東海道を往来していた人」にでもなったような気分になる。
朝陽と月と…:稚内港北防波堤ドーム(2019.05.30)
海面を流れる雲…未だ残る月…:稚内港北防波堤ドーム(2019.05.30)
“漢字”?“ひらがな”?:東海道 関宿の面影(2019.04.01)
↓古くからの面影が在る老舗…店の真中、高い辺りに看板が掲げられている…
↑看板は“漢字”で書かれている…
↓反対側で看板を見る…
↑流麗(に過ぎるよう)な書体で、やや読み悪いが…「の」と“ひらがな”が見える…
実はこの“漢字”と“ひらがな”の使い分けは、東海道では広く普及したやり方らしい…“漢字”は「東の方向=江戸へ行き着く」、“ひらがな”は「西の方向=京都へ行き着く」ということになっているのだそうだ…言われてみて、何となく見たが…なるほど、そういう仕掛けだった。この地点の場合、東が関駅であると地図を見て承知していたので、「確かに東=“漢字”は関駅=東だ…」と納得した…
↓少し通を進んでみた…画の左側に「あいづや」と“ひらがな”が在る…
↓回り込んで、看板の反対側を見ると「會津屋」と“漢字”だ…
「會津屋=あいづや」というのは、嘗ては旅籠(はたご)であったのだという。現在は何かの店であるようだが、“史跡”と言うべき「嘗ての旅籠」として看板を残している訳だ…
江戸時代を通じて栄えた宿場町…細かい工夫が在るようで面白い…
↑看板は“漢字”で書かれている…
↓反対側で看板を見る…
↑流麗(に過ぎるよう)な書体で、やや読み悪いが…「の」と“ひらがな”が見える…
実はこの“漢字”と“ひらがな”の使い分けは、東海道では広く普及したやり方らしい…“漢字”は「東の方向=江戸へ行き着く」、“ひらがな”は「西の方向=京都へ行き着く」ということになっているのだそうだ…言われてみて、何となく見たが…なるほど、そういう仕掛けだった。この地点の場合、東が関駅であると地図を見て承知していたので、「確かに東=“漢字”は関駅=東だ…」と納得した…
↓少し通を進んでみた…画の左側に「あいづや」と“ひらがな”が在る…
↓回り込んで、看板の反対側を見ると「會津屋」と“漢字”だ…
「會津屋=あいづや」というのは、嘗ては旅籠(はたご)であったのだという。現在は何かの店であるようだが、“史跡”と言うべき「嘗ての旅籠」として看板を残している訳だ…
江戸時代を通じて栄えた宿場町…細かい工夫が在るようで面白い…
破風…:東海道 関宿の面影(2019.04.01)
滑らかな海面…:稚内港北防波堤ドーム(2019.05.28)
週末から…「風が強い…」という状況が続いていた…
「風が強い…」ということ自体は特殊とも言い難いが、「屋内に在って、強風由来の雑多な音が色々と聞こえる」という状況が朝から夜まで、数日に亘って継続するということ…そして戸外に出ると、身体を何方に向けてみても「風に圧される」ように感じて動き悪い感じが随時発生ということ…こういうようになると、少しばかり異様である…
朝…そういう状況が落ち着いているように見えたので、戸外に一寸だけ出てみた…
↓「穏やかな朝」という風情が還って来たというように感じた…
↑海面が滑らかな揺らぎ方というような感だ…
↓眼を転じると、少しずつ日が高くなって来た…
夏季には…上がる朝陽と稚内港北防波堤ドームとの「間」が開くような感じになる…そして、朝陽の光の強めな干渉で空が染まるという時間帯も…酷く早い、或いは過ぎる程度に早いという感じになってしまう…
早朝は好天を思わせる感だったが…何となく雲が多くなり、少しばかり薄暗い朝になってしまっている…小雨も交じった…
「風が強い…」ということ自体は特殊とも言い難いが、「屋内に在って、強風由来の雑多な音が色々と聞こえる」という状況が朝から夜まで、数日に亘って継続するということ…そして戸外に出ると、身体を何方に向けてみても「風に圧される」ように感じて動き悪い感じが随時発生ということ…こういうようになると、少しばかり異様である…
朝…そういう状況が落ち着いているように見えたので、戸外に一寸だけ出てみた…
↓「穏やかな朝」という風情が還って来たというように感じた…
↑海面が滑らかな揺らぎ方というような感だ…
↓眼を転じると、少しずつ日が高くなって来た…
夏季には…上がる朝陽と稚内港北防波堤ドームとの「間」が開くような感じになる…そして、朝陽の光の強めな干渉で空が染まるという時間帯も…酷く早い、或いは過ぎる程度に早いという感じになってしまう…
早朝は好天を思わせる感だったが…何となく雲が多くなり、少しばかり薄暗い朝になってしまっている…小雨も交じった…
屋根…:東海道 関宿の面影(2019.04.01)
JRの関西本線…東側は“名古屋圏”という趣で、西側は“大阪圏”という趣であるのに対し、真中に相当する亀山から加茂の区間は、1輌のディーゼルカーが行き交う「ローカル線…」な感じだ…駅間距離も長く、北海道内の鉄道と錯覚するような乗り心地だ…
東側でディーゼルカーの運行が始まる亀山から1駅で関に到着する…
↓関駅の様子である…
>>キハ120:関駅(2019.04.01)
関駅の直ぐ前に、概ね嘗ての東海道に築かれたという「国道1号」が通っているが…そこを渡って、傾斜になっている辺りを上がると…本当に嘗ての東海道だった場所に至る…
↓こういう感じの場所だ…
↑建物の2階部分に上がって、街並みの感じを見下ろすことが出来るようになっている場所が在る…
関は、江戸時代には東海道の宿場町として賑わった場所である。見えている場所が東海道の一部に沿って拓けた街で、ここを色々な人達が行き交っていたのである。
↓江戸時代の後…明治時代に鉄道が発達する等し、東海道を行き交う旅人は少なくなって行った…そういう中で街の営みがそれなりに続く…他方で、新たなモノが大々的に入ったでもなく、古いモノが少々多く残った…
現在では「街並みの保存」に配意がなされているが…ここは強い問題意識というのでもなく、かなり自然に古い町並みが残っていた経過が在ったというように聞く…幕末期までの建物、明治期の建物が多く在る一画…興味深いものが在った…
東側でディーゼルカーの運行が始まる亀山から1駅で関に到着する…
↓関駅の様子である…
>>キハ120:関駅(2019.04.01)
関駅の直ぐ前に、概ね嘗ての東海道に築かれたという「国道1号」が通っているが…そこを渡って、傾斜になっている辺りを上がると…本当に嘗ての東海道だった場所に至る…
↓こういう感じの場所だ…
↑建物の2階部分に上がって、街並みの感じを見下ろすことが出来るようになっている場所が在る…
関は、江戸時代には東海道の宿場町として賑わった場所である。見えている場所が東海道の一部に沿って拓けた街で、ここを色々な人達が行き交っていたのである。
↓江戸時代の後…明治時代に鉄道が発達する等し、東海道を行き交う旅人は少なくなって行った…そういう中で街の営みがそれなりに続く…他方で、新たなモノが大々的に入ったでもなく、古いモノが少々多く残った…
現在では「街並みの保存」に配意がなされているが…ここは強い問題意識というのでもなく、かなり自然に古い町並みが残っていた経過が在ったというように聞く…幕末期までの建物、明治期の建物が多く在る一画…興味深いものが在った…
利尻富士を望む…:ノシャップ岬…(2019.05.23)
日没…:ノシャップ岬…(2019.05.23)
223系電車:和歌山駅(2019.02.27)
↓和歌山から移動しようと、駅のホームに出てみれば、大阪方面の列車が待機中だった…
↑223系という型だ…1993年から2008年に掛けて、927輌が製造されたのだという…関西では随分な頻度で見掛ける車輌だ…
↓発車まで間が在って、他の乗客が見当たらない状況なので、車内の様子も写真に収めた…
↑関西空港に乗入れる列車に使われる場合も在る車輌なので、大き目な荷物を持った乗客も多い…そこで「2列+1列」の座席配置として、モノを置くことも出来るようにしたらしい…
地域毎に色々と車輌にも工夫が施されるというものだ…何かこういう「JR西日本の車輌」というような写真を眺めていると…また、これらに乗車可能な場所を訪ねてみたい気分になる…
↑223系という型だ…1993年から2008年に掛けて、927輌が製造されたのだという…関西では随分な頻度で見掛ける車輌だ…
↓発車まで間が在って、他の乗客が見当たらない状況なので、車内の様子も写真に収めた…
↑関西空港に乗入れる列車に使われる場合も在る車輌なので、大き目な荷物を持った乗客も多い…そこで「2列+1列」の座席配置として、モノを置くことも出来るようにしたらしい…
地域毎に色々と車輌にも工夫が施されるというものだ…何かこういう「JR西日本の車輌」というような写真を眺めていると…また、これらに乗車可能な場所を訪ねてみたい気分になる…
「おはようございます…」:極々近所にエゾシカ…(2019.05.22)
何処の地域にも「他所では“考え悪い??”と見受けられる妙な状況…」というモノが在るのかもしれないが…
↓拙宅の玄関扉を開けて、眼の前に見える光景である…
↑玄関前の通を挟んで駐車場が設えられている…利用している車輛の駐車が見受けられる程度の時間帯に至って…エゾシカだ…2頭のペアだ…
こういうのも視ると…「おはようございます…」と思わず挨拶してみたくなるが…やがて「Good morning! How are you?」とか「Доброе утро! Как дела?」とか、「多分、日本語は通じない…」と外国語のフレーズを思い浮かべてしまったりもする…
↓順路が決まっているのか、多少のバラつきも在るのか、幾つかのグループのエゾシカが辺りを日常的に動き回っているように見受けられる…
↑この2頭…左の牡の角を視ると「若い?」感じがするので、「若年カップル」という按配だろうか?
この時季のエゾシカだが…「冬の毛」が「夏の毛」に替る時季であるらしく、何となく「散発の途中の少々乱れた髪」のような毛の状態に見える場合が在る…
「玄関の扉を開けると、目の前の駐車場にエゾシカ…」と話しのタネにしているのだが…とうとう写真に撮った…
↓拙宅の玄関扉を開けて、眼の前に見える光景である…
↑玄関前の通を挟んで駐車場が設えられている…利用している車輛の駐車が見受けられる程度の時間帯に至って…エゾシカだ…2頭のペアだ…
こういうのも視ると…「おはようございます…」と思わず挨拶してみたくなるが…やがて「Good morning! How are you?」とか「Доброе утро! Как дела?」とか、「多分、日本語は通じない…」と外国語のフレーズを思い浮かべてしまったりもする…
↓順路が決まっているのか、多少のバラつきも在るのか、幾つかのグループのエゾシカが辺りを日常的に動き回っているように見受けられる…
↑この2頭…左の牡の角を視ると「若い?」感じがするので、「若年カップル」という按配だろうか?
この時季のエゾシカだが…「冬の毛」が「夏の毛」に替る時季であるらしく、何となく「散発の途中の少々乱れた髪」のような毛の状態に見える場合が在る…
「玄関の扉を開けると、目の前の駐車場にエゾシカ…」と話しのタネにしているのだが…とうとう写真に撮った…
<うにクリームパスタ>(2019.05.22)
極近所に、「用が在ったら…ここへ電話してくれ…」と嘯いてしまう程度の頻度で食事に寄る店が在る…(本当に電話が架かって来たことも在る…)
日頃の気に入っている各メニューが好いので寄る訳だが…材料が入手し易い時季に、数量限定で「一寸変わったモノ」を供してくれる場合も在るので、そういうモノを愉しむ場合も多い…
↓昨日から…こういうモノが登場した!!
↑今が時季!!生ウニを使ったパスタだ!!
クリーム系のソースを使ったパスタと生ウニ…余り視掛けない組み合わせかも知れないが…酷く好かった!!
↓「美味しいモノは直ぐに無くなる…(=速攻で完食してしまう…)」ので、その姿を記録に残そうと、頂く前に確りと写真に収めた次第…
本当に「材料が入手し易い時季に、数量限定」の代物…提供可能な期間に再度、再々度御願いしてみたい代物だ…
誰にも知らせないで、自分だけで愉しみたいような気にさえなる代物だが…それでも非常に美味く、見栄えも好いので、こういう具合に纏めてしまった…
日頃の気に入っている各メニューが好いので寄る訳だが…材料が入手し易い時季に、数量限定で「一寸変わったモノ」を供してくれる場合も在るので、そういうモノを愉しむ場合も多い…
↓昨日から…こういうモノが登場した!!
↑今が時季!!生ウニを使ったパスタだ!!
クリーム系のソースを使ったパスタと生ウニ…余り視掛けない組み合わせかも知れないが…酷く好かった!!
↓「美味しいモノは直ぐに無くなる…(=速攻で完食してしまう…)」ので、その姿を記録に残そうと、頂く前に確りと写真に収めた次第…
本当に「材料が入手し易い時季に、数量限定」の代物…提供可能な期間に再度、再々度御願いしてみたい代物だ…
誰にも知らせないで、自分だけで愉しみたいような気にさえなる代物だが…それでも非常に美味く、見栄えも好いので、こういう具合に纏めてしまった…
身延線の313系電車:富士駅(2019.03.31)
早朝の静岡駅を発ち、東へ進んで富士駅に至る…
富士駅では…富士宮方面へ向かう身延線の列車が程無く出ることを乗っていた列車内の案内で知った…
↓東海道線を行きかう長めな編成の列車に乗っていたので…身延線の列車は随分と短く、可愛らしい感じに見えた…
この車輌は313系電車である。2輌編成、3輌編成、4輌編成、6輌編成で各線区の輸送事情に合わせた形で運用されているようだ…身延線は、最小の2輌編成の列車が走っていた…
313系電車は、国鉄時代からの車輌と置き換えようとJR東海が1999年から投入しているものである。1999年から2014年の15年間で539輌が製造されたそうだ。
この日、富士・富士宮間の身延線で313系電車に乗車したのだが、JR東海の各路線では、この「身延線に進入可能な大きさ」というのが「(車輛の)最小サイズ」となるらしい。313系電車はこの基準をクリアしているので、JR東海の直流電化区間であれば何処にでも入って走行可能なのだという…
なるほど…JR東海のエリアで、この車輌は随分と見掛けた…
富士駅では…富士宮方面へ向かう身延線の列車が程無く出ることを乗っていた列車内の案内で知った…
↓東海道線を行きかう長めな編成の列車に乗っていたので…身延線の列車は随分と短く、可愛らしい感じに見えた…
この車輌は313系電車である。2輌編成、3輌編成、4輌編成、6輌編成で各線区の輸送事情に合わせた形で運用されているようだ…身延線は、最小の2輌編成の列車が走っていた…
313系電車は、国鉄時代からの車輌と置き換えようとJR東海が1999年から投入しているものである。1999年から2014年の15年間で539輌が製造されたそうだ。
この日、富士・富士宮間の身延線で313系電車に乗車したのだが、JR東海の各路線では、この「身延線に進入可能な大きさ」というのが「(車輛の)最小サイズ」となるらしい。313系電車はこの基準をクリアしているので、JR東海の直流電化区間であれば何処にでも入って走行可能なのだという…
なるほど…JR東海のエリアで、この車輌は随分と見掛けた…
一頭で行く…:稚内市中央…(2019.05.21)
稚内港北防波堤ドーム(2019.05.21)
「直火式」で淹れたエスプレッソ…(2019.05.19)
休日の日曜日…午後のひと時…馴染んだカフェでゆっくりと…
店のメニューに「エスプレッソ」と在る…で、店内に何やらマシーンが据えられているのでもない…
↓こういう具合のエスプレッソだ…
↑イタリア等の欧州諸国でポピュラーな「直火式」の器具を使ってエスプレッソを淹れてくれる店なのだ…
以前からこの方式であることは承知していたが…久しぶりにお願いして淹れていただいた…
「その<アレッシィ>の器具で淹れるのが好いですね…」という話しになり、店主氏はカウンターに新聞紙を敷いて一寸置いてみてくれた…“撮影セッション”となった次第だ…
↓「欧州諸国の珈琲好きが自宅等で楽しむ一杯」という趣の味…稚内の御近所の店で愉しむことが叶うのは幸いだ…
店のメニューに「エスプレッソ」と在る…で、店内に何やらマシーンが据えられているのでもない…
↓こういう具合のエスプレッソだ…
↑イタリア等の欧州諸国でポピュラーな「直火式」の器具を使ってエスプレッソを淹れてくれる店なのだ…
以前からこの方式であることは承知していたが…久しぶりにお願いして淹れていただいた…
「その<アレッシィ>の器具で淹れるのが好いですね…」という話しになり、店主氏はカウンターに新聞紙を敷いて一寸置いてみてくれた…“撮影セッション”となった次第だ…
↓「欧州諸国の珈琲好きが自宅等で楽しむ一杯」という趣の味…稚内の御近所の店で愉しむことが叶うのは幸いだ…
<純米吟醸 国乃長>(2019.05.20)
↓「美しいデザイン…」と箱を何となく眺め入ってしまった…
↑「kotobuki brewing」(壽酒造)、「osaka」(大阪)、「takatsuki」(高槻)と社名や所在地をデザイン的に見せ、大きく<国乃長>のロゴマーク…クラシカルなようで、何か斬新なような…何となく眼を惹く…
↓箱の中身である…四合瓶の清酒だ…こうして眺めても美しい…
↑「これ以上は無い…」という程度にシンプルなラベルが貼られた外観…装飾を排して「中身で勝負や!」という感さえする…名付けて<純米吟醸 国乃長>である…
↓仄かに「吟醸香」が立ち込めるような感じがする…
↑やや甘い、「古くからの酒らしい…」という<国乃長>の味が「吟醸香」に包まれたような感だ…
↓同じ会社の「純米吟醸」を謳う製品…<とんださけ>の上品で芳醇な感じに比べると、<純米吟醸 国乃長>は「“純米吟醸”と聞いて思い浮かべる感じにより近寄せている仕上げ」という感じだ…
>>国乃長 純米吟醸 <とんださけ>(2019.04.12)
↓実は…大阪府高槻市富田町に立寄り、<国乃長>の壽酒造を訪ねてみた経過も在った…
>><国乃長>(くにのちょう)(2019.04.03)
この訪問の際に何種類か清酒等を求め、大変に美味しく頂いた…それが切れてしまったので、入手を図ったのだ…
↓やや遠方でも…手近で<国乃長>を見掛けない地域に在っても、通販で製品が入手可能なのだ!!大変に有難い!!
>>創醸1822年 大阪高槻の酒蔵より出来立てを直送!壽酒造オンラインショップ
今般、「気に入ったモノを切らしたので補充…」ということで<国乃長>の入手を図ったが、新たな「これも好い!!」に出くわした…非常に善かった…
↑「kotobuki brewing」(壽酒造)、「osaka」(大阪)、「takatsuki」(高槻)と社名や所在地をデザイン的に見せ、大きく<国乃長>のロゴマーク…クラシカルなようで、何か斬新なような…何となく眼を惹く…
↓箱の中身である…四合瓶の清酒だ…こうして眺めても美しい…
↑「これ以上は無い…」という程度にシンプルなラベルが貼られた外観…装飾を排して「中身で勝負や!」という感さえする…名付けて<純米吟醸 国乃長>である…
↓仄かに「吟醸香」が立ち込めるような感じがする…
↑やや甘い、「古くからの酒らしい…」という<国乃長>の味が「吟醸香」に包まれたような感だ…
↓同じ会社の「純米吟醸」を謳う製品…<とんださけ>の上品で芳醇な感じに比べると、<純米吟醸 国乃長>は「“純米吟醸”と聞いて思い浮かべる感じにより近寄せている仕上げ」という感じだ…
>>国乃長 純米吟醸 <とんださけ>(2019.04.12)
↓実は…大阪府高槻市富田町に立寄り、<国乃長>の壽酒造を訪ねてみた経過も在った…
>><国乃長>(くにのちょう)(2019.04.03)
この訪問の際に何種類か清酒等を求め、大変に美味しく頂いた…それが切れてしまったので、入手を図ったのだ…
↓やや遠方でも…手近で<国乃長>を見掛けない地域に在っても、通販で製品が入手可能なのだ!!大変に有難い!!
>>創醸1822年 大阪高槻の酒蔵より出来立てを直送!壽酒造オンラインショップ
今般、「気に入ったモノを切らしたので補充…」ということで<国乃長>の入手を図ったが、新たな「これも好い!!」に出くわした…非常に善かった…
稚内港北防波堤ドーム…(2019.05.18)
ケーブルカー:八幡市駅(2019.02.26)
↓この種の乗物に出くわす機会…然程多いとも思わない…
↑これはケーブルカーである…「洛南男山」というように呼ぶらしいが…八幡市(やわたし)駅と男山山上駅との間を上り下りしている…概ね15分間隔で運行されていた…
「京阪鋼索線」という名称だが、<男山ケーブル>という呼び方で通っている…約400mの路線だそうだ…専ら現金で切符を
↓ケーブルカーは何やら車輌に“傾斜”が在って、車内の座席が「階段状」に配置されている…
↑近くリニューアルが行われ、車輌の外観デザイン(塗装)が変更されるらしい…この状態で撮った写真は、「見られなくなる外観の記録」という意味で少し価値が高くなるかもしれない…
ケーブルカーは1926(大正15)年に初めて開業し、1944(昭和19)年に資材供出等の事情で廃止され、1955(昭和30)年に再開されて現在に至っているそうだ…
↓このケーブルカーで、なかなかに趣深い石清水八幡宮を訪ねたのだった…
>>石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう) 本社 (2019.02.26)
また違う季節等に、このケーブルカーを利用して石清水八幡宮を訪ねるなどしたいものだ…
↑これはケーブルカーである…「洛南男山」というように呼ぶらしいが…八幡市(やわたし)駅と男山山上駅との間を上り下りしている…概ね15分間隔で運行されていた…
「京阪鋼索線」という名称だが、<男山ケーブル>という呼び方で通っている…約400mの路線だそうだ…専ら現金で切符を
↓ケーブルカーは何やら車輌に“傾斜”が在って、車内の座席が「階段状」に配置されている…
↑近くリニューアルが行われ、車輌の外観デザイン(塗装)が変更されるらしい…この状態で撮った写真は、「見られなくなる外観の記録」という意味で少し価値が高くなるかもしれない…
ケーブルカーは1926(大正15)年に初めて開業し、1944(昭和19)年に資材供出等の事情で廃止され、1955(昭和30)年に再開されて現在に至っているそうだ…
↓このケーブルカーで、なかなかに趣深い石清水八幡宮を訪ねたのだった…
>>石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう) 本社 (2019.02.26)
また違う季節等に、このケーブルカーを利用して石清水八幡宮を訪ねるなどしたいものだ…
列を成す…:稚内港北防波堤ドーム周辺のエゾシカ…(2019.05.18)
<綿業会館>:大阪・三休橋筋(2019.02.27)
大阪の中央公会堂の辺りから延びている「三休橋筋」という道…船場の辺りまでの散策が愉しいと聞き及び…朝から動き回ってから一息入れた後の夕刻に、辺りへ一寸足を運んでみた…
↓その三休橋筋に見受けられる、重厚な感じの建物だ…
↑見栄えが気に入ったので、周辺をチョロチョロして写真を撮っていた…
↓正面で建物を見上げた…
この建物は1931年に竣工した<綿業会館>である。国際会議場として利用された経過が在るという。1945年の空襲では、ワイヤーを入れた耐火硝子を使用した建物であったことから被害は軽微なものに留まったようである。そんな建物が現在に伝えられているのだ…
↓この辺り…ガス燈が据えられている…
↓何処となく…「昔の米国の建物」という感じである…
↑気軽に見学はし悪いようだが、建物内が非常に豪華と聞く…が、外観だけでも「うゎ!」というように思った…
大阪には…こういうような「画になる光景」というものが色々と在る訳だ…
↓その三休橋筋に見受けられる、重厚な感じの建物だ…
↑見栄えが気に入ったので、周辺をチョロチョロして写真を撮っていた…
↓正面で建物を見上げた…
この建物は1931年に竣工した<綿業会館>である。国際会議場として利用された経過が在るという。1945年の空襲では、ワイヤーを入れた耐火硝子を使用した建物であったことから被害は軽微なものに留まったようである。そんな建物が現在に伝えられているのだ…
↓この辺り…ガス燈が据えられている…
↓何処となく…「昔の米国の建物」という感じである…
↑気軽に見学はし悪いようだが、建物内が非常に豪華と聞く…が、外観だけでも「うゎ!」というように思った…
大阪には…こういうような「画になる光景」というものが色々と在る訳だ…
早朝…:JR奈良駅(2019.04.03)
始発の列車に乗って奈良から京都…自身のような「他地域から関西へ旅行」という中では「少数派なやり方?」という感なのかもしれない。「大阪や京都に滞在して、奈良を訪ねる」というのが多数派であると言われている…「奈良に滞在して、京都を訪ねる」ということをやってしまった訳だ…
↓早朝、午前4時半を過ぎたような頃…流石に静かだ…
↓東京・名古屋間が先行し、後から大阪に伸ばすという<リニア新幹線>に関して、「是非、奈良を経由するルートに!」という運動に力が入っているらしく、奈良駅に入る階段に広告が在る…
↑こういう「階段を利用した広告」というモノは、静かな時間帯に眺めるのが見易い…
↓高架駅になっている奈良駅に入ったが…人が少ないので、異様なまでに広々として見える…
↓この早朝の奈良駅で…少し懐かしい型の車輌で運用されていた列車に乗車したのだった…
>>103系電車:JR奈良駅(2019.04.03)
拙宅に奈良県の酒が残っていて、時々頂くということも手伝い、「奈良に滞在して過ごした休暇」というのが酷く懐かしいような気がする場合が多い…
↓早朝、午前4時半を過ぎたような頃…流石に静かだ…
↓東京・名古屋間が先行し、後から大阪に伸ばすという<リニア新幹線>に関して、「是非、奈良を経由するルートに!」という運動に力が入っているらしく、奈良駅に入る階段に広告が在る…
↑こういう「階段を利用した広告」というモノは、静かな時間帯に眺めるのが見易い…
↓高架駅になっている奈良駅に入ったが…人が少ないので、異様なまでに広々として見える…
↓この早朝の奈良駅で…少し懐かしい型の車輌で運用されていた列車に乗車したのだった…
>>103系電車:JR奈良駅(2019.04.03)
拙宅に奈良県の酒が残っていて、時々頂くということも手伝い、「奈良に滞在して過ごした休暇」というのが酷く懐かしいような気がする場合が多い…
反橋(そりばし):住吉大社(2019.02.27)
牛…:北野天満宮(2019.02.25)
↓北野天満宮に牛の像が在った…
↑梅が咲き誇る季節で、なかなかに味わいが在った…
天満宮で祀る菅原道真が他界し、遺骸を牛車で曳いて運んだ際、牛が止まって動かなくなり、止むを得ずに近くに埋葬したという故事が伝えられているのだそうだ…それに因んで、天満宮では「座ってしまっている牛の像」が据えられることが在るのだそうだ…
上の画は、正しくその「座ってしまっている牛の像」だ…
↓北野天満宮は建物も趣が在るのだが…訪ねた時は縁日であったらしく、何やら酷く込み合っていて、余りゆったりと辺りを眺めるようなことは叶わなかった…
こういうような非常に有名な場所というのは…「そのうち再訪の機会?」という程度に考えて訪ねる位が好いかもしれない…というようなことを思いながら、この場所を辞去したのだった…
↑梅が咲き誇る季節で、なかなかに味わいが在った…
天満宮で祀る菅原道真が他界し、遺骸を牛車で曳いて運んだ際、牛が止まって動かなくなり、止むを得ずに近くに埋葬したという故事が伝えられているのだそうだ…それに因んで、天満宮では「座ってしまっている牛の像」が据えられることが在るのだそうだ…
上の画は、正しくその「座ってしまっている牛の像」だ…
↓北野天満宮は建物も趣が在るのだが…訪ねた時は縁日であったらしく、何やら酷く込み合っていて、余りゆったりと辺りを眺めるようなことは叶わなかった…
こういうような非常に有名な場所というのは…「そのうち再訪の機会?」という程度に考えて訪ねる位が好いかもしれない…というようなことを思いながら、この場所を辞去したのだった…
<長五郎餅>…:北野天満宮(2019.02.25)
↓北野天満宮の境内の一隅…毎月25日の縁日に営業するらしい茶店が在って、こういうモノを頂いた…
↑なかなかに美味い餡が入った餅と茶を頂いた…
これが北野天満宮の<長五郎餅>と言うそうだ…
天正年間、北野天満宮の縁日に現れて餡の入った餅を売る老人が在ったという。餅は評判が好く、老人は「河内屋長五郎」と名乗っていたそうだ…
1587(天正15)年…豊臣秀吉が北野で大茶会を催し、広く参加を募った…長五郎もこの茶会に参加し、何時も売っている餅を豊臣秀吉に献上した…これを口にした豊臣秀吉が大変に気に入り、献上した者に関して報告を受け「以後『長五郎餅』を名乗るがよい」としたそうだ…
そういう訳で餅は<長五郎餅>という名で現在に至るまで永く受け継がれている訳だ…
何気ない餡の入った餅だが…なかなかに面白い挿話が在る…永い歴史を誇る場所を訪ねると、こういう挿話に出くわすのが面白いと思う…
毎月25日の縁日に限らず、北野の店で<長五郎餅>は売られているらしいが…不意に「何となく美味かった…」と思い出してしまう…
↑なかなかに美味い餡が入った餅と茶を頂いた…
これが北野天満宮の<長五郎餅>と言うそうだ…
天正年間、北野天満宮の縁日に現れて餡の入った餅を売る老人が在ったという。餅は評判が好く、老人は「河内屋長五郎」と名乗っていたそうだ…
1587(天正15)年…豊臣秀吉が北野で大茶会を催し、広く参加を募った…長五郎もこの茶会に参加し、何時も売っている餅を豊臣秀吉に献上した…これを口にした豊臣秀吉が大変に気に入り、献上した者に関して報告を受け「以後『長五郎餅』を名乗るがよい」としたそうだ…
そういう訳で餅は<長五郎餅>という名で現在に至るまで永く受け継がれている訳だ…
何気ない餡の入った餅だが…なかなかに面白い挿話が在る…永い歴史を誇る場所を訪ねると、こういう挿話に出くわすのが面白いと思う…
毎月25日の縁日に限らず、北野の店で<長五郎餅>は売られているらしいが…不意に「何となく美味かった…」と思い出してしまう…