“漢字”?“ひらがな”?:東海道 関宿の面影(2019.04.01)

↓古くからの面影が在る老舗…店の真中、高い辺りに看板が掲げられている…
01-04-2019 Seki, Kameyama, Mie pref (42)
↑看板は“漢字”で書かれている…

↓反対側で看板を見る…
01-04-2019 Seki, Kameyama, Mie pref (41)
↑流麗(に過ぎるよう)な書体で、やや読み悪いが…「の」と“ひらがな”が見える…

実はこの“漢字”と“ひらがな”の使い分けは、東海道では広く普及したやり方らしい…“漢字”は「東の方向=江戸へ行き着く」、“ひらがな”は「西の方向=京都へ行き着く」ということになっているのだそうだ…言われてみて、何となく見たが…なるほど、そういう仕掛けだった。この地点の場合、東が関駅であると地図を見て承知していたので、「確かに東=“漢字”は関駅=東だ…」と納得した…

↓少し通を進んでみた…画の左側に「あいづや」と“ひらがな”が在る…
01-04-2019 Seki, Kameyama, Mie pref (46)

↓回り込んで、看板の反対側を見ると「會津屋」と“漢字”だ…
01-04-2019 Seki, Kameyama, Mie pref (47)

「會津屋=あいづや」というのは、嘗ては旅籠(はたご)であったのだという。現在は何かの店であるようだが、“史跡”と言うべき「嘗ての旅籠」として看板を残している訳だ…

江戸時代を通じて栄えた宿場町…細かい工夫が在るようで面白い…

破風…:東海道 関宿の面影(2019.04.01)

↓現在は住宅になっているというが…嘗ては<鶴屋>という旅籠(はたご)であったのだという建物だ…
01-04-2019 Seki, Kameyama, Mie pref (50)
↑さり気なく…建物の左側に、少し立派な破風が設えられ、出入口も右寄りの現在も利用されているモノと別に設えられている…

往時の旅籠には、色々な層の人達が宿泊した。町人から武士、僧侶や公家等の様々な身分の人達が在った…そういう訳で、「身分が在る人が泊まる」ということになった場合、この<鶴屋>では左側の立派な破風を設えた側から、その該当者が出入りするようにしていたのだそうだ…

さり気なく見える設えに独自の意味が込められる…そういうことを知ると、古い街並みを眺めるのが更に興味深くなるというものだ…
posted by Charlie at 08:22Comment(0)三重県