吉田松陰の旧宅と<松下村塾>:萩(2019.06.03)

東萩駅に列車で辿り着き、駅の中に観光案内所が在ったので地図を頂き、早速に辺りを歩き始めた。

<松陰神社>が東萩駅に近い…辺りは、江戸時代には城下町をちょっと外れた村だった場所だ…

↓これは吉田松陰が地元に戻されて、外出禁止ということになって「幽囚」という状況で住んでいたという家である…
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↑御本人の父親の家であったそうだ…

↓それほど広いとも思えない家だが、当時の住宅はこういうような感じだったのであろう…
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↓日中が開いていて、外から屋内の様子を伺うことが出来る…
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吉田松陰はこの旧宅で学問を講じた訳だが、なかなかに魅力的な教育者で、広く門戸を開いて学ぶ意欲が在る者を迎えていたことから、集まる人達で手狭な状態になってしまった…

↓手狭になってしまったことを受けて、直ぐ横に建物を建てた…その建物が<松下村塾>となったのだ…
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↓最近読んだ小説で<松下村塾>が登場するので、少し興味を覚えたのだった…
>>『風の如く』
posted by Charlie at 06:46Comment(0)山口県

松陰神社:萩(2019.06.03)

1890(明治23)年に、吉田松陰の門下であった人達等、所縁の在る人達が傷んでいた<松下村塾>の建物を補修した際、吉田松陰を祀る祠を設けたのだという。その祠に祈る人達も多く在った中、1907(明治40)年に「私的な祠ではなく、公の神社に」ということで山口県に創建の旨が請願された。そして登場したのが<松陰神社>である。

↓境内の入口である…
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↓社殿の手前だ…
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↓社殿は、1940年代前半に新たなモノを建てて遷座を計画したものの戦時の状況でそれが実現せず、戦後になって更に新しい社殿に手を入れて1956(昭和31)年に遷座したのだという。それが現在のこの社殿だ…
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↑多くの皆さんの強い想いを受けたような、なかなかに立派な社殿だった…

↓社殿の脇に据えられた狛犬が、少し重厚な感じだった…
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この場所…吉田松陰の、地元での「巨大な存在感」を実感させてくれる場所だった…
posted by Charlie at 06:44Comment(0)山口県

<山県有朋 公>の像:萩(2019.06.03)

↓騎乗姿の軍人…なかなかに立派な像が在った…
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↓かの山県有朋の像だった…
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↓彼もまた「総理大臣経験者」ということになる…
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この山県有朋に関しては、京都で彼が使っていたという別荘の跡―自身の家と、意外に風流人だった彼が“こだわり”で設えた庭、そして元老であった彼を訪ねる人を迎えた接客用の小さな洋館が在る…―に立寄ったことが在った…

萩は、過去に活躍した人物を多く輩出している経過が在る…そういう関係で「人物の像」が多い街であるような気がした。
posted by Charlie at 06:40Comment(0)山口県

京終駅(きょうばてえき)(2019.06.05)

↓長柄駅から乗車した列車が、奈良駅の1つ手前になる京終駅に到着した…
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↑<万葉まほろば線>という愛称が2010年から用いられているという桜井線では、こういう2輛運行の105系電車が行き交っている…

↓出口へ向かおうと、地下通路を通って駅舎脇の側のホームに…何か「鉄道駅!」という雰囲気が濃厚だ…
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↓駅舎からホーム側への出入口に、少し古風な看板が掲げられている…
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↑京終駅は1898(明治31)年に、ここに鉄道が開通した当初に開業した駅であるということだ…

「京終」という名だが…これは「平城京の終わる辺り」ということで“京”と“終”が組み合わさって「きょうばて」と読ませる地名になっていたことから起こった駅名であるという…“京”も“終”も難しい字でもないが、組み合わさると「難読…」になってしまう訳だ…

↓酷く趣深い駅舎だ…
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↑開業当初から基本的に変わらなかった駅舎の建物が、2017年にJR西日本から奈良市へ譲渡され、奈良市が“復元”を行ったのだという。「古風ながら新しい」という、少し不思議な感じだが、思わず見入ってしまった…

時々思うのだが…「風雪が厳しい時季」という程のモノが無い地域なので、この種の古い建物も永く残り易いのかもしれない…鉄道駅となれば、繁華な街の真中でもなければ「改修が必要という圧力のようなモノ」も発生し悪く、そのまま利用され続け、老朽化する中で「どうする?」ということになって行くのかもしれない。この京終駅も無人駅化されていて「IC乗車券を読み取る装置を設置し、乗降可能なホームが在る」というだけで「用事は足りる」ということになるが…伝統の駅舎を“復元”して利用することにしたようだ…

この京終駅は、奈良市街の南東辺りを動き回ってみる拠点として悪くないと思った。そしてこの明治時代風な駅舎が酷く好い…鉄道を敷設して駅を建てた先人への敬意のようなモノが感じられて好ましい…県庁所在地のメインになる駅の1つの隣でありながら、「ローカル線…」という雰囲気も色濃いのだが…「また寄りたい」という場所だ。

<奈良ホテル>(2019.06.05)

↓正しく「和洋折衷」とでも言うのか?古い建築が多く残る奈良の街と親和性が高い、重厚なデザインの建物だと思う…
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↓これが…1909(明治42)年創業であるという<奈良ホテル>だ…奈良公園の一隅を占めている…
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↑「関西の迎賓館」というような位置付けさえ与えられて創業した格式が高いホテルだ…

↓或いは…こういう明治時代の終盤や大正時代辺りの建物のデザインは…最近のモノよりも好いかもしれないと、個人的には思うことが在る…
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想い起すと何度も奈良には立寄っているが…今般、初めてこの建物を眺める機会を設けることが出来た。「気が早い夏…」という按配な好天の中、建物が映えていた…
posted by Charlie at 06:14Comment(0)奈良県

運行日誌追記(-2019.06.09)

既に日付が改まって6月10日の朝だが…「やや極端な早寝」の結果として「早起き…」という朝を稚内の拙宅で迎えている…

6月8日の夜は、札幌都心の宿に入って、そのまま6月9日の朝まで一歩も外に出ずに休んで、やや早くに出発した…

札幌駅・新千歳空港間を列車で移動し、空港で搭乗手続き、未だ開店していない館内飲食店が多数な中、開いていた店でうどんを求めて朝食とし、保安検査場を通って待合室に入った。出発が多少遅れたが、無事に小さな飛行機は稚内へ飛んだ…稚内空港から稚内駅まではバスで移動した。

拙宅に戻ると…旅の際に汗で湿って、6月7日の雨で濡れたジーンズや、その他に拙宅に在った衣類を洗濯しようと直ぐにコインランドリーへ向かった。コインランドリーから戻る道すがら、馴染んだ店でやや遅い昼食をゆっくり愉しんだ。拙宅に戻ってから、今度は別な馴染みの喫茶店に足を運んで寛ぎ…拙宅に引揚げて、出先から送っていた荷物を受け取り…そこで直ぐに眠ってしまった訳だ…眠ってしまった頃は、多分、未だ午後7時にもなっていなかったと思う…

「非常に充実!!」の直後に「脱力感…」というようになる場合が在るのかもしれない。現在が正しくそれであろう…

出先では日中に25℃を超えるとか、その辺りの気温帯が多く、30℃に届いていたという場面さえ在ったようだ…半袖Tシャツ着用で過ごす場面が殆どだった。稚内へ戻り…甲子園球場のショップで求めた、野球のユニフォーム型の半袖シャツを着ていたが…上着を1枚引っ掛けた…稚内は15℃を挟むような気温帯で、風が少々冷たい…何やら「異国情緒」のようなモノさえ感じてしまうことを禁じ得ない…

これから…方々での写真を整理して、見聞等を纏めておこうかと思っている。「次」が在るのか否か、よく判らないが…

<奈良ホテル>の“オリジナルブレンド”の珈琲(2019.06.05)

奈良には<奈良ホテル>という老舗ホテルが在る。1909年というから…明治42年―「他界して久しい祖母が産まれたような頃?」と余計な事を思い出すような年代だ…―に創業したホテルだという。創業110年だ…

「創業110年」の<奈良ホテル>は、「皇室御用達」のような高い格式で、立派な建物で気軽に宿泊出来るのでもないが…立派な建物を眺め、館内飲物でも頂いて一息入れ、土産を求めるという程度のことなら…然程難しくもない…

↓こんなモノを求めた…
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↓こういう中身だ…
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↑200g入りの珈琲…豆を挽いた状態でパックに詰めているモノだ…写真は奈良の宿で撮ってみた…

奈良でさんざん歩いた1日を過ごしたのだったが…その途次に<奈良ホテル>館内で珈琲を頂いて一息入れ、出口へ向かう途中の売店を覗けば、「オリジナルブレンド」が販売されていた。思わず求め…奈良の宿から拙宅へ送り込み、無事に受け取ったところだ…

豆を挽いた状態なので、そのままドリップをすれば好い訳で…早速に早朝から頂いている。なるほど、<奈良ホテル>館内で頂いた感じ…「バランスが好い、珈琲らしい苦さ」という具合だ…

拙宅では<NARA>という、某有名カフェチェーンが地域名を入れて製造して販売しているシリーズの大き目なマグカップを使っているが…「奈良の老舗ホテルのオリジナルブレンドの珈琲を<NARA>のカップで…」ということをやっている訳だ…

こういうような…老舗の雰囲気を伝え、旅の余韻に浸ることも出来るような代物…凄く好い!!

利尻富士が浮かぶ海…:上空から…(2019.06.09)

札幌・稚内間のフライトを利用した…

このフライトの場合…「日本海が(窓から)視える」のは「進行方向左側」であり…翼等に妨げられ悪い、写真が撮り易い場所は「最後方」である…

イマドキ、飛行機の搭乗手続きは空港内に据えられた機器で“セルフサービス”が普通だと思うが…上記の条件の席に空きが在れば「何としても!!」と思い、係員が居るカウンターに立寄って御願いした…

↓そういう“一手間”の結果だ…
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今回は「山の形」が綺麗に見えている…

↓6月1日の稚内・東京(羽田)のフライトでは…趣が大いに異なっていたのだった…
>>雲に丁寧に包まれた…:上空から望んだ利尻富士(2019.06.01)

↓機首は多分、空港の側を向いている筈…大沼が視える…
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↓“北海道”という島の北端部の地形―画の右が北寄りに相当する…―が拡がり、日本海が視えて、海上に「“富士山”の形」の利尻島が浮かぶ感じ…
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↓蒼天に白雲が散る感じ…なかなかに好い…
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眺望を満喫(!!)という感だったが…とりあえず…暫しの気儘な“御出掛け”から稚内に戻った…

サロベツ原野 「道道106号」 28基の風力発電風車:上空から…(2019.06.09)

飛行機の窓から地上の様々なモノが視えるのは面白いが…「アレだ!」とハッキリ判らない場合も多いかもしれない…

↓しかしこれは判った!!
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↑海岸部の道路に沿って、背が高いモノが林立している…

「道道106号」(北海道庁が管理する道路)の沿線で視られる、28基の風力発電風車が並んでいる区間だ…直線になっている道路に沿うように、概ね3㎞近くで巨大な風車が林立している場所だ…上空を行く飛行機の窓から、条件が非常に好かったので綺麗に見えたのだ…

↓流れて来た雲の隙間から覗く様が面白いとも思った…
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↓あっという間に通り過ぎたが…一寸面白い眺めだった…
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窓から…<あべのハルカス>が視えた…(2018.06.08)

「通天閣の足下辺りの宿」と勝手に呼んで親しんでいる場所に滞在したが…建物は<新世界>と呼ばれるエリアでは少し抜き出て背が高い…

↓背が高い建物が少ないので…4階という然程高層でも無い辺りでも眺望が好い場合が在る…
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↑<あべのハルカス>が聳え立っている様が伺える…

当初は、薄いカーテンで居室の窓から外が視え悪く、<あべのハルカス>が見えている様子に気付かなかった…記憶しておきたい…

窓はワイヤーが入った硝子だが、窓の硝子面にカメラのレンズを「着ける」ように撮れば、ワイヤーが気にならなくなる…

こんな眺め…また何時か眺めたいものだ…そう思いながら大阪から移動を開始した…
posted by Charlie at 06:16Comment(0)大阪府

<C62 17>:<リニア・鉄道館>(2019.06.08)

「鉄道博物館」というモノ…以前から人気は在ったのだと思うが…2000年代にリニューアルや新設が目立った代物でもある…

JR東海が、JR東日本やJR西日本、更にJR九州が関わる鉄道博物館の好評を意識したのか<リニア・鉄道館>を名古屋市内に開設している…

↓その<リニア・鉄道館>の、展示スペースに入って直ぐという辺り…
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↑C62形蒸気機関車である…大きい…東海道線を行く特急<つばめ>を牽引していた機関車だ…

このC62形…軌間1067㎜の“狭軌”を走行する蒸気機関車としては最高速度ということになる、時速129㎞を1954年に記録しているのだそうだ…

因みに…東海道線等の在来線の幹線等で現在行き交っている電車は、速度が上がる区間では最大時速130㎞で走行しているらしい…蒸気機関車の時代とは大きく異なる…

この<リニア・鉄道館>は「より速く…」と車輛が進化し続け、「速く安全に…」と運行の努力が続けられた経過を、多くの“実物”の展示で紹介しようとしている一面が在る…

それはそれとして…「東海道を行き交った蒸気機関車牽引の特急列車」の先頭に在った機関車…何か好い!!
posted by Charlie at 05:44Comment(0)愛知県

“点灯”…:通天閣の在る光景…(2019.06.06)

一寸…冷たいモノが欲しかった…サッパリした感ではあったのだが、“サウナ”の後なのだ…“シェイク”を頂いて一息入れた…

↓「一息…」の後にはこういう様子が視られた…
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↑“点灯”である…時々色を変えるランプが入っている通天閣…緑に輝いている…

少し前に「工事中…」であった店も竣工して、普通に営業していたようで、電飾の光に“切れ間”が目立たない…

「通天閣の在る光景」というようなモノ…なかなかに好い…
posted by Charlie at 05:09Comment(0)大阪府

“点灯”の少し前…:通天閣の在る光景…(2019.06.06)

愛用の時計―ウラジオストクで求めたロシア製で、松江の商業施設に入っていた時計店でバンドを交換したばかりの代物…―に目を落とした…「日没」には「ほんの少し」だけ間が在るようだ…

↓因みにその時計…
>>愛用の「ロシア製」の時計…(2019.06.02)

「辺りの基準」では“静か”な部類なのかもしれないが、「稚内の基準」では“かなり賑やか”という感の雑踏の中に滑り込むように入って行く…

↓飲食店等の灯りが目立つ他方、空は未だ明るく、通天閣は“点灯”していない…
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↓何か…「中途半端な光の加減」というようなモノが好いかもしれない…
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posted by Charlie at 05:07Comment(0)大阪府

黄昏へ…:通天閣の在る光景…(2019.06.06)

通天閣の傍に“サウナ”…勝手ながら「サウナを備えた大浴場の施設」を“サウナ”と呼び習わしているのだが、何度か利用したこともある施設が在って、久し振りに利用した…

↓日没時刻も近い頃、「サッパリ!!」と館外に出て佇んで眺めた光景だ…
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↑薄い雲が流れる空を背景に、方々に灯りが入り始めた感だ…

↓画の左下…飲食店―“串カツ”の店が非常に多い…―が軒を連ねる、「半ば年中が祝祭?」のような通は、灯りで辺りから浮かび上がっているかのようにも見える…
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辺りが最も「らしい…」というような様子になって行く“前触れ”のような気がする…
posted by Charlie at 23:21Comment(0)大阪府

通天閣に迎えられる…(2019.06.06)

長い旅…稚内から東京へ飛び、横浜から夜行列車で出雲に出て、萩を巡ってから広島に至り、そこから神戸経由で奈良へ向かい…奈良から京都に寄って大阪である…

↓大阪滞在時、気に入っている宿も在る、気に入っているエリアに至ると…何時もこれが眼に留まる…
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↑言わずと知れた<通天閣>である…

↓こうやって<通天閣>を仰ぎ見ると…最近では「大阪にやって来た…」というよりも「戻って来てしまった…」と感じてしまう…
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逆に<通天閣>の側から…「また?来たか?ご苦労さん…」と迎えて頂いているような気がしないでもない…

この日は、何やら日中に30℃に至ったそうだ…汗もかき、日に焼けた…稚内では「在り悪い」という次元の「夏」のような1日だった…
posted by Charlie at 23:20Comment(0)大阪府

北の空を目指し…♪:運行日誌(2019.06.07-08)

札幌の宿に在る…到着した時点で「ぼんやりしていると午後9時になりそうな…」という時間帯であった…本当に直ぐに午後9時になってしまったのだったが…宿に入る前に居室で飲むモノ等を求めてあった訳で…「今夜はもう出ないで、直ぐに休む…」という態勢に入ってしまった…

札幌駅から南下した訳だが…大通公園周辺で「祭り」の盛りで、交通規制が入っていた。「おい!!勝手に道路を塞いでくれるな!!渡れないじゃないか!!!その先…30秒もかからない場所に行くのに5分も掛かるじゃないか?!」と、少々歩いただけで苛立つこと頻りだった…そういうことも手伝って「素早く休む…」という気分にもなった訳だ…

少し長い1日だったかもしれない…

前夜は、日付が変わってから休んだが…何やら「バタン…」と深く長く眠り、気付けば午前6時半を過ぎた辺り…「普通」な時間帯の起床であるとは認識するが…変な時間帯に眼を開けることもなく、そんな時間帯までシッカリと眠っていたのは久し振りであるような気がする…「“甲子園”の日」とばかりに、前日にエネルギーを使った証左でもあると思うのだが…

スッキリしたような、ぼんやりしたような、よく判らない状況でとりあえず今日の行動開始だった…

何となく…「夕刻に名古屋から札幌へ飛び、翌日に稚内へ…」という「妙(??)な段取り」だ…「大阪から名古屋へ移動」ということになる…「関西方面から真直ぐ札幌」のフライトで気に入った感じのモノが「何となく?」と見当たらなかったというだけのことだが…大阪・名古屋間の移動も一寸面白いと思っている・

大阪・名古屋間…新幹線ではなく、近鉄特急にした…意外にアレが好きなのだが…今般は偶々乗車したことが無かった<アーバンライナー>という、「平成の御代」に登場した車輛に乗車だった…これまでの何回かの利用では専ら「“昭和”な雰囲気?」という感じだった…<アーバンライナー>は、何処となく「新幹線に遜色無い」というような感じを目指したのかもしれないと感じたが…それでも、何となく独特な沿線を駆け抜ける風情で、それを愉しんだ…<アーバンライナー>や、違う呼称で殆ど同じような車輛が、近鉄沿線を通過する場面や駅で乗降が行われている場面は視ていたが…乗車したのは初めて!!こういうのは面白い…

名古屋では…<あおなみ線>なるモノを利用した。JR東海による鉄道博物館である<リニア鉄道館>をとりあえず視て来た。あそこは…「各年代の“実物”の車輛を据えた東海道新幹線広報室」という感が強く、「博物館“感”」は「JR東日本やJR西日本、更にJR九州が関わる他所よりも弱い??」というようには思った…が、「気になっていたが、訪ねる機会を設けられていなかった…」という場所だったので、寄ることが出来て善かった…

思い返すと…復路を「大阪→名古屋→札幌→稚内」というように、往路は「稚内→東京」と「出入口」だけは交通等を確保し、「中身」は「現場の思い付きで構わない…気儘が好い…」と設けてみた時間を費やすこととした。何処となく、事前計画を拒むかのような感さえ否定し悪かったかもしれない…或いは、色々と思い付き過ぎて、自身の中で収拾困難に陥っていたのかもしれないが…

そして…結果として「気になっていたが、訪ねる機会を設けられていなかった…」が「キーワード」になった…

「気になっていたが、訪ねる機会を設けられていなかった…」??現役の普通に窓口で切符を求めて乗車可能なモノとしては、目下のところ「唯一!!」になってしまっている<サンライズ>に乗車…出雲大社、松江城、萩を訪ね…広島城に寄り…甲子園球場を訪ねて、見学をして試合観戦…<リニア鉄道館>である…何れも「気になっていたが、訪ねる機会を設けられていなかった…」である。

ハッキリ言えば…「九州北部に在って福岡空港を利用」、「関西に在って神戸空港や関西空港を利用」というのは、「道内で札幌に出て新千歳空港を利用」という場合と「然程の差を感じない」という按配だ。慣れている…対して名古屋の中部空港は…利用機会が少し少なく、何となく勝手が慣れない…その中部空港を久し振りに利用だ…

あの(!!)、何やら「世界の中心である!」とでもいう程に広壮で、周辺の住所がその略称である「名駅〇丁目」という住所―この“名駅”のように、「札幌駅」を“札駅”と呼ぶ人が多くなっている…私が高校生位の頃には、多分「存在しなかったような?」言い方なので抵抗感も強い…少なくとも名古屋で“名駅”は住所にまでなってしまっているが、“札駅”はその限りでもない…―になってしまっている名古屋駅の中を彷徨い…名鉄の空港線の列車に久々に乗車した…偶々、熱田神宮から名古屋駅へ向かう際に名鉄の列車には乗車した経過が在ったが…久し振りに列車で中部空港だ…

久々の空港で利用したのは、これも久々ということになる<ジェットスター>の便である…随分以前に、<ジェットスター>の便で中部空港に着いたという記憶は在るのだが…中部空港から乗るのは初めてだった…で…空港でゆったりしてから搭乗すると、席に落ち着いて眠気が射し、駐機場から滑走路へ動き始めた後…眠ってしまったようだ…気付けば「雲の上」で、操縦席からの副機長のアナウンスで「山形県の日本海沖を航行中」ということだった…苦笑が漏れる…

色々な見聞は追って振り返りながら纏めて行こうとは思っている…明日は更に北上だ…

強めな雨が交じった日に…:運行日誌(2019.06.07-08)

「午後10時半」というような次元に、出先で宿に引揚げる…最近では少し珍しいかもしれない…大阪の通天閣の“足下”辺りの宿に在る…

宿で朝食を頂いたが…会場となるホールのテレビでは、方々で大雨の予報で、「避難指示」という話しになった地域や、交通の運転見合わせが生じた地域が在るという話題を取り上げていて、少々気持ちが曇った…関西も雨が強い時間帯が在るということだった…

とりあえず…朝食を摂った直ぐ後辺りから雨が交じり、やがて雨は強めになった…戸外に出ようとした際、既に強めな雨だったので…宿のフロントで販売していた「300円の傘」を流石に求めた…傘を使っても…かなり濡れてしまったが…

食事を摂った“串カツ”の店に<今宮えびす>の縁起物が飾られていて、一寸店の方と言葉を交わした…1月の祭事に際し「この辺りで商売をしている者は粗方出掛けて、縁起物を買います」という話しだった今宮戎神社が酷く気になった…雨の中で歩いて足を運んでみた…

そういうことを仕出かして…直ぐ傍の南海の今宮戎駅から列車に1駅間乗車…なんば駅に出て、また街を歩いた…難波神社にも立ち寄った…そして難波神社となれば、地下鉄の本町駅が近い…

本町駅から地下鉄に乗り…日本橋駅に至って<なんばウォーク>の<久保本家酒造>(大宇陀の老舗の酒造会社…)が運営する殆どカウンター席だけの店で濁酒を頂いて牛すじ煮込みを摘んだ…

そんなことをやっていて…なんば駅に出て…大阪難波駅へ歩き、阪神なんば線の列車に乗り…車中で居眠りに至ってしまった…そして尼崎駅に着いて、乗務員のアナウンスに起こされてぼんやりとしてホームに出れば…直ぐ目の前に阪神本線を進む特急列車が現れ…それに飛び乗って甲子園駅へ…

実は今般…「6月7日に甲子園球場でタイガースとファイターズの交流戦の試合が…」と偶々気付き、ネット予約で入場券を押さえ、序でに球場内を見学出来るツアーにも申し込んでいたのだった…

雨がやや強い状態…昼頃まで続き、夕方から夜にも「不意に雨脚が強く…」というのも在ったが…無事に見学ツアーも試合も愉しむことが叶った!!今宮戎神社や難波神社、序でに甲子園球場裏の素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)で、自身がとりあえず生きて随意に活動していることに感謝の意を表しながら、強めな雨の妙な影響が少なく済むことを祈っていたような感なのだが…少しばかり“御利益”が在ったのか?

独特な雰囲気の甲子園球場…今年で創建以来95年…何度も改装してはいるが「完全に壊して再建した」という経過はない、正しく「多くの笑顔や涙を視て来た野球場」と言える甲子園球場…最早「半ば“史跡”」であり、充実した資料館まで備わっている…ここでの見聞等は、別途詳しく纏めたい…

タイガースとファイターズの交流戦の試合…ファイターズの好打をタイガースの好守が食い止めてしまうという具合で、両チーム無得点の均衡が続いた…が、ファイターズが先行して2対0となったが、タイガースは追い上げて同点になる…しかしファイターズは追加点…3対2…ファイターズは接戦を制した…ファイターズでは有原投手や宮西投手という、「何やら“持続力”が?」というファイターズ投手陣で目立つ好投を続ける投手を観られたのが好かった…野球とは関係ないモノを着た状態で、「敢えて何方かを熱心に応援しているのでも…」という“立ち位置”で観戦していたつもりだが…内心では「“頼み”の有原を甲子園のマウンドに?!これは…負けられないじゃないか?!」と思いながら観ていたかもしれない…また周囲の人達が5番レフトで出場の清宮を話題にしていた…マダマダ若手ながら「全国区の人気者」と言えるかもしれない…

何やら…「“甲子園”が軸」という1日で、そこに今宮戎神社や難波神社が加わったという按配だ…もう少し方々に行こうとも思ったが…「この雨にやられて♪」という按配でもあった…

そうやって振り返っていた間に…日付が改まってしまった…下り坂の天候から逃げるかのように動いている感だが…今日はどういう具合になって行くことか…

早暁…:猿沢池―奈良(2019.06.06)

奈良の宿に在った早朝…「日が上るか?未だ間が在るか?」というような時間帯に眼を開け…少しだけ戸外に出てみた…

↓多少湿って温いような…稚内辺りでは余り感じることが無いような「この地の朝の空気感」というようなモノを感じながら…スッカリ気に入ってしまった光景を眺めた…
06-06-2019 Nara (2)

↓「一瞬毎」に水面の様子が…或いは水面に様子を映し込んでいる天空の様子が…変わる…
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こういう様子に出逢えるから…少しばかり気に入った街で夜を明かすのは好いのだ…奈良に関しては「夜明けの様子が視たい」と例示したくなる光景が増えている…正しく「泊まれ」のキャンペーンが主張するポイントなのかもしれない…
posted by Charlie at 08:00Comment(0)奈良県

運行日誌(2019.06.06)

不意に妙な事を思い出した…

“親父殿”が何となく撮った「幼少期の私」の写真の中に、何か妙な写真が在った…床に座り込んで、その辺に在る電気炊飯器を半ば傾けるようにして、しゃもじを手に何やら弄っている様子…という「あいつ?何をどうしたいんだ?!」と、傍の大人が苦笑を漏らす他無いような、幼児に特有な動き…

そうやって、電気炊飯器を何やら弄っていた妙な幼児だったが…食べるモノは確りと、「過ぎる…」という程度に食べて、身体はやや大きくなって、序でに態度もやや大きいかもしれないという状態の“おっちゃん”になっている私だが…何やら今日―生誕は6月6日の朝6時頃という話し…―でまた1つ、「無駄かもしれない齢」を重ねてしまった次第だ…

色々と誕生日を祝うメッセージを頂くというようなことも在ったが、メッセージを頂いた皆様には、御厚情に感謝申し上げる…

その誕生日の夜…サウナを利用して身体を解し、適当に食事も摂って、何やら「直ぐ休んで頂いて結構…否!早く休んだ方が好いかもしれない…」という状態で、大阪の通天閣の足下にというような位置の宿に在る…気に入って何度も利用した経過が在る場所だ…

奈良の宿で迎えた朝は…日出の前に起き出し…戸外に出て、猿沢池を少しだけ眺めてから多少休んでいた…

近鉄奈良駅へ出てみれば…何やら修学旅行生が大勢居た…最近は、奈良に滞在して、公共交通で京都等をグループ行動で動くということをやっているようだ…中学生にも高校生にも見える感じでよく判らなかったが…PASMOを持っている生徒が在ったのが見えたので、恐らくは東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県というような辺りに在る何処かの学校であろうが…今般、広島や奈良で小中高各々の修学旅行を随分視掛けたのだが…今日の様子は「最近の流儀か?」と少々驚いた…

近鉄の列車で奈良から京都方面へ向かい、丹波橋で京阪に乗換え、以降は“1日乗車券”を利用だ…

今般、京都の吉田神社、宇治の黄檗宗の萬福寺、大阪府下の門真市に在るパナソニックの資料館を訪ねた…何れも「寄ってみようか…」と思い立った経過は在ったものの、立寄ることが叶わないままになっていた場所だ…

この辺りの見聞等は追って整理することにする…

“誕生日”ということになって「“無駄かもしれない齢”を重ねてしまった」という感じ方をする他方、「とりあえず“誕生日”まで生きて居られたことについて…何かに感謝すべきであろう…」という感じ方をする場合も発生するようになった気がする…

何となく感じるのは…自身の人生では、「掴んだ」というつもりで居て、実は掴んだという訳でもないとか、後になってから「砂を握った時のように指の間から砂が零れ落ちてしまっていた…」と気付くというのが多かったという気がしているが…同時に「実は出来そうで出来ない?」というようなことを「意外にアッサリ?」と達成してしまっているというようなことも多かったかもしれない…思い付いてフラフラとしている中で誕生日を迎えたが…どうということもない、1年に一度は必ず訪れる「6月6日の朝6時頃」が過ぎてしまったに過ぎない…所詮、何でも「“なる”ようにしか“ならない”」ということなのだろうから、「逃したモノが大き過ぎる」という程度のことに思い至ったとしても、実は「気付かずに大きなモノを得ている」というのも多いのかもしれない…

それにしても…今日も好天の時間帯が多く、日焼けが少し酷い…顔が痛い…今日の関西は「30℃に届いた」というようなことだったが…稚内では「真夏にもそういう状況には?」という感なので、何となく驚かざるを得ない…

やや暑いので…余り強引には動き回らないことにしたのだったが…多分、それで善かったのだと思う…

「泊まれ」…:奈良の観光振興関係ポスター…(2019.06.05)

↓<ならまち>の中で掲出されているのを見付けた…
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↑夥しい来訪者が見受けられる中、宿泊するのはその1割程度と言われている奈良…「泊まれ」というポスターが登場してしまった…

ポスターそのもの…一寸笑える…

私の場合…何となく奈良は好感度が高まっていて、今年は泊まる機会を既に何度か設けてしまった…
posted by Charlie at 07:22Comment(0)奈良県

灯り…:猿沢池―奈良(2019.06.05)

猿沢池の畔で、夕刻の空が醸し出す独特な景観を眺めて寛いでいた…

↓辺りに灯りが入り始めた…
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↑幻想的な感じだ…

右に見える五重塔だが…大きな投光器のようなモノでライトを当てている…“ライトアップ”という訳だが、屋根の下が灯りで少し目立つ…

↓暗くなって行く空の中、五重塔は寧ろ明るさを増す…
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こんな様子に満足し、近くで夕食を愉しんだ…
posted by Charlie at 06:59Comment(0)奈良県

夕刻…:猿沢池―奈良(2019.06.05)

近鉄奈良駅近くの宿で一息入れて、夕食でも摂ろうと出た…

↓何となく立寄った猿沢池…美しい…
05-06-2019 Nara vol03 (5)
↑暫く足を停めて、「劇的に光や見え方が変わる時間帯」の様子を眺めようと思い立った…

↓足下の水面に天空の様…そして興福寺の様…
05-06-2019 Nara vol03 (4)

「夕食でも…」と思い付いて出た筈だったが…「後回し!!」で、傍のコンビニで珈琲を求め、それを頂きながら寛いだ…
posted by Charlie at 06:57Comment(0)奈良県

午後…:猿沢池―奈良(2019.06.05)

近鉄奈良駅の近くに興福寺が在る。そして元来は興福寺で築いたとされる<猿沢池>が在る…

↓朝から動き回り、「一寸一息…」で宿に入ろうと近鉄奈良駅辺りを目指していて、猿沢池辺りを通り掛った…
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↑池の中に辺りの様々なモノが沈んでしまったかのように…地上から天空までの様子が、池の水面に映り込む…

↓殊にこの五重塔が素敵だ…
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こういう風景をぼんやりと眺めて寛ぐ感じ…無限に好い…
posted by Charlie at 06:56Comment(0)奈良県

「運行日誌」というより「歩行日誌」?(2019.06.05)

奈良・長柄(ながら)…長柄・京終(きょうばて)…半ば「一往復」という感で…列車に乗ったのは「これだけ」という1日だった…

とりあえず奈良市の隣の天理市に足は踏み入れているが…とりあえず「奈良を歩き回る」ことに終始した1日だった…

早めな時間帯には曇っていたが、次第に天候は好天し、汗もかいて日に焼けもした…朝から午後まで歩き廻り、宿で一息入れて、夕刻に一寸外に出た…出発以来、かなり派手に移動し続けているので、何やら「“緩急”の“緩”」ということになったかもしれない…

長柄へ出たのは…大和神社(おおやまとじんじゃ)を訪ねてみたかったからだ…かの戦艦<大和>の「艦内神社」に祀られたのが、この大和神社から勧請した神だったのだという話しも聞くが…“神道”というモノが形になっていくプロセスの中で登場したと考えられているような旧い由緒を誇る神社だ…が…田畑の多い感じの郊外風な場所で、長柄駅から微妙に歩く感じの判り悪い場所に在る、広壮な感じでもない神社だった…それでも、古くからの社を訪ねると、何やら“力”を感じるというものである…

「広壮な感じでもない神社」ということであれば…奈良の街中にもそういう小さな神社は多いと思う。何となく「一寸した戸建ての住宅の敷地が、大変に古い由緒の〇〇神社なのだという…」というのが幾つか在った…細かく探せば際限が無いかもしれない…

そして京終…ここは「平城京の端で終わりの辺り」ということで「京終」の文字で「きょうばて」と呼び習わされるようになったそうだ…

この京終の…「鉄道が開業したような時代のイメージ?」という小さな無人駅舎を起点に、<ならまち>と呼び習わされるような辺りを動き回り<入江泰吉記念奈良市写真美術館>を訪ねる等して動き回っていたのだ…

今日は何やら「自身が奈良に住んでいたとして、休日に何となくやりそうなこと…」をやっていた感じだ…好天だったのは結構だが…何やら体力を使ったような気がする…

今日の見聞に関しては…追って整理する…ここまで、連日のように歩き廻っているのだが、今日は「更に多く歩いた」というような気もする…

明日は?明朝に決めよう…

<入江泰吉記念奈良市写真美術館>(2019.06.05)

奈良には「写真美術館」が在ると聞いていた…が、訪ねたことは無かった…

JR奈良駅や近鉄奈良駅からであれば、バスに乗車して更に歩くような場所に在るということだが…私はJR京終駅からフラフラと相当な距離を、「少々蒸し暑いような感…」という中で歩いて至った…

↓こういう感じで佇んでいる…
05-06-2019 Nara vol01 (31)

この写真美術館は、奈良出身であって地元で活動を続けた写真家、入江泰吉(1905-1992)を記念したモノで、奈良県の貴重な記録でもある同氏の作品や、国内外の様々な写真作品を展示する場となっている…

入江泰吉は「美しい大和路」というイメージを発信し続けた写真家である。その作品をここで拝見したが…「素晴らしい!」という貧弱な語彙でしか表現出来ないことがもどかしいような、本当に美しい作品が多かった…

序に…御本人が愛用していた、コダック、ライカ、ハッセルブラッド、リンホフテフニカのカメラも飾られていた…これも興味津々で拝見した…

↓地上1階、地下1階の建物で、地上部分は「硝子の壁面に瓦屋根を載せる」という独特な外観だ…
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↓庭が設えられている横側の眺めも素敵だ…
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館内には、色々な人達が作品を発表するスペースも設えられていて、素敵な作品を展示中なので拝見した。関係者の方と言葉を交わしたが、その方は時間を設けて北海道に何度も写真を撮りに出掛けた経過が在るということだ。私は逆に北海道から関西方面に出ている訳だが…

愉しく写真作品を見学したが、この独特な建物の様子が凄く好い…

>>入江泰吉記念奈良市写真美術館 ウェブサイト
posted by Charlie at 18:25Comment(0)奈良県

濠から望む天守閣…:広島城跡(2019.06.04)

↓滑らかな水面に城の構造物が、空の様子共々に映り込んでいる…
04-06-2019 Hiroshima (61)
↑左奥が天守閣だ…右側は護国神社の建物が見えている…石垣の上は緑豊かで、木々の緑が濃くなって来ている…

↓「暑い…」とは思ったが…暫し辺りを散策してしまった…
04-06-2019 Hiroshima (70)

何か…「実に好い光景に出くわした」というように思った…こういうような様子に出逢えるから…時に時間を設けてフラフラとしてみたくなる…
posted by Charlie at 05:21Comment(0)広島県

近くで見上げる…:天守閣:広島城跡(2019.06.04)

以前に、広島に立寄った際に少し離れた位置から視ていたが、近くで視た記憶が無かった広島城の天守閣…

↓2015年に立寄っていて「機会が在れば、間近にも寄ってみたいものだ…」というような当時の記憶を綴っていた…
>>広島城(2015.10.28)

↓今回は傍まで足を運んだ!!
04-06-2019 Hiroshima (54)

↓1958年の復元と聞くが…1945年まで「本物」が在って、研究資料も色々と在るようで、なかなかに「よく出来ている…」という感じだ…
04-06-2019 Hiroshima (55)

↓「混み合っていた」というのでもないが、「切れ間無い」という感じで来訪者が見受けられた…
04-06-2019 Hiroshima (56)
↑訪日中、滞日中の外国人と見受けられる方が多かった…家族連れも少なくなかった…

訪日中、滞日中の外国人の中で「広島」という地域は古今の色々なモノに触れられる、なかなかに人気が高い地域なのかもしれない…

天守閣は、城で戦闘ということになれば「最後の抵抗…」の場になるような感の場所だが…平時には「領主の威光」を示すような感の代物なのだと思う。毛利家の本拠地だった頃、既に「中国地方の覇者」としてその威光を示すような意味が天守閣には在ったかもしれない…江戸幕府の体制下では、完全に「権威の象徴」だ…

↓現在では…世界中の人達が辺りの眺望を愉しむ場になっている天守閣だ…
04-06-2019 Hiroshima (57)

部分的に剥き出しな感じの板が貼られていて、何か面白い外観になっているようにも思う…
posted by Charlie at 04:55Comment(0)広島県

「鯉城」の鯉…:広島城跡 濠(2019.06.04)

↓広島城跡の濠…夥しい数の鯉だ…
04-06-2019 Hiroshima (59)
↑「広島城」の別名が「鯉城」というらしい…

広島城があった一帯は「己斐浦」(こいのうら)と呼ばれていたらしく、「己斐」という字を使う前は「鯉」という字を使っていたと言われる。江戸時代の漢詩に「鯉城」という表現が出て来るモノが存在するらしいが、これが人口に膾炙したのは明治時代以降だとも言われる…

それにしても…何やら驚く程度に大きな鯉が沢山居た…
posted by Charlie at 01:08Comment(0)広島県

<東郷平八郎元帥>:横須賀(2019.06.01)

↓新宿区内に在った学生時代には何度も足を運んだ場所だ…東京を離れてしまった後も、何回か訪れている…
01-06-2019 Yokosuka (10)
↑最後に訪れてから…10年以上は経つだろうか?「あの場所!!」と想いを募らせていて、今般漸く立寄ることが叶った…

「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」と、「後が無い…」という含意の「Z旗」を掲げて戦いに臨んだとされる状況の画に在る、艦橋に佇む提督の様子をイメージしたと見受けられる銅像だ…

この銅像を眺めると…何か訳も無く“力”を分けて頂けるというような…気がするのである…

「記念艦」の<三笠>に関しては、入場受付終了直後というタイミングでここに辿り着いたが…この銅像が視られて好かった!

大鳥居:厳島神社(宮島)(2019.06.04)

久し振りに宮島を訪ねてみた…

↓実は干潮の時には砂州の地面が出ていて、そこに大きな鳥居が建てられているのだが…満潮の時には浮かんでいるかのように見える…
04-06-2019 Hiroshima (30)
↑不思議なモノだと思いながら、随分と眺め入ってしまった…

↓天と海との間に鳥居…一寸面白い光景だと思う…
04-06-2019 Hiroshima (28)
↑空が面白い感じだったと思う…

こういう面白い景色を求めて、自由に動き回ることが出来るということに…感謝しなければなるまい…
posted by Charlie at 00:17Comment(0)広島県