
↑看板は“漢字”で書かれている…
↓反対側で看板を見る…

↑流麗(に過ぎるよう)な書体で、やや読み悪いが…「の」と“ひらがな”が見える…
実はこの“漢字”と“ひらがな”の使い分けは、東海道では広く普及したやり方らしい…“漢字”は「東の方向=江戸へ行き着く」、“ひらがな”は「西の方向=京都へ行き着く」ということになっているのだそうだ…言われてみて、何となく見たが…なるほど、そういう仕掛けだった。この地点の場合、東が関駅であると地図を見て承知していたので、「確かに東=“漢字”は関駅=東だ…」と納得した…
↓少し通を進んでみた…画の左側に「あいづや」と“ひらがな”が在る…

↓回り込んで、看板の反対側を見ると「會津屋」と“漢字”だ…

「會津屋=あいづや」というのは、嘗ては旅籠(はたご)であったのだという。現在は何かの店であるようだが、“史跡”と言うべき「嘗ての旅籠」として看板を残している訳だ…
江戸時代を通じて栄えた宿場町…細かい工夫が在るようで面白い…