大阪の通天閣の足下という感じの<新世界>エリアに宿を求めて滞在し…夕刻に辺りに出て軽く夕食を愉しむことにした…
↓何となく覗いた串カツの店に立ち寄った…
↑右から3本…鶏肉、牛肉、豚肉と「極々当たり前」な串カツで美味しく頂いたが…左端の「丸いモノ」は、少し“変わり種”ということになるのかもしれない…
この「丸いモノ」は…メニューに在るのを視て「これは?どういう感じ?」とお店の方に尋ねてしまったのだったが、「普通に粉を点けて揚げますよ。串カツですから…」ということだった。これは「“たこ焼き”の串カツ」である!
「ここは串カツ屋ですから…そのままたこ焼きを出すのも如何かと…」というような話しも在ったが、これは不思議な感じだった。本当に普通のたこ焼きを串に刺して粉を点けて揚げている。何となく…「揚げシュウマイの一種?」というような感も覚えた…
近年、串カツの人気が高いようで、大阪で、殊に<新世界>の辺りは串カツの店が極めて多い…中には、こういう「変わった?」ことをやっている店も在る…
<名古屋コーチン 親子丼>(2019.06.08)
中部国際空港へ出て、新千歳空港へ飛ぶフライトを利用しようとしていたが…名古屋駅に在った…
名鉄の列車で空港へ出る前にランチタイムということにした…
名古屋駅…あの巨大な建物の中には、ランチを頂くことが出来るような店は、数え切れないかもしれない程度に在りそうで…少しフラフラしてみた…ランチの「ピーク」というような時間帯は過ぎていたように思ったが、多少「店の前に並んでいる」というのも散見した…で、「直ぐに1人入って、食事を御願い出来そうな感じ…」の店が在って、そこに入った…
↓こういうモノを頂いた…
↑鶏肉と卵の親子丼であるが…“名古屋コーチン”の肉だという…
“名古屋コーチン”?これは明治時代から登場している鶏の品種で、卵も肉も利用される種類であるという。色々と盛衰は在ったようだが、現在では主に愛知県と近隣で飼育されているのだそうだ…
↓これは、「歯応えの在る“鶏肉らしい!!”という感」だった肉と、トロトロの卵の組み合わせで、実に好かった!!
名古屋に寄って、“名古屋”の名を関する少し知られた食材を使ったポピュラーなメニューを…こういうのも悪くない…
名鉄の列車で空港へ出る前にランチタイムということにした…
名古屋駅…あの巨大な建物の中には、ランチを頂くことが出来るような店は、数え切れないかもしれない程度に在りそうで…少しフラフラしてみた…ランチの「ピーク」というような時間帯は過ぎていたように思ったが、多少「店の前に並んでいる」というのも散見した…で、「直ぐに1人入って、食事を御願い出来そうな感じ…」の店が在って、そこに入った…
↓こういうモノを頂いた…
↑鶏肉と卵の親子丼であるが…“名古屋コーチン”の肉だという…
“名古屋コーチン”?これは明治時代から登場している鶏の品種で、卵も肉も利用される種類であるという。色々と盛衰は在ったようだが、現在では主に愛知県と近隣で飼育されているのだそうだ…
↓これは、「歯応えの在る“鶏肉らしい!!”という感」だった肉と、トロトロの卵の組み合わせで、実に好かった!!
名古屋に寄って、“名古屋”の名を関する少し知られた食材を使ったポピュラーなメニューを…こういうのも悪くない…
<インディギルカ号遭難者記念碑>:猿払村(2019.06.15)
稚内の市街から海岸の道を東へ進み、宗谷岬に至ってから更に進んで、オホーツク海岸を南下すると、稚内市の隣である猿払村に至る…
↓オホーツク海を望む高台の上…道路の脇になる辺りに記念碑が据えられている…
↓近付くと、一寸大きい独特な形の記念碑であることが判る…
↓ロシア語と日本語で、この記念碑の来歴が刻まれたプレートが据えられている…
1939年12月、この猿払村でソ連の船<インディギルカ>が座礁事故を起こしてしまった。千人を超える人達が乗っていた様子で死傷者が発生している状況の中、地元の人達が必死に救難に携わったという出来事が在った。それを伝え、犠牲者を慰霊するという記念碑である。
<インディギルカ>に関しては「カムチャッカとウラジオストクとの間を航海していた」ということになっているようだが、船の航行や乗っていた人達に関する詳しい事情は「よく判らない?」という面も在るようだ…(その辺りを詳しく研究したものを纏めた本も在るようだ…)が、「大勢の人が困っている海難事故」と、救難作業に従事することが危険である場合さえ考えられる中、危険を顧みずに必死に助けようとした挿話である…
記念碑は、水温が低めなオホーツク海を望みながら、無言で史実を伝えてくれていた…
↓オホーツク海を望む高台の上…道路の脇になる辺りに記念碑が据えられている…
↓近付くと、一寸大きい独特な形の記念碑であることが判る…
↓ロシア語と日本語で、この記念碑の来歴が刻まれたプレートが据えられている…
1939年12月、この猿払村でソ連の船<インディギルカ>が座礁事故を起こしてしまった。千人を超える人達が乗っていた様子で死傷者が発生している状況の中、地元の人達が必死に救難に携わったという出来事が在った。それを伝え、犠牲者を慰霊するという記念碑である。
<インディギルカ>に関しては「カムチャッカとウラジオストクとの間を航海していた」ということになっているようだが、船の航行や乗っていた人達に関する詳しい事情は「よく判らない?」という面も在るようだ…(その辺りを詳しく研究したものを纏めた本も在るようだ…)が、「大勢の人が困っている海難事故」と、救難作業に従事することが危険である場合さえ考えられる中、危険を顧みずに必死に助けようとした挿話である…
記念碑は、水温が低めなオホーツク海を望みながら、無言で史実を伝えてくれていた…
<間宮林蔵顕彰碑>(2019.06.15)
↓「写真を参照して造った人物の彫像?」というように感じる程度に“リアル”な雰囲気だと思う…
↑19世紀初め…或いは19世紀の前半…写真が広く普及しているのでもないから、そんな時代に活躍した人物の写真は伝わってはいないと思うのだが…
↓非常に写実的な感の胸像は、かの間宮林蔵を表現したモノである…存外に小さい…サハリンの街で見掛けるような胸像はもっと大きく、そのイメージでこれに接するとやや驚く…
↑嘗ては<宗谷場所>と呼ばれた村だった辺りが<宗谷公園>となっていて、その奥側、知らないのであれば「殆ど確実に見過ごして通り過ぎてしまう」という場所に、地味な感じで佇んでいる…
間宮林蔵は1808年、1809年に「樺太探検」をしている。その際、樺太渡航の前後に<宗谷場所>に在ったことは間違いないことであろう…
↓この胸像が据えられた辺り…或いは実際に御本人が動き回っていたかもしれない場所…というようなことを思いながら、この胸像を眺めた…
↑因みに…胸像が据えられた辺りから海岸、海、サハリンの島影が見えるというのでもない…
↑19世紀初め…或いは19世紀の前半…写真が広く普及しているのでもないから、そんな時代に活躍した人物の写真は伝わってはいないと思うのだが…
↓非常に写実的な感の胸像は、かの間宮林蔵を表現したモノである…存外に小さい…サハリンの街で見掛けるような胸像はもっと大きく、そのイメージでこれに接するとやや驚く…
↑嘗ては<宗谷場所>と呼ばれた村だった辺りが<宗谷公園>となっていて、その奥側、知らないのであれば「殆ど確実に見過ごして通り過ぎてしまう」という場所に、地味な感じで佇んでいる…
間宮林蔵は1808年、1809年に「樺太探検」をしている。その際、樺太渡航の前後に<宗谷場所>に在ったことは間違いないことであろう…
↓この胸像が据えられた辺り…或いは実際に御本人が動き回っていたかもしれない場所…というようなことを思いながら、この胸像を眺めた…
↑因みに…胸像が据えられた辺りから海岸、海、サハリンの島影が見えるというのでもない…
<和牛ごろごろビーフカレー>(2019.06.05)
朝から奈良で歩き回っていて…午後から夕刻に宿で一息入れて…夕刻に外へ出た…思っていた以上に美しかった景色を、「夕食は後刻に…」ということにして少しばかり愉しんだ…
そして「後刻」ということにした夕食…近鉄奈良駅から然程遠くない辺りでは、午後7時台には閉まっている店も見受けられるが、食事を摂ることが叶う店は多々見受けられた…
↓こういうモノを頂いた…
↑大き目な「ごろごろ」という感じの牛肉がそれなりに多く入っている…
↓サラダと薬味が添えられている…薬味には「奈良漬を刻んだモノ」が在った…奈良の街中の店である…
↓奈良のステーキ店が“支店”のように出したカレーの店だった…「肉へのこだわり…」という感じのカレーライス…非常に好かったが…店は小ぶりな建物の2階に在る…
奈良には…こういうような場所が実は多々在るのかもしれない…
そして「後刻」ということにした夕食…近鉄奈良駅から然程遠くない辺りでは、午後7時台には閉まっている店も見受けられるが、食事を摂ることが叶う店は多々見受けられた…
↓こういうモノを頂いた…
↑大き目な「ごろごろ」という感じの牛肉がそれなりに多く入っている…
↓サラダと薬味が添えられている…薬味には「奈良漬を刻んだモノ」が在った…奈良の街中の店である…
↓奈良のステーキ店が“支店”のように出したカレーの店だった…「肉へのこだわり…」という感じのカレーライス…非常に好かったが…店は小ぶりな建物の2階に在る…
奈良には…こういうような場所が実は多々在るのかもしれない…
牛筋煮込みと濁酒…:大阪・日本橋(2019.06.07)
大阪の日本橋(にっぽんばし)の地下駅…<大阪メトロ>や<近鉄>の列車が発着しているのだが…<なんばウォーク>という地下街が在って、いろいろな飲食店等が入っている…
朝から少々強い雨が降る中を歩き回り、この日訪ねようとしていた甲子園方面へ出るにはやや間が在るような感であったことから、この<なんばウォーク>に寄り道してみた…
↓座って一息入れようと…カウンター席が「ロ」の字或いは「コ」の字のような形に設えられた店で、こういうモノを頂いた…
↑「牛筋煮込み」である…関西方面では、牛筋はポピュラーな食材なのだろうか?色々と利用例が在るようだが、アッサリした感でありながら、確り煮込まれて好い食感でもあった。辛子を少し点けて頂く…基本的には「おでん」ということになるモノなのかもしれないが…美味かったので「アンコール」で2つ摘んでしまった…
↓合わせて頂いた飲み物は…<大和のどぶ>という濁酒だ…
↑色々な料理に意外に合う濁酒である…小さい容器と大きくないぐい呑みで頂くのが好い…
↓この店は<大和のどぶ>や他の酒を醸している大宇陀の老舗酒造会社が運営に携わっている…
↑老舗酒造会社が携わっていることを示す看板と、同社の醸す酒の瓶が飾られているのだが…店内では日本酒以外も愉しむことが出来る。私は、この老舗酒造会社が携わっていることに気付いて、同社の<大和のどぶ>を御願いしたのだったが…
↓実はこの老舗酒造会社に立ち寄ったことも在った。その際に「<なんばウォーク>に店…」というようには聞いていたのだった…
>><久保本家酒造>(2019.04.02)
「昼食には少々早いかもしれない?」という時間帯にこの店に寄った。大阪では、早くから夕方まで「一寸立寄り、1杯の酒を楽しみ、軽く何かを摘む」という「気軽で小さな店」が随分と多く見受けられる…そんな場所に寄ってみるようなことが、何か愉しい…
朝から少々強い雨が降る中を歩き回り、この日訪ねようとしていた甲子園方面へ出るにはやや間が在るような感であったことから、この<なんばウォーク>に寄り道してみた…
↓座って一息入れようと…カウンター席が「ロ」の字或いは「コ」の字のような形に設えられた店で、こういうモノを頂いた…
↑「牛筋煮込み」である…関西方面では、牛筋はポピュラーな食材なのだろうか?色々と利用例が在るようだが、アッサリした感でありながら、確り煮込まれて好い食感でもあった。辛子を少し点けて頂く…基本的には「おでん」ということになるモノなのかもしれないが…美味かったので「アンコール」で2つ摘んでしまった…
↓合わせて頂いた飲み物は…<大和のどぶ>という濁酒だ…
↑色々な料理に意外に合う濁酒である…小さい容器と大きくないぐい呑みで頂くのが好い…
↓この店は<大和のどぶ>や他の酒を醸している大宇陀の老舗酒造会社が運営に携わっている…
↑老舗酒造会社が携わっていることを示す看板と、同社の醸す酒の瓶が飾られているのだが…店内では日本酒以外も愉しむことが出来る。私は、この老舗酒造会社が携わっていることに気付いて、同社の<大和のどぶ>を御願いしたのだったが…
↓実はこの老舗酒造会社に立ち寄ったことも在った。その際に「<なんばウォーク>に店…」というようには聞いていたのだった…
>><久保本家酒造>(2019.04.02)
「昼食には少々早いかもしれない?」という時間帯にこの店に寄った。大阪では、早くから夕方まで「一寸立寄り、1杯の酒を楽しみ、軽く何かを摘む」という「気軽で小さな店」が随分と多く見受けられる…そんな場所に寄ってみるようなことが、何か愉しい…
「名古屋デザイン」:<CocaCola>(2019.06.08)
↓中部国際空港で出くわしてしまった…
↑「名古屋デザイン」というモノだ…「名古屋」と言えば?「金鯱」ということか…
↓少し潔く、「金鯱」が少し大き目に入っているデザイン…悪くないと思いながら眺めていた…
↓最近、こういう「限定デザイン」の容器に幾分出くわしていて、それらも写真に収めている…
>>「奈良デザイン」:<CocaCola>(2019.02.24)
>><CocaCola "2019SAKURA">(2019.05.03)
方々に、この種のモノが出回っているとは思うのだが…色々と出くわしてみたいものである…中身のコーラの味は同じではあるが…
↑「名古屋デザイン」というモノだ…「名古屋」と言えば?「金鯱」ということか…
↓少し潔く、「金鯱」が少し大き目に入っているデザイン…悪くないと思いながら眺めていた…
↓最近、こういう「限定デザイン」の容器に幾分出くわしていて、それらも写真に収めている…
>>「奈良デザイン」:<CocaCola>(2019.02.24)
>><CocaCola "2019SAKURA">(2019.05.03)
方々に、この種のモノが出回っているとは思うのだが…色々と出くわしてみたいものである…中身のコーラの味は同じではあるが…
松江神社(2019.06.02)
↓松江城跡、天守閣の建物が在る辺りの手前、二之丸に神社が在る…
松江城に鎮座する神社は<松江神社>という…松江に幕末まで在った「松江松平家」を開いた松平直政を祀る社、徳川家康を祀る東照宮を併せて遷座し、1899(明治32)年に現在の場所になったのだという。その後、松江の城と城下町を開いた堀尾吉晴も祀るようになっているという。
言ってみれば…地域の礎を築いた人達への敬意を表する神社で、「城下町松江の守り神」のような存在だと思う。この街へ無事に辿り着いたことに感謝し、参拝してみた…
↓適当に年季が入って、少し貫禄が在る狛犬も据えられている…
松江城の中で「何となく静か?」という感じの場所だが、なかなかに好い雰囲気の場所だった…
松江城に鎮座する神社は<松江神社>という…松江に幕末まで在った「松江松平家」を開いた松平直政を祀る社、徳川家康を祀る東照宮を併せて遷座し、1899(明治32)年に現在の場所になったのだという。その後、松江の城と城下町を開いた堀尾吉晴も祀るようになっているという。
言ってみれば…地域の礎を築いた人達への敬意を表する神社で、「城下町松江の守り神」のような存在だと思う。この街へ無事に辿り着いたことに感謝し、参拝してみた…
↓適当に年季が入って、少し貫禄が在る狛犬も据えられている…
松江城の中で「何となく静か?」という感じの場所だが、なかなかに好い雰囲気の場所だった…
<ケンタのチキン勝つドン![甲子園限定]>(2019.06.07)
「朝から強めな雨」という状況の日に、屋外の野球場で開催される野球の試合を観戦する予定が在るというのは…何となく複雑な気分だが…夕刻までに「とりあえず試合開催可能」という状態になった!大きな安堵感が沸き上がった…
「球場自体を視たい」という想いも在って、甲子園球場で開催のプロ野球交流戦の「タイガースVSファイターズ」の入場券を求め、歴史が在る球場の様々なことを伝える資料館である<甲子園歴史館>が催す場内の見学ツアーの予約を入れて、阪神電車で甲子園球場を訪ねていた…
試合開始が決定したということで、とりあえず自身の席を確認してみたが、試合開始までに少々間が在ったので、客席への館内通路に色々と在った店で何かを頂こうと思い立った…
↓頂いたのはこういうモノだ…
↑米飯にチキンカツと卵という弁当であるが…
↓買い求めるとこういう具合なのだ…
↑スーパーやデパートの惣菜コーナーで時々見掛ける「○○丼」というようなモノを求めた場面の状況だ…
↓この弁当…この創業者をモデルにした人形で御馴染みな、フライドチキンの店である<KFC>が甲子園球場の中に出している店で売られている。
↑場所柄…人形は甲子園球場を本拠地とするタイガースのユニフォーム姿だ…背番号は「1970」…これは日本で<KFC>のチェーンを営む会社が起こったのが1970年である事に因むのであろう。序ながら…このチェーンによる初めての店は、1970年の大阪万博の会場内でやっていた店であるらしい…
↓野球場という場所柄…弁当は売れ行きが良さそうだ…そういうことで、「甲子園限定」でこれを売っているのであろう…
↑頂いてみれば…「骨が無いチキン」で、スパイシーな味付けがされているでもない、「アッサリしたチキンカツ」と卵を合わせて米飯に載せている。意外に美味い…
球場の客席では飲物を色々と売っているが…この<KFC>で、街の店でも売られているようなチキンを買い込み、客席で愉しんでいる方も見掛けた…そういうのも好いが…この「甲子園限定」と、「他所では無い!!」というモノを試すのも非常に面白い…
「球場自体を視たい」という想いも在って、甲子園球場で開催のプロ野球交流戦の「タイガースVSファイターズ」の入場券を求め、歴史が在る球場の様々なことを伝える資料館である<甲子園歴史館>が催す場内の見学ツアーの予約を入れて、阪神電車で甲子園球場を訪ねていた…
試合開始が決定したということで、とりあえず自身の席を確認してみたが、試合開始までに少々間が在ったので、客席への館内通路に色々と在った店で何かを頂こうと思い立った…
↓頂いたのはこういうモノだ…
↑米飯にチキンカツと卵という弁当であるが…
↓買い求めるとこういう具合なのだ…
↑スーパーやデパートの惣菜コーナーで時々見掛ける「○○丼」というようなモノを求めた場面の状況だ…
↓この弁当…この創業者をモデルにした人形で御馴染みな、フライドチキンの店である<KFC>が甲子園球場の中に出している店で売られている。
↑場所柄…人形は甲子園球場を本拠地とするタイガースのユニフォーム姿だ…背番号は「1970」…これは日本で<KFC>のチェーンを営む会社が起こったのが1970年である事に因むのであろう。序ながら…このチェーンによる初めての店は、1970年の大阪万博の会場内でやっていた店であるらしい…
↓野球場という場所柄…弁当は売れ行きが良さそうだ…そういうことで、「甲子園限定」でこれを売っているのであろう…
↑頂いてみれば…「骨が無いチキン」で、スパイシーな味付けがされているでもない、「アッサリしたチキンカツ」と卵を合わせて米飯に載せている。意外に美味い…
球場の客席では飲物を色々と売っているが…この<KFC>で、街の店でも売られているようなチキンを買い込み、客席で愉しんでいる方も見掛けた…そういうのも好いが…この「甲子園限定」と、「他所では無い!!」というモノを試すのも非常に面白い…
<白い道>…:宗谷丘陵(2019.06.15)
宗谷丘陵に入り込んだ…
宗谷丘陵は、氷河が削った地面の地形が現在に伝わっているといわれる場所だ…古くはそこが森林になっていたらしいが、山火事等で森林は大きく損なわれていたようで、その場所が現在では広大な牧草地になっている…
↓そんな宗谷丘陵の一画に、こんな景色が見受けられる…
↑舗装していない道路である…帆立の貝殻を砕いたモノをびっしりと敷き詰めているらしい…「白い道?」という様子だ…
そう言えば、随分と以前に他地域の方とこの場に至った時…道が白いので、他所から来た方は「えっ?雪?!」と驚いていた。確か、流石に平地で雪が積もっている様子が見られないような6月半ばを過ぎたような頃だったが…
何となく…「昔のレコードジャケットのイラストにでも在ったような?」ということを、この風景を視る都度に思わないでもない…
宗谷丘陵は、氷河が削った地面の地形が現在に伝わっているといわれる場所だ…古くはそこが森林になっていたらしいが、山火事等で森林は大きく損なわれていたようで、その場所が現在では広大な牧草地になっている…
↓そんな宗谷丘陵の一画に、こんな景色が見受けられる…
↑舗装していない道路である…帆立の貝殻を砕いたモノをびっしりと敷き詰めているらしい…「白い道?」という様子だ…
そう言えば、随分と以前に他地域の方とこの場に至った時…道が白いので、他所から来た方は「えっ?雪?!」と驚いていた。確か、流石に平地で雪が積もっている様子が見られないような6月半ばを過ぎたような頃だったが…
何となく…「昔のレコードジャケットのイラストにでも在ったような?」ということを、この風景を視る都度に思わないでもない…
稚内港北防波堤ドーム(2019.06.18)
<STARBUCKS COFFEE>:旭川駅の傍…(2019.06.13)
<松平直政公>:松江(2019.06.02)
↓松江城の傍に島根県庁が在り、辺りの緑地に銅像が在る…
↑弓を手に騎乗という、猛々しい若武者という風な像だ…
↓<松平直政公>と在る…
↑少し新しい感じに見えたが…像は2009年に完成したモノだという。古く、1927年に松平直政の像が建立されていたのだが、1943年に「金属供出」ということで失われてしまったという経過も在るそうだ…
松平直政(1601-1666)は江戸時代前期の大名である。徳川家康の次男、結城秀康の子である。かの家康の孫ということになる…
この銅像は、未だ若かった松平直政が<大坂の陣>に出陣して、あの真田信繁(幸村)の軍勢と勇戦したと伝えられる様子を彫像としたものであるという…
上総姉ケ崎、越前大野、信濃松本と移封しながら、1638(寛永15)年に出雲松江に移封で「国持大名」ということになった。以降、松江の領主はこの松平直政の後裔が幕末期まで世襲することになる。
↓この像のイメージになっている<大坂の陣>で…「敵ながら天晴れな若武者!」と、敵将である真田信繁が軍扇を放って寄越したと伝わり、その軍扇は松江松平家の宝物として伝えられているそうだ…
↑当地の“藩祖”として敬愛される松平直政の像だが…何か「強敵に果敢に挑む若武者」という風情の像で、少し見入ってしまいたくなるこのが在る…
↑弓を手に騎乗という、猛々しい若武者という風な像だ…
↓<松平直政公>と在る…
↑少し新しい感じに見えたが…像は2009年に完成したモノだという。古く、1927年に松平直政の像が建立されていたのだが、1943年に「金属供出」ということで失われてしまったという経過も在るそうだ…
松平直政(1601-1666)は江戸時代前期の大名である。徳川家康の次男、結城秀康の子である。かの家康の孫ということになる…
この銅像は、未だ若かった松平直政が<大坂の陣>に出陣して、あの真田信繁(幸村)の軍勢と勇戦したと伝えられる様子を彫像としたものであるという…
上総姉ケ崎、越前大野、信濃松本と移封しながら、1638(寛永15)年に出雲松江に移封で「国持大名」ということになった。以降、松江の領主はこの松平直政の後裔が幕末期まで世襲することになる。
↓この像のイメージになっている<大坂の陣>で…「敵ながら天晴れな若武者!」と、敵将である真田信繁が軍扇を放って寄越したと伝わり、その軍扇は松江松平家の宝物として伝えられているそうだ…
↑当地の“藩祖”として敬愛される松平直政の像だが…何か「強敵に果敢に挑む若武者」という風情の像で、少し見入ってしまいたくなるこのが在る…
<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎(2019.06.05)
何となく…「奈良に滞在」というのが「2019年になってから3回目」となっていた…
↓地元の奈良としては、他所の人が宿泊するというのは歓迎であろうが…
>>「泊まれ」…:奈良の観光振興関係ポスター…(2019.06.05)
結局、「何となく居心地が好い」と足が向く側面が在るのだが…「気に入っている風景」というようなモノが在るから足が向くという側面も在る…
↓この景色が非常に気に入っている…
↑1934年竣工という旧駅舎を広場に動かして、観光案内所等として利用しているのである…
今般は、この場所が見易い場所に陣取ったのでもなかったが…JR奈良駅を利用した際に眺めていた…
↓地元の奈良としては、他所の人が宿泊するというのは歓迎であろうが…
>>「泊まれ」…:奈良の観光振興関係ポスター…(2019.06.05)
結局、「何となく居心地が好い」と足が向く側面が在るのだが…「気に入っている風景」というようなモノが在るから足が向くという側面も在る…
↓この景色が非常に気に入っている…
↑1934年竣工という旧駅舎を広場に動かして、観光案内所等として利用しているのである…
今般は、この場所が見易い場所に陣取ったのでもなかったが…JR奈良駅を利用した際に眺めていた…
<赤レンガ倉庫>を望む…(2019.06.01)
羽田空港に着陸後…降りた場所からビルまでの間に乗せられたバスがモタモタとして、ビルの地下に在る京浜急行の駅へ至るまでに30分程度を要してしまい「何だか面白くない…」と思いながら、京浜急行の列車で横浜に出た。横浜駅では、一度乗車してみたかった<サンライズ出雲>の切符がアッサリと入手出来て、何やら「御機嫌!!」ということになった。
その<サンライズ出雲>に乗車するまでの時間を利用し、「やや懐かしい…」と感じる<東郷平八郎元帥>を眺めようと横須賀に出て、横須賀で少しばかり空腹を満たし、横浜に引き返して少し散策することにした…
↓「<赤レンガ倉庫>というモノが辺りに?」と歩いていて行き当った光景だ…
↑思わず足を停め、暫し眺め入っていた…実際には「港の古い倉庫の建物」なのだが…「森の中の古い洋館」というようにも見える…不思議だ…
↓整備された緑地に花が…その向こうに、古い倉庫の外観を活かし、中を綺麗にした商業施設、文化施設である<赤レンガ倉庫>が浮かび上がるような感じだ…
「ドラマチックな夕暮れの空」という風でもなかったように思ったが、それでも日没辺りの微妙な光加減な時間帯に、こういう様子は「凄く画になる」と思った…
旅に出ると…存外に「惜しげもなく…」と景色が好い街を「通過…」に近いことにしてしまう…今般の横浜が正しくそういう事例になってしまうかもしれない…
↓この後、<赤レンガ倉庫>の中に在るカフェに寄って寛いだのだった…
>><スパイシークランチラテ>…(2019.06.01)
その<サンライズ出雲>に乗車するまでの時間を利用し、「やや懐かしい…」と感じる<東郷平八郎元帥>を眺めようと横須賀に出て、横須賀で少しばかり空腹を満たし、横浜に引き返して少し散策することにした…
↓「<赤レンガ倉庫>というモノが辺りに?」と歩いていて行き当った光景だ…
↑思わず足を停め、暫し眺め入っていた…実際には「港の古い倉庫の建物」なのだが…「森の中の古い洋館」というようにも見える…不思議だ…
↓整備された緑地に花が…その向こうに、古い倉庫の外観を活かし、中を綺麗にした商業施設、文化施設である<赤レンガ倉庫>が浮かび上がるような感じだ…
「ドラマチックな夕暮れの空」という風でもなかったように思ったが、それでも日没辺りの微妙な光加減な時間帯に、こういう様子は「凄く画になる」と思った…
旅に出ると…存外に「惜しげもなく…」と景色が好い街を「通過…」に近いことにしてしまう…今般の横浜が正しくそういう事例になってしまうかもしれない…
↓この後、<赤レンガ倉庫>の中に在るカフェに寄って寛いだのだった…
>><スパイシークランチラテ>…(2019.06.01)
海…天空…雲…光…利尻富士…(2019.06.15)
<宗谷岬ウィンドファーム>(2019.06.15)
注連縄…:出雲大社(2019.06.02)
兎…:出雲大社(2019.06.02)
↓出雲大社の境内で出くわす…
↑可愛らしい兎が随所に配されている…
↓こんな按配で、兎は本殿を見上げるような按配になっていたりする…
↑本殿を囲う塀の周囲を散策出来るようになっていて、そこでこういうような状況になっているのを視付けた…
これは「だいこく様と白兎」という物語を意識したものなのであろう。
出雲大社に祀られているのは「大国主大神」である。「だいこく様」としたが、よく「大黒様」となっているのは、元来は“別なモノ”である(七福神の)「大黒天」と何時の間にか混同されて定着してしまっているということで、とりあえず「だいこく様」としたのだ…
↓暫し、“物語”を意識した、「だいこく様を慕って集まる兎達」というイメージに設えられた様子を何となく眺めていた…
↑可愛らしい兎が随所に配されている…
↓こんな按配で、兎は本殿を見上げるような按配になっていたりする…
↑本殿を囲う塀の周囲を散策出来るようになっていて、そこでこういうような状況になっているのを視付けた…
これは「だいこく様と白兎」という物語を意識したものなのであろう。
出雲大社に祀られているのは「大国主大神」である。「だいこく様」としたが、よく「大黒様」となっているのは、元来は“別なモノ”である(七福神の)「大黒天」と何時の間にか混同されて定着してしまっているということで、とりあえず「だいこく様」としたのだ…
↓暫し、“物語”を意識した、「だいこく様を慕って集まる兎達」というイメージに設えられた様子を何となく眺めていた…
733系電車とキハ261系ディーゼルカー:札幌駅(2019.06.08)
789系電車とキハ261系ディーゼルカー:旭川駅(2019.06.12)
↓札幌へ向けての発車待機という状況の特急列車…789系電車だ…
↑先頭車両の側面…宗谷岬に在る「最北端」のモニュメントのイラストが入って「SOYA」という文字が視える…が…列車愛称は<ライラック>である…
↓左側に、旭川に到着したばかりの特急列車が停車中だ。これの愛称は<サロベツ>である…
↑稚内・旭川間の列車の乗客が旭川以遠を目指す場合…車輛先頭に「最北端」のモニュメントのイラストが入って「SOYA」という文字が視える<ライラック>に乗換える訳だ…
「北海道各地を結んで」というイメージで789系電車に様々なイラストを入れているのだろうが…電気で動く車輛は稚内の在る宗谷地方に乗入れることが出来るのでもない…このイラストは、稚内・旭川間、更に札幌に乗入れる特急列車用車輛にでも入れると好いのではないかと、勝手に思いながら眺めていた…
↑先頭車両の側面…宗谷岬に在る「最北端」のモニュメントのイラストが入って「SOYA」という文字が視える…が…列車愛称は<ライラック>である…
↓左側に、旭川に到着したばかりの特急列車が停車中だ。これの愛称は<サロベツ>である…
↑稚内・旭川間の列車の乗客が旭川以遠を目指す場合…車輛先頭に「最北端」のモニュメントのイラストが入って「SOYA」という文字が視える<ライラック>に乗換える訳だ…
「北海道各地を結んで」というイメージで789系電車に様々なイラストを入れているのだろうが…電気で動く車輛は稚内の在る宗谷地方に乗入れることが出来るのでもない…このイラストは、稚内・旭川間、更に札幌に乗入れる特急列車用車輛にでも入れると好いのではないかと、勝手に思いながら眺めていた…
キハ183系(後期型)と721系電車:札幌駅(2019.06.09)
キハ261系ディーゼルカーと789系電車:札幌駅(2019.06.09)
興福寺五重塔:夕刻(2019.06.05)
↓好天の夕刻に猿沢池、池の水面に映り込む興福寺の様を眺めていた…
>>灯り…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
五重塔をライトアップしているようで、何やら光が判ったので、少し五重塔に近づいてみた…
↓仄かに仮に浮かび上がる感じだ…
↑画の右側の、写っていない箇所に大きな投光器のようなモノが据えられ、五重塔にライトを当てている…
↓雲と光が微妙な空の雰囲気を創り出している感だが、それを背景に「仄かに明るい五重塔」というのが意外に目立つ…
↓木材を複雑に組上げ、独特な形状が造られている様子が照らし出されて面白い…
↑高さは50m在るそうだ…興福寺は火災や戦禍で建物を失って再建している経過が色々と在るというが、五重塔については1426(応永33)年頃に再建されたモノが現在に伝わっているのだという…「600年弱」ということになる…
興福寺は有名寺院で、同時に交通至便な場所だが…考えてみると、自身としては「時間をゆっくりと費やした」という感が薄い…こうやって、在るのか否かも定かではない“次回”の訪問への“課題”に気付く訳である…苦笑が漏れる…
>>灯り…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
五重塔をライトアップしているようで、何やら光が判ったので、少し五重塔に近づいてみた…
↓仄かに仮に浮かび上がる感じだ…
↑画の右側の、写っていない箇所に大きな投光器のようなモノが据えられ、五重塔にライトを当てている…
↓雲と光が微妙な空の雰囲気を創り出している感だが、それを背景に「仄かに明るい五重塔」というのが意外に目立つ…
↓木材を複雑に組上げ、独特な形状が造られている様子が照らし出されて面白い…
↑高さは50m在るそうだ…興福寺は火災や戦禍で建物を失って再建している経過が色々と在るというが、五重塔については1426(応永33)年頃に再建されたモノが現在に伝わっているのだという…「600年弱」ということになる…
興福寺は有名寺院で、同時に交通至便な場所だが…考えてみると、自身としては「時間をゆっくりと費やした」という感が薄い…こうやって、在るのか否かも定かではない“次回”の訪問への“課題”に気付く訳である…苦笑が漏れる…
迷ってしまった時は…両方!!(2019.06.12)
御神木:難波神社の“保存樹”(2019.06.07)
少し強い雨が降り続いた中…南海なんば駅辺りから、近鉄と阪神の列車が発着する大阪難波駅辺りを通り、御堂筋をゆっくりと北上した…
ゆっくり北上しながら、傘を使っても少々濡れてしまう強めな雨の中で進んだ御堂筋の地下には地下鉄が通っていて…なんば駅、心斎橋駅、本町駅と続いている…その本町駅の手前辺りに難波神社が在る…
難波神社は大変に長い歴史を有している社で、天正年間に大坂城の築城に関連して現在地に遷座したと伝わる。第2次大戦期の戦禍で社殿が焼失してしまい、1974(昭和49)年に現在の社殿が再建されたのだという…
↓雨の中、大きな木が佇んでいることに注目した…
↑御神木ということになっている楠だ…樹齢は400年を超えるらしい…
↓これは辺りが戦禍の炎に包まれた中、傷んでしまいながらも生き続けて現在に至っているのだという…
↑大変な状況を潜り抜けた大木なので、「漲る力を分けてもらえる」と木を触ってみるという人も多いようだ…
この木は、大阪市が指定する“保存樹”というモノで、その「第1号」なのだという。“保存樹”というのは老樹・巨木を指定し、それを守り育む経費の助成を行うというものであるということだ。
大阪の中でも最も繁華な通の一つに沿った辺りに、数百年の人々の営みを見詰め、戦禍の中を生き延びた大きな木が在るというのは興味深いことだと思う…
ゆっくり北上しながら、傘を使っても少々濡れてしまう強めな雨の中で進んだ御堂筋の地下には地下鉄が通っていて…なんば駅、心斎橋駅、本町駅と続いている…その本町駅の手前辺りに難波神社が在る…
難波神社は大変に長い歴史を有している社で、天正年間に大坂城の築城に関連して現在地に遷座したと伝わる。第2次大戦期の戦禍で社殿が焼失してしまい、1974(昭和49)年に現在の社殿が再建されたのだという…
↓雨の中、大きな木が佇んでいることに注目した…
↑御神木ということになっている楠だ…樹齢は400年を超えるらしい…
↓これは辺りが戦禍の炎に包まれた中、傷んでしまいながらも生き続けて現在に至っているのだという…
↑大変な状況を潜り抜けた大木なので、「漲る力を分けてもらえる」と木を触ってみるという人も多いようだ…
この木は、大阪市が指定する“保存樹”というモノで、その「第1号」なのだという。“保存樹”というのは老樹・巨木を指定し、それを守り育む経費の助成を行うというものであるということだ。
大阪の中でも最も繁華な通の一つに沿った辺りに、数百年の人々の営みを見詰め、戦禍の中を生き延びた大きな木が在るというのは興味深いことだと思う…
今宮戎駅:南海(2019.06.07)
今宮戎神社の直ぐ傍…「神社の最寄駅」であると一目で判る<今宮戎>という名の駅が在る…
強めな雨の中、今宮戎神社を訪ねてみて、直ぐに見えた駅にとりあえず入った。
高架線の上に設けられている駅で、南海の優等列車は通過してしまう駅である。南海の運行系統の中では「高野線の各駅停車」という分類になる列車だけが停車するようだ。<なんば>の「直ぐ隣」である割に静かな駅だ…(尤も、今宮戎神社の催事の際等は凄く込み合うと思われるが…)
↓ホームに出てみて、屋根の下に何となく佇むと…「高架線の上」という感覚が薄いような気がした…
↑「適当に年季が入った…」という感じなホームで、「それなりに風情…」と思って様子を見ていた…
↓向き直ると、なんば駅へ向かう列車がやって来た…
↑これに乗車してなんば駅へ向かった…
なんば駅まで1駅…短い乗車時間の中、南海沿線に関して、自身としては存外に「開拓の余地」が大きいというようなことを考えていた…
強めな雨の中、今宮戎神社を訪ねてみて、直ぐに見えた駅にとりあえず入った。
高架線の上に設けられている駅で、南海の優等列車は通過してしまう駅である。南海の運行系統の中では「高野線の各駅停車」という分類になる列車だけが停車するようだ。<なんば>の「直ぐ隣」である割に静かな駅だ…(尤も、今宮戎神社の催事の際等は凄く込み合うと思われるが…)
↓ホームに出てみて、屋根の下に何となく佇むと…「高架線の上」という感覚が薄いような気がした…
↑「適当に年季が入った…」という感じなホームで、「それなりに風情…」と思って様子を見ていた…
↓向き直ると、なんば駅へ向かう列車がやって来た…
↑これに乗車してなんば駅へ向かった…
なんば駅まで1駅…短い乗車時間の中、南海沿線に関して、自身としては存外に「開拓の余地」が大きいというようなことを考えていた…
<ラピート>:なんば駅(2019.06.07)
雨天…:今宮戎神社(2019.06.07)
通天閣の足下辺り…<新世界>と呼ばれるエリアで“串カツ”の店に寄ってみれば、商売繁盛を願う神社の縁起物がさり気なく飾られていた…今宮戎神社のモノだった…
お店の方によれば「この辺で商売やっている者は皆が“えべっさん”に…」ということであったが、通天閣の傍には今宮戎神社に因むらしい「恵美須町」という住所さえ在り、「地域の人達の篤い信心の対象でもある場」という今宮戎神社が酷く気になった…
その今宮戎神社に寄ってみようと考えて休んだ夜の翌朝…辺りは雨だった…多少の雨なら「使っても…濡れてしまう…」と傘は使わないのだが…かなり激しい感じだったので、宿のフロントで売っていた300円の傘を求めて、それを使いながら戸外へ出てみた…
↓雨に負けずに歩き、今宮戎神社に至った…
↑写真に撮って…「降っている雨」が「判る」という程度である…
この時は「防滴仕様」が謳われているでもないX100Fを使った。カメラ全体をスッポリと包むレザーケースに入れた状態で提げて持ち歩き、撮影時に素早く開いて写真を撮る…そういうやり方で写真を撮った…
↓建物の屋根や境内の地面が酷く濡れている…
↑これは偶々在った軒の辺りで撮った画だ…
何となく…「雨にも負けずに、地元の皆さんに愛される“えべっさん”に会いに来ることが叶ったことに感謝…」という気持ちになった…
お店の方によれば「この辺で商売やっている者は皆が“えべっさん”に…」ということであったが、通天閣の傍には今宮戎神社に因むらしい「恵美須町」という住所さえ在り、「地域の人達の篤い信心の対象でもある場」という今宮戎神社が酷く気になった…
その今宮戎神社に寄ってみようと考えて休んだ夜の翌朝…辺りは雨だった…多少の雨なら「使っても…濡れてしまう…」と傘は使わないのだが…かなり激しい感じだったので、宿のフロントで売っていた300円の傘を求めて、それを使いながら戸外へ出てみた…
↓雨に負けずに歩き、今宮戎神社に至った…
↑写真に撮って…「降っている雨」が「判る」という程度である…
この時は「防滴仕様」が謳われているでもないX100Fを使った。カメラ全体をスッポリと包むレザーケースに入れた状態で提げて持ち歩き、撮影時に素早く開いて写真を撮る…そういうやり方で写真を撮った…
↓建物の屋根や境内の地面が酷く濡れている…
↑これは偶々在った軒の辺りで撮った画だ…
何となく…「雨にも負けずに、地元の皆さんに愛される“えべっさん”に会いに来ることが叶ったことに感謝…」という気持ちになった…
御霊神社:奈良(2019.06.05)
京終駅の駅前に掲出された案内図を視て、<ならまち>と呼びならわされているエリアを目指した歩いた…
「古くからの住宅街」というような趣な街で、何かの配達のような車輌が停まっていて、ドライバーが作業をしている様子が見受けられた…
↓そういう中、最初は停車中の車輌の陰で判り悪かったが、忽然と鳥居が現れた…
↑「神社?」と注目した…<御霊神社>(ごりょうじんじゃ)と鳥居に額が掲げられている…
↓鳥居の脇に「桓武天皇勅願所」と在る…
↑“桓武天皇”と言えば、平城京から長岡京への遷都を計画し、それの進捗が捗々しくなかったことから改めて平安京に遷都したことで知られる、8世紀末に活躍した人物である…その名が掲げられている?相当に古くからの社であることが伺える…
800(延暦19)年に「御霊会」(ごりょうえ)という祭事が催されたことを社の起こりとしているようだ…1200年余りの歴史を有することとなる…
「御霊」(ごりょう)というのは、思いがけない最期を遂げた、「不慮の死」で他界した者の霊魂である。「御霊」という言葉そのものは「死者の霊魂」を指す一般的な語であったものが、「死霊=怨霊」という意味になり、その「祟り」を恐れて祭事を行うようになった。それが「御霊会」(ごりょうえ)であるという。
この御霊神社には、井上皇后(いがみこうごう)、早良親王(さわらしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と、「御霊」とされた人々が祀られている…
↓然程広くない敷地に、1200年余りの歴史を有する神社…敷地が狭いことに多少驚いたが、同時に「さり気なくこういうモノが辺りに在る」ということが“古都”らしい感じである…
「古くからの住宅街」というような趣な街で、何かの配達のような車輌が停まっていて、ドライバーが作業をしている様子が見受けられた…
↓そういう中、最初は停車中の車輌の陰で判り悪かったが、忽然と鳥居が現れた…
↑「神社?」と注目した…<御霊神社>(ごりょうじんじゃ)と鳥居に額が掲げられている…
↓鳥居の脇に「桓武天皇勅願所」と在る…
↑“桓武天皇”と言えば、平城京から長岡京への遷都を計画し、それの進捗が捗々しくなかったことから改めて平安京に遷都したことで知られる、8世紀末に活躍した人物である…その名が掲げられている?相当に古くからの社であることが伺える…
800(延暦19)年に「御霊会」(ごりょうえ)という祭事が催されたことを社の起こりとしているようだ…1200年余りの歴史を有することとなる…
「御霊」(ごりょう)というのは、思いがけない最期を遂げた、「不慮の死」で他界した者の霊魂である。「御霊」という言葉そのものは「死者の霊魂」を指す一般的な語であったものが、「死霊=怨霊」という意味になり、その「祟り」を恐れて祭事を行うようになった。それが「御霊会」(ごりょうえ)であるという。
この御霊神社には、井上皇后(いがみこうごう)、早良親王(さわらしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と、「御霊」とされた人々が祀られている…
↓然程広くない敷地に、1200年余りの歴史を有する神社…敷地が狭いことに多少驚いたが、同時に「さり気なくこういうモノが辺りに在る」ということが“古都”らしい感じである…