前夜…(2019.05.31)

巷では「モチベーションが上がらない」というような表現が多用されているのかもしれない。何となく「前向きに何かに向かって行く意欲に少々欠ける」とか「何かをやる動機付けが弱め」というのが「モチベーションが上がらない」ということであろうか?

そんな「モチベーションが上がらない」という表現を思い出していたが、結局、最近は「意欲的に何かをやる気分が盛り上がり悪い」というように…感じている…

こういうような気分の時は…「好きなこと」にでも興じるのが好いのであろう…私の場合、その「好きなこと」というのは?「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」とか「写真を撮る」という程度のことなのだと思う…他には「読書」というのも在ろうが、これは何時でもやっている…

「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」と「写真を撮る」とであるが、これは“同時並行”で進めるような事柄になる。「出掛けたから写真を撮る…」のか「写真を撮るべく出掛ける…」のか、両者が混淆してしまって、何やら訳が分からなくなって久しい…

今般…「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」という時間を設けてみた…出掛ける際の持物だが…とりあえずカメラは絶対に忘れずに抱えて出る…「出掛けたから写真を撮る…」のか「写真を撮るべく出掛ける…」のかが益々判らなくなってしまう…

かなり古いヒット曲―私自身が小学校の低学年だったような時代の作品だ…―の歌詞に「行ったきりなら幸せになるがいい♪」というのが在った…そんな歌詞の文字どおりに、何処かへ出掛けて、そのまま彷徨い続けているというのも面白いかもしれないが…全く戻らないということにもなり悪い…そういう訳で「出先から引揚げる段取り」は既に考えてある…他方…その「段取り」に入り以前の状況に関しては…然程深く考えていない…

例えば、複数の関係者で纏まって動き回るとか、行程の中で他所の方と約束をして会うというようなことであれば、「予め細々と、ゆとりを十二分に持って行程を決めて、“馬鹿正直”に決めたとおり(!)に動く」というのが大原則だと思う。それが出来ないとか、細々とその場で変更したがるというなら、複数の関係者で纏まって動き回るとか、行程の中で他所の方と約束をして会うというようなことは最初から「止めてしまえ!」と個人的には思っている。他方…自身が「独り」で、特段に誰かと会う約束のようなことを事前に一切しない、文字どおりの「勝手気儘な物見遊山」であれば…「どうしても必要か?」と思って事前に決めた段取り以外は「好き勝手」で構わない筈だ…

私の流儀の「然程の細かい計画も練らずに、何処かをフラフラと彷徨う」というのは…その「好き勝手」で差し支えが無い性質のものだと思う…が…例えば「今日は何が食べたい?」とでも身近な人に問うた時に「何でも構わない…」とでも応えられると困惑してしまう場合が在るというように、「決めた段取りに至るまでは全くの随意」ということで出掛けるとなれば、「さて…どうしようか?」ということになってしまう…

私の場合…「訪ねてみたい」とか「立寄ってみたい」という場所は、誇張でも何でもなく、毎週とか毎日というように「ドンドン増える」という一方だ。一度訪ねている場所に関しても「あそこを再訪」と思い出す頻度も非常に高い…全く際限が無い…

今般…「稚内へ引揚げる段取り」ということにする以前は、とりあえず然程深く考えていないのだが…「訪ねてみたい」とか「立寄ってみたい」という場所が余りにも多く…「こういうのが好さそう」というのを幾つも幾つも思い浮かべ、「どういう具合??」と延々と迷い続けている…

例えば…“第1案”というようなモノを思い付いたとして…その“第1案”の「軽微な変更」というようなモノが直ぐに3つ程度は思い浮かぶ…やがて“第2案”というようなモノを思い付き…そのヴァリエーションを4つも5つも思い付いてしまう…そのうちに“第1案”と“第2案”との“折衷案”のようなことを考えるが、今度は“折衷案”のヴァリエーションが2つや3つ出て来る…やがて“第1案”に戻るが、今度はこれまで思い付かなかった「軽微な変更」を思い付き、やがてそれのヴァリエーションが幾つか…流石に「収拾困難…」となってしまう…というような具合なのだ…

色々と細々としたことをやってみる、或いは食事を愉しむということをしながら、上述例のような「際限の無い考え事」を続けていたが…“結論”、或いは「結論めいた何か」が何時までも纏まらない…今般は…例えば「西へ行こうと駅へ向かい、南へ向かう列車に乗車してしまい、何となくそのまま西ではなく南に進んでしまった…」という馬鹿々々しいことをしたとしても、誰かに咎められるのでもなく、差障りも無いのだ…

今夜は休む…“結論”?明日、実際に動けばハッキリすることであろう…

新たに…

このブログに新しいカテゴリを設けることとした…

ランダムに、方々で撮ったモノクロ写真を掲出する記事が中心のこのブログでは、原則として「(国内の場合は)写真撮影地の都道府県」ということでカテゴリを設けている。故に「これまでに当該都道府県で撮った写真が無かったが、新たに加えたい」という場面で“○○県”という具合にカテゴリを新設していた。

今般は…そういうモノと性質を異にする…

最近は「写真を撮る」と思い立った場合にモノクロが占める割合が高くなった…何処かで写真を撮って、“備忘録”的な性質も帯びるが、何に興味を覚えて、どんな状態で写真を撮ったのか、或いは訪ねた場所や撮影したモノに関することを各記事に綴っている。そういうことは、このブログの以前から手掛けているのだが、最近は「先ずはモノクロから…」という場合も増えている。

そういう状況を踏まえ…このブログの中に新カテゴリを設定し、そこに「カメラを抱えて出掛けてみた記憶」と「その出掛けた辺りで考えていたこと」等々を綴ってみようと思う。

考えてみると…私は「出掛ける」という場面で、他の方に伝えると「!?」という反応が在る場合も排除し得ないような、「(客観的に)不思議」な動きをする場合も在ると思われる。そういうことに関して、記憶が鮮明な中で綴っておくというのは、自身にとって無駄ではない。このブログの読者諸賢にとっても面白い場合も在るかもしれない…

実は…「月が改まる日」でもある土曜日から…一寸だけ出掛ける…それを契機にこんなことを思い付いた訳だ…

このブログでは、例えば「4月の旅で撮った画の後に2月の旅のモノが登場し、その後は7月の画が登場」と“時系列”を尊重しているのでもない記事作成をしている。それは多分続く…他方、この新カテゴリの内容で「動いた時系列」を後から或る程度追跡出来る訳だ…

新カテゴリは<память>(パーミャチ)と名付ける…「記憶」という程の意味だ…

高札場…:東海道 関宿の面影(2019.04.01)

↓古い東海道の宿場町という趣を伝える関で見付けた…
01-04-2019 Seki, Kameyama, Mie pref (43)
↑当局から町の人達に伝える内容等を書いて掲示する…「高く札を掲げる」ということだろうか?「高札場」と呼ばれるモノを再現している…

江戸時代からの街並みを伝えるような場所で、こういうのは見掛けることが在る。江戸時代を背景にしたテレビドラマや映画で、町の人達がこういう何事かが掲出されている場所に集まっている場面というのをよく見るような気がする…

こんなモノが据えられた街角…一寸面白い…
posted by Charlie at 08:25Comment(0)三重県